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ザ! 真如苑 その5

[0]何気に真如苑を語ろう。 05/12/30 16:14 AQAKJQNOkl
ここでは、真如苑の教えをはじめ、そのあり方などについての賛否両論、
疑問や疑念があれば、おおっぴらに語り合っていきましょう。
先代の板からの流れを汲み、自らの意思で考えるきっかけになる板にしていきましょう。

真言系新宗教の巨大教団・真如苑の創始者・伊藤文明は、山梨県出身で航空機会社に勤務していた工員であったが、
家伝の占術「病筮鈔」と成田山系の不動信仰を融合させ、昭和11(1936)年に「立照閣」という結社を組織した。
これに、妻・友司の入神術(「霊能」)を加えて、教団の方法論が成立していく。

文明は真言宗醍醐寺で修行をし、金胎両部の正統な如来位を受け継ぐ法流を受け、
一宗一派を開く資格を得たと言われる。 そしてそれは当然、教義の内容も勝手に決められることになる。

昭和23(1948)年に真言宗から離脱して「まこと教団」を設立。
その後、教団内での暴力(私刑)事件で教祖・文明が逮捕(その後有罪確定)され、
一時教団は存亡の危機に瀕するが、妻・友司を新たに代表(「苑主」と称した)とし、
新・宗教法人法に基づいた新興宗教「真如苑」として昭和26(1952)年に再出発する。
訴えを起こした弟子は、後に改心。 教団は、事件を「法難」とし、正当化。 正法の正法たる由縁とする。
教団によれば、このときの検察や刑事などは、みな怪死しているとのこと。

真言宗の法儀をベースにしつつ、昭和20年代後半から『涅槃経』を所依とし、
文明自作という金色の涅槃像を本尊とする。
信者は、「真如霊界」からの「霊言」を受ける「接心」という占いに似た行を通じて修行をすすめ、
教化や奉仕の実績を勘案されながら、教団内の位階である「霊位」を上げ、「霊能者」を目指す。
「あなたもスーパーマン(霊能者)になれる」と、教団は謳う。
教団は、教祖・文明の長男・次男(「両童子」と称する)の夭逝、妻・友司(没後「摂受院」と称する)の死
を、真如霊界の礎とし、正当化。 霊界との通信役として位置付ける。
しかしながら、霊位向上には、その根本教義である、献金、勧誘、無償労働 が、不可欠であるため、
近年では、そのマナーの悪さも伴なって、一部で社会問題化しつつある。

苑主・友司の没後の昭和44(1969)年、真乗の再婚をめぐり創始者一家内で内紛が起き、
三女が自殺未遂を起こす等報道を巻き込んだスキャンダルに発展、長女・次女は、三女・四女との権力闘争に敗れ、教団を追われる。

追加情報..(06/02/01 17:17)
前スレ(その4)より 真如苑関係者と思われる者による荒らし行為が続いています。
「カルト弾圧」=幽霊=アホかお前らさん の荒らし行為には できるだけスルーをお願いします。
関連スレ:
ザ! 真如苑。 
http://nun.nu/religion.log.thebbs.jp/1082223823.html
ザ! 真如苑 その2 
http://nun.nu/religion.log.thebbs.jp/1104151792.html
ザ! 真如苑 その3 
ザ! 真如苑 その3[e100]
ザ! 真如苑 その4 
ザ・真如苑その4[e100]

「真如苑・裏スレ 心ゆくまで」 
「真如苑・裏スレ 心ゆくまで」[e100]
(真如苑・裏スレ 心ゆくまで 2) 
(真如苑・裏スレ 心ゆくまで 2)[e100]

ザ・真如苑・横スレ 真如の毒を抜く 
ザ・真如苑・横スレ 真如の毒を抜く
ザ・真如苑【元・現信者の毒はきスレ】 
ザ・真如苑【元・現信者の毒はきスレ】[e100]
真如苑【独白スレ】NO.2 
真如苑【独白スレ】NO.2

真如苑 ;  Wikipedia ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%A6%82%E8%8B%91


[1]何気に真如苑を語ろう。 05/12/30 16:15 AQAKJQNOkl
その後、長女・次女は、外部から「金と女にまみれた教主の生活の実態」を基とする教主批判を繰り返し、
三女・四女もまた教主の「教団の私物化」に対し批判、声明文を発表、教団を離れるなど、
それらの骨肉の家庭内スキャンダルに対して教団は、
「釈尊に対する彼の子供の謀反と同じ因縁を、そのまま教主も受け継いだため(教主=仏との意)」と説明する。

平成元(1989)年、文明が死去し、当初はその遺言とされる「定記」に沿って、三女、四女による指導体制が採られたが、
近年、四女が主の座から排斥され、三女・真砂子が単独で代表を務るかたちに変更、現在に至る。

その教義とシステムは、本来の仏教というよりも、他の新興宗教や、マルチ商法と酷似しており、
マインドコントロールを施す「カルト宗教」と見る向きもある。

「真如苑」(しんにょえん)
●創始者  :伊藤 文明(ふみあき)
●開設年  :昭和26(1952)年(現法人)
●現代表  :伊藤 真砂子(まさこ)
●所在地  :東京都立川市柴崎町1-2-13
●所依経典 :大乗大般涅槃経
●尊崇の対象:教祖一家、伝運慶作不動明王像、十一面観音など

[2] 05/12/30 17:58 *KWMjOkAr1gp*u4yLwTHm3O
茜さま

『私が受けた苑の接心は頭ごなしに人を否定する言葉が多く、
 ガーンといきなり頭を叩かれ、自分に自信が無くなったり自分ので 考えることができない状態に陥れるように感じました。』

上記の発言をもっと詳しく述べていただきたいです。
「頭ごなし」「人を否定する言葉」「自分に自信がなくなったり」
の言葉を聞き、実際に接心でどのようなことを言われるのかと
思いました。
[3]黒蜥蜴 05/12/30 18:01 TmFK15boeH
伊藤真乗(まこと教団・真如苑開祖)の生家には「甲陽流病筮抄」
(武田家ゆかりの易のびょうぜい霊)、という易を父親から学んだ。

伊藤氏は23歳で「大日本易占同志会」に研究生として入会。
27歳時に内田友司(内田家に代々伝わるの霊能を継承)と結婚し、
「易による鑑定」や「人生相談」などを始た(これが、後の、接心
修行の元となっていると考えられる)。

昭和11年に、開祖は成田山新勝寺と関係を結び、自宅にその信徒組
織として「立照閣」を設立、本尊を「大日大聖不動明王」と定めた。
妻の友司(旧姓 内田)は寒行を行い、その満願の日に「神がかり」となり、「霊能位」になった。

昭和11、伊藤開祖・友司夫妻は宗教一筋の生活に入ることを決意。
(真如苑では、この日を立教の日)。

同年6月、3歳の長男・智文が風邪で急死してしまい、設立間もない
教団にとって大事件、解決のため、夫妻は高尾山にこもって荒行を
行い、「長男の死は、他人の苦の身代わりになった(抜苦代受)」
と勝手な結論を導き出しました。

[4]黒蜥蜴 05/12/30 18:09 TmFK15boeH
まこと教団 〜 真如苑へ改名 (まこと教団集団リンチ事件!)

昭和13年、伊藤真乗(真如苑開祖)氏は、現総本部の地に
「真澄寺」を建立し、真言宗醍醐派の「立川不動尊教会」を設立。
そして、開祖は京都の<真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺三宝院で
出家得度し、昭和16年に「大阿闍梨」の位を得、名前を真乗に改
めた。

昭和23年、伊藤真乗氏は大衆教化を目的とし「まこと教団」を設立。
その後、教団は、元教団幹部から「教団内の修行場でリンチが行わ
れている」と告訴され、真乗は警察に逮捕・起訴されました。
これが通称「まこと教団集団リンチ事件」です。

この事件で、真乗氏は、執行猶予付きの有罪判決を受けました。
真乗氏は、この事件によるイメージダウンを避けるため、昭和26
年に、教団名を<まこと教団から「真如苑」>へ改称し、真乗氏が
教主に、友司が苑主に就任しました。

[5]黒蜥蜴 05/12/30 18:13 TmFK15boeH
教典を鞍替えする 迷走か!? 真如苑

昭和27年15歳の次男が、カリエスで死亡しました。教団は、
所依の「教典を真言密教経典」から「大般涅槃経」に鞍替えし、
昭和32年、約5メートルの涅槃像(寝釈迦像)を彫刻し、苑の
「御本尊」とた。

昭和42年、妻の友司(旧姓 内田)が急死しました。昭和44年に、
伊藤真乗氏の再婚問題をめぐり伊藤家内に利権争いが起こり、三女
・真砂子氏が「自殺未遂」を起こし、長女と次女が教団を離脱した。

昭和58年、三女・真砂子が真聡と改名、平成元年の真乗の死後、真
聡が苑主に、四女・真玲が補佐役で、現在に至る。

[6]黒蜥蜴 05/12/30 18:20 TmFK15boeH
真如苑は、釈尊最後の説法である「大般涅槃経」を根本の経典と
し、この経典に説かれる「一切衆生・悉有仏性」の経文により、
誰もが仏性を有し、霊能(内田家から伝わる)を具えていると説
き、その「霊能」を開発し「霊位を向上」させることにより
「常楽我浄」の歓喜の境涯を顕すことができると説く。

苑では<三つの歩み>を信徒に義務づけている
1 お 救 け ( 勧     誘 )
2 歓   喜 (お   布   施)
3 奉   仕 (苑の活動に無料奉仕)

これを、行うことにり、己の「悪因縁」を断ち切る(因縁切り)こ
とができると説く。さらに、<三つの歩み>を行う基盤となるの
が、霊能位の指導により菩提心の向上を目指す「接心」と呼ばれる
「修行(イニシエーッション)」がある。

「接心」とは、伊藤開祖の亡くなった<長男・次男の霊>
(両童子様)と感応した「霊能位」と対座し、霊能位が話す霊言を
聞き(お取り次ぎ)問題を解決し心を浄め「霊能(内田家伝承)」
を開発するというもの。

教祖の長男(智文=教導院)と次男(友一=真導院)は若年で死去
し、苑は「信徒の苦悩を代わりに受けて(抜苦代受)早くこの世を
去った」と説き、「信徒の病気が治ったり苦難から救済される」の
はこの二人の働きによるとして、「両童子様」と呼んで祀っている。
これは、仏教(東密)からかけ離れた真如苑(真如密)特有の偶像
崇拝といえる。
[7]黒蜥蜴 05/12/30 18:34 TmFK15boeH
真如密・霊能位・接心・抜苦代受・真如霊界・両童子様への懐疑!


真如苑(真如密)では、「霊界にいる先祖の霊魂が苦しんでいる
から、霊障やタタリで現世で良くない。これを捕り除くには、
「護摩」や「施餓鬼供養」をするようになどと説く。
しかし、仏教(東密)には「死んだ後も、個々人の我が霊魂として
永遠不滅に存続する」というような説を「常見」と呼び否定している。

仏教では、死後の生命は法界にあって前世の因果を感じながら、縁
にあってまた生じると説き、因果を無視した「霊界」や「霊魂」の
存在を否定しているのです。

霊能者や邪宗の和尚さん、などがテレビ等で好き勝手なことを言っ
たりしてますが、実は仏教(東密)とは、何の関係もない「外道」
なのですから、「真如霊界」などは、「仏教の教典」のどこにも説
かれていない、真如密の妄想と妄言にすぎません。

伊藤苑が勝手に作り出した創作妄想の世界に過なく、根拠もない
トンデモですから宗教界では恥ずかしい代物です。「両童子様」も、
伊藤苑が若死にした息子を、でっち上げた妄想で、信徒のを利益に
なるなど、根拠もないインチキなのです。

仏教では、因果応報と言って、個々の行為に因果の理を説くもので
あり、善悪の因の果報は、他人が身代わりになって受けることはで
きないのです。

つまり、因果応報を無視した「抜苦代受」は、仏教とは全く関係無
い外道の邪説で、タタリだと真実を知らない信者を脅し、接心修行
・護摩や施餓鬼など多目的な名目をねつ造し、信者から金を騙し取
る「霊感マルチ」まがいな、代物にすぎません。

[8]ニコニコ苺 05/12/30 18:42 EW/yWWQdL1
真如苑? キリスト教が正しいんだから、それ以外の宗教で語る時間があるなら、一刻も早く「キリスト教」に改心しよう!!
[9]オカルト弾圧 05/12/30 19:36 RWRcxATdkd
>奢れるもの久しからず

精神科医をかたる藪。「幽霊と語ろう」の板に来い。
お前の所見を述べてみろ。
[10]ニコニコ苺 05/12/30 19:47 EW/yWWQdL1
>>9

幽霊さんとお話しましょう のことぉぉ〜??
[11]オカルト弾圧 05/12/30 19:53 RWRcxATdkd
>幽霊さんとお話しましょう のことぉぉ〜??

そうだ。
[12] 05/12/30 19:54 cSNgxs9igW
夢さま
接心ではまず、霊能者の口調そのものに上から押し付けるような雰囲気があります。霊能者の「ご霊言」の時の口調は普段話すような感じではなく、独特なものです。優しげな口調の霊能者もいますが、言っていることはあくまでも「尊いご霊言」というスタンスなので反論の余地はありません。
私の場合ですと「先祖に○○で死んだ人がいる」と一方的に言われました。心あたりはありませんし、霊能者も正確に誰とはいいません。もしかしたら無数の先祖の中にはそのような人もいたかもしれませんが、いきなりそのようなことを言われれば動揺しますし、あまり気持ちのよいものではありません。心が揺れ動いている所へ「あなたが歩まないとまたそういう人が出ますよ」と追い討ちをかけ、ぼーっとしているところに「はいっ、はいっ、そーです。そぉーです。はいっ」とわけのわからない独り言で締めくくるのです。
他にも「話のできない男の子が見える」とか「十字架が見える」とか「年配の女性が上から見おろしている」など、その時に霊能者の心に浮かんできたことなのでしょうけど、言われたほうは「はぁ??」です。そして最後に「お護摩をするといい」と言う訳です。今、思い出せるものでは「合掌の心がない」「口に気をつけろ」などといったことも言われました。もちろん、自分にも当てはまることはあるでしょうけど、あのような雰囲気の場で、初対面の人にいきなり頭ごなしに言われると、受ける側に「こっちは何でもお見通しなんだだぞー」という印象を植え付けるように思います。それでいて、他の接心では「最近大きな喜びがありましたね」とか「はい、それが不動の心ですよ」とか、おだてるようなことも言われたりました。そんなことを繰り返しているうちに、わけがわからなくなってしまいました
向上接心では、全体として、現在のありのままの自分を否定され、「苑の教えを歩まないといけない」ということを心に植えつけようとしているような印象を受けました。まあ、苑の向上接心なのですから、それもあたりまえと言えばあたりまえなのでしょうけど、自分は最初に仏教と聞かされていていたので、矛盾に気づくまでは混乱しました。
[13]オカルト弾圧 05/12/30 20:05 RWRcxATdkd
>「合掌の心がない」「口に気をつけろ」などといったことも言われました


これ当たってるじゃん。

まんざらインチキでもなさそうだな。
[14]オカルト弾圧 05/12/30 20:09 RWRcxATdkd
元信者は俺と同一人物だと疑われてる。

全く被害者妄想集団には呆れはてるばかりだ。
[15] 05/12/30 20:20 cSNgxs9igW
接心で言われることは「これ当たってるじゃん。」と思わせるようなこともあります。接心に来る、ということは何かアドバイスを欲しがっているわけですから、「合掌の心がない」「口に気をつけろ」といったことを言われれば、「ああ、確かに自分にはそういうところがあるかもしれな。」と思う人は多いかもしれません。そしてそれをきっかけに「まんざらインチキでもなさそうだな。」という印象を持たせ、最後には「苑の全て、教えの全て」をまるごと信じさせようとするのではないかと思います。実際に「当たってる」か「はずれてる」かと言うことよりも、その後に続く、双親だの両童子だのへの帰依を促そうとする苑のやり方は、結構巧妙に仕組まれいるのではないかと思いました。
[16]オカルト弾圧 05/12/30 20:23 RWRcxATdkd
う〜ん茜さん、それ一理あるね。

でも褒められる奴もいるんだろ?

やっぱ心は見えてるんじゃん?
[17]事情通 05/12/30 20:35 0T2iMtzV75
>茜さま。
ひさしぶりに、この板本来の書き込みらしい書き込みに接して、ほっとしております。接心を真如霊界からの「ご霊言」だと思わせる手口については、おっしゃるとおりだと思います。私も短期間ではあるけれど苑体験がありますから。
ところで、みなさまへの提案ですが、荒らしに対しては徹底してスルー(無視)するという態度を貫こうではありませんか。くだらない合いの手を入れる発言に、向きになってレスする人がいるから、荒らし屋をつけあがらせる結果を招くのです。
[18] 05/12/30 20:37 cSNgxs9igW
私の場合ですと、落とすようなことを言われて「ガーン!」とショックを受け、冷や汗タラタラ、
そして次の接心は「どんなことを言われるんだろう」とドキドキしながら行く、
すると今度は「はい、それが不動の心ですよ〜」とおだてられる。そうすると
「あ、なーんだ、この前はあんなこと言われちゃったけど、やっぱり見えてるんだな」
などと自我が満足し安心したり。こうやって上げたり下げたりしながら次第と
「接心で何を言われるか?」ということにだけ気持ちが行ってしまい、
結局、そうやって苑に嵌ってしまうのではないかと思いました。
[19]オカルト弾圧 05/12/30 20:38 RWRcxATdkd
もしかしてアラシって俺の事?

お前らが変な因縁吹っ掛けるから相応の態度を示しただけだぞ。

言いがかりはやめてください。
[20] 05/12/30 20:38 cSNgxs9igW
事情通さま

荒らしについてのご意見、承知いたしました。今後は徹底してスルーさせていただきます。
[21]オカルト弾圧 05/12/30 20:39 RWRcxATdkd
茜さん

悩みの原因について教えてもらったりすることはないの?

そういうどうでも良いことばっかり言われるの?
[22] 05/12/30 20:40 cSNgxs9igW
オカルト弾圧さま

これからは「幽霊さんとお話しましょう」でお話しましょう。
[23]オカルト弾圧 05/12/30 20:41 RWRcxATdkd
は〜い。
[24]白うさぎ 05/12/30 21:44 *mWed5hXHWmu*MEtbvJM7kK
ゆずさま
教えていただけるなら、聞いてみたいことがあります。
ゆずさまは、信じてなくて霊位相承されましたよね。
大乗・歓喜の相承の時ってどんな祈りをされていたのですか?
ご自分でこう祈ったから、相承できたのだと納得いくような状況でしたか?
[25]ゆず 05/12/30 22:16 *fnEp5AE8Nqt*D-Oab/h
白うさぎさま
大乗のときは、先に相承された方の号泣に動揺してたらわからないうちに相承していました。事務局の方に膝を叩かれて相承を知りました。歓喜のときはこの板に書き込みをしていたので、煩悩の嵐吹きまくり状態でした。ご霊言が「あなただけではない、他のために〜」みたいなのだったので、自分だけヤメるのは難しいかとか思ってうなだれたり気合いが入ったりしてたら相承していました。どちらも祈りとは無縁なままでした。
※後程、レスしたいことがありますので、またお邪魔します。
[26]白うさぎ 05/12/30 22:18 *mWed5hXHWmu*MEtbvJM7kK
ゆずさま
ありがとうございました。
また、いろいろ聞かせて下さいね。
[27]オカルト弾圧 05/12/30 22:22 *JcXL9CoyDeA*RWRcxATdkd
ゆずさん

真如苑には霊位というのがあるんですよね?アナタ2つも階段登ったんですか?

霊位というのを相承するとき何か儀式みたいなのがあるんですか?

それと相承した証に何か記念品とか貰うのですか?

信じてないあなたが霊位を相承できるってことは真如霊能ってインチキってことじゃないですか?

ごめんなさい。興味があるもので。
[28]ゆず 05/12/30 22:31 *fnEp5AE8Nqt*D-Oab/h
オカルト弾圧さま
相承会座というのに立ち会います。相承するとカードを持っていかれて、紙を置いていかれます。その後、説明会みたいなのがあります。後日、苑内に相承者名が貼りだされます。経親にも連絡がいきます。私はインチキだと思ってます。
昨日(?)の質問にも出来るだけ答えたいと思ってます。ロムするので精一杯なので、少しお待たせして申し訳ありません。
[29]オカルト弾圧 05/12/30 22:35 RWRcxATdkd
ごめんなさいね。質問ばかりで。

すがって良いものかどうか俺も本気で迷ってて。

歓喜って他の誰かも相承してるっていってたな。凄いんでしょ?

相承する瞬間の模様とか詳しく聞きたいです。

忙しそうなのにごめんなさい。
[30]ゆず 05/12/30 22:42 *fnEp5AE8Nqt*D-Oab/h
オカルト弾圧さま
わかる範囲の回答は出来ます。時間のほうはわからないのですが、後程、幽霊さんと話そうスレに書き込みます。
[31]オカルト弾圧 05/12/30 22:48 RWRcxATdkd
よろしくお願いします。

会座とか知らないから、もしそれに座れとか筋親に言われたらどうしようかと思ってます。

幽霊スレで待ってます。
[32]清掃係 05/12/30 23:08 C4Xlsts68m
前スレを有意義に使い切りましょう。
[33] 05/12/30 23:31 nDvOF6WDZL
接心でよく言われたことの一つに「足りない」という言葉もありました。
「足りないあなたですが...」のような言い回しで使われることが多かったです。
ようするに、もっと「三つの歩み」に励め、ということだと思いますが、「足りない」
と言われると「そうか、このままじゃいけないんだな」と考え、自己嫌悪に
陥りやすくなるように思いました。
[34]オカルト弾圧 05/12/30 23:39 X7rdztK6oo
ちょっと待ってよ。

>「足りないあなたですが...」のような言い回しで使われることが多かったです。


いきなりこんな失礼な事を平気でいうの?マジ?

>「そうか、このままじゃいけないんだな」と考え、自己嫌悪に
陥りやすくなるように思いました。


これも理解に苦しむ。なんでそんな失礼な事を真に受けるの?
それがMCなのかな?
[35] 05/12/30 23:40 nDvOF6WDZL
オカルト弾圧さま

あっちで。
[36]清掃係 05/12/30 23:43 C4Xlsts68m
35の書き込みも、だめです。
[37]オカルト弾圧 05/12/31 12:02 C4XlsgbiIE
残念ですがここには真実は一つもありません。

身内に2人の霊能者がいて自らも歓喜という霊位まで相承したというゆずさま。

今日、筋親に確認しました。

>相承するとカードを持っていかれて、紙を置いていかれます。

置いていかれるのは「相承カード」というカードのようなものだそうです。

>後日、苑内に相承者名が貼りだされます。経親にも連絡がいきます

相承しても名前が張り出されるだけで筋親に連絡は行かないそうです。

>私はインチキだと思ってます。

インチキをかいているのはあなたですね。

会座というシステムがどうなっているのか。祈りの選抜が合計何回あるのかあなたは書けないでしょう。歓喜、大歓喜を相承するときの事も筋親に聞いてみましたがあなたの言っていることと大きく異なります。

やはり私が思ったとおり相承証明の記念品がもらえるそうです。それが何なのかアナタは答えられないでしょう。

また、霊能者はある書物を貰うらしいですがその書物の名前が書けますか?

真如苑の霊能がインチキだと主張したいのに、自分がインチキを書く。それでは苑の霊能が正しいのではないかと思ってしまいます。

今まで書いたことが嘘ならば謝ってください。本当なら申し開きをしてください。
[38]黒蜥蜴 05/12/31 12:02 TmFK15bo7A
「真如霊界」に存在するとされる「両童子様」は、伊藤苑が若死に
した息子を、崇拝対象にでっち上げたねつ造品で、信徒の利益にな
るなど、根拠もないインチキなのです。

仏教では、因果応報と言って、個々の行為に因果の理を説くもので
あり、善悪の因の果報は、他人が身代わりになって受けることはで
きないのです。

つまり、因果応報を無視した「抜苦代受」は、仏教とは全く関係無
い外道の邪説で、タタリだと真実を知らない信者を脅し、接心修行
・護摩や施餓鬼など多目的な名目をねつ造し、信者から金を騙し取
る「霊感マルチ」まがいな、代物にすぎません。

[39]黒蜥蜴 05/12/31 12:09 TmFK15bo7A
>>37
真如密特有の「真如霊界」に居るとされる「両童子様」は、伊藤苑
が若死にした息子さんを、崇拝対象にでっち上げたねつ造品で、
なんの根拠もないインチキなのです。

そもそもが、妄想から発したねつ造とインチキで、仏教(東密)に
は無い「真如霊界」、「両童子様」、「霊能(内田家伝承)」などを、伊藤苑(真如密)が説いてもなんの説得力もありません。
[41]オカルト弾圧 05/12/31 12:12 R5xlSRZJLz
>黒蜥蜴

>「真如霊界」に存在するとされる「両童子様」は、伊藤苑が若死に
>した息子を、崇拝対象にでっち上げたねつ造品で、信徒の利益にな
>るなど、根拠もないインチキなのです

今日、ここも気になったので筋親に聞いた。
苑の接心ってのは昔、霊言ってでなかったそうじゃないか。
この2人がなくなって病気が癒される人が増え、霊言も出るようになったという。

2人の死で出なかった霊言が出るようになったという事実を合理的に説明してみろ。

[42]オカルト弾圧 05/12/31 12:17 X7rdzFGEiO
>傲れるもの久しからず

お前が精神科医ってのも嘘だろ?

お前は自分の患者に俺が来た時「あなたは病気ではない、帰れ」と言うのかよ?

掲示板では医者はおろか内閣総理大臣にでもなれるわな。
[43]偽装は イカンザキ! 05/12/31 12:40 TmFK15bo7A
>>232
>今日、ここも気になったので筋親に聞いた。
>苑の接心ってのは昔、霊言ってでなかったそうじゃないか。
>この2人がなくなって病気が癒される人が増え、霊言も出るようにな>ったという。
>2人の死で出なかった霊言が出るようになったという事実を合理的に>説明してみろ

まあ、汚い言霊だこと!
ご利益信仰に群がる、魑魅魍魎(狐・狸・カッパ・悪霊等)が、開祖の子供(両童子)を演じて、人を騙して居るのでしょうなw
あなたは、ここで重要な証言をしましたね。

伊藤苑は(真如密)、振興宗教確定ですね。
すなわち、「両童子の霊言」「霊能の接心修行」「真如霊界」の
存在を主張するなら、インチキ仏教と言うことになりましたね。

仏教(東密)では、真如霊界・両童子・開祖の妻、内田家伝承の「霊能」。と言う概念はありません。

流石、なんちゃってインチキ仏教徒、の宗教音痴ぶりを見せて貰った。
[44]オカルト弾圧 05/12/31 12:43 C4XlsiveJQ
>「幽霊さんとお話…」の展開は何だ! 本部事務局そのものではないか!


どういう意味で?

>ゆずさんの仰っていることは真実です。真如苑がゆずさんの発言に戦々恐々としていることの裏返しです。まったく情けない!

だから嘘だって。言ってる事が正しいかどうか裏とるのは常識だろう。裏取ったら明らかにゆずさんの言ってる事は嘘だったんだよ。

で、質問も残してるだろう。あれに正しく答えられたら「まんざら嘘でもないかも」って事になるんだよ。

内部事情もろくに知らない人が「苑憎し」で嘘でっち上げてるだけじゃん。

「ゆずさんが言っている事が真実です」といえる根拠だせよ。

俺は嘘だといえる根拠出してるだろ?
[45]黒蜥蜴 05/12/31 12:58 TmFK15bo7A
>2人の死で出なかった霊言が出るようになったという事実を
>合理的に説明してみろ

あなたは、とうとうボロをだしましたね。
これが、事実とすれば、伊藤苑(真如密)が仏教(東密)とは、
いえ無いことが確定したと言っているのですよ。

真如苑は、仏教という呼称は出来ないといっているのです。
この意味、あかわりか?
[47]黒蜥蜴 05/12/31 13:09 TmFK15bo7A
>今日、ここも気になったので筋親に聞いた。
>苑の接心ってのは昔、霊言ってでなかったそうじゃないか。
>この2人がなくなって病気が癒される人が増え、霊言も出るようにな
>ったという。2人の死で出なかった霊言が出るようになったという事>実を合理的に説明してみろ

とうとう、墓穴を掘りましたね!

上記の発言で、真如苑(真如密)は新興宗教で、仏教(東密)で
はないことが確定しました。

真如苑は、自分たちのことを「伝統仏教である」「真言密教である」
と言い、真言宗醍醐派(醍醐寺)との密接なつながりを楯にして、

「われわれは新興宗教ではない」と主張しています。

しかし、真如苑の教義「両童子の霊言・真如霊界、霊能の接心修行」
は、本来の真言密教とも全く違う、伊藤教祖の妄想の創作教義でし
かありません。

[48]傲れるもの久しからず 05/12/31 13:38 *tTpnNxiREwg*oeca9xal4/
言われっぱなしになるので…

@オカルト弾圧(真如苑事務局)さん
「幽霊さんとお話…」の展開は何だ! 本部事務局そのものではないか!
残念ながら昨夜(今朝)は騙されかかっていたというのが事実のようだ。
[1007](表その4) は取り消します。
やはり私のその前の分析[931]05/12/30 01:28 *tTpnNxiREwg*dTk.IF3arm
は正しかった。

真如苑については一層厳しく実相を追求しなければならないようだ。
精神を冒される信者、幸福を破壊される家庭は増え続けるであろう。
いつかはその反社会性、非道徳性の故に崩壊する日が来るであろう。
継主には哲学どころか倫理観も指導力も欠如している。

ところで、今朝の裏スレ[851]〜[857]真如嫌いさんの思いこみ、勘違いもひどいですね。
清掃係=オカルト弾圧=元信者=というのは同じ穴の狢という意味で正しいでしょう。(必要なら論証します。)

私はDQNさんではないし、まして幽霊グループではありません。疑っているのはお一人だけかも知れませんが、疑いが晴れるまでもうしばらくお邪魔させていただきます。
[49]カルト弾圧 05/12/31 13:39 X7rdztK6l5
>上記の発言で、真如苑(真如密)は新興宗教で、仏教(東密)で
はないことが確定しました。


真如苑は自分達を「東蜜」と主張してるのか?
[50]傲れるもの久しからず 05/12/31 13:42 *tTpnNxiREwg*oeca9xal4/
A[1009](表その4)は狸の開き直り。今まで幽霊グループの言っていたことが全て欺瞞、釣りだったということです。
ゆずさんの仰っていることは真実です。真如苑がゆずさんの発言に戦々恐々としていることの裏返しです。まったく情けない!

皆さん、[1009]のゆずさんにたいする中傷・開き直り、これが真如苑の本質・実態です。これが宗教ですか?
継主・最高幹部の承認なしにこんなことはできないのです。継主・最高幹部の
承認があるからできるのです。ですから、継主・最高幹部の倫理観、品性も
この程度ということです。
継主にしっかりした哲学と指導力があれば、絶対にこんなことにはならない
のです。
信者の皆さん、ご自分の心と苑幹部の心とどちらの方がきれいですか?
どちらの方に価値がありますか?

B[
>>42]オカルト弾圧 X7rdzFGEiO へ
よし、それなら私が誰か当ててご覧なさい。君たちの言う霊の力を借りてもいいから当ててご覧なさい。

ヒント:君たちの意外に身近に関係者がいる。それが誰か分かれば君たちの勝ちだ。私はバレバレになるからね。その人に傷が付くことはないから安心して探しなさい。

C[
>>44]オカルト弾圧 05/12/31 12:43 C4XlsiveJQ へ
>で、質問も残してるだろう。あれに正しく答えられたら「まんざら嘘でもないかも」って事になるんだよ。

君たちの言っていることが当に妄想だと言うことの証明ですね。
私も藪だが、君たちも揃いも揃って藪信者だね。
[51]糞工場 05/12/31 13:44 vrHecEZBx0
無能な批判者諸兄。オマエラもう要らんから。一部を除いて。

>必要なら論証します。)
その前にスレ建てろよ早く。どこで論証すんの?ここでならオマエも荒らしだな。
馬鹿すぎる。>私はDQNさんではないし、
自分に「さん」をつけるところは 逃亡者と同じだな。恥ずかしくないの?
[52]糞工場 05/12/31 13:49 vrHecEZBx0
久しからず、の書き込みが、脱苑者、外部の方々、
の為になっている、と思う方、居ますかね。居たら久しからずさん
を応援しましょうね。居ないと思いますが。

おまえがDQNかどうかなんて、誰も気にしちゃ居ない。自意識過剰のDQNだよ相変わらず。
[53]糞工場 05/12/31 13:51 vrHecEZBx0
>[49]カルト弾圧
いい突込み。使い古された言い分だが荒らすには適当だろ。

だって無能なんだからここの批判者は。荒らしさんの思うがまま。
もうダメだ。
[54]傲れるもの久しからず 05/12/31 14:07 *tTpnNxiREwg*oeca9xal4/

糞工場は「あらし」でしょう? 切羽詰まった苑/事務局の…。

私がDQNさんだとするトンチンカンな思いこみ。恥をかきますよ。

私はね、ここで徹底的にやり合うのもいいと思いますよ。(いや、今そう思い始めました。)

間もなく、間違いなく、事務局の粛清が始まりますよ。このやりとりが白熱すれば、それだけ読む人は多くなるだろうし、密かに信者の中にも話が広がる ─ 間違いないでしょう?
[55]糞工場 05/12/31 14:20 y46aqPkbHR
知らんがな。
>糞工場は「あらし」でしょう?
こう思う方、否そうじゃない、と思う方、双方居るかと思うが
それ聞きたいね。 オレはもうとにかく失望。裏へ行く気力もないわ。
[56]白うさぎ様、凡人です。 05/12/31 14:52 Jx073jUTd6
年末の片付けも終わり、今年この板にお邪魔して、まだ真如苑のMCから抜けずにいた白うさぎさんが気になっていたので、今年の閉めにに、この板を開けてみました。
白うさぎさん、MCが抜けてしっかりしてきたようで良かったですね。溜まりに溜まって腫れ上がった苑の膿を出し切ったら、新たな地平に旅立つことをお薦めします。
今の私は、真如苑にこだわっていませんが、この板も数も増えて様変わりしたことはいいことだと思います。
苑は、先祖の苦しみという幽霊退治(ゴーストバスター)に躍起になっていましたが、幽霊っていうご先祖さんは怖いものではありません。幽霊って仲良くすれば静まるそうですよ。
「幽霊と語スレ」っておもしろいですね。ゴーストバスターではなくてゴーストフレンドの方が良さそうです。
つまらない感想を書いてしまいましたが、白うさぎさんの元気なご様子に安堵しています。良いお年をお迎え下さい。
[57]777 05/12/31 14:54 TmFK15boRX
苑のネットによる宗教批判が、出来なくなることが予想される
と言うことですか?

今後、批判は嘘だという、苑のプロパガンダを流し、情報操作する、
苑の隠蔽工作活動が起こる可能性が十分にあります。

今の内に、確かな情報を知り、データーベースを作成し、
後世に残す手段も考えるべきでもあると思った。
[58]白うさぎ 05/12/31 14:59 *mWed5hXHWmu*MEtbvJM7kK
傲れるもの久しからずさま
昨夜からの板のやりとりを読みました。
私が、2日に渡って半ば騙されたふりをして幽霊スレに行ったのは、どうしてか?書いておきます。

私は、彼らの異常な攻撃性の中身が知りたかったのです。
1日目には理解できませんでしたが、昨日わかりました。
そして、彼らがどういう情報を集めようとしているのかも・・・。
騙されていたとしても、私は、目のまえにああいう苦悩を抱えた人がいれば、あの様ににやりとりしたと思います。
それは、私が苑に対して批判的であるかどうかという問題以前の、人としてどう行動するか、というところから取った行動でした。
そして、そこで人として、感じたものがありました。

苑から遠ざかって3年近くたちますが、私があの中で得たもの全てがマイナスではなかったのだと今でも思います。
よく言われた「相手は鏡」。大切な気づきでした。

これほど、真実を書くことに対して弾圧があるのは、何故か?
でっちあげ、被害妄想であってほしいと願う気持ちもあるのではないかと感じました。
あるいは、全てを知りながら、とぼけているのかもしれません。

あなた様がどういう立場の方か、今の私にはわかりません。
この板の存在が真実を明かしてくれるものと信じたいです。
しばらく、今後の事態を見守ります。
[59]白うさぎ 05/12/31 15:06 *mWed5hXHWmu*MEtbvJM7kK
凡人さま
ありがとうございました。
私も少しづつ、回復してきています。
ここ数日の荒らしには、少し参りましたが、これも通る道かなと思ってます。
凡人さまも、どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
[60]嘘嫌い 05/12/31 15:13 *MWKO1fWq8lc*E-w2W3r
777さんに賛成です。批判ができなくなるという心配は無用ではないでしょうか?もっと組織だった創価の例を見ても成功はしませんよ。
[61]777 05/12/31 15:50 TmFK15boRX
>>60
確かに、創価学会の批判掲示板も成功していますよね。


伊藤苑の批判派にも変な人が多いのは、元々「伊藤苑信徒」で同な
穴の狢なのですから、仕方のないことです、信徒からアンチに転向
して方向性が変わっただけですから、自身の中身やものごとの捉
え方考えが変わらないと意味がないですよね。

伊藤苑の詐欺に気づいたから辞めた、その被害を、インターネット
で公表して、新たに伊藤苑被害者を増やさないことに協力するのも、
ある意味、世の中の為になっていると思います。

所詮くだらない、インチキや詐欺にひっかかる程度の脳しかなかっ
たということは素直に認めるべきでしょうね。

何故ひっかかったのかを真剣に考えそして見ることが必要だと思い
ます。でなければ、単語だけを入れ替えた同じ手口の詐欺に引っ
かかるのがオチ、というのが多教団の脱会信者でも起きています。

――というのが今までの経験から言えることです。
[62]777 05/12/31 16:04 TmFK15boRX
49
>真如苑は自分達を「東蜜」と主張してるのか?

はい、その通りです。
私が、勧誘されたときも「真如苑」ということを「隠して」、

「苑は真言密教、というお寺の和尚さんの話を聞きに行かない」

「苑は、お寺の和尚さんが教典を分かりやすく翻訳した有り難い
 話をしてくれるのよ」

と言っていました。明らかに、勧誘時に、「お寺の和尚さん」
というくだりが「伊藤苑・真如密」は「仏教・東密」と錯覚させて
いると思います。

しかたって、伊藤苑は、自分たちのことを「伝統仏教」、「真言
密教」と言って、真言宗醍醐派(醍醐寺)との密接なつながりを楯
に、伊藤苑は「新興宗教ではない」と言っています。

[63] 05/12/31 17:24 *KWMjOkAr1gp*u4yLwTHm3O
茜様 事情通様

年末年始はパソコンから離れた生活ですので、ご返答が遅くなっていますことをご了承下さい。

事情通さまには以前より暖かい貴重なご意見を伺い、参考にさせていただいております。

茜さまの接心の描写は生なましく参考になります。
お伝えできるときで結構ですので、また色々とお教え下さい。

『現在のありのままの自分を否定され』
『自己嫌悪』

上記の茜さまのご指摘は、「なるほど」と唸らされました。
カルトがよくやる手とも言えますね。
現在の自己を否定したうえに、カルトの教義を飲み込ませて新たな自己を作り出すことに近いですね。苑の接心も、例外ではなくこのような仕掛けがある訳だったのですね。

「自己嫌悪」から、どのような心境の変化・苑の手口で「ありがたく〜させていただく」という苑徒の思考回路が変容していくのでしょうか。
[64] 05/12/31 17:49 Jx073jUTd6
夢様。何を詰まらんことをいつまでも分析ごっこして、偉そうにしてるのでしょうか?
あなたは、単に真如苑の負け犬に過ぎないのではないのでしょうか。
負け犬っていいことですよ。
[65] 05/12/31 18:14 zjY4l.Il/b
夢さま

接心について、また、何か思い出すことがあったら書かせていただきます。

>「自己嫌悪」から、どのような心境の変化・苑の手口で「ありがたく〜させていただく」という苑徒の思考回路が変容していくのでしょうか。

私の場合は「ありがたく〜させていただく」心境には至らなかったのですが、
疑問を持ちながらも、「じょうく菩提」などという形で導き親などにその都度説得されたり、
真面目に「三つの歩み」等をしていた場合は、思考回路を
変容させやすいのかもしれないと思いました。


[66] 05/12/31 18:26 zjY4l.Il/b
接心では涙が出ることがありました。そして、「ああ、自分はこんなに至らない人間だ」
という懺悔の気持ちが湧きます。そこには自虐的とも言える様な「こんなに心のきれいな私」
という快感も伴います。もちろん、こういったメロドラマチックものは、もとから自分の
心の底にあったものなのでしょうが、そのあたりが上手く揺さぶられるような感じがしました。
[67]カルト弾圧 05/12/31 18:53 5cHu7JGvNR
白うさぎさん

>これほど、真実を書くことに対して弾圧があるのは、何故か?
>でっちあげ、被害妄想であってほしいと願う気持ちもあるのではないかと感じました。

ゆずってのが実際は誰なのか知らないけれど、彼女は明らかに嘘をついてます。裏とったから間違いないです。苑憎しのでっち上げでちゃんとした教徒が見たら一発で嘘ってばれますよ。

弾圧されるのは真実を書かないからでしょう。

被害者妄想であって欲しいと願わずとも明らかな被害者妄想ですよ、アナタ方は。

私はアナタに心許しかけた。あなたは「騙されたふり」だったんですね。言いたくない症状や薬の事まで書かされた。

苑よりアナタ方の方が余程真っ黒だよ。

人を傷つけても平気でいられるのはアナタ方じゃないか。

俺は悔しいよ。もう白うさぎさんも信頼できない。
[68]カルト弾圧 05/12/31 19:29 BykKWclcPu
筋親って思ったより話せる。今までほとんど話さなかったから遠い存在だったけど。親身に聞いてくれた。

ここの事話した。改めて「みないほうがよいわよ」と言われた。

何でも今は「聖邪分別」の時期で邪なものは苑から浄化される時期に当たっているそうな…なるほどなと妙に納得。

腹黒、嘘つきの邪が集まるこの板で邪と仲良くしてると治るものも治りませんよと言われた。

それとご利益中心はだめだがご利益はあるといってたぞ。白うさぎはやっぱり教義を勝手に誤解してやめた人間なんだな。

[69]カルト弾圧 05/12/31 22:18 R5xlSeLhK0
どうやら俺アクセス禁止かけられたみてーだな。

エラーメッセージが出る。

お前らここで嘘ばっかりついてその嘘暴く存在にはアクセス禁止か?

アンチ真如苑ってそういう連中だよな。

ゆずは歓喜はおろか大乗も相承してねーよ。

会座のシステムについては俺の方が理解してるだろう。

ちゃんと聞いたからな。

嘘つきの集まり!
[70]傲れるもの久しからず 05/12/31 23:03 oeca9xal4/
[67]〜[69]

「カルト弾圧」は真如苑の属する掲示板スレあらしグループが使用するネット上の名称(HN)です。
自分たちが騙しておいて、その相手のゆずさんにたいする誹謗中傷・開き直りです。
これが真如苑の本質・実態です。これが宗教ですか?
継主・最高幹部の承認なしにこんなことはできないのです。継主・最高幹部の
承認があるからできるのです。ですから、継主・最高幹部の倫理観、品性も
この程度ということです。
継主にしっかりした哲学と指導力があれば、絶対にこんなことにはならない
のです。
信者の皆さん、ご自分の心と苑幹部の心とどちらの方がきれいですか?
どちらの方に価値がありますか?
[71]カルト弾圧 06/01/01 00:02 OYOgW.G9sh
ほら答えろ。

歓喜も嘘。霊能もうそ。マジメに相談に乗るのも「フリ」。

お前ら、真如苑のデタラメさを一般人に知らしめる為にこのスレ立ててんだろ?

そのお前らがデタラメやってどうすんだって聞いてんだよ。

逃げずにしっかり答えろよ!おら!
[72]カルト弾圧 06/01/01 00:04 OYOgW.G9sh
ほら答えろ。

歓喜も嘘。霊能もうそ。マジメに相談に乗るのも「フリ」。

お前ら、真如苑のデタラメさを一般人に知らしめる為にこのスレ立ててんだろ?

そのお前らがデタラメやってどうすんだって聞いてんだよ。

逃げずにしっかり答えろよ!おら!

[73]カルト弾圧 06/01/01 00:10 OYOgW.G9sh
>自分たちが騙しておいて、その相手のゆずさんにたいする誹謗中傷・開き直りです。

騙したのはゆず。

嘘つきはゆず。

何が歓喜相承だ。嘘ついてもすぐばれるんだよ。

俺らみたく苑の教えを信じてもいいものかどうか迷ってる人間に対して平気で嘘の情報流して、その意図も説明しない。

お前ら人間としておかしいんだよ。あふぉ!
[74]田舎 06/01/01 02:39 *FJ3l3fZ7TR6*E-gbvGy
ありとあらゆる所で薬切れしてんじゃないっ!幽霊
[75]和音 06/01/01 08:05 Os4HdNbl7M
みなさま、あけましておめでとうございます。

今年もこの板にお世話になると思いますが、どうか暖かい目で見守って頂けると幸いです。

遅れ馳せながら、新スレおめでとうございます。
荒れてしまって書きそびれました。

今年もよろしくお願い致します。
[76]白うさぎ 06/01/01 09:14 *mWed5hXHWmu*MEtbvJM7kK
皆様、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

毒板に書きましたように、当分は情報提供マシーンになります。
その情報をどう受け取るかは皆様でご判断下さい。

安全の板になるまでは、レスなしが多くなると思いますので、ご了承下さい。
[77]カルト弾圧 06/01/01 09:43 OYOgW.G9sh
嘘つき、腹黒にとっては相変わらず嫌な年になるでしょう。

ああ、かわいそうに。
[78]事情通 06/01/01 09:46 0T2iMtzV75
あけましておめでとうございます。新春のごあいさつに『水ぶくれ真如苑』の冒頭の一節を引用いたしましょう。

新版立川流密教?
 読者は、日本歴史の舞台裏に名を残す「立川流〔たちかわりゅう〕」という宗教団体をご存じであろうか? 真言密教の経典「理趣経〔りしゅきょう〕」の曲解にもとづいて性欲崇拝の教義を立て、中世日本社会のあまり陽のあたらない領域にはびこり、ある程度の勢力を誇った邪教淫祀〔いんし〕の教団のことである。
 その信者のあいだに行われた秘儀については、ドクロに男女の愛液を何度も何度も塗りつけたものをご本尊として崇拝したとか何とか、いろいろのいまわしい風説が伝わっているが、なにぶんにも社会の表に立たないところでひそかに行われていたことゆえ、正史の上に確かな記録がなく、その全貌〔ぜんぼう〕を捉〔とら〕えることは至難のこととなっている。ただひとつ、かなりはっきりしていることは、「立川流」の「立川」は武蔵の国の立川(現在の東京都立川市)の地名に由来するものらしい、とのことである。
 つまり、今を去る数百年の昔、この土地に居ついた真言密教の坊主くずれの何らかの男が、もっともらしい教義を立てて民衆をひきつけ、ここを発祥の地として徐々に全国的に浸透させていった教えが「立川流」となったものらしい、ということである。
 さて、以上の話を念頭に置きながら、読者は、現代日本の宗教団体の統計表を見る機会があったら、ぜひ、信者数の推移の欄に注目して頂きたい。多くの教団の教勢が毎年とりたてて変動せずに推移してきている中で、一つだけ、きわだって信者数の増え続けている教団がある。その名は「真如苑〔しんにょえん〕」。真言系仏教教団の中に分類され総本部の所在地は東京都立川市である! 公称信者数は昭和六十年十二月三十一日現在で約二百十万。その前年が約百八十万、前々年が約百五十万、さらにもう一年前は約百三十万であったから、ここ数年、毎年二十パーセント近い急成長ぶりである。いまや、創価学会、立正佼成会、生長の家、天理教、霊友会、PL教団の「六大教団」を急速に追い上げ、「新宗教七大教団時代」を現出する仕掛人たらんとしている注目の教団である。
 したがって、現存する有力な宗教団体のいずれかに「立川流密教」の名を付けねばならないとしたら、いちばんふさわしい団体は、この真如苑ということになる。
 むろん、真如苑が偶然「立川流密教」の名に値するとしても、中世の立川流とのあいだに再興とか、継承とかいった関係があるわけではない。
 しかしながら、名のつながりは縁のつながりとでも言おうか、真如苑について少し詳しく調べはじめると、この「新版立川流密教」の姿の影に、時折ちらちらと中世の「立川流密教」の亡霊が見え隠れするような気分に捕らえられるのは、必ずしも私ひとりではないようである。
 昭和十一年、飛行機会社の技師だった伊藤文明〔ふみあき〕という男が、この立川の地にお不動様を祀って宗教家めいたことをやりはじめた時、まさかこれが立川流の因縁を受け継ぐ教団になろうとは、誰も想像しなかったであろう。だが、土地の因縁というのは不思議なもので、この伊藤文明、知らず知らずのうちに、何に導かれたものか、不思議なほど立川流めいた教祖へと「成長」していったのである。
 彼が真言密教の僧侶の資格をとって、後に坊主くずれになって髪を伸ばした点も、ある種の因縁を感じさせるが、それにも増してはっきりと立川流の因縁を感じさせるのは、昭和四十年代以降この教団の幹部のあいだで展開された、男女の愛液のにおいのぷんぷんと立ちこめるドロドロの親族紛争であろう。この親族紛争については、本書の中でもいずれ第三部で触れる予定なので、その時のお楽しみとしておこう。
 もっとも、本書の主たる目的は、題名のとおり、なぜいま真如苑が伸びるのかを解明するところにあり、教団幹部の私生活の解明は、あくまで従である。ただ、真如苑について昨年来、世の週刊誌が騒ぎ立てている内容を見るにつけても、「立川」という地名とのつながりを感じずにはいられない。
 私自身は、因縁だなんだということをやたら強調するのが、正しい宗教のあり方だとは思っていないのだが、真如苑自身が「悪い因縁を浄めなさい」などとやたら説く教団であるだけに、「教団にとり憑〔つ〕いている土地の因縁もお浄めになったらいかがですか?」と、皮肉のひとことも言いたくなるというものである。
[79]事情通 06/01/01 09:55 0T2iMtzV75
四月八日は何の日か?
 仏教国と言うわりには、お釈迦様の事蹟があまり国民の常識となっていないわが国であるが、少なくとも「四月八日は何の日か?」という質問にだけは、たいがいの人が正しく答えられるであろう。「花まつり」と言おうと、もう少し固苦しく「仏生会〔ぶっしょうえ〕」とか「灌仏会〔かんぶつえ〕」とか言おうと自由だが、要するに「お釈迦様のお誕生日」である。ところが、世の中はおかしなもので、仏教教団と称しながら、その教団の内部において「四月八日は何の日か?」という問題に対して、そのように答えたのでは合格にならない奇妙な教団があるのだ。その名は真如苑!
 では、真如苑での正解は何か? 「真導院〔しんどういん〕様のお誕生日」というのが正解である。「真導院様」とはいったい誰のことか? それは、この教団を作った伊藤真乗〔しんじょう〕の次男友一〔ゆういち〕のことである。彼は昭和十二年四月八日に生まれ、昭和二十七年七月二日に死去したが、その戒名の院号が「真導院」なのである。
 つまり、同じ四月八日でも、教祖の次男の誕生日であることのほうが、お釈迦様の誕生日であることよりも優先されるのが、この教団なのである。ことほどさように、この教団は伊藤ファミリーそれ自体と不可分に結びついた教団なのだ。前に紹介した毎日新聞記者の横山真佳氏は、真如苑の教義を紹介するにあたって、次のように書いている。
 「新しい宗教の教理には、たいてい教祖と呼ばれる人達の直接的な生活体験が色濃く反映している。しかし真如苑にあっては、たんに教主の経験の反映にとどまらず、教主の家族一人一人の生と死、その喜びと悲しみがまるごと教理にとりこまれている感さえある。一家の生活史がそのまま教団史であり、すなわち教理形成史ともなっているのだ」(『新宗教の世界V』一一〇頁)
 真如苑の本部、支部、精舎〔しょうじゃ〕(「寺」と同じ意味)などの多くには「伊藤真乗」という教主の個人名が表札として掲げられており、建物の外壁には、教団のシンボルマークである「輪宝章〔りんぼうしょう〕」とともに、伊藤家の家紋である下がり藤の紋が付けられている。伊藤家は、茶道の千家、華道の池坊家などに類する一種の「家元」なのである。
 この、きわめて日本的な家元宗教とでもいうべきものが、「仏教のあらゆる法門を摂受〔しょうじゅ〕する最高の法門である」と自認し、いわば「総合仏教」を自負していることに、外部の多くの人は奇異の感を抱かずにはいられないであろう。
[80]カルト弾圧 06/01/01 10:13 OYOgW.G9sh
>外部の多くの人は奇異の感を抱かずにはいられないであろう。

正月早々、読む気にもなれんゴシップを長々と書き連ねる「事情通」に多くの人は奇異の感を抱かずにはいられないであろう。
[81]事情通 06/01/01 10:15 0T2iMtzV75
真如苑の教義のあらまし(前半)
 さて、それではこの家元宗教の教義はどんなものであろうか?
 批判に先立って、ひとまずは、教団の言うとおりの教義がどんなものであるかを、冷静に紹介しなければなるまい。だが、私自身は、そんなものは少しも信じていないのだから、私自身の言葉として語るのは面映〔おもは〕ゆくてたまらない。「信者の口から語らせればこうだ」という形で、書いておくことにしよう。

 お釈迦様は二千五百年前にこの世にお出になり、仏教を説かれましたが、最初は個人の完成だけを目指す低い教えである小乗の教えを説かれ、後に、自分の救いより他人の救いを優先させる大乗の教えを説かれ、最後に大乗の窮極の教えである『大般涅槃経』をお説きになって、涅槃に入られました。このお釈迦様の最後のみ教えの中には、私達の過去、現在、未来が救われて「常楽我浄〔じょうらくがじょう〕」の生活が送れる道が示されています。しかし、時期が熟さなかったために、この最後のみ教えは、ご予言通り地中に隠没〔いんもつ〕し、これを宣説〔せんせつ〕する偉大な導師様がお出になるまでは、このお経を人類の救いに生かす道は開かれませんでした。
 ところが、今世紀になって、これまたご予言通り、『大般涅槃経』を宣説する使命を持たれたかたがご出現なさいました。それがわが真如苑の教主様です。教主様は、昭和十一年、それまでの恵まれた生活、いっさいの世間法的とらわれを捨てて衆生済度〔しゅじょうさいど〕の道ひとすじに立たれ、たいへんなご修行をなさり、伝統密教のみ教えをすべてお修めになって阿闍梨〔あじゃり〕様となられ、『大般涅槃経』に示されるみ教えを現実の救いに生かすお力を身につけられました。
 また、教主様をお助けする使命を持ってこの世に出られたお二人のお子様と奥様とが、教主様より先にご霊界に赴かれることにより、救いのお力の湧き出る源である真如霊界を確立して下さいました。
 さらにまた、教主様がお父様からお受け継ぎになった甲陽流病筮鈔〔こうようりゅうびょうぜいしょう〕による天霊系霊能と、教主様の奥様の摂受院様が伯母の玉恵様を通じて祖母宝珠院様からお受け継ぎになった地霊系霊能とが合体し、当苑に真如霊能が湧出〔ゆうしゅつ〕、他に類例を見ない当苑独自の接心修行が可能になりました。
[82]カルト弾圧 06/01/01 10:15 OYOgW.G9sh
ほら答えろ。

歓喜も嘘。霊能もうそ。マジメに相談に乗るのも「フリ」。

お前ら、真如苑のデタラメさを一般人に知らしめる為にこのスレ立ててんだろ?

そのお前らがデタラメやってどうすんだって聞いてんだよ。

逃げずにしっかり答えろよ!おら!
[83]事情通 06/01/01 10:16 0T2iMtzV75
真如苑の教義のあらまし(後半)
 接心修行は、我々の心の奥底の姿や背後の因縁を霊能者の霊能鏡に映し出すことによって、自分では気付きにくい心の誤りに気付かせていただき、自分中心のとらわれから解きはなっていただき、常楽我浄〔じょうらくがじょう〕の境涯へと導いていただく修行です。
 また、霊の世界には顕幽一如〔けんゆういちにょ〕ということがあり、あの世で成仏できずにいるご精霊〔しょうりょう〕様の苦しみは、子孫や縁ある人々の病気、事故、生活苦などの形になって、この世に映し出されてきます。こうした因縁の諸相もまた、接心によって解明していただくことができます。そして、教主様のお施餓鬼〔せがき〕をお願いすることにより、因縁を浄めていただき、ご精霊様に成仏していただくことができます。
 しかし、たんに「自分助かりたい」のご利益〔りやく〕信心の心ではみ仏様には通じません。教主様のお施餓鬼をお願いすると同時に、ご精霊様が救われていただきたいと心をこめて祈らせていただくのです。そして、それによって自分自身が楽になったら、それは、この世にある自分が、ご精霊様がたのできなかった分まで他のために働かせていただき、徳を積ませていただくためなのだと気付かねばなりません。
 そうした徳積みの道として、教主様は、仏教の布施〔ふせ〕、持戒〔じかい〕、忍辱〔にんにく〕、精進、禅定〔ぜんじょう〕、智慧〔ちえ〕の六波羅蜜〔ろくはらみつ〕を行じやすい形にまとめた「三つの歩み」を教えて下さいました。三つの歩みは「お救〔たす〕け」「歓喜〔かんぎ〕」「ご奉仕」です。「お救け」は、この尊い真如のみ教えを人様にお伝えして、そのかたを助けてさしあげることです。「歓喜」は、この真如のみ教えを説く精舎〔しょうじゃ〕の維持発展のために喜びをもって°熨Kをご寄付することです。「ご奉仕」は、苑内や苑外での真如苑の諸活動に自分の労力を提供することです。これらの利他の徳積みによって私達の因縁が根本から浄められてゆくのです。
 しかし、目下悪い因縁が身に現れてきて病気その他の苦しい状態に陥っている人だったら、「三つの歩み」に取り組めと言われても、もちろんできません。そこで、真如苑では、信者みなが徳を積めるように、信者に対する大きな恩恵として「抜苦代受〔ばっくだいじゅ〕」という道が開かれたのです。
 抜苦代受は、教主様の二人のお子様である両童子様が、信者の因縁を引き受けてご霊界に赴かれたことによって開かれたものです。今でも、真如苑に結ばれた人は、みなこの抜苦代受に浴することができ、それによって、悪い因縁が身に発現するのを一時預かっていただくことができます。しかし、この抜苦代受を在来の宗教の「ご利益〔りやく〕」のように考えるのはまちがいです。抜苦代受は、あくまで、徳積みのできる条件整備として、因縁の芽生えを一時的にお預かりいただくものです。抜苦代受に甘えて徳積みを怠ったままでいれば、そのうちに再び因縁が芽生えてきて、もとの苦しい状態に戻ってしまいます。抜苦代受をいただいている間に、どんどん徳を積んでいって、将来芽生えてくる因縁の芽を、事前に摘み取ってしまうことによって、将来とも幸福が約束され、常楽我浄の生活が実現するのです。

 なるほど、一応もっともらしくできた教えである。そして、真如苑の熱心な信者であるという人に聞くと、「み仏様であられる教主様のお力により、こんなに救われました」と、涙を流さんばかりの感激的表情で語るケースが、確かにずいぶんある。
 しかし、この「救いの大道〔だいどう〕」なるものが、現実の組織として動いている現場を眺めれば、救いがたくさんあるのと比例して、救いにはほど遠い脅迫や搾取やたぶらかしが広がっているのも事実なのである。そして、本書で解明しようとしている「なぜ真如苑が伸びるのか」の秘密も、実のところ、そうした脅迫や搾取やたぶらかしと密接に関連している。それらについて、次章以降で詳しく解明してゆくことにしよう。
[84]カルト弾圧 06/01/01 10:23 OYOgW.G9sh
>しかし、この「救いの大道〔だいどう〕」なるものが、現実の組織として動いている現場を眺めれば、救いがたくさんあるのと比例して、救いにはほど遠い脅迫や搾取やたぶらかしが広がっているのも事実なのである。

おらおら、続きはよ出さんかい!愚図!
[85]カルト弾圧 06/01/01 10:35 OYOgW.G9sh
肝心の

>救いにはほど遠い脅迫や搾取やたぶらかし

の内容はどうした?エネルギー切れか?事情通。
[86]事情通 06/01/01 13:01 0T2iMtzV75
真如苑の組織と修行のあらまし(1)
 ところで、急成長の秘密を解明するに先立って、真如苑の組織がどんなふうに作られているかを要約し、あわせて「三つの歩み」から「霊能発動修行」にいたるまでの真如苑の修行の体系にも触れておこう。これがわかっていないと、せっかくの分析もなかなか理解できなくなってしまうからだ。
 真如苑の組織は、端的に言って、ネズミ講やマルチ商法の組織とそっくりである。
 真如苑では、前にも紹介したように「お救け行」を信者の重要な修行として課している。この「お救け行」によって新しい信者が獲得された場合、その新しい信者は、必ず、入信を勧誘した在来の信者に直属する「導きの子」として組織に組み入れられる。勧誘した側の在来信者は「導き親」となり、以後、「導きの子」の面倒を見てゆくことが義務づけられている。導きの子がさらに彼自身の導きの子を作ると、「親」から見て新信者は「孫」にあたるわけだが、こうした子孫全体のことを「所属」と呼ぶ。信者が日常直接指導するのは自分の「導きの子」だけだが、間接的には「所属」全体に対して責任を持つ形になる。
 こうした導きの親子関係の連鎖が、真如苑のさまざまな活動を行うにあたっての、上から下への指令のパイプになっており、また、下から上への報告や質問のパイプにもなっている。機関誌の配布もこのパイプを通じて行われる。下から上へ質問を出すことは「上求菩提〔じょうぐぼだい〕」と呼ばれている(ちなみに、これは仏教用語だが、本来の意味はこういう意味ではない)。
 他の教団にもしばしば見られるものだが、真如苑もご多分に漏れず、同居の親族を一体と見なす「家族入信」というきわめて日本的な方式を採用している。つまり、世帯員のひとりが入信すれば、他の世帯員も信者と見なす。そこで、奥さんが入信してしばらく後に夫も信じるようになったといった場合は、「夫も最初から入信はしていたのだが、まだ『歩ん』でいなかったのだ」というふうに表現する。つまり、形式的な入信と区別して、実質的、自覚的な信者になることを「歩む」と言うのだ。「教えを歩む」とか「真理〔みち〕を歩む」とかいう他動詞的な使い方もしばしば行われている。
 いろいろな修行の場への「参座〔さんざ〕」の資格要件として「お救け五人以上」とか「お救け十人以上」とかいう条件が付けられることが多いが、こういう場合の「人」は厳密には「世帯」の意味である。つまり、五人家族の一員である人を「お救け」したからといって「お救け五人」になるわけではない(ただし、教団の信者数の統計は、それによって一挙に五人増加する)。
 「所属」が一定数以上に達し、かつ、ひとつの活動単位を指揮する能力ありと認定された人は、自分と所属全体からなる活動単位である「経〔すじ〕」を構成することが許され、「経親〔すじおや〕」となる。それまで自分の属していた経から独立して自分自身の経を持つことを「経立〔すじだ〕て」と言う。個々の経は経親の苗字を付けて「○○経」と呼ばれる。
 経が複数集まると「部会」が構成され、「部会長」は部会を構成する経親の一人が兼任する。部会は都道府県ごとに最低一つは設けられており、部会旗という旗を教主から下賜されている。真如苑の重要な行事の際には、制服を着た旗手が部会旗を捧持して入場、整列し、「真如苑にはこれだけ部会があるのだぞ」ということを誇示する儀式が行われる。
 さて、これもネズミ講型教団の通例だが、ひとつの経が特定都道府県の部会に属しているからといって、その経の信者全体がその都道府県の住民というわけではない。早い話が、東京の経の誰かが岡山県の友人を「お救け」すれば、その友人は岡山県の住民であるにもかかわらず、東京の経に属することになる。このような、地域的にばらばらな導きの親子関係のパイプを通じて信者指導が行われるのは非常に不経済なわけで、創価学会、立正佼成会のような大教団は、この点の困難を解消するために、かなり早くから地域ブロック制に移行しているわけだが、真如苑はこの点、きわめて保守的である。
[87]事情通 06/01/01 13:04 0T2iMtzV75
真如苑の組織と修行のあらまし(2)
 真如苑は、立川の総本部、東京都渋谷区広尾の東京本部、豊中市の大阪精舎〔しょうじゃ〕、その他いくつかの重要拠点を持ち、さらにもう少し規模の小さい支部や布教所を各地に持っている。いくつかの重要拠点では、毎月のうち何日か、法要とともに「接心」が行われる。接心は、細かく分ければいろいろな種類があるが、とりあえず「向上接心」と「相談接心」とに大別できる。
 「向上接心」は大部屋で行われる。あらかじめ信者を円陣の形に正座させておいて、その輪の中に何人かの霊能者が入り「護身咒〔ごしんじゅ〕」と称するオマジナイを唱えて「入神」する。それから彼らが、信者の前ににじり寄り、一人あたり二、三分ずつ、霊感で感じ取ったことを「ご霊言」として語りながら巡回してゆくのである。信者は、霊能者から「あなたは、これこれの病気で亡くなったご先祖様がいませんか?」などと質問された場合だけ「はい」とか「いいえ」とか短く答えることが許されているが、自分から積極的に質問することは許されない。
 「相談接心」のほうは個室で行われる。易者が顧客を待たせておいて、一人ずつ部屋に呼んで相談に応じるのと似たようなものである。相談を求める信者の側から、かなり詳しく相談ごとの内容を霊能者に話すことが許され、霊能者はそれを聴き終わってから霊の護身咒で入神し、答えの「ご霊言」を語る。
 信者は、入信後五回以上、本部や一定ランク以上の支部での法要に参加し、「ご親教」と称する教主の講話を直接もしくはビデオで三回以上聴き、かつ「三つの歩み」のうち最低ひとつを実践すると、はじめて接心を受ける資格が与えられる。しかし、受け初めから数えて最初の五回のあいだは向上接心のみが許可され、相談接心は許されない。接心の「ご霊言」の中には真如苑独自の用語がポンポンとび出してくるので、初信者が理解できなかった場合に補足の説明を加える目的で、最初の三回の接心には導き親、または経親(両者がともに都合が悪い場合にはその他の上位者)が付き添うことになっている。
 信者に日常課せられている修行として、前節でも述べた「三つの歩み」の他に「無相〔むそう〕接心」というのがある。これは、接心の際に告げられた「ご霊言」を心の糧として日々自分で内省することを指す。「接心」はこのような「無相接心」を可能にするための修行の一環であると意味づけられているので、いったん受け始めたからには、一ヵ月に一回以上受けねばならないと義務づけられている。
[88]事情通 06/01/01 13:06 0T2iMtzV75
真如苑の組織と修行のあらまし(3)
 信者は、入信して「三つの歩み」に取り組み、「接心」を重ね、それにもとづく「無相接心」を行い、一定数の導きの子を獲得すると、「大乗の会座〔えざ〕」(略して大乗会〔え〕)と称する修行の場に臨むことが許される。これは、霊能者の指導のもとに行われるある種の祈りの行であり、「接心」をやや高級にしたようなものと思えばよい。この会座で霊能者によって祈りの境地の深まりを認定されると、「大乗」という名の「霊位」を授けられることになっている。
 その上にさらに「歓喜〔かんぎ〕の会座(歓喜会〔え〕)」「大歓喜〔だいかんぎ〕の会座(大歓喜会〔え〕)」があり、それぞれを通過すると「歓喜」「大歓喜」の「霊位」を授かる仕組みになっている。このような「霊位」は、伝統密教の血脈〔けちみゃく〕と同じで師から弟子へと直伝〔じきでん〕で伝えられてゆくのだとして、霊位の授受を真如苑では「霊位相承〔れいいそうじょう〕」と呼ぶ、そして、各ランクの霊位を授かるための会座を総称して「相承会座〔そうじょうえざ〕」と呼んでいる。
 個々人から見た場合、まず「大乗」を授かり、次に「歓喜」を授かり、さらに「大歓喜」を授かり、というふうにして霊位の階段を登ってゆくことになるが、このことを「霊位向上」と呼ぶ。「霊位向上」と「向上接心」とに同じ「向上」の語が使われていることからもわかるように、日常の「向上接心」は霊位向上の修行の基礎をなすものと意味づけられているわけである。
 「大歓喜」の霊位を授かった者のみが参座を許される最高の相承会座が「霊能発動修行」であり、この会座での修行をパスすると「霊能」の霊位を授かり、実際に霊能を持つようになると言われている。この段階で信者は初めて接心の受け手から授〔さず〕け手へと変身するわけである。しかし、霊能者の中にも細かくわけるとさらにランクがあり、向上接心のみを担当できる霊能者と相談接心を担当できる霊能者では、後者のほうがランクが上である。さらに、霊能者には、「霊能の鏡を曇らせないため」と称して、霊能者同士が互いに授け手、受け手になって行う「苑内接心」に、頻繁に参加する義務が課せられている。
 以上でわかるように、霊位の高低による地位体系と、経親とか部会長とかいう地位体系とは別立てになっているので、経親だから霊位も高いと決まっているものではない。しかし、霊位の前提となる相承会座への参座資格が「お救け」の人数によって定められているため、結果的には第一の地位体系の中での位の高低と、第二の地位体系の中での位の高低とは、ほぼ並行するようになっている。経親になる者は歓喜の霊位をすでに授かっているのが通例であり、部会長になる頃にはたいがい霊能者になっている、というぐあいである。
 これらの他に、真如苑の教団内での高位者は真言宗醍醐派から僧階をもらうという習慣になっているので、この「僧階」を真如苑内の第三の地位体系と考えることもできる。ただ、こちらの方は、前二者ほど教団内で重視されていないようだ。
[89]事情通 06/01/01 13:08 0T2iMtzV75
真如苑の組織と修行のあらまし(4)
 なお部会や経を通じての日常の信者指導と接心における霊能者の指導とは別立てになっている。自分の上位の経親がたまたま霊能者だからといって、接心においてもその経親たる霊能者から「ご霊言」を授かる、という形にはなっていない。この点は真如苑の特色として大いに注目すべきだろう。真如苑では、教えの実践のしかたに関する日常的な質問に対しては、経の中の上位者が信者としての常識を用いて「教化〔きょうげ〕」するが、少し重要な問題になると、経親から「接心を受けてみなさい」と勧められる。この場合、経親自身が霊能者であっても、直接、日常活動の現場で護身咒を唱えて厳かに「ご霊言」を発するということは、絶対にやらない(してはならないという規則がある)。被指導者は、次回の法要の日に、接心を実施している本部や支部などへ、朝早くから赴いて順番を取り、法要終了後に長々と待ったあとで、たまたまその順番に当たり合わせた霊能者から接心を授かり、それを、経親の日常指導よりはるかに高い「ご霊界」からの言葉として受けとめるのである。
 こうして授かる「ご霊言」は、「ご霊界」からの直接のお言葉であるから、担当する霊能者が誰であるかにかかわらず、必ず、その時の受け手に最もふさわしい言葉が授けられるのだと信じられている。
 稀には、そのとき当たり合わせた霊能者が偶然自分自身の経親だったという場合もあるかも知れないが、その場合、霊能者としての経親は、ご霊界の代弁者という資格で語っているわけで、日常指導における経親とは別人格と考えるわけである。
 これが真如苑の修行のあらましである。
 以上でわかるように、信者が霊能者になるためには、たくさんの「お救け」をして、霊位の階段を下から順に登ってゆかねばならない。しかし、ただひとつだけ、例外がある。それは、教主伊藤の子孫の場合である。教主の子孫の場合は、このような「自分でお救けして経の子を持って……」というような回りくどい修行は抜きに、いきなり霊能を開発することが許される。
 まさに家元制度そのものである!
[90]事情通 06/01/01 14:18 0T2iMtzV75
第二部 なぜいま真如苑が伸びるのか?
  第一章 オモテの理由とウラの理由
オモテの理由(前半)
 真如苑がどんな教団であるかの概略は、ほぼおわかりいただけたであろう。しかし、これまでの記述はあくまで外からの概観を述べたものにすぎないから、「なぜいま真如苑が伸びるのか?」という問題の答えは、これだけからでは得られない。これから真如苑の内面に立ち入って、その急成長の秘密を探ることにしよう。
 およそ新しく興った宗教運動が爆発的に成功し、信者を次から次へと獲得して巨大化してゆく場合、たんなる偶然だけでそこまでゆくとは考えられない。やはり、伸びるには伸びるだけの、ある程度は理にかなった必然性というものがあるはずである。
 むろん、当の教団自身に言わせれば「大いに必然性がありますよ」という答えが返ってくる。理由はと問えば「それは、わが教団の教えが正しいからですよ」ということになる。真如苑の場合で言うと「わが教団の教えがお釈迦様のご予言の実現だからですよ」とか「すべての宗教を摂受〔しょうじゅ〕する涅槃了義〔ねはんりょうぎ〕の教えだからですよ」とかいうのが具体的な答えである。
 だが、むろん、これは教団の掲げるイデオロギーであって、外部の人にとっては答えになっていない。我々は、こうしたイデオロギーとは別の次元で必然性を探究しなければならない。
 その際、まず第一に思い当たることは、入信する人々にとって何らかの現実的なメリットがあるのでなければ教団は伸びないはずだ、ということである。そして、第二に思い当たることは、いかにメリットがあっても、信者に課せられる負担がそれを上回るようでは信者が逃げてしまうから、負担がほどほどであることが必要だ、ということである。
 第一の点については、例のGLAが教祖の死後完全に停滞してしまった例が、ひとつの参考になる。GLAの教祖の「エル・ランティー」氏は、生前、自分の周囲の連中にある種の修行をさせて「過去世の言葉をしゃべる」という奇跡めいた技を身につけさせていたが、現実のご利益に直結する「憑依霊〔ひょういれい〕を取りはらう」技術については、誰にも伝授していなかった。そのため、教祖の死後、残された連中は、デモンストレーション用以外には役に立たない「過去世の言葉をしゃべる」技だけを身に着けた、ぱっとしない霊能者集団になってしまった。ひとことで言えば「ご利益がなくなってしまった」のだ。かくしてGLAは失敗した。
 この例からわかるように教団が伸びるには何らかの「ご利益を与える力」がないといけない。そして、その力を教祖だけが独占するのではなく、新しい世代に次々に伝授してゆくためのカリキュラムを整えておかないと、「エル・ランティー」氏の二の舞になって、教団の伸びは止まってしまうわけだ。
 第二の点については、実践倫理宏正会のような修養団体(「宗教類似団体」と呼ぶ人もある)が末端会員にやたらと普及用の機関誌を買い取らせ、戸別訪問方式で売り歩かせている例が、ひとつの参考になる。倫理を教えると言いながら、会員に機関誌買い取りの経済的負担をかけ、それによって本部が潤うというやり方には問題があると言わねばならない。宗教団体の中にも、教化用の新聞や雑誌をやたらと発行して、それらを信者に一人あたり十部も二十部も買い取らせて、その金で幹部がヌクヌクと暮らしている例がしばしば見られるが、このようなことを露骨にやっていたのでは、ご利益よりも負担の方が大きくなってしまうから、やがては信者がついてこなくなってしまうだろう。
 
