ブログ 第二章


【2度目の退職・鬱病罹患のいきさつ
 ~超ブラック企業物語~
(注:ごく一部ですが、自殺に関する記述を含みますので閲覧注意、
文庫1冊相当の長文なので覚悟の上お読みください)

こうして、かつての人脈を利用して、
大学時代のバイト先に出戻り転職した。
採用面接なんて、かつての上司と飲んだだけで「顔パス」www

しかし、これが人生を更に踏み外す結果となった。
この選択は過ちだったと心底後悔している。

それでも、どん底を経験できたから、それはそれで良かったのかな・・・?
きっと、これ以上酷いことはそうそう起こりえない・・・と信じたい。

この会社は、10年ほど前に江東区某所で産声をあげ、
個別指導塾の展開を主軸に発展を遂げてきた。
今は新潟~沖縄まで=ほぼ全国規模で70校舎あまりの
某個別指導学院をフランチャイズ展開するという、
破竹の勢いとノウハウを持っている。
(しかし、何度も経営破綻の危機に晒され、
かつての社員は泥を飲むような経験もしてきた)

その他にも、某ステーキ屋チェーンや某田中のフランチャイズ展開、
某ゴルフスクールチェーンの展開、某スイーツチェーンの展開、
某発展途上国の支援、某スポーツのスポンサーなど、業務形態は多岐に及んだ。
(元々、母体となる会社が、飲食チェーン展開を主とする企業だったから)

私は大学時代にこの会社の運営する、
ある校舎でアルバイト講師として採用された。
詳細は割愛するが、その当時の上司や職場環境は最高だった。

成長が見込めて、努力が認められて、それが実績にも繋がって・・・。
クレームを起こしたり、モンペと戦ったりするなど、
多くの失敗・経験をしながらも、
6年勤務した間で、自分は人として強く成長した。

10年前のように、もっとやり甲斐や自信を積み重ねていきたい・・・。
そう思っていた。

しかし、現実は残酷だった。
寧ろ、自分が会社という社会を見くびりすぎていただけだった。

(第1章 挫折)
2014年4月。バイト先ではなかったが、
地元の別の校舎に副教室長として配属され、OJTを受ける事になった。
しかし、そこの教室長は、人員不足で既に授業だけで
オーバーワーク状態になっており、
俺にOJTをする余裕は全く無かった。
俺は2ヶ月間、大学時代と同じ、バイト講師として勤務するだけだった。

大した研修を受けぬまま、
2014年6月に教室長試験を受けに
某大手英会話塾●●●A本社に出張。
教室長試験は、
・ペーパーテスト(授業料の見積計算とか) ・入会面談ロープレ=実技試験
の2本立てで行われ、両方合格する事で教室長資格が得られる。
ちなみに、1回の受験で5000円+研修受講料10万円
+宿泊交通費5万円が経費として会社から出る。

同年2月以降入社した社員達は、一発合格で教室長に就任していた。
(今、彼女達はサブマネージャークラスに昇進している)
つまり、私も一発合格するだろうというプレッシャーが自ずとかかっていた。

しかし、「丸腰」である。まともに面談練習なんてしていない。
確かに、「面接練習させてください」と懇願しなかった、
自分の主体性欠如も一因ではあった。

だけど、玉拾いだけしていた新入テニス部員に
「錦織 圭に勝て」と言うようなものである。
楽器の咥え方さえ儘ならぬ新入吹奏楽部員に
「コンクールで金賞取れ」と言うようなものである。

2014年6月5日。
私は始めて精神障害を発症する。

案の定、教室長試験は不合格だった。
勿論、社内では無言ながらも
「いい流れを断ち切った戦犯」扱いされた。

不合格の連絡を聞き、
私はあまりのショックで一晩自宅周辺を徘徊していたらしい。
しかし、自分にはその記憶は無い。

何よりも「気にしなくていいよ」等、
慰める奴は誰もいなかった事が辛かった。

(第2章 絶望と混沌)
挫折を味わって凹んでいた14年6月末、人事異動が出る。
異動先の校舎を聞いて
「ちょっと待ってください!幾らなんでも・・・」と異論を唱えようと思ったが、
人事異動は業務命令=拒めないのが社会のルール。

異動先の校舎は、Jリーグで有名な埼玉県某市だったのだ。

実は、1社目の勤務地は埼玉だったので、
私は2014年4月まで、煎餅で有名な草加市に在住していた。
この会社に転職する為に、
2014年のGWを使って、地元江東区に引っ越した矢先の異動だった。
「入社時点で5月に引っ越すって言ったのに・・・」と思った。

しかも異動先が旧家の直ぐ近く=今の家から
電車で片道2時間というのが更にムカついた。
この時点で「何?この会社?社員を捨て駒としか思ってないの?
寧ろ、教室長試験に落ちた俺に対する左遷人事でしょ?」と感じた。

しかし、その理由は止むを得ないものだった。

異動先の前任教室長が鬱病になってしまい、
いきなり休職してしまったのだ。
(この前任も16年12月で辞め、今はト●イ個別に移ったらしい)
当時は「テメェ・・・」と思ったが、今、同じ鬱病を発症して、
「いや、彼の選択は彼の人生に於いて英断だった」と思うようになった。

2014年6月23日。「健康の事だから仕方が無いよね」と思いながら
埼玉の校舎に着任した。
しかし、「就任おめでとう」なんて祝われる余裕は無かった。

ここからが本当の絶望だった。
着任して慣れない椅子に腰掛けた矢先、
「次の北辰テストの案内はまだなんですか!お金払ってるのに、
 前回も案内が遅くて受験できなかったって言ってるじゃないですか!!
あんた達はいつになったら改善するんですか!!!」という電話。
つまり、重大クレームだった。

電話先で、保護者さんはガン切れしていた。
とにかく、落ち着くまで話を聞いて、
ワケも分からないままにただただ謝った。
(そこまでキレるならやめればいいのにとも思ったがw)

私は新宿生まれの深川育ちである。
V・W模擬しか知らない人間である。
このクレーム連絡を以って「北辰テスト」なる
模試の存在を初めて知った状態だった。

埼玉の高校事情なんかも全く分からなかった。
だって、私は東京の旧2学区出身で、実家が旧5学区だったから。

しかし、時は6月末である。そんな事は言っていられなかった。
塾業界では「スポット売上」と言われる「夏期講習」が
半月後に迫っていた。

上場企業や100名規模の大きな塾なら、300~500万円の売上になり、
年間利益の大きな割合を占める、重要な戦いだ。
(T●MASや●光等、株主配当の為に
法外に高い季節講習を売る上場企業もある)

それだけの売上を出すには、
保護者の財布を緩めるだけの営業力が必須。
その営業力の土台になるのが受験情報力と
徹底的な事前準備・擬似体験(=業界用語で「ロープレ」)である。

だが、そんな余裕は全く以って無かった。

前任が倒れて野放しとなった校舎は「ゴミ屋敷」と化しており、
どこに何があるかも不明だし、
2tトラック2~3台相当に及ぶゴミが散在していた状況だった。
まずはその廃棄物の処理だけでもかなりの時間を要した。

その中で、急な人事異動に伴うクレーム電話も相次いだ。
前任はいきなり休職してしまったので、
まともな引継情報もなく、生徒やバイト講師の証言やヒアリングから
諸々の記録や約束事を復元しなければならなかった。

一番辛かったのは、当時の上司が電話に出ないことだった。
折り返しも無かった。
自分の手に追えないトラブルが起きた時、電話に出てくれず、
やむを得ず私が出来る限りの対応をするものの、
後から「たられば」を言われるのも理不尽だった。
(今、この上司は新潟の新規校舎で
伸び伸びと教室運営をしているそうだ。
娘も生まれ、幸せ最盛期だそうだ。いい御身分だなぁと思う)

終電を何度も逃し、校舎で寝泊りする事もよくあった。
終電に乗れたとしても、武蔵野線クオリティは日常茶飯事。
家に帰るのは2時・3時過ぎになる事が殆どだった。

余りにもカオスな校舎状況、誰も頼れない組織体制、
毎日終電で帰る現状。相次ぐクレームやトラブル。
夏期講習までの残り時間。
身も心もズタズタになっていった。

そんな中でも、ひたすら全世帯に電話をかけて
怒られながら着任の挨拶と夏期面談のアポイントを取っていった。

そのさなか、更に追い討ちをかけたのは、
前任の重大経理ミスだった。
14年というのは、消費税が8%に上がった年だったので、
授業料も増税で高くなっていた。

しかし、前任が誤って税率5%のままで
4~6月授業料を保護者に請求していた為、
多額の未収金=簿記で言う「売掛金」が発生していた。

私個人としては「こっちの過失なんだから、
前任の給料で補填するなり、
会社資金で補填するのが筋だろ」と思ったのだが、
当時の上司は「毅然とした態度で「払ってください」と
保護者に言ってください」と強要してきた。

