金戒光明寺 


金戒光明寺・山門(北側)


▲ 「金戒光明寺・山門」 北側 ▲


▼ 同・南側 (春) ▼           ▼ 同・北側 (秋) ▼


金戒光明寺・山門/春(北側)金戒光明寺・山門/秋(南側)


歴史的由来観光の見所

 鎌倉時代の僧・源空(後の法然上人)が、修行の後に比叡山の黒谷を下り、承安5年(1175年)に草庵を結んだのが起源(最初の浄土宗寺院)とされている。その後、文久2年(1862年)に会津藩主・松平容保が「京都守護職」に任命され、この地に本陣を定めた。文久3年には、清河八郎の浪士組から離脱した、近藤勇・芹沢鴨一派が、松平容保公に拝謁した事から「新選組」が誕生した。
 静かな境内は自由に散策でき、御影堂(大殿)・阿弥陀堂・山門(山門)・松平容保公の本陣跡…等が名所・旧跡として、観光スポットになっている。春の桜・秋の紅葉の他、庭園(紫雲の庭)や山門の襖絵・天井図等が、四季折々に特別公開されている。現在では、浄土宗の大本山であるのと同時に、地元・京都の人からは「黒谷さん」と呼ばれて親しまれている。

◎ 境内地図 ◎


金戒光明寺・境内地図


▼ 「金戒光明寺・高麗門」 二景 ▼

金戒光明寺・高麗門(1)金戒光明寺・高麗門(2)


金戒光明寺・山門(全景:A)


▲ 「山門」(全景:A)▲

TVドラマでの撮影使用例映画での撮影使用例

 映画「序の舞」(1984年/東映)・「大奥」(仲間由紀恵主演・2006年/東映)では、共にロケ地として使われたそうだが、直接見た作品で言うと……新版「柳生一族の陰謀」(2008年)では、将軍・秀忠の葬儀の後、厳重に警護された表門(A)に姿を現した柳生但馬守が、息子の十兵衛に向かい、故郷の黒谷村(!)へ赴いて、根来衆の力を借りる事を命令している(芝の増上寺と言う設定か?位置的には、(A)の右側面付近)。

 現代劇では、2009年5月公開の「京都アホアホ映画」(笑)…「鴨川ホルモー」のクライマックスにおいて、安倍明と芦屋満の「ホルモー最終決戦!」が行われたのも、山門の中央正面である。その後、山門の裏手(北側)から現われた楠ふみによって、戦いの勝敗が決した。2010年・正月SPの「相棒」では、山門の楼上に上った杉下右京たちが、遥か彼方の「本能寺(の変)」を《幻視》する場面で使われている。
必殺シリーズでの撮影

 必殺シリーズにおいては、「商売人」#23で、インチキ占い師・心源坊一角の探索に赴いた正八が、ここで暴漢に襲われた他、同シリーズ・#21「悪を操る悪の大暴走」では、恋人のさぶを死に追いやられたと思い込んだ娘・おしまが、短刀で主水を襲撃!(主水に誤解だと言われ、それを見張っていた新次にも、同門前で諭されている)。「商売人」最終話/毒牙に噛まれた商売人…では、蛭子屋の策謀で、おせいの殺し札が山門の楼上に貼られている。
 尚、映画「ブラウン館」に登場する黒谷屋敷は、金戒光明寺がモデルと思われるが、あの迫力ある大門は
「南禅寺」で撮影された。
 また、山門から見える急な石段とは別に、阿弥陀堂の東側にある平坦な坂−「東坂」は、「旋風編」#13・主水化粧する…で、コスプレ好きな塾生たち(おそらく、当時流行した「竹の子族」のパロディーなのだろうが、今見ると、丸っ切り「太秦戦国祭り」か「コミケットの時代劇コスプレ」(笑)!)が降りてくるシーンで使われている。

▼ 「山門」(全景:B) ▼            ▼ 「東坂」 ▼     

金戒光明寺・山門(全景:B)金戒光明寺・東坂


金戒光明寺・石段(全景)