[91]事情通 06/01/01 14:20 0T2iMtzV75
オモテの理由(後半)
 以上の二点を念頭に置きながら、真如苑の場合を振り返ってみると、確かに、この教団には大きく成長するだけの必然性がある、ということがわかる。
 まず第一に、「接心」によって「いまのあなたの病気は何々の障〔さわ〕りによるものです」というようなことを具体的に指摘できる力があるし、「障り」が具体的に判明したら、ちゃんと「お施餓鬼〔せがき〕」によって供養してくれる力もある。
 そればかりでなく、たとえ「障り」がまだ判明していなくとも、「抜苦代受〔ばっくだいじゅ〕」の力によって病気の症状などを軽くしてもらうことができるから、入信と同時に、他の教団では見られない顕著なご利益がある。
 第二に、真如苑は会費の負担が極端に低い。誰でも、ひとりの信者に「導き親」になってもらって、月額二百円の会費を、入信の月から年度末までの数ヵ月分払い込みさえすれば、信者になることができる。信者になれば月刊紙『内外時報』と季刊雑誌『歓喜世界』は無料でもらうことができる。とりわけ『歓喜世界』などは上質紙にカラーグラビアつきのまことに豪華な雑誌で、市販するなら一冊千円以上取らないと採算が合わないだろうと思われるぐらいの品物である。それに、真如苑では、他の多くの宗教団体のように日常の集会などの場で指導者が直接に寄付金を駆〔か〕り集めるということはない。寄付金はすべて自発的な誓約にもとづいて総本部や地方拠点の窓口に出せばよいのだから、あくまで本人の自主性にまかされているわけだ。
 こう見てくると、なるほど真如苑は「いいことづくめ」である。このような教団が伸びるのは当然のことだと思えてくる。
 実際、真如苑に入信して一ヵ月か二ヵ月のあいだは、誰でも以上のような「いいことづくめ」であることがこの教団の伸びる理由だと実感するものである。
 私自身、かつて真如苑に潜入してみた体験を持つが、最初の二ヵ月ぐらいのあいだは「なるほどこれは他の教団に比べると『いいことづくめ』の教団だ。これなら急成長するのもそれほど不思議ではない」と思い込まされてしまった。
[92]事情通 06/01/01 14:21 0T2iMtzV75
ウラの理由
 ところが、以上の「理由」は、実はまだまだ表面的なものである。誰でも真如苑に入信して半年ぐらいすると、そのことを思い知らされる。はっきり言えば、真如苑の表面的な「いいことづくめ」にはすべてウラがある、ということが、いやおうなしにわかってくるのだ。
 まず、「何でも答えてくれるありがたい接心」は、たんに信者の悩み事に解決を与えてくれる目的のためにあるのではなく、むしろ本当は別の目的のためにあるのであり、そうした「ウラの目的」との「抱き合わせ」を受け容れるかぎりで、悩み事の答えも得られるという形になっていることがわかってくる。
 また、「ありがたい抜苦代受」には必ず次のステップがあり、信者が次のステップへ進むのをためらっていると、指導者から脅迫めいた催促を受ける、ということもわかってくる。
 そして、会費が安いことや機関誌がタダであることは「ありがたい」どころか、むしろ、とんでもない「ウラの手」にひっかけるためのペテンだったということもわかってくる。
 ところが、実に憎いことには、信者がこういう「ウラ」を認識しうるほどになる頃には、すでに組織の中にがんじがらめに捕らえ込まれてしまっていて、なかなか脱けられなくなるようにできているのだ。まあ、言ってみれば、入信した人々はみんな「騙〔だま〕し討ち」にかけられるのだ。
 このような「騙し討ち」のシステムが巧妙に作られていて、外からは「ウラ」がほとんど見えず、一見「いいことづくめ」であるかのような印象を与えるようにできていることが、この教団が急成長する真の原因なのである。
[93]カルト弾圧 06/01/01 17:41 wHT4KlBt6q
元旦会行ってきた。全く意味が解らんかった。
ただ気分が悪いだけ。

意味が解らんとMCに嵌りようがないじゃん。
[94]カルト弾圧 06/01/01 17:45 wHT4KlBt6q
あと横スレ全部読んだけど明らかに被害者妄想強すぎ。

もともとの病気を苑のせいにしてんじゃねーよ、ヴォケ。


それと田舎。

両童子様が泣いてるぜ。
[95]講釈師 06/01/01 18:25 L58HgpHP6f
おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

新年早々、こんな事は書きたくはないのですが、
「コミニケーション不適格者」は鬱陶しいし、相手にしません。
[96]事情通 06/01/01 19:40 0T2iMtzV75
ご霊言は絶対の真理?(1)
 もっとも、かくもありがたい「接心」の「ご霊言」ではあるが、しょせんは人の口から語られる言葉であるから、全然ミスがないというわけにはいかないようだ。
 この点については、実際に信者だった人々の次のような体験談がある。
 私の知っている西村春子さん(仮名)という年配の女性は、中年以後、仏教のいろいろな方面に道を求められ、一応、ここ数年は念仏の道に自己の安心〔あんじん〕を見出して落ち着いておられた。たまたま旧友に真如苑に凝っている沢田道代さん(仮名)という人がいて、「お念仏のような道では本当の因縁切りはできないわよ」と言って真如苑をすすめにきた。お人好しの西村さんは、体の不調など現世的な面で多少の悩みがあったことも手伝って、ちょっとばかり念仏への確信が揺らぎ、ものは試しにと、勧めに乗ってみる気になった。ところが、入信すると、自分の因縁を解明してくれるより先に、「早くこの道をほかの人にもお勧めしなさい」と、例によって「お救け行」を命じられた。そこで、しぶしぶながら、自分と同じ念仏をやってきて行き悩んでいる人に勧めてみるのが近道と思い、同じ念仏の会で知り合った友達に手紙で真如苑を勧めてみた。
 その友達というのは川口良子さん(仮名)といって、西村さんと同年配の婦人だった。念仏で自分ひとりの心の安心は得られるものの、息子のノイローゼが少しもよくならないということに悩みを抱いていた。川口さんは西村さんからの懇切な手紙に感激し、二、三日後の法要の日に真如苑本部を訪れて入信の手続きを済ませた。
 しかし、翌日、再びお念仏の会の方に参加した川口さんは、ちょうど「お念仏ひとすじで確実に救われるのですから、ふらふらと脇見をしないことが肝心です」という先生の講話を聞くハメになり、まさに自分のことだと恥じ入り、現世利益を求めるあせりから信仰心をふらつかせた自分が悪かったと反省した。
 こういうわけで、川口さんは入信早々真如苑をやめると言い出した。こういう場合、川口さんを引きとめるのは導き親たる西村さんの責任ということになる。経親〔すじおや〕の指示によって、西村さんは、この「川口さんの信仰障害の件」について「教化〔きょうげ〕の接心」(導きの子をどう指導するかについて相談接心)を受けさせられることになった。
 ところで、西村さんや川口さんが通っていたお念仏の会というのは、浄土宗の中から明治時代に興隆した光明会〔こうみょうかい〕という会の流れを汲むもので、念仏三昧〔ざんまい〕の境地に入ることを主眼とするものである。同じく念仏の信仰と言っても、「信仰心さえあればよい」という浄土真宗の行き方とは対蹠的〔たいせきてき〕な流れである。
 相談接心の席で霊能者と一対一に対座した西村さんは、
 「お念仏の会で知り合った川口さんという方をお救けしたのですが、その方が、お救けした直後に『やっぱりお念仏のほうがいいからやめる』とおっしゃいまして……。そのお念仏の会というのは、もともと『お念仏ひとすじでよい』という、とても信念の固い会でして……」
 と事情を説明した。
 さて、それを聞き終わって護身咒〔ごしんじゅ〕を唱えて入神した霊能者は、「その川口さんの息子さんには、これこれの因縁が感じられる」とか何とか、いろいろ霊感で感じたことをしゃべったあげく、「しかし、あなた自身が不動の信念をもって臨めば、必ず、その川口さんを連れ戻して、正しい道を歩ませてあげることはできます」というような結びの言葉で接心をしめくくった。
 ところが、その「ご霊言」の中に、西村さんは、はっきりひとつの「ウソ」を見付けてしまったのだ。
 霊能者の「ご霊言」の中には、「確かにお念仏の信仰は信念が固い。特に真宗のお念仏の信仰は信念が固い。しかし……」という一節があったのだ。
 この体験が、西村さん自身に真如苑を疑わせるきっかけとなった。そしてしばらくの後、真如苑の金銭的要求にまじめに従っていたら大変なことになるということにも気付いた西村さんは、きっぱり真如苑と縁を切る決心をし、川口さんに宛てて「あなたのおかげで私自身も真如苑という迷いから覚めることができました」と感謝の手紙を送ったという。
 西村さんは笑いながら次のように語る。
 「真如苑の霊能者というのは、確かにある種の霊感を持ってはいますが、霊感で感じたことに、自分なりの常識で解釈を加えてしゃべっている場合が多いのです。霊能者の入神中の言葉をすべて『何もかもお見通しのご霊界が授けて下さる言葉』などと思ったら大まちがいですよ。あの時の霊能者の場合は『お念仏の信仰一本槍を主張する信念の固い宗派は浄土真宗だ』という社会通念が頭にあって、それを使ってしゃべっていたわけですよ」
 なるほど、これでは、時折「ウソ」が混じるのは当然のことだ。
[97]事情通 06/01/01 19:42 0T2iMtzV75
ご霊言は絶対の真理?(2)
 次のような実例もある。
 中国地方のある都市で予備校の教師をしている秋山博彦さん(仮名)は、昭和六十年二月に、予備校のもと教え子の若い女性から真如苑を紹介されて入信した。秋山さんは、宗教についてはもともとかなり詳しい人だった。真如苑以外の一般仏教の教学にもある程度通じていた。それだけに、無知な人々が真如苑の教義を絶対だと思って熱狂的に信仰する態度にはかなり違和感を感じ、足踏みしていた。
 入信から四ヵ月たった六月のある日の接心で、秋山さんは霊能者から「あなたは勉強が好きですね」と図星なことを言われた。秋山さんが「はい」と答えると、霊能者はすかさず次のように続けた。「それならば、来年の春には必ず智流院〔ちりゅういん〕に入るのだと、今から覚悟を決めて準備をしなさい。あなたならできます」
 これでようやくひとつの確信を与えられた秋山さんは、「自分は智流院で学んで教学的な面で真如苑に尽くす使命があるのだろう」と考え、智流院に入るための準備をすることにした。
 智流院に入るには「お救け五人以上」が条件になっている。そのため秋山さんは、それまでは遠慮がちにしか取り組んでいなかった「お救け」にも積極的に取り組むことにし、いろいろな人に機会をとらえてはかたっぱしから真如苑の話をしてまわった。とりわけ、不幸な死者を出した家や、重度心身障害児のいる家などに、積極的に話をもっていった。しかし、秋山さんのこの態度は、基本的に、人の不幸につけ込んで、自己の属する団体の勢力を伸ばそうとする意図が見え見えで、相手の反発を買っただけであった。周囲の人々は「秋山さんほどのインテリがなんであんなことを」と眉〔まゆ〕をしかめ、秋山さんは十月ごろには、すっかり窮地に追い込まれてしまった。
 さて、こうして秋山さんがゆきづまった十一月、智流院の昭和六十一年度生の募集要綱が発表された。その資格要件として「お救け五人以上」等の条件は前年度と同じだったが、新たに厳しい制限条件がつけ加えられていた。「昭和五十九年十二月三十一日以前に入信した人に限る」という条件である。志願者が増加したために新たに採用された制限条件であるというが、この条件によって、秋山さんは最初から資格なしということになった。
 つまり、「あなたならできます」という「ご霊言」は、結果的にウソを語ったことになったわけだ。
 「何もかもお見通しのご霊界」であるなら、智流院入行〔にゅうぎょう〕の資格要件が変更されることもお見通しでなければおかしいではないか!
 その後間もなく秋山さんは真如苑ときっぱり縁を切った。現在の秋山さんは次のように語る。
 「口はばったい言い方になりますが、私ぐらいに一般仏教を学んで、それなりの霊性のレベルに達している者にとっては、真如苑という集団は、霊性が低すぎて、学ぶに値しないのです。また、金銭的な面から見ても、とても私などのつきあいきれる教団ではありません。だから、『こんな教団は、つきあいきれる教団ではない』ということを早く知ることができたのは、よいことだったと思います。例の『智流院云々』というウソの『ご霊言』をいただいたおかげで、『お救け』に盲動して、組織の奴隷になること醜さを、わりと早く味わい尽くしました。だから、あの『ご霊言』がウソであったこと自体については恨みはありません。感謝しています」
 なるほど、妙な形で逆に感謝されるウソもあるわけだ。
 だが、いずれにせよ、「ご霊言」もしょせんは人の言葉だということが、おわかりいただけたであろう。
[98]事情通 06/01/01 19:43 0T2iMtzV75
ご霊言は絶対の真理?(3)
 もっとも、以上のような「ご霊言」のミスの例をわざわざ持ち出すまでもなく、「ご霊言」が半ばまで霊能者の人間的意識による判断にもとづいて語られていることについては、きわめてはっきりした証拠がある。
 その証拠とは、「初信者の第一回目から第三回目までの接心では、霊能者に対して、自分から何回目かを申告せよ」という規則が定められていることである。
 初信者の接心は向上接心であるから、霊能者は、円陣の中に入って一斉に護身咒を唱えて「入神」したら、あとは入神しっぱなしのはずである。この「入神」が本当に自我を没却しつくした境地であるならば、霊能者は「ご霊界」の意思を伝達する器になりきっていて、人間側の申告など聞こうと聞くまいとどちらでもよい状態になっているはずである。その霊能者が人間側の「一回目です」とか「二回目です」とかいった申告を待って語り出すということは、「入神」状態にあるはずの霊能者が、半ばは人間的な意識で判断しつつ「ご霊言」を語っていることの何よりの証拠である。
[99]白うさぎ 06/01/01 19:45 *mWed5hXHWmu*MEtbvJM7kK
事情通さま
ご紹介ありがとうございました。
内部からの観察力は、確かですね。

私も、今日は入力マシンしてました。
肩がこってしまって、全部仕上がりませんでした。
MCからさめると、入力しながら、突っ込みいれたくなってしまいました。
後日投稿します。
[100]事情通 06/01/01 19:51 0T2iMtzV75
前後してしまいましたが、
第二部 なぜいま真如苑が伸びるのか
   第二章 何でも答えてくれる「接心」
の冒頭は、次のような節から始まり、そのあとに「ご霊言は絶対の真理?」が来ます。

スーパーマンが五百人
 真如苑を他の宗教団体と比較した場合、まず第一の特徴として挙げられる事項は、何と言っても「接心の存在」であろう。真如苑自身、「真如霊能による接心が存在すること」を「『大般涅槃経』に依拠していること」および「伝統密教の血脈〔けちみゃく〕を相承〔そうじょう〕していること」と合わせて「真如苑の三つの宝」と呼んでいるし、信者必携小冊子『一如の道』の中でも「『真如苑の接心は非常な魅力である』という声がいよいよ高くなっている。まさにその通りである」(一六三頁)と自画自賛している。
 週刊誌などで真如苑が話題になる場合も、「霊能で何でもズバズバ当てるスーパーマンを五百人以上も抱えている超能力集団」とか「誰でもスーパーマンになれるというスゴイ教え」といったキャッチ・フレーズで紹介されることが多い。
 スーパーマンであるかどうかは別としても、この「霊能」が、常人ではなかなか手の届かないある種の特殊能力であることは本当のようだ。例えば、相談接心を担当する霊能者など、相談者と対座して「入神」すると、「火事のありさまが透視されてきます。あなたの父方の近いご先祖に火事で亡くなったかたがいらっしゃるはずです」などと言い出し、事実はそのとおりであった、という程度のことはザラにある。つまり、街頭の八卦見や手相見などよりはマシな能力を持った霊感術師的人物を教団が五百人以上も抱え込んでおり、さらに続々と後継者も育てている。
 新宗教の教団がその教団独自の霊感術を開発して活用している例としては、円応教〔えんのうきょう〕の「修法〔しゅうほう〕」とか、解脱会〔げだつかい〕の「五法〔ごほう〕」とかいろいろなものがあるが、真如苑の「接心」ほど組織的なものは他に例がない。その意味で、「接心」の存在は、たしかに、真如苑が伸びる大きな原因の一つと言うことはできよう。
 だいたい日本人の多くは占いめいたことがけっこう好きである。宗教を求める場合にも、高邁〔こうまい〕な教えと坐禅や念仏のような行だけでは飽き足りず、個別問題の霊感術的解決を同時に要求したがる。生長の家などは、新宗教の中ではわりと知的な階層を相手にして栄えている教団であるが、教祖の著作を読んで瞑想することだけが教えの内容なので、多くの信者はこれに飽き足りず、ウラで拝み屋や易者などに頼るという二重信仰に陥っている。
 真如苑の場合は教団自体が占い的霊感術を堂々と活動の中心に据えることで信者の欲求を全面的に満たし、教団一本槍ですべて事が済むようにはからってくれている。
 まことにありがたいかぎりである。
[101]一般人 06/01/01 21:04 On8LjAxv96
さすが事情通さん。
みなさまあけましておめでとうございます。雪積もってます。
スーパーマンになれるおしえ? 実質逆のような気がしますが。
[102]事情通 06/01/01 21:06 0T2iMtzV75
親切すぎるほど親切
 今をときめくアイドル女優の沢口靖子さんが、実は真如苑の信者だということは、今では多くの人々に知られている。彼女が女優になるにあたっては、真如苑の接心で示された通りに決断して、みごと「ご霊言」通りに成功したのだと言う。古来、人気商売の人というのは、商売の性質上、占いや霊能に頼りがちなもので、そのためか、真如苑には芸能人の信者が多い(目ぼしいところでは天地聡子さん、島田陽子さん、高橋恵子さんなど)。
 ところで、ふつうの常識人というものは、ある程度の年齢になれば、「人生においては、結局のところ、自分で決断して自分で責任をとるという行動を積み重ねてゆかないかぎり、自分自身の人間としての成長が期待できないものだ」ということに、気が付くものである。むろん、人生のある特殊な局面においては占いや霊能が有意義な場合もある。だから、そういうことを「なりわい」にする人も世の中にいてよい。しかし、人生上で遭遇〔そうぐう〕するあらゆる重要事件について、右するか左するかを、占いや霊能に頼って決めるというのでは、何のために人としてこの世に生を享〔う〕けたのかわからない。
 人生にはむろん失敗もある。が、失敗を糧として自分の成長に生かす心がまえがあれば、失敗もまた生きる。長い目で見た場合には、そうした「生かせる失敗」を犯した場合の方が、そうでない場合に比べて成長が早い、もしくは人間が大きくなる、ということがあるものだ。宗教心を持つことはよいことだが、それは、基本的には、「深く祈った後に自分で決断する」という形で発揮されるべきものだ。深い祈りの中から決断した行動であっても、むろん悪い結果を招くことがあるかも知れないが、そういう場合には、そうした悪い結果を通じて人生勉強するのが自分の使命なのだと思って納得することができる。
 しかし、真如苑ではこういう人生観は認めない。人生百般、何でもかんでも接心で解決うすることこそが「み仏さま」のみ心にかなう、という考え方なのだ。
 その結果、真如苑の信者は、進学、就職、縁談、新築などの人生上の重大事ばかりでなく、短期のアルバイトの選択、職場での商品仕入先の選択、隣近所とのつきあい方、といった細かな事項まで、すべて接心を受けて決めるようにと指導される。研究職の人などに対しては、どういう方向に研究を進めたらよいかも接心で決めなさいと勧められる。まことに、親切すぎるほど親切である。
 「それによって、職業の方で迷わずに最短コースを進むことができて時間が浮くから、それを肝心なみ教えのために捧げることができて、世のため人のために尽くせますよ」というのが、その理由である。
 しかし、このような人生観というのは、どこか根本的に狂ってはいないだろうか? 人間が職業人として生きている以上、その職業自体の中でいろいろ意義ある失敗をしてみて、そこから学んで向上してゆくというのが、その人の人間的向上の最もまっとうな本道ではないだろうか? その本道をすべて要領よく「ご霊言」の指示通りにはしょって最短コースで済ませるということが、はたしてその人自身の人間的向上にとってプラスであろうか? ―これは、多少なりともまともな人生観、宗教観を持っている人間なら、当然感じてしかるべき疑問であろう。
 そもそも真如苑という団体は「世界中の人間がわが教団に結ばれることによって理想郷が実現するのだ」といったきわめてオメデタイ社会観以外に、社会観と言うべきものを持たない団体であるが、仮に彼らの理想が実現する日が来ると仮定してみよう。
 その暁には、当然、世界中の人類がひと握りの「霊能者」のもとに通って、あらゆることを「ご霊言」の指示どおりに実行して、人生そのものをはしょって生きてゆくことになる。「人生そのものがはしょられてしまった人類社会」というものは、常楽我浄の浄土どころか、手塚治虫のマンガに出てくる「ロボットだけの社会」とまさに同じものであろう。想像するだけでも空恐ろしくなる。
 最終的にはそうした空恐ろしいSF的社会の実現までゆきつかざるをえないような道を、自分の人間的向上の最短コースなどと考えることは、常識ある人間にとっては無理なことではないか?
 しかし、こうした疑問に対しては、真如苑の指導者は何らまともに答えない。
[103]一般人 06/01/01 21:08 On8LjAxv96
みなさま健康第一で。
ひじき、季節の野菜、そして太陽光の下での適度な運動。健康お宅より。
[104]偽の気配 06/01/01 21:33 *CKoaqNDPhmA*SmIXbc7mwk
苑事務局員は年末にも、お下劣な書き込みをのこしていたんですね。
品はないわ、話に中身はないわ、批判者の批判に対してまるで答えられないわ、自らの能無しぶりをあらわにするばかりですね。
まぁ、それが真如苑ということなんでしょうけど。

スレ建立、ありがとうございます。
[105]傲れるもの久しからず 06/01/01 21:43 *tTpnNxiREwg*oeca9xal4/
事務局は情報漏れでこれからガタピシするでしょうね。
[106]事情通 06/01/01 22:34 0T2iMtzV75
変化エージェントとしての霊能者(1)
 前に紹介した白水寛子氏の論文の題名は「変化エージェントとしての新宗教の霊能力者」となっている。「S教団」なる新宗教教団の「霊能者」なるものが、いかなる役割を果たす存在であるかを研究したケース・スタディーであるという。儀礼上「S教団」という仮名が使ってあるが、これが「真如苑」であることは公然の秘密であって、いまさら隠し立てする必要もない。
 この論文の結論の部分を次に引用してみよう。
 「さて、S教団の霊能力者についてあらためて考えてみると、彼らは教義的には接心において、霊界からの霊言を伝えるという一次的≠ネ役割をもっていた。そして一方では教育的、指導的役割をも二次的≠ノ持っていたのである。こうしたことから、霊能力者はface-to-faceの接触を通じて教団の教義を信者に内面化させ、ひいては信者をも含む教団全体の凝集性を高めてゆくところの、変化エージェント(change agent)であるとみなすことができよう。
 そしてこの変化エージェントは教団内で、様々な教義的、組織的制約のなかで育成され、かつ行動する存在ゆえに、その性格は体制的であり、信者の態度をさらに強く体制(教団)へ結びつけるという特徴を持っているのである」(『変動期の人間と宗教』八九頁)
 「変化エージェント」という専門用語には、注の中で次のように定義が下されている。「その所属する機関が望ましいと考える方向に向って、集団成員の態度を変化させようと試みる専門家である」
 なかなか要点を突いた結論であると思う。
 前に、真如苑ではやたらと何でもかんでも接心で決めるよう指導されるということを明らかにした。こうした「親切すぎる」やり方は、ちゃんとウラの目的があってのことなのだ。それは、およそ接心なるものは、どんな現世的な卑近な物事についての相談接心であっても、必ず「教え」を「歩む」ことと関連づけた形で答えが与えられる仕組みになっているからである。言いかえると、信者の霊能相談的関心をうまくエサで釣って、「教え」の方向へ釣り上げるという役割が、相談接心に期待されているのである。
[107]事情通 06/01/01 22:36 0T2iMtzV75
変化エージェントとしての霊能者(2)
 実例をお話ししよう。
 ある信者が親類づきあいのことで少し困ることがあって、相談接心を受けた。その親類というのは、たまたま創価学会の会員であった。そこで、その信者は、接心に先立って、そのことをも霊能者に申し述べた。
 さて、例によって霊能者は「ゴシンサンゲ、カジハチマンシセン、モウケツクヨウ、……オンバーサラサラ、トシャコク」と「護身咒〔ごしんじゅ〕」を唱えて「入神」し、その親類とのつきあい方についていろいろ有益な指示を与えてくれたが、それに加えて、「あなたは導き親さん、経親さんの言うことを素直に聞けていますか?」という「ご霊言」が、まことに威厳ありげな口調で霊能者の口から飛び出してきた。
 どんな信者でも、まともにこう問い詰められれば「全部素直に聞けています」とは言いかねる部分を持っているものだ。
 そこでその信者は「聞けていない部分もあります」と正直に告白したのだが、「ご霊言」は、その答えを待ってましたとばかり、次のように厳かに続いたのであった。
 「そうでしょう。あなた自身の中に、教えに素直になりきれない、浄まらない部分があるのです。それだから、それに感応する形で、そういう邪宗〔じゃしゅう〕(創価学会のこと)の影響が、あなたの身辺にちらちらと漏れ出してくるのです」
 そして、最終的結論は次のようなものであった。
 「あなた自身がもっと向上して、自信をもって教えを語れるようになれば、その暁には、あなたの側からそのご親類の方に積極的に近付いて行って、真如のみ教えの中に摂受〔しょうじゅ〕してさしあげることができます。今回の問題の最終的解決も、そういう方向に歩んだときに、初めて得られるでしょう。しかし、今はまだ隠忍自重する時です。そして、不動の信念をもって霊位向上に取り組んでいって下さい」
 ……とまあ、こういうのが「変化エージェントとしての霊能者」の典型的なセリフなのである。
 導き親とか、経親とかいっても普通の人間だから、それらの人達の日常の指導に対しては、「そんなこと言ったって……」という疑問や反発の心が、時折、頭をもたげることは避けられない。そこで、そうした日常的指導に対して、「ご霊界」からの絶対の「ご霊言」という形で、接心の場を使って、補完とダメ押しが行われる仕組みになっているわけである。
 また、次のような例もあった。ある人が、これも人づきあいの場での悩みを相談接心に持ち込んだ。その人の家が、今は没落しているが、昔は地方の名家であり、その家名の知名度を他人に利用されてしまったのが、今回の事件のそもそもの発端であった。
 接心に先立って、その信者がそうしたいきさつについて申し述べると、入神した霊能者は、事件の解決方法についていろいろ指示を与えた後、次のような「ご霊言」を語った。
 「名家であるということは、それだけ因縁も深いということです。あなたのご先祖様が財を成し立派なおうちを作っていった陰には、知らず知らずに人を泣かせてしまったこともあるのです。そうした因縁を一つ一つ浄めてゆくために、ご先祖様の大きな期待を担って、今、あなたが真如のみ教えにめぐり会うことができたのです。そのことをよくよく自覚して、教主様に対して一如の信を貫いていって下さい」
 ……とまあ、こういうぐあいである。
 「あなたの家は立派な家だ」とおだて上げておいて、「だからこそまた因縁も深い」として、「因縁切り」のためのさまざまな商品を買わせるのが、このごろはやりの「霊感商法」の常套〔じょうとう〕の手口だが、同様な論法は、真如苑もまた好んで使うのである。
 「あなたがこのみ教えにめぐり会えたということ自体が、このみ教えでなければ浄められない因縁があることの証拠であり、多くのご先祖様の期待を担〔にな〕ってあなたが今ここに立てられていることの証拠だ」という形で「教えに出会ったありがたさ」を強調するのは真如苑の定石〔じょうせき〕であり、「教義」と言ってもよい。こうした「教義」が、厳かな「ご霊言」の形で語られることによって、信者個人の内面的確信へと転化されてゆくのである。
[108]カルト弾圧 06/01/01 23:02 C4XlsAgduG
両童子さまが、俺がここに顔出してるの知ってるみたいでな。

「お父さんの弟子を絶対に見捨てない。僕達は待ってるから」と聞こえた。

後は気分が悪くて全然だった。

田舎、お前みたいなどうしようも無い奴でも見捨てられてないらしい。
[109]事情通 06/01/01 23:25 0T2iMtzV75
卓抜した霊能者統御法(1)
 白水寛子氏は、真如苑の霊能者がきわめて「体制的」な性格を持っていることに注目しておられる。そして、そうなる原因の多くを、霊能者の育成方法に帰しておられる。大乗、歓喜、大歓喜という階段を登りつめなければ霊能発動修行に参加できないこと、「お救け」を中心とする日常的活動に積極的に取り組んでいないと相承会座〔そうじょうえざ〕への参座資格を認められないこと、霊能者になってからもいろいろなランクがあり、不断の向上への義務を課せられること、苑内接心に頻繁に参加する義務があること。これらがそうした「諸原因」をなしている、というわけである。
 確かにこれは当たっている。が、それと同時に、真如苑の組織構成の巧妙さに、もう少し着目すべきではなかったかとも思われる。
 霊友会は、それ自体、今でも有力な新宗教教団のひとつであるが、立教当初から昭和二十年代にかけて多くの分派教団を出し、分派の頭〔かしら〕になった反逆者たちのためにさんざん教勢を食い荒らされたことで有名である。中には、立正佼成会のように、親よりも大きくなってしまった反逆児もある。
 霊友会がこのように多くの分派を出した原因は二つある。第一は、霊能者の養成術が制度化されておらず、末端信者でも神がかったことをしゃべり出せばたちまち権威者になれるといった安直さが、教団全体に充満していたことである。第二は、支部の独立性が認められていたことである。
 霊友会では、支部を指揮する人間は、自分自身の導きの系列につながる信者を、すべてその支部に属する信者として掌握することが認められていた。その結果、支部長が教祖に反逆しようとすると、支部に属する信者全員を引き連れて「今日から別教団を組織する」と言いさえすれば、即日可能だということになる。このことが多くの分派を生んだ。
 これに対して真如苑の場合は、総本部以外の重要拠点は、きわめて限定された地位しか与えられていない。総本部の他に東京本部、茨城本部、九州本部、関西本部、大阪精舎等の重要拠点があり、さらに「支部」とか「道場」とか「布教所」とかいったさまざまなランクの拠点があるわけだが、これらの拠点に専属する信者というのは一人もいない。拠点の管理者は、徳川時代の行政制度でたとえれば「大坂城代」のような「役人」であり、自分の領国の真ん中に居城を構えている「大名」とは違うのである。拠点はあくまで信者の集まりの場所である。信者の系列組織である経や部会自体は、すべて立川の総本部に直属し、総本部の命令一下動くようになっているのである。
 このように、信者の系列組織と地方拠点とが分離されていることが、組織上の安全装置の第一である。さらに、これに加えて、前にも述べたように、信者の系列組織を通じての日常指導と接心での霊能指導とが分離されているのが、安全装置の第二である。
 このことによって、信者と霊能者との関係は「総当たり制」になる。このため、特定の霊能者が自分の輩下の信者に自分に都合のよい「ご霊言」を与えて彼らを自分の子飼いにしてしまおうとしても、絶対に不可能なのである。
[110]事情通 06/01/01 23:27 0T2iMtzV75
卓抜した霊能者統御法(2)
 こうした真如苑の組織が、多分に霊友会の失敗から学んだ結果作られたものであることは、かなりの確かさで推定できる。というのは、信者必携小冊子『一如の道』を見ると、昭和三十年以前には十数ヵ寺の末端寺院で一週間に一回ずつ接心修行を実施していたのを、昭和三十年から総本部での修行一本に絞ったという記述が見出だされるからである(一九九頁)。昭和二十年代の真如苑の「末端寺院」は、どうやらそこの管理者自身が自分の系列に属する信者をそこの寺の所属として掌握する形のものだったらしい。さらに、その管理者自身が霊能者の場合は、自分が一手引き受けで、自分の寺に集う信者たちに接心を授けていたということが、文面に明記されている(一九八頁)。これはまさに霊友会方式であり、末端寺院の管理者が霊能者になりさえすれば、いつでも独立が可能な体制である。伊藤は、霊友会の失敗を見て、かつ自分自身も「まこと教団事件」で足元に火がついて、あらためて組織の不安定性を痛感し、大改革に踏み切ったのであろう。
 なお、現在では、接心を実施する場所は、総本部の他に、東京本部、大阪精舎、九州本部など、多少拡げられてはいるが、依然厳しい「絞〔しぼ〕り」がかかっている。このおかげで、信者にものすごい旅費の負担がかかっている。その犠牲をも顧みずにあくまで厳しい「絞り」をかけ続けようとする教団の態度を見ると、教団が、特定小地域の霊能者とその地域の信者との間に固定的な関係ができることを、いかに強く警戒しているかがわかる。
 ともあれ、こうしたきわめて人為的な技巧によって統御されることによってはじめて存立しているのが、絶対と称する「ご霊言」なのだ。
 しかし、このことを逆に考えると、真如苑が誇る「接心」なる秘儀は、確かに誇るに値する優れた秘儀であるとも言える。つまり、この「接心」なるものは、たんなる占い師的能力の訓練だけでは作り出せない組織的要素と結び着くことによって、教団の急成長のための大きな力となっている。
[111]ゴーストバスターズ 06/01/01 23:29 *6jmzf5MbN.s*GoRGEoUS
[108]カルト弾圧=幽霊さんも、ついに幻聴・幻視がおこりはじめましたかね?

「両童子さま」
「お父さんの弟子を絶対に見捨てない。僕達は待ってるから」


これでは、あんたが熱烈な信徒っていうのがばればれだねぇ

よっぽど田舎さんの書き込みが的を得ているんだね?
ずいぶん眼を着けているみたいだからね。
危険視してるっていうことかな?
誰の指令をうけてる?
いいのかね、走りすぎて。

[112]カルト弾圧 06/01/01 23:32 X7rdzFGEjN
白うさぎってこんな誓いを立ててたらしい。

私も、2度も寒修行のプルーフで、「伊藤さんの良い弟子になり、霊能者目指して精進します!」ってお誓いしてしまいました。


こいつ人間として信用できねーな。

嘘つきだ。
[113]ゴーストバスター001 06/01/01 23:36 *OVWLQBMC510*SmIXbc7mwk
バカのひとつおぼえってこれかぁ。

コピペしてまわってるんだなぁ。

ボキャヒンって効いていたけど、本当だね。
大丈夫だよ、あんたのほうが信用できねーしさ。

まぁ、これまでも誰からも信用されなかっただろうけどね :-)
[114]カルト弾圧 06/01/01 23:39 X7rdzFGEjN
ゴーストバスター001

なんか信用できる話の一つもしてみろよ。

しなきゃただのアラシだぜ?

ゆず同様、本当っぽい嘘ついたら?
[115]ゴーストバスター004 06/01/01 23:43 *RNAJmjg88oK*SmIXbc7mwk
かわりに、してやるよ、信用できる話。

幽霊=カルト弾圧は、うそつきだ。

どうだい、すごく信用できるだろう?

苑の鏡のような、っていう形容詞でもつけるかね?
[116]カルト弾圧 06/01/01 23:51 X7rdzFGEjN
ゆずは自分が歓喜を相承したと言いながら相承会座のシステムもろくにしらなかった。

ここに来る素人を純粋に騙そうとしたよな。

さて、俺はどんな嘘をついたのか?

端的に指摘してみろ。

出来なければ貴様の誹謗中傷にすぎない。

ってかまちがいなく誹謗中傷だがな。

問題が大きいので全板に載せる。
[117] 06/01/01 23:58 nDvOFxSuxI
事情通さま

あけましておめでとうございます。「水ぶくれ真如苑」からの引用をありがとうございます。
すごい「おとし玉」ですね。とても納得の行くことばかりで、私も苑に勧誘される前に
「水ぶくれ真如苑」を手にしていたらよかったのに、と思います。
[118]カルト弾圧 06/01/02 00:07 X7rdzFGEjN
茜さん

俺は真如苑に行ってみてここの奴等が被害者妄想で語ってるという心証を強めたよ。

アンタも一人前の人間なら自分の目でたしかめな。

ここは嘘つきばかりなのは既に俺が証明したろ。
[119]カルト弾圧 06/01/02 00:47 X7rdzFGEjN
詐欺師 ゆず と白うさぎ のカキコも楽しみだな。

嘘を堂々と突き通す腕前は真如苑に負けてないからな。

はやくカキコして欲しいなぁ〜〜〜
[120]傲れるもの久しからず 06/01/02 00:51 *tTpnNxiREwg*oeca9xal4/
>[119]カルト弾圧

悪いことは言わない。自分の住所に帰りなさい。
○○ちゃんのメッセージの心を読みなさい。
書きたければ幽霊スレだけにしなさい。
よければ私もそこへ行くよ。
○○ちゃんはまだ何も知らないよ。
[121]カルト弾圧 06/01/02 01:03 X7rdzFGEjN
>傲れるもの久しからず

ふざけろ。ここの嘘だらけのカキコをスルーしろってか?

俺は確かに卑怯者だがそこまで腐ってない。

白うさぎやゆずみたく腐り果てた奴を糾弾するよ。

じゃまするな。

お前も知ってるだろう。

白うさぎは元々もってた病気を苑のせいしてること。ゆずにいたっては話の全てが嘘だという事を。

お前はそれをかくしたいのか?

ここを訪れる人間に真実を伝えないつもりか?
[122]田舎 06/01/02 01:14 *FJ3l3fZ7TR6*E-gbvGy
幽霊、悲しいなお前
[123]傲れるもの久しからず 06/01/02 01:19 *tTpnNxiREwg*oeca9xal4/
>[121]カルト弾圧 06/01/02 01:03 X7rdzFGEjN

君は本当の幽霊君ではなくて騙りの事務局員かな?
○○さんの気持ちを思いやれないとはね。
幽霊君は下っ端だから罪をかぶせて切り捨てるのか。
これは私の推測にすぎないが…。
○○さんが悲しむことは間違いない。
[124]カルト弾圧 06/01/02 01:25 X7rdzFGEjN
>○○さんが悲しむことは間違いない。

悲しんだのはここの情報を信じた俺だよ。

ゆずも白うさぎも、大詐欺師だった。


>君は本当の幽霊君ではなくて騙りの事務局員かな?

お前ら弱虫は俺に事務局員であってほしいと思うんだろうが、残念ながら真如苑はまったく相手にしてないよ。事務局に「ネット対策班ってあるんですか?随分、酷いことかかれてるようですが?」ときいたが「そうですか。いろんな方がいらっしゃいますからね」とだけしか返事が返ってこなかったぞ。

浄財で人件費出してるんだ。こんな誹謗中傷相手するかよ、あふぉ!
[125]カルト弾圧 06/01/02 01:35 X7rdzFGEjN
ここの板の中心人物、ゆずは身内に霊能者が2名いて自らは歓喜霊位を相承したと主張しているが全て嘘であると認めた。

また、もう1人の中心人物 白うさぎは鬱歴2年10ヶ月、PTSD歴2年半と主張しているが苑とは関係のない自らの持病である。

どちらも自分の利益が自分の思うとおりに叶わなかった恨みからこのような板をたて、初心者を迷わしている。

私も騙されかけた1人である。

この板の情報の半分以上が嘘であることをあらかじめ警告しておく。
[126]造反者 06/01/02 08:03 *hggSSIqv5lK*E-zWX6q
真如苑の個人情報については、総本部庶務課のKまでお問い合わせ下さい。
[127]事情通 06/01/02 08:35 0T2iMtzV75
第二部第三章 洗練された説得術

際限なく湧き出してくる「因縁」(1)
 前章では、真如苑の誇る「接心」なる霊感術が、たんなる占い的霊感術ではなく、信者に対して教団への忠誠心や布教の使命感を植え付ける「変化エージェントの技術」であることを明らかにした。次に、それとの関連で、接心以外の日常指導の場で使われる真如苑特有の説得術についても触れておくことにしよう。真如苑は、新宗教の中では歴史の古い教団だけあって、この面でもなかなか洗練された技術を開発している。
 他の教団でもおなじみの通り、真如苑でも信者の体験発表がしばしば行われる。「真如苑の教えを信じて『歩ん』だ結果、これだけ救われた」といった発表である。真如苑ではこれを「プルーフ」と呼ぶ。真如苑の教えが正しいことの「証明」だというわけだ。
 この「プルーフ」は、教団内部の人間にだけ聞かせるものである。そのためか、未信者向けに語られる単純なご利益〔りやく〕話とは、ひと味違った報告であることが多い。予備知識のない人がいきなり聴くと頭がこんがらかるような、独特の「複雑さ」があるのだ。しかし、何度か聴いてみると、この種の体験談の「複雑さ」には、だいたい決まったひとつのパターンがあることがわかってくる。
 「最初一度『抜苦代受〔ばっくだいじゅ〕』で救われたあと、『歩み』を怠ったため懲罰〔ちょうばつ〕的な苦しみを経験し、再び『歩ん』で救われ、そのうちまた甘えて『歩み』がゆるんだ結果『因縁』が芽生えてきて苦しみ、今度こそ思い切って経親になる『立願〔りつがん〕』(信者が教えの実践目標として立てる誓い)を立てて歩み直したところ、こんなに救われた」―というような、二転、三転ぐらい「歩み」と「苦しみ」が交互に現れているのが、決まったパターンなのである。
 こういう体験談を聴いて「なるほど、教えを歩むのは厳しいことなのだな。自分も、抜苦代受に甘えることなく、今日のプルーフの人に負けないようにしっかり歩もう」と決意を新たにするのが「期待される信者像」なのである。
 ところが、私のような常識人は、教団に潜入してこの手のプルーフを何度か聴くうちに、むしろ「これはあやしいぞ」と眉〔まゆ〕に唾〔つば〕をつけたくなってくる。
 まず第一に、苦しみが来て、なんとか乗り越えて救われて、やがてまた苦しみが来て乗り越えて……ということが何度も繰り返されるということは、これらの「歩ん」だ人の人生も、私達のふつうの人生と別段変わりがないということではないか?
 そして第二に、こうしたプルーフをする人達は、たいがい、何十世帯も「所属」を持っているきわめて積極的な信者である。ところが次章で詳しく明らかにするように、ネズミ講型教団の常として、信者みんなが何十世帯も所属を持つような状態には、なれないのが当たり前なのである。プルーフをやっているような連中というのは、ごく一部の例外的成功者なのだ。それほどの例外的成功者にしてなお、苦しんでは乗り越え、苦しんでは乗り越えの連続であるというなら、そんなにたくさん所属を持つようなところまで進めないふつうの信者は、いったい救われるのか?
[128]事情通 06/01/02 08:37 0T2iMtzV75
際限なく湧き出してくる「因縁」(2)
 プルーフの中では「しばらく歩みが止まっていると、これこれこのように因縁が芽生えてきて苦しい状態になり、経親さんからも叱られ、接心でも示され、覚悟を新たにして歩み直し、新たに一年間十世帯のお救けを立願し……」といったパターンの話が語られ、「例外的成功者」たちがいかに常識はずれの狂奔〔きょうほん〕ぶりで「お救け」をやったかがよくわかる。だが、このことは、逆に言うと、これらの「例外的成功者」の場合だけ、たまたま、そうした狂奔が許されるような環境条件があったということだ。多くの一般信者は、これと同じ段階で「もはやこれ以上お救けなどできない。これ以上教団活動にのめりこむことは周囲の事情が許さない」というのっぴきならぬ状況に立ち至り、ついには真如苑を離れざるをえなくなるのではなかろうか?(事実、息子の病気を治したい一心で真如苑に入ってずいぶん熱心に「歩ん」でみたものの、やがてこうしたのっぴきならぬ状況に立ち至り、ついにやめざるをえなかった人を私は知っている)
 結局、この手のプルーフというものは、常識人が聴けば、「これでは、真如苑における救いというのは、たくさん所属を持って、無限に教団活動にのめりこみ、無限に忙しくなってゆくところにしか、ありえないということではないか。もしも、こんなものが人間にとっての唯一の救いのありようだというのなら、人間ほど悲惨なものはないではないか」という、深い疑問を感じざるをえない。
 しかし、聞きようによっては、このプルーフこそまさに「語るに落ちる」の典型だとも思えてくる。真如苑が「因縁」についてのいかなる説得術を用いて、信者の心を繋〔つな〕ぎ止めようとするかの「手の内」が、このプルーフを通じてスケスケに見えるという感じがするのだ。
 後に、第三部のなかの「因縁」のところで詳しく明らかにするが、真如苑の因縁論というのは、仏教本来の宿業〔しゅくごう〕論とは異なり、「先祖の因縁が子孫に現れる」という日本的な俗説の立場に立つものである。この因縁論は悪用する気になればきわめて便利なものだ。先祖が無限にいる以上、一人の人間に降りかかってくる因縁も無限だということになる。ふだんは人間の潜在意識層に沈潜している「因縁」が、病気や事故や生活苦の形でその人の身辺に直接現れてくることを、真如苑では「因縁が芽生える」と言うが、芽生える可能性のある潜在的な因縁は無限なのだ。だから、信者がいくら「因縁切りに努めました」と訴えたところで、次に起こった不幸な事態については「まだ芽生えていなかった別の因縁が芽生えたのです」と言いさえすれば、説明がつくことになる。
 こんなふうにして、「因縁の解明」という持ち駒を小出しに使いさえすれば、「ご霊界」は、いくらでも信者を「まだだめ、まだだめ」と言って引っ張って、教団活動に深入りさせることができる。「歩ん」でも「歩ま」なくても、結局のところは同じ程度の幸と不幸のとり混ぜを経験させられているのに、本人はそれに気付かず、「ご霊界」のお力によって因縁切りの歩みをさせていただいたおかげで大難を小難で済ませていただいた、と思い込んでしまうのだ。
 こうした「手の内」が読めないタイプの信者で、かつ、どこまでも教団活動に深入りすることを周囲の環境が許すような信者だけが、「期待される信者像」として教団に残ってゆくことになるのであろう。

[129]事情通 06/01/02 09:48 iT56loqtUO
疑問はすべて「障害霊のせい」(1)
 前章の「『ご霊言』は絶対の真理?」の中に出てきた西村春子さんの話を補足しておこう。
 西村さんが手紙で真如苑を勧めた相手である川口さんは、真如苑に「入信」した翌日、お念仏の会に出席して反省するところがあり、「真如苑はやはり、やめさせていただきます」と言いだした。川口さんからそういう「断り電話」を受けた沢田さん(西村さんの導き親)は、さっそく経親に電話を掛け、指示を仰いだ。その時、経親が開口一番言った言葉は「障害霊が入りましたね」という言葉だった。
 およそこの種のケースにおいては、真如苑の解釈というのは定形化している。まず第一に「川口さんの今までの信仰であるお念仏の会の背後霊が、川口さんを自分のもとから離すまいとして妨害している」というのだ。そして第二に「川口さん自身にまつわるいろいろな因縁が、正しい道に目覚めて歩もうとしはじめる川口さんを、浄まらせまい、幸せにさせまいとして、妨害してくる」というのだ。
 前者の「背後霊」と後者の「因縁の霊」とをひっくるめて「障害霊」と呼ぶのである。そして、真如苑は密教であるから、そういう目に見えない「密なる」力の正体や所在を見抜き、それを浄めることができるのだ、と説くのである。およそ真如苑以外の霊的、宗教的なものは、どれもこれも「浄め」の対象と考えているのだ。
 だが、事態を素直に見るならば、川口さんが真如苑に「入信」した翌日に思い直して「お念仏ひとすじ」に立ち帰ったのは、川口さん自身の機根〔きこん〕もしくは縁の問題と言えよう。川口さんにとって真如苑という教団に結ばれ続けることはふさわしくなかったから、自然のなりゆきとしてそのようになったのだ。
 人がどういう信仰に導かれるかには、深い深い宿世〔すくせ〕の縁というものがある。本当の仏教徒は、こうした宿世の縁の深さに謙虚に頭をたれることを知っている。仏教に八万四千の法門があるのも、こうした宿世の縁や、その時その時の個々人の機根に多様性があることに応じた、み仏の深い慈悲の計らいなのだ。
 しかし、真如苑では、およそいったん信者になった者が真如苑に疑問を持って退会したいと言い出した場合、絶対にこれを縁の多様性によるものとは認めない。必ず、その人を正しい教えから引き離そうとする「障害霊」なるものが存在すると想定する。これは「教義」と言ってよい。
 教団はなぜこの点にかくも固執するのか? その理由は見えすいている。第一に、このようにしておけば、「やめたい」と言い出す人間が一人出るごとに、その導き親に「教化の接心」を受けさせることで、確実に二千円の収入が上がるし、さらにその接心の中で「障害霊に対するお浄め」を指示すれば、護摩〔ごま〕料が一万円やそこらは(一回二千円×数回分)確実に入るからである。そして第二に、「教化の接心」の中でおどろおどろしい「障害霊」なるものを示すことにより、接心の受け手に、「自分も気をゆるめたらそういう恐ろしいものに冒〔おか〕されるのだ」という恐怖感を与え、気を引き締めさせることができるからだ。
 人間というものは、いろいろな経歴を持ち、いろいろな関わりの中に生きているから、その人の過去の中から何か一つの事柄を捜し出してきて「これがあなたの信仰に対する障害として働いています」と言えば、多少もっともらしく見せることはできる。そして、真如苑の霊能者というのは、そうしたこじつけの材料を霊感的に捜し出すぐらいの能力は持っている。だから、霊能現象について経験の浅い人は、「何もかもお見通しの真如霊界」には隠し立てができないなどと思って、ひれ伏してしまうのだ。だが、ある程度宗教に詳しい人を、こんな子供だましの手でダマすことはできない。
[130]事情通 06/01/02 09:49 iT56loqtUO
疑問はすべて「障害霊のせい」(2)
 ひとつの例として、これも前に出した予備校教師秋山博彦さんの後日談を紹介しておこう。秋山さんは「智流院云々」の「ご霊言」のウソに気付き、きっぱりと真如苑をやめる気になって、導き親たる元教え子の若い女性に連絡したわけだが、むろん、導き親の方はそのままでは済まない。経親からさっそく「教化の接心」を受けなさいと命令された。接心では例によって「障害霊」が示された。霊能者が言うには「その秋山先生という人は、これまでの人生の中で知らず知らずに多くの人の心を傷つけ、恨みを買ってしまっているので、その『恨みの念』という『生霊〔いきりょう〕』が働いています」
 導き親は秋山さんにその内容を書いて送り、これが図星に当たっていたら秋山さんも反省して真如苑に戻るかと期待したのだが、秋山さんは全く動かされなかった。
 秋山さんは笑いながら私に語る。
 「その教化の接心の指摘自体は、ある意味で図星ですよ。予備校の教師なんていうものは大体変わり者がなるものですが、私も若い頃はとりわけ変わり者でして、とばっちりを食った周囲の人はずいぶん迷惑したらしいですね。知らず知らずにとばっちりを飛ばしてしまうことが多かったんです。霊能者はさすがによく見抜いてますよ。
 ただし、そういう私の欠点と、真如苑を信じられないこととを結びつけるのは、こじつけでしかありません。私自身、九ヵ月間真如苑の信者だったあいだに、何度か『教化の接心』を受けさせられましてね。『ご霊言』があの手この手で『障害霊』を作り出す手口を知ってますからね。私自身に関して示された『障害霊』についても、『またあの手で来やがったな』と思っただけですよ……」
 なるほど、手の内が読まれていては、「ご霊言」もかたなしだ!
[131]事情通 06/01/02 10:23 iT56loqtUO
解決の道は「あなた自身の霊位向上」
 いかに真如苑が「教化の接心」によって導き親を叱咤〔しった〕し、「障害霊」に対する「お浄め」の護摩を焚〔た〕いてみても、例のお念仏の川口さんとか、予備校教師の秋山さんとか、真如苑にとどまるべき縁を最初から持たない人々は、どんどん真如苑から離れてゆく。しかも、次章で明らかにするように、真如苑のような徹底したネズミ講型教団というのは、最後まで中にとどまりうる人よりは、むしろ中途でやめざるをえない人の方が、数的には必ず多くなるようにできているのだ。
 だから、何度か導きの子が「堕〔お〕ちる」(教団から離れる)のを体験させられ、決まりきった「教化の接心」を受けさせられていれば、誰でも「これは少々おかしいぞ」という気持ちが起こるのが当然である。
 接心では必ず最後には「あなた自身の不動の信念がありさえすれば、いつかは必ず正しい道に引き戻してあげることができます」というようなことを言うものの、離れる人はどんどん離れっぱなしになっていって、呼び戻せないという例の方が多いのだ。「これは『障害霊云々』などというおどろおどろしいことで説明するよりも、もともとその人に真如苑にとどまるべき縁がなかったのだと考えた方が素直ではないか」という考えが、当然湧〔わ〕き起こってくる。だいいち、そんなに世の中のあちこちに「障害霊」なるものがうようよしているのなら、世の中なんて危なくてうっかり歩けもしないではないか!
 ところが、教団の側では、信者の心に当然湧き起こってくるこの疑問を打ち消すための、次なる説得術を、ちゃんと準備しているのだ。
 それは、「今のあなたが霊位が低いから、相手のかたを正しい道に導いてさしあげられないのです。あなた自身が霊位向上してゆくことによって、本当に相手のかたを納得させうるだけの力を授かることができます」というものである。
 ところで、「霊位向上」のための相承会座に参加するためには、「お救け」の数が規定数以上に達していなければならない。そこで、導きの子が一人「堕ちる」たびに、「解決の道は、より多くのお救けをすることだ」ということになって、ますます導きの子作りに励むことになるのである。(なお「堕ちた」導きの子でも、自分の相承会座参座の資格要件確保のために、会費肩代わりによって、名目的に信者の地位にとどめておくのが通例である)
 「水をかければ物は冷える」と考えるのは世の中の常識だが、時には例外もある。チェルノブィリ原発事故の場合には、最初に水で消火しようとしたことが、かえって事故を大きくする原因になったと言う。
 導きの子が「堕ち」れば「堕ち」るほど、そのことをネタにして、霊位向上への使命感をますます強く抱かせる真如苑のやり口は、「水をかければかけるほど燃えさかる」チェルノブィリ原発にたとえることができよう。
 こうした「チェルノブィリ方式」の説得術は、導きの子が「堕ち」た場合だけではなく、もっとふつうの日常的な場においても、しばしば活用されている。それは、他のネズミ講型教団にもしばしば見られるものだが、「子は親の鏡」とか「導きの子によって自分自身の心の姿を見せられるのだ」とかいう論法である。
 事実、「導きの子の中から、教えに対する不満、歓喜やご奉仕に対する不満などが出てくるのは、導き親自身の心のうちに、そういう浄まらない、自分かわいさの心があるからこそ、その反映として出てくるのです。だから、そういう不満が下から出てきた時こそ、導き親自身がそれを反省の糧として精進させていただく絶好の機会なのです」というような指導が、さかんに行われている。
 なるほど、こうしておけば、下から不満が出れば出るほど、導き親は「私が悪かった」と神妙に恐れ入って、ますます教団の命令に順々になろうとするから、下の不満が上までも巻き込む危険性を最小限に抑えることができるわけだ!
[132]事情通 06/01/02 10:27 iT56loqtUO
↑「順々」は「従順」の写しまちがいでした。
[133]事情通 06/01/02 10:54 iT56loqtUO
「不満はすべて上求菩提しなさい」
 さて、こうした「チェルノブイリ方式」と対〔つい〕をなし、それを補完する役割をはたすもうひとつの説得術がある。それは「自分より上位の人に対して疑問や不満を訴えるのは口業〔くごう〕にはなりませんが、自分と同等の横の人に向かって『教えのあの部分はおかしい』などと疑いを撒〔ま〕き散らすのは、み仏様に逆らう口業を犯すことになりますから、してはなりません。教えについての不満はすべて上求菩提〔じょうぐぼだい〕しなさい」というものである。
 「上求菩提」という仏教用語(本来の意味は「悟りを目指して進むこと」)をこんなねじ曲った意味に用いるのも大いに問題だが、それは今は措〔お〕くとして、この説得術が「チェルノブィリ方式」を完璧なものにするためにあみ出されたものであることは、論をまたないであろう。教団の指導方針に対する疑問や、「歓喜」や「お施餓鬼料」の取られすぎについての疑問は、たいがいの信者が内心では感じているのだが、これを集会の場などでヨコの関係にある信者同士で語り合うことは強く戒められているため、「王様が裸であることをみんな知っていながら誰も語り出せない」という状態が、教団のヨコの関係を支配している。そして、信者がやむをえず不満を自分の導き親に訴えれば、導き親は例の「子は親の鏡」の論法によって、そういう不満をこそ自分自身の反省の糧にしなければならぬと教えられているから、絶対に不満に同調することはしない。それどころか、そういう不満に対する教団常套〔じょうとう〕の三百代言的模範解答を必死に探し出してきて、それをさもありがたそうに並べ立て、疑問を打ち消そうとする。そうして疑問を打ち消す作業こそが、自分自身の心を磨き、教えを身につける修行であると信じこんでやっているのだから、まことに始末に負えない。
 だが、そんなふうに下に向かってすまし顔をする導き親でも、内心を正直に吐露させてみれば、不満だらけである場合が多いのだ。それは、導き親自身が自分自身の導き親に向かって「上求菩提」している現場を盗み見すればわかる。通常は下位の信者に対してはその現場が隠されていて、見えないようにされているだけである。
 このような「どいつもこいつも下に向かってはすまし顔」というのは、たとえて言えば椿〔つばき〕の木のようなものだ。椿の葉っぱは外側に向いた面がみんなテカテカ光っているから、木を外から見れば、椿の葉はみんなテカテカだと見える。しかし、木の幹の側に向いている面は、みんなくすんだ色をしているのであり、木の中央から見れば葉っぱはみんなくすんだ色というわけだ。
 ともあれ、こんなふうにして、真如苑の信者というのは、導き親になり、大乗の霊位を授かり、歓喜の霊位を授かり、経親になり、……という「向上」の過程で、椿の葉のテカテカよろしく「尊いですねえ」「ありがたいですねえ」といった「外向き」の言葉を吐く修練を重ね重ねて、最後に霊能者になるわけだから、霊能者の吐く言葉がさほどの修練を待たずにほぼ同一になるのは、不思議でも何でもないと言えよう。
[134]和音 06/01/02 12:09 E-JRnKs
事情通さま

昨日からの水ぶくれ転記、お疲れ様です。
大変な作業かと思います。
私も一度は読みましたが、記憶も当てにならないのでとても嬉しく思います。
余計な事かもしれませんが、ご無理だけは為さらないようお気を付け下さい。
[135]草太 06/01/02 12:47 p8QHUHlWQV
事情通さま。
「水ぶくれ」も長文を引用されたのは、荒れている板を鎮めるための方策のようですね。心配りとその労力に敬意を称しています。
「水ぶくれ」は、苑の実体を知るのに役立ち、MCの軽い人にはそれを解く媒介になりますが、深い人は「水ぶくれ」よりも苑に詳しいために「水ぶくれ」には目もくれないのが残念に思えています。また「水ぶくれ」の奧に苑に対しての誹りという憎悪があるために、余計に避ける傾向があるのではないでしょうか。
誹りと憎悪を越えたところに、身内のMC解放はあるというのが私なりの持論ですが、この板では真如苑憎しの傾向が強いので、独り言として聞き流してほしいと思います。

       <法句経第5番>

まこと 怨みごころは いかなるすべをもつとも
怨みをいだくその日まで ひとの世にはやみがたし
ただ 怨みなきによりてこそ その怨みはついに消ゆるべし
これ かわらざる真理なり

現代語訳
この世の中では、他人を怨む心を持つ限り、どうしても怨みを解くことができない。ただ、うらみなき心をもつことによってのみ、解くことができる。このことは永遠に変わることのない真理である。

憎しみが疑心暗鬼を発生させ、憎悪が渦巻く戦いの修羅場を創出させていく。
そんなときは「レッツ・イッツ・ビー」とビートルズが歌っているように、あるがままにあらしめて、スルーして、放っておけばいいと思うのだけれど。
正月休みの暇人の独り言でした。

[136]草太 06/01/02 13:50 p8QHUHlWQV
雑阿含経8の13「燃焼」より

すべては燃えさかっている。そのことをなんじらはまず知らねばならない。人々の目は燃えているではないか。人々の耳は燃えているではないか。人々の鼻も燃えているではないか。心もまた燃えているではないか。すべて、その対象にむかって燃えさかっているのだ。
それらは何によって燃えているか。貪欲(むさぼり)の炎に燃え、瞋恚(いかり)の炎に燃え、愚痴(おろかさ)の炎に燃燃えているのだ……。

荒れたレスを拝見して思い出したので、書いてみました。お釈迦様もいいことを言います。まあ、私に仏教を語る資格はありませんが、自警までに…。
[137] 06/01/02 14:08 1WrG6uzOmb
事情通さま

貴重な文章、保存させていただきます。ありがとうございます。
[138]嘘嫌い 06/01/02 14:13 *MWKO1fWq8lc*E-w2W3r
草太(凡人)様、折角鎮静化してきた感のあるところ空気を読んで下さい。それとも無知な者への説法ですか?
[139]草太 06/01/02 14:24 p8QHUHlWQV
嘘嫌いさん。
そういう反応が板を荒らすのではないでしょうか。暇人の独り言ですから、大きな心でスルーして下さい。
[140]事情通 06/01/02 14:29 iT56loqtUO
>草太さま。おっしゃることはよくわかります。

が、せっかくだから『水ぶくれ真如苑』を続けましょう。いよいよマルチ商法が登場です。一見、宗教の話と関係ないみたいですが、苑の体験者なら、「うん、うん、そっくり!」とうなずかれるでしょう。

第二部第四章 「抜苦代受」のあとに来るもの

ネズミ講とマルチ商法(1)
 真如苑の急成長の秘密のひとつが「ご利益〔りやく〕の現れ方が早い」点にあることは、ある程度事実であるようだ。実際、創価学会からの転向者が「学会にいたあいだは、いくら幹部の指示どおりに熱心に信仰してもいっこうに病気が治らなかったのに、真如苑に入ったらたった三ヵ月で治った。ありがたい、ありがたい」などと語る例がしばしば見られる。なにしろ「伝統密教のすべてを窮め尽くされた教主様が修して下さるお施餓鬼」であり、また「両童子様のお命がかかっている抜苦代受」なのだから、そんじょそこらの新興宗教のご利益とは格が違う、というわけであろう。
 しかし、私の見るところでは、こうしたご利益の大きさと迅速さだけが急成長の原因ではないようだ。むしろ、この「抜苦代受」のあとに来るものが実にうまくプログラム化されている点にこそ、急成長のより大きな原因があるように思える。
 この「『抜苦代受』のあとに来るもの」を解明するためには、話は少し脇道に入るが、ひとまず、ネズミ講とマルチ商法についてお話ししておく必要がある。
 ネズミ講とマルチ商法とは、どちらもネズミ算式に多くの人を勧誘することによって、ごく一部の人間が不生産的利益をせしめようとする経済犯罪である。
 ネズミ講(法律上の呼称は「無限連鎖講」)は昭和二十年代に日本国内で発明されたものと言われており、昭和四十年代から五十年前後にかけてさんざん悪の花を咲かせたあげく、昭和五十四年に施行された「無限連鎖講の防止に関する法律」によって息の根を止められて姿を消した。その原理はきわめて簡単である。会員みんながネズミ算式に子会員や孫会員を作ってゆき、何世代か下まで会員ができると、それらの「子孫」の納める金が自分のところに入ってきて、出費を上回る利益が得られる、というものである。
 これに対してマルチ商法(法律上の呼称は「連鎖販売取引」)の方は、一九六〇年代にアメリカで発明された舶来品である。もともとの名前をマルティレベル・マーケティング・プランという。この商法を最初に大規模に展開した会社は一九六四年(昭和三十九年)にカリフォルニア州で設立されたホリディ・マジック社という化粧品販売会社である。マルチ商法は本国のアメリカでは一九七〇年ごろから厳しく規制されるようになり、自由に活動できなくなった。そこで、死中に活を求めて海外進出をはかり、ヨーロッパや日本に上陸したのである。
 日本で最初に設立された大手のアメリカ系マルチ商法会社は自動車用品を販売する「APOジャパン」で、それは昭和四十六年のことである。翌昭和四十七年にはホリディ・マジック社も日本に上陸し、「日本ホリディ・マジック」を設立している。これらに触発されて昭和四十八年には初の国産マルチ商法会社である「ジェッカー・チェーン」(アイデア商品販売)が設立された。
 これら「御三家」は、短期間に日本中を荒らし回ったあげく、社会的指弾を浴びて、昭和五十年から五十二年にかけてあいついで実質上の倒産に追い込まれた。そして昭和五十一年にはマルチ商法を規制する「訪問販売等の規制に関する法律」が施行され、日本でもマルチ商法は大手を振っては歩けないようになった。
 このように、マルチ商法が法的規制を受けたのは、むしろネズミ講よりも早いのである。ところが、ネズミ講がたった一度の法律制定によって完全に息の根を止められたのに対して、マルチ商法の方は意外にしぶとく、「御三家」の生き残りをはじめとする多くの野心家たちが、法律施行後もあちこちで暗躍し、違法すれすれの新型マルチ商法を発明しては、いまだに日本国内を荒らし回っている。
 マルチ商法がネズミ講に比べて規制しにくいのは、まず第一に、名目的にせよ一応は「商品販売」という正当な経済活動の隠れ蓑〔みの〕をかぶっているため、正当でない部分だけを規制の対象としなければならず、正当か不当かの「線引き」がむずかしいからである。そして第二に、組織原理がもともとネズミ講よりも複雑であるため、ちょっと趣向を凝らすことによってさまざまなヴァリエーション(変化型)を作り出すことが可能であり、法律が定めた定義の裏をかくことが簡単にできるからである。
 ところで、読者の中には、マルチ商法とはどんなものであるかについて全く予備知識のないかたもいらっしゃるであろう。そこで、次に、簡単な仮設例を使ってその組織原理の概略をご説明することにしよう。

[141]事情通 06/01/02 14:33 iT56loqtUO
ネズミ講とマルチ商法(2)
 いまここに最終販売価格が一個十万円する商品があるとする。実際の例では、人造ダイヤ、羽毛布団、磁気マット、新型電気掃除機、ステンレス鍋、プルーン濃縮液(健康食品)、自動車用品、「開運の印鑑」などさまざまであるが、ここではたんに「マルチ商品」と呼んでおくことにしよう。この「マルチ商品」は、ネズミ算式の「人狩り」を正当な商業活動であるかのように見せかけるための「隠れ蓑」として使われているものにすぎないから、商品そのものの効用は十万円には遠く及ばない粗悪品である。その原価は一万円ぐらいしかしない。
 さていま、仮にあなたが若いOLであるとしてみよう。ある日、あなたのところに高校時代の旧友のA子から電話がかかってくる。「久しぶりだから、一度あいましょうよ」と言われて、翌日喫茶店で待ち合わせる。会ってみると、A子はとても楽しそうで顔色がよい。「あなた元気そうね。なんか健康の秘訣でもあるの?」と尋ねると、「実は、このごろちょっといいアルバイトしてるのよ」とだけ言って、具体的な内容はしゃべらない。あなたが興味を示すとA子は「あら、幸運だったわ! 実はね、今日ちょうどそのアルバイト先で集まりがあるのよ。せっかくのチャンスだからあなたも連れてってあげるわ」と言う。
 あなたは、何となく千載一遇〔せんざいいちぐう〕のよい機会にめぐりあったような気分になり、うきうきしてA子についてゆく。会場に着くと「講師」とやらが出てきてしきりに精神訓話のようなことをしゃべる。「人生は、やる気しだいだ」とか「自分の運命は自分で開拓しなければいけない」とかいった話である。あなたがこの種のお説教にさんざん引き回されていい加減疲れて頭がボーッとなったところで、最後に目の前に見せられるのが例の「マルチ商品」である。
 そして「たったの十万円出しさえすれば、このすばらしい商品が手に入るばかりでなく、もう一万円余分に『入会金』として納めさえすれば、あなたは『ディストリビューター』の資格が得られて、この商品を九万円で卸〔おろ〕してもらって、ユーザーに十万円で販売する権利が得られるのです」と言われる。あなたは大喜びして、商品購入の契約書だけでなくディストリビューターになる契約書にもサインする。あなたは、いま手元に十一万円のお金はないので、次のボーナスの中から払うことにして、当面は借金で間に合わせることにする。
[142]事情通 06/01/02 14:34 iT56loqtUO
ネズミ講とマルチ商法(3)
 さて、購入した「マルチ商品」をしばらく使ってみたあなたは、それがとんでもない粗悪品であり、とうてい十万円には値しないことを発見する。あなたはA子に電話をかけて苦情を言う。「あなた、あの商品ひどいわよ。私をだまして変なもの売りつけたんじゃないの?」
 するとA子は「それはとんでもない誤解よ」と弁明し、さらに「とにかくもっとよくお話を聞いてみてよ。今度の日曜日にディストリビューターの研修会があるから、一緒に行きましょうよ」と言い出す。あなたは友達の義理として断るわけにいかず、A子に連れられて研修会に参加する。
 さて、研修会に参加したあなたは、この段階ではじめてこのマルチ商法組織の概略について説明を受ける。それは次のようなものだ。
 ディストリビューターの資格を持つ者は、この「マルチ商品」を九万円で購入する権利があるから、これをユーザーに売れば一個あたり一万円の純益が得られる。そればかりでなく、十人を新たに勧誘してきてディストリビューターにすれば、それらのディストリビューターの上位に立つシニア・ディストリビューターになることができ、「マルチ商品」一個を八万円で購入する権利が得られる。シニア・ディストリビューターは、「マルチ商品」を自分の「所属」のディストリビューターに九万円で卸してもよいし、直接にユーザーに十万円で売ってもよい。
 シニア・ディストリビューターの上位にはさらにスーパーバイザーがおり、彼らは「マルチ商品一個を六万五千円で購入する権利を持っている。
 こういうぐあいにして、上位に登れば登るほど、直接に「マルチ商品」をユーザーに売る場合の純益も大きくなるし、また「所属」が多くなることにより、一定期間に卸す「マルチ商品」の量も多くなるので、それら両面から収入が飛躍的に増えることになる。
 ―このように組織原理の説明があったあと、「体験談」のコーナーが始まり、何人かのスーパーバイザーが「自分の努力しだいでこんなにも大きな収入が得られた」という話をする。
 こうして研修会が終わる頃には、あなたは、要するに「マルチ商品」そのものの効用はどうでもよかったのだ、ということを理解する。「ある意味ではA子にまんまとダマされたようなものだが、そうしてダマしてもらったればこそ、今こうやって夢にも見なかったような莫大な収入の機会が目の前に開けてきたのだから、A子はやっぱり恩人だ」と考えるようになる。帰り道で、A子はあなたにウィンクして、「ねっ、理解できたでしょ」と言う。あなたも「うん、よく理解できたわよ」と言ってウィンクを返す。
 次の日曜日にはディストリビューターの第二回研修会があり、今度はA子の付き添いなしで、自分ひとりで参加する。ここであなたは、「勧誘のしかた」についての手ほどきを受ける。指導される内容は次のようなものだ。
 一、見ず知らずの人ではなく、親類縁者や学校時代の旧友など、誘いを断りにくい立場の者をねらえ。
 二、なるべく明るく楽しそうに振る舞い、相手から「あなた、昔に比べてずいぶん明るくなったわね」というような言葉を引き出すようにせよ。
 三、「明るさの秘訣は?」と尋ねられたら、「実はこのところちょっといいアルバイトしてるのよ」とだけ言い、相手をじらして「もっと詳しく聞きたい」という気持ちを起こさせること。
 四、相手が興味を持ったら、「あら、幸運だったわ! 実は今日ちょうどそのアルバイト先の集まりがあるところなのよ」と言って、その日がたまたま千載一遇の幸運な日であるかのように見せかけよ。
 ざっとまあ、以上のようなわけである。何のことはない。A子はこの指導のとおりにあなたを勧誘したわけだ。そして、あなた自身、この研修を受け終わった翌日から「第二のA子」となって友達に誘いの手を伸ばしはじめるわけである。
[143]事情通 06/01/02 14:36 iT56loqtUO
ネズミ講とマルチ商法(4)
 さて、それから一年、あなたは十一人の人間に「マルチ商品」を売りつけることに成功し、純益十一万円を手に入れ、当初の損害を復旧することができた。そればかりでなく、売りつけた相手をディストリビューターとして組織につなぎ止めることにより、あなた自身は彼らの上位に立つシニア・ディストリビューターの地位を手に入れることができた。こうなるとますます面白くなってきて、絶対にやめられなくなる。
 ところが、ここに大きな陥とし穴があるのだ。
 ディストリビューターであったあいだは知らされていなかったのだが、シニア・ディストリビューターになると「月間販売ノルマ」というものがあって、ノルマを達成できなかった場合には自分が滞貨のコストを負担しなければならないのだ。それだからこそシニア・ディストリビューターは「所属」のディストリビューターたちを血眼〔ちまなこ〕になって叱咤〔しった〕して「売れ! 売れ!」と言うわけである。
 あなたもいまやシニア・ディストリビューターであるから、叱咤される側ではなく叱咤する側である。あなたは「所属」のディストリビューターたちを叱咤激励して頻繁に研修会に出席させ、その成果あって最初の三ヵ月ほどは「販売ノルマ」を達成した上に、余りある収入を得ることができた。
 ところが、四ヵ月目にはあなたの叱咤についてゆけなくなったディストリビューターが三人ほど脱落し、「販売ノルマ」が達成できず、滞貨のコストを負担したあなたは赤字になってしまった。五ヵ月目も六ヵ月目も同様赤字になった。それでも「せっかくのうまみのある仕事をこれしきの試練で放棄できるか」と意地を張ったあなたは、借金によって赤字を補填〔ほてん〕しながら、シニア・ディストリビューターの地位にとどまり続けることになる。
 こうして一年後、あなたの身の回りに残るものは、役に立たない「マルチ商品」の滞貨の山と借金証文の山と、ズタズタに破壊された人間関係だけとなる。
 結局、もうけるのは胴元のマルチ本社とごく一部の例外的成功者だけなのである。
 ―以上のようなのが「マルチ商法」というものなのである。
 ネズミ算的な「人狩り」を本質とする点で、このマルチ商法はネズミ講とそっくりなもの、あるいは広義のネズミ講の一種と言ってよいだろう。
 ただ、若干異なる点を挙げれば、ネズミ講の場合は「最初は負担だけがあって、後に利益が手に入る」という原則が徹頭徹尾はっきりしているのに対して、マルチ商法の場合は「マルチ商品」というものを握らせることによって最初に幻想的利益を与えるという点が違っている。もちろんこの「マルチ商品」は効用の低い粗悪品であるから、最初に与えられる利益はあくまで「幻想的利益」でしかなく、会員はいずれはそれを知らねばならない日が来る。指導者の側から見ると組織に引きずりこんでおいたあとで、ころあいを見はからって「ダマしたようで悪かったが、最初に摑〔つか〕ませた利益は実は本当の利益じゃなかったんだよ。でも、あなたが今後組織の一員として活躍することで本当の利益が得られるんだから、悪く思うなよ」と真実を告げなければならないわけだ。
 こういうわけで、マルチ商法の場合は「ダマされた人間をダマす人間へと転化させる」という「意識変革」のプログラムが、組織運営の必須の構成要素になる。マルチ商法の組織が「初心者用」から「上級活動家用」までの何段階もの「研修会」を設けるのは、意識変革の段階に応じて、教えるべきことが異なるからにほかならない。
[144]道を尋ねる者 06/01/02 14:36 *ejCCmjGWZQD*SFc.cpBUEJ
耳学問派様
私は別板で「傲れるもの久しからず」などという大それたHNで書き込みをしている者です。
ここには全くの門外漢ですので、恐縮なのですが、少々お邪魔させていただきます。

