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始まりの場所
【2】
王の間。
空気はぴんと張り詰めていた。
客がある時を除いてはもともと静かな空間なのだが、今日のそれには静という表現が似合わない。
側の兵士たちは微動だにしなかったが、時折緊張に耐え切れず息を呑んだり、小さい咳払いをしてどうにか平静を保っていた。
スキを見せないのは、入り口付近を守っている長身の兵士くらいだ。
重たい静を生み出している原因は他でもない。
今しがたラダトーム王・ラルス16世にもたらされた報告であった。
玉座の王は、紅い宝玉の埋め込まれた冠に、これまた紅い衣装を纏っている。
半分近くが白く色を変えた頭髪はかすかに震え、
やや白めな肌も頬の辺りが朱色に染まっていた。
王は額にうっすらと染み出た汗を右手で拭った。
だが、取り去られるはずの水分はかえってその量を増やしていた。
右手にも汗がじっとりとにじんでいたのだ。
「冷静になれという方が無理じゃな・・・」
主君が汗ばんでいることに気がついた長身の兵士が、
近寄って手ごろな大きさの一枚布で拭き取ろうとした。
王は兵士の手を制し布だけ受け取ると、吹き出る水分を一枚布に押し付け染み込ませた。
いつもならば主君の汗を拭うのは兵士たる自分の仕事であった。
例え自分でやると言っても、主君に汗を拭くなどという行為をさせることはできない。
だがその時兵士は、紅衣の王を見つめることしかできなかった。
主君の頬が震えていたからである。
何事にも動じぬ主君が。
実の娘がさらわれた夜にも、少なくとも表向きは動じなかった紅玉の王が。
震えている、とは。
長身の兵士も冷静さを失う所だったが、なんとかいつも通りの精神状態を保ち続けた。
一層はりつめた緊張の糸の中、彼らは「ユキノフの孫」の姿を想像していたのだった。
一通り汗を拭った王は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出そうとした。
だが放出する息は一瞬にして勢いよく吐き出されてしまった。
呼吸が平静を取り戻せないのだ。
興奮は止みそうにもない。
ユキノフの孫が生きていたのだから。
カツ、カツ、カツ、カツ…。
階段の下から、足音が聞こえ出した。
王を始めフロアの者全員は、ますます固まるのであった。
「そなたが…。そなたが、ユキノフの、孫…じゃな?」
途切れ途切れになった王の質問に、若者は、こっくりと頷いた。
まだ若干幼さの残る顔立ちにはかつて去っていった戦士の面影。
ユキノフ。その昔グレイという名だった男。ロトの鎧を託されし勇敢な戦士であった。
「おお…。16年前にそなたが行方不明になったとユキノフから…、
そなたの祖父から聞いておったが、よくぞ無事で…!」
紅衣が黒髪に触れ、ぽんぽんと軽く叩く。
若者は無表情だった。
とりあえずは王の接触を素直に受け入れている。
「いったい、今までどうやって暮らしてきたのじゃ?」
「東の、岩山の洞窟付近にある森の中で・・・」
「そなた一人でか?」
「はい。動物や山菜を取って食べていました」
若者は淡々と答える。苦労と喜び、どちらも全く感じられない、無感情な声であった。
それがかえって若者の孤独感の強さを表しているように、王には感じられた。
「物心ついてからしばらくは、人間語を話さない生き物に育てられていました。
だが、ある日生き物は俺の前から姿を消しました。
それからはずっと、一人で生きてきました」
相変わらず淡々とした口調であった。
あまりにも当然のように語るので、聞く者に内容の壮絶さを感じさせない程だ。
「16になるまで開けるのを禁じられていた包みがありました。
22日前、誕生日を迎えた俺は、初めてそれが父の手紙だと知りました。
正確には、祖父の意志を父の字で書いたというのが正しいでしょうが」
若者はユキノフに会ったことがない。
いや、厳密に言えば数日間だけ共に生活したのだが、赤ん坊だった彼が人の顔を覚えられるはずもなかった。