▲ 「石段・1」(全景)▲


▼ 「石段・2」(西側)▼


金戒光明寺・石段(西側)
 山門を抜け、御影堂のある境内へと通じている位置にあるのが、急な「石段」だ。ここは、仕舞人・最終話での「京山・おはなと晋松の別れ」が描かれた他、「商売人」#23/他人の不幸で荒稼ぎ…で、父親を煙たがる若手同心・青木数馬が、石段の最上部から下へ降りようとした時に、父親の姿を見つけて引き返す場面で登場。「仕置屋」#19・業苦…の、印玄の「石段転がし殺し」や、同話#12・魔性…で、市松が幼馴染の女性と再会したのが、石段の登りきった先にある「御影堂」で、その後二人して、石段の方へ降りて来ているシーンでも使われている。
 また、「2009」#14・武士の異常愛…では、唐辛子屋の娘・おゆうの恋人だった徳次郎が、本堂へ向かう石段の西側
(2)で殺害され、ストーカー同心によって殺されたおゆうの遺体も、同じ場所で発見された。その際、前者では、おゆうが……後者では、おゆうの母・おかねと如月が、山門を通って現れている。

 そして、必殺シリーズの最高傑作と謳われている「新・仕置人」最終話/解散無用…においては、辰蔵が「辰の会」に鉄を勧誘するシーンで使われた
(1:全景)。但し、初めて「必殺シリーズのロケ地」を紹介した書籍−「必殺シリーズ完全百科」では、「"粟生"光明寺」(長岡京市)と「"金戒"光明寺」(左京区)が混同されていた為、私も長い間《同一の場所》だと思い込んでいた……そう、実は、京都には「光明寺」は"二つ"あるのだ!


 ▼ 「金戒光明寺・御影堂」 ▼       ▼ 「金戒光明寺・阿弥陀堂」 ▼

金戒光明寺・御影堂金戒光明寺・阿弥陀堂



金戒光明寺・太鼓橋
 余談だが、石段の左手ー供養塔が建立されている墓地の手前には、(構図の関係で写っていないが)通称「アフロ地蔵」と呼ばれて、親しまれている「頭のでっかい地蔵様」が立っている。


歴史的由来

 金戒光明寺の参道から東へ……。太鼓橋を渡った位置(画像の左方向)に、数多くの墓石が立ち並ぶ紫雲墓地へと繋がる石段があり、その左手には、2011年・大河ドラマの主役だった「江姫」こと、崇源院・お江与の供養塔が建っている。
 江の供養塔の左には、ある意味での「敵」とも言える春日局、右には、実兄・家光に自害に追い込まれた弟の忠長の供養塔が建っているのが、歴史の皮肉だと言えよう。
 そして、石段を登り切った場所にある三重塔(文殊塔)は、二代将軍・徳川秀忠の菩提を弔う為に建立された。
      ▼ 「江姫・供養塔」 ▼             ▼ 「文殊塔」 ▼


江姫・供養塔2江姫・供養塔1文殊塔




▲ (下) 「紫雲墓地に繋がる石段」 (上) ▼




必殺シリーズでの撮影

 この「紫雲墓地へ伸びる」石段の始まりの位置で、「新・必殺仕置人」#1/問答無用・終盤において、筑波重四郎に騙されていたおかねが、主水の腕の中で息絶えるシーンが撮影されている。
 しかし「ロケ現場」に立ってみると、《一つの疑問》が浮かんだ。【1】の見取り図で記しているように、石段の下にいる主水とおかねを撮影しようとすると、どんなにカメラ位置を低くしても、石段の手前の《A》の石畳が映ってしまう筈……。だが、鉄が駆け出している場面では、《A》の石畳はTV画面に映っていない?