>[
>>69]「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る」

私は仏教徒の家に生まれ、その空気の中で育ちましたが、「諸行無常、一切は空(実体がない)そして最後には無(大いなる普遍)に至る」という釈尊の説いた根本思想に通ずるところがあるように思いました。

>[
>>76]大いなる命題
>「私はだれなのか、私はなぜここにいるのか、私はどこにいくのか」

「わたしは何をしてきたのだろうか。何のために生まれてきたのだろうか。彼のために何をしてあげられただろうか。わたしは明日からどうなるのだろう。」と、ある新興宗教に夫の心を奪われて病んでしまった妻が日記の最後のページに残したことばを重ねながら、今この瞬間の自分に問いかけています。

どうぞよろしくお願いします。
[145]草太 06/01/02 14:38 p8QHUHlWQV
事情通さま。
私も家にも「水ぶくれ」はありますし、苑に嵌った女房も目を通しました。しかし、だからといって女房がそれを読んでMCから抜けることはありませんでした。
この板で、身内で信徒を抱えている人もそうでしょう。「水ぶくれ」だけで身内のMCが解けるなら苦労はしないのです。実践論、結果論として所見を述べさせて頂いています。
事情通さまが、発禁になった「水ぶくれ」を書かれていることには敬意を称していますし、MCの軽い人、解けかかった人たちには効果があると思います。
ただ、身内に「水ぶくれ」を読ませて真如苑のMCが解けたという方がいたら教えて頂きたいと思います。
決して、事情通さまを否定していないことをご了承下さい。
[146]気配 06/01/02 14:50 *CKoaqNDPhmA*Y4p7.ageZH
水ぶくれ、私もうちにコピーがあります。
妻は、まだそれを読もうとはしません。
水ぶくれに眼を通せるようになるまでには、きっと時間がかかるでしょう。でも、眼を通すことができるようになったときには、ちょっとは前進があるのかもしれません。
[147]道を尋ねる者 06/01/02 14:51 *ejCCmjGWZQD*SFc.cpBUEJ
[144]道を尋ねる者(耳学問派様宛)は誤投稿でした。申し訳ありません。
[148] 06/01/02 15:28 *KWMjOkAr1gp*TV8/KTClxy
茜さま

お返事をしていただきまして、ありがとうございます。
「自己否定・いたらなさ」「心がきれい」の表現はポイントをついていると思いました。私にも心当たりがあります。

苑で教えられ身についた(?)所謂「苑的な良い人」というのは、本当に心から人が変わるものなのでしょうか。それとも、苑を歩んでいくことに付随する「苑的な良い人」に過ぎないのでしょうか。

[149]かう 06/01/02 15:50 kvDKBv3MRo
熱心な議論、お疲れ様です。
皆様のコメント、大変興味深く読ませていただきました。
そこで相談なのですが、私には年末から付き合っている恋人が居ます。
その人が真如苑にはまっていることが元旦に判明しました(なんか本持ってた)。
それを聞いてから、インターネットで調べると・・・出るわ出るわ被害者の声。
その人のことは好きですが、ぶっちゃけ宗教なんて信じていない私としては、ドン引きです。

表面的に、自分を偽って恋人に合わせていくことは出来ると思いますがその精神的な負担を考えると、とても付いて行けそうにありません。
説得して辞めてもらいたいのですが、なんと言えば良いのか、この腐りかけの脳みそではいい言葉も浮かんできません。
どなたか、どうにかお力添えをして頂けませんでしょうか?
よろしくお願いいたします。
流れを無視したカキコ、失礼しました。
[150] 06/01/02 16:20 8DtxHKXqyy
夢さま

>苑で教えられ身についた(?)所謂「苑的な良い人」というのは、本当に心から人が変わるものなのでしょうか。それとも、苑を歩んでいくことに付随する「苑的な良い人」に過ぎないのでしょうか。

難しいご質問ですが、私は、それはその人次第なのでは、と思います。
苑では事情通さまが引用してくださっている「水ぶくれ真如苑」にある通り、カルト的、
マルチ商法的な手法を使っていますが、あくまでも仏教と言う建前なので、当然、
苑で教えていることの中には、仏教的な考えも入っていると思います。
つまり、たとえマルチ、カルトの金儲け教団であっても、その教えの中には仏教から
伝わるものが使われており、それを本当にに自分の身に着けようと真剣に取り組めば、
人が変わることがあるかもしれないし、単に苑から良く思われたいというだけであれば、
表面的に「苑的な良い人」になるに過ぎないのではないかと思います。
苑の問題のややこしさは、その教えの中には仏教のいいものもある、だから、苑の全てを
いいところだと思ってしまう人がいる、ということにもあるように私は感じました。
[151] 06/01/02 16:32 8DtxHKXqyy
かうさま

大変ショックを受けられたことと思いますが、できれば、まずお相手の方のお話を
冷静に聞き、感情的にならないことをおすすめいたします。
もしその方が苑に深く自己同化していたとしたら、苑をけなされることは、すなわち
自分をけなされることのように感じ、心を閉ざしてしまうかもしれません。
とても難しい問題ですし、私はたいしたお力にもなれませんが、問い詰めたりすることなく、
その方との信頼関係を壊さないようにしながら、対話をされることを心がけていただくと
よいのではないかと思います。
[152]講釈師 06/01/02 17:14 TV8/KjA.Jj
事情通様 ありがとうございます。
よろしくお願いします。

かう様よろしくお願いします。
長期戦を覚悟で頑張って下さい。


[153]事情通 06/01/02 17:22 iT56loqtUO
「幸せのネズミ算」は「不安のネズミ算」(1)
 さて、それでは本題に戻ることにしよう。
 何度も言っているように、真如苑では自教団の教えが「利他の教え」であることを強調し、これこそが他の宗教団体に見られない真如苑の特徴であり、真の大乗仏教精神に立脚する教団であることの証しだとしている。
 「自分は何もしないで単にご利益だけを乞〔こ〕い願う信心は邪道であり、人を救ける功徳〔くどく〕によって自分も救われてゆくというのが宗教の本道だ」というわけである。
 これ自体はまことにもっともな言い分であり、別に反対する謂〔い〕われはない。問題なのは、その説くところの「人を救ける」行動の具体的内容である。
 真如苑で「人を救ける」とは、要するに、まだ真如苑信者でない外部の人間を勧誘して入信させ自分の導きの子にして、組織内で自分の下位に組み込んでゆくことである。こうやって自分の下位に立つ「所属」を増やすことが、自分自身の救われにつながると説かれているから、真如苑の信者は、やみくもに親類縁者その他に勧誘の手を伸ばし、「この教えに入れば救われますよ。素晴らしいですよ」と甘い言葉をささやき続けるのである。
 その際、信者が持ち出す甘言の内容は、要するに「この教えに結ばれれば、接心が受けられて、何でも答えてもらえる。そして抜苦代受がいただける。だからありがたい。素晴らしい」ということに尽きる。
 が、問題なのは、そうした抜苦代受の次のステップである。
 真如苑に入信してひと月かふた月ぐらいすると、信者は「抜苦代受は真の救いではない」という教団の「次の手口」を上位者から打ち明けられる。「人は自分自身の積んだ徳によって救われる。抜苦代受は、そうした徳を積める条件を整備するために、因縁の芽生えをご霊界によって一時的に預かってもらうものである。抜苦代受に浴して肉体的にも経済的にも楽になっている間にせっせと徳積みに励んでこそ、真に因縁が切れて救われる状態に達するのである。この理をわきまえず、抜苦代受に浴したままでノホホンとしているならば、抜苦代受の力は潮が引くように去ってしまい、人は再び不幸な状態に戻ってしまう」というのが、その「次の手口」なのである。そしてその徳積みとは具体的には「三つの歩み」であり、なかんずく「お救け行」だというのである。
 さて、ここで少し冷静にものを考える人ならば、この説得術が奇妙な撞着〔どうちゃく〕を内に包み隠していることに気付くはずである。
 例えば、Aさんは「他人を救ける利他の修行が必要ですよ」と上位者に言われて、Bさんを「救ける」つもりで勧誘し、自分の導きの子にしたとしよう。おかげでBさんは抜苦代受に浴することができた。ここまではよい。ところがしばらくすると、Aさん自身がBさんに対して「あなたの今の状態は真の救われではないのですよ。あなた自身が他人様をお救けすることで、はじめて真に救われるのですよ」と説かねばならなくなる。そう教えられてBさんは、やむをえず、また新たにCさんという人を勧誘して教団に組み込んだ。この時点でやっとBさんは救われるのである。
[154]事情通 06/01/02 17:23 iT56loqtUO
「幸せのネズミ算」は「不安のネズミ算」(2)
 以上の話は簡略化のためにAさんを一名、Bさんを一名、Cさんを一名として話したのであるが、実際には真如苑では十名ぐらいの「お救け」をやらなければ救われた状態にはならないと説いているのだから、Aさん一名に対して、Bさんが十名、Cさんが百名いて、はじめて上記のような「救い」が成り立つことになる。
 つまり、「いまだ真には救われていないBさん」が十名できた段階で、はじめてAさん一名が救われ、「いまだ真には救われていないCさん」が百名できた段階で、はじめてBさん十名が救われるのである。そうすると、AさんがBさんを勧誘して真如苑に引き入れたこと自体は、実は、Bさんを「救けた」ことにはなっていないということがわかる。それはむしろ、Bさん十名に対して「百名のCさんを勧誘してきなさい」という義務をおいかぶせたことにほかならない(第二図参照)。
 実を言うと、Aさん自身、Bさんを勧誘した段階では、上位者から「あなたはまだ救われていない」と脅迫めいたことを言われて、不安な立場に立たされていたので、その不安を解消するためにせっせと勧誘に走り、Bさんを教団に引きずり込んだのである。この場合、実はAさん自身、本心では「Bさんもまた、将来、今の自分が置かれているのと同じ不安な立場に立たされ、勧誘に走りまわらざるをえなくなる」ということを知っていたはずなのである。Aさんが常識人ならば、勧誘対象たるBさんのことを「ああ、お気の毒に」と内心思わずにはいられなかったはずである。
 しかしAさんは、そんな本心はおくびにも出さずに、いかにも教団に結ばれさえすれば何事もとんとん拍子にうまくいくかのように吹聴〔ふいちょう〕せざるをえなかった。真相を最初から言ってしまってはBさんがついてこないからである。このようにしてAさんは、表面を取り繕〔つくろ〕ってBさん十名を駆〔か〕り集めることに成功し、自分は「救われた」立場に立つことができて、やっと安堵〔あんど〕する。かわりにBさんが今度は不安な立場に立たされることになる。なんのことはない。Aさんは、自分の不安を十倍に拡大して他人様に肩代わりしてもらうことによって、やっとこさ自分の救いを勝ち取ったのである。これがどうして「人を救ける」ことだと言えようか!
 このようなネズミ講型組織の最もけしからぬ点は、本心と発言との食い違った裏表のある人間を、次から次へと順送りに作ってゆく点である。例えば、Bさんは、自分がCさんに対して勧誘活動をする頃には、すでに、自分自身Aさんによって不安肩代わりのためのカモとして使われたのだということに、薄々気付いてはいるのだが、それを今さら言ってしまってはCさんを誘い込むことができないので、今の自分が不安を抱かされていることはおくびにも出さないようにして、喜色満面を取り繕〔つくろ〕って「ありがたいですよー。素晴らしいですよー」と連発するのである。
 このように信者に不自然な精神的圧迫を加えたり、裏表のある人間を作り出したりまでしながら、どうしてこれほどまで真如苑の教えばかりを世の中に広めなければならないのか? ―こう問えば、教団側はむろん「教えを広めることによって世の中に救いの輪を広げてゆくことができるからだ」と答えるであろう。つまり、最初はAさん一名しか救われていなかったのが、次にはBさん十名が救われ、さらにはCさん百名が救われ……というふうに、幸せがネズミ算式に増えてゆくというわけであろう。
 しかし、ダマされてはいけない。Aさん一名が救われて「幸せ」を勝ち取った時には、Bさん十名分の「不安」が世の中に広がり、Bさん十名が救われて「幸せ」を勝ち取った時にはCさん百名分の「不安」が世の中に広がっているのである。
 たとえ一歩譲って、真如苑式の布教によって世の中に幸せが増えてゆくのが本当だとしたところで、その幸せの増加は、常に、それに十倍する規模の不安の増加によって露払いをされることによって、はじめて成り立つものでしかないのである。「幸せのネズミ算」は同時に十倍する規模の「不安のネズミ算」なのである。

[155]事情通 06/01/02 17:26 iT56loqtUO
死屍累々の上のわずかな救い
 ここまで考えてくると、結局のところ真如苑の説く「抜苦代受」とは、そもそも何なのかという根本的疑問に突き当たらざるをえない。
 最初、教団に勧誘して入信させる際には「抜苦代受」それ自体がたいへんありがたいかのように言う。しかし、しばらくすると「抜苦代受は真の救いではない」と説きはじめる。そして「このままノホホンとしていれば、抜苦代受による病気の治癒や事業の好転などはやがて尽きてしまい、元の苦しい状態に戻りますよ」と言うのだ。つまり、「抜苦代受」というもののありがたさは、その程度のものだったのであり、最初の勧誘の時の言葉は誇大広告だったのだ。
 商品にたとえるならば、「抜苦代受」はまさに誇大広告で売りつけられた粗悪品だったのだ。
 さあ、ここまで来ると、前にマルチ商法についてを読まれた読者諸賢はもうおわかりになったであろう。「抜苦代受」とは要するに「マルチ商品」なのである!
 何度も説明したように、真如苑では、人は導きの子孫をたくさん作ってはじめて救われると説く。教団内で与えられるさまざまな資格も、みな、導きの子孫の世帯数が要件として掲げられている。例えば、智流院に入って真如苑の教義を深く学ぶためには、五世帯以上の導きの子が必要である。「大乗の会座」に参座するためには、十世帯以上の導きの子が必要である。
 もしも、入信した人全員が順調にこうした上級信者への道を進みえているとしたらどうだろう? 当然のことながら、教団の信者数はものすごい幾何級数で増加して、やがては日本の人口全部を呑み込んでまだ飽き足りないという状態になってしまうはずだ。そんなことはむろん現実には起こるはずがない。だから、信者全員がこうした上級信者への道を進みうるなどということは、端的に言って、ありえないことなのだ。そうした中で、たまたまネズミ算的に「所属」を増やすことのできた例外的成功者だけが、教団の指導者にのし上がり、「正しく歩めばみんな自分のようになれる」との「教え」を、十年一日のごとく下部に向かって説き続けるのである。当然のことながら、このような例外的成功者が説く「教え」は、大多数の者にとっては不可能な、ありえないことを「できる」と言っているにすぎない。
 二年、三年と努力してみても、導きの子孫がせいぜい二世帯か三世帯ぐらいしか作れず、指導者に言われる通りにはとうていできない、という人が多い。それらの人々が自分が幸福になれないことを嘆くと、指導者は「あなたの努力が足りないからだ」と、冷たく突き離すだけである。結局、こうした人々の多くは、不当に高額の金を教団に注ぎ込んだことを後悔しつつ、淋しく真如苑を辞めていかざるをえない。
 入信者のうち大多数が実際上歩めないに決まっている路線を設定しておきながら、その路線を唯一の真実の救われへの道であるかのように言いくるめようとするのは、また何とあつかましい欺瞞〔ぎまん〕であろうか!
 こうした欺瞞の典型を示しているのが「誰もが霊位相承者に」というスローガンである。これは昭和五十一年度と五十二年度との年間精進目標として掲げられたものだが、その後も、あからさまにスローガンとしてこそ掲げないものの、教団の基本思想は不変である。
 霊位相承者になるためには、最低十世帯の導きの子がなければならないのだから、どんなに多くとも、その時の教団の信者数の十分の一以下の人しか霊位相承者にはなれない仕組みになっている。そのことが明らかでありながら「誰もが霊位相承者に」というスローガンを臆面もなく掲げるというのは、いったいどういう神経なのであろう? これはまさに、ネズミ講でもうかるのは上位のごく一部分の会員だけであることを百も承知していながら、ネズミ講を広めることで天下全体が幸せになるという夢物語を説いた「天下一家の会」と同じ神経ではないか!
 このような夢物語の結末は火を見るより明らかである。成功しえなかった多数者の、恨みの眼の玉をひんむいた屍が累々と横たわる荒れ果てた戦場に、救いを勝ち取りえた少数者の血なまぐさい勝利の旗が毒々しくはためくのみである。
[156]カルト弾圧 06/01/02 17:36 oKpyIsh6Kp
う〜ん水ぶくれの要旨はこういうことか?

至上命題「真如苑はマルチ式に人を集める。」


命題達成手法@「疑問がわいたら全て障害霊のせいにして脱会を阻止」

命題達成手法A「疑問は上求菩提という手法で解消し組織を維持する」

これでいいのかな?

で、疑問。

宗教が人を集めるのは当たり前だろう。「人を集める=悪」という命題は成り立つのか?

教義が悪でそれによって人が苦しんでるというのなら話は解るが、その実例はどうなのだ?

苑の教義に明らかに人を不幸にするものがあるのか?

マルチ商法の例のようにS親が苑への上納金を借金してでも払っているというような事実があるのか?

[157]カルト弾圧 06/01/02 17:37 oKpyIsh6Kp
もっと的確に苑の悪を指摘してくれ。

人を集めるから悪いってんじゃ話にもならん。
[158]カルト弾圧 06/01/02 17:52 oKpyIsh6Kp
水ぶくれは筆者の主観が入り込みすぎて読者に価値判断を委ねてないという意味で全く価値のない本だ。批判本にもなっていない。

単に恨み言を書き連ねただけの本だ。

批判本なら事実を指摘し、価値判断は読者に委ねるものだがな?

そんなバカな筆者に同調してるからお前ら全員バカなんだよ。自分の頭で考えられないんだ。

前は真如苑に騙されて、今度は「水ぶくれ」に騙される。

お前らが騙される原因は「自分の頭で考える」能力がねーからだよよ。

いつまでも騙されながら生きていけっての。
[159]カルト弾圧 06/01/02 18:01 v5RovNl2rR
>>[149]かう

彼女の事が好きなら、彼女がやってる宗教についても一緒に考えてやれよ。

単にお前が宗教嫌いだからやめさせたいではお前のエゴだろうが。

ここは嘘つきばかりだから参考にはならねーよ。

自分で彼女と良く話し合い、「真如苑」とは何かを見極めろ。

それが相手を尊重した真摯な態度なんじゃねーのか?
[160]草太 06/01/02 18:46 p8QHUHlWQV
「法華経・譬喩品」より

三界は安きこと無し なお火宅の如し
衆苦充満して 甚だおそるべし
常に生老 病死の憂患(うげん)あり
かくの如きらの火 し燃として(盛んに燃え)やまず
如来はすでに 三界の火宅を離れて
しずかに閑居し 林野に安処せり
いまこの三界は みなこれわが有なり(わたしの所有するところ)
しかも今このところは 諸の患難(うれい)多く
ただわれ一人のみ よく救護をなすなり

これまた暇つぶしです。スルーを。
[161]カルト弾圧 06/01/02 18:52 v5RovNl2rR
ここの白うさぎは8年前に両親と主人を亡くし、苑に入信したそうだ。

で、S親、M親の言うとおりにしたら仕事を失い、病気になったんだと。

S親、M親がどういう指導をしたのかは不明。

あと、田舎は16年間精進してたが「救われない」思いから辞めたそうだ。

これは苑で救われなかった事例として貴重だ。

2人には苑の悪口ばかりでなく何故、おかしくなったのかを詳細に語ってもらいたい。

俺もS親にこの事例を報告してどういうことかを確かめる。

ま、ここは嘘つきの巣窟だから話自体が嘘の可能性もあるがな。
[162]草太 06/01/02 19:09 p8QHUHlWQV
法句経228番

ただ一向(ひたすら)にそしれるる ただ一向にほめられるる
かかるものあることなし
かかるもの 過去にも 現在(いま)にも 未来の日にも
あることなからん

現代語訳
過去、現在、未来において、ただ非難されるだけの人も、ただ称讃されるだけの人もいない。

さて、夕食だ。
[163]カルト弾圧 06/01/02 19:12 v5RovNl2rR
和音、早朝奉仕はしたことあるんだってな?

俺はしたことねーぞ?

それでも精舎に入れてもらえないお前っていったい?
[164]一般人 06/01/02 19:27 WMZivMtSDp
ところで
「マサコさんは詐欺師じゃない」そうです。なぜならば「3日以上顔を見せない日が無いから」
だそうです。 「だから、南の島にバカンスしてないのさ〜!」とのこと。

直接真如事務局にきいてみようかな。「南の島にバカンスしてないから詐欺師じゃないんだよね」と。

そしたら「それは真如秘密ですから お答えできません」て言われるかな。
そして「オレも貧乏で南の島にバカンス行けないけど、オレもやはり、詐欺師じゃないよね」
と言ったらこう言われるかも。

「入信したら、きっといつか行けますよ」と。      (答えになっていないがw
でも「入信したら」じゃないんだよね実は。 「3つの貢献したら」なんだよね。
でもオレご利益いらないから、貢献しないけど。

でもお釈迦さまも「バカンス」しまくりだったよなあ。。。あ違うか。あれは、一生をかけた無銭の行脚か。

つまりですね
「詐欺師かどうか」というのは ダイアジャリかどうかとか、夜中の3時とかに心配そうに様子を見てる
か見てないか などとは関係は、ないんですよ。。。その4スレの「信者」さん。

[165]カルト弾圧 06/01/02 19:28 v5RovNl2rR
真如苑でPTSDになって2年半の白うさぎさ〜ん。

PTSDって心的ストレスでなるんだよね?

苑で良い子ちゃんを演じててなっちゃったか?

ここでもよい子ちゃん演じて俺を騙したものな?

苑が悪いのか、良い子ちゃんぶって勝手にPTSDになった白うさぎちゃんが悪いのか?客観的に判断してみようね。

苑を辞めてもその裏表ある性格で見事俺を騙したしね。そうやって白うさぎちゃんは生きていくんだね。

きっとどこに行っても自分のその性格直さない限りPTSDはついて回るよ。

嘘つき白うさぎちゃん…君は黒うさぎだよね。

腹の中は真っ黒で弱虫。

弱虫に信仰は続けられるわけねーよな。
[166]一般人 06/01/02 19:28 WMZivMtSDp
>その4・330真如苑に入ったから何もかも上手くいき薔薇色だというのも違います。
薔薇色、というのは真実でしょう。全員が、ではないでしょうけど。
何もかも上手くいき、というのは
正確に言えば「何かあったときに神秘なお力で守ってもらえる」でしたか。

でもとにかく「言い成りになれば大丈夫」なんですよね!

>きっと苑を逆恨みしてこのような場所に悪口を書くような結果になってしまいます。
悪いものを悪く言うのは「普通」かと思われますが。

>その4・332お施餓鬼やお護摩、歓喜、接心…すべてお金がかかることですがこれは強制ではないですから。
弱制・・・ですかね。

>その4・342苑で「経」は縦線で法に繋がる重要なものとされています。
※5 154本物の友情はよくないことであり、リーダーから暗にけなされる。
カルトメンバーの情緒的忠誠は『縦的』(リーダーに対して)であるべきで、『横的』(同輩に対して)であるべきではない。
友だちは危険である。もしひとりが離れるとほかの仲間を一緒に連れて行くから、というのが理由の一部である。
もちろん、だれかがグループを棄てると前に彼へ向けられていた『愛』は 怒りと憎しみとあざけりに変わる。

私はただ単に、霊的なもの(架空の神秘性)や人間関係で縛るため。かと思いますが。

>事務局員が菓子折り持って土下座しに行った

それ以前に まともな指導がいっさい無いわけで。
だから「やらねばわからない」と教団の正体中身を隠して、高橋恵子に会える、などと言ってしつこく誘う行為
などが 減らないわけです。
「改善」すれば収益もまた減りますから。意図して策を出さないのです。

改善するには 指導チラシを1枚配れば済むことなのですが、たぶんその経費が無いんじゃないでしょうか。
だからもっと、献金すべきなのでしょう!

[167]一般人 06/01/02 19:29 WMZivMtSDp

ああたしか
「勧誘は全部を言ってはいけない。情報は小出しにして喰い付かせろ」と、実際言われたなあ。ちなみに超・有名経だが。
そんな指導状態とは この教団は一体、何十年間何をやってきたのか。
それを述べた本人は、私が
「こんな不祥事があるんだよ」と教えると、懺悔どころか「それは末端信者が勝手にやったことだ」

と言う。困った者だ。そして彼自身は 末端ではない「正規モデル」だということになるが・・・。

[168]一般人 06/01/02 19:30 WMZivMtSDp
あと何故だか「傍観者」さんが私に絡んでるのですが どうせならもう少し建設的に。
これまで「大乗・密教の成立過程」について私は度々指摘してきましたよね。
それについてはどうですか? どうぞ論破を。それと
小乗=釈迦仏教団、というのは より正しく言えば =釈迦仏教団の末裔、
でしょう時代的に。
まこんなところは 糞基本に過ぎないわけですが、それさえ知らないのが真如苑をはじめとする糞教団の信者さんです。
知らないのは、情報が意図的に隠されているからです。

小手調べで 質問1:密教の、開祖は誰でしょうか。これに苑人は全く答えられない。そして調べようともしない。

あと勝手に 「久しからずさん」と私を同一人物にしないように、傍観者さん。
「信者」さんも「弾圧」さんも、けっきょく「物量作戦」ですよね。その主張は穴だらけです。
そして嫁は真如苑信者じゃないですからぜんぜん。親戚はカルトにMCされてるの数名居ますけどね。
お恥ずかしながらw

[169]一般人 06/01/02 19:30 WMZivMtSDp
☆独白スレの皆さんへ。
「毒の大海」に居たのが分かったら、その毒は吐き出して、本来の喜怒により 歩いて行きましょう。
人は本来、清濁併せ持ちますが、

いずれにせよ、「カルトの毒」は排泄して、どんどん浄めるべきでしょう。
「マサコング〜!顔がゴリラ風なだけに、やはりバナナ好きか〜?」と叫ぶのは、 「清浄行」です。

>その4・714
>特に「一般人」という名の人物は良くない。>一般人という名の人、少しは登場したらどうですか。
どっちなのよ・・・。


>ボクの上司は立派な人で真如教徒というわけで、
>立派な上司が時折お話をすることがあるので、
>真如教徒の私の上司はとても立派な人なので、
わかつたよ。 立派なんだろ。その上司は。  りっぱじゃなくて「たちは」だったりして。
一生座らない、とか。

[170]一般人 06/01/02 19:31 WMZivMtSDp
このように ちゃぶ台をひっくり返すような、初歩的発言は 「ずっと前から」どのカルト板でも見られる。
>その4・740学校でやる教育、あれもMCじゃね?

MCとは、よくスポーツ選手が使うと言われる「自己MC」(イメージトレーニング)
も含むのだが、ここでは当然「カルトMC」を指す。

自己MCとカルトMCは 違う。 学校教育とももちろん違う。「カルトに傷ついたあなたへ」参照。
[171]一般人 06/01/02 19:31 WMZivMtSDp
ところで細木さん、正月早々TVでほざいてますね。
「日本崩壊」?オウムと同じような台詞だなあ。てか同じか。
まず脅して指南し、コントロールする。 芸能人には改名を勧め広告塔に。それでも消える者は
ただ忘れ去られるだけだから 指南が外れた事は闇に消える。
もちろんその指南も、全く当たらないわけでもない。
そもそも崩壊だの明日死ぬだの、不幸が無ければ奴らは商売にならない。創価細木オウム苑、みな同じ。

信じる者は MCされる。

[172]カルト弾圧 06/01/02 19:32 v5RovNl2rR
一般人ってのもキチガ○なの?

何言ってるのかさっぱり解らん。

キチガ○の独白ならお家のトイレでやってね。
[173]ネオロック 06/01/02 19:32 RiWSSARWlj
>事情通さん、書き込みありがとうございます。
 創価学会も、真如苑にしても信者が多いということは、やはり無視
できない事実ですよね、新興宗教を毛嫌いするとしても、考えなけれ
ばならないことですね。
 信者が多いと、政治的強者になりますから、その他の宗教信者も放っ
ておけません。
 あと、学会や苑の施設は、公共施設より立派な印象ですけど、税金
についてはもう少しなんとかならないのかな?
[174]一般人 06/01/02 19:35 WMZivMtSDp

>ボクの上司は立派な人で真如教徒というわけで、
>立派な上司が時折お話をすることがあるので、
>真如教徒の私の上司はとても立派な人なので、
わかつたよ。 立派なんだろ。その上司は。  りっぱじゃなくて「たちは」だったりして。
一生座らない、とか。


[175]カルト弾圧 06/01/02 19:43 v5RovNl2rR
あ!全然一般じゃないのに一般人と言い張るキチガ○はけーん。


女房は足抜けできたか?ふぬけ!
[176]事情通 06/01/02 19:44 iT56loqtUO
↓原本には載っている写真をお載せできないのが残念ですが……

水ぶくれは教主のお家芸(1)
 道元禅師は「無上菩提〔むじょうぼだい〕を演説する師に値〔あ〕はんには、種姓〔しゅしょう〕を観ずること莫〔なか〕れ、容顔を見ること莫〔なか〕れ」と言っておられるから、宗教家を容貌〔ようぼう〕によって批評したくはないのだが、伊藤真乗という男にかぎっては、若い頃の修行時代のご面相と、大教団を確立して以後のご面相とがあまりにも違いすぎるので、どうしてもひとこと言っておきたくなる。
 この男、若い頃の写真を見ると、卵形のほどほどに引き締まった顔をしていて、目つきにもある種の純粋さが感じられるのだが、「法難」(まこと教団事件)の前後から急激にブクブク肥りだし、その目つきも死んだ魚のように濁った薄気味悪いものへと変化してきている。とりわけ摂受院の遷化〔せんげ〕(死去)の直前の外遊の時の写真など、事情を知らない人に見せて「警察に摘発されたモグリの風俗営業の社長の顔ですよ」と説明したら、十中八九の人が信じ込んでしまいそうな、およそ宗教家らしからぬつらだましいである。昨年、週刊誌を騒がせた次女の告発によれば、この当時の伊藤真乗は、妻を「役立たず」(セックス面での意味)と罵〔ののし〕って家庭内暴力をふるう、およそ宗教家にあるまじきスケベ男だったとのことであるが、事の真偽はさておき、人をしてその情報を信じたくさせるような雰囲気が、確かにこの時期の伊藤真乗にはある。
 最近は八十路〔やそじ〕に達して、さすがにこの男も枯れてきたようではあるが、目つきの方は、あい変わらず死んだ魚のように濁っている。
 私が教主の容貌を長々と述べたのは、真如苑という教団の恐るべき水ぶくれ体質が、教主の肉体の水ぶくれ体質とまことに似通っていることを指摘したいからにほかならない。
[177]事情通 06/01/02 19:45 iT56loqtUO
水ぶくれは教主のお家芸(2)
 何度も言っているように、真如苑では導きの子を十世帯ぐらい作って、はじめて一人前の信者とみなされるようになっている。一世帯の人数が三人や四人いることを勘案すれば、信者総数の数十分の一の人数の人々しか「一人前」の信者にはなっていないことになる。これほどの「狭き門」でありながら、積極的に「歩み」はじめた信者の中には、わりあい短期間で導きの子を多数獲得することに成功して、上位にのし上がる人間がけっこういるのは、なぜであろうか?
 その秘密は、信者になるための条件がきわめてルーズに作ってあるところにある。
 積極的に真如苑を信じる意志のあるなしを問わず、入信書の提出と会費の支払いがありさえすれば、一応その人は真如苑の信者として認められることになっている。
 このため、早く上級信者の地位を獲得したい熱心な信者は、学校の同級生とか職場の同僚とかに対して、あまり内容を詳しく説明もしないまま、「ちょっと面白い会があるから、会員にだけでもなってみませんか」といった軽い誘いの言葉をかけて、入信書を書かせ、自分の導きの子にしてしまうということを、しばしば巧妙にやってのけている。そのようにして作られた泡沫〔ほうまつ〕信者のなかには、名目的に入会しただけで、真如苑の本部や支部には一度も顔を出さないという者も多いし、なかには、会費すら自分では払っていないで、導き親に払わせているという者もいるのである。
 教団側では、こうした形の水増し信者作りをとがめないばかりか、半ばは奨励しているようでさえある。その証拠に、真如苑が信者に配っている『内外時報』や『歓喜世界』の記事を見ると、「信者になること」と「歩む」こととのあいだには、大きな隔たりがあることを前提とした記述がいたるところに見うけられ、「歩み」はじめた信者をただ入信しているだけの信者と区別して呼ぶための「一如〔いちにょ〕教徒」という専門用語が存在するほどである。
 むろん教団では、ひとつの理想として、「お救けした導きの子はなるべく全員歩ませてあげましょう」と常々指導はしている。しかし、このようなことが理想として語られるということ自体、「お救けすること」と「歩むこと」とが実態において甚だしく乖離〔かいり〕していることの証拠と言えよう。
 こうしたことの結果生じる真如苑の導きの親子関係の系図の例を、モデル的に例示してみると、例えば第三図のようなものになる。
 この図では、一人の親(第一世代)から始まって第六世代までの導きの親子関係が作られた段階でのありさまを例示している。○はおつきあい程度に入信した名目的泡沫信者。◎は、やや積極的に「歩み」はじめた「一如教徒」。●は、十世帯以上の導きの子を持って一応「救われた」状態まで達している信者である。なお、実際には「お救け」した世帯の中がさらに複数の人間からなっているから、系図はもっと複雑になるはずであるが、このモデルケースでは、そこまでは示さないことにした。○の泡沫信者の中の何人かは、今後、病気その他を転機に「一如教徒」に転化するかも知れないし、現在◎になっている「一如教徒」のうち何人かは●へと昇格するであろう。しかしまた一方では、いくら「一如教徒」として歩んでみても思うように「所属」が伸びず、「歩み」を諦める者もかなり出るに違いない。少くとも現状で見るかぎり、この系図を構成している百五十世帯のうち、「救われた」状態に達しているのは九人だけ、曲がりなりにも「歩ん」でいる者を全員含めても二十九人にすぎない。真如苑の組織というのは、結局のところ、いつもいつもこんな調子の「ごく一部だけが救われた」形の系図が、下へ下へと連なってゆくだけのものである。
 全くもって、教主の肉体さながらのダブダブの水ぶくれではある!
[178]事情通 06/01/02 19:47 iT56loqtUO
水ぶくれは教主のお家芸(3)
 ところで、これは真如苑に入信したことのある人がみんな、体験していることだが、初信者が真如苑に入信してしばらく経つと、導き親や経親は「もうそろそろホンネを教えてもよかろう」と判断するのか、彼らの指導の中で、名目的幽霊会員作りをむしろ奨励するニュアンスが、しだいに色濃くなってくるのである。
 彼らは、最初のうちは「すばらしい教えですから、ぜひ、そのことを伝えて、人様にもこの喜びを分かとうという愛と思いやりの心をもって『お救け』しなさい」などと奇麗ごとを言っているのだが、しばらくすると、むしろ、「このみ教えは、最初はわからなくて当然なのですから、あまり内容についてくだくだ説明せずに、まずは気軽に入信だけしてもらって、その後に徐々にお育てしていった方がよろしいですよ」などと言うようになる。
 その理由づけとして、「このみ教えは密教ですから、最初からすべてを教えるものじゃありません」という論拠がしばしば引き合いに出される。この「密教云々」という殺し文句については、あとで詳しく検討する予定であるから、ここでは深入りしないことにしよう。
 もうひとつの理由づけとしてしばしば語られるのは、「この真如苑のみ教えは、たとえ歩んでいなくても、入信しているだけでもご霊界からの抜苦代受が頂けるありがたいみ教えですから、形だけでも人様を結んでさしあげることが功徳になるのです」というものである。
 その実例として、次のような逸話〔いつわ〕が語られている。
 「ある時、真如苑の末端信者の一人が交通事故で亡くなった。その人は、以前にある人に『お救け』されて信者になったのだが、『歩ま』ないままにとどまり、会費納入も滞ったままになっていた。
 摂受院様がこの人の事故のことをお聞きになり、導き親であった人に『その人の会費は続いていたのですか?』とお尋ねになった。導き親さんが会費納入が滞っていたことをお話しすると、摂受院様は『会費が続いているだけでもご霊界のお守りが頂けるから、今回のようなことにはならなかったでしょうに、残念です』とおっしゃった。
 この例からわかるように、本人自身は足が遠のいてしまっていても、導き親が会費を肩代わりして払っておけば、ご霊界が守って下さるのだから、導き親は、進んで会費を肩代わりしてでも、導きの子たちを真如苑に繋〔つな〕ぎとめるようにしなければならない」
 なるほど、たいした「お守り」ではある!
 だが、このように「会費が続いていたら守る。そうでなければ守らない」というのであれば、つまるところ、真如苑で言うところの「ご霊界」の事業そのものが、俗界における警備保障会社の霊界版と言うべき、ひとつのビジネスにすぎないことを、はしなくも自ら露呈していることにならないであろうか?
[179]カルト弾圧 06/01/02 19:59 v5RovNl2rR
事情通、いい加減疲れたよ。

結論は?

はやく結論だせよ。

ヴォケ!
[180]事情通 06/01/02 20:48 iT56loqtUO
会費が安いことのウラの理由
 さて、そこでその警備保障会社から「お守り」を頂くための「会費」であるが、これ自体は、前にも触れたように、驚くほど安いのである。一世帯当たり一ヵ月わずか二百円!
 この点はまことにありがたいわけである。が、実は、このありがたい点が、同時に巧妙な陥とし穴にもなっている。
 会費が安いために、多くの未信者が「おつきあいの入信だけならしておこうか」という気を起こす。その結果、教団の名目的な信者数はぐんぐん増える。そうしておいた上でいざ本格的に「歩む」となると、次章で明らかにするように、やれお施餓鬼だ、やれお護摩だというふうにしてどんどんカネを取り、しかも、後の段階で必要になるものほど金額が高いように仕組んであるのだから、「歩み」はじめた信者は、いわば一種の「騙〔だま〕し討ち」にかけられるわけである。
 また、会費が安いので、教団内での地位向上を目指す連中は、いきおい、一度入信書を書いて初年度の会費を払って、以後足が遠のいてしまっている名目的泡沫会員を、会費肩代わりによって、いつまでも自分の導きの子として確保しておこうとする。
 実際、「大乗」「歓喜」「大歓喜」などの相承会座に参座するためには、申し込み段階で自分の導きの子の名前を全部申告しなければならないようになっていて、その申告書に名前を載せるためには、足が遠のいてしまった信者の場合は、導き親たる自分自身が会費肩代わりをしておかねばならない。
 では、こうした足が遠のいた信者の分は、たんに会費肩代わりで名目的に繋〔つな〕ぎとめておきさえすればよいかというと、案外、そうとばかりは言えないのである。時として、そうした名目的な導きの子にいろいろ病気や家庭不和や事故などが起こると、導き親がその件に関して接心を受けることが勧められる。そして「その方がまだ歩まないうちは、あなたが肩代わりしてその方をお護摩でお浄めしておきなさい」とか、「その方のご先祖様のお施餓鬼をしておきなさい」とかいった「ご霊言」が飛び出してくるという形で、余分なカネを取られてゆく仕組みになっているのである。
 以上のように、最初はカネがいくらもかからないようにして信者の裾野をできるだけ広げておき、時とともに少しずつ、その裾野をネタにしてカネを余分に吸い上げてゆこうというのが、会費が安いことの真の理由なのである。
 なるほど、まことにもってしたたかな知恵と言うべきだ!
[181]カルト弾圧 06/01/02 20:51 v5RovNl2rR
ここもだんだん読みづらくなるな。

事情通はアラシだな。
[184]カルト弾圧 06/01/02 23:18 oKpyIsh6b7
残念ですがここには真実は一つもありません。

身内に2人の霊能者がいて自らも歓喜という霊位まで相承したというゆずさま。

今日、筋親に確認しました。

>相承するとカードを持っていかれて、紙を置いていかれます。

置いていかれるのは「相承カード」というカードのようなものだそうです。

>後日、苑内に相承者名が貼りだされます。経親にも連絡がいきます

相承しても名前が張り出されるだけで筋親に連絡は行かないそうです。

>私はインチキだと思ってます。

インチキをかいているのはあなたですね。

会座というシステムがどうなっているのか。祈りの選抜が合計何回あるのかあなたは書けないでしょう。歓喜、大歓喜を相承するときの事も筋親に聞いてみましたがあなたの言っていることと大きく異なります。

やはり私が思ったとおり相承証明の記念品がもらえるそうです。それが何なのかアナタは答えられないでしょう。

また、霊能者はある書物を貰うらしいですがその書物の名前が書けますか?

真如苑の霊能がインチキだと主張したいのに、自分がインチキを書く。それでは苑の霊能が正しいのではないかと思ってしまいます。

今まで書いたことが嘘ならば謝ってください。本当なら申し開きをしてください。


[187]カルト弾圧 06/01/02 23:23 oKpyIsh6b7
嘘つき白ウサギはどうした?

PTSDを苑のせいにする嘘つき詐欺師は高みの見物か?

出てきて申し開きしろよ。
[188]カルト弾圧殲滅 06/01/02 23:29 *BaMPn1n1l/w*Y4p7.ageZH
>残念ですがここには真実は一つもありません。

一つもない、と言い切るとはたいした度胸、あるいは無知蒙昧。
ざっと見返してみても真実はあります
たとえば、カルト弾圧がたくさんのHNを駆使して、一貫しない主張を繰り返し、個人攻撃をする卑劣漢である、というのは真実です。

>今日、筋親に確認しました。

正月早々からご苦労なことです。苑内部にいれば、聞くこともあるまいに。一人芝居もここまで来れば、ばればれなのに、ご苦労なことです。

>インチキをかいているのはあなたですね。

すごい決め付けですね。
よりどちらの話に信憑性があるかは、この板の読者が判断します。
残念ながらカルト弾圧君が思っているような結果にはならないでしょう。

>会座というシステムがどうなっているのか。祈りの選抜が合計何回あるのかあなたは書けないでしょう。歓喜、大歓喜を相承するときの事も筋親に聞いてみましたがあなたの言っていることと大きく異なります。

一介の、しかも信じるかどうか迷っている信者もどきを装っている割には、情報通(?)ですね。かきすぎるとぼろがでる。これは忠告してあげたはずです。おバカですね。

>やはり私が思ったとおり相承証明の記念品がもらえるそうです。それが何なのかアナタは答えられないでしょう。

得意満面なお顔が浮かびますが、完全に自己満足ですね。
繰り返してあげましょう
かきすぎるとぼろがでる。わかっていないのが滑稽ですらあります。

>真如苑の霊能がインチキだと主張したいのに、自分がインチキを書く。それでは苑の霊能が正しいのではないかと思ってしまいます。

このように考える思考パターンを持っているとは、小学生でしょうか?
かりに、後者がインチキであったとしても、真如苑の霊能がインチキであることとは、独立した事象です。
ゴリラはサルである、ことと、カルト弾圧がうそつきである、こととは、どちらも独立して正しいのと同じようにです。

>今まで書いたことが嘘ならば謝ってください。本当なら申し開きをしてください。

ここでも得意満面の笑みでもうかべている姿が思い浮かびますが
いやはやさもしいですね。
どちらが真のことを欠いているのか、主張が信じられるのかは、読者が判断するのですよ。
カルト弾圧・幽霊君は、書き込みすぎてぼろを出しすぎました。
そして真如苑がいかに下劣で下品かを書き残してしまったのです。
それに気づいていないとしたら、それは喜劇です。
[189]事情通 06/01/02 23:37 iT56loqtUO
「大歓喜委員バッジ」の無言の圧力
 真如苑の信者はみな、「輪宝章〔りんぼうしょう〕」というバッジを胸につけることになっている。「お袈裟〔けさ〕」とともに、このバッジを胸につけていないと、法要などに参加できないようになっている。
 ところで、このバッジには三種類のものがある。基本的な意匠はみな同じだが、第一のは、青い安物の七宝〔しっぽう〕でできている。第二のは、銀色の台の上に輪の部分だけが金色でできている。第三のは全体が金ピカである。もちろん、あとの方ほど値打ちがある。(稀には、さらに高級な特別のバッジを身につけることを許される信者もあるようだが、それは例外としておこう)
 第一のものは、信者になれば誰でももらえる。第二のものは、月五千円の「歓喜」を自発的に誓約した信者にだけ渡されるもので、「歓喜委員バッジ」と呼ばれる。第三のものは、月一万円の「歓喜」を自発的に誓約した信者にだけ渡されるもので、「大歓喜委員バッジ」と呼ばれる。
「歓喜委員」や「大歓喜委員」になるのは、あくまで自発的な誓約によるものであり、「導きの子が何人以上いる人は必ず何々委員にならねばならぬ」とか「経親は必ず何々委員でなければならぬ」とかいう規則があるわけではない。ところが、この「規則はない」というのはタテマエであって、実のところは、無言の規則というか、圧力というかがあるのだ。
 例えば、導きの子を五人ぐらい持って本格的な「一如教徒」として「歩も」うとすると、少なくとも「歓喜委員」にはなっていないと、さまにならないようにできている。さらに、智流院に入ったり、「大乗」の霊位を授かったりするぐらいの段階になると、「大歓喜委員」バッジをつけていないと、さまにならない。
 自分の導きの子が先に「大歓喜委員」の誓約を立ててしまって、自分がいまだに「歓喜委員」というのでは、指導者づらをするわけにもいかない、という無言の圧力がかかるのである。
 結果的に多少とも積極的な信者はみんな「大歓喜委員」というのが現状である。
 「月に一万円ぐらいの寄付なら、どんな宗教団体でもやっていることでたいしたことはないじゃないか」と思う読者がいるかも知れない。確かに、この「歓喜」だけが金銭的負担のすべてであるのなら、「大歓喜委員」になることも、さほど苦にはなるまい。事実、初信の頃、そういうふうに考えて、うかつに早々と「大歓喜委員」の誓約を立ててしまう人も多いのである。ところが、真如苑の金ピカ地獄はこの「歓喜地獄」だけではないという点に注意すべきである。「施餓鬼〔せがき〕地獄」「護摩〔ごま〕地獄」「交通費地獄」という後続部隊が控えている。
[190]事情通 06/01/02 23:38 iT56loqtUO
「歓喜袋」の奸計
 ところで、「歓喜」なる名の寄付金はどういうふうにして納めるのか? この納め方についても真如苑は、教団護持のために実に巧妙な手法を開発している。
 「歓喜」は「歓喜袋」という所定の袋に入れて納める。納入場所はきわめて限定されていて、立川の総本部のほか、接心を実施している大きな地方拠点の事務局の窓口でだけ受け付ける。経の上位者を通じて提出するのではなく、個人個人が直接持参する。これは経の上位者によって、歓喜のピンハネが行われる可能性を封じ、教団の腐敗を防ぐ有効な措置であるが、同時に、経がまるごと教団から分派するという霊友会的危険の可能性を封じる効果をもねらったものである。
 なお、狭い意味での「歓喜袋」と呼ばれている封筒の他に、「両童子様感謝」とか「摂受院〔しょうじゅいん〕様感謝」とか「笠法〔かさのり〕稲荷大明神様感謝」とか書いた封筒も備えられていて、これらの表書きに書かれている崇拝対象への「お奠供〔てんぐ〕」を、適宜包んで提出することが奨励されている。これらの封筒も、裏の書式は次に述べる「歓喜袋」の場合と同様である。この種の「お奠供」も広い意味での「歓喜」だが、歓喜委員や大歓喜委員の誓約を立てる際の「五千円」とか「一万円」とかいう額は、これらの「お奠供」の分を除いた狭義の「歓喜」の額である。
 さてそこで「歓喜袋」の裏の書式だが、そこには、自分の姓名のほかに、自分の属する経の名と経の整理番号と導き親の姓名を書く欄が作ってあり、それらを書いて、袋の口を糊付けして提出することになっている。だから、いくら入っていたかは事務局員が開いた時にはじめてわかるようになっており、当然ながら、領収証は発行されない。つまり、真如苑に入信勧誘されて、いろいろな甘言によってダマされたと感じた人が、後になって訴訟など起こしても、いくら払わされたかの証拠は少しも残らないから、損害の立証はできないようになっているのだ!
 それでいて教団側では、誰がいくら納入したかを把握することができるようになっており、さらに経別〔すじべつ〕集計をとることもできるようになっているのだから、巧妙なものである。この経別集計が、経の活動実績として、経親の勤務評定の資料になることは見えすいている。導き親の名前も封筒に書くわけだから、導き親別の歓喜額の集計もとることができるわけで、これが智流院入行〔にゅうぎょう〕とか相承会座への参座の許可とかの場合に、判定資料として使われるであろうことも見え見えだ。
 このようにして、経親とか導き親とかいう者は、自分の下位の者に負担をさせればさせるほど、それが自分の業績として認められるのだ。直接の金銭的報酬には結びつかないとしても、これがネズミ講の一種であることは明らかだ。しかも、経親とか導き親とかいう連中自身は、それを「負担をかける」などとは思わずに「徳を積ませてあげる」ことだと考えているのだから、なおさら始末に負えない。
 (ところで、真如苑の信者必携小冊子『一如の道』の四〇二〜四〇三頁には、立教当初、伊藤夫妻の窮乏生活を見るに見かねたある人が「講を作ってあげよう。百人集まれば生活ぐらいはたつだろう」という案を親切にも持ってきてくれたのに対して、摂受院がお不動様にお伺いを立ててこの案をしりぞけ、「あくまでも救われた人たちだけの力でやってまいります」と誓ったという話が出ている。その後ネズミ講組織を作り上げた真如苑は、明らかにこの初心に背いている!)
 これは例の秋山博彦さんの体験だが、彼は、入信後二ヵ月、三ヵ月と経った頃、どうも「歓喜」を勧める経親の態度があやしいことに気付き始めた。隙〔すき〕さえあれば、何とかしてあらゆる問題を「歓喜」に結び付けてしまおうという意図が見え見えなのである。彼は、真如苑を信仰するについて家族の賛成が得られないこと、自分自身のすでに身につけていた人生観、宗教観から見て、この真如苑の教えが特に高い教えとも思えないことなどを率直に訴えて、経親の指導を乞うたのだが、経親は、質問内容にはまともに答えもしないまま、次のようなことを言い出したのであった。
 「初信のかたは護法善神〔ごほうぜんしん〕様(真如苑の守護神)にお守りいただくことで、だんだんそういう問題は解決してゆきますから、まずは笠法〔かさのり〕様(護法善神のひとつ)と弁才天〔べざいてん〕様(護法善神のひとつ)へのお奠供を、毎月、歓喜といっしょに、少しずつ積まれるとよろしいわね。護法善神様というのは、いろいろきめ細かくお使いみたいなことをして下さる方なのよ。子供だって、お使いさせたらお駄賃包んであげるじゃないの。それと同じですよ」
 妙に甘ったるい猫なで声で、何を言い出すのかと思えば、結論は要するに、普通の「歓喜」のほかに、毎月、二千円ぐらい包んだ封筒をふた袋、余計に出せということなのだ。
 秋山さんは、この時のことは、思い出すだけでも胸くそが悪くなると話している。
[191]カルト弾圧 06/01/02 23:42 oKpyIsh6b7
おいおい。まともに論破できないからってまたわけわからないのに逃げ込むな。

で?お前のバカ妻は足抜けできたのか?

何にも出来ないアフォ。

会座の事など現役の真如教徒に聞けばすぐにわかることだ。

ゆずはそれを解らないだろうと一般人を騙したのだ。

実にさもしいことではないか。

それでも恥は知っているらしくもう出てこないがな。

一般人、お前も恥を知ったらどうだ?

ふぬけ!
[193]カルト弾圧 06/01/03 01:02 oKpyIsh6b7
和音へ〜

お前のダメ亭主がカルト宗教に嵌った最大の理由、お前の不倫について聞かせてくれよ。

今まで、結婚以降、何人の男と関係もった?

ちなみに俺も現役大学生で満足させる自身あるけど?

旦那以外の男とのSEXは気持ちいいか?

やめられないか?

それじゃ真如苑の精舎は入れないよな。はっはは。
[194]カルト弾圧 06/01/03 01:04 oKpyIsh6b7
白うさぎも欲求不満でネットでセフレを探してるらしいな。

2人も子供がいるけどまあやりたいだけの男は沢山いるからな。

そうやって性欲は満たしてるようです。
[195]カルト弾圧 06/01/03 01:18 oKpyIsh6b7
茜へ

苑では情問題にうるさいらしいな。

自由にsexもできないなんて窮屈だ。

お前もsexを自由にしたくてやめたんだろ?

sexしようぜ。

メルアド教えてくれよ。会いにいくから。一緒に気持ちよくなろうぜ。
[196]カルト弾圧 06/01/03 01:29 oKpyIsh6b7
和音へ

旦那以外の男とのSEXは気持ちいいか?

レスまってるぜ!
[197]カルト弾圧 06/01/03 01:32 oKpyIsh6b7
白うさぎ

レンドルミン1錠で「私は精神病です」って嘘つく気分はどうだい?

それで精神病患者騙せると思ってるのかい?

お前の2人の子供もロクな育ち方しねーだろーな。
[198]カルト弾圧 06/01/03 01:52 oKpyIsh6b7
和音へ

お前フェラ好きか?口の中にだされたらちゃんと飲んであげる?

旦那の血液型は何型だ?同じ血液型なら中だしさせてるんだろ?

雌豚。

一丁前によくここに顔出せるものだな。
[199]カルト弾圧 06/01/03 02:07 oKpyIsh6b7
白うさぎ。騙されるほうから騙す方になった気分はどうだい?

お前の腕ならチン○大好きな和音を騙すのもわけねーよな。

まぁ、頑張れよ。

嘘つき白うさぎ。
[200]幽霊撲滅 06/01/03 09:06 *K4SCotiuBo6*Y4p7.ageZH
先板にあらわれた幽霊というHNの書き込み者は、
カルト弾圧と名を変え、或いは他にもHNを駆使して、
低俗な書き込みを続けています。

191から199のような書き込みは、
その本性をなによりもあらわしています。

その低俗さ、個人への誹謗中傷ぶり、
下品で下劣で低級な内容は
苑の擁護派であるとすれば、
あまりに己が未熟さを露呈しすぎています。

これが、真如苑の教えを盲信した末路です。
あなたはこのような人物になりたいですか?

相手に対する高い攻撃性は、
かの御仁が苑信徒ではないようにみせかけるでしょう
しかし、それをねらった書き込みではありませんか

カルト弾圧が書き込んだ内容をみなおしてごらんなさい。
荒れた言葉を使いながら、
苑の教えにかんする所では、ネコ撫で声ごとく文体も変えています。

苑には二面性があります。
仏教を語っていますが、仏教とは似て非なるものです
その本質は、カルトであり、信徒から薄く広く長くやがて厚く集金するねずみ講システムなのです。
水ぶくれ真如苑、はその本質を抉り出した名著です。
それを危険視した苑から著者への嫌がらせは熾烈で、
発行された水ぶくれをかいあさり、苑内で処分したとも言われてます。
焚書坑儒じゃあるまいに。

今ならまだ遅くはありません。
カルト弾圧・幽霊のように、落ちるところまで苑を盲信するのか、
それとも、まっとうに悩み多き人生を歩むことを選択するのか。
今の継主は、信者を増やすことには興味があっても、仏になるための教えを本質を知ることには興味はないようです。教祖である父を褒め称えることはしても、姉妹とは絶縁したままなのです。

もう一度考え直しましょう。考えることをはじめましょう。
新しい年を迎えて今こそ良い機会です。自ら考えることを、悩むことを、壁にぶち当たることを、逃げずにやっていきましょう。
[201]幽霊撲滅 06/01/03 09:09 *K4SCotiuBo6*Y4p7.ageZH
この板でも事情通氏が、水ぶくれ真如苑の一節、一節を紹介してくれています。曇りない眼で、曇りない心で、その内容を読んでみてください。

そしてそのあと、カルト弾圧・幽霊・真如教徒・信者となのって
書き込みをしていたものが遺した文章をよんでみてください。

191から199のような書き込みは、
その本性をなによりもあらわしています。

その低俗さ、個人への誹謗中傷ぶり、
下品で下劣で低級な内容は
苑の擁護派であるとすれば、
あまりに己が未熟さを露呈しすぎています。

これが、真如苑の教えを盲信した末路です。
あなたはこのような人物になりたいですか?

相手に対する高い攻撃性は、
かの御仁が苑信徒ではないようにみせかけるでしょう
しかし、それをねらった書き込みではありませんか

カルト弾圧が書き込んだ内容をみなおしてごらんなさい。
荒れた言葉を使いながら、
苑の教えにかんする所では、ネコ撫で声ごとく文体も変えています。

苑には二面性があります。
仏教を語っていますが、仏教とは似て非なるものです
その本質は、カルトであり、信徒から薄く広く長くやがて厚く集金するねずみ講システムなのです。
水ぶくれ真如苑、はその本質を抉り出した名著です。
それを危険視した苑から著者への嫌がらせは熾烈で、
発行された水ぶくれをかいあさり、苑内で処分したとも言われてます。
焚書坑儒じゃあるまいに。

今ならまだ遅くはありません。
カルト弾圧・幽霊のように、落ちるところまで苑を盲信するのか、
それとも、まっとうに悩み多き人生を歩むことを選択するのか。
今の継主は、信者を増やすことには興味があっても、仏になるための教えを本質を知ることには興味はないようです。教祖である父を褒め称えることはしても、姉妹とは絶縁したままなのです。

もう一度考え直しましょう。考えることをはじめましょう。
新しい年を迎えて今こそ良い機会です。自ら考えることを、悩むことを、壁にぶち当たることを、逃げずにやっていきましょう。
[202]一般人 06/01/03 10:12 WMZivMtSDp
信者が不祥事を起こすと 稀には事務局員が菓子折り持って土下座しに行くことがあるようですが
それ以前に まともな指導がいっさい無いわけで。
だから「やらねばわからない」と教団の正体中身を隠して、高橋恵子に会える、などと言ってしつこく誘う行為
などが 減らないわけです。
「改善」すれば収益もまた減りますから。意図して策を出さないのです。


改善するには 指導チラシを1枚配れば済むことなのですが、たぶんその経費が無いんじゃないでしょうか。
だからもっと、献金すべきなのでしょう!

もちろんその信者さんたちは、「因縁切りたければ人を連れて来い」と脅されているので可哀想なのですが。
[203]カルト弾圧 06/01/03 10:25 oKpyIsh6b7
キチガ○を苑徒とつなげたがる発想。

「曇りない目」?笑わせるな。

>あまりに己が未熟さを露呈しすぎています。

>これが、真如苑の教えを盲信した末路です。
>あなたはこのような人物になりたいですか?

俺は苑からも省られてるよ。アフォ。

勝手な結論でっち上げてキチガ○ぶりをアピールしてんじゃねーぞ、恥ずかしい。
[204]事情通 06/01/03 10:41 iT56loqtUO
お施餓鬼は年に六回?いや十八回!
 真如苑では「お施餓鬼〔せがき〕」という名の先祖供養を重視している。そこで、入信勧誘にあたっては、この「ご先祖供養」を売り物にして「とてもよいご先祖供養をしてもらえる会がありますから入ってみませんか?」という形で誘うケースが多い。教団の末端を構成する名目的信者の中には「歩み」はしないがこのお施餓鬼だけはお願いしているという形の「お施餓鬼信者」がかなりいるようである。
 さて、真如苑では、年に六回、定期的な「お施餓鬼」が行われる。「初廻向〔はつえこう〕(一月)」「春彼岸(三月)」「お盆(七月)」「水施餓鬼(八月)」「秋彼岸(九月)」「一如まつり(十一月)」の六回である。この定期的な「お施餓鬼」は、信者が供養してほしい先祖や縁者の名前をお奠供の額とともに書いた紙を、経ごとに綴〔と〕じて提出するので、「お奠供帳〔てんぐちょう〕」による「お施餓鬼」と呼ばれている。このお奠供帳のお施餓鬼にだけ参加しているかぎりは、それほどのお金はかからない。「お奠供」は一霊あたり五百円が原則だから、自分の父母および両系の祖父母の合計六人にお施餓鬼するとすれば三千円、年間で一万八千円である。これに年会費二千四百円を加えても二万四百円というわけで、このくらいなら、おつきあいとして入信しておくのも悪くはない、ということになる。
 ところが、もしいったん「歩み」はじめたとなると、状況は一変してしまうのだ。「歓喜」を強制されるのは前に述べた通りだが、それだけでなく、「お施餓鬼料」自体が、当初のお奠供帳だけの場合に比べて数倍のものにふくれ上がってしまう。そのからくりを説明しよう。
 接心を受けはじめると、「あなたには、これこれの病気で亡くなったご先祖様がいらっしゃいます」などと、ウソか本当かわからないような「ご精霊〔しょうりょう〕様」を必ず何体か指摘され、「そのかたに対してもお施餓鬼をするように」しかも「一年や二年は続けて毎月お施餓鬼するように」と教示されるのが常である。そして、こうした因縁の諸精霊については、「お奠供帳」の場合にも、今までのふつうの先祖に加えてお施餓鬼対象にするようにと勧められる。
 そこで仮に、接心でそのような「ご精霊様」を五体示されたとしよう。すると、この五体に対しては、当分の間、毎月お施餓鬼することになるから、料金は毎月二千五百円、一年で三万円となる。これに加えて「お奠供帳」でのお施餓鬼も一回分が十一体となるので五千五百円となり、年六回では三万三千円。合計するとお施餓鬼料だけでも六万三千円となる。(接心で示された「ご精霊様」に対しては、年間十八回もお施餓鬼を命じられていることになる)
 「接心で示されるような『ご精霊様』については一年か二年お施餓鬼を続ければよいのだから、あとは楽になるだろう」と考える読者もいるかも知れないが、そうは問屋が卸〔おろ〕さない。最初のご精霊様が立派に「浄まる」ころには、さらに次の「因縁」が示されるというぐあいで、「歩む」信者は、常に、四体や五体ぐらいの特別の「ご精霊様」に対してお施餓鬼をさせられ続けることになる。
 そしてこの施餓鬼料の場合も、経の名と経の整理番号を書いて申し込むことになっているので、経別に集計して勤務評定の資料にすることができるわけだ。
 教団では、この「施餓鬼地獄」への信者の不満を抑える目的で、次のようなことを信者に教え込んでいる。
 「このお金は、けっして教主様の身に着くものではないのですよ。教主様だって、ご自分の関係のご精霊様のお施餓鬼をお金を払って申し込んでおられるのです。教主様は、教団からの決められたお給料でつつましく暮らしておられ、その中からわざわざお金を割〔さ〕いて、毎月、ご自分の関係のご精霊様六十体以上について、お施餓鬼を申し込んでおられるのですよ!」
 教主様が「お給料でつつましく暮しておられる」ということ自体、眉唾〔まゆつば〕だが、たとえそうだとしても、「六十何体ものお施餓鬼を……」というのは不思議でも何でもない。それができる程度の余裕をサバ読んで、教団幹部が「教主様のお給料」を決めてさしあげておきさえすればいのだから。(ついでながら、ここで使った「サバ読む」という言葉は、まさにこの言葉の語源どおりの意味で使ったことになる。禅の修行僧は自分の食事の中からひとつまみを餓鬼に施す「サバ」としてさし出すことを、修行として義務づけられているが、「サバ」をさし出した残りでちょうど満腹になるように、最初から余分に飯を盛り付けておくずるいやり方を「サバを読む」と言ったのである)
 ともあれ、「信者が教団にさし出したお金は、けっして教主様の身に着くものではない」ことをはっきりさせたいなら、なによりもまず、総本部や東京本部の正門に「伊藤真乗」という個人名の表札を掲げることを、きっぱりとやめてもらいたいものだ!
[205]事情通 06/01/03 10:43 iT56loqtUO
「七分獲一」のボロもうけ
 「葬式仏教」と揶揄〔やゆ〕されるように、現代の日本では葬式や法事の謝礼が僧侶の主な収入源になっている。その結果、僧侶の本分は死者儀礼であると、多くの人が誤解するまでになっている。しかし、本来は、死者に対する儀礼は仏教の主眼とするところではない。原始仏教の時代には、むしろ、死者儀礼は在家の人々のとり行うこととされ、仏教僧はこれに携わることを禁止されていた(釈尊ご自身、亡くなる前に、出家の弟子たちの前で「私の葬式のことなどは在家の人々に任せておきなさい」と言い残された)。
 同時代のバラモン僧たちは、「死者がよい世界に生まれ変わるように祈ってやる」などと言って、もっともらしい儀式をとり行なって無知な人々を欺〔あざむ〕いていたが、釈尊はこうしたことを宗教家の堕落と考えておられたのである。
 「祈りによって死者をよい世界に生まれ変わらせることができるでしょうか?」と問うた人に対して、釈尊が次のように問答されたのは有名な話である。
 「ここに石があるとする。これを池の中に投げ込んだらどうなるかね?」
 「むろん沈みます」
 「ではその池のほとりに行って『石よ浮かんでこい、石よ浮んでこい』と祈って、石が浮かんでくるということがあるだろうか?」
 「いいえ、そんなことはありません。石は最初から水に沈む性質を持っているからです」
 「そうだろう。人の死後もそれと同じだよ。一生の間極悪の行為を続けて死んだ人が、あの世へ行ってそれにふさわしい世界に堕〔お〕ちるのは、水に沈む性質を備えた石が池の底に沈むのと同じだよ。『天国へ昇れ、天国へ昇れ』と他人があとから祈ったところで、それで天国へ昇れるというものではないのだよ」
 原始仏教の結論はこういう明快なものであった。
 ただ、後に「それではあまりに死んだ人に気の毒だし、残された者の心にも納得がいかない」と考える人が増えてきたので、仏教でも、ひとつの方便として、死者のために祈るということをやりはじめたのである。さらに、大乗仏教の立場に立てば、「菩薩の境地で行われた善行ならば他人に対しても『廻向〔えこう〕』できる」という考えが成り立つので、そういう意味でも、死者のための「追善廻向〔ついぜんえこう〕」を教理上肯定できる余地が生まれてきた。
 しかし、仏教の原則はあくまで「自業自得〔じごうじとく〕」である。この原則をゆるがせにすることは混乱を招く。そこで、「死者への廻向は無意味ではないが、人間はやはり何と言っても、生前に正しく生きることこそが肝心なのだぞ」ということを教えておく必要があった。
 そのための戒めとして、「生者が死者に対して自己の善行を廻向したら、七分の一だけを死者が受け取ることができて、七分の六は生者自身の徳となる」というようなことを説いた経典が作られた。これを「七分獲一〔しちぶかくいつ〕の理」という。要するに、俗人に対して「生きている間が肝心だぞ」と戒めるとともに、僧侶に対して「仏教の本旨は人間のよりよい生き方を指導するところにあるのであって、死者のことに関わるのは二の次だぞ」と戒めたわけである。
 ところが、真如苑という野心家集団の手にかかると、この「七分獲一の理」が、逆に、死者への追善のための金は出せば出すほどよいという金ピカ地獄の正当化の論拠になってしまったのだから、世も末である。
 真如苑の指導者は、この「七分獲一の理」を論拠に、あつかましくも次のように言うのだ。
 「あなたが七千円のお金を払ってご精霊様の追善をしてあげたつもりでいても、ご精霊様に届くのは千円分の功徳だけなのです。亡くなったかたに七千円分の功徳を、本当にさし上げたければ、四万九千円のお施餓鬼をしてあげねばなりません。一万円分の功徳をさし上げたければ、七万円のお施餓鬼をしてあげねばなりません。だから、お施餓鬼は一回教主様にお願いしたからそれでいいというものではなくて、何度も何度も、追いかけ追いかけ修していただいて、はじめて因縁が切れてゆくものなのです。
 まことに「七分獲一」とはうまいことを言ったものだ。昔の人は便利なリクツを作っておいてくれたものだ!
[206]カルト弾圧 06/01/03 10:56 oKpyIsh6b7
で、施餓鬼の問題点は金を吸い取られる所にあるのか?

やりたくなきゃやらなければ良いだけの話じゃねーの?
[207]幽霊撲滅 06/01/03 11:17 *ECH3EaQHkwO*Y4p7.ageZH
この板でも事情通氏が、水ぶくれ真如苑の一節、一節を紹介してくれています。曇りない眼で、曇りない心で、その内容を読んでみてください。

そしてそのあと、カルト弾圧・幽霊・真如教徒・信者となのって
書き込みをしていたものが遺した文章をよんでみてください。

191から199のような書き込みは、
その本性をなによりもあらわしています。

その低俗さ、個人への誹謗中傷ぶり、
下品で下劣で低級な内容は
苑の擁護派であるとすれば、
あまりに己が未熟さを露呈しすぎています。

これが、真如苑の教えを盲信した末路です。
あなたはこのような人物になりたいですか?