「それには、俺が勇者ロトの血を引きし勇者であることと、
ラダトーム城の王様を訪ねよという指示が書いてありました。
俺は悪を倒して平和を取り戻す使命がある。そうですよね?」
あまりに完璧。そして簡潔。
ラルス16世は展開の早さに戸惑ってしまった。
無論、顔には出さずに。
若者というのはもう少し感情的になったり、己に課せられた使命の大きさにどうしようもない
不安を抱いたりするものではなかっただろうか。
ユキノフの孫は、それとは程遠い。
「(勇者として悪と戦うように説得しなければならないかもしれないと多少覚悟していたのだが・・・
無駄じゃったの。それどころか話がうまく進みすぎている位じゃ)」
何にせよ、王の役目はたったひとつ。
竜王征伐を若者に命ずる。ただそれだけだ。
「そうじゃ。
そなたの成すべきことは、悪魔の化身・竜王を倒し、この地に再び平和を取り戻すことじゃ」
こんな簡単に告げていいような内容なのだろうか、と王は自問自答した。
竜王を倒す。それがどんなにか大変な、困難な、つらい道だろうか。
「アレフガルドの民は奴の邪悪な力に苦しめられておる。
両親を失った、年端もゆかぬ子供。
強烈な光の攻撃によって永遠に闇の中を生きることとなった、働き盛りの男。
顔の半分を焼かれ、地獄化粧を施された若い娘。
消息不明になった孫を探し続ける老夫婦・・・」
無表情だった若者の右眉がピクリと動いた。
たった一人森の中で生きてきた、世の中を知らない若者にでもその凄惨さは伝わってきたのだ。
「わしは王という身分でありながら、失意の彼らに何もできなかった」
「それは違います!」
異論を唱えたのは、先ほど王に一枚布を差し出した長身の兵士であった。
「王様は民のため、あらゆる努力をなさいました。
じきじきに町まで出向かれて、生きる気力を失った者たちに声をおかけになり、
魔物の攻撃によって心身共に弱った者たちの手をお取りになり・・・、
民はどんなに励まされたことか!」
「そうであれば良いがの」
「そうに決まっています!」
短く刈った二藍色の髪に、切れ長の瞳。
そして迫力のある高い背丈。
クールな外見を持つ長身の兵士が身振り手振りまでを交えて熱く王に訴えている。
「(この人、こんなに熱く話したりするんだ)」
黒髪の若者は初めの印象と異なる兵士に意外性を感じ、
きっと見た目が冷たそうなだけで本当は熱血な人なんだろう・・・と思った。
だがどうやら違うらしいと悟った。
なぜなら、他の兵士たちも、自分と同じような視線を長身の兵士に送っていたからだ。
「オホン。まあこの際わしが何をしたかなど問題ではない。・・・『勇者』よ」
「はい」
「わしに出来ることは少ない。
せいぜいデュアル・・・そこにおる長身の兵士だが、彼が先ほど説明したことくらいじゃ。
幾度か竜王征伐を試みようとしたが、無駄じゃった」
横を向いて、地に視線を落とす。
くっ、と小さく声を漏らす王の拳は、小刻みに震えていた。
「王様・・・」
デュアルは天を仰ぎ、ひとすじ流れそうになるものを眼の際で止めた。
他の兵士も、震える主君に、各々のやり方で見えない敬礼を送った。
おうさま、と小さく呟くことで。
右手を胸の前で軽く握ることで。
両眼を閉じることで。
彼らの行動こそ、16世が口先だけの王では決してないという証明であった。
「(本当に征伐に赴こうとしたんだ。けど、かなわなかったんだ。・・・『勇者』じゃなかったから?)」
黒髪の若者も、真実を知っているわけではないのだが、王の言葉が嘘なんかではないのを感じ取っていた。
「わしには、真の平和を民に取り戻してやれぬ。
だが、そなたならば・・・、そなたならば出来るやもしれぬ。
頼む。この地に再び平和を・・・」
黒髪の若者は返答する代わりに、片膝を地に着け、頭を垂れた。
自分の倍以上生きている人間の真摯な思いを受け止めようという、若者なりの自己表現であった。
【3】へ
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