太鼓橋からの撮影・見取り図(1)


 そこで、「京都殺人案内」の音川刑事の如く(笑)「現場検証」をしてみたところ、上掲の「太鼓橋」が関係する事が分かった。 この太鼓橋越しにカメラを構えると……こうなる!
 つまり、同シーンは、【2】の見取り図で分かるように、アーチ状に曲がった石橋の天辺へ、鉄がやって来た時に撮影されたらしいと言う事が分かった。これだと《A》の石畳は、画面に映らない……Q.E.D(証明、終わり?(笑))


太鼓橋からの撮影・見取り図(2)


▼ 「会津藩殉難者墓地」 ▼





 数多くの墓石が立ち並ぶ紫雲墓地の石段を上り、行き当たった文殊塔(三重塔)を北へ折れて、更に進んで行くと「真如堂」へ辿り着くが……そこへ至る道筋の東側に「会津藩殉難者墓地」がある。幕末期の「鳥羽伏見の戦い」等で落命した、会津藩士とその関係者−数百人の遺体が、路上に放置されたままになっていたのを、新選組の密偵でもあった侠客・会津小鉄の尽力により、回向し供養。明治43年(1910年)、同地に「会津藩殉難者墓地」の慰霊碑が建てられた。

 金戒光明寺での「時代劇」撮影

ロケ隊(1)ロケ隊(2)

 2010年9月30日(木)、恒例のロケ地巡りで「金戒光明寺」へ行って来た。ここは、「必殺仕事人2009/#21・仕事人狩り!」での、勝野洋演じる渡辺小五郎の師匠・雨宮の切腹の場と、「必殺仕事人2010」での大奥総取締・霧島と風間右京乃介の会見の場面が、同寺院の方丈にある「紫雲の庭」で撮影されたからだ。
 入り口の襖が、ピンと閉まっている方丈へ行くと……付近に、人影は全くなし。だが、玄関前には靴がいっぱい置いてある。参詣料や入場料を受け渡しする「窓口」のようなものもない……。「……失礼します」とばかりに(口には出していないが(笑))、襖を開けて、静かな廊下を進んで行くと、突き当たりのT字の廊下の曲がったところに……TVモニター!……えっ?何っ?まさか……ロケ?それも……時代劇の!?目の前には撮影スタッフと機材!左へに伸びている廊下に、ちらと目をやると……照明用レフ版を掲げたスタッフ!直接目では見えなかったが、奥の座敷で撮影の真っ最中らしく「……本番!」の声も!
 一編に緊張して、体が固くなり、息を殺して、すぐ先にあるTVモニター(撮影中の場面が映し出されているらしい)を見ると……豪奢な画が描かれた襖をバックに、狩衣姿(だったか?)の「三人の戦国武将」が歓談している光景だ。「出ていって下さい」と"言われなかった"のをいい事に(笑)、「静かにしてますから」と、小声で目の前のスタッフの方に言うや、正に"息を殺して"、画面を見つめていた。遠くからは、何度も「本番!」の声とカチンコの音が聞こえ(TVモニターでも、役者の前にカチンコがカット・インするショットが見られた)。

 ここで、何度か繰り返された「リハーサル」「本番」の最中に聞き取れた台詞は、一人の武将が「上様は、二兵衛うんぬん〜〜」と言うと、それを聞いた一人の武将が大きく笑うと言う演出で……どうやら、これは「羽柴秀吉」と「竹中半兵衛」「黒田官兵衛」(秀吉配下の名参謀−竹中と黒田は、二人合わせて「二兵衛」と呼ばれている)らしく、後で「半兵衛」と言う台詞も聞き取れた。本番と本番の間に、隙を見て「映画ですか?TVの時代劇ですか?」とスタッフに尋ねてみると……「TV時代劇の撮影です」との返事。しかも、その間にも、何人かの撮影スタッフが出たり入ったり。
 ……と、ここで、一人のスタッフが「ここ(金戒光明寺)の方ですか?」と私に聞いてこられたので(……遂に来たか!?(笑))、「いえ……ここの庭を見学できるかどうか、お訊ねしようと思って入って行ったら、偶然撮影に遭遇しましたので……」と答えるや、「すいませんが、一般の方は、撮影中はご遠慮願ってますので」と、実につれない返事を貰って、さっさとその場から追い出されてしまった!(ウ〜〜ン、残念……!(笑))