相手に対する高い攻撃性は、
かの御仁が苑信徒ではないようにみせかけるでしょう
しかし、それをねらった書き込みではありませんか

カルト弾圧が書き込んだ内容をみなおしてごらんなさい。
荒れた言葉を使いながら、
苑の教えにかんする所では、ネコ撫で声ごとく文体も変えています。

苑には二面性があります。
仏教を語っていますが、仏教とは似て非なるものです
その本質は、カルトであり、信徒から薄く広く長くやがて厚く集金するねずみ講システムなのです。
水ぶくれ真如苑、はその本質を抉り出した名著です。
それを危険視した苑から著者への嫌がらせは熾烈で、
発行された水ぶくれをかいあさり、苑内で処分したとも言われてます。
焚書坑儒じゃあるまいに。

今ならまだ遅くはありません。
カルト弾圧・幽霊のように、落ちるところまで苑を盲信するのか、
それとも、まっとうに悩み多き人生を歩むことを選択するのか。
今の継主は、信者を増やすことには興味があっても、仏になるための教えを本質を知ることには興味はないようです。教祖である父を褒め称えることはしても、姉妹とは絶縁したままなのです。

もう一度考え直しましょう。考えることをはじめましょう。
新しい年を迎えて今こそ良い機会です。自ら考えることを、悩むことを、壁にぶち当たることを、逃げずにやっていきましょう。
[208]カルト弾圧 06/01/03 11:19 oKpyIsh6b7
コピペしかできないのか?無能が!
[209]田舎 06/01/03 11:54 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy
幽霊もコピペ多用してんじゃね〜か、相手は鏡だ
[210]事情通 06/01/03 12:27 iT56loqtUO
「お護摩」は最低二千円
 それでも「お施餓鬼」だけならばなんとか耐えられるのだが、次に、「お護摩」と称するもっと厄介〔やっかい〕なものが出てくる。
 前にも述べたように、真如苑というところは、やたらと「障害霊」が現れるオソロシイところである。「歩み」はじめて半年もすると、接心の中から「ご精霊〔しょうりょう〕様」ばかりでなく「障害霊」もまたゾロゾロ現れてくるのだ!
 導きの子が「堕ちる」と、必ず「障害霊」が示されるということは前に述べたが、本人自身の家系に関しても、「あなたのご先祖様が家の中にご利益信心のお稲荷様を祀〔まつ〕っていたのが見えます。これがあなたが正しい道を歩む障害になっていますので、お護摩でお浄めしていただきなさい」などという「ご霊言」が出てくる。
 接心で示される以外にも、経親の日常指導の中で「お浄め」の必要性を、指摘される場合も多い。本人自身がいろいろ信仰遍歴したあとで真如苑にやってきたような場合、指導者は最初は「真如苑はすべてを摂受するみ教えですから、前の信仰を無理しておやめになることはありませんよ」などと言って、寛大さを誇示しているが、いざ本格的に「歩み」はじめると、指導者の態度が一変する。「いつまでも教主様一如の信が確立しないのは、前に遍歴してきた信仰が障害になっているからです。それらの教団をお護摩でお浄めしていただきなさい」などと指示するようになるのだ!
 ところがこの「お護摩」というやつがくせ者。
 「一項目五百円」となっているので、一見するとお施餓鬼の「一体五百円」と同じと思われる。ところがだ! お護摩は「み仏様」と「護法善神様」とのお守りをいただいて修していただくものだから、「お浄め」という項目にマルをつける前に必ず「仏恩報謝〔ぶっとんほうしゃ〕」「笠法〔かさのり〕稲荷大明神様法楽〔ほうらく〕」「八大弁才尊天〔はちだいべざいそんてん〕様法楽」という三項目にもマルをつけねばならないというのだ。こういうわけで「お浄め」一件を頼むのでも、最低二千円は必要ということになる。
 以前に三つの教団を遍歴してきましたなどという人は、当分の間、「お浄め三件分のお護摩」すなわち三千円の護摩を毎月申し込まねばならないことになる。一年分で三万六千円である。
 それに加えて、時たま接心で別の「障害霊」を指摘されると、そのつど二千円かかるわけであり、仮に一年にそういう「障害霊」が五回示されたとすると、そのための臨時の護摩料が一万円ということになる。さらに「堕ちた」導きの子の背後の「障害霊」を「浄める」ための「お護摩」を命じられ、これを一年間続けたとすると、二千円の十二回分で二万四千円ということになる。
 そして、接心を受けること自体にもカネがかかるのはもちろんである。相談接心の一回分の「冥加料〔みょうがりょう〕」は二千円、向上接心の一回分の冥加料は五百円である。だから、例えば、接心を年に十五回受け、そのうち七回は相談接心、八回は向上接心だったと仮定すると、「冥加料」の合計は一万八千円ということになる。実際、次に述べるように、一年間にこのくらいはいやおうなしに接心を受けさせられるようになっているのだ。
 以上いろいろ述べてきたが、ここで、今までに述べた金ピカ地獄の「標準例」の場合の、一年間に払わされるお金の額を集計しておこう。

  会費(一ヵ月二〇〇円)      …………  二、四○○円
  歓喜(大歓喜委員の場合)     …………一二〇、〇〇〇円
  護法善神様お奠供         ………… 四八、〇〇〇円
  施餓鬼料(接心で示されたもの)  ………… 三○、〇〇〇円
   同  (お奠供帳)       ………… 三三、〇〇〇円
  護摩料(信仰遍歴のお浄め)    ………… 三六、〇〇〇円
   同  (接心で示されたもの)  ………… 一○、〇〇〇円
   同  (堕ちた導きの子のお浄め)………… 二四、〇〇〇円
  相談接心冥加料(七回)      ………… 一四、〇〇〇円
  向上接心冥加料(八回)      …………  四、〇〇〇円
                 合計…………三二一、四〇〇円

 これは多少積極的な信者の場合のいわば「最低水準」の「標準例」である。より積極的に歩もうとすれば、「護法善神様だけでなく、両童子様と摂受院様にもお奠供をさしあげるのがよろしいわね」とか、「職場の人たちと和合するためには、同僚のみなさんのご先祖様のお施餓鬼をしてさしあげて陰徳を積むのがよろしいわよ」などという経親の指示が、次から次へと手を変え品を変えて出てくるようになっているのだから、まともにつきあっていたら、どこまで負担させられることになるか、全く計り知れない。
 さらに、この計算の中にはまだ交通費が含まれていないことにも注意しておこう。
[211]事情通 06/01/03 13:05 iT56loqtUO
接心は月に最低一回泊まりがけ
 前の「卓抜した霊能者統御法」で詳しく述べたように、真如苑では、霊友会の失敗の轍〔てつ〕を履〔ふ〕まないための安全装置として、日常指導と霊能指導を厳格に分離している。そして、霊能指導たる「接心」を授ける場所を極端に限定して、霊能者と信者との関係が「総当たり制」になるように気を配っている。しかもしれでいて、「歩み」はじめた信者は最低月に一回は接心を受けねばならないと義務づけられている。このため、総本部や有力拠点から遠い所に住んでいる信者にとっては、交通費が膨大なものになる。
 例えば、岡山市に住んでいる信者の場合、大阪精舎に行かないかぎり接心は受けられないので、往復一万一千円ぐらいの旅費を覚悟しなければならない。しかも、接心は法要の開始前に受け付けが行われるので、午前七時ごろに行って順番をとらないと早い番はとれない。そんなわけで、遠隔地の者は泊まりがけで臨まねばならないことも多い。さらに、積極的信者たる資格要件として、総本部や有力拠点での苑内奉仕(教団の建物の中での奉仕活動)に時々参加することが挙げられており、岡山市の信者でも、時々はこの目的のために大阪精舎へ赴かねばならないことになる。そこで、接心を年に十五回受けた上に、苑内奉仕の目的で五回大阪精舎に行ったとすると、一年間に合計二十回大阪精舎参りをしなければならないことになり、宿泊費を無視して交通費だけ合計したとしても、二十二万円かかることになる。
 この他にも、十月に行われる「斉灯護摩〔さいとうごま〕」とか、「教主誕生祭」「霊能感謝祭」「一如まつり」の三大祭などの際には、何のかんのと出費を強いられるようにできているので、そうした「雑費」が五万円や十万円はかかることを覚悟しておかねばならない。
 しがない予備校教師の秋山博彦さんや、つつましい主婦の西村春子さんが「とてもつきあいきれる教団ではない」と思ったのは、まことにむべなるかな、である。
 さらに追い討ちをかけて、ひどい金ピカ地獄が待っている。修行が進んで霊位が向上すると、さらに金がかかるのだ。なぜかというと、歓喜以上の相承会座〔そうじょうえざ〕は、立川の総本部でしかやっていないからだ! いちばん下の大乗の会座だけは大阪精舎などの地方拠点でもやってくれるが、歓喜以上は完全な一点集中主義なので、九州の信者などは飛行機で通うことになるのだ! しかも、この相承会座というやつは、いったん参座しはじめたら、毎月続けて参座しないといけない。そして、五回か六回は参座しないことにはパスしないようにできている。
 そんなにまで金をかけて、しかも家庭の主婦が子供の面倒を他人に任せたり、職業人が職場を休んだりしてまで、なんでそんな霊位なんぞというものを得なければならないのか、常識人なら理解に苦しむところである。
 「これが自分自身の因縁切りの道であり、ご恩をいただいた教主様へのご恩返しの唯一の道だ」と信じ込むと、それが可能なのであろうか?
 「これは、いくらなんでもひどすぎる。何かウラがあるのではないか? もしかしてある程度以上地位が向上すると経済的にも何らかのウラの報酬がつくようになっているのではないか?」と、私などはかんぐりたくなるのだが、読者のみなさんはどうお感じだろうか?
 ともあれ、身ぐるみ剥がれた人が、やむをえず教団専従者になれば、その時点からは教団の身入りに応じて、給料もボーナスもたんまり出るのはもちろんのことである。
[212]カルト弾圧 06/01/03 13:51 oKpyIsh6b7
一生懸命に教えを求めてい居る人もいるという感動的なお話ですな。
[236]事情通 06/01/03 14:16 iT56loqtUO
経別指導の膨大なロス(1)
 真如苑の信者を責めさいなむ金ピカ地獄の最後のものは、大教団の中ではいまや珍しい旧態依然の経別〔すじべつ〕指導方式のために必要になる経費である。
 第二部第二章の「『ご霊言』は絶対の真理?」の中で示した、例の西村春子さんは、実は九州に住んでおられる。彼女の導き親の沢田道代さんは東京在住者である。そして、西村さんが導いた川口良子さんは、これまた東京の人である。だから、川口さんが西村さんの手紙を読んで真如苑に興味を持ち「私もそこへ行ってみたい」と言いだした時、総本部に彼女を連れていったのは沢田さんであった。しかし、こういう場合でも、最初に川口さんに真如苑のことを教えたのが西村さんなので、川口さんの導き親はあくまで西村さんということになる(第四図)。常識で考えれば、川口さんのことは沢田さんがバトンタッチして面倒を見ればよさそうなものだ。ところが真如苑では、「導きの親子関係はみ仏様がいちばんふさわしい人と人を結び付けて下さるものだから、人間側の都合で切ったり貼〔は〕ったりしてはならない」などと言って、あくまで、最初の紹介者が誰であったかによる遠回りの経路を保存させようとする。
 西村さんのケースでは、川口さんが真如苑をさっさと辞めてしまったから、よかったようなものだ。もし川口さんが真如苑を続けていれば、機関誌『内外時報』の送付も「沢田(東京)→西村(九州)→川口(東京)」というまわりくどい方法で郵送することになるし、教えを「歩む」上での重要事項の質問は、まず川口さんが西村さんに電話を掛け、それを受けて、西村さんが再び沢田さんに電話を掛けるという、とんでもない電話代のかかる方法で行わねばならない。(軽微な事項の質問は川口さんが直接沢田さんに尋ねてよいが、重要事項は必ず導き親を通すように、と指導しているのだ。さらに、毎月の早朝奉仕〈地域の清掃奉仕〉に何回参加したかの報告も、必ず導き親を通じて取りまとめてゆくことになっている)
 こんなことをやっていたら、電話代がひと月に一万円やそこらは軽くふっとぶのを覚悟しなければならない。
 さらには、「導き親は、ふだんは遠く離れていて直接会って指導できない導きの子に対して、年に一回ぐらいは直接会って指導するのが望ましい」とされている。そして、「み仏様から流れ出す法流は、あくまで導きの親子関係の筋道を通って流れてゆくのですから、ふだんはやむをえず別の人に日常の指導を肩代わりしてもらうとしても、本当は、導き親さんが直接お会いして指導する時に、いちばん強く法流が流れ込んで行って、そのかたを浄めてゆくのです。この尊いお役目は、他の人では肩代わりできないのですよ」などと神秘めかしたことが語られる。
[237]事情通 06/01/03 14:17 iT56loqtUO
経別指導の膨大なロス(2)
 だが、こういう虚仮〔こけ〕おどしの「神秘めかし」にダマされてはいけない。本当の理由は別のところにあるのだ。
 布教の筋道を辿〔たど〕る複雑怪奇な「経」組織を厳然といつまでも保存しておけば、これが「地域の拠点ごとに集う信者集団」に対して、横断的な形で食い込んでくる。結果的に、「地域」と「経」との縦横の糸ががんじがらめに織り合わされた形になり、教団は不動の一体性を保つことができるようになる。その意味で、旧態依然たる「経」組織を維持するのは、教団の結束のためにきわめて有効な手段なのだ(第五図参照)。
 しかし、このために払わされる信者側の金銭的・時間的ロスは膨大なものだ。それを知っていながらすまし顔ができる教団幹部という怪物どもは、「教団の結束のためならばどんな犠牲でもござれ」と考えているとしか思えない。
 しかもさらに憎たらしいのは、こうした幹部どもが信者を洗脳して、常識人ならとても言えないようなことを平気で言う人間を作ってゆく、ということだ。
 川口さんが「やっぱり真如苑はやめます」と言い出した時、経親と相談した沢田さんは、九州の西村さんに電話を掛けて「川口さんを『堕とさ』ないために、あなたが教化の接心を受けなさい」と命令してきたのだが、その電話口で彼女は次のようなことを、平然と、しかも権威ありげに「教えを垂れる」口調で言ってのけたのだ。
 「こういう場合は、本当は、導き親である西村さん自身が、飛行機ででも何ででも、すぐに東京まで飛んできて川口さんを説得してあげるというのが、いちばんみ仏様のみ心にかなうのよ」
 常識人ならば、家庭の主婦として毎日忙しく働いている人を相手にこんなことを言う場合には、「時間と交通費をおかけしてたいへん申し訳ないのですが」ぐらいのご挨拶は、当然あってしかるべきところだ。が、「教主様一如〔いちにょ〕」の沢田さんには、もはやそういう常識は期待できなかった。西村さんは、そのとき「導き親」としての沢田さんを、「学校友達だった時代の昔の沢田さんと比べて今昔の感にたえず、旧友をこんな教条人間にしてしまった真如苑というものに対して、はじめて憎しみを覚えたという。
 しかし、それにしても、「地域拠点と信者の系列組織とを分離した上で、地域と経とをがんじがらめに交錯〔こうさく〕させる」という方式は、教団の分裂を避け、教団財産を誰にも奪われないようにするためには、実に効果的な方法である。このような、悪魔的とも言えるほど狡猾〔こうかつ〕なやり口は、いったいどういう知恵者が考え出したものであろうか? 私の感触を言わせていただくなら、こういう知恵は、どう見ても伊藤が一人だけで考えつくとは思えないのであるが、読者のみなさんはどうお感じだろうか?
[240]カルト弾圧 06/01/03 16:08 DuMrU/rlj.
俺の必死のカキコもぜーんぶ削除。

こうして言論弾圧するんだな。

苑を批判する資格あるのかよ、お前らに。あ?
[241]事情通 06/01/03 17:16 iT56loqtUO
有名人・有力者を入信させるは大功徳!
 かつて天理教は、信者にやたらと金銭的貢献を要求し、信者の身代を身ぐるみ剥ぐようなことをするというので世の顰蹙〔ひんしゅく〕を買い、「悪しきを払うてたぁすけ給え、天理王の命〔みこと〕」という祈り言葉をもじって「屋敷を払うて田ぁ売り給え、天秤棒の命〔みこと〕」と揶揄〔やゆ〕されたことがある。
 真如苑も全く同じ流儀であり、くそ真面目につきあっていたら、ふつうの財力の人間にとっては「屋敷を払うて田ぁ売る」結果になりかねない。いや、相当な資産家であるならあるで、経親や導き親から「分相応に歓喜なさるのがみ仏のみ心にかなう」などとおだて上げられ、普通の人が十万円ずつ注ぎ込むところを百万円ずつ注ぎ込むようなマネをして、結局、同じように「屋敷を払うて田ぁ売る」ハメになることもあるようだ。
 初信者に対しては、この信仰にカネがかかるということを、導き親はなるべく隠そうとするようである。私が真如苑に潜入した際の導き親もそうであった。
 私が「お金がかかるんですか?」と問うと、彼女は次のようにお茶を濁して、質問の矛先〔ほこさき〕をかわすのであった。
 「いや、確かに接心でご精霊様を示された場合など、一時的に出費がかさむこともありますが、結局は、それによって因縁が切れるわけですから、そういう出費を補って余りあるだけ、いいお給料の入る仕事がいただけたりして、必ずプラスになってゆきますよ」
 しかし、二ヵ月、三ヵ月とたつうちに、導き親が漏らす何げない言葉の端々から、どうやらとてつもなく金がかかるらしいということが、読み取れるようになってくる。あるとき、導き親は雑談のついでに次のようなことを言った。
 「○○会社の社長さんご一家は、みんな真如苑を熱心に歩んでいらっしゃって、ご主人も奥様も霊能者になってるんですけれど、どうも、社長さんのご兄弟はみんな教えに結ばれてきませんねえ。『真如苑で○○家の先祖代々の財産をつぶしてしまった』と言って、お恨みになってるみたいで……」
 こういう話があるということは、すなわち「出費を補って余りあるだけ、いいお給料の入る仕事がいただける」などというのはウソということではないか!
 どうやら真如苑では、初信者のうちは「抜苦代受がいただける。金銭的にもプラスになる」と言って期待を抱かせておいて、ある程度洗脳が進んで「この教えは身を犠牲にしてでも従うに値する尊い教えだ」という信念を抱かせることに成功したら、その段階で徐々に本当のコストを教えてゆこうという方針らしい。真如苑の指導者は、口を開けばふた言めには「この教えは密教ですから、最初から何もかも教えるものじゃありません」と言うが、なるほど、おみごとな「密教」ではある!
 そして、私のようなごく平凡な学校教師にとって、まことに鼻につくのは、真如苑のあからさまな有名人指向、金持ち指向である。
 私の「入信」後しばらくして、導き親は、私の親類縁者に学歴社会的な基準から見てわりと地位の高い人が多いことを知ってか、しきりに次のようなことを言うようになった。
 「会社の社長さんとか、その他、世の中に影響力の大きいかたをお救けするのは、功徳が特に大きいのですよ。そういう地位の高いかたというのは、ご先祖様にそれだけのお徳がおありになって、今の地位についていらっしゃるのですから、いったん教えに対して聞く耳を持って下さったら、案外、向上が早いのですよ。また、そういうかたをお救けすれば、そのかたの世間的な影響力によって、教えに結ばれるかたが多くなりますから、それだけ功徳が大きいのですよ」
 確かに、大会社の社長なら「歓喜の徳積み」も、どんどんできるし、接心で示される「お施餓鬼」や「お護摩」のお金も、我々貧乏人と違って、滞〔とどこお〕りなく納められるだろうから、さぞや真如苑での「向上」は早いだろう。そしてまた、そうした財界の有名人が信者であるということになれば、教団のイメージ・アップにもつながるから、他の信者の「お救け」活動への援護射撃としても意味があろう。
 お金持ちご本人が好きこのんで真如苑をおやりになりたいのなら、他人がとやかく言ってもはじまらない。我々としてはただ、「屋敷を払うて田ぁ売る」ところまでゆきつかないようにと、陰ながらお祈り申し上げるだけである。
[242]カルト弾圧 06/01/03 17:37 oKpyIz36ay
幽霊撲滅=偽の気配

卑怯な奴だ、全く。
[243]一般人 06/01/03 17:44 WMZivMtSDp
幽霊撲滅=偽の気配さんだったのですか。さすがあ。

ことしもよろしこ。今日の夕食はカレーです。家中匂ってます。
[244] 06/01/03 18:21 *KWMjOkAr1gp*TV8/KTClxy
素朴な疑問を述べます。

苑では不幸や災いがあると、おおよその場合 先祖などの「因縁」が降りかかっているから、施餓鬼・護摩をしなければいけないとの教えだとの感想を抱いています。

そこでですが、歴史を振り返りますと、数々の悲惨な事故・事態がありますね。広島・長崎の原爆でお亡くなりになしました人々、ナチスドイツの虐殺で殺された人々、アジア・太平洋戦争で殺された人々、強制連行されて辛く・苦しい生活を強いられた人々、パレスチナで殺された人々など、歴史上には数々の悲惨な出来事がありますが、これらの人々は苑の教えから解釈すると、先祖の「悪因縁」からもたらされた出来事であると、言うのでしょうか。出来事と把握してもよいでしょうが、苑の論理に合わせますと、歴史上の悲惨な出来事で苦しみ・お亡くなりになられました人々のそれぞれが苑的「悪因縁」を抱えているから、悲惨に目に遭わざるを得なかったとの解釈なのでしょうか。

個人が生きているときに先祖の「悪因縁」がと言われると、気味が悪いし、精神的に弱っている場合には「苦しいときの神頼み」みたいな気持ちとなり、受け入れられてしまうこともあるかもしれません。(私は先祖が「因縁」をもたらすという考え方は否定します。)
しかし、自分という個人を離れて視野を広げて、上記の・上記以外の歴史上の出来事を考えると、「悪因縁」で片付ける心の狭さには到底無理があるように思えます。逆に言いますと、「悪因縁」で片付ける解釈は、当事者に対して本当に失礼で、人間としての品格を疑ってしまいます。

ふと思いついたものですから、苑ではこのようなことをどのように解釈しているのか気になりました。


[245]カルト弾圧 06/01/03 18:23 oKpyIz36ay
尼崎の電車事故でなくなった人々の中にも真如教徒はいたってよ。

それほど特別なものでもないのだろう。

[246]とんねるず 06/01/03 18:36 YGapwef.fo
真如苑とアムウェイは関係あるんですか?
[247]真砂弧 06/01/03 18:43 jd8asXNRIf
伊藤苑での、いろいろな出会いも騙されたことも人生の修業だということです。

宗教をやっていようがいまいが、性格の良い人は良い。悪い人は悪いんです。人を恨まず、妬まず、必要以上に欲しがらず。

真っ当に生きていけばそれでいいと思いますやれ、「因縁切り」と
か「霊能者の接心修行」だとか、こんな言葉を一年365日聞かされた
日にゃ、おかしくない人間でもおかしくなってしまいます。

まぁ、これも修業だと思えば納得ですかね。


[248]偽の気配 06/01/03 19:02 Y4p7.ageZH
(^^) 撲滅の気配です。管理人さんも事態を把握されたようです。
[249]真砂弧 06/01/03 19:25 jd8asXNRIf
法則1 宗教信者は、必ずマルチに騙されている
法則2 宗教信者について行くと様々なマルチの勧誘攻撃に晒される羽目になる


[250]一般人 06/01/03 21:07 WMZivMtSDp
>真如苑とアムウェイは関係あるんですか?
構造が同じなだけで、繋がりは無いでしょう。 つまりは「ライバル関係」なのです。

ところでマサコよ。家の中のカレーのにおひが凄いのだが、この場合は
お施餓鬼かお護摩のどちらを申し込めば良いのだ? 明日までに教えろよな。わかったか。

あと私の相方は 真如との関わりはないし、私は霊位いただく前に「気付きました」ので大乗位じゃないですよ。
そもそも私は 大乗は仏教だと 思ってませんから。残念w

ただ、M親は愚かにも相承していて、しかも超有名経なので、情報を引き出しています。
私が「嘘をつくと正式に苑籍を抜くぞ」と言うと、仕方なく本当のことを白状するんですよ。
[251]継続は力なり 06/01/03 21:41 jd8asXNRbW
今後も、伊藤苑や他のインチキ宗教に洗脳されないよう地道にROM
と書込みを継続することが大切です。

教団擁護ネット対策班(通称SOーNET)は、それを一番嫌います。

教団側は、批判板潰しと批判の封殺に必死ですが、創価学会の批判板の成功していますから。継続は力なりです。
[252]フランナ 06/01/03 23:32 *HW.6DJZHVfj*pHRrwokiEV
ここのアラシは許されないことを書いてますが、このようなアラシが寄って来そうな雰囲気を「一般人」さん「偽の気配」さんが作ってませんか?その他の人々もです。

はじめから冷静に理性的に話をしていく姿勢が感じられません。これではオカルト弾圧と五十歩百歩ではないでしょうか。

建設的な話し合い、意見交換のタメにも嫌味を書き込むのではなく、こういう所がこのようにおかしいという批判をするべきではないでしょうか?

私は真如苑から現在は遠ざかっていますが信者の1人です。
真如苑を知るよい掲示板を捜し求めてたどり着きました。

時々、顔を出させて頂きたいと思っているのですが構いませんか?
[253]継続は力なり 06/01/03 23:32 jd8asXNRbW
伊藤苑および教団幹部ネット対策班が嫌がることは、匿名性のある
インターネット上において、苑の真実が暴かれて行くことです。
批判を封殺しない限り、伊藤苑の信者が減少し、教団の収入源が減る
からです。

教団の手口の一例。
批判掲示板の管理人を脅して閉鎖させる。
ネット対策班を送って、批判や議論を成り立たないように妨害する。

これでも効果が無い場合。
「批判者になりすまし、批判者同士を争わせ」、疑心暗鬼(id調べ)させ
批判者自体を掲示板に来ないようにする。
[254]フランナ 06/01/03 23:34 *HW.6DJZHVfj*pHRrwokiEV
今日はもう休みます。おやすみなさい。
[255]継続は力なり 06/01/03 23:48 jd8asXNRbW
伊藤開祖は、次女(昭和44年苑内部の利権争いにより教団を離脱)
にいつも

「貧乏人は創価学会へ行け、中流は立正佼成会、金持ちだけが
 真如苑に来ればいいんだ」と語っていたんだって。

開祖自身、金持ちしか救わない、腹黒い教団なのです。
[256]田舎 06/01/04 00:35 *FJ3l3fZ7TR6*E-gbvGy
しかしジョーク菩題さんの句は最高だったなもっかいきてくんないかな?
[257]田舎 06/01/04 00:37 *znF7WwhlRoP*E-gbvGy
あっ すいません表でした、ごめんなさい
[258]フランナ 06/01/04 00:38 *sDsqlt/guPI*pHRrwokiEV
眠れません。いつの間にかクリプトモトも消えてるし。

さて、
>>255 の継続は力なり さんの情報ソースですが

http://nun.nu/www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/shinnyoen.html

ですね。バリバリ日蓮宗の方のHPです。

私が興味があるのはこの44年の騒動なのです。


この部分を見てください。

「特に真乗氏の次女・鈴木孔子氏が暴露した手記は週刊誌で大々的に取り上げられました。週刊誌の記事を要約すると、伊藤真乗氏は精力絶倫で女癖が悪かったとか、妻・友司がなくなった直後にすぐ再婚するといいだし、娘たち4人と真乗氏+後妻の間で権力争いがあったとかいうことがスキャンダラスに書き上げられました。この内紛で、真乗氏の再婚に最後まで反対した長女・映子と次女・孔子の2人は追放され、三女、四女の2人は紆余曲折を経て教団に戻る形で終結し、現在では三女、四女が教団の後継者となっています」

ソース元

http://nun.nu/park8.wakwak.com/~kasa/Religion/shinnyoen.html

年月だけは長い私はこの頃の教団を知ってますが、再婚を勧めたのは次女でした。

また、他の記事で

「真乗の再婚問題をめぐり、伊藤家内に利権争いが生じ、三女真砂子が自殺未遂事件を起こし、長女と次女が教団を離脱した。」

ソース元

http://nun.nu/homepage3.nifty.com/y-maki/db/dbsinnyo.htm

とあるのですが、真砂子さまが自殺未遂したなど聞いたことがありません。

長女、映子 次女 敦子 に「闡堤」の汚名を着せられ苑を追放されたのは確かです。

この辺を今、調べているのですがどなたか真実をご存知の方は書き込みをお願いいたします。

私が知っていることと調べたこととは後日、改めてカキコします。
[259]甚だ疑問です 06/01/04 01:12 *5.wFR.uC2uG*SFc.cakgiM
[258]フランナさん

そういうことでしたら、あなたは適当なタイトルを考えられて、ご自分でスレッドをお建てになった方が、いろいろな、適切な情報が集まると思います。

最近の嵐で、みなさん少々神経質になっておられるので、ここではあなたの求める回答は得られないと思います。
[260]継続は力なり 06/01/04 01:45 jd8asXNRbW
三つの歩みを積極的に行えば、さらに負担額が増加するシステムが出来ている。

「護法善神様だけでなく、両童子様と摂受院様にもお奠供をさしあげるのが
 よろしいわね!」

「職場の人たちと和合するためには、同僚のみなさんのご先祖様のお施餓鬼
 をしてさしあげて陰徳を積むのがよろしいわよ!」

等、経親の指示が、いろいろな名目があるから、マトモ信仰すれば、負担額は青天井
になるだろう。
[261]継続は力なり 06/01/04 02:13 jd8asXNRbW
真如苑で行う霊能位の行う接心修行の TRICK !

主に鑑定接心以上でおこなわれる。インチキ霊媒師も「ホット・リーディング」
を用いることがある。
たとえば、霊媒師のところへ行ったとしよう。その霊媒師とは初対面で、霊媒
師に前日にでも予約して言ってみる、あなたの父親の名前を言ったら、その霊
媒師は「父親の霊を呼び出す儀式」を行い、亡くなった正確な日付をあなたに
告げたらどうだろう。

「あなたのお父さんは、平成2年年4月12日に亡くなったのですね?」と言
われ、当たっていたら、霊媒師の力を信じてしまうのだ、これを「ホットリー
ディング」という。

「タネ」を明かせば、簡単なことだ。霊媒師は、普段から自分の住んでいる町や
近隣の町の墓をまわり、墓石に刻まれている氏名と亡くなった日をメモした「デ
ーターベース」を作っている。

訪問客が来たとき、雑談の中で、その人が昔からこの町に住んでいることがわかっ
たら、その人の家族で、すでに亡くなっている人の墓がある可能性が高い。隣の
部屋にある「データーベース」から、それを探し、見つかればこっそりメモをし
てきてそれを告げる。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------
1信徒カードに家族構成が書いてあれば、その世帯の状況は一目瞭然。

2毎週行われている、家庭集会や縦親との世間話で信徒の個人情報も苑
 に筒抜け。

霊能位は、鑑定・特別接心は、コールドリーディングすると同時に、ホット
リーディングも駆使でき、トリックは十分可能だ。
接心修行は、インチキ霊能位の子供騙しな TRICKだ!

因縁と脅しで信徒からお金を巻き上げる詐欺師よ、その手口まるっとお見通しだ!

[262]継続は力なり 06/01/04 02:31 jd8asXNRbW
伊藤苑の接心修行には、お金がかかるだけではなく、ランクがあります。

相談接心、特別接心、鑑定接心は、私的な内容で、霊能位と個室で
マンツーマンですね。向上接心、向上相談接心は、40〜50人が
同時に座り、一人ずつに霊能者が来ますから、隣の人の霊言も聞
こえてきます。

料 金
・向上接心   1000円
・向上相談接心 2000円
・相談接心   3000円
・特別接心   6000円
・鑑定接心   8000円

相談接心以上は、霊能位を「御指名」することもできます。
(御指名料 1000円)

接心の費用は全て教団に入り、担当の霊能位のところへは、1円も
入りません。霊能位には、教団の事務局員もいますが、大半はごく
普通の社会生活をしている信者です。

霊能位も教団に、奉仕と称しています。
[263]フランナ 06/01/04 02:39 *HW.6DJZHVfj*pHRrwokiEV
解りました。

昭和35年 長女 映子 夫 幹司 結婚

幹司には「覗き」の性癖があり、苑主より注意を受ける。
しばらく、騒動はなかったが苑主遷化後、再び再発。

それを次女あつ子がそれを罵り昭和43年11月会議において「幹司の修行のやり直し」が決定。

この決定をあつ子は不服として「教主が再婚したいが為に長女夫婦と取引した」と主張。

この混乱の中、昭和43年12月 学生部部長で事務局財務部にいた三女真砂子は四女志づ子と共に「闡堤」とされ苑外追放。

44年9月17日 教苑会議で「苑での後継者としての資格を失い府中で再修業」という事に決定。
この決定に対し長女 映子は「普通の幸せな家庭を築くので引き止めないで」と苑を出て行く。

次女あつ子はこれを受けて教団後継者の地位を迫る。
しかし、教主はこれに答えなかった。

昭和49年、50年、次女あつ子に対する「苦情の投書」殺到。
内容は智流院の講義で子供の自慢話を延々する。接心に従うと事象が起こる等

昭和52年、教徒の信頼を失った次女あつ子は苑を去る。

昭和57年 次女あつ子は鈴木 正之という夫がありながら新聞記者と不倫(この記者にも妻がいた)。

どちらも互いに離婚し一緒に生活始めるも新聞記者は3ヶ月で死亡。
マスコミの人脈だけ遺産のような形で残る。

昭和61年、次女あつ子はマスコミを引き連れて世にいう「フライデー事件」を起こす。このときあつ子が輪宝を踏み台にして建物内に入ろうとした、その輪宝の傷は「自らの内なる闡堤性を見つめよ」という意味で修理されていない。

お釈迦様には子共は1人だけ(ラゴーラ)とされているが、史実は3人の王子がいたという。

上から ゼンセイ ウパマナ ラゴーラ

ゼンセイは長女のように世間の生活を選び
ウパマナは闡堤となって釈尊を苦しめた
ラゴーラだけが聖者の道を全うした

お釈迦様と伊藤 真乗氏は共通点が多い。

ちなみに長女、次女、その夫である幹司、正之は加行の期間中、精進潔斎しなくてはならないのにこっそり苑を抜け出して焼き鳥などを食べていたという。

苑の歴史はこうした人間的なドロドロと御仏本位の清浄さが交差しながら発展している。

精舎落慶前には聖邪分別があるというが、精舎落慶前に限らず情問題を起こした事務局員、金銭問題を犯した霊能者など不思議と苑にいられなくなる。

これが護法の神々の働きであろうか。


[264]イタチ 06/01/04 03:19 QO2VuJ./4a
やっぱりこういう展開か。客観の振りした宣伝は飽き飽き。
>時々、顔を出させて頂きたいと思っているのですが構いませんか?
「解りました。これが真実です」って苑内で語られる情報(「事実」「歴史」と言われているもの)を書き連ねる書き込みはご遠慮頂きたいですね。

真如苑の姑息さ、信者の哀れさを宣伝したいならどうぞご自由に。
[265]偽の気配 06/01/04 07:21 *2cbZid.BLx3*Y4p7.ageZH
今度の人格はフランナさんですか。

さて、名指しで一般人さんと、私とならべていただきました。
私ごときがそこに挙げられるとは、光栄と思えばいいのでしょうか。

さすがに、幽霊=カルト弾圧はやりすぎたようで、
掲示板そのものの運営方針に抵触したのですね。
アクセス禁止云々とほざいていらっしゃったのは、其れが原因でしょう。

さて、フランナさんの書き込みは
苑内の[事実]の書き込みのようです。
イタチさん、どうです、この苑内の「事実」を現実世界での「事実」とつきあわせてやっては?
私は、面白いのではないか、と思います。
いかにつごうよくねじまげて信者につたえているか、なんてのが明々白々陽の下にさらしだされますからね。

「お釈迦様と伊藤 真乗氏は共通点が多い。」なんてのは
大笑いしてしまいまた。傲慢さは、過去の人格とそっくりですからね。

この「法難」と伊藤が呼ぶ事件の
苑解釈について、伊藤長女次女のご意見をぜひきいてみたいものです。

フランナさん、あとは貴方が「会話」できる人かどうか、それが問題の鍵を握っていると思います。

[266]偽の気配 06/01/04 07:27 *2cbZid.BLx3*Y4p7.ageZH
>精舎落慶前には聖邪分別があるというが、精舎落慶前に限らず情問題を起こした事務局員、金銭問題を犯した霊能者など不思議と苑にいられなくなる。これが護法の神々の働きであろうか

それで、伊藤真乗はこの世をおわれたんですか?なるほど。邪だったわけですか。いやはや、苑もたまにはただしいことをおわっしゃる。

金銭問題をおかした、というのは、伊藤家のお金に手を着けたものっていう意味ですか?
信者からだまして金を巻き上げるのも罪ですから、
現在の事務局員全てそのうちに苑をさるんでしょうね。そろって。
そしてあなたも。
[267]フランナ 06/01/04 07:31 *HW.6DJZHVfj*pHRrwokiEV
真如苑とはカルト宗教なのであろうか?

カルトの定義は実は一様ではないが一般的に<特定の人物や物事への「礼拝(cult)」に近い意味で、熱狂的な崇拝やこれを行う集団に対して侮蔑的な意味をこめて、この用語は使われる>。

http://nun.nu/ja.wikipedia.org/wiki/カルト

http://nun.nu/www.sam.hi-ho.ne.jp/laputa/reli.html


そして、その特徴は「カルト的関係」という形で現れる。

カルト的関係とは人生における重要な決断を全てこの私に任せなさいと言って、本当にそうさせてしまったり、自分は特殊な能力、天才、知識などを有しているのだと信者に信じ込ませたりする教祖とその関係をいう。

そしてその手段として用いられるのがマインドコントロールの手法である。

これは行動、思考、感情、情報の4つのレベルで行われる。

http://nun.nu/www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/

http://nun.nu/www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/2hikaku.html

この4つのコントロールで自分の頭で考えさせない、恐怖心を煽り崇拝対象に対して全てを依存し、個性を奪って集団に取り込むのである。

以上を踏まえて真如苑が「カルト宗教」であるか否かを検証する。

まず「特定の人物への礼拝」であるが、真如苑では双親、両童子という開祖夫婦とその子供を崇拝する。また、現在では教団指導者の真聡を崇拝する。

この一事だけを取れば「カルト」に該当するかに見えるが、どの宗派でも開祖への礼拝は行われる(行われない宗教の方が稀である)。

問題は「カルト的関係」によって信者が支配される構造の有無である。

真如苑には接心というものが存在し、これが霊能という霊媒を伴うものであるから一見「自分は特殊な能力、天才、知識などを有しているのだと信者に信じ込ませたりする」に該当するように見える。

しかし、接心を受けるものは何度も「心構え」のビデオによって「占いや当てものではない」「あくまでも信心向上の為に心を見つめるもの」とはっきり断っており、教書にも「接心は真如教徒として如何にあるべきかというその道を示すもので、こうしなさい、ああしなさい、と命令を強要するものではない。この点を充分心において接心を受けるべきである」(P261 上段)とある。

また真聡自身、「信仰は生き方を見出していくものであり、決めてもらうものではありません」と言っている。

真如苑では接心に依存し、努力もせずに利益的に接心を受け方向性を決めてもらおうとする態度を「利益本位」として戒めている。

以上の点から「真如苑においてカルト的関係」によって信者が支配される構造はないといえる。

[268]フランナ 06/01/04 07:31 *HW.6DJZHVfj*pHRrwokiEV
また、マインドコントロールについても検証してみよう。

@行動のコントロールとしては「権威を振るわない」「金銭の貸し借りをしない」「教団内に情を持ち込まない」というものがある。

どれも人間の和合を崩す危険のある要素であり至極常識的な行動規制であろう。

A思想のコントロールとしては、しいて言えば神仏を尊び、双親、両童子、真聡に帰依せよといった程度の事であり、後は「人が喜ぶことをしましょう」等というような道徳的、常識的事柄である。もちろん強制は伴わない。

B感情のコントロールとしてはカルトでは通常、不安、恐怖を煽るという形で行われるがここはビミョウである。

真如苑では先祖の悪因縁を清めることを唱導するが「因縁」と聞いただけで不安、恐怖を感じるものもいるからだ。

その悪因縁を清めるには3つの歩みと護摩、施餓鬼というものが必要になってくるがこれにお金が絡むため「人の不安に付け込んでお金儲けをしている」という批判もある。

しかし、ここで悪因縁として示された過去の利益信仰やご先祖の苦しみなどに対しては単に護摩、施餓鬼をすればよいというものではなく、示されたものに対しての心の向け方が指導される。私など示された先祖の苦しみや利益信仰霊が多すぎるため「接心で示された諸霊」とだけ書いて護摩、施餓鬼をお願いしている。

その代わり、しっかりと心運びをしてからお願いする。

信仰障害霊が強いと意味もなく教えに反発心が起こったり行くのが嫌になったりするのだが、私は心運びをするようになってからそのような事はなくなった。

話が逸れたが、真如苑では単に障害などを示して「言うとおりにしないと酷いことになるぞ」という事はない。このような教化は禁止されているのだ。そうではなく心の運び方、解決の仕方まで指導して安心を与えなければならないとされている。

C情報のコントロール

真如苑ではインターネットの書き込み(例えばここ)を閲覧することは止められている。理由は事実無根の単なる誹謗中傷だが初心者だと誹謗中傷される教団であるという事実で迷ってしまうからだ。

それ以外は何を見ようがどのような本を読もうが構わない。公式に禁止されているものはない。

以上の事から真如苑はカルト宗教でもマインドコントロールで信者の個性を奪う宗教でもない。

その逆に信者自身の持つ個性を磨き上げていく為のお手伝いをする宗教といえる。
[269]フランナ 06/01/04 07:43 *HW.6DJZHVfj*pHRrwokiEV
下らない誹謗中傷の類ではなく正当な論理で真如苑批判をしてください。

アナタ方の人格、品性、知能が問われています。

真摯に対応して頂きたいものです。
[270]フランナ 06/01/04 08:01 *HW.6DJZHVfj*pHRrwokiEV
客観的には真如苑とはこのような教団のようです。


http://nun.nu/ja.wikipedia.org/wiki/真如苑
[271]うそんこ 06/01/04 08:05 E-EPrkA
そっか 教書とか 読んでて わけわかんなくなるのは そうした いいのがれを ちょこちょこ ちりばめてるから 内容矛盾だらけに なるからだったんだ… めから ウロコ
[272]はて? 06/01/04 09:01 VrvmmeNC65
皆さん、新年明けましておめでとうございます。

さてさて

>B感情のコントロールとしてはカルトでは通常、不安、恐怖を煽るという形で行われるがここはビミョウである。

と本当に考えるなら

>どちらも互いに離婚し一緒に生活始めるも新聞記者は3ヶ月で死亡。
マスコミの人脈だけ遺産のような形で残る。

は書く必要がないのでは?
[273]継続は力なり 06/01/04 09:34 jd8asXNR3t
人間は時には弱い、間違いもある。
特に弱っている時の【他力本願】という心が、相手に隙を与えるこ
ととなり、伊藤苑とは、まさにその【人の弱み】を餌にしているの
です。

どうにもならないものをムリヤリどうにかしようとする【傲慢さ】が、他力本願となる。どうにもならないものは諦めればいいのです。

仏教(お釈迦様)の教えのように。。。これが「諦観」。

また【本人が何のため】に入信したのかが本筋であり、本筋から
離れ、真如霊界どうの、両童子様がどう、霊能者の接心がどうの
という話をマトモに聞くことはない。

苑に入信する時は「今世で幸せになるため」と教えられても、時が
経つうちに「来世やあの世や子孫のため」と何でもかんでも最初と
はことごとく話が少しずつ違ってくる。

これこそ、【詐欺や恐喝】犯罪者の王道のやり方。
[274]偽の気配 06/01/04 11:42 mynxzNDT83
フランナさんという人格では、客観視しているかのような立場からの苑擁護をしようという試みですね。
とはいえ、苑の上から見下ろす態度は如実に表れていて、ある意味では興味深い文章であったとおもいます。
「アナタ方の人格、品性、知能が問われています。」 とありますが、誰に問われているのでしょう?
板を見る苑信徒以外の人から問われているのでしょうか? その人たちは、そのような問いを持つでしょうか?
おのずから、フランナという人物がどの視点にたっているか、というのはわかってしまう一文です。

さて、カルトについて真っ向から苑の見解を述べられているようですが、一つ一つ見ていきたいとおもいます。
[275]偽の気配 06/01/04 11:56 mynxzNDT83
>カルトの定義は実は一様ではないが一般的に<特定の人物や物事への「礼拝(cult)」に近い意味で、
>熱狂的な崇拝やこれを行う集団に対して侮蔑的な意味をこめて、この用語は使われる。
>そして、その特徴は「カルト的関係」という形で現れる。
>カルト的関係とは人生における重要な決断を全てこの私に任せなさいと言って、本当にそうさせてしまったり、
>自分は特殊な能力、天才、知識などを有しているのだと信者に信じ込ませたりする教祖とその関係をいう。
>そしてその手段として用いられるのがマインドコントロールの手法である。
>これは行動、思考、感情、情報の4つのレベルで行われる。
>この4つのコントロールで自分の頭で考えさせない、恐怖心を煽り崇拝対象に対して全てを依存し、個性を奪って集団に取り込むのである。
>以上を踏まえて真如苑が「カルト宗教」であるか否かを検証する。

ここまでは、情報の引用なので、賛否を問わず目を通してみるのもよいかとおもわれます。

この板を読んでいるすべての方へ、
その検証については、ここを読まれている一人一人が行うべきだとおもいます。
フランナという人物の検証を参考にするのもよいでしょう、
唯、一つだけの意見しかみないというのでは検証できません。
真如苑に疑問を呈している人たち(私も含めて)の意見だけしか聞かない、というのも良くないでしょう。
賛否両論何れをも聞いて、その上で各人が判断を下していくべきです。
そのための板として、情報源として、ここの板が先代から続いてきているのです。
[276]偽の気配 06/01/04 11:56 mynxzNDT83
フランナという人物の検証への反証に戻ります。
>”まず「特定の人物への礼拝」であるが、真如苑では双親、両童子という開祖夫婦とその子供を崇拝する。また、現在では教団指導者の真聡を崇拝する。
>この一事だけを取れば「カルト」に該当するかに見える”

ここで述べられているとおりのことが事実です。苑の法要などで精舎に出向いた方ならご存知でしょう。
釈迦涅槃像の前に掲げられた伊藤家族の写真。釈迦よりも前に並んでいます。
日ごろ唱える経文を見てみましょう、南無のあとに続く伊藤家の面々。数えてみてください、伊藤家の数を。

>どの宗派でも開祖への礼拝は行われる(行われない宗教の方が稀である)。

宗派によらず開祖を奉るのは確かでしょう。
しかし、その奉じ方には大きな差異があります。
ご近所の伝統仏教系にでむいて住職の話を聞いてみて下さい。
集まるが度に、「教祖ありがたし、教祖尊し」「教祖はこれだけの人と会った、こんなに偉い」などと話する宗派はありません。
奉じ方がまるで違います。百聞は一見にしかず、どうぞ、近所のお寺をいくつか回ってみましょう。
[277]偽の気配 06/01/04 11:56 mynxzNDT83
>問題は「カルト的関係」によって信者が支配される構造の有無である。
>”真如苑には接心というものが存在し、これが霊能という霊媒を伴うものであるから一見「自分は特殊な能力、天才、知識などを有しているのだと信者に信じ込ま

>せたりする」に該当する”

ここで述べられていることが事実です。苑内部でもそれを曲げることはできないようです。
大切なのは、釈迦仏教では、霊媒・霊能なるものを肯定していないことです。
釈迦がなにをいいたかったのか、原文をよむことができない私たちには直接しることはできません。
しかし、学術的にそれらを解釈しようとしている人たちはいます。
それらの人たちの解釈によりおおくふれることによって、釈迦が何をいわんとしたのか、自ら考えて見ましょう。

伊藤真乗も、もしかすると新たな解釈を試みた人物であるのかもしれません。しかし、あくまでも一説にすぎないのです。
それが正しいかどうか、の判断は、伊藤説だけをみているのではできないのです。
嘘を見抜く一つの方法、それは他の説に触れることを禁じるかどうか、です。
医療の世界でも、今やセカンドオピニオンが定着して来ています。
一つの見解に縛られることなく、違った角度からもみることによって、本当にそれでよいのかを判断しようとするものです。
真如苑はどうですか?教書以外の仏教書を読むことを、やんわりとでもとめられていませんか?
[278]偽の気配 06/01/04 11:57 mynxzNDT83
>しかし、接心を受けるものは何度も「心構え」のビデオによって「占いや当てものではない」「あくまでも信心向上の為に心を見つめるもの」とはっきり断っており、

これは、自分が言ったことを参照して、あたかも客観的であるかのように言いかえをしている典型例です。
「占いや当てものではない」、「あくまでも信心向上の為に心を見つめるもの」といっているのは、苑です。
第三者がそういったのではない、ということに注目すると、これは手前味噌な引用でしかなく、信憑性はありません。

>教書にも「接心は真如教徒として如何にあるべきかというその道を示すもので、こうしなさい、ああしなさい、と命令を強要するものではない。
>この点を充分心において接心を受けるべきである」(P261 上段)とある。

詐欺師は、自分自身が詐欺師であり、これからあなたをだまそうとしている、とは言いません。
教書を書いたのは誰ですか? 伊藤真乗(少なくとも苑の人物)です。
自らの生活の糧である占い(もともと占い師の家系であることを覚えておきましょう)の信憑性を高めるための発言に聞こえます。
[279]偽の気配 06/01/04 11:57 mynxzNDT83
>また真聡自身、「信仰は生き方を見出していくものであり、決めてもらうものではありません」と言っている。
>真如苑では接心に依存し、努力もせずに利益的に接心を受け方向性を決めてもらおうとする態度を「利益本位」として戒めている。

発言とは、一部分をとってみると、まっとうなことを言っている場合が多いのです。
ところが、苑の場合は、いっていることとやっていることが一致していないことが往々にしてあるのです。
「信仰は生き方を見出していくものであり、決めてもらうものではありません」といいつつも
ことこまかなことを接心でとうことを、積極的にとめていはいません。
結婚・就職に際して、接心で言われたことに従う人がいるのは、苑も認めている事実です。
とりわけ、結婚に際しては、接心が破局の元凶になっていることも多々あるのです。
苑の見解としては、「そのようなかたちで接心を受けないようにと入っているのだが、中にはそういう信者もいて困ったものだ。」
ということらしいですが、それならば霊能者がそういう内容については「占わない」ということを徹底すべきでしょう?
そのような対応をしていないところに、苑の嘘が見え隠れしています。

「信仰は生き方を見出していくものであり、決めてもらうものではありません」と言っては、いるものの、
信仰することで生活面をしばっていくことを否とはしていないのが実状なのです。
知っているのに黙認する、これは一番たちが悪い。
[280]偽の気配 06/01/04 11:57 mynxzNDT83
>以上の点から「真如苑においてカルト的関係」によって信者が支配される構造はないといえる。

この結論、あまりに論理の飛躍があります。
フランナという人物は、サイエンスの訓練(客観的事実に基づき、推論などを検証する訓練)をつんでいないようです。

先にも述べましたが、引用がすべて手前味噌です。
要約すると、「私がちがうといっているのだから、ちがうのだ」という話でしかないのです。
これでは、説得力のかけらもありません。
[281]偽の気配 06/01/04 11:57 mynxzNDT83
>また、マインドコントロールについても検証してみよう。
>@行動のコントロールとしては「権威を振るわない」「金銭の貸し借りをしない」「教団内に情を持ち込まない」というものがある。
>どれも人間の和合を崩す危険のある要素であり至極常識的な行動規制であろう。

どのような形で検証するのか、と期待したのですが、がっかりしました。
しかし、調子をあわせて、フランナという人物の検証を検証していきます。

>行動のコントロールとしては「権威を振るわない」
苑での問題のひとつにスジ親などとの人間関係があります。
そこでは、権威を傘にきたような立ち居振る舞いがあるのが実情です。
本人はおそらくそんなつもりはないのだ、というでしょう。しかし、実際にその「子」たちに威圧感を与えているのです。

>行動のコントロールとしては「金銭の貸し借りをしない」
表立って、「やい金をかせ」とは言わないでしょう。そんなことをしたら、論外ですからねぇ。
しかし、たとえば脱苑したもの、あるいは遠ざかりたいという者の苑費立替などはどうでしょう?
これをきちんと規制できていない、あるいはしていないというのが苑なのです。
立替をしている人の中には、自画自賛状態の人もいるようですが(いつかの時のために私が・・というメサイアコンプレックスそのもの)。
「させていただくのですよ」という、やんわり脅しも定評ですね、真如苑。
金銭の貸し借りは、暴力的なものだけをさすわけではないことに注意すると、実態がみえてくるのではないでしょうか。

>行動のコントロールとしては「教団内に情を持ち込まない」
笑ってしまいそうになりました。これは、教祖自身の体験からの戒めですか?
どこまでを指して苑が「情」といっているのか知りませんが、苑内の人間関係のしがらみを見ていると、情たっぷりのようですが。
[282]偽の気配 06/01/04 11:58 mynxzNDT83
>A思想のコントロールとしては、しいて言えば神仏を尊び、双親、両童子、真聡に帰依せよといった程度の事であり、

程度のこと、といいますか。
双親、両童子、真聡・・一家総じて帰依せよというあたりは、かの北朝鮮をおもわせるかのような冒涜ぶりです。
教祖への狂信さをもとめるところは、幸福の科学の大川、オウムの麻原、統一教会の文鮮明などとならび称されるところです。
けして、「程度のこと」ですむ問題ではありません。

>後は「人が喜ぶことをしましょう」等というような道徳的、常識的事柄である。もちろん強制は伴わない。

後段はもっともなことを書いていますので、これで「あぁなるほどな・・」と思わせるテクニックであるとお見受けいたしました。
しかし、苑の場合の人が喜ぶことというのが、苑の人が喜ぶこととほぼ同義であることが、ミソですね。
精舎の掃除やら法要の手伝いなどをすることがメインの御奉仕とは、陳腐です。
それよりも、苑の精舎の中のガラクタすべてを焼却してしまったほうが世のため人のためになるとおもいます。
[283]偽の気配 06/01/04 11:58 mynxzNDT83
>B感情のコントロールとしてはカルトでは通常、不安、恐怖を煽るという形で行われるがここはビミョウである。

微妙ときましたか。いやはや・・

>真如苑では先祖の悪因縁を清めることを唱導するが「因縁」と聞いただけで不安、恐怖を感じるものもいるからだ。

さて、この因縁こそ、苑が仏教でないことを如実に物語る部分なのです。
仏教でいう縁起が、あたかも因縁をさすかのように刷り込む「一如の道」、これだけを読んでいたのではこの陳腐さに気づくことはできません。
3つの歩み、護摩、施餓鬼というのも、苑の創作落語であることを知るためには、
仏教そのもの本来の教えの部分を知る必要があります。
書をよむのが億劫であるならば、伊藤説とは違う仏教の教えではどういっているのか、それに触れてみましょう。

>その悪因縁を清めるには3つの歩みと護摩、施餓鬼というものが必要になってくるがこれにお金が絡むため「人の不安に付け込んでお金儲けをしている」という批判

もある。

批判もある、ということは、批判でないもの=賛美もある、ということですが、
客観的にどのような賛美があるのか示していませんね。
批判については、事情通さんが引用されていました「水ぶくれ真如苑」からの抜粋部分を参照してみるといいでしょう。

>しかし、ここで悪因縁として示された過去の利益信仰やご先祖の苦しみなどに対しては単に護摩、施餓鬼をすればよいというものではなく、示されたものに対して

>の心の向け方が指導される。私など示された先祖の苦しみや利益信仰霊が多すぎるため「接心で示された諸霊」とだけ書いて護摩、施餓鬼をお願いしている。

心の持ちようの問題である、というところには賛同します。
ただし、それが先祖の悪因縁・先祖の苦しみ・・というところが、真如苑の教えの卑しさを語っています。
考えてみてください。
あなたに子がいるとします。あなたは今不幸です。
あなたは、自らが不幸だからといって、わが子の不幸をねがいますか?
この不幸を何とかしてくれ、助けてくれと、わが子にすがりますか?
あなたの親は、自分が不幸だからといって、あなたを恨んだりねたんだり、助けてくれとすがって取り付いたりするような人物なのですか?
あなたの祖父母は?さかのぼって考えて見ましょう。
あなたは、自らの不幸を子孫にうらみつらみ残したり妬んだりする先祖を持っているのですか?そういう風に考えたいのですか?
卑しいとおもいませんか?発想そのものがあまりに貧困で、心の卑しさを映し出しているかのようです。
[284]偽の気配 06/01/04 11:58 mynxzNDT83
>信仰障害霊が強いと意味もなく教えに反発心が起こったり行くのが嫌になったりするのだが、私は心運びをするようになってからそのような事はなくなった。

具体性にかけます。
ご当人が具体性のある論証を求めているわりに、あまりに抽象すぎる記述ですね。
私はそうおもった、ということのようなので、「あぁ、そうですか」という感想を述べさせていただきます。

>話が逸れたが、真如苑では単に障害などを示して「言うとおりにしないと酷いことになるぞ」という事はない。

そうでしょうか?
脱苑しようとして、「やめたらどうなるか知らないよ」というような脅しを受けた人がたくさんいるかのように聞いていますが。

>このような教化は禁止されているのだ。そうではなく心の運び方、解決の仕方まで指導して安心を与えなければならないとされている。

とすれば、そのような指導ができるものに限り、スジ親になれる=新しく信者を勧誘できる、という体制を作るべきですね。
現実にある苑の体制は、「心の運び方、解決の仕方まで指導して安心を与えなければならない」というシステムに合致したものではありません。
ここにも偽りがあります。

>C情報のコントロール
>真如苑ではインターネットの書き込み(例えばここ)を閲覧することは止められている。
>理由は事実無根の単なる誹謗中傷だが初心者だと誹謗中傷される教団であるという事実で迷ってしまうからだ。

コントロールされていることは認めているようですね。
のわりには、いれかわりたちかわり、HNを語ったりして書き込んでいらっしゃる方がたくさんいるようですが。
「事実無根の単なる誹謗中傷」と断言できるのはたいしたものです。
火のないところに煙は立たない、です。
個人を批判している板ではないのです。
真如苑という「カルト」宗教団体組織への批判です。
それは、伊藤個人にむけられたものではなく、苑の教え、苑のシステムへの警鐘です。
それを「事実無根の単なる誹謗中傷」と断言できるのはたいしたものです。
イノナカノカワズタイカイヲシラズ、という状況にならないように、ですね。

>それ以外は何を見ようがどのような本を読もうが構わない。公式に禁止されているものはない。

公式には禁止していないようですが、スジを通してやんわりと禁止されているのが実情です。

>以上の事から真如苑はカルト宗教でもマインドコントロールで信者の個性を奪う宗教でもない。

この結論も、非常に不完全です。何も実証されていません。
フランナさんが挙げた証拠というべき者は、すべて内部証拠、内部での解釈です。
つまり「俺が正しいというのだから正しいのだ」という結論でしかないのです。
これでは、客観性はかけらもなく、信憑性もゼロです。
もう少しきちんと論証できる人がひとりぐらいはいないのでしょうか。

>その逆に信者自身の持つ個性を磨き上げていく為のお手伝いをする宗教といえる。

ぱちぱち。見事な自画自賛ですね。
もう少し、訓練をつんでからきてください。
議論ができる方をお待ちしています。
[285]偽の気配 06/01/04 12:01 mynxzNDT83
フランナという人物の書き込み部分の引用がみにくくなってしまいました。
もうしわけありません・・

[286]フランナ 06/01/04 12:13 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>272 はてさんへのレス

>どちらも互いに離婚し一緒に生活始めるも新聞記者は3ヶ月で死亡。
マスコミの人脈だけ遺産のような形で残る。

>は書く必要がないのでは?

フライデー事件の一経緯として必要と判断し掲載したまでです。

[287]フランナ 06/01/04 12:23 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>273 継続は力なりさんへのレス

>伊藤苑とは、まさにその【人の弱み】を餌にしているの
です。

具体的にどうエサにしているのか書いてください。

>仏教(お釈迦様)の教えのように。。。これが「諦観」。

諦観とは971年ごろ活躍した高麗僧です。お釈迦様は「四諦」を説きました。この「諦」は「サッチャの訳で真理の意」です。

>これこそ、【詐欺や恐喝】犯罪者の王道のやり方。

想像でものを書くのはおやめなさい。知識も中途半端なら書くことも稚拙、小学校からやり直しなさい。
[288]フランナ 06/01/04 12:31 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>276 偽の気配さんへのレス

アナタの書く事には無駄が多いですね。要点を整理して欲しいものです。

>宗派によらず開祖を奉るのは確かでしょう。

一般人にはわからない難解なものを解りやすく解いた人物への崇拝は当然です。そこで何故、その崇拝の「程度」が問題になるのか論証してください。

キリスト教に至っては開祖イエスの賛美以外ありませんが?

適度な崇拝の程度と言うものがあるのならその水準をアナタの主観ではなく客観的に示して見せてください。
[289]講釈師 06/01/04 12:35 zZHrYDn.cI
フランナ様 よろしくお願いします。

この正月はイスラーム教のダイジェスト本を再読していまして、なかなか頭で理解できなくて難義しています。
現代は好むと好まざるとに関わらず相手を理解しなければ衝突が起こる、というものです。
イスラーム教にも「そんなアホな」と突っ込むところは多々有るのですが、
そこは「神が決めたこと」で疑う余地はないのです。

翻って、仏教系の新興宗教は他から見れば「単なるオッサンの妄想」で「霊界が見えます」と言われても「ハイ そうです。信じます。」とはならないのです。

なにか書き込むタイミングが難しいですね。
[290]フランナ 06/01/04 12:37 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>277  論点がずれてます

>ここで述べられていることが事実です。苑内部でもそれを曲げることはできないようです。
>大切なのは、釈迦仏教では、霊媒・霊能なるものを肯定していないことです。

ここでの論点は「カルト的関係」の有無です。カルト的関係が存在するというのならその関係構築の方法とできれば実例も示して論証するべきでしょう。

お釈迦様が何を言いたかったのかと言うのは論点がずれてます。


>真如苑はどうですか?教書以外の仏教書を読むことを、やんわりとでもとめられていませんか?

止められませんね。但し、幸福の科学関係の出版物(蛇足ながら私はほとんど読みました)や歎異抄といった霊的に強い書物を初心者に勧めることはしません。
[291]甚だ疑問です 06/01/04 12:41 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
『ウィキペディア(Wikipedia)』の内容は、客観の体裁を整えながら、真如苑の主張をそのまま紹介する者に変化してしまった。

フランナ=真如苑幹部事務局員?がURLを繰り返し紹介する所以です。

「参考文献」も結局は苑擁護、ではないのでしょうか。
参考文献:
 本多順子『真如苑―祈りの世紀へ』
 ひろたみを『ルポルタージュ・真如苑−その現代性と革新性をさぐる』
 毎日新聞社『ブッダ最後の教え 真如苑−涅槃経に生きる人びと』

お読みになった方、コメントいただけませんか?
[292]フランナ 06/01/04 12:46 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>278 程度が低すぎます

>自らの生活の糧である占い(もともと占い師の家系であることを覚えておきましょう)の信憑性を高めるための発言に聞こえます。


占いの信憑性を高める為には「いかに当たるか」を強調します。

あらかじめ「命令を強要するものではない」と宣言していることがどう占いの信憑性を高めるのですか?

むしろ「当てもの」を望む人間にとっては「もっとはっきり言って欲しい」と思うでしょう。接心の霊言は「気付き」の為に出されます。従って抽象的である場合が多いのです。

アナタは接心を受けたことがあるのですか?どうしても「当てもの」「占い」であって、しかもマインドコントロールの手段としてしか捉えていないようですが、アナタこそご自分で確かめてから書くべきでしょう。
[293]甚だ疑問です 06/01/04 12:48 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[291]訂正
真如苑の主張をそのまま紹介する者に→真如苑の主張をそのまま紹介するものに
「−」は単なるダッシュ(─)
[294]フランナ 06/01/04 12:56 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>279 水掛け論です

>それならば霊能者がそういう内容については「占わない」ということを徹底すべきでしょう?

逆に接心を頂く側が自ら決めるという態度を貫く態度を徹底するべきだともいえます。

実際、鑑定で「未亡人になりたくなければ結婚はやめなさい」というご霊言を頂いた私の知人は「よし、精進で運命を変えよう」と精進し、その相手と結婚しました。現在はその方は霊能者、夫は歓喜です。

>信仰することで生活面をしばっていくことを否とはしていないのが実状なのです。

苑で行動を規制、強要することはありません。苑が物理的に私生活に介入することは皆無です。「しばっている」とは自分が自分で縛っているだけです。

よく実情を確かめてください。
[295]フランナ 06/01/04 13:02 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>280 ならば論の飛躍を論理的に論破してください


>この結論、あまりに論理の飛躍があります。

その根拠が

>先にも述べましたが、引用がすべて手前味噌です。

私の引用はほぼネットの記事です。教書、瑞教の引用は1行程度でしょう。「すべて手前味噌」と言うのはアナタがキチンと読んでないか知能に問題があるからでしょう。

>要約すると、「私がちがうといっているのだから、ちがうのだ」という話でしかないのです。

何故違うといえるのか一つ一つ根拠を挙げて論証しております。
アナタこそ飛躍した結論にぶっ飛ぶのはおやめなさい。知性のなさを露呈しており恥ずかしいです。
[296]偽の気配 06/01/04 13:04 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
お、激口してきましたね、腐乱名さん。

私は、あなたに対してかいたのではありません。
そこを履き違えていらっしゃるようだ。

あなたはカルトではない、といっている。
私は苑をカルトの一種だとおもっている。
それぞれの書き込みを読む人が判断すればいいのです。
信じ込んでいるあなたが、苑がカルトであると認める時には、
あなたの今までの生き方が一部否定されるわけですから、
そうやすやすとは認めたくないでしょう。
私は、あなたが苑のことをどうおもっていようが知ったことではありません。
苑の中でも妄信的な人たちは、かつて様々なHNで荒らしまわったように
卑劣な手段に打って出ます。
そういった人たちは、ある意味では救いようがありません。
苑に頼って生きるしかないのでしょう。
どうぞお好きにしてください、です。
別に干渉いたしません。
あくまでも、疑問を持っている人への発信のつもりで書いています。

あなたも、信じていない人への干渉ではなく、
信じるかも知れない人への発信をすればいいでしょう?

なにをムキになっているのですか?

ここに苑への批判がのるのがそんなにおそろしいのですか?
[297]偽の気配 06/01/04 13:05 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
一言。
あなたが激口をたたくに連れて、本性があらわになっていますよ。
せっかくHNをかえてでてきたのですから、
もう少し皮をかぶって話つづけてはいかがですか?
[298]フランナ 06/01/04 13:07 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
偽の気配さま

残念ながらアナタの書き方は皮肉、誹謗の類でマトモに読んでレスをするのに値しません。

無駄な皮肉や誹謗は省いて「何が問題で何を聞きたいのか」を簡潔にまとめて聞き直してください。長すぎて疲れました。

アナタの感想等は私のレスの後に書けば済むことでしょう。長々と駄文を読まされる身にもなってください。

[299]白うさぎ 06/01/04 13:09 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
参考文献の下2冊は読みました。
苑擁護の内容です。
経親からお救けに使うように、買いなさいと薦められました。
実際、友人に貸し出して読んでもらいましたが、お救けには、結びつきませんでした。
内容に苑否定の部分はありません。

元信徒の経験からすると、苑では苑否定の文献を読むように薦めることはまずありません。

苑のカルト的要素は、私の体調が回復したら、具体例を挙げて書き込むつもりです。

一番はっきりわかるのは、思想のコントロールです。

メンバーたちは、自分の捧げる時間と金と努力が世界の救いに貢献していると信じている。彼らが、悟っていないのは、自分が、MCの犠牲者なのだということである。
>これは、「MCの恐怖」スティーブン・ハッサンの中の一文です。

「世のため・人のために」という苑の精進目標は、これとどう違うのでしょうか?

世界の救いのために精進されている方がどうして、人を見下した発言をしたり、人を傷つけるような言動を平気でするのか、私には理解できません。そして、ダブルメッセージを出してもそれを矛盾と感じられないことが、はっきりMCされている証拠としてこの板に残っていますが・・・。どうお考えでしょうか?もちろん、HNでも書き込みですから、その方が真如教徒だと確定はできませんが・・・。板の流れを読めば、わかるはずです。

苑におけるMCの実態は後日必ず書き込みます。
いったん、MCされて、今MCがとけつつある私から見ると非常によく理解できます。
書き込みをしても、現在MC中の方には理解できない可能性も強いですが・・・。
しばらく休養の時間を下さいませ。

[300]甚だ疑問です 06/01/04 13:10 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[290]フランナ 06/01/04 12:37 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>> 277 論点がずれてます
[292]フランナ 06/01/04 12:46 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>> 278 程度が低すぎます
[294]フランナ 06/01/04 12:56 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>> 279 水掛け論です

この書き出しの形は、あらしの発端「信者」(「霊能者を目指す者」)と類似です。同一人?真の苑の相手を押さえ込む論法? 分からない。
[301]甚だ疑問です 06/01/04 13:12 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[299]白うさぎ様
ありがとうございました。
[302]白うさぎ 06/01/04 13:15 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
>苑が私生活に物理的に介入しない・・・
物理的にはしなくても、精神的に介入しました。
私の経親は、私の意志で決めたことが、彼女の気に入らないと、彼女の望む行動に変更するように、しつこく説教をしました。

また、鑑定接心を受けずに長男が進学先の大学を決めた時、別の相談接心の場で、霊能者から、「なぜ鑑定を受けなかったのか?」と責められました。
[303]フランナ 06/01/04 13:15 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>289 そうですか


>翻って、仏教系の新興宗教は他から見れば「単なるオッサンの妄想」で「霊界が見えます」と言われても「ハイ そうです。信じます。」とはならないのです。

それは個人の思想信条の自由です。私にいう事はおろかここに書く必然性すらありません。
[304]偽の気配 06/01/04 13:24 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
フランナなる人物は、そろそろネタがつきたようです。
また人格変貌してあらわれるかもしれませんね。

疑問さん、私も文章や、書きかたの癖の共通点は感じていました。
人がいないのか、はたまたどれも金太郎飴なのか。
この後、信者→真如教徒→幽霊→カルト弾圧の流れを再現するのでしょうか。見守っていきましょう。


フランナ氏は、皮肉を嗅ぎ取る鼻はもっていらっしゃるようです。

先ほども書いたように、あなたにレスを求めてはいません。
それに、何様のつもりでいるのかしりませんが、
まともに読むのに値するかどうかを判断するのは、
あなたではありません。

あなたは苑がカルトではない、と主張してそれをわかってもらうために書き込んだのでしょう?
誰を説得したいのですか?
その相手がわかるように説得力ある文章でかけばいいんじゃないですか?

私はあなたが根拠としてあげていることでは
どれひとつ不十分で納得できない、と言ったのです。
ネットを引用している部分は、なるほどある意味では客観的でしょう。
それは事象の説明にしかすぎません。
あなたが、「だから苑はカルトではないのです」といっている根拠にあたる部分は、いずれも教書あるいは伊藤苑内のお話に基づいています。
ご自身で書かれた文章をもう一度よまれてはいかがですか?

伊藤園は好きですが、伊藤苑はいただけません。
[305]草太 06/01/04 13:24 p8QHUHlWQV
法句経19番

無益なるものそらんずるも
まこと むなしく
他人の牛をかぞうる
かの牧牛者(うしかい)にたとうべし

現代語訳
実行できない無用の知識を貯えても、それは他人からあずかった牛を数える牧童と同じことである。

知識万能社会といわれる世に、この聖句は頭から冷や水を浴びせてきます。ひとことでいえば、無駄な情報に舞い上がるのは浅はかだということでしょう。
知識に舞い上がってる人への、偽の気配様の労苦が空しく思われますが、その真摯さには頭の下がる思いがします。
しかし、釈迦もイエスも、知識に舞い上がって入る者に対しては無記を多くなされたとか…。まあ、ですから、私のスレもスルーでしょう。
[306]偽の気配 06/01/04 13:25 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
303も傲慢ですね
>それは個人の思想信条の自由です。
>私にいう事はおろかここに書く必然性すらありません。

百歩譲って、あなたに言う必然性がないとしても
ここに書く必然性がないと、どうしてあなたごときが断言できるのですか?

傲慢ぶりもはなはだしい。
鼻につきますよ。
[307]偽の気配 06/01/04 13:26 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
草太さん、おはずかしい限りです。(--;
[308]甚だ疑問です 06/01/04 13:28 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
>[303]フランナ 06/01/04 13:15 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>翻って、仏教系の新興宗教は他から見れば「単なるオッサンの妄想」で「霊界が見えます」と言われても「ハイ そうです。信じます。」とはならないのです。
>それは個人の思想信条の自由です。私にいう事はおろかここに書く必然性すらありません。

その言い方は、「誰が何をやろうと勝手ではないか。」というのと同じです。
それならば、あなたこそ「…はおろかここに書く必然性すらありません。」
[309]フランナ 06/01/04 13:37 *xuStMLh8M/P*DuMrU/rlfI
>>302

>物理的にはしなくても、精神的に介入しました。
>私の経親は、私の意志で決めたことが、彼女の気に入らないと、彼女の望む行動に変更するように、しつこく説教をしました。

経親は経の子の意志を強制的に曲げることはできません。真意が伝わらない時には導き親がフォローします。アナタは腹を割って話したのですか?