全く以って納得いかなかったが、
業務命令なので腹話術人形の如く
「実は前任が消費税5%の状態で~様の
授業料お引落をかけてしまっておりまして、
差額~~円の未払いが発生しております。
 大変お手数ですが、夏期講習と同時に
お支払いいただけないでしょうか?」と
保護者に伝えた。案の定大炎上。

「事情は分かりましたが納得できません。家内はまず納得しないと思いますので、
一連の経緯を、上席の人間を連名にして、文書で説明してください。」
それまで比較的穏便に応対していたその保護者さん(超強面のお父さん)は
冷静に怒っていた。
指を落とされるのではないかと覚悟したほどだった。

他の御家庭の面談でも、過去のトラブルに
起因する新たなクレームなどで散々怒鳴られ続けた。
怒りが収まらず、別日に面談ラウンド2を設定し、
また怒鳴られる事もあった。

一番辛かったのは、先述したクレーム電話のお母さんだった。
前々任の起こしたトラブルまで蒸し返して、
状況も経緯も分からない私を30分以上、
気の行くまで罵り続けた。
私はとにかく謝って耐えるしかなかった。

(後になって、このお母さんが
それだけ怒っていた理由が明らかに成った。
前々任は、このご家庭の払った夏期講習代金約20万円を
あろう事か「着服」していたのだ。
それが会社にバレて懲戒解雇になったのだそうだ)

ストレスの余り、家に帰っては吐いたり、泣き寝入りする事が続いた。
同時期に、いきなり錯乱状態になる、
ある種のパニック障害(PTSD?)も併発していた。

2014年9月。
結局、夏期講習の売上ノルマ(=業界用語で「コミット」)は
僅かに届かなかった。
*この会社はノルマ未達成でも特に罰則は定められていない。
(社会主義だと揶揄する社員も居る)

しかし、9月の社内会議で、売上計上の摘要に変更が生じ、
再計算した所、コミットは達成していた事が判明。

でも、誰からも祝福・労いの言葉は無かった。
一方、同じ理由でノルマ達成が判明したある幹部社員には
「Nマネージャー、おめでとうございます!!」という
労いのゴマ擦りが飛び交っていた。

「何故俺だけ評価されないんだ・・・。
こんなに酷い目に遭ってでもここまでやったのに・・・。」
・・・悔し涙も枯れていた。

夏期講習が終わり、
校舎の見た目も経営もかなりクリーンになり、
保護者さん達からも「良くなってますよね」と、
信頼構築が出来てきた、2014年9月中旬。
またも人事異動の声がかかった。
この会社で1年に複数回の人事異動がかかるのは極めて異例だ。

今度は当初の希望通りの、地元:江東区の校舎だった。
(限りなく江戸川区と墨田区に近い、北部のスラムエリアなんだけどね)

理由は教室長の急な退職だった。
そこで、地元=地域に精通しているという事から、
私に白羽の矢が立ったらしい。

その白羽の矢は、本当の意味の「白羽の矢」だった。
(国語辞典で引いてみ、恐ろしい意味だから)

(第3章 自殺未遂)
だが、私に「やっと地元に戻れる」という喜びは無かった。
埼玉の校舎に与える影響を懸念する事しかできなかった。

「じゃあ、今の校舎はどうするんですか?
私は着任3ヶ月で異動って、
保護者さんや生徒に申し訳が付きませんし、
私だってやっとスタートラインに立てたという
意識で居た矢先ですし・・・。
そもそも、後任決まってるんですか?」
「後任は何とかする。とにかく、この校舎を頼んだ。」
とトップから言われた。

間髪入れずに
「希望通りの地元勤務にしてやったんだ。
だから実績出せなかったら容赦なく動かすから」と、
脅しとも取れる応援メッセージを言われた。

「・・・分かりました」
私は懸念だらけの中、人事異動を受け入れる他無かった。
それは、折角信頼を築けるようになった、
埼玉の校舎の保護者さん達を再び敵に回し、
私は「裏切り者」という十字架を背負う事を覚悟した瞬間だった。

時は流れ、2014年11月。
私は業務引継の為に、江東区の校舎と埼玉の校舎を行き来していた。

埼玉の校舎から、ひっきりなしに私の携帯電話へ着信が入った。
 結局、後任人事が決まらず、私は遠く離れた
2校舎(=合計70名の生徒)を一人で兼任せざるを得なかったのだ。

それ故、私が居ない間の埼玉の校舎は、
バイト講師か、近くの校舎の教室長がピンチヒッターとして
代わりに入っており、不測の事態が起きれば、
直ぐ私に確認・報告をしなければならない状況だったのだ。

案の定、トラブルが頻発し、
江東区の校舎で引継作業をしていても、
とにかく電話が鳴りまくって仕事にならなかった。

元々、埼玉の校舎でかなりメンタルをやられていた私は、
愛想笑いをする事もできなくなっていた。
(この時点でもう鬱を発症していたのだろう)
そのせいで、江東区の校舎に通っていた当時の生徒達から、
「新しい教室長は陰険で印象悪いんだけど」という悪評が立った。

生徒間のLINEグループは私の陰口で盛り上がっていた。
それはまさしく「学校裏サイト」同然だった。

そのため、江東区の校舎の生徒達には総スカンを食らい、
ある生徒から、教室長認定証を投げつけられて
「とっとと出て行け」と言われたこともあった。

そういう悪評は家でも愚痴の種になっており、
未だ会った事のない保護者からも悪印象を持たれた。

「授業を見てもらったそうですが、
あなたの授業はつまらないし分からないから
受けたくないと娘が申してますので
講師の方に変えてください。無理なら辞めます。」
という、心無いクレームも電話で何度か受けた。

私が埼玉の校舎でトラブル対処をしていた11月中旬のこと。
夜、泣きそうな思いで終電間際の銀座線に乗っていた時だった。
江東区の校舎=前任から携帯電話に着信が入った。

「生徒から3件同時にクレームが入りました。
FTさんの授業は受けたくないから
日程変えてでもいいので講師に変更してくれ、
口も利きたくないと言われました。
どうするつもりですか?」という衝撃的な内容だった。

(いや、どーするも何も、嫌なら変えるしかないし・・・)と
涙をこらえながら必至に考えつつ黙っていると、
「FTさんの振る舞いに問題があるから生徒に嫌われるんですよ。
何で明るく振舞おうとしないんですか?」という
同情の欠片もない追い討ちが返ってきた。
今考え直しても、この前任は本当に人格破綻者だなぁと心底恨んでいる。
(ちなみに、この前任は会社を辞め、本部=●●●Aに転職し、
現在は足立区某所で90名校舎を経営している。
社会通念的に許されざる暴挙だと思う)

同年6月以降、涙も出ない位に精神をズタズタにされ、
この人事異動の失敗で、更なる追い討ちを受けた私の心は、
もう限界だった。

「・・・今、上野広小路のホームに居るんですけど、
あと20秒くらいで終電来ます」
「日本橋着いたらまた電話してください。」

「いや、電車に飛び込みます。お世話になりました。」
「ちょっ?ま・・・」ブツッ。

近づく電車。自分と溝鼠しかいないホーム。
白線を越えようと足を進める。

(このまま前に跳べば死んじゃうんだよな。
短い人生だったな。
もっと幸せに幕引きしたかったな。
こんな「自殺」なんて手段ではなく・・・)

しかし、足はそれ以上進まなかった。
・・・死ねなかった。
言い知れぬ悔しさを紛らわすべく、
私を血祭りに上げる予定だった電車の中で
静かに奥歯を食いしばった。

人身事故で死んだら色んな人に色んな迷惑がかかる。特に家族。
死ぬんだったら人に迷惑をかけない手段、
コロっと逝ける手段の方がいいのでは?という、
臆病で無駄に冷静な心理ハードルが
最後のストッパーになっていた。

その日はもう精神的にヤバいと判断し、
帰宅するや否や直ぐに寝た。

その後も、冬期面談兼着任の挨拶の面談の場では
「受験直前に人事異動をするってのは、
お宅の会社か本部は何を考えてるんですか?」
「期待して入塾させたのに、何で成績上がらないんですか?」
「前の教室長は大学受験まで見ますって約束されたはずなのに、
いきなり退職されるのは話が違いませんか。
この塾を信用できなくなったので辞めます。」
「教室長が変わるなら辞めます」
といった、保護者さんからの困惑・クレームの声が相次いだ。
前任は「俺どうせ辞めるから対応はFTさんお願いしますわ」と
まともに取り合ってくれなかった。

(いや、お前がやらかした事に起因するクレームなのに・・・)
と怒る心の余裕も既に消え失せていた。

同時に追い討ちをかけたのは、配慮・同情のない会社の人間達だった。
社長は「いや~、(埼玉の校舎の)後任、ど~しようかね~!」と
私に面と向かって言ってきた。

(酒の席とはいえ・・・。
私がどれだけ酷い目に遭わされているのか御存知ないようだ。
・・・無責任、無配慮な社長だなぁ。
この人に着いていく意義ってある??)