 暫くは、諦めきれずに、方丈の外側の門の隙間辺りから、ちらちらと中を覗いてたが、撮影スタッフの姿が僅かに見えるばかり……。それから間もなくして撮影は終了したのか、武将役の三人の役者はライトバン(だったか?)で現場を去り、撮影スタッフも続々と撤収を。余りに口惜しかったので、撤収するスタッフの姿を2枚ほど写真に撮った。その後、ネットで調べるや、2011年1月2日に、TV東京系で放映された「新春ワイド時代劇 戦国疾風伝/二人の軍師」(竹中半兵衛:山本耕史・黒田官兵衛:高橋克典・豊臣秀吉:西田敏行、製作:松竹)だと言う事が分かった。公式サイトの制作日記には載っていなかったので、おそらく「脇役クラス」の撮影だったのだろう。
 後で、境内の案内板に張ってあったポスターを見るや、金戒光明寺・方丈の中にある「紫雲の庭」が見学できるのは、10/9(土)〜12/5(日)の期間だけらしく、今回は空振りに終わってしまったものの……思いもかけない「時代劇ロケ撮影隊」に出くわし、行った価値は十分にあった。

◆ 「大方丈」 ◆


大方丈・正門

▲ 「大方丈・正門」(1)▲

▼「大方丈・寺務所」(2・3)▼
 毎年11月から12月まで、約一ヶ月間「秋の特別拝観」として、一般に公開されるのが、普段は非公開になっている「大方丈」と「紫雲の庭」だ。2010年9月30日に、期間限定の特別公開とは知らずに赴いて、偶然「時代劇のロケ地撮影」に遭遇!早々に追い出された経験への"逆襲"として、翌年の11月16日に、再度のロケ地巡りを行った結果を以下にまとめた。
 1934年に焼失した大方丈は、創建当時の設計図を基にして、1944年に再建。更に、開祖・法然上人の八百年大遠忌の記念行事として、2011年に大方丈・東庭園の西側−約二百坪が、2011年に「紫雲の庭」として整備された。同庭園は、「法然上人の生涯」と「浄土宗の普及」を、枯山水によって表現している。残念ながら、大方丈と紫雲の庭を含んだ《境内地図》がないので、ロケ地巡りの際の順番とさせて頂く。

金戒光明寺・大方丈(2)金戒光明寺・大方丈(3)
 大方丈の正門(1)は、通常は非公開の為に閉ざされており、東に位置する(2)と(3)は、「紫雲の庭」がある寺務所の「玄関」なのだが……ここからは入れない!(笑)ロケ地巡りの順番で言うと「拝観者の出口」に相当し、2010年の10月には、それと知らずに、ここ(2)から「失礼します……」と入って行って、前述のロケに遭遇している。実際の「特別拝観」の入り口は「御影堂(本堂)」側から。普段は山門に安置されている「釈迦三尊像」他の仏様も、平成の大修理の為、こちらに移されていた。
 そして、御影堂を抜け、寺務所の方に移動して見られたのが、今回の「目的地」……前庭!この白砂の波紋が美しい前庭は(1)の正門の内側にある。ここでは「仕事人2009」#21/仕事人狩り!&SP「仕事人2010」の撮影に使われた。位置関係が分かりづらいので、以下の「見取り図」(笑)をご覧頂きたい。


大方丈・前庭(1)