何故、変更しなければならないのかを明示せずに言ってくる言葉など聞く必要はありません。

>また、鑑定接心を受けずに長男が進学先の大学を決めた時、別の相談接心の場で、霊能者から、「なぜ鑑定を受けなかったのか?」と責められました。

私は就職の時にも鑑定を頂きませんでした。自分で決めた職場なので自己責任です。そして、精進次第で状況は変えられると教えられているからです。

アナタの教えの求め方は弱いように思います。自らコントロールされたかったのではないですか?その方が楽ですからね。

そして言いたい事も言わず腹に溜めているうちに爆発してしまったのではないかと思われます。
[310]偽の気配 06/01/04 13:38 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
(^^) 典型的な苑人なのですね、フランナさん。
[311]事情通 06/01/04 13:50 iT56loqtUO
第三部 水ぶくれ真如苑の泣きどころ
  第一章 仏教学に照らしてみた真如苑教義の問題点

「大乗」(序説部分)
 人をうまいぐあいに魅惑して、抵抗できなくさせてしまう巧妙な文句のことを「殺し文句」という。真如苑は、信者が教団に対して抱く疑問や反発を封じ込めるための巧妙な「殺し文句」をいくつか開発している。それらはみな伝統仏教の用語を借りてきて作られているので、信者は「これに逆らったらお釈迦さまに逆らうことになってしまう」と思って黙りこんでしまうわけだ。さすがに仏教国日本だけあって、この面での釈尊の権威はなかなか利用価値がある。しかし、見方を変えると、真如苑の仏教的殺し文句が威力を発揮しえているのは、仏教国日本が長年の葬式仏教の惰性によって骨抜きになり、本当の仏教についての常識が国民のあいだに普及していないからでもある。今後二十一世紀へ向かって、本来の仏教についての国民の常識が次第に高まってくる時代の中で、いつまでも真如苑のお粗末な殺し文句が威力を発揮しつづけることができるかどうかは、まったく保証のかぎりでない。
 真如苑では、未信者をひとまず「抜苦代受のご利益〔りやく〕」で勧誘しておいたあと、入信後しばらくすると、本当のことを教えると称して、次のようなことを説きはじめる。
 「自分が救われたいだけのご利益信心は、わが身がかわいい小乗です。真如苑は大乗です。お釈迦様も最初は小乗を説かれましたが後には大乗を説かれ、『こっちのほうが真実の教えだ』とおっしゃいました。だから、あなたも大乗精神を身につけなければなりません。利他のために立ってこそ、本当に救われるのです。さあ、お救け行をしなさい」
 「大乗」は、真如苑が掲げる殺し文句の代表的なものである。
 ここで、問うべきことは少なくとも二つある。
 まず第一に、「『小乗』『大乗』という区別は『ご利益信心』と『利他行』との相違ととらえてよいか?」という問題がある。
 第二に、「お釈迦様が最初に小乗を説かれ、後に大乗を説かれたというのは史実か?」という問題がある。
[312]事情通 06/01/04 13:51 iT56loqtUO
「大乗」@「ご利益信心」が「小乗」か?
 第一の問題から検討してゆくことにしよう。
 「小乗」というのは「自分一人を乗せる小さな乗り物」という意味であり、インドで在家を中心とする大乗仏教が興隆した際に、大乗教徒側が、従来の保守的な僧院仏教のことを、このように呼んだのである。当時の「小乗」と呼ばれた流れは、今日、南方仏教として、スリランカ、タイ、ビルマの三国を中心として存続している。南方仏教は、厳格な戒律を守る出家僧たちが寺院にこもって、瞑想〔めいそう〕の修行を続けて、悟りを開くことが教えの中心になっている。
 これらの僧たちは、別に、日本で言うところの「ご利益信心」「おすがり信心」などを実践しているわけではない。お釈迦様のご在世当時の教えを比較的忠実に守り、高邁〔こうまい〕な瞑想の行に明け暮れている。ただ、この潮流は、自分一人が瞑想によって悟りを開くことを、ともすると一生の目標にしてしまい、衆生〔しゅじょう〕に対する慈悲の実践の面で欠ける点があったので、その点が批判されて「小乗」と呼ばれたのである。
 小乗であれ大乗であれ、およそ、まともな仏教の教えは、卑近なご利益のレベルなどは超えたもので、ご利益信心がよいか悪いかという問題は、「大乗」「小乗」という区別以前の、もっと低い次元での問題だと言ってよいだろう。
[313]事情通 06/01/04 13:53 iT56loqtUO
「大乗」A時代遅れの教相判釈(前半)
 次に第二の問題に移ろう。
 スリランカをはじめとする南方諸国には、いわゆる「小乗」の仏教だけが伝わった。だから、これらの国々では、「小乗」の教えだけが厳格に守られて現代に至っている。
 これに対して中国では事情がちがっていた。「小乗」も「大乗」も取り混ぜて、さまざまな時代に成立したさまざまな傾向の経典が、体系的な脈絡なしにインドから次々に輸入され翻訳されたので、これをどう体系づけて学ぶべきかについて、坊さんが大いに頭を悩ませることになった。
 彼らは、「同じくお釈迦様の教えだと称しながら、著しく傾向の異なるお経があるのはどういうわけか?」という問題に対して、彼らなりの答えを出した。「これはきっと、お釈迦様が長いご生涯のいろいろな時期に、別々の教えをお説きになったものにちがいない」というのが彼らの答えである。つまり、経典はすべて額面どおりに釈尊の直接の説法の記録であるとの前提の上で、問題を考えていたのだ。
 こうして彼らは、次のステップとして、「どの経典がお釈迦様のどういう時期の教えであるか」という、一種のこじつけめいた「あてはめ学」をやりはじめた。この「あてはめ学」のことを教相判釈〔きょうそうはんじゃく〕という。やがてさまざまな論争を経て天台大師智?〔ちぎ〕(五三八〜五九七年)によって「五時の教判」と呼ばれる教相判釈が確立され、これが中国で最も権威ある学説となり、やがて日本の比叡山にも輸入されて、以後、長らく日本の仏教界を風靡〔ふうび〕することになった。
 天台大師の教相判釈によれば、仏教経典の成立史は次のように解説されている。
 「釈尊は成道〔じょうどう〕後ほんのわずかの期間だけ菩提樹の下で華厳〔けごん〕の教えを説かれた。しかし、これは高級すぎて誰も解する者がいなかった。そこで、鹿野苑〔ろくやえん〕での初転法輪〔しょてんぽうりん〕以後しばらくの間は、弟子たちの機根に合わせて、個人の完成のみを目指す低い教えである阿含〔あごん〕の教え(小乗の教え)を説かれた。そして、機が熟したところを見はからって、自己の救いよりも他者の救いを優先させる高い教えである大乗の教えを説かれた。さらに、晩年になってから大乗の教えの中でも最も高い決定版であるところの法華〔ほっけ〕と涅槃〔ねはん〕の教えを説いて万人救済の道を示し終わり、心おきなく入滅された。これらの、時期に応じていろいろにお説きになった教えが、後に記録されて、今見るような種々の経典になった」
 この教相判釈が「五時の教判」と呼ばれるのは、釈尊のご一代を「華厳時」「阿含時」「方等〔ほうとう〕時」「般若〔はんにゃ〕時」「法華・涅槃時」の五段階に分けて論じているからである。
 しかし、この「五時の教判」に挙げられている「時間的順序」については、史実性を裏付ける証拠はどこにもない。むしろ、経典を仔細に眺めるならば、釈尊の中年の一時期の教えであるはずの阿含経典の中にも、釈尊の晩年や入滅についての記述が見出だされるなど、「五時の教判」に矛盾する事実をいくらでも挙げることができる。だから、天台大師の教相判釈というのは、「仏教はこういう順序で学ぶべきだ」という彼の主張を釈尊ご一代の時間的順序の中に仮託的に投影したものと見るのが、最も穏当なところであり、あまり大まじめに額面どおりに受け止めるべき性格のものではない。
[314]事情通 06/01/04 13:54 iT56loqtUO
「大乗」A時代遅れの教相判釈(後半)
 もともと大乗仏教の諸経典というのは、釈尊を主人公とした象徴的な戯曲文学といった性格のものであり、現実の時間的・空間的な枠の中での釈尊の生涯にあてはめようとすれば、矛盾だらけになってしまうような、奇想天外は物語の集まりである。
 例えば、『華厳経』は釈尊が菩提樹の下で悟りを開かれたという場面から始まるので、「五時の教判」の中では、成道〔じょうどう〕直後三週間のあいだの釈尊のお説法の記録だとされているわけだが、菩提樹の下に座っているはずの釈尊が、いつのまにか別の道場でお説法していることになってみたり、まだ弟子を一人も持っていないはずの釈尊が多くの弟子に囲まれていたり、……といったぐあいで、「五時の教判」を額面どおりに信じる頭で考えれば、つじつまの合わないことだらけである。
 だいいち、釈尊が成道直後に菩提樹の下で説法し、これを解する弟子が一人もいなかったという「華厳の教え」を、いったい誰が記録して『華厳経』という経典にまとめたのか?
 こういう点は現代人なら当然気付くところであるが、実は、今から二百年以上前の徳川時代中期にも、既にこういう点に気付き、仏教経典の成立史について、伝統教学を真っ向から否定する実証主義的議論を提出した学者があった。大坂商人の家に生まれ、わずか三十二歳で没した天才学者富永仲基〔なかもと〕(一七一五〜一七四六)である。
 彼は、漢訳経典を実証主義的な眼で眺め直し、仏教経典のうち多くは釈尊よりかなり後に、新たな思想に基づいて書かれたものであって、釈尊の直説〔じきせつ〕とはいえない、との結論に到達した。具体的には、伝統教学において低い教えとして卑しめられてきた阿含経典こそが、釈尊の直説に比較的近い形のものであり、「大乗」と名乗る経典群は、むしろずっと後世のものである、というのが彼の結論である。この考え方を「大乗非仏説論」と言う。
 この富永仲基の考え方は、十九世紀にヨーロッパの学者たちがサンスクリットやパーリ語の経典を研究して到達した結論と基本的に同一である。明治時代、日本の仏教学者は、ヨーロッパの新しい仏教研究に触れて衝撃を受けると同時に、自国における同じ考えの先覚者として富永仲基を発見した。以来、大乗非仏説論は学界の通説となった。こうして、わが国でも初めて、伝統教学にはとらわれずに、阿含経典を中心として「原始仏教」あるいは「根本仏教」を捉〔とら〕え直そうという動きが活発になったのである。
 ただ、研究が深まるにつれて、当初のような「阿含経典以外はニセモノ」といった考え方には行き過ぎもあることがわかり、「大乗仏教はかなり時代が下ってから成立したものではあるが、釈尊の思想を新時代に適応させて生かした教えであり、それなりにひとつの仏教と言ってよい」というふうに考えられるようになってきた。
 だが、いずれにしても、「お釈迦様は最初に小乗を説き、後に大乗を説いて『こっちの方が本当の教えだ』とおっしゃった」というような説は、現代では、時代遅れのものとして完全に否定し去られているのである。現代では、日本の伝統宗派の高僧方も、みんな、伝統的宗学の他に大学での近代仏教学を学んでいるから、「五時の教判」が史実と異なることぐらいは常識として知っている。今や伝統宗派においてすら、「五時の教判」は、儀式用の道具ないし、初信者指導のための便宜的解説の道具としてしか使ってはいない。
 そしてまた立教時には伝統教学に依拠していた立正佼成会でも、昭和三十年代には早々と「五時の教判」を卒業しているのである。
 このような時代遅れのものを、今さら狭義の根幹に据えようとする真如苑は、無知で狂信的な人々を一定数惹〔ひ〕きつけることはできても、まともな仏教史がますます国民の常識となってゆくであろうこれからの世の中で、国民的宗教にまで成長することはまず不可能と言えよう。
[315]事情通 06/01/04 13:55 iT56loqtUO
「大乗」B本当の大乗精神とは?
 以上で、指摘すべき問題点二点については説明した。
 最後に、そもそも仏教における「大乗の精神」とは何かということを、いま一度はっきりさせ、それが真如苑の殺し文句としての「大乗」といかに異なるかを明らかにしておこう。
 西暦紀元前後に、インドで在家を中心とした大乗仏教運動が起こされた当時の雰囲気をよく伝えている経典として『維摩経〔ゆいまきょう〕』がある。これは、釈尊と同時代にヴァイシャーリーの町にヴィマラキールティ(維摩詰〔ゆいまきつ〕)という在家の偉人がいたということにして、この人物と釈尊の実在の高弟であるシャーリプトラ(舎利弗〔しゃりほつ〕)らを討論させ、前者の方に軍配を挙げるという面白い戯曲的経典である。
 この経典の中でのシャーリプトラは、実質的には経典が書かれた当時の僧院仏教の修道者の立場を代表する創作上の人物と言ってよく、仮託的に釈尊の直弟子シャーリプトラの名が冠せられているにすぎない。
 ここでのシャーリプトラは、「せっかく立派に修行しているのに、おのれの修行の成果にこだわり、浄・不浄の区別にこだわり、その結果、かえって自由闊達〔かったつ〕な悟りの境地まで進めないでいる人物」として描かれている。こういうことは、宗教家が初心を忘れて形にこだわった場合にはいつの時代にも起こることである。
 そういう人に対して強調されねばならないことは、「善とか清浄〔しょうじょう〕とか徳とかいうことも、それにこだわったら善でも清浄でも徳でもなくなってしまいますよ」ということである。
 実際、善などというものは「これが善行だぞ」などと本人が力み返っているうちは本当の善行にはならないもので、本人が「善行」なんていう意識を忘れてしまった時に初めて本当の善行になっている、といった性格のものだ。
 そうした「力み返ったこだわり」をきれいさっぱり否定し尽くしたところに真理の世界が開けてくる、ということを教えたのが、かの般若心経〔はんにゃしんきょう〕に出てくる「空〔くう〕」の思想である。こういうわけで大乗仏教の思想は、まずもって「空」の思想である。
 「自分がまだ救われていなくても、他人の救いのために働く」という菩薩行〔ぼさつぎょう〕の思想は、こうした「空」と関連して出てくるものである。なぜなら、「空」の立場に立てば、僧院仏教が陥りがちな「浄・不浄」への形式的こだわりや、「おのれが完全に清浄になってから初めて他人のために働ける」という二段階的な考え方は克服され、俗塵の中に生きて他のために働きつつおのれ自身も高められてゆく、というあり方が開けてくるからである。
 しかし、こうして「空」や「菩薩行」の立場に立つことだけが一面的に強調されると、今度はまた「小乗教徒のやり方では救われない」として「大乗」というひとつの凝り固まった枠を作ってしまうことになり、何のための大乗かわからなくなってしまう。
 そこで、結局のところ、「自己を小乗と区別するところの大乗」ではなく、もう一枚脱皮して「小乗もまた窮極的には救われるのだという観点に立った大乗」というものが生まれてこなければならなくなる。
 『法華経〔ほけきょう〕』の思想はこうしたいきさつから生まれてきたものである。そこでは、「すべての衆生〔しゅじょう〕はお釈迦様と同じ仏になれる性質を備えている」という「悉有仏性〔しつうぶっしょう〕」の思想と、「すべての現象は真理の現れとして尊い意義がある」という「諸法実相」の思想とが二つの柱になっている。『大般涅槃経〔だいはつねはんきょう〕』もまた、こうした『法華経』と同系統の思想に基づいて作られた経典なのである。
 真如苑の教えが、こうした意味での大乗たりえているかと言えば、それはかなり疑問である。「衆生みなが救われる可能性を持っているのだから、その実現のために一生懸命働こう」といった形で「お救け行」を正当化している点で、確かに「悉有仏性」の思想は取り入れている。しかし、それと対をなす「諸法実相」の自覚がはたして真如苑にあるだろうか?
 「この教えに疑問を感じるのは障害霊のせいです」などと言って「悪玉」をこしらえて言足れりとする態度は、とうてい諸法実相の自覚に立つものとは思われない。おのれの教団に人を引きずり込まないかぎり、人を救うことができないとする硬直した組織至上主義の中には、諸法実相もなければ、空もない。
[316]事情通 06/01/04 13:58 iT56loqtUO
「大般涅槃経」(1)
 真如苑の殺し文句の第二は、「このみ教えはお釈迦様のご遺言の教えである『大般涅槃経』を所依〔しょえ〕の経典とするものですから、あらゆる仏教の法門のうち最高のものです」というものである。これに対する批判は、二つに分けて論じることができる。
 まず第一に、真如苑の霊能や接心は、もともと立教当初の摂受院の巫女〔みこ〕的霊能に起源を有するもので、これを「大般涅槃経に基づく神通変化〔じんずうへんげ〕」などと説明するようになったのは、ずっと後のことである点に注意しておかねばならない。
 もっともこの時間的な隔たり自体は真如苑も大っぴらに認めているから、あまり材料にはならない。問題はその解釈のしかたである。
 真如苑自身によれば、これは、「真如苑に現れた霊能が『大般涅槃経』における釈尊のご予言の実現であったことが、後になって明示的に認識されたのだ」ということになる。しかし私に言わせれば、「教団が巨大化した時点で、当初の巫女的霊能に、あとからもったいが付けられたのだ」ということだ。
 真如苑が『大般涅槃経』を教義に取り入れるようになったのは、昭和二十年代の終り頃であるが、時はまさに、「まこと教団事件」が裁判沙汰になり、「まこと教団」の名では世間に顔向けができず、教団名も変えざるをえない所まで伊藤一族が追い込まれていた時である。教団のイメージ一新のために、ぜひとも新しい材料が必要だった時である。
 また、この時期が、創価学会、立正佼成会などの法華経系新宗教のめざましい発展期に重なっていることにも注意する必要がある。
 日本の新宗教運動には「法華経に依拠する」と称するものが多いが、これは二つの理由による。第一に、『法華経』には布教の使命感をあおる熱狂的要素が他の経典に比べて多いため、法華経信奉者の中からは、他の経典の信奉者には見られない熱狂的傾向の者が出やすいからである。第二に、例の天台大師の「五時の教判」において『法華経』は第五の時期に説かれた最高の経典として位置づけられているため、近代仏教学を知らない土着的な民衆宗教の指導者が、伝統教学の片鱗を学んで自分の教えにハクを付ける「最高の経典」を捜そうとすると、通常『法華経』にゆきつくからである。
 伊藤もこうした土着的な民衆宗教の指導者の一人であった。だから、一歩まちがえば伊藤もまた『法華経』をもったい付けの道具に使っていたかも知れない。
 が、幸か不幸か、彼がもったい付けの道具を捜した時には、すでに『法華経』は有力な先行教団のオハコにされてしまっていて、いまさら真如苑がこれを装いに用いても新味がないという状態になっていた。
 そこで彼としては、伝統的な「五時の教判」に基本的には依拠しつつ、最後のところをちょっとだけ修正して、「『法華・涅槃時』と言っても先に『法華経』が説かれ、あとで『大般涅槃経』が説かれたのだから、『大般涅槃経』のほうが『法華経』より上だ」という理屈をつけ、『大般涅槃経』を所依の経典とすることで、法華経教団を追い抜く戦略を立てた、といったあたりが事の真相であろう。
[317]事情通 06/01/04 14:00 iT56loqtUO
「大般涅槃経」(2)
 さてそこで、「『大般涅槃経』は本当に釈尊の最後かつ最高の教えであるか」という第二の問題に移ろう。
 これについては、答えはすでにある程度、明らかにしてしまったが、「五時の教判」は史実ではないから、真如苑のもったい付けには何の意味もないというのが結論である。
 ところで、「大般涅槃」という言葉は、釈尊の「入滅」(死)のことを指して言う言葉である。したがって『大般涅槃経』とは「釈尊の入滅についてのお経」という意味である。
 ところがだ! 仏典の中には同じく『大般涅槃経』と名の付く経典でありながら、全く趣向の異なった二種類の経典が存在するのだ(この二種類の中にさらに複数の異本が存在するのだが、それについては今は詳述は避けよう)。
 それらのうち、一方の『大般涅槃経』は、阿含経典の中の一部分であり、南方仏教のパーリ語聖典の中にも、「長部〔ちょうぶ〕経典」と呼ばれている部分の中に、これの対応物が存在する(岩波文庫に中村元氏の訳で収録されている『ブッダ最後の旅』がそれである)。この経では、釈尊の入滅少し前の晩年の生活から入滅後の弟子たちの行動までの歴史的事件が淡々と綴〔つづ〕られており、入滅直前の釈尊は、長たらしい説法などはしていない。
 これに対して、もう一方の『大般涅槃経』は大乗経典群に属し、前者よりもはるかに長いが、記述している時間の幅は、釈尊の入滅直前の一日と一夜だけに限られていて、この短い時間の中で、クシナガラの地の沙羅双樹〔さらそうじゅ〕の下に横たわった釈尊が長大な説法をするという形になっている。
 このように著しく傾向の異なる二種類の経典の混同を避けたい場合には、前者を「小乗の涅槃経」、後者を「大乗の涅槃経」と呼ぶのがならわしである。
 さて、読者はもう推測がついたことと思うが、天台大師が「五時の教判」の中で「法華・涅槃時」の教えとして挙げている場合の『大般涅槃経』は後者の「大乗の涅槃経」であり、真如苑が「これぞお釈迦様の窮極の教えである」として所依〔しょえ〕の経典にしているのも「大乗の涅槃経」の方である。
 この「大乗の涅槃経」は、天台大師の教相判釈からもわかるように、思想的傾向において『法華経』と似た経典であるが、思想内容だけでなく「筆法」もまた『法華経』と似たところがあるのだ。
 では、『法華経』の特徴的「筆法」とは何か? それは、戯曲文学に説得力を付与するための手段として「晩年の釈尊」を登場させるという手法である。『法華経』では、晩年の釈尊が弟子たちに向って「今まではおまえたちの機根が熟さなかったので方便の教えによって導いてきたが、これから説くところこそは、かけ値なしの真理そのものなのだよ」と宣言する場面が設けてある。つまり、経典作者たちは「他の経典の教えよりも、この『法華経』の教えの方が価値が高いのだぞ」ということを釈尊の口に仮託して主張したわけである。この「筆法」が、天台大師やその伝統を受け継ぐ法華経信奉者たちの「法華経こそ最高の教え」という主張に大きな論拠を与えることになったのである。
[318]事情通 06/01/04 14:01 iT56loqtUO
「大般涅槃経」(3)
 ところで、経典作者の技巧を額面どおりに受け止める天台大師流の行き方を、とことん貫こうとするなら、天台大師自身、不徹底だということになる。なぜなら、「大乗の涅槃経」は『法華経』と同じ「筆法」で、釈尊が「今日これから説くところこそは窮極の真理だ」と宣言する形をとっており、『法華経』が描いている「晩年」よりも「大乗の涅槃経」が描写している「最後の一日一夜」の方が時間的にあとに決まっているからである。
 事実、この点を考慮して、天台大師の「五時の教判」と少しだけ異なる教相判釈を立て、『大般涅槃経』を最高の経典と評価した「涅槃宗」なるものが中国で生まれたこともあるのだ。この宗派は天台宗の影響力に太刀討〔たちう〕ちできずに消滅してしまったが、理屈としては涅槃宗の教相判釈の方が首尾一貫していたわけだ。そこで、この「穴場」に着目して、涅槃宗の教相判釈を復興したのが伊藤真乗ということになる。
 確かに、なかなかの商才ではある!
 しかし、もう一歩進んで、近代の仏教学を学んだ我々の立場から見れば、「五時の教判」と言おうと、それをちょっぴり修正した「六時の教判」と言おうと、同じ穴のむじなである。どっちにせよ、大乗経典作者たちの説得術を額面どおり受けとめて、釈尊のご一代を分割した架空の時間的順序を後生大事に祭り上げる点では、変わりがないからである。
 真如苑では、組織が巨大化して、創価学会や立正佼成会とかなり互角に渡り合えるようになった昨今では、とりわけ力を入れて「法華経に依拠する教団では救われない。涅槃経に依拠するわが教団でしか救われない」と、熱烈に信者に説いている。有力法華経教団の市場を蚕食するのが、さらなる信者獲得のための最も効率的な道だからであろう。その際、「釈尊は晩年に法華経をお説きになったが、法華経宣説の直後にコーサラ国のビルリ王による釈迦族殲滅〔せんめつ〕という大悲劇が起こったので、今までの教えでは万人を救うことはできないと痛感され、さらに高いお悟りに基づいて、万人の救われる窮極の道を涅槃経としてお説きになって、涅槃に入られた」というまことしやかな話を、さも史実であるかのように信者に教えている。
 釈尊の晩年に釈尊の出身地であるカピラ城がコーサラ国のビルリ王によって滅ぼされたのは阿含経典にも出ている話で、史実と思われるが、法華経宣説がその前で、涅槃経宣説がそのあとだとか、涅槃経はこの事件の反省の上に立って説かれたとかいうのは、根も葉もないウソっぱちである。
 史実の上での釈尊は、入滅直前まで「本当の窮極の教え」を隠しておいて、最後の一日一夜にそれを説いたなどということはないのである。むしろ、そういった邪説を真っ向から否定する事実が、南方仏教の長部経典の中の『大般涅槃経』には書かれているのだ! 次にそれを紹介しておこう。
[319]事情通 06/01/04 14:02 iT56loqtUO
「大般涅槃経」(4)
 晩年の釈尊がヴァイシャーリーの郊外で病に倒れ、やっとのことで回復したとき、側近の弟子のアーナンダが次のように言った。
 「師が病に倒れた時には、私の総身から力が抜け、四方が暗くなってしまいました。しかし、師があとあとのことを何も語らずに逝くはずはないと思っていささか安堵〔あんど〕しました」
 すると、釈尊はこれをたしなめて、次のようにおっしゃった。
 「アーナンダよ、おまえは私に何を期待しているというのか。私はいつも何も隠し立てせずにすべての教えを説いてきた。もし、私が弟子たちの指導者であるとか、弟子たちが私に頼っているとか思っているならば、人生の最後にあたって何かを語り遺〔のこ〕さなければならないが、今まで語ってきたことが私の教えのすべてである」
 そして、この直後に語られるのが、「自らを依〔よ〕り所とし、法を依り所とし、他に頼らざれ」という有名な「自帰依〔じきえ〕、法帰依〔ほうきえ〕」の教えなのである。
 ……歴史的事実は、この通りだったのである。
 それにもかかわらず、真如苑の接心では、「お釈迦様が最後の一日一夜にお説きになった涅槃のみ教えを……」とか、「サァ、正しく教相判釈してまいりましょう……」とかいった言葉が、絶対の真理を語る「ご霊界の言葉」と称してポンポン飛び出してくるのである。「ご霊言」なるものの半ばまでが、人間的作為と人間的訓練によって作り出されたものにすぎないことは、これだけを見ても明らかである。
 ところで、映画『ビルマの竪琴〔たてごと〕』を見てもわかるように、南方仏教国の仏像には釈尊の涅槃像が非常に多い。そのため、南方仏教の人々から見ると、涅槃像を大切に祀っている真如苑は、日本仏教の中ではひときわ目立ち、かつ親しみが感じられるようである。そういうわけで、真如苑はスリランカやタイの由緒ある仏教寺院とも交流があり、そのことを教団でも誇りにしている。しかし、古くさい大乗・小乗観にこだわり、「大乗の涅槃経」の内容を歴史的事実であるとするような時代遅れの教義をこしらえる真如苑が、真に南方仏教と友好的に交流できるかどうかは、はなはだ疑問である。
 確かに、「大乗の涅槃経」が釈尊の最後の一日一夜の教えという形式を借りて語ろうとしている宗教的真実には、大いに注目すべきものがある。が、その教えが尊いのは、教えの内容自体によるのであって、「これが釈尊の最後のみ教えだ」などという虚仮〔こけ〕おどしの「額縁〔がくぶち〕」のゆえではない。
 ところがだ! 肝心な『大般涅槃経』の教えの内容そのものについては、真如苑の一般信者は何ら体系的な知識を与えられていないのだ。したがって、プルーフの場で自分の宗教体験の深まりを『大般涅槃経』にきちんと結び付けて解説する信者もついぞ見かけられない。この点は横山真佳氏も真如苑のあり方の奇異な点として指摘しておられる(『新宗教の世界V』一三五〜一三六頁)。
 実を言えば、真如苑では「『大般涅槃経』の教えそのものは、教主様がかみ砕いて行じやすい形にしてみなさんに与えて下さっていますから、みなさんは教主様に一如(全面的に帰依〔きえ〕)しさえすれば、直接お経典を学ばなくても、ちゃんと『大般涅槃経』を身につけることができるのです」と説いているのだ。こういう目隠しを用いるなら、焼酎だと偽ってメチルを飲ませるぐらい朝飯前だろう。事実、真如苑では、「これが『大般涅槃経』の教えだ」という牽強附会〔けんきょうふかい〕な正当化の下に、もっぱら、ネズミ講まがいの勧誘活動と、教団への奉仕活動と、献金活動とを信者に押し付けているわけである。
[320]草太 06/01/04 14:09 p8QHUHlWQV
事情通さま、その労苦に敬意。

>> しかし、こうして「空」や「菩薩行」の立場に立つことだけが一面的に強調されると、今度はまた「小乗教徒のやり方では救われない」として「大乗」というひとつの凝り固まった枠を作ってしまうことになり、何のための大乗かわからなくなってしまう。
 そこで、結局のところ、「自己を小乗と区別するところの大乗」ではなく、もう一枚脱皮して「小乗もまた窮極的には救われるのだという観点に立った大乗」というものが生まれてこなければならなくなる。
 『法華経〔ほけきょう〕』の思想はこうしたいきさつから生まれてきたものである。そこでは、「すべての衆生〔しゅじょう〕はお釈迦様と同じ仏になれる性質を備えている」という「悉有仏性〔しつうぶっしょう〕」の思想と、「すべての現象は真理の現れとして尊い意義がある」という「諸法実相」の思想とが二つの柱になっている。『大般涅槃経〔だいはつねはんきょう〕』もまた、こうした『法華経』と同系統の思想に基づいて作られた経典なのである。

これが分かれば、著者も仏教を心得ている方で、重要なところだと思っています。
別に真如苑に入信しなくても救われるということですが、この板も、反真如苑と親真如苑に区分けし、反真如苑の立場だけに固執して強調しないことが肝心かと。
そうでないと、曲がりなりにも、何のために涅槃経の入門書を読んだのか分からなくなってしまうのではないのでしょうか。
[321]継続は力なり 06/01/04 14:20 jd8asXNR56
伊藤苑の策略に填った信徒は、苑の思惑通り「接心マシーン」の完成で。

本人に、無断で伊藤苑信徒にさせるとかは廃止して欲しい。

自分一人で信仰するのはかまわないが、他人を巻き込み、社会に
害悪を及ぼさないようにして欲しい。
[322]偽の気配 06/01/04 14:23 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
草太様

多神教は一神教に駆逐される、という話ご存知ですか?
一神教と多神教が争った場合を考えてください。
多神教は、「あぁなるほど、お前さんたちの神様の言い分にも一理ある」と受け入れる体制をとります。
一神教は「わしの神さんしかただしいものはおらんのや」と攻撃的な立場をとります。
争いが続くとどうなるでしょうか?やがて、多神教は一神教をのみこむでしょうが、内側から滅ぼされていきます。

もう一つ、民主主義は独裁主義を駆逐できない、というのはいかがですか?
民主主義の世の中では、どのような思想を持つことも許されます。たとえそれが独裁主義的なものであっても。独裁的にふるまうものは、強権を振るってでも民主主義を駆逐していくでしょう。ひとたび、独裁主義の世の中が生まれてしまうと、民主主義的な方法では、民主主義にもどすことは、非常に困難です。血を流さなくては元の民主主義には戻れないのです。

>この板も、反真如苑と親真如苑に区分けし、
>反真如苑の立場だけに固執して強調しないことが肝心かと。

おっしゃることはよくわかります。
ただ、この板は、「反対だ、反対だ、真如苑関係者ははいってくるな」という性格のものではありません。
きちんと話できるのであれば、苑信者が書き込むことに対して誰も排除的なことは言わないはずです。
反苑の立場にたっての発言、それは苑への疑問や不満などが噴出しているからです。
そこで妙に良心的にふるまうことは必要でしょうか?
反苑の書き込みに対して、苑信者がかきこむのであれば、書き込み者への批判・非難ではなく、苑の教えがいかにすばらしいか、をわかるようにかけばいいのです。
お前さんの説明では不十分だといわれれば、相手にわかるように説けばいいのです。苑では「させていただく」教えのはずです。相手を説得することで自分の「徳」がつめるのであれば、攻撃的になることなく、説くべきなのです。
それができないで、個人への誹謗中傷にはしってしまう人(幽霊、カルト弾圧、フランナなど)がいるからといって、苑への疑問の書き込みを自粛する必要はまったくありません。

仏教談義ではないのです。
問題は、真如苑。
仏教はどうだこうだ、という話は、真如苑問題を煮詰めるために必要だからでてきているのであって、仏教に精通するためではない。
と思うのですが、いかがでしょうか?

[323]草太 06/01/04 14:42 p8QHUHlWQV
偽の加配さま。
そうですね。私も始めは、気配さんのような考え方でしたし、それを、創価学会に対しても真如苑に対しても実行してきました。
しかし、そうした力学では、身内を苑のMCから解放することはできないどころか、私自身が、新興宗教の鎖に巻かれてしまっていたことに気づいたのです。そして、私自身がそうしたものから解放されたとき、身内も真如苑の拘束から逃れたような気がしていまし、対立の力の思想では何も解決しないというのが、戦い疲れた私の考え方です。
まあ、私の場合、真如苑さんが仏教仏教とほざくもので、それを論破するために深入りし過ぎたという面はあります。
仏教という「サングラス」を透してこの板を見つめている身ですから、あまり書き込むとうるさく感じますから控え気味にしますが、まあ、こうして対立概念を超えようとしている人間も多存在するということを知っておいて下さい。

[324]継続は力なり 06/01/04 14:49 jd8asXNR56
伊藤開祖の易(占いのびょうぜい霊)と内田家伝統の「霊能」とい
う「易」と「霊能」と「真如密」をブレンドしたものが、伊藤苑
(旧・まこと教団)なのです。

これは、仏教(東密)から言わせれば、外道なのです。

それでも、懲りずに、伊藤苑では、「真如霊界」を創作し開祖の
亡くなった2人の子供を「両童子と偶像崇拝の対象」にでっち上
げる始末。

これでは、宗教界の恥の上塗りで、正道、仏教(東密)とかけ離れ
た外道の真宗教が「真如密=伊藤苑」の正体なのです。
[325]偽の気配 06/01/04 14:54 mynxzNDT83
おっしゃることはすごく良くわかります。
体感として、暖簾に腕押ししているような思いにとらわれることが多々あるからです。

私は、様々な意見が飛び交ってよいと思います。
真如苑はすばらしい、いやよくないんだ、という意見、双方ともにです。
勿論、単なるけなしあいになってしまってはいけないと思います。
そのあたりは自戒もこめて(ちょくちょく熱くなってしまいますので)

なので、仏教のある宗派からみると、ああだ、こうだ、という話も時には良いかと思うのです。
板主さんは違った思いを抱いていらっしゃるかもしれませんので、
あくまでもこれは私個人の意見ということですが。

最終的には、だれそれの仏教観を頂さえすればよい、というのではなく、誰もが自分なりの仏教観(あるいは宗教観でしょうか)を持つようになればいいのだろう、と。

なので、
要はいろんな考え方があって、真如苑もその一つに過ぎず、
絶対にそれだけがただしいというものではない、というところに行き着けば、束縛からは逃れられる、あるいは逃れる素地ができる、のではないかと思うのです。


[326]草太 06/01/04 15:01 p8QHUHlWQV
偽の気配さん。その通りです。
ただ、私は真如苑が生理的に嫌いなので、それを克服するために苦労しています。
気配さんは、気配さんとして、真如苑に真っ向勝負を挑んで行けばいいと思っています。やるだけやれば何かつかめますよ。頑張って下さい。
[327]白うさぎ 06/01/04 15:09 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
[309]さま
私の場合は、導き親=経親でした。
ゆえに、他にフォローしてくれる人はありませんでした。

思っている疑問をはっきり伝えました。
「あなたの教化の通りすると、逆にどんどん苦しくなり体調も悪くなるのは、どうしてなのか?」と尋ねると、
経親は、「私は、プロではないからわからない。」と答えました。そして、「自分の言うことだけでは、不充分なので、専門奉仕班にでも、入ってそこでアドバイスしてもらいなさい」と言い放ちました。
その当時、私はすでに鬱状態だったので、新たな奉仕ができる体調ではありませんでした。
そのことは経親も知っていました。
この教化についてはどう思うわれますか?

鑑定・相談の接心も自分が受けたくないときでも、それはしつこくしつこく受けるように、イエスの返事をするまで電話攻勢にあいました。私が、自ら接心に頼って人生を決めようと思ってなくても、「接心を受けないでうまくいかなかった時、後悔するよ。
接心の霊言は30年先まで見極めて出されるものだから、霊言に従うのが幸せになる道だ」と言われ、精神的にすごいプレッシャーをかけられました。
当時は教えを信じていたので、経親との関係がまずくなると、教えを求め続けることは事実上不可能になるので、言われたことに逆らうことは、困難でした。
同じ経の法友は、奉仕を受けるまで電話を切ってもらえないと、
嘆いていました。ほとんど強制でした。

教えの親子は、肉親の親子の同じように、上の者が圧倒的に力を握る構造です。対等ではないゆえに、すっぽんのような経親に食いつかれたら、子の方は、逃げるか我慢するしかありませんでした。
[328]継続は力なり 06/01/04 15:18 jd8asXNR56
>>309

苑信徒の方に質問です!

何故、霊能位に易(びょうぜい霊)が必要なの?

何故、立川にキンピカ御殿が必要なの(過剰設備)?
何故、継主は、内田家の霊能を継承したの?
何故、苑信徒は、大はつね般教、大はつね般教、と名前だけ騒ぐ
   わりに、どれだけ教えの内容が素晴らしいかを話さないの?

何故、まこと教団が真如苑名前を変えたの?
何故、接心で因縁が解いた後、それが切れないの?
何故、苑信徒は、何でも因縁のせいにして逃げ口上にするの?

何故、苑信徒は、新興宗教を、伝統的宗教(仏教)のように見せかけるの?
[329]偽の気配 06/01/04 15:20 mynxzNDT83
草太さん、ありがとうございます。

板も5まできましたが、初めて参加した2の板以来、
ここでのやり取りなどを通じて、
私自身の考え方も当初とは変ってきている部分もあります。
(かつての凡人さんの書き込みにも影響されています。)

実際に信者であった人が
この板をきっかけに、自分のなかにおこった?を育んで脱苑したというのは、希望でもあります。
希望を捨てずに、寄り道しながら、進んでいきます。


[330]草太 06/01/04 15:33 p8QHUHlWQV
時間があるので、まだ熱過ぎた凡人時代に、霊能者について書き残したことがあるのでひと言。
苑において、霊能者は千人から2千人に一人しかなれない現状ですが、偽物偽物といっても逸材なだけにそれなりの力を要しています。
3年半の接心と、霊能者との議論?からの身体感覚ですと、彼らに潜在意識という無意識の世界は見つめられないとしても、向き合った一人一人に顕在意識を読める力は十分にあります。
霊能者と向かい合った私が、真如苑に対して、教主にたして肯定的か否定的かというのは読み取ります。向かい合う人の顕在意識を読んで真如苑に忠誠させる方向へと向かわしめているようです。
ですから、霊位向上の会座の祈りも、それが通るのは、どれだけ真如苑に心髄しているか、忠誠を誓えるか読み取っているように思います。
ですから、歓喜までいくということは、力のある霊能者が顕在意識を読み取ってのことですから、MCは進んでいてそのままで脱苑なんて考えずづらいと思います。私の女房の場合は、歓喜までいきましたが、霊位を剥奪?されて一般教徒になったために抜けられたという面が大きいです。
潜在意識の奥底、集合的無意識まで入り込めるのが本当の霊能者であり、その意味では、真如苑の霊能者は偽物でしょうが、向かいあった人間の顕在意識を読むことのできる2千人に一人の逸材であるということだけは頭にいれておいた方がいいと思います。
[331]講釈師 06/01/04 16:01 zZHrYDn.cI
>>303 そうですか

今までに、幾多 数あるバッタモンの新興宗教が出現しては消えていき、
「これこそが本物である。」と信じて疑わない、哀れな被害者に見えます。

>それは個人の思想信条の自由です。
そうですね。
オウムや統一教会も「自由」であれば世間はあれほど叩かないでしょう。
[332]フランナ 06/01/04 17:15 DuMrU/rlfI
>>327 白うさぎさま

アナタの場合はどうやら本当に苑害にあったようですね。ですがアナタにも問題ありだと思います。

>思っている疑問をはっきり伝えました。
>「あなたの教化の通りすると、逆にどんどん苦しくなり体調も悪くなるのは、どうしてなのか?」と尋ねると、
>経親は、「私は、プロではないからわからない。」と答えました。>そして、「自分の言うことだけでは、不充分なので、専門奉仕班にでも、入ってそこでアドバイスしてもらいなさい」と言い放ちました。


「私も分からない」場合は上の部会長なり事務局に上求菩提するのが経です。それを行わずに「専門奉仕班」に教化を投げるのは明らかに経親のやることではありません。

ところで、アナタの悩みと「専門奉仕」に何の関係があるのですか?どこからそういう発想が出てくるのか、その経親の発想に疑問があります。

>この教化についてはどう思うわれますか?

最悪です。アナタが辞めたくなるのも無理はない。

>鑑定・相談の接心も自分が受けたくないときでも、それはしつこくしつこく受けるように、イエスの返事をするまで電話攻勢にあいました。私が、自ら接心に頼って人生を決めようと思ってなくても、「接心を受けないでうまくいかなかった時、後悔するよ。
接心の霊言は30年先まで見極めて出されるものだから、霊言に従うのが幸せになる道だ」と言われ、精神的にすごいプレッシャーをかけられました。

経親は年配の女性ですか?確かに接心はその人の霊的部分や先のトラブルについてまで教えて頂けますからその経親さんは親心で言ったのでしょう。アナタにとっては「ありがた迷惑」であっても。

しかし、アナタの対応も問題です

>当時は教えを信じていたので、経親との関係がまずくなると、教えを求め続けることは事実上不可能になるので、言われたことに逆らうことは、困難でした。

これは人間情です。そんな事で教えを求めても救いは渡されません。経親が道から外れてるのならアナタが苦言呵責をしなければいけません。非法の者を見ておきて苦言呵責しなければ仏法中の怨(かたき)です。

経親だから霊位が上だから物申してはいけないなどと言う決まりはないでしょう。彼らは偉いわけではない。むしろ初心者にお仕えするのが使命なのですから。

>教えの親子は、肉親の親子の同じように、上の者が圧倒的に力を握る構造です。対等ではないゆえに、すっぽんのような経親に食いつかれたら、子の方は、逃げるか我慢するしかありませんでした。

それで教えを信じきれずにやめたのですか?法によって人によらざれと何度も教えてもらっていたのではないですか?

私の孫には他経から来た人がいます。その経親さんは教化の果をあげるので有名な霊能者でした。私の集会でちらほらとどんな酷いことを言われたか、どんな扱いを受けたかをこの孫に当たる方は話してくださいましたが、どうしても「元の経親憎し」と言うものがあって話にバイアスがかかってしまいます。

まぁ、話が逸れましたがどうしても我慢ならない経親ならいっそついていける経親に変わればよかったのではないですか?

もちろん苑では経親を変えるという事は一大事です。しかし、教えを求める気がある人はそれをやります。

アナタはおかしいと思っても経親を叱るでもなく、自分で経をかえるでもなく何も行動しなかったのでしょう?

座って言われることを待つ受身の姿勢、おかしい事をおかしいと言えない自分可愛さ…そんなことで因縁を切って幸せになれるわけがないでしょう。「道を歩むことは苦しいことである。歩まざるはさらに苦しみ多いことと知るべし」のご親教はご存知ですね?

教えはそれほど甘くないのです。
[333]偽の気配 06/01/04 17:15 *DTibdHfp8ZQ*GoRGEoUS
258 をみると、フランナさんは不眠症でしょうか。
カルト弾圧幽霊さんといい、苑の信奉者には不眠の人が多いのかもしれませんね。

しかし、252の書き込み内容と
後段の263,267辺りの内容とでは、随分矛盾がありますね。
「私は真如苑から現在は遠ざかっていますが信者の1人です。
真如苑を知るよい掲示板を捜し求めてたどり着きました。」
というのが、偽りであったというのが良くわかります。
真如苑を知る良い掲示板を探してたどり着いた、というのであれば、
普通に考えたら、書き込みの内容をみて「良い掲示板だ」と思ったのでしょう?
にもかかわらず、267からの書き込み・・・というのでは、矛盾しています。
これは、かの御仁がここに現れた目的が、
「苑擁護のことを書き込むことにある」のであって、
「真如苑を知るよい掲示板を捜し求めてたどり着きました。」というのは、嘘であることの何よりの証拠でしょう。その言葉に偽りがあるならば、当然に「私は真如苑から現在は遠ざかっていますが信者の1人です。」というところにも疑問を持たざるを得ません。
「信者の一人」というのは、御仁が披露している知識からして正しい情報でしょうから、嘘は「私は真如苑から現在は遠ざかっていますが」にあるものと推察されます。遠ざかってなどいない、ばりばりの信者さんなのでしょう。

「はじめから冷静に理性的に話をしていく姿勢が感じられません。これではオカルト弾圧と五十歩百歩ではないでしょうか。」
という言葉は、持ちネタがなくなり、管理人からもレッドカードを渡されたカルト弾圧氏の擁護発言ですね。冷静な話ができる状況であったかどうかは、前板からの流れを読めばわかることなのに、うかつにシッポを出しすぎです。おそらく、思考プロセスが同族の方なのでしょう。

>建設的な話し合い、意見交換のタメにも嫌味を書き込むのではなく、>こういう所がこのようにおかしいという批判をするべきではないでしょうか?

これは、天に向かってつばはく発言ですね。
まずは、カルト=幽霊君にこそ、向けて言うべき発言です。
意見交換できない状況にしたのは、ほかならぬかの御仁だからです。

さて、別人格ででてきたフランナさんですが、
今後の展開は楽しみにしておりますよ。
どんどん、苑ではこういっている、苑のなかではこういうように考えているのだ、ということを書き込んでください。
議論しましょう。
そういう情報をださないようにしてきたのがこれまでの真如苑ですから、大衆の面前ともいえるネット上で現場の信者さんの発言というのはとても貴重です。
できれば、フランナさんの人格のままで書き込みされますように。

幽霊風、あるいはカルト弾圧風の書き込みは
ご自身がおっしゃっているように、「建設的議論」をするためには不適切ですからね。

[334]バスターズ 06/01/04 17:18 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
教えは甘いものではないのです。

教えるほうは甘い汁を吸い続けますが、
教わるほうは搾り取られ続けますから・・

おぉ、こわい。
[335]講釈師 06/01/04 17:30 zZHrYDn.cI
>>332 あらら

> 最悪です。アナタが辞めたくなるのも無理はない。

といったかと思えば

> 自分で経をかえるでもなく何も行動しなかったのでしょう?

といったり、自虐的発想しかない。

ちゃんと新興宗教を止めたという行動を認めない、変な理屈ですね。
[336]フランナ 06/01/04 17:30 DuMrU/rlfI
>>328

>何故、霊能位に易(びょうぜい霊)が必要なの?

病ゼイが必要なのは鑑定の霊能者だけです。天霊で示されるものと地霊系接心で示されるものとの両方の一致を以って出される霊言、方向性です。


>何故、立川にキンピカ御殿が必要なの(過剰設備)?

まず、人数が多くなりすぎたこと。
仏様の荘厳には最高のものしか使用しないこと。
これらが御殿になる理由です。

>何故、継主は、内田家の霊能を継承したの?

霊能者は天霊か地霊に分けられます。継主は地霊系だったというだけです。

>何故、苑信徒は、大はつね般教、大はつね般教、と名前だけ騒ぐ
 わりに、どれだけ教えの内容が素晴らしいかを話さないの?

アナタに聞く耳がないことと、それだけの知能がないからでしょう。


>何故、まこと教団が真如苑名前を変えたの?

苑の体制を刷新して新しい出発をするにあたり真導院の言葉もあって真如苑にしたのです。苑が「園」でないのは誰でもが入れる苑であって欲しいという意味からだそうです。

>何故、接心で因縁が解いた後、それが切れないの?

切れてます。法要でプルーフをご覧になるか家庭集会にでも参加して御覧なさい。たくさん体験談がありますから。


>何故、苑信徒は、何でも因縁のせいにして逃げ口上にするの?

そのような事はありません。何でも苑のせいにするアナタのような人間と一緒にされては迷惑です。

>何故、苑信徒は、新興宗教を、伝統的宗教(仏教)のように見せかけるの?

新興宗教のトップは醍醐寺で2度も3度も法要の導師を務められるのですか?解かれている内容が「涅槃経に基づいており勝手に作り上げた教説」ではないので新興宗教ではないのです。

お分かりですか?
このような簡単な疑問なら調べれば解るでしょう。
調べる努力もせずにものをたずねるアナタは社会人ではないですね?


[337]草太 06/01/04 17:31 p8QHUHlWQV
フランナさんは孫まで抱えるバリバリの教徒ですね。
これは本物だからおもしろそうですが、私は、飽き飽きしているので気配さんにお任せを。
フランナさんの書き込みを楽しみに。
[338]フランナ 06/01/04 17:32 DuMrU/rlfI
>>333

私は仕事が原因で鬱病になり今は帰苑ができない状態にある信者だという事です。

いちいち、そんな邪推ばかりしていてはひん曲がった人格になりますよ。

[339]講釈師 06/01/04 17:47 zZHrYDn.cI
‥‥‥。
[340]継続は力なり 06/01/04 18:17 jd8asXNRZx
>>336
フランナさん。マトモな回答になっておらす呆れて返す言葉もありません。「残苑」です。

私の、質問を理解出来ていないか、「苑」のカルト・リーダーの回答を忠実に、
オウム返ししただけの、典型的な苑信徒をぶりを見せて頂きました。

私が、一番興味があることは、「新興宗教の真如苑(真如密)」が、何故、
「既存の宗教(仏教)を騙る」のかです。
既存の仏教には「易のびょうせい霊」「真如霊界におわず両童子」「内田家伝承・
霊能」などの概念は、存在しないのです。

しかし、「真如苑」は宗教界のカテゴリーでは明らかに、「新興宗教である」こと
は、紛れも無い事実なのです。さらに伊藤苑は(真言密教・真如密)と説く
宗教音痴ぶりを露呈し恥の上塗りを犯してしまった。

伊藤苑は、「信徒には、世間法は無視」というご都合主義の似非仏教ぶりを、
存分に拝見させて頂きました。
[341]偽の気配 06/01/04 18:25 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
たぶん返事はないでしょうが。他の板読者の方、考えながら読んでみてください。

>病ゼイが必要なのは鑑定の霊能者...霊言、方向性です。

要は占いということじゃないのですか?

>まず、人数が多くなりすぎたこと。仏様の荘厳には最高のものしか使用しないこと。これらが御殿になる理由です。

釈迦は金ぴかをのぞみますか?真如苑では己が仏性をみいだすの、金ぴか御殿が不可欠なんですか。みせかけにこだわる集団ということなんですね。それにしても、たいそうな仏性をおもちなのでしょう。ぴかぴかですものすね。フランナさんとは、求めるものがまったく違うということがよくわかりました。

>霊能者は天霊か・・継主は地霊系だったというだけです。

地縛霊ですか?
霊能者、霊能者という傍らで、我々は「仏教」だといえるその発想が不可解です。霊能依存であるならば、真如苑は非仏教系霊能団体とでもいうべきではないのですか?

>アナタに聞く耳がないことと、それだけの知能がないからでしょう。

少なくとも釈迦とは違う立場にたっているのが真如苑。ということを如実にあらわす一言ですね。

あなたには聞く耳と知能があらっしゃる、素晴らしいことです。でも同じ耳と同じ知能をほしいと思う人は、苑内にしかいないのではないかなぁ。蛙にならないようにご注意ください。

>苑の体制を刷新して...真如苑にしたのです。

え、まこと教団事件のイメージをなくしたいからでしょう?オウムがアーレフと飼えたのと同じ理由じゃなかったんですか?

>切れてます...たくさん体験談がありますから。

え、あなたは縁起からきれているのですか?おやおや、それは驚きです。あ、因縁って、俗にいう因縁のことでしたか。失礼しました。仏教といっておられるので、てっきり縁起のことを語っていらっしゃるのかと思い込んでおりました。苑用語の因縁のことでしたね。

プルーフの体験談とか、家庭集会ではなされる体験談ですか?聞きましたけど、あれで感動できるのは、1)舞台効果に惑わされやすい人2)普段よほど感動で来ていない人、のいずれかではないでしょうか?冷静さを取り戻して会にのぞむと、とてもこっけいに見えますよ。脱苑下人に聞いてみて御覧なさい。

>そのような事は...迷惑です。

あなたが迷惑なのですか?あなたが、そうだと、いわれたのですか?質問では、そうはいっていないですよね?なんだか被害者意識がやたらつよくありませんか?
でもよくききますよ。何かがうまくいかない・・悪因縁のせい。うまくことがはこんだ・・両童子・教祖様のおかげ。シンプルな考え方で、わかりよいですね。

>解かれている内容が「涅槃経に基づいており勝手に作り上げた教説」ではないので新興宗教ではないのです。

涅槃経に基づいている、のはそうでしょうけど一如の道をきちんとよみこなしましたか?そこかしこに随分と勝手な解釈がはいっていますよ。
風が吹けば桶屋がもうかる・・的な教説にみえますけどね。

>お分かりですか?

なんか、典型的な苑の回答で予想とおりすぎて、つまらないですね。

>このような簡単な疑問なら調べれば解るでしょう。
>調べる努力もせずにものをたずねるアナタは社会人ではないですね?

こういう物言いは、典型的な苑人間のもの、そのものずばりですね。発想を変える努力をされたほうが、素敵な人間になれると思いますよ。回答として書かれていること、それはすべて受け売りですね。あなたの言葉、あなたの理解によって書かれたものではないようです。早くご自身で考えるようにすべきです。
[342]白うさぎ 06/01/04 18:39 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
フランナさま
経親が専門奉仕班を薦めたのは、自分が上求菩提が苦手でなかなか、それができず、専門奉仕班でアドバイスを受けて向上したから、それを薦めたのだと思っています。
事実専門奉仕班のかなり上の役をしてましたから。

私の教化がうまくいかないことは、部長に上求菩提してくれていませんでした。
私は、経親に上求菩提をしてきました。なぜなら、私と経親は同じ年の親友で何かを聞くのに遠慮なく聞けたからです。

前記の内容を彼女に言われた時、私は、鬱で精神的に不安定だったので、経親から見捨てられたように感じ、ひどいショックを受けました。言葉づかいも、非常に冷淡でした。自分がこうしろと教化してきたことに対して、無責任にも言い訳をして逃げたことも許せませんでした。3日間泣き明かしました。胃潰瘍になる寸前でした。
その後、誰にも相談できなかったので、苑の霊位の高いある方にアドバイスを頂き相談接心を受けました。
霊言で、経親を許し和合するように言われました。

私は、それに従い、これまで育ててくれた経親が一度自分にひどい言葉を浴びせたとしても、これを受け入れ再び経親の指導を受けようと決め、何がショックであったかを、経親に手紙で説明しました。
「親と思って信じていたあなたから、自分では責任とれないから、よそに行って聞いておいで」と言われて非常に傷ついたと。
そして、3ヶ月後やっと電話で話せるようになりましたが、また、その体調ではとても取り組めないような教化を受けました。
それは、一度目よりもダメージが大きく、その1ヶ月後から、PTSDの症状が出ました。
読経中のパニック発作で始まりでした。
それは、心の安らぎを求めて入信した場で、心の傷を受けたことのショックによる、魂の殺人でした。
PTSDは、電車の脱線事故にあった人が電車に乗れなくなるのと同じく、私にとっては、教えそのものが恐怖の対象で、一切教えに関するものには近づけなくなりました。
今も、そのことのダメージのために、私の内部では人格がスプリットしたままです。

PTSDになってからは、主治医から経親と接触することも、教えに近づくことも禁止されました。
2年半カウンセリングを受けやっと、教えについて、再び疑問点に向き合えるようになりました。そして、やっとこの板にたどりつけたのが9月でした。
当時はまだMC中で教えを信じていましたが、ここの板の皆さんの書き込みから、自分で他の仏教書を読んで、教義の矛盾に気がつきました。
それで、やめたわけです。

今でも、真如教徒にあうのさえ、恐怖です。
ここは、ネット上なので姿が見えないので思ったまま、書く事ができますが、日常生活では、目の前に輪宝をつけた人が来ただけで、私は発作をおこして倒れそうで、今でも外出する時は人目を避けなくてはなりません。
こういう経過を読まれて、私が他に何が出来たと思われますか?

もっと、早くに経親の教化におかしい!と言うべきだったと言われるのなら、それは、何ども指摘しましたが、彼女は自分の教化を変えませんでした。
体調が悪いのは、自分で自分の体をかばう自分中心の心だからだと。
自分の体は、教えを護ってこそ、護っていただけるのだから、しんどいという不平を言わず、もっと体を動かして実践するようにと、そう言われ続けました。
実際、経親は、微熱があってもご奉仕に参加し、そのように、自分の体を自分でかばわず教えに向けたから、向上したのだと!自慢していました。
私が、しんどいのを理由にご奉仕を断ったり、集会を休むとひどく責められました。


[343]白うさぎ 06/01/04 18:42 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
[342]は、カルト弾圧さんが聞いておられた質問の答えでもあります。
[344]草太 06/01/04 18:43 p8QHUHlWQV
フランナ様、仕事で鬱病になったのは何のリブライでしょうか?
ご先祖様の苦しみでしょうか?それとも仕事場の地縛霊のためでしょうか?
苑は、そういった苦しみを施餓鬼とか護摩とかで解いてくれるのですよね。それともフランナさんの歩みが甘いのでしょうか。
リブライをしっかりと見つめて、鬱病の因縁を突き詰めましょう。相談接心ですぐに分かるのでないですか。
そして、真如苑の場合は、鬱病などと心理学用語を使わずに「霊障」ではありませんか。
きっと悪い霊がフランナさんを苦しめているのでしょう。
そして、霊障ではなく、鬱病と心理学用語を使うのなら、真如苑なんか辞めて、しっかりした心理学者にみていもらうのが一番ではないでしょうか。
真如苑の霊媒か、心理学か、どちらを選びますか。
どちらが効用があると思いますか。
自由とは選択の自由のことといいます。
[345]甚だ疑問です 06/01/04 19:00 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
白うさぎさんが責められる理由は何もないでしょう。フランナさんは、防御も攻撃も紋切り型ですね。

>[
>>336]フランナ 06/01/04 17:30 DuMrU/rlfI

>アナタに聞く耳がないことと、それだけの知能がないからでしょう。

あなたにが実態を知らないことと、それだけの知能がないからでしょう。

>>何故、接心で因縁が解いた後、それが切れないの?
>切れてます。法要でプルーフをご覧になるか家庭集会にでも参加して御覧なさい。たくさん体験談がありますから。

プルーフは導きや経親によって、都合のいいように添削され、原形を失っているものが多いんですよ。何故添削するのでしょう? 又、なぜ、霊言が当たらなかったというプルーフはないのでしょう? プルーフ(proof=証明;証拠)とは一方だけに都合のいいものを集め、改作したものしか許されないのですか? 自信があるなら脱苑者も招待したらどうですか?

>>何故、苑信徒は、何でも因縁のせいにして逃げ口上にするの?
>そのような事はありません。何でも苑のせいにするアナタのような人間と一緒にされては迷惑です。

「因縁」に勝手な作り事の意味をこじつけて人を騙していることに気付かず、何でも苑が正しいとする思考停止のあなたのような人間と一緒にされては、正常な人間は、迷惑です。

>お分かりですか?
>このような簡単な疑問なら調べれば解るでしょう。
>調べる努力もせずにものをたずねるアナタは社会人ではないですね?

お分かりですか?
このような簡単な苑のまやかし、考えれば解るでしょう。
自分の間違い指摘されても考えてみる努力もせず、それを他人に押しつけようとするアナタは社会人ではないですね?

>[338]フランナ 06/01/04 17:32 DuMrU/rlfI
>私は仕事が原因で鬱病になり今は帰苑ができない状態にある信者だという事です。

アナタは鬱病ですか。確かに単純攻撃性は鬱の初期の症状ではありますね。しかし、原因は仕事ですか? 苑の教えの矛盾との葛藤だとは考えられませんか?(でしょうね。)

>そんな邪推ばかりしていてはひん曲がった人格になりますよ。

それは誹謗というものですが、そんな偽りの言い訳ばかりしていてはひん曲がった人格になりますよ。

アナタが「鬱病になり今は帰苑ができない状態にある信者」というのは嘘ですね。

[346]フランナ 06/01/04 19:12 DuMrU/rlfI
>>340

>私が、一番興味があることは、「新興宗教の真如苑(真如密)」が、何故、「既存の宗教(仏教)を騙る」のかです。

仏性開発して「常楽我浄」の境涯を得ることを目的としているからです。お釈迦様が目指したことと同じです。

>既存の仏教には「易のびょうせい霊」「真如霊界におわず両童子」「内田家伝承・霊能」などの概念は、存在しないのです。

だから何ですか?
天界について説かれている教典もあるし、霊能についても「神通」という言葉で説かれています。

さらに、面倒なので偽の気配さんへのレスもここでしますが「縁起」については「善因善果」「悪因悪果」が説かれ「因は縁によって生じる」と説かれてるだけです。

抜苦代受などありえない根拠に縁起説をもってきてるようですが、何かの本のパクリではなく自分で全ての経典を読破して言ってるのですか?抜苦代受を否定する根拠となるほど突っ込んだ内容は説かれておりません。

現実に整体師や霊媒師が患者、または相談者の持ってきたものを受ける事例を無学なアナタ方は知らないのでしょう。

さらに抜苦代受を否定するなら経典に説かれる抜苦与楽の概念の位置づけはどうなるのですか?仏教なら何でも知っているといわんばかりのアナタ方です。是非、お答えいただきたい。

さらに言えば「法華経観世音菩薩フモン品弟25」に説かれる観世音菩薩の功徳とはまさに抜苦代受ではないですか?

真如苑憎しという事はよく解りますがもう少しマトモな批判をして欲しいものです。

仏教知識に関してももう少し深めてから語ったほうが良いですよ。どこぞの本のパクリでは反論されると返す言葉がないでしょう。

[347]草太 06/01/04 19:29 p8QHUHlWQV
ふらんなさん。
観音さまは、抜苦与楽です。また、怖れなきもの、この娑婆世界に遊ぶもので、絶対自由を獲得したものです。下手な教義に縛られているものとは違います。
また、観音さんはあらゆるものに変身しまして、真如教主さんも隣のおじさんもまた観音さんです。そして、白隠さんにいわせれば「はまぐり」もまた観音さんで、真如教主もハマグリも一緒ということです。そして、それが空でありまた常楽我浄の世界なのということです。ハマグリも隣のおじさんも伊藤さんも同じ観音さま。それが観音経の世界です。
私は、観音経大好き人間です。語り合いますか?

常楽我浄が出てきましたが、フランナさんの常楽我浄の解釈はどういったものですか?教えてくれませんか?おそらく答えられないでしょう。なぜなら、涅槃経を読んでいないからです。
涅槃経を名乗るなら常楽我浄を答えて下さい。どういった意味でしょうか?
曹洞宗の涅槃教徒は違うなんていわせませんよ。大乗の涅槃経はひとつなのですから。
いよいよ面白くなってきましたね。
やりますか仏教論議を。
とにかく、常楽我浄とはなんですか?
ついでに、フランナさんにとって仏とはなんですか?
[348]フランナ 06/01/04 19:36 QsPPe2Pc9n
>>342 白うさぎさま

なるほど。人間関係と教えとかビミョウに絡まった難しい問題に遭遇されたのですね。

>「親と思って信じていたあなたから、自分では責任とれないから、よそに行って聞いておいで」と言われて非常に傷ついたと。
>そして、3ヶ月後やっと電話で話せるようになりましたが、また、その体調ではとても取り組めないような教化を受けました。
>それは、一度目よりもダメージが大きく、その1ヶ月後から、PTSDの症状が出ました。

この経親さんは鬱病に関して無知なのですね。鬱病患者に対してしてはいけない事、言ってはいけない言葉のタブーを犯したようです。


>私が、しんどいのを理由にご奉仕を断ったり、集会を休むとひどく責められました。


貴方は彼女(経親)の目から見ると「甘ったれた性格」に映ったのでしょうね。鬱病を患った貴女にその親心を察しなさいというのは酷かも知れませんが、通常、そのような厳しい教化がされるのは「甘え」があるときです。

経親の誤りは貴女が鬱病であること、そしてそれがどういうものかを理解できていなかった事にあるでしょう。

>こういう経過を読まれて、私が他に何が出来たと思われますか?

そのままを事務局の霊能者以上の幹部に訴えるべきだったかもしれませんね。親苑などでよく見かける光景です。

しかるべき人に相談できなかったことが貴女をそこまで追い込んだ原因です。苑に行けば相談に乗れる事務局員は吐いて捨てるほどいますから。

どちらにしても今となっては貴女に苑の話は毒でしょう。

最後に気になった部分で

>、自分で他の仏教書を読んで、教義の矛盾に気がつきました。
>それで、やめたわけです。

仏教書は全て作者の解釈です。お釈迦様の教え自身が矛盾だらけで後の坊さんを迷わせたわけですから、筆者によっていう事が全然変わるのです。

一如の道にも「欲をかなえたくて来てるのに、その欲はダメなんでしょ?そうしたことが既に矛盾しているのですよ」という一節があるでしょう。

論理的整合性が全てではありません。それで言えば仏典よりマルクスの方が余程価値ある書物と言う事になります。

それで教えを捨てたのならもったいないことをしましたね。


[349]甚だ疑問です 06/01/04 19:37 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
>[>>346]フランナ 06/01/04 19:12 DuMrU/rlfI
>『さらに抜苦代受を否定するなら経典に説かれる抜苦与楽の概念の位置づけはどうなるのですか?仏教なら何でも知っているといわんばかりのアナタ方です。是非、お答えいただきたい。
さらに言えば「法華経観世音菩薩フモン品弟25」に説かれる観世音菩薩の功徳とはまさに抜苦代受ではないですか?』

仏教であれば根本は「すべて空、そして無」ですよ。
お経も、仏教論もおとぎ話のようなもの。和みと安らぎをもたらすものでなければいけない。人を不幸にするものであってはいけない。真如苑は間違いなく多くの人を悩ませ、不幸にし、病をもたらしてる。真如苑はない方がよかった。宗教についてはほとんど無色の凡人はそう考えます。宗教は凡人のためのものでしょうから、「凡人には分からない」などとおっしゃらないでくださいね。

[350]草太 06/01/04 19:37 p8QHUHlWQV
フランナさん。
妙法蓮華経普門品第25の全文を読んで、また、それを信心してから観音さんを語って下さい。般若心経もまた観音さんのお悟りの経文です。
普門品を出してきたのが怪我の元になりそうですね。
[351]フランナ 06/01/04 19:38 QsPPe2Pc9n
>>344

>フランナ様、仕事で鬱病になったのは何のリブライでしょうか?


鬱病はストレスによって起こります。故にペースダウン、または物事の受け止め方を素直にしなさいというリブライでしょう。


[352]フランナ 06/01/04 19:40 QsPPe2Pc9n
>>345

>白うさぎさんが責められる理由は何もないでしょう。フランナさんは、防御も攻撃も紋切り型ですね。


誰が責めましたか?


[353]フランナ 06/01/04 19:43 QsPPe2Pc9n
>>349

>仏教であれば根本は「すべて空、そして無」ですよ。


貴方は仏陀なのですか?この言い切り、貴方が仏陀でないならばただの俗説です。

本を読んだだけで悟ったつもりになっているものを「声聞」「縁覚」と言います。

身の程を知りなさい。
[354]草太 06/01/04 19:49 p8QHUHlWQV
フランナさん。
<<お釈迦様の教え自身が矛盾だらけで後の坊さんを迷わせたわけですから<<
口伝論ですか。霊能解釈だけが正しい。飽き飽きしてます。
聞き捨てならない!!
お釈迦様の悟られた真理を、真理とするが仏教徒です。
ですから、フランナさんは仏教徒の敵です。
しかし、あなたにとって、常楽我浄とは何か、仏とは何かを聞いているのです。
借り物ではなくて貴女自身のものです。
[355]フランナ 06/01/04 19:50 QsPPe2Pc9n
草太さん

>私は、観音経大好き人間です。語り合いますか?

勝手に語っていてください。

福助さんの教説に実はありません。

教義教学で遊びたいなら法華の板が面白いですよ。

私は貴方のような趣味としての仏教、遊戯としての仏教に興味はありません。
[356]甚だ疑問です 06/01/04 19:50 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
>[353]フランナ 06/01/04 19:43 QsPPe2Pc9n

仏教であれば根本は「すべて空、そして無」ですよ。
間違いですか?

アナタこそ恥ずかしい空論を振り回して。身の程を知りなさい。
どれだけ偉いのですか?それが真如苑の「道を求める者」なのですか?

どうやらアナタはこの凡人といい勝負のようですね。
[357]フランナ 06/01/04 19:54 QsPPe2Pc9n
>>354

>常楽我浄とは何か、仏とは何かを聞いているのです。

それを何故私に説明させたいのですか?

それらは語るものではなく体得するものです(修法験得)。

そんな事も解らない仏教オタクを相手にするくらいなら白うさぎさんの深刻な状況について私なりに考えるほうが有意義です。
[358]草太 06/01/04 19:56 p8QHUHlWQV
フランナさん。あなたは何を悟りましたか。全部借りてきた理屈で自分の言葉などひとつもないではないですか。やはり真如教徒と話をするのは空しい。本当に悲しい。あなたこそ、身の程を知るべきでしょう。あなたは「修験の森の天狗」になっているのです。
誰と話をしても、まるで共産党員のように同じことしか話せない。もっと自分を大事にして下さいな。
疲れるだけですね。
[359]甚だ疑問です 06/01/04 19:57 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
フランナさん、
アナタがつというのは本当ですか?
[360]甚だ疑問です 06/01/04 19:58 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
フランナさん、
アナタが鬱というのは本当ですか?
[361]フランナ 06/01/04 19:59 QsPPe2Pc9n
>>356

しつこいですね?

>仏教であれば根本は「すべて空、そして無」ですよ。
>間違いですか?

貴方は宗教家ですか?専門家ですか?

釈尊の教えが矛盾するといわれるのは「諸行無常」を説き続けておりながら涅槃経でいきなりそれをひっくり返したからですよ。

これを以って「お釈迦様は高齢のため認知症だった」と主張する学者もいるほどです。

みだりに仏教を語るのはおやめなさい。

「貴方は仏陀ですか?」と聞かれてYESと答えられるレベルに行くまでは。
[362]事情通 06/01/04 20:00 iT56loqtUO
だんだんフランナさんをめぐる枝葉末節の応酬になってきて、苑に対して素朴な疑問を感じている人の思索の参考になるような生産的なやりとりが少なくなってきているのは、残念です。

フランナさんもここはひとつ、
>>244
の夢さんが提起しているような素朴な疑問に、しっかり答えてみていただけませんか。
[363]フランナ 06/01/04 20:03 QsPPe2Pc9n
>>358

>フランナさん。あなたは何を悟りましたか。全部借りてきた理屈で自分の言葉などひとつもないではないですか。

生かされるという事、覚悟(覚り、悟り)というもの…いろいろです。

よく読みなさい。下らないダダをこねずに素直な気持ちでね。
[364]白うさぎ 06/01/04 20:21 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
フランナさま
もう一点だお聞きしたいのですが、大乗の大般涅槃経は、お釈迦様自身のとかれた内容が書かれている経典ですか?
どうして、成立年代が、釈尊の死後からずっと先で、第一次結集の時に成立してないのでしょうか?
遺言の教えなら、最も大切なはずですから、第一次結集の時に弟子は記録したと思うのですが・・・。
私の勉強不足でしょうか?
[365]フランナ 06/01/04 20:44 QsPPe2Pc9n
>>364

貴女もご存知でしょうが涅槃経には北本40巻、南本36巻あり、大乗の涅槃経は南本36巻であり説法の内容がかかれてます。

北本40巻はお釈迦さまの旅の模様などの歴史的記述が為されています。

貴女は第一回仏典結集がマハーカッサバが中心となり5百羅漢によって口述で為されたことはご存知でしょう。

記述されるようになったのはセイロンのマヒンダ王子による第三回仏典結集からです。

故に時期的に釈尊滅後から時間が空いているのです。

[366]フランナ 06/01/04 20:50 *HW.6DJZHVfj*QsPPe2Pc9n
>>244

歴史上の悲惨な出来事、人災、天災犠牲者も「悪因縁」と言ってしまえばそうでしょうね。原因があって結果がある。

原爆だって何も無いのにいきなり落とされたわけではないですし…

>苑では不幸や災いがあると、おおよその場合 先祖などの「因縁」が降りかかっているから、施餓鬼・護摩をしなければいけないとの教えだとの感想を抱いています。

もしそう教わったのならそれは間違いです。確かに施餓鬼、護摩は必要ですがそれで因縁が切れるとは教えてないはずです。


[367]甚だ疑問です 06/01/04 21:16 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[>>361]フランナ 06/01/04 19:59 QsPPe2Pc9n

ほほ、それなら聞きますが、アナタは仏陀ですか。

答えてくださいよ。

>「お釈迦様は高齢のため認知症だった」…

それで涅槃経ですか。それを説く真如苑は何? 認知症? いいこと聞きました。

アナタの言葉、どうぞ実践を。
『みだりに仏教を語るのはおやめなさい。「貴方は仏陀ですか?」と聞かれてYESと答えられるレベルに行くまでは。』

[368]フランナ 06/01/04 21:25 *HW.6DJZHVfj*QsPPe2Pc9n
>>367

>ほほ、それなら聞きますが、アナタは仏陀ですか。

もちろん仏陀ではありません。

>それで涅槃経ですか。それを説く真如苑は何? 認知症? いいこと聞きました。


揚げ足とりは楽しいですか?

涅槃経は中国でも説かれました。弘法大師も説こうとしました(有名な「いろは歌」は涅槃経から作ったそうです)。

完全に涅槃経を説けたのは伊藤 真乗だけでした。

「正法の頽れてゆく時には破戒の者もまた続出する。(中略)その時にあたって四種の人の中から1人の聖者が現れ、出家得度して破戒、非律の徒にまじって仏道にはげみ正法宣揚にもえ、正法興隆の時期を待つものがある」というものが涅槃経にあります。

貴方は伊藤に叶うとでも思っているのですか?
[369]偽の気配 06/01/04 21:43 *DTibdHfp8ZQ*Y4p7.ageZH
フランナさん、高飛車ですね。
[370]黒蜥蜴 06/01/04 21:44 jd8asXNRrB
フランナ君へ!

