八坂神社 


八坂神社ポスター


歴史

 八坂神社は、平安遷都以前―斉明天皇の二年(656年)、渡来人の一族・八坂造が住まいする「八坂郷」に建立された「祇園社」「感神院」(素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神の三柱が祭神)が起源とされている。
 その後、平安京に災厄を及ぼす疫病や怨霊を鎮める為、天皇家の厚い保護を受けた事から、日本全国に約三千の分社が設けられる程、厚い信仰の対象となった。本殿は、過去の度重なる戦火で焼失・再建を繰り返し、承応三年(1654年)に徳川家綱が、紫宸殿を模して再建したのが現在の建物である(国の重要文化財となっている)。1997年からの本殿修復工事の際には、南に位置する「舞殿」が仮本殿として遷座された(普段は、一年を通じて、数多くの奉納行事の舞台となっている)。
 今でも、地元・京都の人々からは、「八坂さん」「祇園さん」と親しみを込めて呼ばれ、初詣や観光の名所として賑わっている。また、八坂神社が氏神の「祇園祭」は、貞観11年(869年)に神泉苑で行われた「祇園御霊会」(矛66本を立てて、神輿を送った)が発端とされており、「日本三大祭」「京都三大祭」の一つとして、毎年日本各地から大勢の観光客を集めている。


写真2/八坂神社

写真3/八坂神社・参道

写真4/南座
都の商売人の歴史探訪


 平成二十年一月三十日。京都市東山区にある映画館−「祇園会館」へ、映画「憑神」を見に行く途中、祇園界隈の風景を写真に収めてきた。京阪電車の四条駅で降り、地下の改札口から上がると、最初に目に入るのは……南座!
 数多くの有名俳優や歌手の舞台がここで行われ、年末には歌舞伎の「顔見世興行」が行われる事で有名な南座だが(ちなみに、この時、表に大きく上がっていた看板は、3月に行われる「坂東玉三郎 中国昆劇合同公演」!)……「必殺的」には、昭和56年から「南座・必殺まつり」が毎夏行われ(「からくり猫屋敷」のTV中継版冒頭では、ラムネ売りのおっさんに扮した藤田まことが、鴨川の河原で「必殺初出演」の村上氏と京本氏に意気込みを聞き、自転車に乗って四条大橋を南座へ……そのまま、舞台の花道(!)に登場している)、SP「(秘)必殺現代版」のクライマックスでは、秀が顔見せ興行真っ最中の南座の前から出陣した。

 南座前から東へ伸びる繁華街が、八坂神社に繋がる「参道」となっている。更に東へと進み、花見小路を通り過ぎ、四条通の東端(東山通との交差点)にあるのが、祇園祭の氏神さん―八坂神社だ!


写真5/八坂神社・西楼門(1)


▲ 八坂神社・西楼門(三景) ▼


写真6/八坂神社・西楼門(2)    写真7/八坂神社・西楼門(3)



写真8/八坂神社・西楼門(4)


▲ 八坂神社・西楼門(両面) ▼


写真8/八坂神社・西楼門裏側
観光の見所

 八坂神社の西楼門は、室町時代に築かれた朱塗りの楼門で、四条通と東大路通の交差点と言う「交通の要所」に接している為、一際有名な観光スポットとなっているが……実は、八坂神社の表門は、同社の南側にある「南楼門」なのである(後掲の地図を参照のこと)。
 国の重要文化財である同楼門は、約百年ぶりに行われた大修復により、創建当時の色鮮やかな「朱色」が復活!平成十九年十一月三十日から三日間に渡って、お披露目の式典が大々的に行われた。一月に私が行った際も、同じように「色鮮やかな楼門」の写真を撮っている人が大勢いた。



必殺シリーズでの撮影


 必殺シリーズでの撮影使用例で言うと、「新装(秘)必殺現代版」の新録部分・冒頭。加代が西楼門前の石段を駆け上がって、標的の接近を竜に知らせ……裏門の二階部分で、組紐屋の竜が標的を組紐で吊り上げた!(ちなみに、背景&標的は「現代の日本(人)」だが、仕事人たちは「江戸時代(の人物)」と言う、半ば「パロディー仕立て」になっている。但し、この映像は現時点で確認出来ない為、ビデオを見た時の記憶に頼っている点を了承頂きたい……)
 また、その他に、京都自体が舞台になっている二編。「激闘編」#8/初夢千両殺し…では、京に出向いた加代と政・竜が落ち合う場面が、西楼門の前で撮影。SP「仕事人、京都へ行く」においては、京の仕事人・元結の新吉に政が迫る場面で、本殿や西楼門が使われている。