他にも、社内会議の場で
「いい加減後任決めてください!」と私が渾身の訴えを上げたのに、
ネタとして笑われた上、
当時の上司から「不適切な発言だ、TPOを弁えろ」と、
その日の晩に譴責された。

(この会社には理解者が居ない・・・。
私が抱えてきた苦しみや悲しみを誰も理解してくれない。
何で俺だけこんな辛い目に遭ってて、
皆楽しそうに仕事してんのか分かんない。
もう、辞めよう・・・。)

自分が悲劇の主人公にでもなったかのような感覚だった。
(この会社は、これを社内用語で「欠乏マインド」って呼んでいたが)
入社して8ヶ月くらいで退職を決意してしまっていた。

寧ろ、2014年末~2015年の春の間は、
死ぬ事しか頭になかった。
自宅で鋭利なものを見れば、
「これでリスカしたら死ねる?」
横断歩道で信号待ちしていれば
「今飛び出せばぐちゃぐちゃになって絶対一発で死ねる」
混ぜるな危険を見たら
「サンポール+ドメストあたりかな?」
という感じだった。
生きている事自体が辛かった。
(医者曰く、この当時の私は非常に危険で、
本来なら精神科に入院必須の状態だったそうな)

しかし、1社目が2年丁度で退職。
この会社を8ヶ月で辞めてしまえば、
職務経歴書が汚れてしまう。
「どんなに嫌でも3年は勤めろ」と言われているように、
「きっと今だけ、じきに情勢は良くなる」と信じて、
「ならば2016年度までは耐えよう」と思っていた。

しかし、意に反して情勢はどんどん悪化していく。
私が着任するや否や、江東区の校舎では、
生徒の半数が3ヶ月で辞めてしまった。
(勿論、受験終了に伴う卒業退会も含めてだけど)
毎日退会届を書いているようなものだった。

着任前は黒字で運営していた校舎だったが、
私が着任して、生徒が短期間で20人も減ってしまったので、
あっという間に赤字運営に転落。

止められない退会。
それに伴って「あの塾、塾長が頻繁に変わるんだって。
 成績も上がらないらしいし。」等、
地域内にも悪い評判が広がってしまった。

(マネージャー陣は「お前が誇張してるだけでしょ」と
一向に信じてくれないが、出勤時の信号待ちで、
ママ友同士の会話を小耳に挟んだことがあり、
心底凹んだ事があったのだ。)

(第4章 無気力)
部署再編で、上司は同じ歳(というか1ヶ月だけ年上)の人になった。

悪評が蔓延した故か、2015年の春になっても
問い合わせや体験授業申込は一向に来なかった。
春期講習もノルマにボロ負けだった。

それでも何とかしようと、ほぼ徹夜でポスティングをしたり、
ポスターを作ったりして、販促活動を続けていた。
勿論、授業そのものも成績が上がるような内容に改編し、
現実の壁に抗っていた。

しかし、現実は甘くない。

成績は少しずつ上向いてきたが、
夏になっても問い合わせは雀の涙だった。
勿論、夏期講習のノルマもボロ負けだった。

「こんなに頑張ってるのに・・・結果が出ない」
「この状態でこのノルマは行ける気がしない」
「でも達成しなくても罰則はない」

PDCAを回そうにも、「どうせ俺なんて・・・」「どうせ・・・」と
ネガティブ思考で決め付けるようになり、
「どうせ、やった所で意味がない、じゃやらない」
「つーか面倒くさい」など、
メンタルはどんどん腐っていった。

新しくなった経営陣の方針にも賛同できず、
それでこそ希薄だった、会社への従属意識
(ビジネス用語でエンゲージメントって言う)も
更に薄れていった。

2015年の9月頃からは、食べる事も面倒に感じ、
1日1食で済ませるようになった。
そのうち何に対してもやる気が起きなくなり、
長らく趣味としてやってきた、トミカ収集を止めてしまった。
15歳からずっとやり続けてきた音ゲーも
「ルーチンワーク」と感じてしまい、
ただの「コナミへの貢ぎ」と化していた。

今考えれば、これは全て鬱病の症状だった。
もっと早く病院に行く決断をしていれば、
もう少し変わっていたのかもしれない。

自分でも「どうしちゃったんだろう?」と疑問には感じていたが、
ググる気すらも起きなかった。

メンタルはどんどん腐敗し、仕事にもやる気が起きなくなっていた。
最終的に、2015年は600万円の赤字で終える事になった。
・・・普通の会社なら、コレだけ赤字を垂れ流した営業は即解雇である。

しかし、この会社はどんなに赤字を垂れ流しても罰則も降格もない。
「どっかの黒字校舎がどーにかするんしょ」という意識に落ちぶれ、
目標を達成しよう、この組織に貢献しようという気持ちは、
最早どこにもなくなっていた。

罪も罰もない。報いも褒賞もない。理解者も居ない。
組織方針にも納得できない。組織を好きになれない。
何に対しても興味関心が全く沸かない。

「もうどうにでもな~れ」と自暴自棄になっていた。
気づけば2016年の春になっていた。


(第5章:クラッシャー上司 ~魔女裁判~)
こうして始まった2016年度。私にとっての最後の1年だった。
本格的に鬱に侵されてきた私は、徐々に思考力も衰弱し、
何事にも不安や恐れを感じるようになっていた。

体重も54kgと危険水準まで減り、
鍛えなくても腹筋が割れるようになった(笑)。
健康診断で「これ以上痩せたら、アンタ死ぬわよ」と
細木数子的コメントを医者から言われた。

やる気は相変わらずなく、自分の事だけでなく、
受け持っている子ども達に対する興味感心すらも皆無になってしまった。

その為、夏期講習などの面談の際に、
生徒に対する根回しやヒアリング(業界用語で「生徒面談」という)すらも
まともに出来なくなっていた。やろうとする気すら起きなかった。

その結果、夏期講習の面談に関して、
・いつまでに申込書を回収するのか ・何故そのカリキュラムにしたのか
といった、面談や提案の根幹部分や納期設定に多くの不足を抱えてしまった。

2016年7月14日。
部署の会議は、こういう状況でノルマ達成に遠く及ばない私を
糾弾する事で大炎上した。

それは、まさしく「魔女裁判」だった。
(男だけど、男相手の魔女裁判も実在するそうだ)

私VS部署のほかの人間+直属上司、つまり1対4という構図。
私は・誰に・いつ・どのように・いつまでにといった、
面談関係の履歴を根掘り葉掘り詰問された。

私の回答はプロジェクターに写るWordに一言一句記録され、
目の前に表示された。少しでも怪しいところがあれば
「お前そこ矛盾してるけど嘘言ってんの?」と
揚げ足を取るかの如く、きついツッコミがマネージャー陣から入った。
ある意味「どきどき魔女裁判」だった(苦笑)。

鬱で精神的に衰弱していた私は、
こうして3時間強に渡る言葉の拷問を受けた。
MGSのように、屈服する事も許されなかった。

「確かに私にも多数の瑕疵があったことは認めるが、
こんなの裁判というかパワハラじゃないか。」
一瞬の怒りも、湿り切った導火線には何も成さなかった。

裁判という名の会議が終わった後、
部署からも見放され、居場所を完全に失った私は、
北千住駅の1Fホームで再び自殺を試みた。
特急電車なら運動エネルギーが大きく、確実に死ねると思った。

・・・しかし、また死ねなかった。どこまでも臆病だった。
でも、多くの人に迷惑かけながら死んでいくより、
自分が呼吸すらも辛いと思いながら生き長らえた方がマシだった。