真如苑は新興宗教だが、既存の仏教を騙る、宗教詐称教団といえましょう。

この教団は、信徒の名簿を作り情報を把握し、霊能の接心で信徒を脅し、
「三つの歩み」と称して、勧誘ノルマに応じて昇格出来、生かさぬよう、
殺さぬように一生に渡って、信徒からお金(お布施)と労力(無料奉仕)
を搾り取る「苑接心システム」が完成している。
[371]甚だ疑問です 06/01/04 21:58 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[368]フランナ 06/01/04 21:25 *HW.6DJZHVfj*QsPPe2Pc9n


>もちろん仏陀ではありません。

それならアナタは仏教を語ってはいけません。それがアナタが私に言った持論でしょう?

>完全に涅槃経を説けたのは伊藤真乗だけでした。

こじつけただけですよ。

>貴方は伊藤に叶うとでも思っているのですか?

何がですか?
人間度と仏度なら【敵い】ます。騙しでは敵いません。

フランナさん、アナタはまだ次の大事な質問に答えていませんよ。答えてください。
アナタが鬱だというのは本当ですか?
もう1つ、家にいるはずのアナタのID変わるのは何故ですか?

>[362]事情通様 06/01/04 20:00 iT56loqtUO
>だんだんフランナさんをめぐる枝葉末節の応酬になってきて、苑に対して素朴な疑問を感じている人の思索の参考になるような生産的なやりとりが少なくなってきているのは、残念です。

驚きましたね。あなた様ほどの方が。
フランナさんがどこまで責任のある応答ができるかも知らずに、
「苑に対して素朴な疑問を感じている人の思索の参考になるような生産的なやりとり」になるとお考えですか。人定質問は、言っていることが信じられるかどうかの基本手続きですよ。「枝葉末節」とは引っかかります。こういうことが彼らのねらいでもあるんですよ。

私は、今までのやりとりから、このフランナなる人物は相手にする価値はないと判断していますが、もう少し確かめたいところです。


[372]フランナ 06/01/04 22:06 QsPPe2Pc9n
>>369

>フランナさん、高飛車ですね。

残念ながら貴方にはおよびません。
[373]黒蜥蜴 06/01/04 22:09 jd8asXNRrB
新興宗教
真如苑から、霊能の行う接心修行 を取ったら何が残るのだろう?
[374]フランナ 06/01/04 22:10 QsPPe2Pc9n
>>371

>私は、今までのやりとりから、このフランナなる人物は相手にする価値はないと判断していますが、もう少し確かめたいところで

私は最初のやり取りでもう貴方などあいてにもしたくないおですが、質問があれば気が向く限り答えてやろうと思ってます。

挙句に仲間割れですか。貴方達は宗教語る前に小学校からやり直しなさい。
[375]フランナ 06/01/04 22:11 QsPPe2Pc9n
>>373


伝統法脈、大般涅槃経

[376]フランナ 06/01/04 22:14 QsPPe2Pc9n
>>370

>真如苑は新興宗教だが、既存の仏教を騙る、宗教詐称教団といえましょう。

>この教団は、信徒の名簿を作り情報を把握し、霊能の接心で信徒を脅し、「三つの歩み」と称して、勧誘ノルマに応じて昇格出来、生かさぬよう、殺さぬように一生に渡って、信徒からお金(お布施)と労力(無料奉仕)を搾り取る「苑接心システム」が完成している。

そういう見解をお持ちならそれで良いのではないですか?

愚か者に法を説くほど私は危篤ではありません。

[377]甚だ疑問です 06/01/04 22:18 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[374]フランナ 06/01/04 22:10 QsPPe2Pc9n

質問に答えていませんね。あなたには誠意がありますか?

アナタは本当に鬱ですか?
アナタのIDが時々変わるのは何故ですか?

仲間割れではありませんよ。信念のある人間同士の意見の衝突です。
真如苑では、こういうことを仲間割れと見るんですか。
[378]黒蜥蜴 06/01/04 22:18 jd8asXNRrB
>>375
それは、可笑しい!

真如苑は、「両童子を崇拝対象にでっち上げ」た、インチキ宗教
だから、仏教の宗派は語れない。
せいぜい、真言密教「真如密」と言って世間を欺いている詐欺集団。

真如苑が仏教の流れをくむ宗教なら、「真言宗○△派・真如寺」
などの名称を名乗るはず。

[379]フランナ 06/01/04 22:19 QsPPe2Pc9n
和音さまへ

「密教は非器に与えず」という言葉があります。

子供に刃物を持たせるようなものだと。

貴女は密教の器ではありません。真如苑などすぐにおやめなさい。

尊い法を受ける器はありません。壊れた甕ですからいくら法の水を注がれてもムダでしょう。

時間とお金は大事にした方が良いです。
[380]フランナ 06/01/04 22:20 QsPPe2Pc9n
>>378

知恵足らずはペディキュアでも見て自問自答してなさい。

マトモなことがいえるようになったら相手にしてあげます。
[381]甚だ疑問です 06/01/04 22:23 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
事情通様

私が「こういうことが彼らのねらいでもある…」といったのは、意見が抑えられること、仲間割れを言ったのではありませんので、ご了承を…
[382]フランナ 06/01/04 22:24 QsPPe2Pc9n
>>377

>質問に答えていませんね。あなたには誠意がありますか?

ギャグですか?貴方に敵意以外のものがありますか?

>アナタは本当に鬱ですか?
>アナタのIDが時々変わるのは何故ですか?

鬱だと申し上げているでしょう。
IDが変わるのは私は知りません。ご自分でお調べください。

>仲間割れではありませんよ。信念のある人間同士の意見の衝突です。
>真如苑では、こういうことを仲間割れと見るんですか。

ええ、品性のない人々の傷の舐めあい板くらいにしか思えませんででしたから。

違うのならそれなりのものを見せてもらいたいものですね。

[383]甚だ疑問です 06/01/04 22:26 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[380]フランナ 06/01/04 22:20 QsPPe2Pc9n

>知恵足らずはペディキュアでも見て自問自答してなさい。
>マトモなことがいえるようになったら相手にしてあげます。

相当に思い上がっている。これが真如苑の育てた人間。真如苑の招待です。
もしかしたら、誇大妄想なのかな?
[384]フランナ 06/01/04 22:29 QsPPe2Pc9n
>>383

>相当に思い上がっている。これが真如苑の育てた人間。真如苑の招待です。


その通り。まずは相手にするに足るレベルまで鍛えてきなさい。

そしたら相手にしてあげます。

で、そうやってダダこねる以外には何もないのですか?
[385]黒蜥蜴 06/01/04 22:31 jd8asXNRrB
>>380
>マトモなことがいえるようになったら相手にしてあげます。

ずいぶん高慢な、新興宗教真如苑の信者さんですね。

宗教以前に、人間として問題あり?ですが。
仁・義・礼は、無きに等しいですね。

流石、インチキ宗教の信者ですね。
[386]フランナ 06/01/04 22:31 QsPPe2Pc9n
和音さん、私が誰だとか下らない詮索するより本気で考えた方が良いですよ。

真如苑でも学ぶことは何も無いでしょう。貴方には器がない。

密教には器が要るのです。

田舎さんや白うさぎさんを御覧なさい。非器が教えを求めても良いことはありません。

尤も白うさぎさんの場合は経親が悪かったようですが。
[387]甚だ疑問です 06/01/04 22:32 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[382]フランナ 06/01/04 22:24 QsPPe2Pc9n

>鬱だと申し上げているでしょう。
>IDが変わるのは私は知りません。ご自分でお調べください。

まるで幽霊くんですね。

>ええ、品性のない人々の傷の舐めあい板くらいにしか思えませんででしたから。

そう思いながら議論を吹きかけようとするアナタは品性がないんですね?継主ゆずりですか?
[388]フランナ 06/01/04 22:34 QsPPe2Pc9n
>>385


>宗教以前に、人間として問題あり?ですが。
>仁・義・礼は、無きに等しいですね。

>流石、インチキ宗教の信者ですね。

最後の行を読んで御覧なさい。
貴方をマトモな人間として扱う必要がありますか?

人間性に問題があるのは貴方達ですよ。

まぁ、接心がないのでそれすらも解らないでしょうが。


[389]フランナ 06/01/04 22:35 QsPPe2Pc9n
>>387

そろそろマトモなこと言ってもらえません?

疲れます。

下らない話に付き合う身にもなってください。
[390]はて? 06/01/04 22:37 VrvmmeNC65
>下らない話に付き合う身にもなってください。

あれ?誰か付き合ってくれって言ったの?
[391]黒蜥蜴 06/01/04 22:40 jd8asXNRrB
>>流石、インチキ宗教の信者ですね。

>最後の行を読んで御覧なさい。
>貴方をマトモな人間として扱う必要がありますか?

真如苑は、真言密教(真如密)= 仏教(東密)
と教団では謳っていますが?

真如苑は、仏教にない「霊能の接心」、「開祖の息子両童子を
真如霊界にいると崇拝対象をでっち上げ」「お助け勧誘ノルマ」。

真如苑は、最早、仏教とかけ離れた思想を持つ。

世間では「外道」な似非仏教=インチキ仏教=インチキ宗教という。
[392]フランナ 06/01/04 22:40 QsPPe2Pc9n
>>390

ええ、下らない、どーでも良い質問攻めに会いましたよ。

[393]甚だ疑問です 06/01/04 22:41 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[386]フランナ 06/01/04 22:31 QsPPe2Pc9n

やっぱりアナタは思い上がっている。

自分が人間として非器なのです。真如苑にのめり込むほどの…

それと嘘つきです。アナタは鬱ではありません。
IDの変わる理由、アナタは知っているはずです。誠意もありません。
どんな場合にIDが変わるのか、調べてあるからそのどれかを聞きたかったのです。

幽霊くんはネット喫茶だった。アナタは真如苑の事務所、そんなところかな。
[394]フランナ 06/01/04 22:42 QsPPe2Pc9n
>>391

いくらバカでも同じことを何度も言わせないでくださいね。

>世間では「外道」な似非仏教=インチキ仏教=インチキ宗教という。

言ってるのは貴方達だけです。
宗教新聞でもお読みなさい。

[395]偽の気配 06/01/04 22:45 Y4p7.ageZH
フランナはここがはじめての人ではないですね。
裏や毒スレも含めての書き込みの癖、以前にもみかけたことのある人物です。
かぶっていた別人格の皮もだんだんはげてきているようです。

だいじょうぶですよ、フランナ
貴方がここで一番の高飛車です。
非礼で、高慢な、苑の中でも鼻持ちならない
連中の一人であることは間違いないようです。

先にも指摘されているように、
欝である、家にいる、苑から遠く離れている・・
その全てが嘘でしょう。

「愚か者に法を説くほど私は危篤ではありません。」
現れた当初と比べると、本当に傲慢さが鼻につくようになってきましたね。ここまで本性を短時間のうちにあらわすとはね。

そろそろ元のHNででてきたらいかがですか?
[396]偽の気配 06/01/04 22:46 Y4p7.ageZH
(^−^) 稚拙ですね
フランナ君
[397]甚だ疑問です 06/01/04 22:46 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpBcr
[393]訂正します。
真如苑にのめり込むほどの→真如苑のまやかしの肩を持つほどの
(一般信者は騙されているだけですからね。失礼しました。)
[398]はて? 06/01/04 22:51 VrvmmeNC65
>ええ、下らない、どーでも良い質問攻めに会いましたよ。

下らなければ相手にしなければいいだけでしょ、何かを必死に護ろうとしてるにしか見えませんが?他人を悲器と言えるだけの器の持ち主なのにこの板の存在が我慢ならないのですか?
[399]フランナ 06/01/04 22:51 QsPPe2Pc9n
アナタ方も本当にしつこい上に疑り深いですね。

私は高飛車ですよ。そういったでしょ。苑の良い子ちゃんぶるつもりはありません。

聞きたいことは何ですか?

そういえば裏でぼりんって人が苑をやめたいそうです。手伝ってあげなさい。

それで悪因縁だけは切りたいそうです。

貴方達で背負ってあげなさい。抜苦代受ってやつですよ。

[400]黒蜥蜴 06/01/04 22:51 jd8asXNRrB
>いくらバカでも同じことを何度も言わせないでくださいね。

あなたに、バカ呼ばわりされる、いわれはありませんよ。
宗教を信仰するものであれば、なおさら、簡単に人をバカにで
きる筈がありません。

まあ、「まこと教団=真如苑(真如密)=仏教(東密)」
と妄想する、なんちゃって仏教の信者なら納得できます。


>言ってるのは貴方達だけです。
>宗教新聞でもお読みなさい。

事実を述べたに、すぎませんが。苑では宗教新聞は世間法?
[401]フランナ 06/01/04 22:53 QsPPe2Pc9n
>>398

>下らなければ相手にしなければいいだけでしょ、何かを必死に護ろうとしてるにしか見えませんが?他人を悲器と言えるだけの器の持ち主なのにこの板の存在が我慢ならないのですか?

はい。この板で迷う人がいるでしょうからね。
ま、この程度で迷うようじゃどの道信仰なんて貫けないでしょうが、一応ね。

私は帰苑できない身。せめてここで正法護持の真似事を。
[402]フランナ 06/01/04 22:55 QsPPe2Pc9n
>>400

>あなたに、バカ呼ばわりされる、いわれはありませんよ。

だったら相手にするに足ることを言えるようになって出直してきてください。

バカにバカと言うのは私の流儀です。

貴方は自分をバカではないと思ってるのですか?
[403]フランナ 06/01/04 22:57 QsPPe2Pc9n
>>393

どうぞお好きな妄想を
[404]フランナ 06/01/04 22:59 QsPPe2Pc9n
>>393


>それと嘘つきです。アナタは鬱ではありません。
IDの変わる理由、アナタは知っているはずです。誠意もありません。
どんな場合にIDが変わるのか、調べてあるからそのどれかを聞きたかったのです。

>幽霊くんはネット喫茶だった。アナタは真如苑の事務所、そんなところかな。


ああ、そうですか。

ご苦労様です。
[405]黒蜥蜴 06/01/04 22:59 jd8asXNRrB
>>399
>抜苦代受ってやつですよ。

伊藤苑がでっち上げた「真如霊界にいる両童子が抜苦代受」ですね。
これは、仏教(東密)には無い宗教観です。

仏教には「因果応報(カルマ)」と言って、「自分の犯した罪は
自分しか償えない」という教えから、完全に逸脱していますよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これと、真如霊界以前のまこと教団では「両童子が抜苦代受」
出来ませんね。つまり、それ、以前は救われた人は皆無という
解釈で良いですね?
[406]ぽりん 06/01/04 23:07 A4mnNy5aqr
フランナさん

>>399
私そんな名前と違います
この前も間違われたなぁ 敢えて突っ込まなかったけど
誰だっけかなぁ〜www
[407]フランナ 06/01/04 23:08 QsPPe2Pc9n
>>405

>仏教には「因果応報(カルマ)」と言って、「自分の犯した罪は
自分しか償えない」という教えから、完全に逸脱していますよ。

縁起説が抜苦代受を否定する根拠になるほど踏み込んだことは言っていないと前にも言ったでしょう。何度も言われないと理解できませんか?

>これと、真如霊界以前のまこと教団では「両童子が抜苦代受」
出来ませんね。つまり、それ、以前は救われた人は皆無という
解釈で良いですね?

真如霊界が「完成」したのがまこと教団時代です。それ以前から真如霊界の教義はありました。

人に聞く前に自分で最低限の事は調べてきなさい。
学生ですか?

社会では徹底的にそこで怒られる事になりますよ。
[408]フランナ 06/01/04 23:11 QsPPe2Pc9n
>>406

しっかり「ぽりん」と出てますが精神病患者ですか?


[409]事情通 06/01/04 23:18 iT56loqtUO
>>365
残念ながらフランナさんのお答えは、大般涅槃経についての疑問に十分に答えたものではありませんね。
北本と南本の違いは、「大乗の涅槃経の中の異本」というレベルの違いです。

「阿含経典に含まれている釈尊入滅前後の史実を淡々と述べた涅槃経に対して、それと全然違う大乗涅槃経なるものがあるのは、なぜか。第一回結集のときには、そんなお経は成立しなかったのではないか」というのが、白うさぎさんの質問なさりたい趣旨です。

真如苑で、そのあたりをちゃんと教えていないから、うまく答えられないのもやむをえないでしょうね。

「涅槃経といっても、まったくちがう二種類のものがあるのではないか」という問題を突きつけられたとき、答えを「北本と南本の違い」というレベルの話にもっていってしまうのは、この問題の大局的構図が把握できていないからではないでしょうか。次のウィキペディアで、基礎を勉強し直されたらいかがですか?
http://nun.nu/ja.wikipedia.org/wiki/大般涅槃経

あるいは、お嫌いかもしれませんけど、私が転写しておいた『水ぶくれ真如苑』の中にも、その勉強のためになる記述はありますが。

>>381 気にしてませんので、なにとぞお気遣いなく。
[410]フランナ 06/01/04 23:24 QsPPe2Pc9n
>>409

貴方は経文が「如是我聞」で始まることくらいは知ってるでしょう。

>第一回結集のときには、そんなお経は成立しなかったのではないか

第一回仏典結集は口述です。文字になるのは第三回から。

それに、そんな事が涅槃経の本質だと貴方は思ってるんですか?

下らない仏教談義はしないと言っているでしょう。

貴方、何の仕事をしてるんですか?
下らない本を読む暇があったら仕事の役に立つ本でもお読みなさい。

[411]フランナ 06/01/04 23:26 QsPPe2Pc9n
さて、次の質問はもう少しまともなものを期待しています。

徹夜して本でも読み漁ってください。まぁ、アナタ方じゃ読むのではなく「読まされる」でしょうがね。

おやすみなさい。
[412]黒蜥蜴 06/01/04 23:30 jd8asXNRrB
>>361

>釈尊の教えが矛盾するといわれるのは「諸行無常」を説き続けてお>りながら涅槃経でいきなりそれをひっくり返したからですよ。
>これを以って「お釈迦様は高齢のため認知症だった」と主張する学>者もいるほどです。

>みだりに仏教を語るのはおやめなさい。
>「貴方は仏陀ですか?」と聞かれてYESと答えられるレベルに行くまでは。

YESなんて答えられる人間がいるのでしょうか?
フランナ君は「YES」なのでようね?

ここは机上の空論を議論するスレじゃないのですよ。
うぬぼれを捨てよ、私はうぬぼれていない」 と他人をけなして
自らがうぬぼれている人を、世間では「偽善者」といいます。

>真如霊界が「完成」したのがまこと教団時代です。
>それ以前から真如霊界の教義はありました。


話のすり替える作戦のようですね、真如霊界以前の

「まこと教団時代」には「両童子様」が存在してないから
「抜苦代受」自体が出来ないのですよ。

すり替えは、御法度ですよ。

>人に聞く前に自分で最低限の事は調べてきなさい。
>学生ですか?
>社会では徹底的にそこで怒られる事になりますよ。

この言葉、そっくりお返しします。
[413]黒蜥蜴 06/01/04 23:40 jd8asXNRrB
伊 藤 苑 の イ ン チ キ 性 と 邪 教 性!

そもそも、真言宗醍醐派は、高野山真言宗の他に古義・新義合わせて8派あるうちの一派に過ぎません。

真如苑は、「醍醐寺から正式に受けた」と得意満面ですが、こんな
系譜は真言宗全体から見れば、余流の一つでしかありません。
ましてや「真如密」などとは、論外中の論外です。

真言宗全体で、まるで相手にされていない存在・・それが真如苑です。
このように、真如苑は自分たちを「真言密教である」等々吹聴していますが、実は、真言宗の教義からも大きく逸脱した、まったく異質
な存在なのです。

つまり、真如苑はインチキだった。
[414]フランナ 06/01/04 23:43 QsPPe2Pc9n
>>412

せめて小学生くらいの知能を備えてからものを言ってもらえませんか?尊い真如教法がドロに付けられるのは忍びないです。

>ここは机上の空論を議論するスレじゃないのですよ。

それをしたがってるのは「仏教を知ってる」と思い込んでる貴方でしょう。

>うぬぼれを捨てよ、私はうぬぼれていない」 と他人をけなして
自らがうぬぼれている人を、世間では「偽善者」といいます

小学校の国語からやり直しなさい。ついでにバカと言われて悔しかったようですが事実は事実として受け止めなさい。さもないと成長はありません。


>話のすり替える作戦のようですね、真如霊界以前の

>「まこと教団時代」には「両童子様」が存在してないから
>「抜苦代受」自体が出来ないのですよ。

昭和11年6月9日に教導院が霊界開拓に旅立ってます。百ヶ日法要に摂受院に感応した話もしらないのですか?

それ以降、信者に奇跡が起こり霊言も出るようになったのです。


>すり替えは、御法度ですよ。

無学の癖に知ったかぶりはご法度ですよ。


>この言葉、そっくりお返しします。

貴方、社会人なんですか?よく雇ってもらえましたね。

まぁ、頑張ってください。
[415]事情通 06/01/04 23:48 iT56loqtUO
>>410
「第一回仏典結集は口述です。文字になるのは第三回から。」と、そこへ逃げ込むわけですね。もちろん第一回結集は口伝ですよ。それはいいんですよ。でも、大乗涅槃経が本当にお釈迦様のご遺言の教えならば、少なくともその、経典が文字になった最初の時代には存在していなければおかしいですよね。白うさぎさんはそこを指摘したんですよ。ところが、先のウィキペディアによれば、大乗の涅槃経は、

 龍樹(ナーガールジュナ:紀元150年頃に活躍し中観派を確立した古代インドの高僧)には知られていないことなどから、この経の編纂には瑜伽行唯識派が関与したとされ、4世紀くらいの成立と考えられる。

ということじゃありませんか。これに対してはあなたは「それに、そんな事が涅槃経の本質だと貴方は思ってるんですか?」とあらかじめ予防線を張りましたね。そして「下らない仏教談義はしないと言っているでしょう。」ですか。

よろしい。ならば真如苑を「仏教だ、仏教だ」とおっしゃるのも、おやめいただけませんか。仏教でなくて「伊藤教」「両童子様教」ならば、そういう新興宗教が存在すること自体には、別に目くじらを立てるいわれもありませんから。
[416]フランナ 06/01/04 23:52 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>413

真如苑の法流は「小野流」です。8派の一派です。

だからなんです?

真如蜜については岡田門跡にでも文句を言ってください。真言宗醍醐派は苑を認めていますから。

宗教界でもキチンと認められてます。

知らないのは無知なアナタ方だけ。

>伊 藤 苑 の イ ン チ キ 性 と 邪 教 性!

根拠はなんですか?貴方は8派の法流であってもその一派である「小野流」を相承してることは認めてるではないですか?

インチキ、邪教の根拠どころか正法の根拠ですよ、これ。

頭、大丈夫ですか?
[417]フランナ 06/01/04 23:58 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>415


ことの本質が不明ならそれはそれでいいではないですか。
伊藤は一切教の中から涅槃経を発見した。それだけです。

>よろしい。ならば真如苑を「仏教だ、仏教だ」とおっしゃるのも、おやめいただけませんか。仏教でなくて「伊藤教」「両童子様教」ならば、そういう新興宗教が存在すること自体には、別に目くじらを立てるいわれもありませんから。

根拠になる仏典があり、本尊を釈迦如来とするのだから仏教でしょう。

何を寝ぼけてるんですか?

真如苑は涅槃経を処依とする純然たる仏教です。

アナタ方のような輩が曲げようとしても曲がらない真実です。

それとも貴方は真言宗も浄土宗も仏教ではないというつもりですか?


[418]黒蜥蜴 06/01/04 23:59 jd8asXNRrB
既存の仏教には、易のびょうせい霊、真如霊界におわす両童子、
内田家伝承・霊能、などの概念は、存在しないのです。

真如苑は宗教界のカテゴリーでは明らかに、「新興宗教である」ことは、
紛れも無い事実なのに、伊藤苑は(真言密教・真如密)と説く宗教音痴
ぶりを露呈し、恥の上塗りを犯してしまった。

伊藤苑は、「信徒には、世間法は無視」というご都合主義の似非仏教ぶりを、存分に拝見させて頂きました。

矢張り、伊藤苑は、仏教といえる代物ではなく
「両童子を偶像崇拝し、霊能の接心で金儲け」する真っ当なご利益新興宗教です。
[419]ぽりん 06/01/05 00:00 A4mnNy5aqr
議論中に申し訳ありません。
確認の為コピペしました

[399]フランナ 06/01/04 22:51 QsPPe2Pc9n

そういえば裏でぼりんって人が苑をやめたいそうです。手伝ってあげなさい。


[408]フランナ 06/01/04 23:11 QsPPe2Pc9n
>>406

しっかり「ぽりん」と出てますが精神病患者ですか?

同じ方なんですよね〜
名前違ってますよね〜
貴方に精神病患者と言われる覚えはないです
謝ってください
[420]フランナ 06/01/05 00:02 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
悪意むき出しの輩が束になってかかってきても所詮この程度ですか。

私と一対一ではすぐ逃げ出すような輩ばかりではないですか。

真如正法を汚すものに容赦はしません。

そのおつもりで。

で、しつこいようですが和音さんもぼりんさんも密教の器じゃないです。世間で楽しく過ごしてください。

[421]黒蜥蜴 06/01/05 00:03 jd8asXNRrB
[417]フランナ 06/01/04 23:58 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

因果応報ですなw
[422]嘘嫌い 06/01/05 00:04 *MWKO1fWq8lc*E-w2W3r
414フランナさん、ずいぶん思いあがっているようですねぇ。叶うと敵うが使い分けられないあなたこそ脳の補充が必要ですよ。議論の態度がなっていないと思いますがあなたこそ社会人なのですか?
[423]フランナ 06/01/05 00:05 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>419

>同じ方なんですよね〜
>名前違ってますよね〜


はい?どちらも「ぼりん」じゃないですか。名前違ってるって?

本当に大丈夫ですか?
[424]フランナ 06/01/05 00:08 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>既存の仏教には、易のびょうせい霊、真如霊界におわす両童子、
内田家伝承・霊能、などの概念は、存在しないのです。


貴方も随分バカですね。同じ説明を何度もさせないで下さい。
[425]黒蜥蜴 06/01/05 00:11 jd8asXNRrB
伊藤苑は、仏教といえる代物ではなく

「両童子を偶像崇拝し、霊能の接心で金儲け」

する、真っ当なご利益新興宗教です。
[426]フランナ 06/01/05 00:11 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>422


>414フランナさん、ずいぶん思いあがっているようですねぇ。叶うと敵うが使い分けられないあなたこそ脳の補充が必要ですよ。議論の態度がなっていないと思いますがあなたこそ社会人なのですか?

私自身、よくこんなバカの相手してやってるなと自分で感心してますがね。

文字変換のミスでしか揚げ足取れない能無しをよく相手してるよ。本当。

[427]フランナ 06/01/05 00:13 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>425


>伊藤苑は、仏教といえる代物ではなく

>「両童子を偶像崇拝し、霊能の接心で金儲け」

>する、真っ当なご利益新興宗教です。


だから貴方のような人はそう思っていれば良いじゃないですか。
苦し紛れの書きなぐりは見苦しいのでやめてください。

可哀想な人だ。
[428]黒蜥蜴 06/01/05 00:15 jd8asXNRrB
[426]フランナ 06/01/05 00:11 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
必死ですね?
素晴らしい、条件反射ぶりは、ネット対策班の18番ですね。
2CHでも、良く拝見させて頂きましたよ。

伊藤苑の、無料奉仕ですか?

批判は図星のようですね。
[429]田舎 06/01/05 00:16 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy
結構最後は伊藤 伊藤伊藤 伊藤 伊藤って、フランナ様 飽きましたっ 彼方様のほうが空論です、ちょっと期待したおらが馬鹿でしたっ 馬鹿はねますわ
[430]イタチ 06/01/05 00:16 9tfsKEMtHx
自分の文字変換ミスを認めても、人様を精神病患者呼ばわりした事に謝罪は無いのですね。
これが真如教徒の姿ですね。仏教を語る以前の人格の問題。
[431]フランナ 06/01/05 00:19 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
あ、霊能と病ゼイ霊は説明してなかったかな?

もともとお釈迦様の教えの中にアグニ(護摩)と言うものはなかった。

それを釈尊が人間本位の祈願成就の法ではなく煩悩即滅の秘法として仏教に取り入れたといわれています。

霊能と病ゼイ霊も同じことでしょう。一般人では理解できない涅槃経の理解を助けるものです。
[432]フランナ 06/01/05 00:20 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>429

>結構最後は伊藤 伊藤伊藤 伊藤 伊藤って、フランナ様 飽きましたっ 彼方様のほうが空論です、ちょっと期待したおらが馬鹿でしたっ 馬鹿はねますわ

どうぞご自由に。痛くもかゆくもないですから。

ご病気ご自愛ください。
[433]フランナ 06/01/05 00:22 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>430

>自分の文字変換ミスを認めても、人様を精神病患者呼ばわりした事に謝罪は無いのですね。
これが真如教徒の姿ですね。仏教を語る以前の人格の問題。


だって「ぼりん」って表でも裏でもそういう名前で出てるじゃないですか。

何を誤れば良いんです?言ってる事がおかしいのに。
[434]嘘嫌い 06/01/05 00:22 *MWKO1fWq8lc*E-w2W3r
426言い訳はよそうよ。誰かと本質が同じだな。同じネットらしいし…。また聞きに行くかな。
[435]フランナ 06/01/05 00:24 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>428

アナタ方クズが束になっても私1人やり込められないことを示さないといけませんからね。

それで下らないあなた達にも付き合ってるんですよ。

集団リンチしてるのにされてる奴が折れない姿。

これで良いのです。
[436]フランナ 06/01/05 00:27 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>434

気がふれた場合はどうぞ心療内科か精神科へお出かけください。
[437]黒蜥蜴 06/01/05 00:32 jd8asXNRrB
真如苑の正体を見破るのに、仏教を引き出すまでもありませんよ。

公称70万と言われる殆どの苑信徒は、「三つの歩み」と
「プルーフ」と「接心」と「お助け」で精一杯ですからね。

所詮、真如苑は、どうあがいても、詭弁をはいても、新興宗教には代わりありません。

新興宗教は、既存宗教に比べ、信者を増加(=お布施)させないと
教団が運営できませんから、教えに、もっともらしい「ご利益新興を」組み込む必要があった訳です。

真如苑では、「両童子偶像崇拝」「抜苦代受」「霊能の接心」
「易のびょうぜい霊」「真如霊界」などでした。

これに、東密を名乗れないから、真如密などをでっち上げいかにも
仏教で有るかのように装い、世間を欺いたのですから。確信犯です。
それを知った上で、勧誘(お助け)した、苑信徒は教団と共謀正犯は免れませんよ。

上記の理由から、世間では、伊藤苑と揶揄されるのです。
苑が邪教ならば、因果応報の報いをうけるでしょう。
[438]黒蜥蜴 06/01/05 00:35 jd8asXNRrB
>>434
フラ○ナの人格は、人を馬鹿にし、口の悪い、都合が悪いと逃げる。

そうそう、確か2CHでは、通称 S○−NET さんとと手口が似ていますね。
[439]フランナ 06/01/05 00:36 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>419

ぼりんさん、貴女は多分精神病患者ですよ。

一度心療内科か精神科を受診なさったほうがいいですよ。酷くなる前に。精神病は別に特別な事じゃありません。私も鬱ですから。

貴女は言っている事が少しおかしいようです。是非、受診なさってみてください。
[440]フランナ 06/01/05 00:38 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>438

日本国では貴方の様な考え方も尊重される。

ただ、世間ではバカにされる。

よく自分を見つめなさい。

[441]嘘嫌い 06/01/05 00:45 *MWKO1fWq8lc*E-w2W3r
436 アッハッハ そうするか。ばったりであったりしてな。私のホクロお釈迦さまとおなじ。あなたは?これ冗談。
[442]イタチ 06/01/05 00:48 9tfsKEMtHx
>>439
あなたが示した
>>419を良く見直して下さい。
ご自分の書いた
>>399>>408、そして変換ミスを認めた>>426を見直して下さい。
挙げ句
>>439の開き直り。
こんな人に仏教語ってもらいたくありませんし、こんな人が信仰している真如苑など増々嫌悪感を抱きます。

>>440
世間法www
[443]ぽりん 06/01/05 00:51 A4mnNy5aqr
フランナさん

「ぼりん」と言ってみたり「ぽりん」と言ってみたり、見えてますか?濁点と半濁点。

濁点(だくてん)とは、日本語において、濁音を表すために仮名の右上に付される記号である。 □゛

半濁点(はんだくてん)とは、日本語において、半濁音を表すために仮名の右上に付される記号である。 □゜

そ〜ゆ〜事ですわ
お邪魔しました、


[444]事情通 06/01/05 01:06 GoRGEoUS
第三部 水ぶくれ真如苑の泣きどころ
  第一章 仏教学に照らしてみた真如苑教義の問題点(続き)

「密教」(1)
 真如苑の殺し文句の第三は、「このみ教えは密教です」というものである。
 初信者が教えに対する疑問を表明すると、指導者は決まって「このみ教えは密教ですから、理屈ではなく実践です。まず、実践してみなさい。そうすればみ教えがわかりますよ」と言って、はぐらかそうとする。さらに、多少深入りした信者が自分の導きの子を指導しようとするような場合、上級の指導者から、「このみ教えは密教ですから、最初から何もかも教えてしまったらダメですよ」と注意されることが多い。
 真如苑が自らの教えを「密教」と称する場合、そこには複数の意味がこめられているようである。第一の意味は真如苑が真言宗醍醐派で金胎両部伝法灌頂〔こんたいりょうぶでんぽうかんじょう〕を受けた伊藤真乗という「密教僧」を教主として、伝統密教の血脈〔けちみゃく〕につらなっているという形式上の意味である。そして第二の意味は、霊能を中心として、見えない世界との交渉に重きを置いているという、より実質的な意味である。これらに加えて、さらに第三の意味もあるようである。
 この殺し文句を批判するためには、そもそも仏教における密教の位置はどんなものか、というところから説明してかからねばならない。
 密教はインド仏教における「仏」についての考え方の歴史的発展を踏まえて、大乗仏教の最後の時期に興った潮流である。
 初期の仏教においては、「仏」とは「釈尊と同じような完全な悟りに達した人間」を指す以外の言葉ではなかった。しかしそのうちに、「人間が悟りを開いて仏になる」ことを、例えば「ラジオがみごとに調整されて電波をキャッチしうる状態になる」ことと考えてみると、「ラジオ自体がよく調整されることも大切だが、それ以前に、この空間に電波が流れているという事実自体がさらに重要だ」との考え方が起こってきた。そして、この電波そのものを「仏」と考えようじゃないかということになってきた。こうした意味での「仏」を「法身仏〔ほっしんぶつ〕」と呼ぶのである。
 そして最後に、法身仏の説くところであれば、必ずしも歴史上の釈尊の説法でなくとも、それは立派に「仏教」と言ってよいではないか、との思想が出てきた。密教経典の『大日経〔だいにちきょう〕』や『金剛頂経〔こんごうちょうきょう〕』は、こうした思想に立って書かれたもので、そこでは、宇宙の真理そのものである法身大日如来〔ほっしんだいにちにょらい〕が説法するという形で教えが説かれている。
 そして、それまでの仏教は「人間は長い長い間の修行を経てはじめて仏になれる」という教えだったのに対して、密教では「人間は身体と言葉と心の三つの面から法身の仏に波長を合わせて直参〔じきさん〕すれば(これを三密加持〔さんみつかじ〕という)、この現世の身のままで仏となりうるのだ」という画期的な「即身成仏〔そくしんじょうぶつ〕」の思想を説いたのである。そして、それ以前のインドにあった仏教以外のさまざまな俗信的な神秘主義の行法を、この三密加持の観点から包摂し、止揚して体系化したものが、密教の行法となったのである。
 この密教は、インドでも中国でも滅びたが、空海の手で日本にもたらされて真言宗として花開くことになった。
 平安時代以来、比叡山天台宗を軸として栄えてきた日本の仏教界は、自動的に「五時の教判」の強い影響力の下に置かれていたわけであるが、ひとり真言系の仏教だけが、このような教相判釈からは自由であった。空海にとっては、「五時の教判」であろうと「六時の教判」であろうと、およそ釈尊ご一代の時間的順序の中に教えを位置づける形の教相判釈などは、無用の長物だったのであろう。
 これでわかるように、およそ、密教の立場に立つということは、それ自体、すでに釈尊のご一代の教えのうちどれが上か、どれが下かなどをあげつらう次元よりも上に出ているということを意味しているはずである。伊藤真乗が、「密教」を標榜〔ひょうぼう〕しながら色あせた教相判釈の古道具にハタキをかけて持ち出してきて、「『五時の教判』ではダメ、『六時の教判』が正しい」などと言い出すのは、この人が密教そのものを真に身につけていないことを明かにしているのではないだろうか?
[445]事情通 06/01/05 01:07 iT56loqtUO
「密教」(2)
 なお真如苑では、伊藤真乗が醍醐寺できわめて短期間の修行で金胎両部伝法灌頂〔こんたいりょうぶでんぽうかんじょう〕を授かったことを、まるで空海以来の快挙であるかのように神話化しているが、これは初信者を欺〔あざむ〕くための技巧にすぎない。確かに空海の時代には、短期間に金胎両部伝法灌頂を授かるのは奇跡的なことであった。しかし、その後の制度化された真言宗においては、金胎両部伝法灌頂は、たんに、真言宗僧侶として一人前になるための儀式にすぎず、そこいらへんの末寺の世襲の息子どもが、みんな、短期間の修行で授かってくるものである。そして、伊藤のように、民間の拝み屋的人物が正式な僧位を持っていた方が活動しやすいという理由で修行を志望して授かるケースも、ざらにある。
 真言宗ではないが、似たような例として、瀬戸内晴美(寂聴)さんが自分の出家前後の体験を描いた『比叡』(新潮文庫)という小説に、主人公の同期生として比叡山の二ヵ月の速成の修行に参加する民間の拝み屋みたいなオバサンが出てくる。伊藤のケースは、あれと似たようなものだ。
 確かに、真如苑教主となってからの伊藤は、真言宗醍醐派から、ずいぶん高い僧階をもらっているようであるが、これは教団をふくらませた手腕に対して、表彰的な意味で贈られたものであろう。
 どうやら、真如苑が掲げる「密教」なるものも、その形式面たる「真言宗の血脈相承〔けちみゃくそうじょう〕という点に関しては、「たんなる看板」と見た方がよさそうである。
 それならば、その説く「密教ですから……」という殺し文句は、実質的には何を意味しているのか? 伊藤自身がこれについて語っている文章を『一如の道』から引用してみると、次の通りである。
 「真如の教えは、理論的、哲学的にこれを極めてゆく顕教〔けんきょう〕的なものではなく、その上の本質的なものを救い、安心立命をえさせてゆく密教的なものであります。
 密教的なものといっても、それが単に伝統と形式に終わっていたのでは、真の救いの力はありません。
 教えが信じられない……という、その人を支配している根本的なもの(霊)、それは目にみえない、密なるものですから、理論、理屈という顕〔けん〕なるものでは救われないと思います。その根本的なものの浄化が接心修行によって、真如苑では現に行なわれているのですから素晴らしいことではないですか」(三一五頁)
 つまり、真如苑の教えは人間の潜在意識層に直接アタックするものだから、人の表面意識に対して言葉で説得して受容せしめる性格のものではない、と言いたいわけであろう。要するに「教えへの疑問は障害霊のせいですから、サァ、お護摩〔ごま〕でお浄めして頂きなさい」という例の手口を正当化するための論法である。
[446]事情通 06/01/05 01:07 iT56loqtUO
「密教」(3)
 が、真如苑の指導者の語る「密教ですから……」の殺し文句には、通常、もう少し違ったニュアンスも込められているようである。
 それは、ありていに言ってしまえば、「マルチ商法型組織においては『あなた自身がセールスマンになって活躍してはじめて救われるのですよ』ということを、相手がセールスの対象たる段階で、すべて正直に告げ知らせてしまったのでは、商売にならない」ということなのである。「相手がセールスの勧誘対象であるあいだは、なるべく本当の事を教えないで、『すぐに救われる』かのように見せかけて、効率的に組織内へ取り込んでしまえ。そうして、相手が組織内に入ってもはや身動きできなくなった頃あいを見はからって、『あなた自身がカモ取り競争をやることで、はじめて救われるんですよ』と告げ知らせれば、うまいぐあいに被害者を加害者に転化できる」というわけである。
 なんのことはない。これは、あらゆる種類のマルチ商法の定石にほかならない。最近マスコミを騒がせている「霊感商法」なども、似た手口で、被害者を被害復旧のために加害者の立場に転化させることをしきりにやっているとのことである。
 「この教えは実践してみてはじめてわかるのですから、何はともあれ、信じて実践してごらんなさい。そうすれば必ず幸せになれます。私の言うことにけっしてウソはありません」という形の指導もしばしば行われている。が、これも、何度も指摘してきたように、たまたま「所属」をたくさん作ることに成功した例外的成功者のみが上級指導者になれるという、組織構成原理の性格上、結果的に「指導者の経験からすればそれが真理ということになる」にすぎない。
 指導者にとっていかにそれが経験的真理であろうとも、その指導を真に受けて、「歩ん」で同じ経験に到達できるのは、常に被指導者のうちのごく少数にすぎない。だから、そんな経験法則はありていに言ってしまえば「ウソっぱち」なのだ。ただ、「ウソだ」と指摘できる多数派は指導者にはなれないから、多数派の経験は永遠に指導の中には生かされないだけのことである。
 いやはや、まことに恐れいった「密教」ではある!
[447]事情通 06/01/05 01:09 iT56loqtUO
「因縁」(序説部分)
 もう何度も言っているように、真如苑では病気や事故などの人生上の不幸は「因縁」によって起こるとしている。そして、真如苑で「徳を積む」ことがこうした「因縁」を消除してゆくための唯一の正しい道であり、それがなされないと、いったん消えたかのように見える因縁も、後日また芽生えてくると説く。「因縁」は真如苑が信者に「徳積み」を迫る場合に、最もしばしば用いる脅迫的な殺し文句である。
 「因縁」はむろん仏教通有の基本的用語である。それゆえ、殺し文句としての「因縁」を言われると、それが仏教の教えだと思って多くの人は黙りこんでしまう。しかし、真如苑の説く「因縁」は、本来の仏教の所説とは大幅に異なるものである、この点を次にはっきりさせることにしよう。
[448]事情通 06/01/05 01:11 iT56loqtUO
「因縁」@仏教の宿業論と真如苑の因縁論の相違(1)
 本来の仏教で説く「因縁」とは、人間の運命に関与する根本的原因(因)と補助的原因(縁)のことである。
 仏教で「霊魂」の存在を認めているかどうかについては、いろいろ面倒な議論があり、学界の通説では「仏教では不変の実体としての『霊魂』は認めておらず、業〔ごう〕の力によって人間の『識〔しき〕』が輪廻〔りんね〕することを説いているのみである」ということになる。が、いずれにしても、業の力によって輪廻する「何か」があることは認めているわけだから、これを通俗語で言い直す際に「霊魂」と呼んでも、さして誤りではあるまい。現に仏教では、原始仏教の時代からジャータカ物語と称する釈尊の前生譚〔ぜんしょうたん〕がしきりに語られており、長き輪廻の過程の中で釈尊が献身的修行をくりかえした結果、今生〔こんじょう〕で「仏」という果報を得たことになっている。だから、明かに前生〔ぜんしょう〕とか来生〔らいしょう〕とかいうものは認めているわけである。
 人間が行なった善行や悪行は、そのまま消えてなくなってしまうものではなく、ひとつのエネルギーとして影響力を残し、その人の後々の運命を決定する要素となってゆくというのが、仏教の説く「業〔ごう〕」である。
 この「業」のうちには、今生での行為の影響力が生きているうちに発現する「順現業〔じゅんげんごう〕」というものもあるが、生を隔てて別の生涯において発現する場合もあると考え、これを「宿業〔しゅくごう〕」と名付ける。人が今生でとりたてて悪事をした覚えもないのに不幸に襲われたりする場合、仏教では、古来これを「過去世〔かこせ〕の宿業」によって説明する。(もっとも、仏教の教えの眼目は、こうした宿業論自体にあるのではなく、そのようなしがらみを超える悟りの境地を、いかにして得るかにあるのだが……)
 今、ある特定の家XにAという先祖がいて、この人が、愚かな商売に手を出して、多額の借金を残して死んだとしよう(第六図)。その借金をBという子孫が背負って、返済のてめに苦労多き人生を送ったとしよう。この場合、見かけだけ見ると、Aの愚かさが「原因」でBの苦労が「結果」と見える。しかし、仏教では、こうした「家の先祖の行状」というのは、個人の宿業を発現させるためのひとつの「縁」にすぎないと考える。B自身は過去において、このX家とは別の所に生を受け、彼個人の業を作り、その結果、自分の宿業を果たすにふさわしいX家という所に生まれ合わせたのである。AはA自身で、生まれ変わっていった先のどこかの場所で、自分自身の宿業を果たすための苦労をする運命にめぐり会うのである。
 業の法則そのものは、あくまで「おのれが蒔〔ま〕いた種をおのれが刈り取る」のである。ただ、そこに「縁」として介在している「家系」というものだけを考えると、あたかも「先祖の蒔いた種を子孫が刈り取る」かのごとく見える、ということなのである。
[449]事情通 06/01/05 01:12 iT56loqtUO
「因縁」@仏教の宿業論と真如苑の因縁論の相違(2)
 真如苑の説く「因縁論」は、これとは全く異なる。そこでは血統そのものが因果の主体として立てられており、個人の魂の輪廻ということは明確に捉〔とら〕えられていない。個人の過去世とは先祖の過ごした生涯のことであり、個人の来世とは彼の子孫の生涯である、という解釈がなされている。
 こうした「血統因果論」は日本の土着信仰と言うべきもので、いったんは仏教の普及によって消滅しかかっていたものが、近世以降、仏教が「家の宗教」として封建統治機構に組み入れられるとともに、次第に復活してきたもののようである。近世の僧職者自身が、墓や菩提寺を大切にせよと説教する際の方便としてこの俗説を積極的に用いたためか、ついにはそれが仏教の真説であるかのように見なされるまでになってしまったのだ。
 先日、このごろはやりの「霊感商法」のセールス・ガールがわが家を訪ねてきたが、そのパンフレットには、だいたい次のようなことが書いてあった。
 「墓相のよしあしは家庭の『根』たる先祖の成仏・不成仏を決め、印相のよしあしは家庭の『幹』たる自分の運のよしあしを決め、家相のよしあしは家庭の『葉』たる子孫の繁栄・衰退を決める。墓相、印相、家相の三拍子が揃ったとき、あなたの家の過去、現在、未来が救われる」
 このパンフレットなどは「血統因果論」のひとつの典型と言ってよい。仏教をろくに学びもせずに、寺院の経営にだけ汲々〔きゅうきゅう〕としている俗坊主なども、時としてこれに類することを真理であるかのように言いたてる。
 この近世的俗説によれば、個人というものは、自分の潜在意識層に父祖代々の無限の「因縁」を保蔵して生きている。先祖の誰かが苦しい生涯を送ったとすると、その苦しみは現世に生きる自分自身の「因縁」の一部となって、今の自分に悪い影響を及ぼしている。そして、自分自身、死ぬと子々孫々の潜在意識層の「因縁」の部分に入り込み、自分の現世の生活のよしあしが、子孫の運命に影響してゆくことになる。人間は死後の世界では積極的に自分の運命を切り拓いてゆく道をもたず、生前に達成した心境や受けた苦しみなどが、そのままその人に固着してしまう。これを改めうるのは、子孫による「供養」や「徳積み」だけである。子孫による「供養」や「徳積み」が届くと、死者は安らぎの境地に達して、その結果、子孫自身の苦しみも取り除かれる。これが死者の「成仏」である。
 ざっと以上のように要約される近世的俗説は、多くの曖昧〔あいまい〕さを含んでいる。ある霊魂がある家に生まれてくる場合、過去においてどこにいてどういう業を作ってきたのかは、不問に付されているようである。そして、個別の霊魂がこの現世に生を受けるのは一回かぎりなのかそうでないのかも、はっきりしていない。ただ漠然と、「供養」が届けば先祖は「成仏」して、もはや子孫に悪影響は残さない存在になると考えているだけである。その後にその先祖の個別的霊魂がどこへ行くのかは、不問に付されているようである。あるいは、「成仏」した先祖は未来永劫〔えいごう〕子孫に対して「よき因縁」として守り神様的に働くと考えているようにも思われるが、この考えもそれほどはっきりと表明されているわけではない。
 ともあれ、伊藤が『一如の道』の中で「ご先祖さまが成仏していたら、全く平和であり家庭的な苦悩等ある訳はありません」(九一頁)と述べているのは、真如苑がこの曖昧模糊〔あいまいもこ〕たる矛盾に満ちた近世的俗説の上に教義を立てていることを、何よりもはっきりと物語っている。
 伊藤のこの言明は、論理学的に見ると「家庭的な苦悩等が起こるのは成仏していないご先祖さまがいるからだ」と主張しているのと同じである。残念ながら、こういう教えは仏教ではない。
[450]事情通 06/01/05 01:14 iT56loqtUO
「因縁」@仏教の宿業論と真如苑の因縁論との相違(3)
 先祖がどうなっていようと、人間がこの現世に生まれている以上、生老病死〔しょうろうびょうし〕の苦があることは仏教の基本的な前提なのである。
 釈尊のご在世時代、幼い子供を病気で死なせてしまった女が、悲しみのあまり狂乱状態になり、奇跡を願って釈尊のもとに駆け込んできた。このとき釈尊は、
 「よしよし、あなたの子供を生き返らせるための秘法を教えてあげよう。この町じゅうを巡り歩いて、いまだかつて一人の死者も出たことがないという家を捜し当て、その家からケシの実をもらってきなさい。そうすればあなたの子供は生き返るよ」
 とさとした。そこで、女は喜び勇んで町じゅうの家を巡り歩いたが、いまだかつて一人の死者も出したことがないという家は、ついに一軒も見つからなかった。女がとぼとぼと釈尊のもとに戻ってきたとき、釈尊は、
 「どうだね。生まれた者は必ず死ぬという真理がわかったかね」
 と優しくおっしゃった。女は、
 「はい、ようくわかりました」
 と言って、以来仏門に帰依〔きえ〕したという。
 ……これが本当の仏教なのである。
 人の家で若死にがあったと聞きつけるや、さっそく「これぞいいカモ」とばかりにその家へ飛んでいって、「そういう不幸が起こるのは、あなたのご先祖様が浮かばれていらっしゃらないからですよ」とあつかましく言ってのける真如教徒が、釈尊の弟子であろうはずがない。
 虚仮〔こけ〕おどしにさかんに『大般涅槃経』を引用して教えにハクを付けたがる伊藤真乗も、この俗説的「因縁論」についてだけは、さすがに経典的根拠を示すことができず、「仏は汝〔なんじ〕と共に悦〔よろこ〕び汝と共に楽しむ」とかいう言葉を引用してお茶を濁している(『一如の道』九一頁)。
 だが、「仏は汝と共に……」という場合の「仏」とは、仏教本来の意味の「最高の覚者」のことで、その「仏」が衆生〔しゅじょう〕の苦しみをけっしてお見捨てにならない慈悲を持っておられるということが、この言葉の言わんとする内容であろう。伊藤は「仏様」を「ご先祖様」「ご精霊〔しょうりょう〕様」の意味で用いる日本の通俗用法を念頭に置いて、「仏」の意味をすりかえ、「先祖が迷っているからおまえが不幸になる」式の脅し文句の正当化に、この言葉を使おうというわけだ。だが、ここに論理のすりかえがあることぐらいは、高校生でも十分に理解できよう!
 最後にもうひとつつけ加えるならば、信者の家庭に起こるあらゆる若死にや事故死を、その家系の悪い因縁の芽生えとして忌むべきものと教え込む真如苑が、当の教主の子供の教導院と真導院の若死にだけは「伊藤家の因縁の芽生え」ではなく「代受苦の菩薩行」と意味づけるのは、いったいどういう神経によるのであろうか? 「家元だけは生まれながらに別格」という「家元制度」の趣旨には大いにかなっているかも知れないが、宗教として見るならば、そのようなご都合主義的な教義では、良識ある多くの人々を納得せしめうるはずはない。
 なお、「血統因果論」が仏教の所説といかに異なるかについて詳しく知りたいかたは、浅野信〔まこと〕著『ブッダのカルマ論』(たま出版)を参照されたい。
[451]事情通 06/01/05 01:15 iT56loqtUO
「因縁」A原因のない結果だけの連鎖
 これまでに血統そのものを因果の主体とする近世的俗説の立場が、本来の仏教の教えとは異なるものであることを明かにした。
 が、ここでさらに問題がある。
 同じく「血統因果論」であっても、「先祖が悪いことをしたから子孫が苦しむ」という説き方ならば、まだしも納得がゆくのだ。真如苑の因果論というのは、もっと納得のゆかぬしろものである。そこで説かれているのは「ご先祖にガンで亡くなった方がいらっしゃいます。だからあなたが今ガンになったのです」というような因果論なのだ。「ガンで亡くなったご先祖は、断末魔の苦しみを霊界へ行ってからも持ち続けているので、その苦しみを子孫に訴えようとする。その訴えが、子孫の肉体に同じようなガンとなって現れる」と言うのである。
 これは、因果論とか宿業論とかいうカテゴリーの問題ではなく、一種の憑依〔ひょうい〕(つきもの)論とでも言うべきものである。では、その当の、ガンで亡くなったご先祖自身は、なんでガンになったのか? 「その方の、そのまたご先祖に、ガンで亡くなった方がいらっしゃったからです」というのが真如苑流の答えである。すぐにわかるように、こういう説明をやりだしたら、問題は無限連鎖になってしまう。
 『徒然草〔つれづれぐさ〕』の最後の段には、「人は必ず、先に悟りを開いた仏に導かれて仏になる」という説を兼好法師に教えた父親が、兼好法師から「最初の仏は?」と問い詰められて答えられなくなったという話が出ているが、真如苑の因縁論も、とことん問い詰めれば同じことになる。
 だが、こういう論法は、第二部第三章の「際限なく湧き出してくる『因縁』」の中でも説明したように教団側にとってはきわめて便利な論法である。
 例えば、Aさんがガンにかかって接心を受けたら、Bという先祖の因縁が示され、Bに対する「お施餓鬼」をすると同時に「三つの歩み」に取り組んで、病気が奇跡的に癒えたとする。しばらくすると再び体調がおかしくなってきた。そこで、「しっかり歩んでいるはずなのに」と不満に思いながら接心を受けてみると、「Bをガンにいたらしめた原因であるところの、もっと前のCというご先祖がまだ成仏なさっていません」という「ご霊言」が出てくる。そこでAさんは、今度はCへの「お施餓鬼」をやりつつ、さらなる「三つの歩み」に励む。その次には、さらにDなるご先祖の因縁が示される。―こんな具合にして、「歩み」と「因縁解明」との追いかけっこで、真如教徒の一生というものは終わってしまうわけだ。
 そして真如苑では、もしAさん自身が真如教徒として歩まないままガンで死んだとすると、こんどはAさんの子孫に必ずガンが現れるという形で、「因縁」が未来に向けても無限連鎖で続いてゆくかのように説いて、人に不安を与えるわけだ。
[452]事情通 06/01/05 01:16 iT56loqtUO
「因縁」B群盲象をなでる
 生長の家では、「世の中のすべての物事は思う通りに現れる」という一種の通俗的唯心論を教義の根幹に据えて、ある種の「信念の魔術」みたいなことで人生を幸福にできると説いている。この生長の家の論法が正しいかどうかは疑問だが、霊的な事情によく通じている人々に言わせると、霊界というのは、確かに「信念に応じて現象する」という性格を持っているそうである。
 そういう人に言わせれば、真如苑的教義にどっぷりつかっているような霊能者には、その教義のレベル相応の世界が見えてきて、そうでない人にはまた、別様の世界が見えてくる、ということである。
 アメリカのエドガー・ケーシー(一八七七〜一九四五)という人は、人の前生の行状を透視することのできる能力の持ち主で、病気その他の悩み事をかかえた人たちの求めに応じて、前生のいかなる業因からそのような結果が生じているかを解明し、その診断に基づいて適切な勧告を与えることで、多くの人を救ったという(これについてはジナ・サーミナラ著『転生の秘密』、同『超能力の秘密』―いずれもたま出版から翻訳刊行されている、に詳しい)。十九世紀以降、西ヨーロッパやアメリカでも、インド思想を研究して輪廻転生説を受け容れる人々が数を増しつつあるが、ケーシーもそういう立場の人であった。
 同じく「病気や事故の霊的原因を解明する」と言っても、日本的因縁論で凝り固まっている真如苑の霊能者の心の鏡には「先祖の行状」ばかりが映し出され、ケーシーのような人には「前生」が見えてくる、というぐあいに、霊能で見えるものも、つまるところ、その人の信念によりけりなのである。
 世の中には、「釈尊が自分の霊視に現れて語った」とか「キリストが……」とか「天照大神が……」とか主張している人間は、掃いて捨てるほど沢山おり、それらがみな互いに矛盾したことを言っている。
 霊能でこう見えたとか、こう聞こえたとかいう報告の中には、確かに真実も含まれているであろうが、大方、その「真実」は、「群盲象をなでる」の類の部分的真実なのであろう。一教団の特定の訓練だけを受けた霊能者の言うことなど、過信しないことが大切であると思われる。
[453]事情通 06/01/05 01:17 iT56loqtUO
「世間法」と「如来法」
 「サァ、一切の世間法〔せけんぼう〕的とらわれを捨てて、教主様一如の信に立ち、……」といった決まり文句も、真如苑の指導者が好んで用いるものである。教団の出発の際の、伊藤が会社勤めを辞めるか、辞めないかの岐路に立った時の最終決断が「世間法から脱却する」であったためか、教主の初心を信者にたたき込むという意味でも、この「世間法云々」は、信者指導上、好んで用いられるようである。
 真如苑が「世間法」の対立概念として立てているのは「如来法〔にょらいぼう〕」である。
 最初は誰でもこの区別を自然なものと思い、「そうだ、世間法へのとらわれを捨てて如来法に生きるのが、宗教人の正しいあり方にちがいない」と思えるのだが、しばらく教団に深入りして内実を知ってみると、どうにも、これらの言葉の使われ方に、妙な違和感を感じずにはいられなくなる。
 ここでちょっと話は飛躍するが、一休さんという人は、人の意表を突くやり方で、とらわれを解き放つ教えを示してみせるのがうまい人だった。彼には次のような逸話〔いつわ〕がある。
 ある日、ある商人が色紙を持ってきて、一休さんに「一筆おめでたい言葉を書いて下さい」と依頼した。すると、一休さん、早速筆を執ってスラスラと書いた文字は、なんと「父死子死孫死」。あっと驚く商人を前に、一休さん涼しい顔でお説教。「いいか、これがおめでたいのじゃぞ。父が死んだあとで、子が死に、最後に孫が死ねば、こんなにおめでたいことはないじゃろうが。若い者に先立たれる悲しみを思うてみい」
 「生きる」と言えばおめでたいことだと思い、「死ぬ」と言えば忌まわしいことだと思う世間常識へのとらわれに対して、一休さんは「人はみんな死ぬ」という真理をあざやかに対置してみせて、相手のとらわれを解き放ったのである。(もっとも、こんな色紙を書いて商人の気持ちを害さずに真理を説くことができたのは、一休さんぐらいの傑僧だからこそできたことであり、読者は軽々しくマネなさらぬように!)
 一休さんの歌には、下の句が「雨降らば降れ、風吹かば吹け」となっているものがある。通常、人は晴れればめでたいと考え、雨が降ったり風が吹いたりすれば忌まわしいと考える。しかし、本当は晴れの日ばかり続けば作物は水分を失って枯れてしまうし、風が吹いてこそ風媒花は実を結ぶことができる。「晴れがよいのと同様に雨が降るのもよいし、風が吹くのもよい」というのが真理なのである。
 日なたがあってこそ、布団が干せて、健康な生活が送れるのは確かだが、同時に、日陰があってこそ我々はおいしい椎茸〔しいたけ〕が食べられるのである。皮相的な世間常識に固執して人生をとらわれの眼で見ていると、こういう真理が、とかくわからなくなるものである。だからこそ、この世の中には宗教家というものが必要なのだ。
 ところがだ! 真如苑で「サァ、世間法へのとらわれを捨てて……」と言う場合には、けっして、いま述べたような意味での世間的価値観へのとらわれから解き放たれなさいと言っているのではない。
 それどころか、真如苑では、重要な行事の時に雨が降ったりすると、それが「信者の心の汚れの『りぶらい』(反映)である」として、信者全体に対して訓戒がなされ、とりわけ、その行事を担当した地域の霊能者に対しては、直後の苑内接心において「駆遣訶責〔くけんかしゃく〕」(叱ること)の「ご霊言」が下るというのだ!
 実際、昭和五十八年八月には、豪雨による河口湖の増水によって「水施餓鬼」が延期のやむなきに至ったが、この事件は「真如教徒全体の心の汚れが浄まっていないことのしるし」だと意味づけられ、信者全体に対して精神的締めつけを加える絶好の材料として使われた。
 さらに、昭和六十年三月の大阪精舎の大祭の際にも、「せっかくの教主様を迎えてのめでたい行事に雨が降った」として、関西地域の霊能者たちに対して、「駆遣訶責」が行われたという。
 つまり、世間的価値観を超えた自由闊達〔かったつ〕な視野を信者に与えるのではなく、むしろ、信者の世間的価値観そのものを大幅に増幅・強調した形で、教団の中でのあらゆる物事の意味づけにまで利用してゆくというのが、教団の基本的な態度なのだ。
 それでは「世間法を離れて如来法に生きろ」というのは何を指して言うのかといえば、結局それは、教団外の利害関係などを二の次にして、教団上層部から与えられる「教主様のみ心」とやらいうものに徹底的に服従しろということを言っているにすぎないのである。
[454]事情通 06/01/05 01:18 iT56loqtUO
ひと皮むけば天理教
 これまでの説明で、真如苑なる教団が、その虚仮〔こけ〕おどしの殺し文句の数々にもかかわらず、およそまともな仏教にはほど遠い一新興宗教にすぎないことは、明らかになったであろう。
 では、虚仮おどしのために使われている仏教的用語の薄皮を剥いでみた場合、この教団の説く教えの実質は、いったいどういう宗教の系譜に属しているのであろうか?
 それは、多くの読者がもうすでにお気付きのように、天理教である。
 「因縁」という語を脅迫的に用いて、その因縁を切るためにはわが教団の教えを他人に勧めるのがいちばんの近道だという形で、信者を布教に駆り立てる点が、まずもって天理教的である。導きの親子関係で教団を組織するネズミ講方式も、天理教に起源を有する。信者を身ぐるみ剥ぐほどの高額の寄付を求め、身ぐるみ剥がれた信者を教団専従者にして、逆に給与を与えてゆくことで報償するのも、天理教の方式である。「人をたすけて我が身がたすかる」というのは、一言一句たがわず天理教のスローガンである。
 総本部に参詣することを「親苑帰〔おやぞのがえ〕り」と表現しているのは、天理教の「おぢばがえり」を連想させる。真如苑が「常楽我浄〔じょうらくがじょう〕」という語にこめている現世利益的ニュアンスは、天理教の「陽気ぐらし」のひきうつしであると言ってよい。
 それもそのはず、伊藤の母親は熱心な天理教信者であり、伊藤自身、幼い頃、母親の命令で天理教の教会に貢ぎ物を届けに行ったりした体験を持っている。伊藤の教えが天理教にあやかったものになるのは、理の当然と言えよう。
 真如苑は自らを「新興宗教」と呼ばれることを嫌う。末端信者たちも「お救け」に際してしきりに「これは新興宗教じゃありませんよ」と言って相手の警戒心をほぐそうとする。「『大般涅槃経』に依拠しているのだから二千五百年の伝統を踏まえたれっきとした伝統仏教だ」と言いたいのである。しかし、その実態を見れば、「昭和十一年に始まった『家元宗教』が、ちょっとばかり仏教色のついた衣を着ている」としか評価のしようがない。
[455] 06/01/05 01:33 jd8asXNRrB
【似非密教教団・真如苑】
1「実践」重視の陥穽
「三つの歩み」:「歓喜」(=献金)「お救け」(=勧誘)「ご奉仕」(=無償労働)
→これら実践なしでは「向上」(教団内のステータスの上昇)できない。
 実践なしの場合、継親などから「歩め」「取り組め」と指摘される。

2(教義のみならず)「システムに関する隠避」−「密教だから話せない」の嘘−
→「伝統仏教だ」「いいお寺がある」「先祖供養」「お金がかからない」等の宣伝文句の問題
※「マルチに似ている構造」についても当然触れない。
 自分が勧誘した者がさらに勧誘に成功しないと自分が位階昇進できないから、
 経の縦系列の勧誘斡旋に拍車が掛る。費用もかさむ。

3「仏教からかけ離れた教義」
→「教祖崇拝」「真如霊界」「霊能」「霊言」「ぷるーふ」等のコアの部分には言及しない。


【位置づけと認識】
一般的な認識:真言宗醍醐派ないし成田不動系から派生した「新興宗教」

醍醐寺の認識:「真如三昧耶流」
       ※流派の一として位置づけ。苑=一宗とは見なさず、かつ
        自派と同等に「並び立つもの」とも見なさない。

苑の自己認識:真言密教を基盤とし涅槃経を所依とする伝統仏教教団
       東密(真言宗)・台密(天台宗)と並ぶ『真如密』
[456] 06/01/05 01:34 jd8asXNRrB
真言宗の法儀をベースにしつつ、昭和20年代後半から『涅槃経』を所依とし、真乗自作という
金色の涅槃像を本尊とする。信者は、真乗の夭折した長男・次男(「両童子」と称する※)、昭
和42年急死した苑主・友司らが「礎」となってつくられたとされる「真如霊界」からの「霊言」
を受ける「接心」という行を通じて修行をすすめ、教化や奉仕の実績を勘案されながら、教団内
の位階である「霊位」を上げていく。

 苑主・友司の没後の昭和44(1969)年、真乗の再婚をめぐり創始者一家で内紛が起き、三女が
自殺未遂を起こす等報道を巻き込んだスキャンダルに発展、長女・次女が教団から排斥された。
 平成元(1989)年、真乗が死去し、当初は真乗の遺言「定記」に沿って、三女・真聰(真砂子)
を「継主」、四女・真玲(志づ子)を「擁主」とした集団指導が採られたが、近年、三女が単独
で代表を務るようになり、現在に至る。

※没後、長男・智文(立教直後の昭和11年没。享年 3歳)は「教導院」、次男・友一(「まこ
 と教団事件」の渦中、昭和26年没。享年15歳)は「真導院」、妻・友司は「摂受院」、真乗
 は生前より「真如教主」「教主」と称され、また真乗・友司夫妻は「双親さま」と称され、
 それぞれ礼拝の対象となっている。
[457] 06/01/05 02:13 jd8asXNRrB
苑が「伝統仏教」「仏教」でないことの多角的検証(1)

1)「全日本仏教会」非加盟=少なくとも「非・伝統仏教」
  苑は非加盟の新興宗教。(詳細は既出につき省略)

2)伊藤一家崇拝の現状
 ・苑の各精舎には開祖夫妻の肖像、一家(含長男、次男)の胸像があり、それに対し
  礼拝しない信者はまず存在しない。また教義上礼拝の対象となっている。
 ・「朝夕のおつとめ」という勤行用の小冊子には、「南無真如教主」他、伊藤真乗一
  家を、釈尊や聖徳太子等の聖者と同等に列し、礼拝するための宝号(感謝文)が記
  載されている。(最近は、現存の継主まで「南無真如継主」と号し、拝させている)
 ・仏教寺院と称しながら、家族四名の命日を大きな法要日と定めている。
 ・苑の「接心」「霊言」は「真如霊界」にいる二人の子供が司っている、という説明
  が公式になされている。

3)「法流」(教えの正当性の主張)の問題
 苑では「釈尊−弘法大師・・・」という正統の法流を受継いでいると説明し、開祖・
 伊藤真乗が真言宗醍醐派の僧侶であった時に受けた血脈書がその根拠とされるが、こ
 れはあくまでも「真言宗醍醐派の僧としての伊藤真乗」に醍醐寺より与えられたもの
 で、 その後の新興宗教・真如苑の教義について正統性を保証するものでは全くない。
  (そんなことを言い出すと、過半の新興宗教が「正統」「正嫡」ということになる)

[458] 06/01/05 02:13 jd8asXNRrB
苑が「伝統仏教」「仏教」でないことの多角的検証(2)

4)「涅槃経最勝論」(涅槃経を最高、と主張する点)について
 少なくとも一般に入手できる仏教書では説かれていない論。「涅槃経」は確かに大乗
 諸経の教判上(仏教考古の観点からではなく)、最後の教えとされるが、それが即
 「遺言」=至上であるとは言えない。
 ちなみに、「涅槃経」には「この教えが最上」という主旨の記述はあるが、このよう
 なテキストは法華経・華厳経ほかの大乗諸経典にもしばしば見られるものである。

5)特殊な「霊界」「因縁」観
 釈尊は霊や(いわゆる)因縁についてはそれを方便として語ることはあっても、実在
 するか否かについては「無記」としたというのが一般的な理解である。
 苑の教義や実践では、簡単に「霊界」「因縁」を持出し過ぎる傾向があると思われる。
  (しかも、それら霊に関する事柄を「よい」方向に向けようと企図すれば、際限なく、
  細々した費用が累加していくという構造がつくられている)
[459] 06/01/05 02:16 jd8asXNRrB
●本尊
「常住釈迦如来涅槃像」第一精舎 「十一面観世音菩薩」第二精舎
「涅槃法身不動明王」真澄寺
・不動明王(=東密系)+十一面観音(=台密系)+涅槃像=真如密/三輪身満足

●涅槃経「一切衆生悉有仏性」→誰もが仏性を有し「霊能」を具えている
・「霊能」を開発し「霊位」を向上させることによって「常楽我浄」の境涯を顕す
・信徒の義務「三つの歩み」:「お救け」(=勧誘)「歓喜」(=財施)「奉仕」(=労働奉仕)

●「接心」
 信者が、教祖の長男・次男の霊と感応した「霊能者」と対座して霊能者が話す「霊言」を聞き、
 問題を解決したり 霊能を開発するというもの。
 教団では、「真乗の長男・智文(「教導院」)と二男・友一(「真導院」)は
  信徒の苦悩を代わりに受けて(→「抜苦代受」)早逝したもの」と教えており、
 信徒の病気が治ったり苦難から救済されるのはこの二人の働きによるものとして、
 「両童子様」と呼称し祀っている。

●「接心」修行の種類
 「向上接心」  自身の修行として月一回は必ず参加
 「相談接心」  霊告によってさまざまな悩みを解決するための指導を受けるもの
 「特別相談接心」相談接心を特別に行ってもらうもの
 「鑑定接心」  事業・縁談などを易で鑑定してもらうものである。

●「霊位」向上 → 各「霊位」※毎の「相承会座」に参加し「相承」を認定。
(※「大乗会」「歓喜会」「大歓喜会」「霊能会」の四段階)

【問題点】
▲安易な本尊・所依・「讃題」の変更
 ・不動明王 → 涅槃像 → 十一面観音(涅槃経には説かれず)
 ・南無真如一如・南無大般涅槃経 → 南無真如一如大般涅槃経(妻の意見で変更)
 ・涅槃経≠釈尊究極の教え(例)涅槃経菩薩品「秋収冬蔵してさらに所作なきがごとし」

▲「霊能」「接心」は外道

▲奇妙な「いんねん」(因縁)観と「抜苦代受」
[460]草太 06/01/05 03:19 p8QHUHlWQV
以前、霊能者のことを「お狐様」と言っていました。地霊系のカサノリ様って狐のことじゃありませんか。そして、天霊系の龍神様の七曜術は捨てている。結局、真如苑にあるのは地霊系のお狐さまの霊能だけ。
だから、真如苑の霊能者は狐に取り憑かれた霊媒師。そして真如苑は狐のお宿でしょう。
そして、真如苑は修験道だから、真如教徒は狐に取り憑かれた修験天狗になってしまった人々ということになります。
だから、フランナさんも狐に取り憑かれた修験天狗で、時代遅れで里に下りてきてもお話ならないからみんな相手をしないのです。
狐に取り憑かれていてはお話になりませんし、狐が仏教を語なんておかしいのです。仏教はただ人を欺くための天狗の隠れ蓑でしょう。
狐に取り憑かれて、江戸の昔にタイムスリップしてしまった修験天狗さんたちよ、いい加減に狐を追い払って現代に戻ってきませんか。

[461]草太 06/01/05 03:39 p8QHUHlWQV
諸法無我…すべてのもの我がものにあらず。自分の自由にできるもは何もない。だけど、自分の心は自分の自由になりそうだから、心の中の障害物を、自分心を縛り付けるものを取り除こう。

心の中に真如教主が現れたら、真如教主を槍で突き刺し刀で切れ。
いや、現代だから、死顔を見るのが嫌だったら、バスガー砲で木っ端微塵に吹き飛ばせ。
摂受院であれ、両童子であれ、継主で同じこと。
伊藤一家がイメージの中に現れたら、バスガー砲で木っ端微塵に吹き飛ばせ。
消して逃げずに、偶像の屍を越えて行け。
己を拘束する屍の向こうに自由が待っているのだから。

狐に取り憑かれた天狗たちも、イメージに現れたら、マシンガンで森の木の上から撃ち落とせ。
そして、天狗の森の精舎はトマホークで木っ端微塵にしてしまえ。
天狗の屍を越えて行け。
精舎の瓦礫を越えて行け。
天狗の屍の向こうに、精舎の瓦礫の向こうに、自由の天地が待っている。
天狗たちがイメージに現れたら殺せ。
[462]フランナ 06/01/05 06:48 QsPPe2Pc9n
>>443

ぽりんさんとぼりんさんがいるのですね?(書いてる今も見分けがつかない)

私のPC画面では見分けるのが至難です。違う人物なのですね?