▲ 「大方丈・前庭」(1)▲

▼「大方丈・前庭」(2)▼


大方丈・前庭(2)
大方丈・前庭&回廊:見取り図

 正門の内側からまっすぐに伸びる、石畳の少し右側が、「仕事人2009」#21での"雨宮切腹"の場だ(A)。この前庭に面する回廊(1)の左側(=建物の外)、前庭に下りる階段の手前に、老中・加納が腰を下ろし……(1)の「手前」側から「奥」の方(=加納がいる方向)へ、大老の松坂が歩いて来る(見取り図では左から)。 この時、雨宮の介錯役−渡辺小五郎が姿を現したのが、(1)&(2)では緋毛氈が引いてある(TV画面では見られない)通路部分で、画像の奥の「御影堂」に通じる戸(後述の(1)では、半分だけ閉まっている)の前で、建物外側の回廊に進み出て、横柄な態度の加納に平伏する場面となる。
 また、「仕事人2010」中盤では、大奥御年寄・霧島が犬を抱いて現れるのが、見取り図の「虎の間」の角を曲がった場所(背後に、前庭の正門がちらっと映っている)……であるのに、その後、津川&小沢と顔を合わす「茶席」は、取って返して(笑)「前庭」のAの位置に!(ここで、霧島は「下々の者などゴミじゃ!」と言い放つ事になる)。尚、この場面の少し前。津川を従えた小沢が、本田博太郎に「事業仕分け」を言い渡す《必殺仕分け人(笑)》になるのが「虎の間」だ(背後の襖に、どこから見ても目を合わせる「虎」が描かれていたので分かった)。

▼ 「大方丈・回廊」(1)▼           ▼「大方丈・回廊」(2)▼

大方丈・回廊(1)大方丈・回廊(2)
大方丈・掲額

 上段の間(謁見の間)では、幕末期において、金戒光明寺に本陣が置かれていた「京都守護職」の松平容保公が近藤勇と対面し、新選組が誕生した場所だ。但し、「上段の間」「講堂」「虎の間」は、見学する事は出来ても、部屋の内部は「撮影厳禁」だった為、ここでは「回廊」と「欄干の上の掲額」のみ載せる事にする。
 前述の「二人の軍師」のロケは、ちらと目にする事ができたスタッフの様子、確認用のTVモニターの画面からすると、「講堂」か「虎の間」のどちらかで撮影されていたように思う。


紫雲の庭(1)
 大方丈から「紫雲の庭」へ進み、庭の方から振り返った構図−(1)は、2012年・秋の男女逆転版「大奥 −誕生−」で、春日局の屋敷として使われた(左上の空間に、「江戸城の天守閣」を合成)。
 尚、「紫雲の庭」の構成は、(3)の右端−"白砂に囲まれた小島の石"が「法然の幼少期・美作の国」を……(3)の中央&(4)の中央右−"翔鶴の松が大きく被さっている石"が「浄土宗の開宗と興隆」を……(1)と(4)の左端−"石橋の手前の石"が「法然の修行時代・比叡山延暦寺」を表現している(……そうだ。私には、さっぱり分からないのだが(爆))。




▲ 「紫雲の庭」(1・2)▼          ▼「紫雲の庭」(3)▼

紫雲の庭(2)紫雲の庭(3)

▼ 「紫雲の庭」(4)▼

紫雲の庭(4)


▼ 「山門・平成の大修理 寄進瓦」 ▼

寄進瓦(1)寄進瓦(2)


寄進瓦(3)
 紫雲の庭の見学を終え、大方丈の出口へ進んでいた時に出くわしたのが、「山門・平成の大修理」の為の寄進瓦。寄進者は、この瓦に自分の想いを記す訳だが……ほとんどは一般の人だった中に、よく見知った「有名人」の名前が!(1)は、藤原竜也に里見浩太朗(「水戸黄門」の撮影で訪れたのか?「仕事人2013」の放映もいよいよだ!)。(2)は、真矢みきと早乙女太一。
 そして(3)は、コラムニストで漫画家のみうらじゅん(ゆるキャラの名付け親)と、エッセイストのいとうせいこう!これは、日本全国の様々な仏像を、独特の「みうらじゅん視点」で見て回る「見仏記」のコンビ!ただ、仏像と庭の拝観が目的の人には、余り知られていないのか、ほとんど目を留める人はいなかった……。



地図 地理的には東山に近く、平安神宮(岡崎)の北に位置している。一般的な交通の便としては、京阪電車「丸太町駅」より徒歩30分。京都市バス「岡崎道」「岡崎神社前」から徒歩10分。より詳しい情報を知りたい方は、「浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺」の公式HPへ。【所在地:京都市左京区黒谷町121】

 【参考ホームページ】「時代劇の風景」


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