今死んだら、受け持ってる子どもはどうするの?というのが
最後のストッパーになっていた。
まさに「子は鎹」である。 死にたいけど死ねない。
頭には自殺の2文字がまた巡るようになっていた。

2016年7月19日。私は同じ歳の上司と電話で少し言い合いになった。
「FTさんは何でこの会社で仕事しようと思ったんすか」という議論だった。
時間の無駄だし、そもそも正常思考が出来ぬ鬱病患者と
電話で口論した所で埒なんて明かない。

「じゃあ、今晩FTさんこっち来て話し合いましょう」
その日の業務終了後、
私は職場近くの、上司の校舎へ直接呼ばれる事になった。

「言うなら今だな」と決心した私は、開口一番
「今の私には退く事しか頭にありません」と爆弾発言。
8秒ほど上司は冷静に黙り、
「いつ頃の退職を考えてますか?」と応対。
「本心を言えば、今すぐ退職したいです。
しかし、ここで辞めてしまうと、今受け持っている
受験生達に申し訳がつきませんし、前任と同じ事になりますから、
彼らの受験が終わる頃(17年2~3月)を考えています。
この業界、人を見つけるのが難しいのは分かっているので、
早めに言った方が会社にも負担が少ないでしょうし…。」

少々嫌味は言われたが、退職の申し出はあっさり受理された。
半週間後、最高幹部とも面会し、私の退職は公式に受諾された。

本来なら「退職届」を一筆(Wordだけど)認め、
文書として保管するのが世間の常識なのだが、
最早逃げる事しか頭になかった私は、
そんな事は脳裏に過りすらしなかった。
(この不手際が、後の第12章で波乱を起こす事になる…)



(第6章:鬱発覚)

退職が受理された後、夏期講習が始まったが、
結局今回もノルマ手前で惜敗した。

夏期講習が終わり、シフトも平常運行に戻った2016年9月。
少し時間に余裕の出来た私は、
今の自分は病気なのではないか?と考え、
無気力症候群などについてネットサーフィンしていた。
思い当たる症状が多く、たまたま家の隣駅地域に心療内科があった事、
月末に3連休が無事取れた事から、心療内科の受診を決意した。

退職後に診てもらおうと思っても、
協会けんぽの青いカードはない。
ならば、持っているうちにフル活用すべきである。

これまで、私は歯科・耳鼻科・内科・整形外科程度しか
お世話になった事がなかった。
そもそも、健康診断以外で病院に行く事自体が3年ぶりだった。
草加煎餅で歯が欠けた時以来である(爆)。

2016年9月28日。
精神科・心療内科は初めてだった。

「23番さん」
プライバシーを考慮して、名前ではなく番号札で呼ばれた。
(高1の時の出席番号だったなぁ)

問診表に簡単なアンケートが記載されており、
それらを気楽に回答し、医者と面談。
症状や今の自分の状況などを簡潔に説明した所、
「重度に近い中等度鬱病ですね」と診断された。
意欲を司る、セロトニンが精神的な影響でおかしくなっているとの事。
(bemaniwiki 2ndで読んでいたので知っていたのだが)

「早く直すなら休職を推奨します。
ただ、教育業界はそうも休めませんもんね…。」と
医者が困惑してしまった。
「…退職まで、仕事しながら治していくしかないですね」と、
投薬治療が始まった。

最初に処方されたのは、
「セルトラリン」という、タブレット菓子のような薬だった。
しかし、私とは相性が悪かったようで、体が拒否反応を起こしてしまった。
酷く眠たくなり、目も回り、常に何となく吐き気を覚えるような感じだった。
腹痛を除いた、女子の生理症状といった感じだろうか。

2016年10月。医者に相談した所、
「サインバルタ」という、鬱病治療としては
メジャーなカプセル薬に変える事になった。
この手のカプセルはスマブラでしか
お目にかかったことはなかったのだが。

ちなみに、これらの薬は夕食後に飲むのだが、
「準夜勤業なので、夕食といっても
夜半過ぎ~明け方になるんですけど・・・」と相談した結果
「…とにかく食事後で構いませんので飲んでください」と、薬剤師も困惑(笑)。

こうして、サインバルタ60mgとスルピリド2錠による治療が始まった。
(鬱病の薬は一般的に胃腸を荒らす副作用があるので、
胃腸薬を処方される事が大半である)

副作用はかなり抑えられた。
しかし、まだ追い討ちが待っていた・・・。

【2017年3月12日加筆】
(第7章:屈辱)

2016年10月後半。
あまりにも私の体験授業・入塾説明が下手だと言う事で、
(これを業界用語で「クロージング率」という)
「FTさんは今後入説・体験はしないでください。
代わりに俺達がやるんで。」
と上司からついに「入説禁止令」を言い渡された。

…涙が出るほど悔しかった。
でも、営業の世界はサバイバル(サーバルでもサバンナでもないよ)で
ある以上、弱者が潰されるのは至極当然の事だった。
大きなショックを受け、
「自分は無能だ・何をやってももう無駄だ」と
自分で自分を追い込むようになり、
最早業務怠慢もするようになってしまった。

そして、10月末。
鬱は悪化する一方だったが、冬期講習は待ってくれない。
相変わらず生徒に配する興味関心を持てない状態が続いた私は、
別部署の重役から「オメーみたいな人間は教室長やんな」と
個室で20分恫喝された。

れっきとしたパワハラなのだが、言われている事は正論である。
相手は130kgの巨漢、元明●の重役だ。
しかし、何を言われても
「うるせーな、この意識高い系デブ。
てか何で裸足なんだよワロス」位で
まともに耳には入らなかった。(これも鬱病の症状なのだとか)

この話は社内に直ぐに知れ渡り、
11月中旬に「冬期面談はFTさんやんなくていいです。
代わりに副マネージャーにやらせるんで。」
と直属の上司から「面談禁止令」まで言い渡されてしまった。

新規案件も季節講習の面談も
「アンタッチャブル」にされた塾教室長。
こうなったら、何を以って「成果」を出すのか。
「生徒の成績向上」しか選択肢は残されていなかった。
しかし、そんなのアルバイト君でも出来る話だ。

挙句の果てには
「FTさんは授業だけやってればいいです。授業が好きで面談が苦手なら、
俺達が面談で生徒増やして、FTさんは得意な授業で成績上げてくれれば、
Win-Winじゃないっすか~。」と
直属の上司達から言われた。

「何がWin-Winだよ。何が7つの習慣だよ。糞食らえだ。」
屈辱で心折れた私に対する、酷い追い討ちだった。

(第8章:クラッシャー上司)
11月末、私が冬期講習の面談をしない事で屈服し、
副マネージャーが代わりに私の校舎の冬期面談をする事になった。
私は彼女が契約させた冬期講習を、ただ消化するだけの存在扱いだった。
最早、本来の意味での「ロボット」扱いである。

この副マネージャーがとんだ曲者だった。
典型的な「クラッシャー上司」だった。(詳細は検索)
背の高い女性で年齢は私よりも1個年下。社歴は私とほぼ同じ。

そんなのはどうでもいいとしても、
私だけには挨拶もまともにしないし、
部署の業務LINEで私が仕方なく
コメントしたことに対しても、
揚げ足を取るような返信を返してきた。
(「私も善処します」と書いたら、
「面談情報とかお願いしますね」とか言われ、
あたかも私が何もしていないかのような
言い草の返信が返って来る事はザラだった。)

少しでも私に瑕疵があれば
「何でやってないんですか?いつやるんですか?」と
徹底的に言葉の拷問を叩きつけてくるのだ。
その経緯は全て直属の上司(=私とタメのマネージャー)に伝わっていた。

実は、この上司と副マネージャーは、
2015年の部署再編前・昇進前から
同部署だった事もあり、やたら仲が良かった。

要はこいつらは「グル」だったのだ。
その為、少しでも私に瑕疵があれば二重に怒られるわけだ。
私の主張や事情には全く聞く耳持たず、
全て「そんなの言い訳っすよ、不健全ですよ」として片付けられた。