失礼しました。
[463]偽の気配 06/01/05 07:16 Y4p7.ageZH
昨晩のうちにフランナは完全に化けの皮をはいだようですね

>私は高飛車ですよ。そういったでしょ。苑の良い子ちゃんぶるつもりはありません。

前にも同じようなことを行っていた輩がいました。
かの御仁は、[バカにはバカという主義です]だそうなので
はっきりいってあげましょう。

あなたは、真如苑という井戸の中でしか生きられない
姑息なひん曲がったかわずに過ぎず、
人をみては、バカだバカだということで、
おろかな自分を慰み、満足しているかわいそうな人です。
人との係わり合い方を知らず、
高飛車に出ていれば周りを圧倒し、説き伏せることができると思っている「大たわけ」です。
「大たわけ」もう一人いましたね、最近顔を出さなくなったHNの持ち主。貴方と同じあなのむじなですよ。
フランナ、貴方は、ここに来た目的を最初に自らかかげていましたね。
自ら明かした目的と、貴方がここで行っていることとはまるでかけ離れている。まるで真如苑のごとくに。
そろそろもとのHNをかたったらどうですか。もうばればれですよ。
本当に腐乱那になっていますよ。
ちかくにいる幽霊君と一緒に新しい板でもたてればいいでしょう?
結局あなたは答えられない人だということを露呈しているのですが
其れすら気づいていないのでしょうね。かわいそうに。
[464]フランナ 06/01/05 07:32 *xuStMLh8M/P*QsPPe2Pc9n
事情通さん  長々とご苦労さん

因縁宿業説に立った場合の先祖供養は「縁」の清めで教徒自身の業は3つの歩み、3業浄化等によって清めるという説明がなりたつ。

>>452
「霊界に詳しい人云々」の話は、何故無前提にその人の言い分が正しいのか…単に苑を攻撃するためでしょう。

中立性を欠く偏った言説は醜いという感想ですね。
[465]フランナ 06/01/05 07:41 *xuStMLh8M/P*QsPPe2Pc9n
事情通さん  長々とご苦労さん

苑では何でも悪霊、悪因縁ではなく唯識論もとってます。

自分でしらべてみて御覧なさい。
[466]フランナ 06/01/05 08:09 *xuStMLh8M/P*QsPPe2Pc9n
>>459 長々とご苦労さん

何が言いたいのかイマイチだけど要は

>【問題点】
▲安易な本尊・所依・「讃題」の変更
 ・不動明王 → 涅槃像 → 十一面観音(涅槃経には説かれず)
 ・南無真如一如・南無大般涅槃経 → 南無真如一如大般涅槃経(妻の意見で変更)
 ・涅槃経≠釈尊究極の教え(例)涅槃経菩薩品「秋収冬蔵してさらに所作なきがごとし」

>▲「霊能」「接心」は外道

>▲奇妙な「いんねん」(因縁)観と「抜苦代受」

の3点が問題点なのですね。

@いろんな寺を参拝して御覧なさい。それこそ苑以上に沢山の神仏をお祭りしてますよ。大日如来が本尊の真言宗でも不動尊を祭り護摩を焚きますな。

A根拠経典 大般涅槃経四相品第7の上「菩薩、摩訶薩、大涅槃に住すれば即ち能く種々無量の神通変化を示現す。是の故に名づけて大般涅槃という」とあり神通、変化、霊能、霊現現象を肯定している。

B宿業論による因縁説でも先祖の業(縁)を施餓鬼で清め(故に何度も修する)、自己の宿業は霊位向上を以って清めるという意味で矛盾しない。抜苦代受の否定は抜苦与楽の否定に同じ。


                  以上
[467]フランナ 06/01/05 08:10 *xuStMLh8M/P*QsPPe2Pc9n
>>463

私が誰と同一人物?

根拠あって言ってるんでしょうね?

まぁ、私は誰と同一視されようが構いませんが。

それにしても暇ですね。なおかつ必死ですね。多勢に無勢だというのに…
[468]フランナ 06/01/05 08:15 *xuStMLh8M/P*QsPPe2Pc9n
>>460

>以前、霊能者のことを「お狐様」と言っていました。地霊系のカサノリ様って狐のことじゃありませんか。


そうですか。無知ですね。

狐は笠法さまの眷属です。7狐の境涯あたりから勉強なさい。

>>461

このあたりからてんかんの発作でも起こしてるのかな?
お大事に。
[469]フランナ 06/01/05 08:20 *xuStMLh8M/P*QsPPe2Pc9n
>>459

あ、付け足します。涅槃経が最高の根拠は「名字功徳品第六」の「諸説の種々の妙法(法華経)、秘密深奥蔵門(華厳経)、悉くこの大涅槃に入る」と何度も聞いているでしょう。

日蓮氏も「涅槃経に曰く」を御書で連発しており涅槃経無しに法華経が説けなかったことが伺えます。

どの道、素晴しい経典であることは否定のしようがないですね。
[470]偽の気配 06/01/05 09:14 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
建設的な・・といっていた自らが、自画自賛モードでの書き込みですね。
癖って言うのは抜けないものですよ。フランナさん。
[471]偽の気配 06/01/05 09:15 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
467 多勢に無勢だというのに・・

言葉の意味を知らない蒙昧無知なのか、
はたまた知った上で使っていて、自らの本性を暴露したのか。

どんどん語ってくださいね、
真如苑のすばらしさなんたるかを。

[472]フランナ 06/01/05 09:43 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
偽の気配さん、貴方仕事してるんですか?

下らないクダ巻いてる暇があったら仕事に精をだしなさい。

給料泥棒といわれますよ。
[473]読者 06/01/05 10:26 /bWLEUekf.
どっちもどっちなような。(笑)
[474]読者 06/01/05 11:28 /bWLEUekf.
>偽の気配さん、貴方仕事してるんですか?
これあの信者さんも、最後に言っていましたね。「自宅療養中の批判者ばかり」だとか。そんなこと関係ないはず。
>伊藤は一切教の中から涅槃経を発見した。それだけです。
ウィキペディアには
中国の、天台大師智?(ちぎ、538年 - 597年)が、一切教を五時八教に分け、最澄が日本に紹介した。
これを日蓮が採用し、法華経が最高の教えであるという根拠とした。この五時八教説以外にも種々の教相判釈説がある。
しかし、今日では、経典の成立した年代が、ある程度特定され、
大乗経典などは、釈尊の直説とは呼べず後代の作(大乗非仏説)であることは明白であって、
五時八教説は否定されている。
だが、当時は経典はすべて釈迦の説いた教えと信じられていたため、教相判釈による以外に方法は無かったともいえる。

と載っていますが、「一切教」って全部のお経ということでしょうか。
全部のお経の中にも、偽物と本物があるようで、それを信者さんは考えないのでは?
[475]講釈師 06/01/05 11:58 YVMfGbYlRU
>>346
> 現実に整体師や霊媒師が患者、または相談者の持ってきたものを受ける事> 例を無学なアナタ方は知らないのでしょう。

>>414
> 昭和11年6月9日に教導院が霊界開拓に旅立ってます。百ヶ日法要に摂> 受院に感応した話もしらないのですか?
> それ以降、信者に奇跡が起こり霊言も出るようになったのです。

フランナさんは奇跡信仰、ご利益信仰ですか。
世間ではそれを「あっち系の人」と呼びます。
奇跡などを信ぜずに、早くご病気を治して下さい。
[476]黒蜥蜴 06/01/05 12:34 u7GuCJIlaR
新興宗教は、既存宗教に比べ、信者を増加(=お布施)させないと
教団が運営できませんから、教えに、もっともらしい「ご利益新興を」組み込む必要があった訳です。

真如苑では、「両童子偶像崇拝」「抜苦代受」「霊能の接心」
「易のびょうぜい霊」「真如霊界」などでした。

これに、東密を名乗れないから、真如密などをでっち上げいかにも
仏教で有るかのように装い、世間を欺いたのですから。確信犯です。

それにしても、伊藤苑には、女子供多いこと。教えに矛盾があっ
ても、仏教を装う新興宗教でも、女子供にはこんなもんで、いいか
と騙されやすいからね。

[477]嘘嫌い 06/01/05 12:49 *MWKO1fWq8lc*E-w2W3r
フランナ氏は?はけん、かな?たぬきのシッポつかんだぞ
[478]偽の気配 06/01/05 13:14 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
読者さん、勘違いのようでした。m(--)m
[479]黒蜥蜴 06/01/05 13:17 u7GuCJIlaR
真如苑の18番!

真言宗醍醐派は、高野山真言宗の他に古義・新義合わせて8派ある
うちの一派に過ぎません。真如苑は、「醍醐寺から正式に受けた」
と得意満面ですが、真言宗全体から見れば、余流の一つでしかあり
ません。

ましてや「真如密」などは、論外です。(苦笑!

真言宗全体で、まるで相手にされていない存在・・それが真如苑です。
このように、真如苑は自分たちを「真言密教である」等々吹聴していますが、実は、
真言宗の教義からも大きく逸脱した、まったく異質な存在なのです。
[480]偽の気配 06/01/05 13:18 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
>伊藤は一切教の中から涅槃経を発見した。

まさしくその瞬間に、伊藤は喜び小躍りしたことでしょうね。
都合のいいものも出てきたものだと。

フランナ、どうぞご心配なく。
きちんと成果をあげております。


[481]フランナ 06/01/05 14:03 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
>>474

>と載っていますが、「一切教」って全部のお経ということでしょうか。
>全部のお経の中にも、偽物と本物があるようで、それを信者さんは考えないのでは?

信者が一切教を読むわけないでしょう。全部漢文のうえ何冊あると思ってるんですか?

伊藤が大般涅槃経を探し当て、それを処依として東蜜のままでは説けなかった部分まで説けるようになったのです。

真如苑では3度のご伝授で密教の秘儀を授かりますがこれも伊藤だから出来たことです。


[482]フランナ 06/01/05 14:06 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
>>475

>> 昭和11年6月9日に教導院が霊界開拓に旅立ってます。百ヶ日法要に摂> 受院に感応した話もしらないのですか?
>> それ以降、信者に奇跡が起こり霊言も出るようになったのです。

>フランナさんは奇跡信仰、ご利益信仰ですか。
>世間ではそれを「あっち系の人」と呼びます。
>奇跡などを信ぜずに、早くご病気を治して下さい。

特定の単語、ないし文章だけを取り出し全く違うテクストにしてしまう情報操作の手法ですな。

貴方はどこかの政治団体の広報部の方?
[483]講釈師 06/01/05 14:08 rTPHxrnMnk
フランナ様

ひょっとしたら、貴方はやんわりと苑から「出入り禁止」を食らったのですか?。
[484]フランナ 06/01/05 14:13 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
>黒蜥蜴

よく私に「自分の言葉で答えよ」等という輩がいたけれど、貴方のは全部、どっかのHPとか本からのパクリだね。

何の為に頭がついてるのやら。

ところで貴方が問題にしている「お金がかかる体質」。これどうやって出来上がってきたか知ってるの?

立川不動尊時代は護摩も施餓鬼も接心もタダ。布施もダイコンやらごぼうで心ばかりのものを捧げればよかった。

それが今ではお金がかかる信仰となってしまった(本当はかけなくても出来るんだけどね)。何故でしょう?

ついでに私のHN「フランナ」って誰だかしってる?
[485]黒蜥蜴 06/01/05 14:21 u7GuCJIlaR
>>484
初めは、真っ当な新興宗教を目指していたが、信者が増加し
組織が大きくなって行くと、組織内で権力争いが起こります。

また、人間の煩悩が首をもたげ、(性欲、金欲、名誉欲 等)
て高慢になってしまうのです。
[486]黒蜥蜴 06/01/05 14:22 u7GuCJIlaR
ふらんな = ソネット
[487]フランナ 06/01/05 14:26 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
>初めは、真っ当な新興宗教を目指していたが、信者が増加し
組織が大きくなって行くと、組織内で権力争いが起こります。

>また、人間の煩悩が首をもたげ、(性欲、金欲、名誉欲 等)
て高慢になってしまうのです。

0点だね。頭悪すぎ。やっぱコピペ専門職人やってなさい。


[488]講釈師 06/01/05 14:27 rTPHxrnMnk
フランナ = かつカレーの旨い洋食屋さん
[489]フランナ 06/01/05 14:29 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
>フランナ = かつカレーの旨い洋食屋さん

正解!
[490]黒蜥蜴 06/01/05 14:32 u7GuCJIlaR
ます、真言宗系なのに、なぜ涅槃経を使うのでしょうか?
普通、真言密教大といえば大日経・金剛頂経等の真言密教経典です。

真言宗と涅槃経ってどのような関係があるのですか?
まこと教団の頃は、涅槃経は使ってなかったのに・・・・・・。

それと、何故、お釈迦様の涅槃像を祀ってるのか・・・・・・。
真言宗は、大日如来の宗派であり、お釈迦様は「迷いの位」の
「大日如来の草履取りにも劣る」存在ですね?
真言宗が寝釈迦像を祀っていいのでしょうかね?

苑が鬼の首掻き取ったかのように豪語する、「醍醐寺」からもらったと系譜。
久遠常住釈迦牟尼如来→法身大日如来→普賢菩薩→龍猛→龍智
→金剛智→不空→恵果→空海→聖宝理源大使→佐伯恵眼→伊藤
真乗→伊藤真聡

ここで、大日如来の前に「釈迦牟尼如来」があるけど、おかしいとは思いませんか?

そもそも、真言宗で言う「付法の八祖」には、久遠常住釈迦牟尼
如来は存在していなし、トップは大日如来ですね。
大日如来の次が普賢菩薩もおかしいですね。普通は、金剛菩薩です。
なんでもあり、系譜ですね。

何回でも書きますが、「醍醐派」とは、高野山の他に古義・新義合
わせて8派あるうちの一つにすぎない代物。
このような系譜は、真言宗全体ではまるで相手にされないですねえ。
「真如密」なんてのも当然、他派では「論外」ですよねえ。

「伊藤苑は真言密教です!」と言われてもねえ・・・。(苦笑!
[491]和音 06/01/05 14:45 wVkbRjjfOC
>>379
フランナさま
ご忠告ありがとうございます。本来でしたら喜んで苑からは遠く離れさせていただきます。
しかし残念ながら夫を置いて行く訳にはいきませんから。
[492]フランナ 06/01/05 14:54 QsPPe2Pc9n
>>490

アンタ真言密教が仏教そのものだという立場?

天台宗は仏教じゃないのかい?

浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、臨済宗…これらは仏教ではない?
[493]フランナ 06/01/05 14:55 QsPPe2Pc9n
>>491

ならば夫以上に精進して夫を導ける立場に行くしかないですね。
頑張ってください。
[494]和音 06/01/05 15:09 wVkbRjjfOC
>>493
私が壊れた器と言ったのはフランナさまですが、
頑張っても無駄じゃないですか?
[495]草太 06/01/05 15:14 p8QHUHlWQV
フランナ(腐乱菜)。
腐った菜っ葉さんは敬虔な真如教徒じゃないですな。仏教徒でもない。真如教徒ならば仏教の知識は振り回さない。
ただ、中途半端で表面的な知識を持っているだけの、ネット依存症の人間だ。そんなの、前にもいた。単なるネット依存症が重症患者だ。馬鹿馬鹿しくて見ていられない。
どこかの板で、活発に活動していたスレ主留守しているけれど、まさかそこのスレ主じゃないでよね。
とにかく、あなたの言葉を借りれば、こんなことしていると人格がさらにねじ曲がるよ。
瞑想でもしたらどうかね。
そしてね。魔物を殺していくのも瞑想だよ。禅も同じこと。
フランナの中の魔物を殺せよ。
[496]草太 06/01/05 15:20 p8QHUHlWQV
フランナさん。
もし真如教徒だったら「南無真如一如大般涅槃経」と参題(題目)でも唱えてなさいな。そうした魔物を殺せるかも知れないよ。
題目も瞑想状態に入れるそうだよ。
それもできないでしょう。
[497]フランナ 06/01/05 15:26 QsPPe2Pc9n
>>494

>私が壊れた器と言ったのはフランナさまですが、
>頑張っても無駄じゃないですか?

センダイでも救われる教えですから、実践してみればわかりますよ。

貴方の夫は危篤な方のようで自らの目で確かめようと精進なさっている。そういう態度ならばいずれ解るでしょう。

貴女は最初から蓋をしている感じがします。

自らの目で体で見極めたらどうですか?
[498]フランナ 06/01/05 15:26 QsPPe2Pc9n
>>496

>もし真如教徒だったら「南無真如一如大般涅槃経」と参題(題目)でも唱えてなさいな。そうした魔物を殺せるかも知れないよ。


そうかもね。ありがとう。
[499]和音 06/01/05 15:33 wVkbRjjfOC
>貴方の夫は危篤な方
この変換ミスはいただけませんが・・・・。

もとよりそのつもりです。
[500] 06/01/05 16:11 *5zfsf3jH.ot*TV8/KTClxy

<362> 事情通さま
いつも的確な指摘をして頂きまして、ありがとうございます。
事情通さまと同様に、生産的な議論がなされることを望んでいます。

<244>で私が述べました素朴な疑問にはやはり真っ当な答えがないみたいですね。苑ではどのように教えているのか、興味がありました。もし皆さんのなかで、私の疑問に対して苑で教えられたことがありましたら、答えていただければと思います。「因縁」論を振りかざす、心の狭さ・人間としての品位の欠如・「私個人」を超えた想像力の無さ・当事者に対する失礼さなど、苑的物語を完結させるには失ってはいけないものがあるように思えます。
[501]草太 06/01/05 16:19 p8QHUHlWQV
フランナさん。
他人に不和大同することなく、一人自己の信じる道のためにそれを誹謗するものと立ち向かったことには敬意を称します。逞しいです。
フランナさんは、誰に誹謗されようとも、フランナさんの信じる道を真っ直ぐに進めばいいのだと思います。
誰しもが経験することですが、ただ、くれぐれも、多くの人に責めたれられて自分を失わないようにして下さい。人の心を自由にすることはできないのだから…。
釈尊も、

戦場へ千回も出撃し、百万の軍隊にうち勝つよりも、ひとりおのれに勝つ者こそ真の勇者だと言っています。

難しいことですが、無益な争いは止めましょう。

[502]白うさぎ 06/01/05 16:34 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
フランナさま
また、質問させていただきます。
教主様はまず、醍醐寺で真言密教をおさめられましたよね。
密教とは、そもそも大乗仏教の流れから出来た、新しい教えの流れだと私は理解しているのですが、まずそこはOKでしょうか?
大乗仏教よりも、密教が時代的には後に成立したということですね。

密教は秘密の教えだから、一般の人には説けない。
そこで、大般涅槃経のもとでなら、説きあかせるという事で、教主様は大般涅槃経を真如苑の教え
の中心にされたと教わった気がします。

密教では、法身大日如来によって説かれ、密教以外は、顕教とされ、顕教は法身大日如来の変化身
である釈迦如来によって説かれた教えです。
(「密教入門」より)と説明されています。

そもそも密教は、大乗仏教と違った立場から説かれた教えだとすると、何故密教よりも前に成立した大般涅槃経に逆戻りされたのでしょう?
矛盾しないのでしょうか?
密教の立場から見ると、大般涅槃経の内容というのは、顕教になるのではないのでしょうか?

また、密教の第一祖とされる龍猛は、釈尊が入滅されてから、800年後に生まれておられるようですが、釈尊と龍猛との間に血脈としての繋がりはないように、「密教入門」には書かれているのですが、
どう理解したらいいのでしょうか?
大日如来→金剛さった(漢字にすると文字化けしました)→龍猛→
という流れが、一般常識の様に思いますが、真如苑の相承図は、特殊ですね。
[490]にも、同じ質問がありますので、お答えをいただきたいです。

私は、この板に来るまで、大般涅槃経が最後の教えで、密教の経典はそれ以前に成立していたものと間違って思い込んでいました
[503]偽の気配 06/01/05 17:05 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
フランナ、大活躍ですね。
苑ではきっと「ヨシヨシ良い子だ♪」なんて、
おほめのことばをいただけるのではないですか。
盲信している人たちが読めば、「よく言ったフランナ!」なんて
もりあがっているのでしょう。

同じように、苑の教義がおかしい、という風に考えている者にとっても
あなたの書き込みは、とても素晴らしいですよ。
なにより、苑信者がどう考えるのか、
その典型パターンを見せてくれていますから。

苑の教えを信じないものに対してどのような態度で接するのか、
苑をやめるといった時に、苑がどのような形で圧力をかけるのか、
精神的にしばりをかけるのか、などということを
ものの見事にかきあらわしていらっしゃる。

なかなか博識でもいらっしゃるようですしね。

惜しむらくは、
それだけのエネルギーをなぜもっとまっとうなことにそそがなかったか、ですが、それはあなたの勝手ですからね。
もったいないことをしているな、とは思いますが
それでどうなろうと知ったことではありません。

もっと可能性のある人の芽を苑が踏みにじっていかないようにするためにも、
がんばって、
もっともっと苑の考え方をつまびらかにしていってください。
期待していますよ。

[504]読者 06/01/05 17:13 /bWLEUekf.
偽さん。そして皆さん。あまり煽らないで欲しいです。
内容ではなく、
一読者としては、[502]白うさぎさんのような書き込みを望みます。
白うさぎさんいつもありがとうございます。
[505]草太 06/01/05 17:31 p8QHUHlWQV
偽の気配さん。
真如苑とまともに向き合うって大変なんですよね。そりゃまあ大変だ。
常識が通じないからきれい事では済まされない。
戦う気配さんらしいと思いますよ。
[506]PAKURI 06/01/05 17:55 jd8asXNRVW
他の設問を列記します。
@ 苑徒の人間は謙譲語を知らない。話し相手を敬う日本語が出来ない。
A プルーフとは何ですか。どういう意味ですか。どこの国の言語ですか。
B「朝夕のおつとめ」における聖訓、あなたはこの出典をご存知ですか。
なぜ出典を知ろうと努力しないのですか。
C 大宇の創源・真如霊界とはどういう事ですか。
D 教祖さまが、あらゆる病原菌と会話して和合したので、3つの歩みを行えば、
難病奇病でも治る。 これは全くデタラメですか、それとも信じているのですか。
E 勧誘すれば徳が上がる新興宗教以外の仏教があれば、教えて下さい。
F 境内掃除をすれば徳が上がると言う仏教があれば、教えて下さい。
G 苑独自の用語では 「 徳が上がる 」とはどういう事ですか。
霊能者に一歩近ずく得点のことですか。
H 安息日とは何ですか。 労働奉仕に駆り出す日ですか。
I 本当に悪い因縁と言うものが存在するのですか。
存在するのであれば、施餓鬼供養をすれば本当に切れるのですか。
どちらか一方でも偽ならば、脅されているだけ( 損害賠償も可 )。
J 在家仏教である、というのを言い訳にして、占いを「 修行 」と言い替えて、
正月の暖かい部屋の中での集会を「 寒修行 」と言い換えています。
こういうのを「 修行 」と言い換えるのは,在家だから言ってもとあまりにも
お手軽すぎます。
[507]読者 06/01/05 18:02 /bWLEUekf.
506は今のお話が一段落してから書き込んで欲しいと思います。
[508]PAKURI 06/01/05 18:05 jd8asXNRVW
苑および他の新興宗教のいう霊界(真如霊界)の実在は、人には分
かりませんから、世間では自称教祖の宗教感による妄想の産物にす
ぎません。

この世界は、教義で信者の精神世界を縛った上、金、労働を要求
して、人の心を蝕み続けます。信者からは当然のごとく、その家族
の人生をも奪う新興宗教は、自己満足以外なんら得るものなく、
世間からは、害悪とさえ言われます。
[509]苑徒 06/01/05 18:27 *yTuPva6wzPi*D-QidQh
フランナ様
善意が悪意になることもあります。
ウィキペディアの記述が苑を誤解させることもあります。
あなたの発言も然りです。深きを知らずして…とも言う。
不験不知、やらねばわからぬ。雑魚相手に戯論無用。
[510]草太 06/01/05 18:31 p8QHUHlWQV
読者さん。
信者の反感を一番煽っているのは、心理的に考えて「毒吐きスレ」だと思います。あの針のむしろが信者たちの反感を煽る。だから、そこメンバーが攻撃される。しかし、煽らないとダメさ加減が見えてこないということもあって、煽ってもいいのだと思いますし、あの板の価値はある。ただ、魔女狩りはいただけませんがね。
[511]草太 06/01/05 18:57 p8QHUHlWQV
苑徒さん。カッコつけるから天狗になっちゃうのですよ。
私も雑魚ですが、あなたも雑魚。自分を見つめて下さいな。
[512]白うさぎ 06/01/05 19:23 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
あらら、また同じ展開に。
「けろんかんぷう」が登場しました。
また、質問にお答えいただけないのでしょうか?
根拠のない誹謗・中傷と言われるのであれば、質問に答えていただかない限り、答えられずにお逃げになったと、理解しますが・・・。

草太さま
毒吐きはできれば、会員制のような限られたメンバーだけが、毒を吐く場の方が良いのかもしれません。
信じておられる方の目に触れない場でするのが、フェアなのかもしれません。
私も、教えを信じている身なら、あの板に書かれている事については、同じように、攻撃したいと思ったでしょう。

良い智慧があれば、提案していただければ、ありがたいです。
[513]草太 06/01/05 19:33 p8QHUHlWQV
白うさぎ様。
信者の目にふれないと意味がないので今のままでいいと思います。
あのちくりちくりはとっても効き目がある。
ただ、荒らしは当たり前と覚悟をして、対応力を養えばいいのではないのでしょうか。
あのスレは、世の中にとって意味のあることだと思っています。めげずに進めていってほしいと思っています。


[514]pakuruna 06/01/05 19:34 rTPHxrnMbv
>>509
苑徒さま
かの御仁は「私はスーパーエリートだ。」と錯覚している人物です。
社会でも苑でも「なぜ、私を認めてくれないのだ。」と叫んでます。
「あなた程度の秀才は、世の中にはゴマンといる。それが世間。」というのが理解できないのです。

ここならば「私の偉大さが発揮できる」と思って書き込んでいるのでしょう。
[515]フランナ 06/01/05 19:55 QsPPe2Pc9n
>>502 白うさぎさま

あらかじめ私の私見であることを断った上でお答え致します。

>大乗仏教よりも、密教が時代的には後に成立したということですね。

後に空海によって大成される純蜜は7世紀の成立とされており、中心となる大日経は華厳経の説を受けているとされ、金剛頂経は梵本が現存しない主に方等から般若部に属する経典のエッセンスを取ったという説があります。

以上の事からおおよそ密教(純蜜)の成立は7世紀当たりにルーツを求めることは妥当と思われます。

>密教は秘密の教えだから、一般の人には説けない。
そこで、大般涅槃経のもとでなら、説きあかせるという事で、教主様は大般涅槃経を真如苑の教えの中心にされたと教わった気がします。

その通りだと思います。

>密教では、法身大日如来によって説かれ、密教以外は、顕教とされ、顕教は法身大日如来の変化身である釈迦如来によって説かれた教えです。

それが天台密教の教義ですね。真言密教では釈迦は大日如来の化身ではありません。

しかし、どの道、その大日如来という歴史上存在しない人物(仏)の存在(華厳経のビル遮那仏)をはじめて説いたのはお釈迦様です。


>そもそも密教は、大乗仏教と違った立場から説かれた教えだとすると、何故密教よりも前に成立した大般涅槃経に逆戻りされたのでしょう?
>矛盾しないのでしょうか?
>密教の立場から見ると、大般涅槃経の内容というのは、顕教になるのではないのでしょうか?

大乗仏教=広く大衆に説く(顕教)と密教の立場は確かに矛盾します。それで伊藤 真乗は悩んだのです。

そこでこれは私の推測ですが「涅槃経名字功徳品第六」の一説に「諸説の種々の妙法(法華経)、秘密深蔵門(華厳経的密教要素のあるもの)悉く皆、此の大涅槃に入る」とあります。

私は出家して密教を修めてないので詳しくは解りませんが華厳経の影響が強い大日経と般若部の影響が強い金剛頂経のエッセンスは涅槃経を通してなら解けるという事だと思います。

長くなるのでここまでを前半とします。


[516]フランナ 06/01/05 20:03 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>502 白うさぎさま 続き

>また、密教の第一祖とされる龍猛は、釈尊が入滅されてから、800年後に生まれておられるようですが、釈尊と龍猛との間に血脈としての繋がりはないように、「密教入門」には書かれているのですが、
どう理解したらいいのでしょうか?

密教では法身大日如来→金剛サッタ→龍猛という流れで龍猛が第一祖になっておりそれからの血脈です。それを

久遠常住釈迦牟尼如来→法身大日如来→金剛サッタ→龍猛とするのは先に述べたとおり、この世でビル遮那佛の存在を説かれたのが釈尊故に釈尊からの流れとなっていると考えられます。

>私は、この板に来るまで、大般涅槃経が最後の教えで、密教の経典はそれ以前に成立していたものと間違って思い込んでいました


密教経典自体は後世の成立と言われてますがエッセンスは仏説からとっており、多少、バラモン教等のエッセンスも入っているといわれます。第一祖 龍猛も若い時にバラモン教を学んだといわれています。

[517]フランナ 06/01/05 20:19 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>506

バカバカしいので簡単にいきます。

>@ 苑徒の人間は謙譲語を知らない。話し相手を敬う日本語が出来ない。

そんな事はありません。それはアナタ自身のことです。

>A プルーフとは何ですか。どういう意味ですか。どこの国の言語ですか。

「プルーフ=証明(英語)」です。中学校は行きましたか?苑では体験談の事をプルーフと言います。

>B「朝夕のおつとめ」における聖訓、あなたはこの出典をご存知ですか。なぜ出典を知ろうと努力しないのですか。

密教の「月面間(ガチメンカン)」です。出典をしろうとしないのはアナタです。

>C 大宇の創源・真如霊界とはどういう事ですか。

そういう世界の事です。

>D 教祖さまが、あらゆる病原菌と会話して和合したので、3つの歩みを行えば、難病奇病でも治る。 これは全くデタラメですか、それとも信じているのですか。

ご自分で入信して確かめなさい。

>E 勧誘すれば徳が上がる新興宗教以外の仏教があれば、教えて下さい。

真如苑では徳は「上がる」ものではなく「積む」ものです。また、どのような宗教も済世利人を目指す限り勧誘は推奨されます。

>F 境内掃除をすれば徳が上がると言う仏教があれば、教えて下さい。

大般涅槃経高貴徳王菩薩品第二十二を熟読なさい。

>G 苑独自の用語では 「 徳が上がる 」とはどういう事ですか。
霊能者に一歩近ずく得点のことですか。

苑では特は「積む」ものです。上がるのは「霊位」。得点などはありません。

>H 安息日とは何ですか。 労働奉仕に駆り出す日ですか。

そんなものはありません。あるのは「苑休日」で家族団らんをしなさいという日です。

>I 本当に悪い因縁と言うものが存在するのですか。
>存在するのであれば、施餓鬼供養をすれば本当に切れるのですか。
どちらか一方でも偽ならば、脅されているだけ( 損害賠償も可 )。

存在します。施餓鬼さえすれば切れるというものではありませんが、施餓鬼は重要です。

>J 在家仏教である、というのを言い訳にして、占いを「 修行 」と言い替えて、正月の暖かい部屋の中での集会を「 寒修行 」と言い換えています。

苑に占いはありません。寒修行は教主の徳のおかげでぬくぬくと修行できます。


>こういうのを「 修行 」と言い換えるのは,在家だから言ってもとあまりにもお手軽すぎます。

下らない感想ですね。だったらアナタは百度百杯の氷水を被って修行なさい。

[518]白うさぎ 06/01/05 20:22 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
お答えありがとうございました。

フランナさま
次々質問して申し訳ないのですが、昨日質問しました件ですが、
大乗の大般涅槃経(昨日のお返事のように複数あるのは理解しています)に説かれている
内容は、釈尊自身が説かれたものではなく、後の世の大乗の流れを作られた誰かが釈尊
の説かれた教えをもとに、創作したと書かれている文献にしか、私は現在のところ、出会えていません。
私は在苑中は、教主さまのご親教や、内外時報から「大般涅槃経は、釈尊が最後に遺された教え」というふうに、理解していました。
しかし、この板に来てどうもそういう考えは、常識的ではないという指摘を受けました。

教主様は信仰の対象として、大般涅槃経を最初に説かれた方だと教わりました。

仏教学者の中で、大乗の大般涅槃経に書かれた内容が、釈尊の説かれたものに、間違いないと主張しておられる方は、いらっしゃるのでしょうか?
もし、おられましたら、その方の書かれた文献を読みたいと思いますので、ご紹介いただけないでしょうか?

フランナさまご自身は、釈尊は、小乗と大乗の両方の教えを説かれたと理解されておられるのでしょうか?
[519]事情通 06/01/05 20:23 iT56loqtUO
第三部 水ぶくれ真如苑の泣きどころ
  第二章 肥りすぎた拝み屋の悲劇

真如苑進化論(序説部分)
 これまで真如苑なる団体が、いかに悪辣〔あくらつ〕なやり方で組織拡大や金集めをはかる団体であるか、「仏教」と称する表看板がいかに虚仮〔こけ〕おどしであるかを明らかにした。
 しかし、たんに「これこれこういう悪辣な教団がある」ということを指摘しただけでは、世の中に対する警告の書としては、役目を半分果たしたことにしかならない。
 およそ、最初から悪と意識しながら敢えてやろうとしたものだけが悪なのなら、悪は世の中にとってそれほど空恐ろしいものではない。むしろ、西洋の諺〔ことわざ〕に「地獄へ通じる道は善意という敷石で敷きつめられている」と言うように、主観的には最初は善意でやりはじめたことが、組織の必然や、のっぴきならぬ成り行きなどによって、意図せざる方向に実を結んでゆくことが多いからこそ、世の中のさまざまな事象について、深い分析に基づいた警告が必要になるのである。今、同じ道を出発しようとしている人々が、将来、前車の轍〔てつ〕を履〔ふ〕まないために……。
 私は、真如苑も最初は善意から出発したものだと考えている。それがどうして今見るような人間奴隷化の奸智〔かんち〕のかたまりのようなものになってしまったのか? このメカニズムを解明することこそ、警告の書としての本書が果たすべき、第二の任務である。
 私は、このメカニズムを、端的に一言で言うならば「肥〔ふと〕りすぎた拝み屋の悲劇」であると思う。
 概して宗教団体というものは、自らの歴史を「変質の過程」とは認めたがらない。教団発足時の精神が脈々と続いて今日に至っているのだと主張したがる。こうした主張を正当化するため、後になってからできた新しい教義を過去に投影して、立教当初から現在と同じ教義で教団が運営されていたかのように見せかけることぐらいは、朝飯前でやってのける。
 真如苑もご多分に漏れず、こうした「遡及〔そきゅう〕的な訂正」をしばしばやっているようであり、客観的分析を志す我々は、こうした「訂正」の部分をいかに割り引いて真実を探り出すかで、苦労させられる。
 ただ、幸いなことに、真如苑という教団は教理・教学に弱い連中の集まりであるため、信者必携小冊子『一如の道』は、一貫した教理に基づいて書きおろされているのではなく、教団の歴史上のさまざまな時点で機関誌に書かれた記事の寄せ集めを主体にして編集されている。このため、これを注意深く分析してゆくと、教団の変遷の歴史が多少は解明できる。
 これから、主として『一如の道』の解読に基づいて、私なりに真如苑の変質の歴史を探ってみよう。
[520]事情通 06/01/05 20:24 iT56loqtUO
真如苑進化論@拝み屋時代(昭和七年〜昭和十三年)
 世に多く存在する「ネズミ講型教団」は、いずれも共通した特徴を備えている。それを一言で言うと、たいして深い教理・教学がなく、「何はともあれこの教団に人を誘い込むことがあなたの修行になります」という形の経験主義的な教えばかりが幅をきかせている、ということである。こうした「教え」は、巷〔ちまた〕によくある「拝み屋」が、依頼心一辺倒の顧客たちを少しは宗教心のある人間へと育ててゆこうとする際に、やむをえず採用する方便が、そのまま固定されてしまうところから生じるものである。
 真如苑というネズミ講型教団も、ご多分に漏れず、出発点においては、教理・教学なしの、たんなる拝み屋であった。
 真如苑自身は昭和十一年二月をもって立教の時期としているが、伊藤文明〔ふみあき〕(後の真乗)が運勢判断によって帰依者〔きえしゃ〕を集めていたのは昭和七年頃からであった。友司〔ともじ〕夫人が霊能を開き、伊藤が宗教に専念するようになった昭和十一年を経て、真澄寺〔しんちょうじ〕を開く昭和十三年十月までの期間を、一応ひとくくりにして「真如苑の拝み屋時代」と名付けるのが適切であるように思われる。
 いずれの教団の場合でも、「拝み屋時代」の特色は教祖の下に集まる者が比較的流動的で、まだ、ひとつの教団の信徒としての自覚が希薄であり、一回一回の相談ごとに訪れる顧客という性格を脱していない、という点である。
 当時の「立照閣〔りっしょうかく〕」も、どうやらこうした性格の「よく当たる拝み屋さんのお家〔うち〕」であったらしい。現在の真如苑の教化用ビデオの中でも、「教主様が立教なさった当初は、お百姓さんが雨が降りますようにと祈祷をお願いに来る一方、氷屋さんが日照りになりますようにと祈祷をお願いに来るといったありさまでした」と、当時の状態が紹介されている。
[521]事情通 06/01/05 20:27 iT56loqtUO
真如苑進化論A信者寺時代(昭和十三年〜昭和三十年)(1)
 「人助けはしたいが、こうした依頼心の強い人々の身勝手な願いごとに一々応じていたのでは真の人助けにならない」というのが、拝み屋的教祖の共通の悩みである。この状態からの脱却の道を求めて、一部の教祖は信者を積極的に「教化」しようと考えるようになる。こうして教祖は「宗教家」へと成長する。
 ところで、拝み屋めいた民間の修行者が宗教団体を作ってゆく場合、二つの方式が考えられる。一つは、最初から一つの新宗教として出発する方式。もう一つは、既成宗教の庇〔ひさし〕を借りる形で、「末寺」とか「教会」とかいう資格をもらって活動する方式。
 前に触れた瀬戸内晴美さんの修行仲間の場合がそうであるが、およそ、天台系、真言系、日蓮系、奈良仏教系などの密教的諸宗派では、明治維新以前からの「檀家寺」とは別に、霊感術師のような人が比較的新しく起こした団体に認証を与えて、宗派の末寺として包摂している例を多く持っている。そうした寺院は「檀家寺〔だんかでら〕」と区別して「信者寺〔しんじゃでら〕」とか「祈祷寺院〔きとうじいん〕」とか呼ばれている。それらのうち、規模の大きなものになると、自己専属の末寺をいくつか持ち、ある程度本山的な性格を備えるに至っているものもある。私の知っている例では徳島県牟岐〔むぎ〕にある正観寺〔しょうかんじ〕というお寺(奈良仏教系の華厳〔けごん〕宗に属する)などが、そういうものの例である。
 この種の寺院が信者指導に用いている教えの大部分は、開祖が修行遍歴時代に身につけた雑多な民間信仰や経験的知恵を基にしたもので、本山の教学とはつながりの薄いものである。しかし、浄土真宗や日蓮正宗を例外として、日本の大宗派の本山というのは、末寺が民衆の教化に何を用いるかはさして気にかけない寛容なところがあるから、巷〔ちまた〕の霊感術師的な人にとっては、そうした伝統的宗派の庇を借りることは、「寄らば大樹の陰」で、けっこう居心地がよいのである。
 伊藤の「立川不動尊教会・真澄寺」も、こうした「信者寺」として発足した・
 この「信者寺」の発足から、戦争や「法難」事件を経て、組織上の大改革が行われる昭和三十年までを、一括して真如苑の第二期ととらえ、「信者寺時代」と呼ぶのがふさわしいように思われる。
[522]フランナ 06/01/05 20:27 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>509

苑徒さんのおっしゃることはわかりますが正法誹謗の罪を作らせないためです。
[523]事情通 06/01/05 20:28 iT56loqtUO
真如苑進化論A信者寺時代(昭和十三年〜昭和三十年)(2)
 この時期の前半の昭和二十年までは、伊藤の教団は文字通りの「信者寺」であり、真言宗という既成の宗派の庇の下で活動していた。その後、教団は独立の団体となり、団体名も「立川不動尊教会」から「まこと教団」へ、さらに「真如苑」へと変化している。しかし、そうした外形上の変化にもかかわらず、この時期の真如苑は、一貫して伝統仏教の枠の中での特色ある寺院という性格を保持しつづけていたようだ。
 そう言える根拠は、次の点にある。
 当時の真如苑が現在のそれと著しく異なる点は、中核的指導者を専門の僧職者として養成し、それを各地に派遣して人助けにあたらせるという体制を採っていた点である。当時の智流院〔ちりゅういん〕(発足時は「智泉寮〔ちせんりょう〕」)は、現在のような、在家指導者のための日曜学校ではなく、専門の僧職者を養成するための「寮」であった。ここで修行した僧職者の派遣先として、関東一円の無住の荒れ寺を捜し、それを真如苑が買い取って末寺とし、智流院生を「住職」として送り込んでいた。この住職の活動に引かれて集まってきた連中がその地域の信者になったのである。このようにして出来た末寺が昭和二十年代の終わりには十数ヵ寺あり、これらの寺院のいずれでも、一週間に一度の回数で接心を実施していた。そして、住職自身が霊能者である場合には、自分の寺の接心は自分一人で引き受けていた。つまり、ひとつの地域の信者の教化は、基本的に、その地域の末寺の住職の手に委〔ゆだ〕ねられていた。こうした大幅な権限委任によってゆるやかに教団を統率するのは、まさに伝統仏教の方式そのものである。
 また、現在のように「五回以上帰苑〔きえん〕(本部や支部などに参拝して法要に参加すること)した上でなければ接心を受けさせない」といった厳しい制限は、この時期には存在しなかった。『一如の道』の中の、この時期のことを記した文章に、ある婦人が信者に誘われて真如苑総本部を訪れて「入会してすぐ接心修行に入った」(一〇六頁)と書かれている。
 当時の接心自体、悩み事を持って末寺を訪ねてくる人々に対して、霊的な判断を下してやるという開かれた性格のもので、現在の向上接心のように、特定の教義を植え付けるための「変化エージェントの技術」としての側面は、あまり持っていなかったようである。その証拠に、『一如の道』には、当時東京にあった白龍閣という心霊相談的宗教結社に、伊藤や弟子たちが出張して接心を実施していたとの記述が見られる(三七六〜三七九頁)。接心が「サァ、双親様〔そうおやさま〕、両童子様〔りょうどうじさま〕に対して一如の信を……」といった現在のようなものであったなら、こうした出張接心はできないはずである。
[524]事情通 06/01/05 20:29 iT56loqtUO
真如苑進化論B新興教団時代(昭和三十年〜昭和四十二年)(1)
 前にも述べたように、日本の伝統仏教の大宗派の本山は、末寺の民衆教化の方式については、あまりこまごまと口出ししない。
 だから、伊藤にもしその気がありさえすれば、真如苑自体、いつまでも「真言宗醍醐派・真澄寺」という形で、伝統仏教の宗派内にとどまり、分相応のつつましさで、それなりの繁栄を享受しえていたかも知れない。「真澄寺」が「接心修行」とかいう独特の修行方法を使おうと、「教導院様のご霊言」「真導院様のご霊言」などという形で開祖の息子たちを祭り上げようと、ご本山たる醍醐寺がクレームをつけるということはなかっただろうと思われる。(私はむしろ、それこそがこういう信者寺のたどるべき、分相応のまっとうな道であったと考える)
 ところが、幸か不幸か、戦争中に真言宗各派が強制的に合同させられていたのが戦後改革で解体された際に、切られなくてもよい醍醐派と立川不動尊教会との関係まで、半ば自動的に切られてしまった(この分離が法的にどういう性格のものだったのかはいまひとつはっきりしないが、真如苑の言うところによると「自然離脱」である)。そのおかげで「醍醐派に反逆して独立したわけではない」という大義名分が立つのは、真如苑にとってひとつのメリットである。(事実、醍醐派と真如苑は、今でも「朝廷と幕府」のような関係を続けている)
 が、真如苑が閉鎖的な新興教団として凝り固まってゆく準備をしてしまったという意味では、この「分離」は大きな損失だったと私は考える。
 しかしながら、昭和二十年代のあいだは、前に述べたように、真如苑自身がかなり分をわきまえて、伝統仏教の中の特色ある寺院といった形の活動のしかたを守っていたため、「分離」のデメリットは、あまり顕在化していなかったようである。
 真如苑が質的に大きな変化を遂げるのは昭和三十年代である。
 前に第二部第二章で明かにしたように、伊藤は昭和三十年に、霊友会の失敗から学んだ霊能者統御法を確立する。白龍閣などでの出張接心はとりやめになり、末寺における接心も廃止され、接心は「教主様が結界なさった場所でだけ発動する真如霊能」として純化される。それと同時に、「真澄寺」は通常の意味での寺院ではなくなり、真如苑総本部内のひとつの建物となる。そして外部からの自由参詣は許されなくなる。このようにして、接心を「悩み事相談」として受け止める「拝み屋の顧客」的な態度の人にとっては、この教団のあり方ははなはだ不便なものになる。例の「交通費地獄」もここから始まるわけである。が、伊藤はあえてこうした不便を信者に課する方向を選択した。要するに伊藤は、真如苑を伝統仏教的な寺院から、きわめて中央集権的な新興教団へと脱皮させたのであった。
 伊藤自身の主観としては、信者に「拝み屋の顧客」的な甘えを克服させ、全員に「因縁切りの修行」をさせてやるのだ、という気負〔きお〕いがあったのかも知れない。しかし、前にも明らかにしたように世間的な価値観を真に克服しうるだけの、自由闊達〔かったつ〕な視座を信者に与ええない低級宗教家が、無理に気負って「唯一の教えの親」づらをしはじめれば、結末は目に見えている。不自然な精神的圧迫を加える形で奉仕精神を説き、ゆがんだ形の教団盲従人間を作ってゆくという結末である。ましてや伊藤の場合、せっかく築いた教団財産を霊友会流の分裂騒ぎで失いたくないという欲念もからんでいるようだから、なおさらである。
[525]事情通 06/01/05 20:31 iT56loqtUO
真如苑進化論B新興教団時代(昭和三十年〜昭和四十二年)(2)
 事実、この時期に伊藤が選択した路線が、現在見られるこの教団のさまざまな病理に直結しているようである。
 「交通費地獄」については、先程述べたとおりである。
 その他の重要な病原菌としては、この時期に採用された「在家主義」がある。
 僧職を育成して末寺に送り込むという方式をやめた伊藤は、これに代わって「在家主義」を採用した(伊藤自身が坊主頭をやめて毛を伸ばしたのもこの時期である)。この場合の「在家主義」とは、僧職予定者を最初から別に分けて養成するのではなく、勤め人や経営者や主婦であるような一般信者に、導きの子孫の数に応じて地位を与え、その中から指導者を作ってゆく方式である。これは「お救け」への情熱をかき立てるのにはきわめて効果的であり、事実、この時期に信者数はぐんぐん伸びたのであるが、これが結果的には接心の機会の制限や「お救けのためのお救け」という病理を生んでゆく。
 また、中央集権的な締めつけの強い、信者にとって「不便な」教団を作る以上は、信者に「そういう不便があってもなおかつ従うに値するほど、この教団の教えは尊いのだ」という信念を抱かせないことには、信者が逃げてしまう。そこで伊藤は、「この教団の教えは巷の拝み屋に比べては無論のこと、伝統仏教の各宗派に比べてすら高い教えなのだ」と見せかけるための「教義」作りを始めたのである。「『大般涅槃経』の聖旨の実現としてわが教団が生まれた」という例の神話である。
 このようにして、次の「ネズミ講時代」へ向けての地ならしが、この時期になされたと言ってよい。
 しかし、この時期にはまだ「ネズミ講」の弊害はさほど顕在化しておらず、真如苑は基本的には人助けの組織としての面目を失っていなかったようである。
 その証拠に、『一如の道』には、この時期の実話として、昭和三十五年の二月に入院先で「お救け」されて入信した婦人が、自分がまだ入院している間に(つまり入信からわずか数日後)夫が鑑定接心(易学を使った高度な占断)を受けさせてもらったと書いている(三二三頁)。昭和三十九年の六月の終わりに入信した人が、七月二日には早くも、経親に代理で受けてもらう形ではあるが鑑定接心を授かったという話も出ている(三三〇頁)。現在の真如苑ではとうてい考えられない。
[526]事情通 06/01/05 20:32 iT56loqtUO
真如苑進化論Cネズミ講時代(昭和四十二年〜現在)(1)
 昭和四十二年八月六日の伊藤友司〔ともじ〕(摂受院〔しょうじゅいん〕)の急逝は、教団に大きな衝撃を与えた。
 この直後から二年間ほどにわたった教団をゆるがせた「お家騒動」の原因については、さまざまな説がある。興味本位の人に言わせると、それはもっぱら伊藤真乗というスケベ男の下半身に起因する騒動だとのことであるが、もう少し冷静に批評する人は、この「下半身」の問題とともに、「真如苑が霊能の主流を失った」ことを原因として挙げる。
 真如苑の公式見解では、摂受院に源を発する「真如霊能」は瓶〔かめ〕から瓶へと水を移し入れるように弟子たちに「相承〔そうじょう〕」されているから、摂受院個人がみまかっても、なんら問題はない、ということになっている。しかし、生前の摂受院を知っている人に言わせると、摂受院自身の霊能は、正式な道場の中でなくとも、人に会ったとたんにすぐに直観が働いて的確に指示を与えうるような性格のものだったようで、これが多くの信者に頼りにされていたらしい。
 それに対してその後の霊能者の霊能は、道場内で信者に長々と順番待ちをさせたあと、特定問題について質問を受けて初めて答えられる程度のもので、だいぶ能力に差があるようだ。
 摂受院個人の霊能に魅力を感じて集まっていたタイプの信者たちにとっては、この教団の魅力は薄れはじめたのである。
[527]事情通 06/01/05 20:33 iT56loqtUO
真如苑進化論Cネズミ講時代(昭和四十二年〜現在)(2)
 また、この時期までに、例の在家主義によるお救け競争によって教団の信者数は大いに増大していたが、それに反比例する形で、初期の教団に見られた家族的雰囲気と、その中での濃密な救いの実感は、薄まってきていたようである。
 この教団の「救い」が「水で薄められた」最大の原因は、霊能的指導の需給バランスが崩れたことである。霊能者が次々に育ちはするものの、その増加がネズミ算的な信者数の増加にはとうてい追いつかず、霊能が慢性的に需要超過の状態になったからである。このため、初信者に対しては、接心の機会を制限せざるをえないようになった。「規定回数だけ法要に列席した後でないと接心は受けさせない」「接心の最初の五回は向上接心にかぎる」といった制限的規定が次々に設けられていったのは、この時期のことであるようだ。
 このようにしてこの教団は、悩み事相談的な関心を持って訪れる人にとっては、やたら人をじらすばかりという、はなはだ歯切れの悪い、頼りがいのないものになってゆく。しかし、もう一方で、これとちょうど反比例する形で、教団それ自体を権威づける教えは、ますますエスカレートしてゆく。
 考えてみれば、これは当然のことである。相手を待たせ、じらせる間、期待をつなぎとめておくためには、「ここの接心はそんじょそこらの占いやお伺いとは違って、特別に尊いものだ」と権威づけをせざるをえなくなるわけである。
 さらに、『一如の道』に見られるような古い時代の信者指導の記録と、現実のいま現在の指導者の指導内容とが、しばしば食い違いを見せてくるのも、この時期である。
 『一如の道』の中には「自分が苦しかった時のことをよく思い出して、その自分がいかにして救われていったかをよく考えて、人さまにこのみ教えのありがたさをお話ししなさい」といった主旨のことが書かれているのに(三〇二頁)、現実には、まだ救われていないと訴える初信者に対して、例の「密教」という殺し文句によって「このみ教えは実践してみてはじめてわかるものですから、何はともあれ、まずお救けをしてみなさい」などというむちゃくちゃな指導が行われている。また、立教当初は教団の経営面は「あくまでも救われた人たちの力だけでやってまいります」(つまり、まだ救われていない人から一律に金を取るようなことはしない)と摂受院がお不動様に誓っていたはずなのに(四〇二〜四〇三頁)、現実の指導は「『三つの歩み』に取り組み始めた人にしか接心を授けない」となって、まだこの教えが海のものとも山のものともわからないという初信者に対して「歓喜」を強制することがさかんに行われている。
 このようにして、初信者をじらせて待たせながら、救いへの期待を先へ先へと延ばし、「まだ救われていない」という不安を、むしろ教団側が積極的に動力として活用して、初信者をやたら教団のために走らせるという体制が、この時期に主流化したもようである。
 これは、教団が人助けの組織から、人を食い物にするネズミ講へと進化したことにほかならない。
[528]事情通 06/01/05 20:34 iT56loqtUO
分際をわきまえない肥りぶり
 これまで見てきたように、伊藤真乗という人の作った教団は、初期の「拝み屋時代」や「信者寺時代」には、それなりの人助けの組織として機能していた。問題は、この伊藤という人が、おのれの分際もわきまえずに中央集権的な新興教団を作り、身のほども知らずに一切衆生を教化しようなどと思い上がったところから起こっているようである。
 その結果生じたのは、伊藤という人にふさわしい限度を超えて、教団が水ぶくれするという結末だった。そして、「水で薄められた救い」を擁護するために、柄にもなく屁理屈めいた教理・教学を創作せざるをえないという、ドロナワ的状況であった。
 だが、教理・教学はもともと伊藤の分際を超えている。伊藤という人は意志と技能の人ではあるが、およそ文章や論理の人ではない。そのことは、伊藤の編集になる『一如の道』が「ご霊言の記録」だと称して載せている次のような文章を見ても明らかである。
 「祈らずとても神や守るらん……ということばもあるが、仏に仕え、仏のみこころを祈りによって正しく頂き、他にも与えていくことが、自らも仕合わせとなっていくのですよ。祈らずして、働かずして、尽さずしてよくなろうとして、どうして仏が、護法の神々が守って下さるでしょう。
 祈らずとても神や守るらん……(ということは、いつも仏はあたたかきみ心をもって、衆生をみつめて下さる……)ということを、わからしめようと、守っているのですよ」(二三三頁)
 言いたいことがわからないわけではないが、日本語の文章としてまともなものとは言えない。私が国語の教師ならば、こういう作文に対しては遠慮なく落第点をつける。せめて次の程度に整理したらいかがなものであろうか?
 「『心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん』という歌があります。これは、神仏は心の正しい人をけっしてお見逃しにはならないという、神仏のあたたかきみ心を教えた歌です。また、祈りの根本は心の誠にあるのであって、くだくだと口数多く祈りさえすればよいというものではない、ということを教えた歌でもあります。これを取り違えて、下の句だけ暗記して『祈らずとても神や守らん』だから、祈り心もなしに怠けていても自分は守られているんだなどと考えてはいけませんよ。祈らずして、働かずして、尽さずして、どうして仏が、護法の神々が守って下さるでしょう」
 次のような「ご霊言の記録」も、前半と後半が論理的にどうつながっているのかがさっぱりわからない。国語の作文として見れば文句なく落第点である。
 「……皆さんは、自分がどのような霊系であるか知っていますか。今までに何回か接心を重ねて、お宅にはこのような因縁が強い、だからこのような霊系を持っている……と幾度となく示されていると思いますよ。それは真導院さまを観念して抜苦して頂く霊系と、教導院さまを透して代受して頂く霊系と、異っているからです。
 そういうと皆さんは、抜苦代受して頂くことしか考えませんけれども、抜苦代受して下さるということは、皆さん方が一如の道を歩むにあたり、お救けしていくにあたり因縁の重荷を負っていたのでは、お救けできないから、人を導く功徳によって代受して下さるのです。そして真剣に歩み出した時には、もう歩む苦しみが喜びに代っておりますよ。それは因縁を代受して頂いている現証ではありませんか」(四四三頁)
 目下、真如苑では、海外布教の益々の活性化をめざして、『一如の道』の英訳事業を企画中であるという。そもそも日本語として成り立っていないこの手の文章を、いったいどういう英文に翻訳するつもりか知らないが、日本人の恥をこれ以上さらすのだけはやめてもらいたいものである。
[529]フランナ 06/01/05 20:50 *sDsqlt/guPI*QsPPe2Pc9n
>>518 涅槃経について

仏陀入滅前後を中心とする小乗涅槃経は法顕によって418年に訳されており、涅槃経は北涼の 曇無セン 劉宋の慧観、慧厳、謝霊運によって北本40巻、南本36巻にまとめられました。

仏教辞典にも書かれていると思いますが大乗涅槃経は仏陀が入滅前後に説かれた教義を内容としており、後世の創作ではありません。

此れとは別にパーリー語聖典の中に大般涅槃経があり(伊藤は此れも研究している)、仏陀入滅前後の事実に忠実な描写がされており資料的価値が高いとされています。


>大乗の大般涅槃経(昨日のお返事のように複数あるのは理解しています)に説かれている内容は、釈尊自身が説かれたものではなく、後の世の大乗の流れを作られた誰かが釈尊の説かれた教えをもとに、創作したと書かれている文献にしか、私は現在のところ、出会えていません。

アナタもご存知でしょうが歴史上、涅槃経を説こうとして説けた人間は伊藤 真乗だけです。昔から重要視され、日蓮宗や曹洞宗でも重く用いられながら本格的には説かれませんでした。

なぜならば難しすぎるからです。此れまでの教義と矛盾する部分も多く、一般の学者の手には負えないでしょう。

涅槃経を「後世の創作」とするのはこの矛盾からそのように推測されているだけで実態は学者にそれを理解するだけの能力がないからです。

>もし、おられましたら、その方の書かれた文献を読みたいと思いますので、ご紹介いただけないでしょうか?

釈尊以降、涅槃経を読み解けたのは伊藤のみであり、そのような優秀な学者はおりません。

[530]白うさぎ 06/01/05 21:05 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
フランナさま
お忙しい中、ご回答いただきありがとうございました。
まだまだ、質問したいことはありますが、今日はこの辺で失礼いたします。
[531]偽の気配 06/01/05 22:55 Y4p7.ageZH
「アナタもご存知でしょうが歴史上、涅槃経を説こうとして説けた人間は伊藤 真乗だけです。昔から重要視され、日蓮宗や曹洞宗でも重く用いられながら本格的には説かれませんでした。なぜならば難しすぎるからです。此れまでの教義と矛盾する部分も多く、一般の学者の手には負えないでしょう。」

矛盾。もし、説いたのが伊藤だけというのが正しいのならば、なぜ伊藤の解釈が正しいといえるのか。検証のしようがない。伊藤が勝手にいったことだとしても、誰も其れをとがめることが出来ない、と言うことを自ら語っているようなもの。なにより、其れほどまでに難しい、一般の学者でも手に負えない代物を解くことができるほどの玉なのであろうか、伊藤真乗。信じるのは勝手だが、それが客観的な正しさを伴っていないことを理解していないのはあまりに滑稽である。
[532]苑徒 06/01/05 22:57 *yTuPva6wzPi*D-QidQh
フランナ様
理解はできるが、苑・沿革・教義についての勝手な解釈は疑問に劣ります。
君唱学博我惜学浅、能ある鷹は爪を隠すとか。戯論すべからず、です。
…小魚に餌を与えれば大魚肥えるのたとえもある。自重してほしいと思います。
[533]偽の気配 06/01/05 22:58 Y4p7.ageZH
加えて、そのような経緯である、ということはいったいどこから得てきた知識なのであろうか。伊藤の受け売りではないのか。あるいは、自らが優秀な学者であるとでもかたるつもりなのだろうか。

知識は豊富であるが、科学的なアプローチからは、かけ離れたロジックです。
[534]フランナ 06/01/05 23:10 QsPPe2Pc9n
>>531

宗教と科学の違いを理解してください。

何故日蓮の法華経解釈が正しいといえるのか?と言うのと同じです。

それは物理の検証可能性を伴わないもので立証不可能な性質であることを理解してない。

涅槃経を説けるものがいなかったから歴史上、涅槃経で一宗一派を立てた僧はいなかった。

伊藤が歴史上初めて涅槃経を全面に出して教団を立てた。それは理解し、大衆に説けるから。

そういうことです。


[535]フランナ 06/01/05 23:12 QsPPe2Pc9n
>>533

>知識は豊富であるが、科学的なアプローチからは、かけ離れたロジックです。

科学の話がしたいなら科学の板へどうぞ。

マルクスのロジックなど惚れ惚れするくらい科学的かつ美しいですよ。ま、これも社会科学で検証可能性に乏しい分野ではありますが。
[536]偽の気配 06/01/05 23:15 Y4p7.ageZH
釈迦の教えは、そのような独善的なものではありません。
故に多くの人がその教えを学ぼうとするのです。
おっしゃるとおり、宗教と科学はイコールでは結べません。
しかし、宗教ならば独善が許されると言うものでもないのです。
日蓮の法華経解釈が正しい、と誰がいいましたか。
涅槃経をとけるものがいなかった、ということと、涅槃経で一宗一派をたてた僧はいなかった、と言うこと、それぞれは正しいかもしれませんが、そこに因果関係が存在する必然性はどこにもないのです。
[537]偽の気配 06/01/05 23:17 Y4p7.ageZH
あなたが独善を宗教にもとめているのであるならば、
伊藤教はぴったしでしょう
其れは貴方の価値観です。
ですが、其れだけが正しいという見方、
其れに反するものを見下す態度は、
貴方の傲慢さ以外の何物でもありません。
そのままでは、貴方が仏性を開花することはありえないでしょう。
[538]フランナ 06/01/05 23:19 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
>>532  苑徒さま

わかりました。どうせこれ以上マトモに話も出来ないでしょうから自重いたします。

壊れた甕とは何か理解できたのでそれでよしとします。
[539]偽の気配 06/01/05 23:20 Y4p7.ageZH
532が現れましたよ、フランナさん。
以前、信者として苑の批判者に答えていた人物は、
真如教徒が532ごとく現れた後に、すぐに姿をけしました。
(HNを変えての書き込み、などはないとして、です)

あなたは、532の干渉に対して、同じように姿をけしますか?
それとも、引き続き居残る腹積もりがおありですか?
[540]偽の気配 06/01/05 23:22 Y4p7.ageZH
おや、やはり同じパターンで姿をけしますか?
その後、荒らしに姿をかえられませんように。
幽霊・弾圧もどきは、もうみあきました。

ま、やはりその程度の方だったんですね。

どうぞ、苑でぬくぬくおすごしください。

[541]フランナ 06/01/05 23:23 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
これ以上、下らない話に付き合うつもりは全くありません。

ここで壊れた甕同士、愚痴愚痴泣き言をいってなさい。

[542]フランナ 06/01/05 23:25 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
いて欲しいならお願いしなさい。

いてあげても良いですよ。
[543]偽の気配 06/01/05 23:25 Y4p7.ageZH
(^^) 幽霊にならないように。
苑人のいつもの消え方ですので、気に留めておりません。
もう少し骨のある、普通に話しのできる方をよこしてくださいな。
苑徒とのかけあい、よくできていますね。
[544]偽の気配 06/01/05 23:27 Y4p7.ageZH
シッポをまいて逃げる方をひきとめるつもりはありません。

去るものは追わず。
猿者も追わず。
猿人も追わず。
苑人も追わず、です。

いたかったら、どうぞ。
ネタがなくなったのなら、それはそれでどうぞご勝手に。

苑と違ってしばるものはなにもありませんからね♪
[545]フランナ 06/01/05 23:42 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
あはは。では。

それにしてもこれだけの人数で総がかりで親苑教徒ひとり「改心」させられないなんて大したものですね。

>ですが、其れだけが正しいという見方、
>其れに反するものを見下す態度は、
>貴方の傲慢さ以外の何物でもありません。

ここでは反苑以外は全く認められないじゃないですか。
そういうのは「独善」とは言わないのですかね?

「独善と 叫ぶ己の独善に 気付くことない バカな負け犬」

一句添えてご挨拶と致します。

ごきげんよう!
[546]田舎 06/01/05 23:50 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy
腐った林檎がたくさん収穫できましたフランナ様、ありがとう
[547]偽の気配 06/01/05 23:54 Y4p7.ageZH
苑人らしい捨て台詞ですね。
反苑以外認められないというのは、あなたが読み解く力がないからです。

「我だけが、苑の教えに忠実と いきまき言葉を残しすぎ
慌てて逃げる 哀れ苑人 現実の世界は甘くはないものよ」
[548]偽の気配 06/01/05 23:55 Y4p7.ageZH
字あまり (^^ヾ
[549]28 06/01/05 23:58 jd8asXNRHD
腐乱菜は、見事に宗教音痴ぶりをサラケだした。

定見から逸脱した、真如霊界の両童子を崇拝している愚かな女。

真如苑は、外道の王道まっしぐら。
[550]嘘の気配 06/01/06 00:05 *DKN6HqTfJAW*QsPPe0SIJu
いや、これはどう見てもアンタらの完敗やね。

[551]28 06/01/06 00:17 jd8asXNRHD
[421]カルト弾圧 06/01/02 18:08 v5RovNl2rR
[545]フランナ 06/01/05 23:42 *g9DY1jVhv3.*QsPPe2Pc9n
[532]苑徒 06/01/05 22:57 *yTuPva6wzPi*D-QidQh

カルト苑、盲信者の涙ぐましいチームワークですねw
[552]偽の気配 06/01/06 00:17 Y4p7.ageZH
自ら、嘘って言っているからあまりあてにはなりませぬわな。
嘘の気配さんとやら。

其れに、勝った負けたなんて話は気にしてないんですよ
気にしているのはエンジン事務局員ぐらいじゃないですかね
[553]甚だ疑問です 06/01/06 00:27 *5.wFR.uC2uG*rsQjiEpB/F
[551]さん

て言うことは
[545]フランナ 06/01/05 23:42 *g9DY1jVhv3.* QsPPe2Pc9n
[550]嘘の気配 06/01/06 00:05 *DKN6HqTfJAW* QsPPe0SIJu

同じ狸ですか。
[554]28 06/01/06 00:50 jd8asXNRHD
[356]カルト弾圧 06/01/03 00:14 oKpyIsh6b7 = フランナ (確信度大)

[956]オカルト弾圧   05/12/30 13:07 C4XlsAgdZM
[963]田舎   05/12/30 14:25 C4XlsAgdZM
[967]田舎 05/12/30 14:53 *IekRP/7h7wf*C4XlsAgdZM = オカルト弾圧(確信)

[588]田舎 06/01/04 21:41 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy
[589]田舎娘 06/01/04 21:46 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy = 田舎娘(確信)
[555]田舎 06/01/06 00:53 *UvqQsAFJwGa*GoRGEoUS
あれっと、私?疑われてる訳?
[556]イタチ 06/01/06 00:59 FSpHXJr7VQ
前スレ幽霊のHN騙りだよ。
[557]28 06/01/06 01:07 jd8asXNRHD
[37]オカルト弾圧 05/12/31 12:02 C4XlsgbiIE
[41]オカルト弾圧 05/12/31 12:12 R5xlSRZJLz
[42]オカルト弾圧 05/12/31 12:17 X7rdzFGEiO
[44]オカルト弾圧 05/12/31 12:43 C4XlsiveJQ
--------------------------------------------
[49] カルト弾圧 05/12/31 13:39 X7rdztK6l5
[67] カルト弾圧 05/12/31 18:53 5cHu7JGvNR
[68] カルト弾圧 05/12/31 19:29 BykKWclcPu
[69] カルト弾圧 05/12/31 22:18 R5xlSeLhK0
-------------------------------------------
[71] カルト弾圧 06/01/01 00:02 OYOgW.G9sh
[94] カルト弾圧 06/01/01 17:45 wHT4KlBt6q
[108] カルト弾圧 06/01/01 23:02 C4XlsAgduG
[112]カルト弾圧 06/01/01 23:32 X7rdzFGEjN

同日・同名・ID違い:複数の台のPC操るか、複数名の犯行(確信)
苑のネット対策班の仕業か?(確信度大)
[558]逃亡者 06/01/06 04:20 pHRrwokijz
こうやって旧ソヴィエトみたいな事ばっかりやって人生哲学についても宗教についても、もちろん真如苑についてもマトモに語れないダメ人間の集まりがこの板です。

良い子の皆様は近づかないように。バカがうつりますから。
[559]逃亡者 06/01/06 04:23 pHRrwokijz
ちなみに私の嫁は歓喜までいってましたが苑をやめました。
理由は私が宗教嫌いで真如苑を新興カルトだと思っていたからです。

今は違う感想を持っています。真如苑で過ごせた日々にも感謝しています。
[560]イタチ 06/01/06 04:29 QO2Vukttkz
と、ここまで計画された長期作戦だったのでしょう。
寒い寒い。
[561]逃亡者 06/01/06 04:31 DuMrUYyDFZ
まったくイタチごっこだね。
寒い、寒い。
[562]逃亡者 06/01/06 04:42 DuMrUYyDFZ
般若腹蜜って知ってる?
理趣経は?

[563]イタチ 06/01/06 04:43 QO2Vukttkz
あれ?ジョギングは? 笑
[564]逃亡者 06/01/06 04:44 DuMrUYyDFZ
行きたくなくなったから帰ってきた。
[565]逃亡者 06/01/06 04:46 DuMrUYyDFZ
今考えると真如苑ってそれほど悪い所ではなかった。
妻が変わったよ。悪いほうにね。
ま、今更戻れないけどね。
[566]和音 06/01/06 07:54 wVkbRjjfOC
要は自分をしっかり持つことです。
流されてはいけません。
一時の感情で動かされないよう深呼吸して、一晩寝れば冷静になれますよ。

私で言えば宗教音痴で難しいことは解りません。
ただ人を馬鹿にすれば、自分に帰ってきます。今の心情とすればそういった人は信用できかねます。

本心からのレスは心に届きます。

かなり自分の主観も入りますが、ここの反苑の方達もすぐ皮肉たっぷりになるのは悪い癖ですが、
それはそれで理由あっての事です、私も含めてですが。
傷の舐め合い結構です。傷つけられたのです直接・間接的に真如苑という存在に。
関わり合いさえなければ、この板にも参加しません。

和合の精神というのであれば、誠意あるレスを希望します。その為の信心なのでしょう。
修行が足りないなんて言わせません。
この板に擁護として書き込みするというのは、いわば真如苑という看板を下げた真如苑の代表としてきて下さい。
それこそ継主さんの代わりとしてです。
それほど重みを背負って下さい。
家族入信の立場としてはしごく尤もな要求だと思いますが?

