
あの日のこと…いつまでも、忘れない…。 人気のない森の中。こずえがザワザワと嫌な音を立てる。養いきれない子どもを捨てる“口減らし”。捨てられた子どもは、こんな暗い森の中を彷徨うのだろうか…。 山の中腹、特に緑の濃い場所に、その洋館はあった。 狂ったように咲いている薔薇をかきわけて、洋館の重い扉を開ける。静かな、動かない空気の香り。そっと足を踏み入れた。 「よく来たね。」 誘うような妖しい声。まだ若い…青年の声。びくっとして振り返る。 そこに、入ってきたはずの扉はなかった。 暗がりの中で、ほのかに光るような…綺麗な人が立っていた。黒色の正装。すっと切れ長の目で、こちらを見ていた。 「何か用でも?」 青年の形の整った唇から、歌うように滑らかな言葉がつむがれる。 「…あのっ…こ、ここに、口減らしで捨てられた子どもがいるって、町で聞いて…。」 「町って言うと、ここから相当離れてるね。…弟か妹か、誰かに会いたくて来たんだ?」 青年が小さく首をかしげて尋ねる。ほんの少しだけ、顔に笑みをたたえて。 「いえ、その…私の母が、孤児院をやっていて…私もそう言う事業に興味があって…それで、町でこの館の話を聞いて、興味を持ったので…。」 「“そういうジギョウ”ね…。…ふぅん…。」 青年がこちらに向かって歩いてくる。カツン、カツン、と硬い靴の音が響く。洋館の高い天井に反響して、耳の奥がもやもやする。 「奥で、お話しよう?」 スッと白い手袋を外して、手を差し出す。 細い指先。形の良い爪。紳士的。 「…えぇ……。」 差し出された手を取る。羨ましい、綺麗な手。 青年は私の手に儀礼的に口付けると、微笑んだ。 「それじゃあ、奥の部屋へ」 奥の部屋は、とても静かだった。錆びた鉄の色をした絨毯に、金糸で刺繍された幾何学模様。無造作に置かれている水晶の原石、不思議な形の石、宝石…。 「君は、僕のこと、知ってる?」 青年からの唐突な質問。奥の部屋へ案内されてすぐの質問だった。 「…有名人、なの?」 私が聞き返すと、彼は笑った。 「まぁね。」 彼は私を床に仰向けにした。 「誰にも教えないなら、教えてあげる。誰にも教えない?」 「…うん…。」 青年は嬉しそうな笑顔で、私を見下ろしている。 「この館のことも、誰にも教えない?」 「…うん。」 「じゃあ、僕は君を信じるからね。」 私は彼を見上げた。 すっと通った高い鼻すじと、長いまつげ。色白で滑らかな頬。 ひかりをたたえる目。 彼は私の耳元に顔を近づけて、小さな声で、正体を告げた。 吸 血 鬼 、 と 。 小さな、ささやくような声。 けれど、はっきりと聞こえた。 吸 血 鬼 、 と 。 「ごめんね。少し痛いかもしれない。」 彼の声が耳に残る−−−それを遮る耳の裏の小さな痛み。そして首筋、肩、胸……。 遠くから、青年の声が聞こえてくる。 「…僕はね、随分と他人を食い物にしてきたんだ……。今度は僕が誰かに喰われる番なんだ。……君は僕の後継者。僕を喰う、僕のための処刑人…。」 カラダが勝手に動いた。 どうしようもなかった。 それしか、覚えていない。 何年か後、私の家へ一通の手紙が届いた。私宛だった。差出人は有名な実業家。十数年前から行方不明になっている、その人だった。 その人の消息が分からなくなる数日前の消印が、押されていた。 夢か幻か 僕の妻たる君へ 僕の財の全てを遺そう そして その遺産をもって 君が約束を果たすことを願う 僕は君を忘れはしない あの日から 口を閉ざした君のこと 意地悪になるかもしれないけれど いつまでも 薔薇の下で僕は待とう 紅くなることのない 薔薇の下で 「まぁ…一体どういう事?」 走り回る双子の孫を眺めながら、尋ねる母。私はゆっくり目を伏せ、そして母に視線を戻す。 「…秘密にしたいのね。…まったく…いつになったら、喋ってくれるのかしらね。孤児院のことも、この子達のことも、この子達の父親のことも。」 私は母を見つめて、目を細めて微笑した。 そして、人差し指を建てて、口に添えて−−ー……… 秘 密 、 と − − − 。 薔薇の咲く館の下で、いつまでも−−−……… /close/−* go site *−ネット小説ランキング投票−NEWVEL投票 |