そして12月。私は目の前で副マネージャーの面談を
見させられることになった。
「カノッサの屈辱」ほどではないが、
これがどれだけの屈辱だったか。

不適切な表現かもしれないが、所謂NTRのようなものだ。
傍観者には絶対分からない。
同じ立場にならないと絶対理解できぬだろう。

中には「あの人話通じないんだよねー」と
私の陰口で盛り上がる保護者も居た。
…当の本人が数m先に居るとも知らず。

これがどれだけ辛かったか。
その後、淡々と副マネージャーから事の顛末を言われて
「あなたのやり方が悪いからこうなるんですよ」と追い討ちを受けた。
私には「はいはいわろすわろす」と流すしかなかった。
いちいち気にしていたらおかしくなってしまうから。

周りは敵だらけだが「子は鎹」。とにかくずっと耐え続けた。
2016年の年末から17年の年明けにかけては、
14時間休憩なし、労基法ガン無視の冬期講習の中、
早く1日が終わらないかとずっと祈るばかりだった。

というよりも、鬱病の薬の副作用で授業外の時間は
常に横になっている状態だった。

(第9章:不本意に濁りゆく跡)
2017年も2月になった。
しかし、社内会議で衝撃の事実がリリースされた。

この時期、学校の先生と同様に毎年人事異動が出る。
(学校の先生の異動は新聞に載るけどね)
今年も色々な校舎が人事異動や降格処分になったそうだが、
うちの校舎だけ残念ながら後任が決まらなかったそうだ。

「何の為に俺が7月に退職を切り出したのか
全然分かってないなこの上層部は・・・。」と
私は再び怒りを覚えた。

「3月の頭までには春期面談
(業界用語で「年度切替面談」、略して「年切」)を
終わらせないとマズいってのに。
俺は面談禁止だから何も出来ないし・・・」と
どうすんねんという状態が続いた。

そして、時は流れて入試も直前になった。
直属の上司から連絡が入ったのは、
都立入試直前、2月23日の夜半前だった。

「最終出勤日の話なんすけど、FTさんは2月一杯で考えてて、
27日以降は某病院タウンの教室で、次の仕事見つかるまで
講師として出勤してもらえないっすか?
そこの教室長から近々電話来るんで、
話し合ってシフトを調整してください。
後任は新卒のコが配属される”予定”だから
大丈夫です。」と言われた。

…「予定」って事は、「確定」ではない。
私は呆れて何も言えなくなった。
何が「大丈夫」なんだよ。
カタカナで「ダイジョーブ」と書くより信憑性が薄い。

後任が決まらぬまま私が突然消えたら、
困るのは生徒・保護者である。

生徒の中には、私を父親だと思っているようι゛ょもいる。
「ね~だっこして~orおんぶして~」と寄ってきて、
勝手にコアラの如く私を登るわけで、
まさに「うわようι゛ょつよい」(笑)。

更に、特別支援学級・自閉症・ADHD・アスペルガー・LDといった
年々増え続けている「発達障がい」の子も少なくない。
(語弊があるかもしれないが、
NHKの「ストレッチマン(旧)」や「バリバラ」、
毎年炎上する、民放の「某24時間感動ポルノ番組」に
出てくるような子達の事である)

こうした特殊事情を抱える子達にとって、
急な環境変化は危険である。
(逆に全く気にしないのも居るけど(汗))

ちゃんと移行期間を設けないと、何が起こるか予測がつかない。
波風も立ってしまう。

それに、私のプライド・自尊心の問題だが、
生徒・保護者から「いきなり消えやがってェ・・・」と、
埼玉の校舎の時と同じ反感を抱かれるのも、もう厭だった。

何より、生徒に別れすらも言えぬ上、
ずっと見てきた受験生達の合否も
知れぬまま消滅させられる事は、私にとっては未練でしかなかった。

それでK校のヘルプに行けだと?
(ちなみに片道2時間)
この会社はどこまで私を愚弄するつもりなのか?と思いながら
入試を終え、いよいよアラサー目前の齢を迎えたのだった。

【2017年3月12日追加】
(第10章:懸念の的中)
私は待ちに待ったが、K校からの電話は一向になかった。
「じゃあ人足りてんでしょ?
そもそも厭で辞めていく以上、会社と縁を切りたいわけだし」と、
私はK校のヘルプの事を関知しなくなった。
(実際、3月上旬に着信が大量に着たが、「何を今更」と着拒にした)

一方、「新卒のコが正式に私の後任になる」という話も、
2月23日以降一向にない。私の退職手続に関する話もない。
(私から聞かなかったのも悪いのだが)
クロノスは時に残酷であり、私の退職日が否応なしに近づいていた。
結局私は何も出来ず、気を揉むばかりだった。
(鬱病患者にとって、こうした不安な状況が続くのは非常に良くない)

そして、2月27日の朝=私の退職前日に、
例のクラッシャー副マネージャーからLINEで続報が入った。
「14:00に”後任の”~さんがそちらに向かいます。
FTさんは生徒情報の引継をしてください。」と。

私はクラウド上の社内カレンダーで
そのコが来る事を予め把握していたので、
データや文書の準備は済ませていた。

「「後任の」とキッパリ書いてある以上、人事は確定したってことか?
そもそも、心の準備は大丈夫なのか?」という懸念が脳裏にあった。
非常に杜撰な会社である以上、この位想定しないとダメなのだ。

13:52頃だった。LINEで聞かされた通り、新卒のコが来た。
注:新卒といえども、昨年の新卒入社であり、
かのK校で副教室長として1年間修行していたコである。
ただ、塾業界は、新卒=即戦力とはいかず、
最低でも1年程度の研修が必須なのが実情だ。

引継に入る前に、私は彼女に対し
「ここの後任に配属されるって話はいつ聞いたの?」と問いかけた。
「実は先週話があったばかりで…。いつからここに本格勤務になるのかも
分からなくて…。」と大層困惑した+不安そうな表情だった。
「そっか。案の定、か…。」私は言葉を続ける事ができなかった。

怒りを通り越して、諦めしかなかった。
感情的になっても事は進まない。
2時間ほどかけて、私は彼女へ、
受け持っている全生徒の情報を伝えた。

しかし、あくまでも文書・口頭情報である。
彼女にとって初対面である事に変わりは無い。
緊張・警戒するのは人間心理上当然。
実際に会ってみなきゃ分からん事の方が多い。

それに、引継は生徒情報だけではない。

保護者がどんな人なのか、
近くにどんな学校があるのか、
生徒はどの辺りの地域から来ているのか、
どの辺りに大きなマンションや団地があるか、
そもそも二期制なのか三期制なのか、
定期考査はいつ実施されるのか、
学校の近くでチラシ配っても怒られないか、
校舎のどこに何があるのか、
建物の大屋は誰なのか、
この校舎の遍歴はどうなっているか、
どんな講師を雇っているのか、
現状、お金関係のやり取りがどうなっているのか、
教材は何を使っているのか、
保護者とどんな約束をしているか、
お手洗いはどうやって掃除しているか、
などなどなどなど。

お客様商売である以上、引き継がなくてはならない情報は、
普通の事務職を軽く凌駕する。
1日じゃとても間に合わない。半月は最低でも必要だ。

しかし、私はこの次の日で退職。
しかも、この新卒の子は、別校舎ヘルプがあったので、
次の日は私の職場に来ない。
言い換えれば「2月27日の1日だけで全部引き継げ」と強制されたようなもの。
私も新卒の子も、お互い「ぷよサターン」を予告されたようなものだ。

結局、私は誰にも見送られず
(誰からも、上司すらからも電話はなかった)、
生徒にも保護者にもサヨナラすら伝えられぬ儘、
2年半過ごした、江東区の校舎を一人で去った。
哀しかったし、悔しかった。

何が「教室長最後の日」だ。
7つの習慣なんて糞食らえ、と再び思いつつ。

(第11章:召還)
3月1日。「今日から松だ。略してカラ松って言ったら妹に怒られるw」と思っても、
何も出来なかった無力感と、
サヨナラも言えなかった未練は残っていた。

「仕方ねぇな、ゲーセン行って気晴らしでもしてくるかね。
ていうか年貢がカンストしてるし」
(詳細はbeatmania IIDX24 SINOBUZ公式サイトへ)」と思った矢先、
前日まで勤めていた校舎から緊急連絡が入った。

電話の相手は後任=新卒のコだった。
「19:00以降の授業(ちなみに特別支援学級の子を含む)を
持てる人が居ないんです。
来て貰えないでしょうか。お願いです助けてください…。」
声からして泣きそうだったのが伝わってきた。

実はこの子、ド文系で数学を担当できないようなのだ。
それに、近隣の校舎も人手不足で、
ヘルプに回せる人員の余裕はない。
近くの校舎の社員も、面談ラッシュの時期故に対応不能。