▼ 八坂神社・本殿 ▼


八坂神社・本殿


▼ 八坂神社・絵馬舎 ▼

写真9/坂田藤十郎・奉納額


【参考ホームページ】「時代劇の風景」
▼ 八坂神社・舞殿 ▼





交通路

 八坂神社(京都市東山区祇園町北側625番地)は、最寄の主要駅だと―「京阪四条駅」より徒歩5分、「阪急河原町駅」からは徒歩8分の距離にある。京都市バスならば、バス停・祇園で下車すると、目の前に「八坂神社・西楼門」が見えるだろう。尚、より詳しい情報を知りたい方は、「八坂神社」の公式ホームページへ。

【八坂神社・境内見取り図】

八坂神社・地図


 円山公園 


円山公園
 円山公園は、八坂神社の東に位置し、国の名勝に指定されている。元は、八坂神社の境内に属していたが、明治19年(1886年)に「京都で初めての公園」として誕生した。広大な敷地(約8600u)は池泉回遊式庭園となっており、美しい東山連峰を背景に、市民の憩いの場として活用されている。
 園内には、夜桜として有名な「枝垂れ桜」や、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像もあり、野外音楽堂では、過去多くのミュージシャンがコンサートを開催した。春の桜・秋の紅葉の時期は、いつも大勢の観光客で賑わっている。



坂本龍馬・中岡慎太郎像(1)坂本龍馬・中岡慎太郎像(2)



 長楽館 



長楽館(1)      長楽館(2)

歴史的由来

 八坂神社から続く円山公園の一角にある「長楽館」は、明治の煙草王・村井長兵衛の旧・京都別邸で、明治42年に建造された(「長楽館」と命名したのは伊藤博文)。
 ルネサンス様式の外観とルイ王朝時代の内装が特徴的な、和洋折衷のレトロ・モダニズム建築物として、京都市の有形文化財にも指定されている。現在では、お洒落なホテル&レストラン・喫茶ルームとして運用されている(長楽館の写真2枚は、平成二十年10月9日に撮影)。
必殺シリーズでの撮影

 長楽館は、京都を舞台にした現代物のTVや映画、京都の文化や歴史を紹介するTV番組で、しばしば撮影に使われているようだが、必殺的に言うと……昭和六十年十月四日放映の必殺スペシャル「新装(秘)必殺現代版 −東京六本木・京都円山公園・大阪梅田 3元仕事人ナマ中継−」(第6弾)の生放送パートにおいて、京本政樹と鮎川いずみが登場したのが、ここ長楽館である。
 また、1998年8月13日には、老舗必殺サイト−「闇の仕事師達の頁」の常連メンバーによる、最初の「必殺・オフ会」も、ここで行われた。


 大谷祖廟 


大谷祖廟(1)


大谷祖廟(2)

▲ 大谷祖廟・参道 ▼

大谷祖廟(3)

歴史必殺シリーズでの撮影

 大谷祖廟は、文久9年(1272年)に、親鸞聖人の墳墓を廟堂に改築したのが起源で、その後幾度か移転。寛文10年(1670年)、真宗大谷派(東本願寺)による「祖廟」として、現在の地(京都市東山区円山町)に造営された。祖廟へと通じる参道は、八坂神社境内〜円山公園の南側沿いに伸びている。

 必殺シリーズでは、映画「必殺4」冒頭……石畳の沿道の両側に、ズラリと居並ぶ同心たちが出迎える中、華美に着飾った新任の南町奉行・奥田右京亮が、威風堂々と馬に跨って現れる《初登場シーン》で使われた。大きな石灯籠をバックに、やや曲がった参道を進む右京亮一行の姿は、「強敵、出現!」と言う雰囲気を漂わせて、非常に印象的だ!



◎ 八坂神社/円山神社・界隈 ◎




 円山・安養寺 


円山・安養寺歴史必殺シリーズでの撮影
 平安時代初期、最澄が創建した「吉水坊」が起源で、後に法然・親鸞両上人の念仏発祥の地−「吉水草庵」として知られている。建久年間に「安養寺」と称したが、幾度かの荒廃を経て、時宗寺院となった(円山公園の名称は、同寺院の山号「慈円山」に依っている)。元禄15年(1702年)には、吉良邸討ち入りを目指す大石内蔵助らによる「円山会議」が、ここで開かれた。
 必殺シリーズでは、「必殺忠臣蔵」の《円山会議の場》において、赤穂浪士が安養寺に集まる場面で、実際の「安養寺」の門が使われた。現在の安養寺の石段中央には、鉄製の手すりが見えるが……本編では、石段の中央は「道の反対側に立つ樹木」で、巧みに隠されており、画面には映らない。
 尚、安養寺の軒下で、赤穂浪士爆殺の為に仕掛けられた炸裂弾を、主水と田中様が発見。押し付け合いの果てに、激走した主水が間一髪川へ投擲!……したが、安養寺から鴨川(と思われる)までの距離は2km弱(要時間・6分)?先ず、確実に「必殺!主水死す」だなあ!(笑)


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