「いや、俺もう退職したから知ったこっちゃないよ」で
あしらえばいい話だった。

「ホントにクラッシュ万事休すなの?アテは全部当たったんだよね?」と一度聞き直した。
「そうなんです…。」と、今にも泣きそうな返答だった。

「このままだと生徒が困っちゃうよな…。それに、彼らは俺指名だからね…。
もう俺しか解決のアテがないんだよね。
なら、今からそっち行くよ。じゃまた後で。」と、迷いなく答えた。
「ありがとうございます」と、
疲れきった安堵の声がガラケーから漏れた。

普通の人間なら、「バカじゃねぇの?頭大丈夫?」と思うだろう。
(実際、身内からも「お前の行動は理解できない」と言われた)
そりゃ、退職した職場に顔出して、普通に従来通り仕事するわけだから。

これが異常の極致である事は私も認識していた。
しかし、子ども達に非は何らない。
無関係な「大人の事情」に子どもを巻き込むわけにも行かなかった。

何度も述べているように、私にも、
子ども達に別れすら告げていない、合否も知る事ができない、
満足に引継もできていないという未練が残っており、
私と後任、お互いの利害が一致してしまったのだ。

こうして、私は、
「退職したはずの職場へ再び勤務している」という、
世にも奇妙な存在になった。(元から変人だけどw)

(第12章:地縛霊)
3月1日の件は私が対応した事で無事収束。
以降も対応できる講師が手配できないということで、
一部の授業は、暫く私が従前通りに授業を行う事になった。

勿論、徐々に後任へ投げていくという前提の下である。
そうでもしないと、俺がいつまで経っても辞められなくなる。

いや待て、冷静に考えてみよう。
この、世にも奇妙な状態に対し、
給与は出るのだろうかという疑問がふと浮かんだ。

一人のすみっこ暮らしではあるが、
この世に存在する以上、仕方なく場所と金を取る事は避けられない。
鬱病の医療費も、毎月1万円程度である以上バカにならない。
この奇妙な行為をボランティアで請けるわけにも行かなかった。

そして、ある疑いも浮上した。
第9章で上司から「2月一杯」と言われたのだが、
実は、この話は労使間の折衝を経ず、
上司から一方的に宣告されたものだった。

私が重い鬱病に侵されていた事は、
昨年11月上旬時点で上司に告白している。
これが最高幹部に伝わり、
「鬱だから」と、一方的に予告なく私を解雇したのではないか?
だとしたら労基法違反ではないか?という疑いである。

3月7日の夕方、私はこうした疑問を、会社の最高幹部にメールでぶつけた。
(電話しても出なかったし、長いので文書の方が良かろうと判断したから)
程なくして、「こっちも確認したい事があるから、
10日の昼過ぎに某大手喫茶店に来てくれ」というレスがあった。

私は労使トラブルに備え、ペン型の小型ボイスレコーダーを購入した。
パナソニック製で10230円と割高だったが、
wav+44.1のビットレートで録音できるなら、
DTMにも使えるでしょう(笑)。

そして3月10日、私は都心の某喫茶店で、
最高幹部2名と1時間半程面談をしてきた。
ついでに、店の名前はこれまで「ア」だと思っていたが、
「ワ」だった事をこの歳にして知った(笑)。
全裸ワックス君じゃなかったのか。

冒頭、早速衝撃の事実が発覚した。
最高幹部2名は、私が2月で退職した事を把握していなかったのだ。

私が送ったメールを読んで、私が世にも奇妙な状態+後任が
「混乱少女そふらんちゃん」状態になっている事を知り、
「え?どうなってんの?」とお互いハテナになってしまったとの事だった。

じゃあ、2月23日に入った、「2月一杯で」という電話は何だったのか。
「どういう事ですか?マネージャーの独断ってことですか?」と聞いたら、
「いや、うちらも分からないのよ。だから今調べてる」とはぐらかされた。
会社都合退職、不当解雇ではない事だけは分かった。

世にも奇妙な状態であることや、
溜まりに溜まった有給消化については、
私の雇用契約を延長+書面上の最終出勤日をずらし、
その分の給与を支払って対応する事で折り合いを付けた。
(有給買い上げは出来ないとの事だった。*違法ではない)

こうして私の未練は、壮絶な勘違いを経て、
「事実上の雇用契約延長」によって晴らされることになった。

5章でも述べたが、こうした壮絶な勘違いは、
私や会社側が退職の旨を
お互い「オーラルでオーライ」と済ました事が元凶である。
法的に見ても、退職をする時は、ちゃんと「退職届」という
「証拠書類」を以ってやり取りするべきだった。
一応、こうした退職書類関係の手続は、
3月末に行う事も決まった。

とはいえ、どこまでも杜撰な会社だなぁ、
呆れて何も言えないやというのが正直な心境だ。
その裏で「いい加減にしろ、
どこまで私を愚弄するんだ」という殺意の波動が、
サイヤ人の如く沸いているわけで(笑)。

ゼノブレイドXのマルナーク族ではないが、
「いい気になるな…」と、私はある行動を起こす事にした。
ゲーム内と同様、圧倒的な体格差に
踏み潰されるだけで終わるかもしれないが。

(第13章:リベリオン その1)

第10章で「最終出勤日に電話してくる奴すら居なかった」と書いたが、
実は、私からある校舎に電話をかけていた。
在職中に何度もピンチを救ってもらい、会社の中で最も恩を感じており、
この人には退職の挨拶をきちんとしておこうと思ったからである。

その方と2時間ばっかし話をしたのだが、
「いや~、そんな状態だったんですね…。そりゃ鬱になりますよ。
プライベートまで潰れちゃったんだから、労災申請すべきですよ。
俺達の事なんて気にしなくていいから」と言われた。

後任が決まらない、受験直前など、
そんな事微塵も考える余裕もなくやってきたので、
初耳の如く「はぁ…。ソーナンデスかぁ」と、キョトンとしてしまった。

個人的には「はわわっ!wな展開」だったが、
3月に入ってから、世にも奇妙な状態の傍ら、
私は労災について、厚生労働省・労働基準監督署や、
各地の労働組合・社労士事務所などのHPを流し読みしていた。

鬱病による労災申請が通る可能性は3~4割である事、
精神病による労災申請には、
1:鬱病など、特定の精神病に罹っている事
3:身内が死んだ、離婚したなど、プライベートで辛い事が起きていない事
2:厚労省が定める評価項目で、一定以上の水準に入っている事

(長いので詳細は厚労省のHPを参照されたし)

という、3条件を満たしているかどうか、
労働基準監督署が認めることが必須である事、
更に、多種多様な書類や証拠が必要である事など、
様々な情報をゲットした。

労災が認められれば、失業手当等よりも手厚いフォローが受けられる。
(ただ、申請から認定までに半年前後を要するのが欠点だが仕方がない)
それに、会社に対してもガサ入れが入り、
数多の労基法違反が白日の下に曝され、
是正勧告や行政指導の裁きを下される事になる。

「超ブラック企業へ制裁のワードを」という、
因果応報のカルマや勧善懲悪のカタルシスを
求めているわけではないといえば嘘になるが、
保障を受けられるのなら、それに越した事はないし、
可能性もゼロではない。ならばやれるだけやってみよう。

丸腰で取り留めもない愚痴を厚労省に零しても門前払いだ。
思い立った私は、これまでの経緯(第1章~第8章のあらすじ)を、
「これまでのラブライブ!」の如く、
時系列ごとに手書きでまとめた(手書きの方が証拠能力が高い為)。

3月9日の昼下がり、私は某駅前の労働基準監督署へ恐る恐る足を運んだ。
上司の勤める校舎の近くだから尚更ビクビクである(笑)。
「鬱病での労災申請で参りました。詳細をお聞かせいただけないでしょうか。」と、
デスクから出てきた、「厚生労働省」というジャケットを羽織った女性に話した。

ネット上で「日雇いの素人とか新人とかが窓口対応をしていて、
「民事不介入だから」と門前払いになる事も少なくない」と聞いていたのだが、
運が良かったのか、その女性は1時間強の間、丁寧に話を聞いてくれた。

「原因となる事象が複雑で多すぎるので、
実際に申請してみないと何とも言えないですね…」との事だった。
会社と私の名前を教えて欲しいとの事だったので、洗い浚い全部喋っておいた。
「ついに国から目を付けられたぞ、ざまぁm9」という感情が無かった訳でもないが(笑)。

私がまとめた経緯の文書も
「証拠として一旦コピーさせてもらいますね。
申告書の方にはもう少し詳細に書いてもらうといいですね」と、
証拠として認められた。

労災申請の手続についても詳細に教えてくれた。
予てから聞いていたように、確かに書かなきゃいけない事は山ほどある。
それに、証拠を探す事がかなり膨大な作業になる事も想像できる。

こんな事やってる場合なのだろうか?
さっさと転職活動すべきだろうに、という迷いもあるが、
ちゃんとした保障を受ける為、
私の自我を破壊し、人生のどん底に突き落とした、会社に対する恨みを晴らす為、
一緒に働いていて、私と同様に会社のブラックさに
苦しんでいる人達を救う為、
昨今の宅配業界のように、塾業界のブラックさに対して、
もっと多くの人が興味関心を持ってもらう為、
鬱病という現代病に対して、もっと社会の認識を深めてもらう為、etc...

目的を考えれば数多と出てくるが、何よりも自分の人生を守る為だと思って、
ダメ元でも労災申請をしてみようと思った次第だ。
通らないにしても、損害賠償請求で民事訴訟を起こす事もできるけど、
そこまでは考えていないし、時間とお金の無駄だと思っている。

(第14章:地縛霊 出没)

12章の労使交渉を経て、3月13日から28日まで、
16:00~22:00の短縮業務ではあるが、職場復帰する事になった。
しかし、私は2月28日に全社へ「退職します」と言ってしまったので、
地縛霊状態である事は変わりない。

私は、授業が始まる前に、10章で列挙した引継事項を一つ一つ伝えていった。
後任もゆっくり引継ができる事になり、
当初不安しか見えなかった表情も穏やかになった。
(寧ろ、私に反論する位の余裕も(笑))

また、隙間時間を利用して、私は13章で述べた、労災申請に必要な
書類も粗方モーションション…違う、書き上げておいた。
残るは医療機関に記入してもらうネタと証拠集めと、
書き方の分からん書類ネタの質問くらいだった。

教室長が変わりますよ+4月から月謝変わりますよ+春期講習やらないかという面談も、
3章で述べた状態とは比べ物にならない位平和に済ませる事もできたようだ。

…あの「クラッシャー女上司」が
面談直前に大きなクレームを起こし、
ある保護者さんが大層立腹してしまった事を除けば。

後任への授業引継&講師手配も順調に進み、
3月第3週時点で、私が受け持っていた授業は、
年度末で卒業する当時の中3生だけとなった。
これで、私も後腐れなく職場を離れられると思った。

しかし、最後の最後にダメ押しが待っていた。

(第15章:地縛霊 成仏)

10章の最後で「7つの習慣、クソ食らえ」と悪態を吐いたが、
最後の最後でも同じ思いをする事になった。

この「7つの習慣」の中には、
「自分の葬式をイメージしろ」という一節が出てくる。
(本来の意図は検索するか原著を参照されたし)

会社ではこれを、教室長という仕事に置き換え、
「教室長最後の日をイメージしろ」という
研修を行った事があった。

沢山の講師・生徒・卒業生が見送ってくれる、
保護者さんから感謝の電話が鳴り止まない、
クレームを貰った保護者が挨拶に来る、
などなど、色々な「理想論もとい机上の空論」が出た事を覚えている。

少なくとも、最終出勤日は自分の校舎に居るべきなのは、
どこの会社でもそうであろう。

しかし、この会社は最後の最後まで
私を「労働力=部品」としか扱っていなかった。

3月20日、祝日なんてこの業界には関係ない。
普段通り出勤し、帰途に就こうとした時、
「FTさん、3月23日と28日に●●校にヘルプ行ってくれませんか」と
後任から依頼があった。

後任が独断で依頼してきたものかと思ったので、
「23日ならいいけど、28日は請けられない」と私は拒否した。
しかし、傍に居たあのクラッシャー女上司が
「何でダメなんですか?他にやることないじゃないんですか?」と
根掘り葉掘り聞いてきた。
「最終出勤日に他校舎出勤ってのは如何なものかと思いますけど」と反論したが、
「じゃあマネージャーに確認します」と反論されて会話は途切れた。

この女が「マネージャー」の名前を出すと言う事は、
8章で述べたように、奴らはグルになって圧力をかけてくるという事でもある。

案の定、翌日、その上司から電話があり、同じ内容を打診された。
(こうなると不可避だ…)と思いつつも、
「最終出勤日に出向を命ずる上司がどこに居るんですか?」と強く反駁したが、
「分かるんだけど、状況が状況だから」の一点張りで聞く耳持たず。
結局、私が折れる事で事態を収める事になった。

最終出勤日は、近くの別校舎で見知らぬ生徒の授業を行い、
私はアウェー感満々で職場を去った。

煮え切らない終わり方ではあったが、
「本当の最終出勤日は3月27日で、28日はエキシビジョン」と考える事で、
溜飲を下げる事にした。

3月29日、私は再び新宿の某大手喫茶店で退職手続をする事になったのだが、
これがまた杜撰だった。

就業規則には、「退職する際は、所定の様式の
退職届を提出する事」と書いてあったので、
何か決まったフォーマットがあるのかと思いきや、
その場で便箋に一筆書かされて、
ハンコをめうめうぺったんたんしただけだった。

最後に一悶着はあったが、これで後腐れなく会社を離れ、
鬱病療養に専念する事が出来るようになった。

(第16章:リベリオン その2) 
2017年4月。 私は1ヶ月弱の有給消化期間に入った。
15年度からの繰り上げ分を含め、未消化の有給休暇は23日。
(基本的に、有給は2年で失効するものである)
実質、休日出勤の代休を含めたら倍近くになるだろう。

しかし、タイムカードすらなかった以上、
「代休」という概念はこの会社には存在しなかった。
というか「休日出勤しても、オレ達は「アイツは趣味でやってる」と看做すから」と、
同じ歳の上司が堂々と公言していたような状態だった。
(これも録音しておけば証拠になったのだが…)

こんなに長い休みは、大学2年の春休み以来。
ニュースを観続け、北朝鮮にまつわる冷戦状態を見たり、
政治家の失言連発に呆れたりしつつ、
「あ、洗剤買ってないや」等、何かと口実を見つけては、
無理矢理外出するようにした。
(鬱病にとって引き篭もりは大敵だから)

そんな中、私は労基署に何度か足を運び、書類や証拠について担当者と話をしていた。
私が通っている病院は「労災指定外」故、労災申請に関する書類の書き方に疎かった。
その為、保険の契約書のように、付箋や口頭で、どこに何を書くべきか、
こっちが病院側に指示する必要があった。(ちなみに手数料もかかる)

4月19日、機は熟した。
病院に記入を依頼していた書類(様式第7号)を受け取り、労基署へ直行。
書類の1枚1枚に労基署のハンコが押印され、労災申請は受理された。

それから音沙汰なく、有給消化期間終了。名実共に「ニート」になった。
(厳密には鬱病療養で就業不能だからちょっと違うのだが)

杜撰な会社だったが、離職票と雇用保険資格喪失書はちゃんと届いた。
しかし、宛名が誤植しており「社員の名前もマトモに書けんのか!(苦笑)」と、
最後の最後まで煽ってくれたのだった(笑)。

世間の一部が「GW前のプレミアムフライデー!」と騒いでいた4月28日、
自宅のメールボックスから新たな証拠が見つかった。
詳細は割愛するが「会社幹部が社員の長時間労働を把握しつつも、
職場泊を美談扱いしている」内容だった。
(プレミアムフライデーにこんなネタを見つけるのも如何なものかと思うがw)

速攻で労基署に向かい、
「労災の証拠資料を提出しに参りました」と受付にドヤ顔で申告。
「ああ、FTさんですね。じゃ、そこにお掛けください」と案内された。
もう顔を覚えられているww

「これも証拠として受理しますね(苦笑)」と、
出した資料に労基署のハンコが押され、受理された。
この時16:45だったが、全員普通に業務中だった(笑)。

ついでに、監督官から、労災申請の進捗について具体的な説明もあった。

監督官「申請は受理されていて、証拠資料に目を通しています。」
私「数が膨大で非常に恐縮です…。しょーも無い事ばかり書いてて…。」

監督官「いいえ~。証拠は多い方がいいですから。
FTさんが申立した内容から、うち(労災課)と、
あっちの(労基法違反を調べる)部署の
協働で会社を調べる事になりました。」

私「そーなんですか。申立書に書いてないんですけど、
ヤマト運輸みたいに、残業代未払いとかの
他の労基法違反もありますよ(笑)。」

監督官「そうなんですか。とりあえず、GWが明けたら、
あっちの担当者を引き連れて、会社へ立ち入り調査に入ります。
(労基署の)上から「(臨検に)行け」と指示も出てますし(笑)。
残業代未払いとかの労基法違反は、その中で明らかになってくると思いますので。
FTさんへのヒアリングは6月頃、会社への再聴取は7月頃になりそうです。
時期が決まったら電話しますね。」

どうやら、労基署側も事を重く見てくれたようで、
会社を徹底的にガサ入れする構えのようだ。

当の会社側は、10年以上従事してきた私が、
まさか反旗を翻すなんて考えることなく、
千葉県内の旅館で、呑気に社員旅行を謳歌していた事だろう。

この会社は決算が4月締めの為、5月から新たな会計年度となる。
新年度早々、初夏の風に包まれる間もなく、
晴天の照焼…違う、霹靂が轟く事になる。

(第17章:煉獄の本能寺) 
労災申請を終え、有給消化もGWも終わった5月、
ついに私もニートの仲間入りを果たした。
しかし、職安に行こう、~ネクストに登録しようなんて意欲は全く沸かない。
鬱病で「何もしたくない」という気持ちしか出てこなかった。
外出も無理矢理理由をつけて体を布団から引き摺り出すような感覚だった。

更に、4月末から新たに服用し始めた「リーマス」という、リチウムを含む薬の副作用で、
私は重度の不眠症や、持病の偏頭痛の悪化、下痢に悩まされ、心身共に容態が悪化していた。
(製薬会社のHPによると、リーマスの副作用は主に手の震えであるが、
極少数の人間に、不眠・頭痛・下痢といった症状が出る事があるらしい)

結局、リーマスは私には逆効果だと判断され、
薬は3月まで飲んでいた「サインバルタ」に戻った。
「寝たいのに眠れない位なら、起きてて常に眠い方が余程マシですわ…」と医者に懇願した。

一連の副作用が収まり、5月もまた月末がやってきたが、
「プレミアムフライデー」という浅はかなワードは、最早世間のトレンドに埋没していた。
竜頭蛇尾とはこういう事を言うものだ…と思っていたら、
携帯電話に見慣れぬ番号からSMSメールが来た。

送信者は、13章で私が電話した相手だった。
誕生日は私と同じだが、年齢は私よりも1.5倍上の方である。
「今週末に食事でもしましょうよ、特ダネもいっぱいありますよ(笑)」というお誘いだった。

「う~ん面倒だ…」と思ったのだが、
「いやいや、寛解の糸口かもしれぬ」と考え直し、「喜んで~」と返答。
5月最後の週末の晩、東京駅某所で3時間ばかり近況を語り合った。
食事の場には、第1章で私が最初に配属された校舎の
教室長(年齢は私より2つ上)もたまたま都合が付いたらしく同席していた。

私は「アドバイスのお蔭で労基署に労災申請しましたよ~」と近況を切り出した。
一通り落ち着いた所で、「FTさん、ホントにベストタイミングの退職でしたよ」と言われた。
彼らの話を総合すると、私が会社を去った直後に、会社は大炎上状態になったとの事だった。

当初、私は「GW明けに労基署が臨検入ったからか?」と思ったのだが、
彼らの口から語られた事は、私の労災とは一切無関係な内容だった。

何と、古参・新人含め、社員が一気に数名退職した・退職予定らしいのだ。
新人に至っては5日で辞めたらしいが、
塾業界ではよくある話なので大して驚かない。

何よりも、課長クラスがいきなり3名退職する事になったようで、
深刻な人手不足状態に陥っているとの事だった。
うち1名は新婚ホヤホヤだが恐妻家、子どもも生まれたばかりなので、
仕事と家庭の両立を考慮した自己都合退職ではないかとの事だった。

残り2名の幹部が衝撃的だった。
「●●●さんと●●さんは6月で退職して独立するって急な社内発表がありましたよ。
4月の社内旅行も今月の社内会議にももう来てませんし。」と言われた。

その2名とは、私のかつての上司達だったのだ。
第7・8章で私を精神的に追い詰めた、あの女クラッシャー上司と、
私と同じ歳の上司(マネージャー)だった。

「あの連中、どこまでも一蓮托生ですね(笑)」と私が爆笑しながら返答すると、
「実は、●●さん、今相当ヤバい事になってて…」と補足された。
「アイツまた鬱病発症したんすか?俺が移しちゃいましたかね~(笑)」と、
(上司をアイツ呼ばわりする私も私だが、それだけ従属意識がなかったから)
冗談交じりに返したのだが、そのヤバい事とは、想定以上にヤバい事だった。

詳細はまだ記載できないのだが、
このマネージャーは4月に何やら法を犯したらしく、
警視庁が会社を捜査してて、近く前科が付く可能性が濃厚だと、
第1章で出てきた上司から告げられた。
彼も業務中に警視庁から事情聴取を受けたそうだ。

「つまり事実上のクビって事ですな。個人的にはざまぁm9とは思いますけど、
●●●もその犯罪に関係してるんすか?」と私は返した。
「いや、彼女は関係してないんですよ。マネージャーの後を追って
結婚でもするのでは?って言われてますけどね(笑)」と言われた。

「なら、思い当たる節があるんですよ…」と私は不敵な笑みを浮かべた。
「え?何ですか?」と食いつく二人。
「多分、彼女も事実上のクビですよ。私のせいでね。」
「どういう事ですか?詳細教えてくださいよ~」と場は一気にヒートアップ。

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時は少し戻るのだが、3月に私が最高幹部と面会した時(第12章・第15章)に、
第8章で一部掲載した、私が受けたパワハラや、第14章で述べたクレームの件や経理ミス等、
あの女クラッシャー上司がやらかしてきた事を、私は洗い浚い内部告発していたのだ。

部署内での人間関係は崩壊していたが、私は最高幹部2名には好かれていた方だった。
社内の好き嫌いはさておき、私はこの女上司が
自分が起こしたクレームや経理ミスを隠蔽している事が許せなかった。
他人の粗探しには余念が無いのに、自分のミスには目を背けるという、
幼稚な人間性も許せなかった。

(死人に口無しだから辞め際に爆弾投下しとこう、
彼らなら俺を疑う事はないだろう)という事で、
最高幹部に内部告発したのだった。

第14章のクレームの件が報告されていなかった事と、
経理ミス隠蔽の2点が最高幹部の逆鱗に触れ、
「うわ、マジありえねぇ。アイツにはそういう裏の顔があるんだな。
FTくんの名前は伏せた上で、後日、本人に事実関係を確認する。情報提供有難う。」
と言われて、12章の面会を終えたのだった。

15章の面会の際も、別れ際に「あいつの件は社長にも報告した」とも言われた。
(だから何?)と思いながらも、深入りせず歌舞伎町のゲーセンに向かって
エキドナさんを召喚したもののコテンパンにやられたのだった(笑)。

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「…って事があったんですよ」と、気づけば10分ほど私の独断場になっていた(汗)。
テーブルの先では2名とも言葉を失いつつ、
「だから上長が最近静かなんですね」と妙に納得した様子だった。

「これまでの話をまとめると、深刻な人手不足に陥ってて、更に警察沙汰になってるって事ですよね。
そこに、私の労災の件で労基署がガサ入れに入ってるって事だから、最早大混乱状態ですわな(笑)」と
私は言葉を続けた。

「労基署のガサ入れの話は特に聞いてないので、上で止めてるんでしょうね」と言われたので、
恐らく私の労災申請の件は社内でも上層部止まりになっている事も分かった。

「これで、幹部逮捕+厚労省ブラック企業リストに社名掲載なんてなったら、
間違いなくFC加盟解除になりますわな~。監査団体の連続指摘も見てみぬふりですし。(爆笑)」
と、本当の意味での「ブラック」ジョークで盛り上がったのだった。

現場に残っている彼らも「一度加盟解除になった方がいいと思いますよ。
そうでもしないと、今の上層部は働き方改革とかの根本改善なんて
やろうとはしないでしょうから。」と自嘲気味に語っていた。

こうしたダークな話で盛り上がり、季節外れの暑い夜が更けていった。

「敵は本能寺にあり」と私は反旗を翻したのだったが、
既に本能寺は別件で炎上しており、
火に油を注いだ形になっていたのだった。

(第18章:暴露と曝露) 
に続く