私の意見は支離滅裂でしょうか?
書きこんでいるうちに感情的になりました。ふぅ・・ガス抜きです。失礼。
[567]白うさぎ 06/01/06 08:12 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
この板の賢者さまへ
私は、まだ仏教についての知識もとぼしいので理論的に説明はできませんが、真言密教の世界観・宇宙観・と大般涅槃経の世界観・宇宙観?は、感覚的にどうも違うな!という感じが強いのです。

それを、矛盾なく受け入れられたのは、MC中の在苑時代でした。

今は、それを受け入れようとしようとすると、例のダブルバインドと同じ感覚になります。
いわば、直感的に変だよなあ?と思えるのです。

これを、MCがとけたと考えるのはおかしいでしょうか?
[568]逃亡者 06/01/06 08:25 Xt4p6N.AQV
おかしいですね。貴女に密教の宇宙観などそうぞうもつかないでしょう。苑ではサンガを離れての悟りは「悪覚」なのでしょ?
センダイの貴女に何がわかるというのです。

実は私も後悔してます。前から妻はワガママでしたが苑にいた頃の方が家庭がうまくいっていました。私がカルトのMCから何としても解き放とうと努力してその目的を果たしたのに、今、家の中はメチャクチャです。私が間違っていたのでしょうか?キチンと仏教を勉強したのに。

もうどうでも良いって感じです。皆、不幸になりましょう。
[569]和音 06/01/06 08:31 wVkbRjjfOC
逃亡者さま、どう思おうが貴方の自由です。
どうぞご勝手に。
[570]逃亡者 06/01/06 08:33 Xt4p6N.AQV
教えてください。幸せになる方法を。
どうしたら幸せになれるのですか?今、離婚を考えてます。
どうしてこうなるのか?真如苑をやめたから?断じてそうは思いたくない。

幸せって何でしょう?誰か教えてください。
[571]逃亡者 06/01/06 08:34 Xt4p6N.AQV
ここの賢者の皆様、私は何が間違っていたのですか?
教えてください。
[572]偽の気配 06/01/06 08:37 Y4p7.ageZH
すべてです
[573]逃亡者 06/01/06 08:40 Xt4p6N.AQV
偽の気配さんは全て正しいのですか?
私にはどうみても知能の低い最低人間なんですが。

私は妻と仏教の勉強を共にしました。なのに何故?
[574]白うさぎ 06/01/06 08:46 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
草太さま
見ておられたら、書き込みお願いします。
私の[567]へのレスを。
それから、草太さまと逃亡者さまは、どちらも奥様が経親さんでしたよね。苑をおやめになってから、家庭はどうなりましたか?
差しつかえなければ、お聞かせ下さい。
草太さまも、仏教にはお詳しかったですし、共通点も多いようですので・・・。
[575]逃亡者 06/01/06 08:51 Xt4p6N.AQV
苑を辞めてから妻は好き勝手な遊びにふけるようになり今では不倫の気配さえします。
今日も「友人と出かける」とかで入念に化粧をしてますがきっと男に会うのでしょう。
家庭も顧みなくなりました。苑に行っていた時以上に。

こんな事ならMCに嵌ったままでいて欲しかった。今では…まぁ、もう愚痴はやめます。
[576]事情通 06/01/06 09:27 iT56loqtUO
第三部第二章 肥りすぎた拝み屋の悲劇(続き)

難問百出の現状
 今や真如苑は、表面上の爆発的な繁栄とは裏腹に、日本の新宗教運動の宿命とも言うべき重病を典型的な形で背負い込み、大きな岐路に立たされている。この重病の症状を、次に列挙してご覧に入れよう。

@お救け競争でふえすぎた信者

 真如苑の組織が「導きの親子関係」を基礎にしたネズミ講型組織であることは、何度も強調してきた。
 この「導きの親子方式」というのは、むろん真如苑の専売特許ではなく、霊友会その他の多くの新宗教教団が採用しているものである。霊能的秘儀を中心とした拝み屋的新宗教において、このタイプの組織が採用されることには、それなりの必然性もあり、少なくとも教団の発足時点においては、積極的なメリットもある。信者を依頼心の強い「拝み屋の顧客」的人間から、他人のために尽くす「宗教精神」を身につけた人間へと脱皮させるためには、勧誘活動を積極的にやらせ、勧誘した相手をその後も責任をもって世話してゆく義務を負わせるのが、最も手っ取り早い手段だからである。
 しかし、こうした積極的勧誘活動の結果、信者がふえて、教団の目玉商品たる「救いの秘儀」にあずかる資格が、末端信者に対しては制限されるようになりはじめると、当の「導きの親子方式」それ自体が、倒錯〔とうさく〕的な事態を次々と惹〔ひ〕き起こす悪の元凶へと変化する。いまだ救いの秘儀にあずかりえていない末端の信者たちが、自分自身の救いを勝ち取るために「お救けのためのお救け」に走るようになるからである。このようにして教団は、人助けの組織から、人を食い物にするネズミ講へと変質してゆく。
 さらには、信者数がいったん過剰になりはじめると、そのことがさらなる過剰を誘発するという悪循環が起こる。そのメカニズムは次のようなものだ。
 信者過剰によって、救いの秘儀への参加資格が「導きの子を何人以上持つ者にかぎる」というふうに制限されるようになると、その資格を得たい者は、競って導き競争に精を出すようになるので、信者増加にはますます拍車がかかる。そこで、さらに厳しい資格制限が必要になる。このことがますます導き競争を激化させる。
 こうしたことの結果、職場の同僚とか学校の同級生とかを、詳しい内容紹介も抜きにしたままうまくひっかけ、入信書に署名させて名目的信者にしてしまう、といった小ずるい技巧にたけた人間ばかりが幅をきかすようになる。
 真如苑の「お救け競争」は、数年前からまさにこの悪循環過程に突入しつつあるようだ。公称信者数二百数十万人のうち、実質的信者は十分の一以下、まあ二十万人ぐらいと見るのが妥当なものである。
[577]事情通 06/01/06 09:28 iT56loqtUO
難問百出の現状A教主神格化の進行
 信者がふえすぎた教団では、教祖一家と膝をつきあわせた家族的雰囲気の中で指導が受けられた「古き良き時代」は、はるかな過去のこととなる。それだけ、霊能的奇跡の場としての教団の魅力は薄まってゆくわけで、この段階で信者の情熱を維持するためには、「この教えは他とは隔絶した高い教えなのだ」という確信を信者の心に植えつける必要が生じてくる。
 そこで、そういう確信を与えるように、教祖を神格化することが行われ始める。
 教団の提供する救いの実質の希薄化と、教祖の神格化とは平行し比例して起こるようである。
 「神そのもの」(神霊教)、「宇宙を創った大神様の分身」(霊波之光教会)等々、我々が身の回りをちょっと見渡せば、この手の神格化の例には事欠かない。
 真如苑もご多分に漏れず、教祖の神格化がズンズン進行している。
 最初は立川不動尊教会の「主管」にすぎなかったはずの伊藤は、まずは「金胎両部伝法灌頂〔こんたいりょうぶでんぽうかんじょう〕を短期間に授かった空海以来の偉大な真言僧」という形で祭り上げられ、次には「み仏様」と呼ばれて、釈尊と同等ぐらいに評価されるようになった。
 さらには、霊能者を原始仏教の阿羅漢〔あらかん〕になぞらえ、「釈尊は五百人の阿羅漢を育てたが、私は生きている間に千人育てる」と教主が誓ったとかいう形で、教主を釈尊を上回る偉大な仏であると見せかけるようになる。最近に至っては、「人類を救い、地球を救い、はてしない宇宙までをも救う真如のみ教え」などというスローガンを信者に唱えさせ、「この教えは、仏教の中から生まれたが、仏教という一宗教の枠を超えた世界全体の窮極の教えである」という印象を与えようと努めているようである。
 理性の欠落した信者の熱狂は、それによってかき立てられるのかも知れないが、我々がそこに見るものは、歯止めを失ってネズミ講化してゆく教団の末期症状というべきものである。
[578]ハツヌ鯱ィ 06/01/06 09:29 iT56loqtUO
y・ールウ?ホャFラエ「ロニォ、ミナユ゚胡
。。、ォ、ト、ニ」ィユムコヘネ?ハョト・?ゥチ「ユ?ルョウノサ皃マ。「ラレスフヤuユ鴇メ、ォ、鬘ク、ェ、ォ、゚、オ、?レスフ。ケ、ネ、、、ヲ、「、タテ??ソ、ニ、゙、ト、鬢、ソ、ウ、ネ、ャ、「、。」キe楼オトミナユ゚、葷ミ慰蛇イソ、ホカ爨ッ、ャ。「ヨミト・?D胡、ヌユシ、皃鬢、ニ、、、ソ、ォ、鬢ヌ、「、。」、ウ、ヲ、キ、ソミナユ゚胡、ホニォ、熙マ。「オア瓶、ホチ「ユ?ルョウノサ皃ネヘャ・、ハスMソ厘ホ腺、??ャFヤレ、ホユ貶釀キ、ヌ、筍「、ロ、ワヘャ・、ハアマ?ネ、キ、ニャF、、ニ、、、。」
。。ユ貶釀キ、ヌ、マ。「ミ゙ミミ、ャ゚M、爨ウ、ネ、マ。クヒ??ケ、ャ、ユ、ィ、、ウ、ネ、ヌ、「、遙「キe楼オト、ヒサモ、ケ、メヤノマ、マ。「、、、コ、、マスUモH、ヒ、゙、ヌ、ハ、メ厥?ヌ、、、ハ、ア、、ミ、ハ、鬢ハ、、。」スUモH、ヒ、ハ、、ミ。「スU、ホマツ、ホキス、ォ、鬢ホ。クノマヌ?ミフ癸ケ、?サハヨ、ヒメ?、ュハワ、ア、ニ、オ、ミ、ォ、ヘ、ミ、ハ、鬢ハ、、、キ。「スU、ホラモ、ホウ?ッ、ケ、?ヒメサセw、ヒウ?ッ、キ、ハ、ア、、ミ、ハ、鬢ハ、、、ウ、ネ、筝爨、。」、ス、、ヒ。「ユ貶釀キ、ヌ、マウ?ナユ゚、ホラウ?ホネ?サリ、ホスモミト、ヒ、マアリ、コスU、ホノマホサユ゚、ャクカ、ュフ、、ヘ、ミ、ハ、鬢ハ、、、ウ、ネ、ヒ、ハ、テ、ニ、、、、ホ、ヌ。「スUモH、ヒ、ハ、テ、ニ、、、ハ、ッ、ネ、筍「ヒ??ホカ爨、ユ゚、マ。「、ウ、ホネホ・、??ソ、ケ、タ、ア、ヌ、筅ア、テ、ウ、ヲエ?荀ヌ、「、。」、ス、ホノマ、ヒ。「、ォ、ハ、熙ホlカネ、ヌ。ク、エキハヒ。ケ、ヒイホシモ、キ、ニ、、、ユ゚、ヌ、ハ、、、ネミ゙ミミ、ャ゚M、?タ、ネユJカィ、オ、、ハ、、。」
。。、ス、、荀ウ、、荀ヌ。「メサ゚L馮、ヒネ?ネユ、ー、鬢、、マスフ・、ホ、ソ、皃ヒ瓶馮、?、ア、ネヒ馮、ヌ、ハ、、、ウ、ネ、ヒ、マ。「スフ・、ホニレエ?、ケ、、ネ、ェ、・俔{、ヒ。ク喨、?ケ、ヌ、讀ッ、ウ、ネ、マ、ヌ、ュ、ハ、、ハヒスM、゚、ヒ、ハ、テ、ニ、、、。」、ウ、ホフ??、ャ惻、ソ、サ、、ホ、マ。「メサイソ、ホスU・ユ゚、ハ、ノ、??、ッ、ネ。「ラモケゥ、ホハヨ、ホ、ォ、ォ、鬢ハ、ッ、ハ、テ、ソヨ?D胡、タ、ア、ヌ、「、、ヲ。」
。。、ス、ヲ、、、ヲ、、ア、ヌ。「スフ・、ホヨミ慰ヨク県ユ゚、ホヒトキヨ、ホネ?、ー、鬢、、ャヨミト・ョミヤ、ヌ、「、。」
。。、ウ、ヲ、キ、ソニォ、テ、ソマ爨キ、ォ統。イ、ト、ォ。ウ、゚、ィ、ハ、、、ウ、ネ、ャ。「、ソ、タ、ヌ、オ、ィマチ、、スフ・、ホメ編ー、?オ、鬢ヒマチ、、、筅ホ、ヒ、ケ、。」、ス、キ、ニ。「。ク、ネ、ヒ、ォ、ッミナ、ク、ニ携シ?キ、ニ、エ、鬢?ハ、オ、、。」アリ、コセネ、、、゙、ケ。」ヒス、ホムヤ、ヲ、ウ、ネ、ヒ・ヲ・ス、マ、「、熙゙、サ、?ケ、ネ、、、テ、ソチ?x、ホスU?メサオ繽愛熙ホヨク県キス癢、?゙、ケ、゙、ケ、ホ、オ、ミ、鬢サ、、ウ、ネ、ヒ、ハ、。」、ス、ホ、ウ、ネ、ャ。「、オ、鬢ヒ。「、ウ、、ヒ、ト、、、ニ、讀ア、ネヒ馮、ホ胡、?゙カィ、ケ、。」
。。、ウ、ホ杉ムュュh、籃貶釀キ、ホビッz。イ、キ、螟ッ、「。ウ、ネ、、、ヲ、ル、ュ、筅ホ、ヌ。「ヨホーK、ホメ巌z、゚、マネォ、ッチ「、テ、ニ、、、ハ、、。」
[579]事情通 06/01/06 09:31 iT56loqtUO
難問百出の現状B偏る信者層
 かつて(昭和三十年代)立正佼成会は、宗教評論家から「おかみさん宗教」というあだ名をたてまつられたことがある。積極的信者や中堅幹部の多くが、中年主婦層で占められていたからである。こうした信者層の偏りは、当時の立正佼成会と同様な組織形態を採る現在の真如苑でも、ほぼ同様な傾向として現れている。
 真如苑では、修行が進むことは「所属」がふえることであり、積極的に活動する以上は、いずれは経親にまでなる覚悟でいなければならない。経親になれば、経の下の方からの「上求菩提」を一手に引き受けてさばかねばならないし、経の子の出席する場に一緒に出席しなければならないことも多い。それに、真如苑では初信者の最初の三回の接心には必ず経の上位者が付き添わねばならないことになっているので、経親になっていなくとも、所属の多い者は、この任務を果たすだけでもけっこう大変である。その上に、かなりの頻度で「ご奉仕」に参加している者でないと修行が進んだと認定されない。
 それやこれやで、一週間に三日ぐらいは教団のために時間を割ける人間でないことには、教団の期待するとおり順調に「歩ん」でゆくことはできない仕組みになっている。この条件が満たせるのは、一部の経営者などを除くと、子供の手のかからなくなった主婦層だけであろう。
 そういうわけで、教団の中堅指導者の四分の三ぐらいが中年女性である。
 こうした偏った層しか掴〔つか〕みえないことが、ただでさえ狭い教団の視野をさらに狭いものにする。そして、「とにかく信じて実践してごらんなさい。必ず救われます。私の言うことにウソはありません」といった流儀の経験一点張りの指導方針をますますのさばらせることになる。そのことが、さらに、これについてゆける人間の層を限定する。
 この悪循環も真如苑の宿痾〔しゅくあ〕というべきもので、治癒の見込みは全く立っていない。
[580]事情通 06/01/06 09:33 iT56loqtUO
難問百出の現状C申し訳としての社会奉仕(1)
 拝み屋的新宗教教団が巨大化した場合、必ず起こってくるもう一つの問題は、周囲の一般社会とのつきあい方をめぐって、教団の姿勢が厳しく問われる時がくる、ということである。
 この手の教団では、もともとの教団自身の教義からすれば、「およそ人はこの教団に結ばれて『歩み』さえすれば救われるのだ」というのが、ほぼ唯一の対社会的関心のあり方だと言ってよい。しかし、そうした「あなたが私らの仲間になりさえすればよいのだ」式の呼びかけというのは、末端信者が周囲に個人的に呼びかけて布教する際の論法としては有効であるにしても、社会の中での一つの安定した地位を持つ法人としての教団が、周囲の一般社会のさまざまな思想信条を持った個人や、企業や団体とのおつきあいの場で主張しうる論法ではない。
 そこで、いかに狂信的なネズミ講型教団といえども、教団が大きくなれば、この第二の面での対社会的関係をどのようにしてゆくかを考えねばならない時が来る。
 この問題との取り組みは、教団にとっては痛し痒〔かゆ〕しである。あまり開放的に常識人的倫理を導入しすぎると、教団は教養主義的な修養団体の一種のようになり、組織的に弱体化してしまう。かといって、正面きった布教攻勢以外には明確な対外的姿勢を持たないような人間集団であれば、その独善性は、いつかは周囲からの厳しい指弾の対象となろう。
 事実、真如苑も、この種の問題にかなり深刻に直面しているように思われる。教団や教祖に対する閉鎖的関心しか持たない風情〔ふぜい〕の連中が、法要の日などに教団の本部や支部の近辺を大挙して歩き、交通機関を占領するような事態は、各地で周辺住民との摩擦を起こしている。教団では、苦情に対処するために、ことあるごとに「真如マナーを守りましょう」という警告を信者に対して発せざるをえなくなっている。
 また、「ご奉仕」の内容としては、教団に対する奉仕だけでなく、地域の駅前広場などの早朝清掃奉仕を取り入れているが、これなども教団の対外関係を配慮してのことであろう。
 そのほかに、教団に献血車を招いたり、難民救済のための募金箱を設けたりすることも、「和合摂受〔わごうしょうじゅ〕のため」として実施されている。
 それ自体は結構なことである。
 しかし、私などがこうした姿勢を見ていまひとつ納得できないのは、これらの活動が「そうしないと一般社会と教団との折り合いが悪くなって、布教の円滑が妨げられるから」という理由から、ある種の「申し訳」として採用されているとの感がぬぐいきれない、ということである。つまり、教団の本音〔ほんね〕の教義としては、あくまで「わが真如苑に結ばれることで人は救われる」という教えしかないのだけれども、そうした「お救け」を円滑に進めるための条件整備として、外部社会との折り合いをよくしておかねばならないからとの理由で、しぶしぶそれらの奉仕活動が出てくるという感じなのだ。
 ところで、例の毎日新聞記者の横山真佳〔みちよし〕氏は、真如苑についての報告論文の終わり近くで、この教団の社会的姿勢に触れ、控え目ながら若干苦言を呈する形の批評を書いておられる。批評の主旨は、「内面志向の強いこの教団には、あまり明確な社会的理念がなく、その社会感はあまりに素朴すぎる」というものである。一例として氏は、この教団が戦争犠牲者の霊を慰めることを説きながら、「戦争への怒り」や「平和への決意」を語ることがない、という点を指摘しておられる(『新宗教の世界V』一四〇頁)。
 私は、真如苑の対社会的姿勢が不鮮明だという点では横山氏と同感だが、ただ「戦争云々」では、横山氏とは若干意見を異にする。社会に対する関心というものは、何も原水禁運動的な「怒り」や「決意」に必ず結びつかねばならないということはない。宗教家の社会に対する関心は、もっと穏やかなものであるべきだという立場は、十分成り立ちうる。ただ、どんな形でにせよ、いったん社会にかかわる以上は、便宜やしぶしぶの妥協や申し訳としてではなく、その宗教そのものの教えの核心と結びついた「なるほど、この教えにしてこの態度あり」と納得できる、ある種の「輝き」がほしいと、私は願うのである。

[581]事情通 06/01/06 09:35 iT56loqtUO
難問百出の現状C申し訳としての社会奉仕(2)
 鎌倉時代、京都の北西の栂尾〔とがのお〕の高山寺という寺に、明恵上人〔みょうえしょうにん〕という立派な坊さんがいた。きわめて道心堅固な人で、深い瞑想〔めいそう〕を修め、ふだんは社会とのかかわりを断っていたが、その彼が、生涯ただ一度だけ、大きな政治問題にかかわらざるをえなくなった。それは、承久の乱で敗れた上皇方の武士が大勢栂尾の山に逃げ込み、これを追ってきた鎌倉方の武士が明恵を捕らえ、敵をかくまった張本人だとして北条泰時の前に引き出したのである。泰時に尋問された明恵は毅然として答えた。
 「当山は不殺生を掟〔おきて〕とする仏教寺院である。鷹に追われた小鳥が私の懐を求めて飛び込んできても、私はかくまうであろう。ましてや人間ならばなおさらのことである。これがご政道のためにならぬというなら、ご自由になされてよいが、その際は、この明恵の首を斬ってからにして頂きたい」
 死をおそれず、幕府の権威も恐れぬこの明恵上人の毅然たる態度に、泰時はいたく感銘を受け、以後、彼は明恵の教えを乞うようになったという。
 瞑想をこととし、社会への関心というものは心の奥深くしまいこんで、ふだんは外へは出さなかった明恵上人であるが、いったん抜き放たれた伝家の宝刀は、権力者の眼も眩〔くら〕むほどの輝きを見せたのである。宗教家はこうありたい。
 現在の真如苑では、教団の建物の中の各所に難民支援用の募金の箱が置かれている。しかし、そこに歩み寄ってお金を入れる信者の数はきわめて少ない。あたりまえである。「歓喜袋」による「歓喜」は教団にきちんと記録され、精進のバロメーターとして教団からの評価の対象になるのに対して、何の評価の対象にもならない募金箱にお金を入れても損だからである。経〔すじ〕の子の「歓喜」の額によって勤務評定される経親も、むろん、対社会の募金など勧めるよりは、何のかんのと屁理屈をつけては「歓喜」の方を勧める。
 それに、毎月「歓喜」の他に、やれお施餓鬼だやれお護摩だと金を取られつづけている真如教徒には、残念ながら、教団外への寄付に出せるお金など、ほとんど残っていないのである。
 道元禅師は「舟を置き橋を渡すも布施〔ふせ〕の檀度〔だんど〕なり。治生産業〔ちしょうさんぎょう〕固〔もと〕より布施〔ふせ〕に非〔あら〕ざること無し」として、在家には在家らしい布施のあり方があることを教え、己〔おの〕がなりわいに精励することが、立派にひとつの仏道修行であることを明らかにしておられる。釈尊も在家に対しては同じことを教えておられる。
 真如苑の教えの中で、このようなことがはっきり語られるのは、お目にかかったこともない。「歓喜」と言えばただひたすら「教団へ」であり、それを仏教の布施波羅密〔はらみつ〕であると言いくるめている。
 教義の根幹をそのようなものにしておいたままで、難民支援の募金箱を置きさえすれば一般社会への申し訳になると考えるような態度に、多くの常識ある人々は「不鮮明な」ものを感じる。
[582]偽の気配 06/01/06 09:43 *CKoaqNDPhmA*mynxzNDT83
>私にはどうみても知能の低い最低人間なんですが。

みえるんですか?不思議ですね。幻覚じゃないですか?
あったこともありませんが。

最低ということは、私より下の者がいない、ということですよねぇ
客観的にそれをしめせますか?

仏教は学んでも身につくものではないと思いますよ。
真如苑がよかった〜などといっているようでは、
仏の教えには、近づくことはできないでしょうね。

私自身は、仏の教えにちかづいている、などと言ったことはありません。別に仏教を信じているわけでもありませんしね。
ものの考え方、見方として共感を持てる部分がある、と思うだけです。

あなたのまちがっているところ
幸せになれる方法を人に尋ねているところだと思いますよ。
だから、「すべて」と答えたのです。

結果がどう転ぶか、それは勿論大事ですが
MCにはまったまま苑被害者をふやす肩部をかつぎつづけるのは
やはり避けるべきだったと思いますよ。

フランナ、苑徒、につづいてあらわれて
しかも、[558]のような書き込みがあったので
前の「幽霊」のような者かと思った、のです。

[583]偽の気配 06/01/06 09:50 *CKoaqNDPhmA*mynxzNDT83
事情通さん、ありがとうございます。

これらの情報は、
種々の圧力を著者らにおよぼすことで、
再販を押しとどめて安心していたであろう苑にとっては、
いやなものでしょうね。

どんなに、
妨害者がスレを消費させるのに躍起になったとしても、
記録として残り、いつでも参照できるというのは、
苑害に悩む人たちにとっての光明になると思います。
[584]h2o 06/01/06 11:56 ryPMOfHlaH
今彼女が真如苑に入っています。
どうしても辞めさせたいのです。
どうすればやめさせられるか教えてください。
状況としては、もう生まれてから25年以上の信者です。
[585]事情通 06/01/06 12:00 iT56loqtUO
第三部第二章 肥りすぎた拝み屋の悲劇(続き)

教主一家のスキャンダル(1)
 さて、いよいよ本書の中でも最も下世話な話題に入ることにしよう。この件については多くの読者はもうご存じのことであろう。昨年来、週刊誌の誌上で何度も話題になっているからである。
 私自身は、「なぜいま真如苑が伸びるのか」という問題意識に立って、この教団の組織作りの巧妙さ、信者に課せられる金銭的負担の実情などを解明することを、本書の主たる任務と心得ているので、教主一家の「下半身」に関する暴露談に、さして深入りする気はない。ごくあっさりと書き流しておくことにしよう。
 話は昭和四十二年の摂受院遷化〔せんげ〕(死去)の時にさかのぼる。この直後から約二年間、真如苑は大きなお家騒動で揺れに揺れるのだが、その発端が教主伊藤真乗の再婚問題であったのは周知の事実である。
 摂受院の一周忌も済まぬうちに(最近の週刊誌では「四十九日も済まぬうちに」とか「初七日も済まぬうちに」とか書かれているが、これは話に尾鰭〔ひれ〕がついて誇張された結果であろう)伊藤は後妻を家に連れ込もうとした。その相手の松島某子という女性は東京都千代田区平河町の料亭の中居であったというから、見合いですすめられた相手とは考えられない。多分、摂受院の生前から、伊藤がその料亭の馴染〔なじ〕みの客になっていたのであろう。
 こういう宗教に縁のない人が教団に入り込んできて、教主夫人として権力を振るうのは好ましくないということで、有力幹部や四人の娘たちが猛反対し、次女、三女、四女の三人は、教団から飛び出してしまった。二年後になってこの三人は父の懇請を容れて教団に戻ったが、入れ替わりに、長女映子とその夫(伊藤家の婿養子であり、教主の後継者の筆頭候補であった)が教団から追放された。この間、教主は娘たちから「宗教家にあるまじき私行」として抗議書を突き付けられたという話もあり、最終的に、教団の有力な幹部の中からもかなりの数の脱退者を出したもようである。
 結局、伊藤の再婚は、周囲の反対を押し切る形で実現した。
 この騒動の最中の昭和四十四年三月には、三女真砂子が東京駅八重洲口付近でダンプカーに飛び込んで自殺をはかる(未遂に終わったが)という事件も起こっている。これは当時独身であった彼女が、長女の夫から手を出され、不倫の間柄になったのを苦にしてのものと言われている。
 真如苑を研究している宗教評論家たちは、「昭和二十五年の法難」に関してはおおむね教主側に同情的であり、伊藤の有罪判決は、新宗教を十把ひとからげに邪教淫祀扱いする戦前以来の日本官憲の偏見の犠牲になったものだ、との見方が有力である。しかし、刑事上は何の問題にもならなかったこの「第二の法難」の方については、逆に識者の眼ははるかに厳しい。この件に関して伊藤を弁護するような評論家は誰ひとりいない。
 因縁を浄める力があると称し、人の家にいざこざがあればすぐに「色情因縁が切れていないのです」などと言い出す真如苑が、どうして教主一家の色情因縁を浄めることができなかったのであろう。
 伊藤自身がこの事件を内心やましく思っていることの絶好の証拠がある。それは、教団では、いまだに伊藤真乗と摂受院の写真を並べて拝ませ、この二人を「双親様〔そうおやさま〕」と呼び、この二人が霊界まで続く永遠の夫婦であるかのような体裁をとっている、ということである。つまり、後妻の存在は、末端信者に対してはひた隠しにされているのである。再婚がやましくないのなら、どうしてこうする必要があろう!

[586]事情通 06/01/06 12:01 iT56loqtUO
教主一家のスキャンダル(2)
 この騒動の後、しばらくの間は教団は静穏であった。しかし、昭和五十二年には、霊能者として力を伸ばしていた次女の孜子〔あつこ〕が、これまた夫と共に教団から追放されるという事件が起こっている。昨年、彼女が「里帰り」と称して真如苑総本部に突入をはかって、警備の連中と小ぜりあいを演じ、さらに、伊藤真乗の昔の行状を暴露する情報をマスコミに流したのは、多くの読者の知るところであろう。
 現在の真如苑では、初信の末端信者に対しては、教主の長女と次女については、「かつてそういう人が存在した」ということ以外には、何も教えない方針にしている。信者が不審に思って質問した場合には、次のように答えることになっている。
 「えこひいきをなさらない教主様は、邪〔よこし〕まな道に陥った者に対しては、自分の子、他人の子の区別なく、厳しい態度をおとりになったのです。教主様こそ宗教家の鑑〔かがみ〕です」
 なるほど、「物は言いよう」だ。いやむしろ、「理屈と膏薬〔こうやく〕はどこにでもつく」と評すべきか?
 こんな風に、昨日までは絶対服従の対象だった者が、一夜明けたら反逆者になるといった粛清〔しゅくせい〕劇が、再三にわたって繰り返されているわけだ。
 粛清へ向けての工作は、おそらく幹部のあいだで極秘に進められ、公表される何日も前に内々の判決はおりているのだろう。だが、内紛の真っただ中でも、内々の判決が下った段階でも、接心の場では、その時、その時の表向きの権威者を讃〔たた〕える「ご霊言」が語られつづけるのである。今日からはすっかり「反逆者」扱いされる人間を昨日まで讃えつづけてきた霊能者たちは、さぞや面映〔おもは〕ゆいことであろう。
 この面映ゆさを打ち消すためか、「高く徳を積んだ人間ほど、いったん教主様に反逆して堕ちた場合には、堕ち方も激しいのだ」などという「法則」が説かれたりしている。
 さらには、「真如苑では新しい精舎〔しょうじゃ〕や道場が完成するたびに、その精舎や道場にふさわしくない霊能者は、ご霊界がふるいにかけて堕としてゆくようになっているのだ」などというオソロシイ説も唱えられている。これなどは、今後の総合道場建設に向けて、霊能者の心を引き締めさせるためには抜群の効果のある「法則」であろうが、人に絶えざる不安を与えるような教えが何で、「常楽我浄」の宗教であるかと私は言いたい。
 最後に、真如苑が仏教徒にもあるまじく、釈尊に対してまことに失礼にあたるウソを信者に教えていることを指摘しておこう。これは、私が、長女と次女の反逆に関して中堅指導者に疑問を述べたとき、その中堅指導者が答えたものであるから、きっと、その上の指導者がそう教えたものであろう。いわく、
 「お釈迦様のときも、四人ほどお子さんがおありになりましたが、そのうち二人は反逆しているのです。正法〔しょうぼう〕が興るときは闡提〔せんだい〕(仏に対する反逆者)もまた必ず現れるのです。これはやむをえないことです」
 釈尊の子供は男の子ラーフラ一人だけであり、彼は後に釈尊の十大弟子の一人に数えられる立派な阿羅漢〔あらかん〕になったというのは、仏教史の初歩を学んだ者ならば誰でも知っている。
[587]講釈師 06/01/06 12:04 5wBp81TSJp
>>542
> いて欲しいならお願いしなさい。
> いてあげても良いですよ。

居て欲しいですね、その新興宗教の嵌りっぷり。

>>532
> 苑・沿革・教義についての勝手な解釈は疑問に劣ります。

「 勝手な解釈 」と言われていますよ。
「 甕から甕へ注ぐように 」って、どこかで水がもれてますよ。

> そんなものはありません。あるのは「苑休日」で家族団らんをしなさいという日です。

精舎 1月の行事予定−−休苑日
1月10日(火)、17日(火)、25日(水)、31日(火)
散髪屋も働いてる。
家族団らんできるのは、プー太郎の苑徒だけ。
もしくは、苑徒はみんなプー太郎か?。
[588]和音 06/01/06 12:33 wVkbRjjfOC
>>584 h2oさま

すみません、最近荒らしが横行してまして皆さん多少ササクレてます。
もう少し状況を細かく差し支えない程度に書きこんでいただけると良いかもしれません。

宗教問題はかなり厄介な代物です。
強い意志と根気と時間と労力(知識)と彼女への思いやり…等々が必要になってきますが、大丈夫ですか?
[589]偽の気配 06/01/06 12:41 *CKoaqNDPhmA*mynxzNDT83
h2oさん

和音さんもおっしゃっているように、
強い意志と根気と時間と労力が必要です。
また、頭ごなしに否定してしまっては逆効果です。
まず、彼女の話をよく聞いてあげてください。
生まれて以来25年の信者ということは、
おそらく彼女の両親の双方あるいは一方が熱烈な苑信徒である、
ということでしょう。
より一層の強い意志と根気と時間と労力を要するはずです。
一朝一夕では解決できない問題である、と腹をくくってください。
[590]白うさぎ 06/01/06 12:47 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
講釈師さま
苑休日は、事務局員さんや苑関係のお仕事をされている方の
お休みの日だと思います。
一般苑徒は、それぞれの仕事をしていますから。

[591]たぬきのこども 06/01/06 12:48 *BzKf9sYC99S*mynxzNDT83
裏スレが留まったままになっていたので、起こしました。
また、以前のように使い分けつつ、話し合いを深めていきましょう

(真如苑・裏スレ 心ゆくまで3)
[592]事情通 06/01/06 13:10 iT56loqtUO
第三部第二章 肥りすぎた拝み屋の悲劇(続き)

えげつない創価学会との争い
 一説によると、伊藤が後妻に迎えた松島某子の勤めていた料亭は、創価学会の池田大作氏もひいきにしていた料亭だったとのことである。そのことの恨みからかどうかは知らぬが、創価学会の真如苑に対する攻撃は、近年になればなるほど強まる一方である。むろん、社会現象としての教団対教団の対立を色事の恨みにだけ帰因させるのは妥当でない。基本的な原因は、何と言っても真如苑の急激な組織拡大が創価学会に「信者を横取りされる」という危機感を抱かせたことであろう。同じような対立抗争は、昭和三十年代に創価学会が立正佼成会を追い上げる形で信者を増やした時期にも見られた。
 創価学会では、機関誌上で真如苑批判の特集を組んだり、スパイを真如苑内部に送り込んだり、真如苑総本部のある立川地区に大挙して宣伝隊を繰り出して「折伏〔しゃくぶく〕」を挑んだり、あの手この手で真如苑を攻撃している。
 これに対して、真如苑側も黙ってはいない。小は家庭集会から、大は総本部での法要の席に至るまで、各種の場で毎月のように「邪宗〔じゃしゅう〕への対処のしかた」についての説教が行われている。時として、学会員が事故に遭〔あ〕った話などの具体例を持ち出しておどろおどろしく語ることによって、「創価学会ではいかに救われないか」を証明しようとする。
 その頻繁さと胸くそ悪さに、信者の中からも「またか」とか「そこまで言わなくても……」といった表情で眉〔まゆ〕をしかめる人がかなり出るが、指導者側は、「邪宗の徒が目に余るやり方で教主様に対してまで脅迫状を送ってきたりするので、やむをえず受けて立っているのです」「そもそも正法〔しょうぼう〕が興るときには闡提〔せんだい〕もまた競う立つもので、真如苑が正法なればこそ、今日、この法難に遭遇〔そうぐう〕しているのだということを真如教徒はよくよく自覚しなければなりません」などと説いて弁明に努めている。
 だが私に言わせれば、問題は「真如苑が正法なればこそ」起きているのではなく、「真如苑が創価学会と同じレベルの疑似仏教教団なればこそ」起きているのである。
 真如苑は、それ自体が教義的にも組織的にも創価学会と類似のレベルにある団体であるがゆえに、ちょっと甘言を使えば創価学会の信者層から転向者を獲得することも容易であると同時に、信者に対する教育よろしきを得ないと、逆に創価学会に組織を食われてしまう危険性も大きいのである。
 実際、両教団の体質は、多くの点で似ている。ネズミ講的な布教のやり口もそっくりだし、強引な布教攻勢を「大乗精神」の名で正当化する点も、時代遅れの教相判釈にこだわる点も、両教団はウリふたつである。
 『一如の道』には、かつて伊藤が説教の中で創価学会に言及したときの記録がいくつか載っているが、それらのうちの一つをここに引用してみよう。
 「他を非難する宗教団体では、信者が非常に窮乏して『救われないから止める』とか『お金がかかるから』などといえば『とんでもないことだ、仏を冒涜〔ぼうとく〕するも甚だしい。バチが当る、まだ導きが足りないからだ……』とおどかされ、『このように救われた、あのように救われた』と虚言をならべたてて導きにまわるのです。―これは、その教団にいた人から聞いた話です。なぜ、そのように嘘までいってお導きするのかというと、それを『方便』と教えているということです」(一三六頁)
 これを読むと、現在の真如苑の状態とたいして変わりがないじゃないか、と言いたくなる。
 両教団の間で大きな違いがあるとすれば、それは、創価学会が集会を中心とした陽性の集団洗脳方式によって信者を布教に駆〔か〕り立てるのに対して、真如苑の方は、接心の場を活用した陰性の個別洗脳方式で、じわじわと布教の使命感を植え付けてゆく、という点だけであろう。
 「むこうは暴力的な『折伏』ですが、こちらはあくまで和合を基礎とした『摂受〔しょうじゅ〕』です」と言って、真如苑は布教攻勢の質の違いを強調しようとする。だが、いずれにしても信者横取り合戦であることに変わりはない。
 その「摂受」なるものの手段として真如苑がこのごろ打ち出しているのが「創価学会に在籍していた人は五人以上『お救け』した後で接心を受けさせる」という規則である。なるほど、このようにしておけば、創価学会の市場を「五倍、五倍ゲーム」で効率的に侵食できる。
 だが、まだ接心も受けさせてもらえず、この教えが海の物とも山の物ともわからない段階で布教を強要し、「とにかくお救けしてこい。そうしたらお前も一人前の信者として認めてやる」というのは、何とまあ、人間を無視した組織至上主義であろうか!
[593]草太 06/01/06 13:25 p8QHUHlWQV
>>574白うさぎ様。
私の妻の経親でした。妻といっても再婚です。妻が前の夫と離婚して、私も離婚していたので1年半ほど経って再婚しました。
しかし、妻が私の導き親でもあり経親であったもので、離婚、そして、親と子の結婚ということで、霊位を返上せざるを得なくなったというわけです。
妻と知り合ったのは互いのHPを通じて6年前のことです、メールで宗教論議などをしているうちに、真如苑が真言宗で空海の法脈なんていうのに騙されて5年ほど前に入信しました。
始めての法要ではあのメロディにじんときて涙が出てきましたが、一如の道を読んでみて、その中に溢れる名誉欲と支配欲にうんざりするとともに、空海の法脈ではなく、また仏教とはちがったものであることがすぐに察しがつき、「騙された」という怒りすら感じました。
そののち、妻とはメールで宗教論議の喧嘩ばかりしていましたが、やってみなければ分からないいうことで、身体的に仏教でないということを証明するために続けてというわけです。
再婚したのは1年半前ですが、妻の引っ越して来て一介の在住となり、真如苑の人間関係に縛られることもなくなり、私と時折座禅会にいったり、まともな仏教関係の本の輪読などをしているうちに抜けてきたようです。
真如苑を肯定するでもなく、否定するのでもなく、帰苑しなくなって半年以上たちます。妻が抜けて変わったことといえば、あの、先祖の苦しみとか自縛霊とか背後霊とか、あの気持ち悪い霊障意識からぬけでたということでしょうか。
それでも、先祖を思う気持ちがもてたこと、そして、真如苑を反面教師として仏教の認識が深まったことは有難いと思っています。
そして、なによりも、真如苑がなかったなら今の妻とは知り合うことができなかったので、そういった意味では真如苑には感謝しているというわけです。
これだけ書くと、誰だか分かる人には分かりますが、事務局とは喧嘩をしてきていますので、今更という感じで、分かったら分かったです。
支離滅裂になりましたが、これが私と妻と真如苑との関係です。
仏教に詳しいのは、7年ほど前に家庭問題に悩み、なんでもいいから助けてくれと創価学会に入り、仕事まで辞めて、2ヶ月ほど一人アパートにこもり、法華経三昧の生活をしたこともあるからでしょう。
法華経三昧していると創価学会の法華経とまったく違うし、私としては心の痛み問題なのに、あちらは選挙運動ばかりということで「こころはファシズムだ」と半年ほどでやめて、一人、観音経と縁を結び、そして救われ今にいたっています。
そんなわけで、書き込みも仏教的になりますが、お許し下さい。
[594]草太 06/01/06 13:31 p8QHUHlWQV
追伸。
それと、2ヶ月アパートに籠もり法華経三昧していたら、精神的におかしくなり、心理学研究所などというところで半年ほど高いカウンセリングを受けています。
[595]草太 06/01/06 13:36 p8QHUHlWQV
またまた追伸。
水ぶくれで創価学会との争いが出てきましたが、創価学会の多くの人は「真如苑?それなに?」と存在さえ知らずにまったく相手にしていません。
まあ、学会のおばさんたちって「観音経ってなに?そんなの法華経にあった?」なんていう始末で、自分たちが最高で一番大きく力があると信じているから、今では真如苑はまったく相手にしていません。相手にされない哀れな存在なのです。
[596]白うさぎ 06/01/06 13:48 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
草太さま
プライベートなことまで書いていただきありがとうございました。
苑をやめたから、家庭がおかしくなる人もあれば、ならない人もいるという事がわかりました。

もう一つ質問ですが、
接心の時、霊能者が輪の中を時計の針と反対回りに移動するのは、
何故だか、わかりますか?
時計の針と同じ回り方だと、霊言は出ないのでしょうか?
ちょっと、ユングと関係している気がしたので、聞いてみました。
[597]草太 06/01/06 13:53 p8QHUHlWQV
真如苑を語る人、そして戦っている人にひと言。
真如苑への入信を勧めるわけではありませんが、真如苑を知るためにはあの接心を身体的に知る必要があると思います。
接心で、霊能者と如何に戦うか、それが真如苑との戦いのようにも感じています。
10回程度受ければ接心が分かってきます。
戦おうとする人にはお勧めです。霊能者に勝つことです。
[598]草太 06/01/06 13:56 p8QHUHlWQV
>>596,白うさぎ様。
接心でも廻り方は気にしていませんでした。そういえばお狐様は時計と反対回りをしていましたね。まったく分かりませんが、気づかせてくれてありがとうございます。
[599]和音 06/01/06 14:11 wVkbRjjfOC
>>597 草太さま

頑張ります!・・・その前に初帰苑・初帰苑。
〜急かしてみたい今日この頃〜。
[600]草太 06/01/06 14:18 p8QHUHlWQV
和音様。和音さんもこの板で長いですし、この板がある限り嵌ることはありませんから、接心を味わってみて下さい。
お狐様は手強いですが、和音さんなら勝てますよ。
[601]一般人 06/01/06 14:55 CPfbO8CsRF
>[566]和音さん同意です。
和音さんと白うさぎさんのレスを見るといつもホッとします。
>私が間違っていたのでしょうか?キチンと仏教を勉強したのに。
実践するのは難しいですね。
>苑を辞めてから妻は好き勝手な遊びにふけるようになり
真如苑も「遊びの一種」ですよ。  悪い遊びですが。
[602]一般人 06/01/06 14:56 CPfbO8CsRF
>真言密教の世界観・宇宙観・と大般涅槃経の世界観・宇宙観?は、感覚的にどうも違うな!という感じが強いのです。
宗教=密教≠仏教 というのは度々述べていますが ↑の比較だと、私の中ではイコールになります。
観点は「アートマン(個我)を認めるか否か」つまり「すべては空か有か」です。

いわずもがな  「仏教」は「空」 の教えですが、「宗教」は「有」 の教えと捉えられます。
つまり「宗教」は 自分は何者かであり神か何かの何物かに支配されている。というものであり
「仏教」は自分は何者でもなく何物にも支配されていない、という概念かな。  真如苑は宗教。

たぶん大乗大般涅槃経は 表向きは仏教風なので、密教の宇宙観とは重ね難いのだと思われます。
すみませんあとはどこかの仏教板で聞いてください〜w 私もそうやって学びましたので。

[603]一般人 06/01/06 14:56 CPfbO8CsRF
「細木=苑」ですよ。に関しては 分かりやすいと思うので、何回も述べて、皆さん耳タコだと思いますが
以前記した 辺見マリさんが遭われた霊感商法にも興味深い証言がありました。
彼女は当時その占い師の言葉を「気持ちよかった」と表現し、つまりそれは「現実逃避」ですから当然です。
細木にしても、進言内容は 至極常識的な行動規制ですが
それに「霊視」を加えることで、神秘力を増し、屈服させ 操ります。
[604]一般人 06/01/06 14:57 CPfbO8CsRF

亀レス。>裏スレ2・163
>「もう助からないな」と思った時、真導院様の言葉を思い出す。
>「もし、こんな僕に命を下さるのなら、僕は、両童子様のできなかった事をさせていただきます。
>人の苦しみ、悲しみ、痛みを知る医師にならせていただきます。」と

「こんな僕だから、この命、無くなって当然。僕の代わりに他の命を救ってください」
と言うなら分かるのだが・・・・・・・・・・・結局は「何でもしますから助けて下さい」か。とほほ
世間法は真如密ほど甘くはないよ。どんなに善行しても死する者は死する。 釈迦も毒茸を喰えば死ぬ。

>退院後、早速お救けに走る。
抜苦代受を貰っても貢献しないと、罰のようなものがあるそうです。恐い宗教ですよね。w

>自分が正しい、自分が一番えらいと思っていた自分に
傲慢な方なんですね。そしてその後は「真如苑が正しい、真如苑が一番えらいと」思うようになる。
結局おなじじゃないですかあ〜〜〜〜

>その頃、僕が病院の当直の夜になぜか、多くの末期の癌患者が息をひきとる。
そんな「リブライ」は多いようです。
しかし様々な検証後は真如密は邪まと感じますので いわば勧誘をそそのかす邪霊力の発現と解釈できます。
私にも似たようなリブライ体験があり、けっきょく当時は愚かにも勧誘しようとしてしまいました。お釈迦さまごめんなさい。
ちなみに仏教の場合だと、
そんな辛いことがあっても、祈りでは解決しないよ。互いに励ましあって生きていきなさい、
そんなありふれたこと?を釈迦は言いたかったのだと思いますが。
けして 教義内容を隠して15人以上連れてくれば尊いよ。祈れ。信じろ。とは言わなかった。

補足:仏教における「信」とは前提であって、本質的には「信」を捨て去る教えです。
依り執われる=信。 依り執われない=解脱。

[605]事情通 06/01/06 14:57 iT56loqtUO
第三部第二章 肥りすぎた拝み屋の悲劇(続き)

霊能者の来世はさぞや悪かろう
 読者も既にお気付きであろうが、私自身は、霊能というものが存在すること自体は、まんざら否定しない立場である。たんなる自己暗示とか催眠術とかいうのでなしに、過去や未来や遠方の、通常の方法では知覚しえないはずの物事を知覚したという報告は多いし、その中には信頼性のある情報もかなりある。「そういうものは存在しない」と断定することが科学的だというのは、ひとつの偏見である。唯物論を国是とするソ連でも、欧米の超心理学に相当するものは公認されている。
 だから、真如苑の霊能による接心についても、その全部が全部真理であると強弁しさえしなければ、その中に多くの真理が含まれているかも知れないことは、私とても認めるにやぶさかではない。
 しかしまた、世によくある霊能の多くの部分が、その霊能者自身の信念の影を見る形のものにすぎないことも事実である。
 特に、真如苑の霊能者の場合、「真如苑の教義」という信念体系が映し出した映像を霊眼で見ている場合が多いように思われる。例えば、真如苑の霊能者は、「このみ教えにまだ結ばれていない人も含めて、世界中のすべての人が、教主様と摂受院様によって慈愛のまなざしでお守りいただいているありさまが、はっきり見える」などと言うが、こういうのは明らかに「信念体系の映像」である。
 これとは別に、霊能者の霊眼自体は真如苑以外の霊能者でも見るのと同じものを見ているけれど、彼が真如苑の霊能者であるがゆえに、教義に沿った解釈を付け加えるという場合も多いようである。
 こういうふうにして、「ご霊言」の結論自体は、常に「教団に奉仕しろ、『歓喜』をしろ、教主様にお施餓鬼をお願いしろ、あなた自身の霊位向上が必要だ」といった、変わりばえしないものになってゆくわけだ。
 霊能者自身は、こうした霊能によって真如苑のために働くことが、自己の因縁切りのためにもかけがえのない徳積みになっていると信じているわけだ。「霊能によるお仕え」とか「霊能者になって教主様にご恩返しを」とかいったことがしばしば語られるのは、こうした「霊能の功徳〔くどく〕」という思想に基づいてのことである。だが、広い社会全体の見地から見た場合、真如苑の霊能者として活躍することは、はたして本人が思っているほど功徳になるだろうか? 「ご霊言」の中に含まれている多少の真理によって相手に信頼感を抱かせておいて、頼ってくる相手の関心を結局は「サァ、お救けしなさい、『歓喜』しなさい」という「教団への奉仕」の水路に流し込んでしまうというのは、考えてみればずいぶん罪なことではないだろうか?
 たとえ「因縁解明」に多少の真理が含まれていることによって人助けの功徳があるとしても、人に不安を与えて組織目的に盲従させた罪業は、後の世に発現せずにはおかないだろう。
 そのとき、彼らは、どういう不安にさいなまれる生涯を与えられるのであろうか?
 しっかり見守りたい興味あるテーマではある!
[606]一般人 06/01/06 14:58 CPfbO8CsRF
えっ  創価の『第三文明』の2006.1月号に 田上太秀氏の名前が!
もちろん彼がカルト擁護するはずもありませんが 断りきれなかったのだと思いますが
創価の対策班がこの板に注目してるのかも〜w

そして「騙されやすい人」の特集が。w
しかしむしろ「詐欺カルトとしての創価」という特集を組んで欲しいのはオレだけか。

[607]一般人 06/01/06 14:59 CPfbO8CsRF

>長い間、上からいじめられるので、経親になると同じことを所属にするのですう。
これは『チェーン現象』と呼ばれます。
「カルトの虐待」については その2[523] に書きました。
カルトはヒエラルキーを発生させ、
正しい虐待、つまり「苦言呵責」が正当化され「やり放題なので」それも人気の秘訣みたいです!

[608]一般人 06/01/06 14:59 CPfbO8CsRF
「信者」さんがまた来られているようですが
小手調べで 質問1:密教の、開祖は誰でしょうか。これに苑人は全く答えられない。そして調べようともしない。
ルーツは仏教より古いのですが 密教としては釈迦生誕後1000年くらいですか。
大乗の存在理由としては 釈迦仏教末期に彼らが碩学化して大衆と分離したから新たな仏教が求められた
と言われますが それは分かりますが 教義を換えたらダメですよね。w

そして密教は何故、出現したのか。もちろんその内容は 
>>444などにも在りますが、
「ではなぜそういった解釈なり教えが出現したか」は 今未だこちらでは、話そのものが出ていないですよね。
ヒントは出しましたが。
ここを読んでいる真砂子さんと中枢部は恐らくそれを、知っていて惚けていますね。
以上密教への根本的指摘でした。

[490]黒蜥蜴さん[502]白うさぎさんが的確な指摘をされてますが
ようは密教では 大日如来>釈迦 なのになんで真如苑は 涅槃釈迦像?
醍醐寺から貰った「系譜」って、順番も出鱈目だし何これ?  ということでしょう。

大日如来>釈迦 についてはただ単に、新興大乗が自らの優位性を誇示したのと同じで、顕教=釈迦は、下だ、と言いたかっただけ。
そんなもんだ。 その3[399]参照。
釈迦仏教のことを、小乗、顕教、と「後出しジャンケン」で言うのも勝手ですが、ならば「仏教」を名乗らないこと。
騙されるのは無知者ばかりなり。ですので私も、騙されましたとさ。w

[609]一般人 06/01/06 15:00 CPfbO8CsRF

>その大日如来という歴史上存在しない人物(仏)の存在(華厳経のビル遮那仏)をはじめて説いたのはお釈迦様です。
う〜〜ん 果てしなき、出鱈目ですね。 後付け。
>釈尊以降、涅槃経を読み解けたのは伊藤のみであり、そのような優秀な学者はおりません。
そうなんですか。

[610]一般人 06/01/06 15:01 CPfbO8CsRF

>伊藤が大般涅槃経を探し当て、それを処依として東蜜のままでは説けなかった部分まで説けるようになったのです。
それ、誰が言ったんですか?

[611]一般人 06/01/06 15:01 CPfbO8CsRF
>信者が一切教を読むわけないでしょう。全部漢文のうえ何冊あると思ってるんですか?
読まないでしょうけど現在はけっこう、本物と偽物の区別はついていますよ。「施餓鬼」など、まさに「偽経の賜物」ですよね。
知ってるくせに〜〜〜

[500]夢さんのご意見は、真如苑には限らないですよ。
いつだったかどこかの国のサッカー監督だかが、「誰々はカルマによってああなったんだ」と言って大顰蹙買ってましたよ。w
宗教、そんなもん。
[612]一般人 06/01/06 15:02 CPfbO8CsRF
>私は伊藤のように全てをなげうって人を救うなどできません。
でも伊藤さん、高級中華ずきでしたよね?ブランドスーツでしたね?w

>これは強制ではないですから。
弱制・・・ですかね。

>教えは誰にでも語れます。「こんな感じの寺だった」と言うのも教えを語ることです。
まず事前に教義や献金項目を言いましょうよ。「こんな感じ」では義務を果たしていないので。
入信したらまず日曜は無くなるよ、とも。

>所属が思うように歩んでくれなかったり、日常生活での自分のあり方が教えに照らして正しくないと思い、
>その事を考えすぎて落ち込んでしまう人が多いのではないかと思いました。
単に歪んだ教義だからでは? その歪みは 既に多く指摘されていますよね?

>教主の写真に向かって「俺の事救えるものなら救ってみろ」と毒づいたこともある。
>だからアナタが教えを批判する気持ちもわからなくはない。
違います。ここの方々は、「信者」さんと違い、
救われないから毒吐いているのではなく、悪質なMCの被害を訴えているので勘違いしないように!w


>ですから一度でも継主が「こうしないと救われないからこうしろ」という脅しを申し上げたのか?とお聞きしております。
もちろん多く申し上げてますよね。教主が。それを継主さまが正統に、引き継がれたのです。

「救済と 叫ぶ己の毒善に 気付くことない 自称真摯」

代わる代わる現れられる信者さんは マトモに会話する気がないようですね。
これまでの私の反苑レスに対して、幾らでも どうぞ。


[613]h2o 06/01/06 15:17 ryPMO4Sq5C
>>和音さん、偽の気配さんへ
お二人ともありがとうございます。
私と彼女は知り合って一年以上経った仲です。
結婚も考えているのですが、正直私としては無宗教者なので生理的にどうしても宗教を理解してあげることができません。
だから辞めてほしいのです。どうしても結婚を考えたときに無理です。
将来子どものことを考えると尚更です。
彼女の家族、親戚、かなりの人が苑の人間のようです。
どうしたらいいのでしょう?時間や気持ちも覚悟は出来ています。
何かいい方法があれば教えてください。お願いします。
[614]偽の気配 06/01/06 15:43 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
直接彼女さんと話してみないとわからない部分はありますが、
>どうしても結婚を考えたときに無理です。
ということで、少しも我慢ができない・待てない、というのであれば
酷ですが、難しいかもしれません。
内容はともかく、彼女さんにとっては25年信じてきたものですから、
もしいっぺんの疑いももっていないとするならば、
それを頭ごなしに否定してやめさせる、ということはできないと思います。ある意味で、自分の人生の25年を否定されたように聞こえてしまうでしょう。

どこまで彼女(彼女の信仰)をうけいれられるのか、
その上で、苑問題とどう組み合うか、という順番で考えて見られてはいかがでしょうか?

私自身も、とりたてての宗教を信じるということは今までありませんでした。おそらくこれからもないでしょう。
それは無宗教とでも言うべき状態なのかもしれませんが、
なにからなにまでをも否定する、という無宗教ではありません。
とかく宗教には胡散臭いイメージがつきまといますが、
人間が生きていくうえで築いてきた一つの哲学のようなもの(まったく一緒ではないですが)だと思います。

もちろんそのまま知らなくても日常の実生活に直接支障をきたすことはありませんが、さまざまな慣習・慣例などと密接にからみあっているのも確かです。

これを機に、少し調べてみるのもいいかと思いますよ。

知る、ということと、嵌るということは同義ではありません。

まず、知ること・・そこからかとおもいます。
[615]h2o 06/01/06 16:15 ryPMOpKLZk
やはりそうなのでしょうか…彼女にとっては私と比べる事のできない大切なものだそうです…
今はただただ宛を恨んでいますよ…。
ちなみに私は神など信じていない思考なので。いくら拝んでも助けてはくれない、自分がもがき苦しんで努力して幸福などは掴みとるものだと思っているので…尚更否定的になってしまうのかもしれません。
すみません、こんな私の相談にのっていただきありがとうございました。これからも誠意を持って彼女に接していきたいと思います。
[616]逃亡者 06/01/06 16:16 oKpyIsh6.4
>>593

>そして、親と子の結婚ということで、霊位を返上せざるを得なくなったというわけです。

導き親が導き子と結婚するのに霊位返上しないといけないことはないはずですか、何の為にそんな嘘をつくのですか?
[617]- 06/01/06 16:31 u7GuCJIlaz
苑は、仏教を騙った、新興宗教(霊能の接心・占いのびょうぜい)ですね。
[618]偽の気配 06/01/06 16:37 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
h2oさん、

私も似たような思いをもっていましたので、
おっしゃることの意味はわからないでもないのです。

ただ、いろいろと調べてみると、
神にすがる・・という宗教と、
釈迦がといた仏教とでは、根底にながれるものに違いを感じます。
(私見です)
仏教そのものは、それにすがれば幸せになる、というようなものではありません。
ですから、頭ごなしに否定することはない、と私はおもいます。
信じる、信じない、という二択をせまるのではなく、
まず自ら知るということを試みられてはいかがでしょうか。

苑は、ほめられた教えではない、と私は今でも思っています。
その反面、強度の破壊的カルトというわけでもないようです。
頼るものをもとめる彼女さんにとって、
いきなりそれを奪うことは、誰にもできないと思います。
苑に替わる形で、h2oさんが彼女の支えになっていければ、
彼女も苑を卒業することができるのではないでしょうか。

彼女に卒業にむけてのきっかけを提示していくこと
そのためにもh20さんが、
仏教などの宗教に関して知を広げることが大切だと思います。

嵌らずとも、発想の転換や拡張にもつながります。

[619]事情通 06/01/06 16:48 iT56loqtUO
第三部第二章 肥りすぎた拝み屋の悲劇(続き)

何のための真如苑(1)
 これまで長々と解明してご覧にいれたように、
 第一に、歯止めを失ったネズミ講的組織拡張に走り、
 第二に、教主の極端な神格化をおし進め、
 第三に、教主のスキャンダルを弁護するために臆面もなく虚構の「法則」を創作し、
 第四に、対立教団との抗争に勝つためにえげつない技巧を弄し、
 第五に、これらのしめくくりとして、組織盲従人間を作り出すために霊感術を活用するというのが、現在の真如苑という教団なのである。
 このような悪辣〔あくらつ〕な教団は、いったい何の意義あってこの世に存在しているのかと、まともな常識ある人ならば誰しも思いたくなるであろう。
 しかし、「存在するものにはすべて尊い意味がある」という「諸法実相〔しょほうじっそう〕」の観点に立てば、この真如苑もそれなりの意義あって存在しているには違いないと言えよう。
 では、その意義とは具体的には何か?
 私は、その意義は二つあると思う。
 まず第一は、「宗教団体はどのように作ってはいけないか」という実例をまざまざと体現してみせることによって、後に続く人々への戒〔いまし〕めを世に残してくれたという功績である。つまり、伊藤真乗および真如苑というものは、宗教界にとってよき反面教師である、ということだ。
 そして第二は、より積極的な意味として、現代日本という非宗教的な社会で、とにもかくにも、本当の宗教とは何かという問題を真剣に考える人間を、少なくとも何万人かは作り出したという功績である。
 およそ宗教に関するかぎり、近代日本は歴史上にも稀に見る混乱を呈した社会である。平安時代、鎌倉時代に開花した大思想の遺産を継承する宗派仏教の宗教家たちは、徳川体制の下では民衆管理の小役人になり下がってしまった。家督相続権の付属物たる「家の仏壇の宗教」に追認を与え、「女は三界に家なし」などと説教する以上、ろくに物を説くことを許されもせず、本人自身その能力もない人間になってしまった。
 その結果生まれたものは、「位牌の祀〔まつ〕り方がどうであれば家に福が来る、どうであれば家に禍〔わざわい〕が来る」といった、およそ仏教の本旨とは関係のないことを、仏教であるかのように取り違える一般的風潮であった。
 この風潮は、一方では、そういう些末〔さまつ〕な土俗のみを宗教だと思って一生を終わる人間を大量に作り出すと同時に、他方では、おのれの知性の水準にはるかに及ばぬその種の「仏教」を嫌うがゆえに、仏教一般に対して無関心になり、儒教や洋学に心の糧を求める、少数の覚めたエリートを作り出していった。後者のタイプの有為な人材が徳川時代を通じて多く生み出されたことが、明治維新とその後の日本の発展に大きく寄与したことは、今では多くの歴史家の一致して認めるところである。
 が、こうした二極分解の中で一方の少数者だけが近代化を担うタイプになっていったという日本の特殊事情は、取り残された民衆の中にはズブズブの土俗以外に「思想」らしいものがないという精神的空白を作り出すことになった。
 また、エリート層自体、伝統思想との対決の中からその合理的世界観を生み出したのではなく、退嬰的〔たいえいてき〕な伝統思想のていたらくにシラケきって自然に目が覚めてしまったというのが、実情に近い。こうした「シラケ」からはじまった合理主義精神は存外なひ弱さを内に秘めており、インテリ自身、個人的危機に直面すると、いつのまにやら、克服してきたはずの退嬰的世界に、知らず知らずに舞い戻ってしまったりするものである。
 このような精神的空白を温床として、姓名判断、方位学、家相学、印相学、墓相学といったおよそ宗教とは関係のないものが、宗教づらをして巷〔ちまた〕にはびこり、一定の層を顧客として惹〔ひ〕きつけるという事態が続いている。


[620]事情通 06/01/06 16:49 iT56loqtUO
何のための真如苑?(2)
 こうした次元に低迷している人々に、そうでない宗教精神というものがあるのだということを教えうる人があるとすれば、その適任者は誰か?
 この温床自体を作り出した既成仏教の宗教家たちにはその任務は期待できない。また、シラケて目覚めたインテリ層も、この温床の自覚的克服者ではないから、克服の筋道を指し示しうる力量がない。適任者がいるとすれば、それは、この温床の中に自分自身どっぷりつかりこんだ体験を持ち、その中からはい上がってきたという人間だけであろう。立正佼成会の庭野日敬〔にっきょう〕氏などはこうした民衆的指導者の一典型である。彼は、姓名判断等の俗信を活用して入門段階の信者の欲求を満たしつつ、しだいに法華経信仰一本へと育て上げてゆくというカリキュラムをこしらえ、それなりの成功をおさめた。
 伊藤もまた、占いで人を集めていた初期の拝み屋時代を見ればわかるように、この温床の真っただ中から出発した人間である。そして現在でも「接心」の中に占い的要素を多分に残していることからもわかるように、教団の下部構造はこの温床の中にどっぷりと浸っている。それでいて、その同じ「接心」の中で、占いに取り混ぜる形で仏教的教訓を語らせるように霊能者を訓練し、「接心」そのものを、占い的次元から宗教的次元へと信者を引き上げる、吸い上げポンプとして活用するようにしたのは、伊藤の技巧のうまさと言えよう。
 例えば、伊藤が教化用に作った「苑歌〔そのうた〕」の中には、「今日という日の吉凶を論ずより今日の行ない見返るぞよし」などというのがあるが、こういう「苑歌」は、接心の中でも「ご霊界からの言葉」としてポンポン飛び出してくる仕組みになっている。自分の卑近な利害にとらわれる「占い」的関心から教団に接近した者が、「占い」的関心をある程度満たされつつ、そのことによって「絶対のご霊言」として信頼を置いた同じ「接心」の場で、この手の教訓を与えられて、知らず知らずに精神的に成長してゆくのは、確かにひとつの意義のあることではある。
[621]The G Team! 06/01/06 16:49 u7GuCJIlaz
俺たちは、苑の、お助け霊能地獄から脱出し、真っ当な人間に
戻った、しかし、地下に燻っているような俺たちじゃない、
不可能を可能にし、強大なマルチ似非仏教を粉砕する。
                          
[622]事情通 06/01/06 16:50 iT56loqtUO
何のための真如苑?(3)
 山口組三代目組長の故田岡一雄という人は、晩年には暴力団同士の抗争事件で世の顰蹙〔ひんしゅく〕を買い、マスコミからさんざんこきおろされた人ではあるが、彼を根っからの極悪人のように言うのは当を得た批評ではない。彼は一人の有能な組織者であり、多くの輩下から慕われる存在であった。戦後の混乱期には、警察自身ですら、警察の手の回らない治安維持の一部面において田岡氏の手腕を買い、彼の輩下の組員たちの活動を黙認することで、その治安維持機能を暗に評価していたという歴史がある。
 田岡氏は、自分の役割をつねづね次のように語っていた。
 「親の言うことも聞かぬような、ならず者はいつの世にもいるもので、ほうっておけば今よりももっと悪いことをするだろう。自分はそういう連中を集めて統制を加えることで、少しは世の中のためになる方向に生かしているのだ」
 なるほどこれは一理ある。事実、債務支払期限が来てもぬらりくらりと逃げ口上を使って逃げるような、不徳な債務者などに対しては、いちいち裁判所に訴えたりするより山口組の「やーさん」に依頼して、ドスのきいたひと声で凄〔すご〕んでもらった方がはるかに手っとり早い。親の言うことも聞かぬようなチンピラ(現代では、その多くは学歴社会の歪〔ゆが〕みが生んだ犠牲者であろう)でも、こういうことでなら、世の中の役に立つ。それを取り仕切る田岡氏がいたことも、こう考えれば「諸法実相」である。
 伊藤真乗という人の役割を、私は基本的にこれと似たものと考える。伊藤の役割を田岡氏の口上にならって叙述すれば、次のようになろう。
 「世の中には、占いやご利益信心にしか関心の向かない、低い宗教心の人というものは必ずいるもので、そういう人は、ほうっておけばますます迷いの中にはまり込んでしまうだろう。そういう連中を集めて統制を加えることで、少しは世の中のためになる方向に生かしているのだ」
 だから、伊藤がその分際をわきまえて行動していれば、何も文句をつける謂〔い〕われはなかったのだ。分際をわきまえて「仏教宗派の中の特色ある人助け活動」という程度に自認していればよかったのだ。そして、伊藤を踏み台にして、より高い宗教精神に目覚めてゆく人たちに対しては、「去る者を追わない」寛容さを持てばよかったのだ。そうすれば、「このみ教えを疑う人はみな障害霊が入っているのです」などという無理な神話も必要なかっただろう。
 真如苑は、立教当初の「真言宗醍醐派・真澄寺」にとどまるべきであった。「人類を救い、地球を救い、はてしない宇宙までをも救う真如のみ教え」になってしまったのは、「肥〔ふと〕りすぎた拝み屋の悲劇」である。
                         [『水ぶくれ真如苑』完結]
[623]偽の気配 06/01/06 16:53 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
The G Team!さん

そこまで力みすぎることはないでしょう。

それとも新手ですか?

ちなみに、ここは地下ではありませんし、
みなくすぶっているわけでもないですよ。

くすぶっているという思いがあるなら、それは捨て去ったほうがいいです。
[624]事情通 06/01/06 16:54 iT56loqtUO
ふーっ、疲れた。でも、いいお正月でした。

なお、『水ぶくれ真如苑』のうち第一部第一章の中の「水も漏らさぬ秘密主義」という節と、第一部第二章の中の真如苑の歴史を述べた部分は、あたりまえすぎる話なので、省略しておきました。

が、それ以外の部分のテキストは前文写しましたので、みなさま、末永く資料としてお使いください。
[625]h2o 06/01/06 16:58 ryPMOVUjss
偽の気配さん、ありがとうございます!
もう少し自分なりに知る努力をしてみようと思います!!!
信念を持って必ず彼女をやめさせられるようにします。
無知な私ですが、私が思うに宛とは人を選び金を持たなければ信じる事を許さない宗教とゆうイメージがあるのですが、実際にはどうなのですか?宛とは?ネットで調べるにもあまりにも情報が少ないので。
お参りに少なからずお金を毎回毎回持っていかなければいけない点と、霊能者が教主の死んだ息子の言葉を皆に聞かす点が理解できないのです。
[626]事情通 06/01/06 16:58 iT56loqtUO
↑前文じゃなくて全文でした。
[627]事情通 06/01/06 17:01 iT56loqtUO
>>625
まずは、このスレに転写した『水ぶくれ真如苑』でもお読みください。1987年出版の古い本ですが、苑の実態は、変わっていない部分が大部分ですので。
[628]白うさぎ 06/01/06 17:08 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
一般人さま
たくさんのレスありがとうございました。
>救われないから毒吐いているのではなく、悪質なMCの被害を訴えているので勘違いしないように!w

そうなんですよ!
MCされている時は、MCされているなんて、絶対思えませんからね。
ただ、風刺と皮肉が過ぎるので、どっぷり苑徒さんには、不快なのだと思います。
[629]偽の気配 06/01/06 17:10 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
事情通さん、
大変な作業、ありがとうございました。
貴重な資料になります。
これは、永久保存版です。
[630]白うさぎ 06/01/06 17:13 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
事情通さま
毎日、本当に膨大な量のお仕事をしていただき、ありがとうございました。
印刷して、大切に保存いたします。
入信前に読みたかったわ!

「血統因果論」という言葉は、始めて知りました。
この板は、本当にとっても勉強になります。
感謝です!!!

[631]事情通 06/01/06 17:17 iT56loqtUO
以上こまぎれに写しましたので、みなさまの整理に都合がいいように、目次も写しておきましょう。

第一部 真如苑とはどんな教団?
 第一章 立川の伏魔殿
      新版立川流密教?
      水も漏らさぬ秘密主義
 第二章 伊藤ファミリーと真如苑の歴史
      四月八日は何の日か?
      歴史@草創期
      歴史A発展期
      真如苑の教義のあらまし
      真如苑の組織と修行のあらまし


[632]事情通 06/01/06 17:17 iT56loqtUO
第二部 なぜいま真如苑が伸びるのか?
 第一章 オモテの理由とウラの理由
      オモテの理由
      ウラの理由
 第二章 何でも答えてくれる「接心」
      スーパーマンが五百人
      「ご霊言」は絶対の真理?
      親切すぎるほど親切
      変化エージェントとしての霊能者
      卓抜した霊能者統御法
 第三章 洗練された説得術
      際限なく湧き出してくる「因縁」
      疑問はすべて「障害霊のせい」
      解決の道は「あなた自身の霊位向上」
      「不満はすべて上求菩提しなさい」
 第四章 「抜苦代受」のあとに来るもの
      ネズミ講とマルチ商法
      「幸せのネズミ算」は「不安のネズミ算」
      死屍累々の上のわずかな救い
      水ぶくれは教主のお家芸
      会費が安いことのウラの理由
 第五章 安い会費のウラにあるもの
      「大歓喜委員バッジ」の無言の圧力
      「歓喜袋」の奸計
      「お施餓鬼」は年に六回?いや十八回!
      「七分獲一」のボロもうけ
      「お護摩」は最低二千円
      接心は月に最低一回泊まりがけ
      経別指導の膨大なロス
      有名人・有力者を入信させるは大功徳!

[633]事情通 06/01/06 17:18 iT56loqtUO
第三部 水ぶくれ真如苑の泣きどころ
 第一章 仏教学に照らしてみた真如苑教義の問題点
      「大乗」
        @「ご利益信心」が「小乗」か?
        A時代遅れの教相判釈
        B本当の大乗精神とは?
      「大般涅槃経」
      「密教」
      「因縁」
        @仏教の宿業論と真如苑の因縁論の相違
        A原因のない結果だけの連鎖
        B群盲象をなでる
      「世間法」と「如来法」
      ひと皮むけば天理教
 第二章 肥りすぎた拝み屋の悲劇
      真如苑進化論
        @拝み屋時代
        A信者寺時代
        B新興教団時代
        Cネズミ講時代
      分際をわきまえない肥りぶり
      難問百出の現状
        @お救け競争でふえすぎた信者
        A教主神格化の進行
        B偏る信者層
        C申し訳としての社会奉仕
      教主一家のスキャンダル
      えげつない創価学会との争い
      霊能者の来世はさぞや悪かろう
      何のための真如苑?
[634]偽の気配 06/01/06 17:21 *DTibdHfp8ZQ*mynxzNDT83
私の知る限り・・ですが

そこまで極端なことはないようです。
とはいえ、歩み始めると、まじめに信じてしまえばしまうほどに、
ちょこちょことお金を払う機会がふえるでしょう。
それならば、近所のお寺や神社にお賽銭を上げるほうがよっぽどいいと私は思いますが、苑徒はそれににたようなものだ、と主張するでしょうね。
問題は、「強制されるのではない」が、
個々人に「そのようにふるまわないと立ち入られなくなる」、「自分が至らないのだ」、と思い込ませることによって、やんわりと(確実に)締め付けてくるところでしょう。精神的なしめつけであるがために、本人は“強制”されていることに気づいていないかもしれません。自発的な思いであるかのような錯覚を持たされています。なのでやっかいです。当人をせめるのは酷なことになってしまうのです。対応の難しい部分でもあるかと思います。

霊能者云々という話の部分は、
仏教とはまったくかけはなれたものですから(調べるとわかってくるとおもいますが)、
あくまでも易から出た伊藤教独自の占いもどきだと考えていいでしょう。
それでもなにがしかの力を持つ人はいるようです
その力が、テクニックによるものなのか、
それともいわゆる第六感的なものなのかは定かではありませんが、
大半の霊能者はテクニックとして学んだのでしょう。
これも、自己洗脳してしまっていることもありうるので、
霊能者本人はいたってまじめに自分が霊能者であると信じている可能性もあります。
死んだ子供(今の継ぐ主から見ると、兄にあたる)をダシにつかっている部分は、似非仏教の何たる科を如実に物語る部分です。
ただ、あまりにその点を最初からつつきすぎると、逆効果になってしまいます。

とあるお寺の住職に相談したところ、
より悪質なカルトに嵌るよりは、まだましだったと思って対処をはじめるのがよいか、とのことでした。

信念をもって、でもあせらず気長にがんばりましょう。
同じ思いでここに来ている人もたくさんいます。
[635]白うさぎ 06/01/06 19:49 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
事情通さま
三土さんの真如苑入信のきっかけは、何だったか?わかりますでしょうか?
[636]健一 06/01/06 19:53 sJBDscH7vB
はじめまして。苑関係の板なので聞きたいのですが、僕の彼女(?)が真如苑の信者です。

それは別に個人の自由だからとやかく言うつもりはないのですが、真如苑ではエッチが禁止されているとかでエッチさせてくれません。

果ては「真如苑に一緒に入信して欲しい」とまで言われました。

エッチもさせない上に入信を強要する事にかなりムカついてます。

かなりイケてる彼女なので惜しいですが別れたほうがいいのかなぁとかまで考えてます。

なんで真如苑ではエッチがダメなんですか?
[637]事情通 06/01/06 20:33 iT56loqtUO
>>635
白うさぎさま。
詳しくは聞いていませんが、少なくとも、たんなる取材目的の潜入ではなかったようです。
>>91
↑『水ぶくれ』の中には「潜入してみたことがあるが……」と書いてありますが、「私もあなたと同じように、一時は本気で信じてみようと思ったことがあります。だからこそ、だまされたという悔しさがよくわかって、ああいうものが書けるんです。最初から研究目的で行っている一部の宗教社会学者のような人々は、だまされたという痛憤の念がないから、私に言わせればいたってのん気なことを書いていますが、あんなのは真実の報告になっていません」とのことでした。
もともと仏教に関心があったので、「在家のままでお釈迦様の最後のみ教えが学べる尊い場所なのですよ」とかいう知人の女性の勧めを真に受けて、導かれるままに行ってしまったとのことです。でも、もとから仏教をある程度勉強していたので、三ヵ月もすると「こりゃ、へんだ」と思いはじめ、半年もするころには、お金もどんどんかさんでくるし、「これ以上ついてっていいのか?」とずいぶん悩んだとかいうことです。
[638]白うさぎ 06/01/06 20:46 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
事情通さま
ありがとうございました。
よくわかりました。
だから、「水ぶくれ」の後に、「幸せのメッセンジャー」を書かれたのですね。
三土さんは、MC被害は、ほとんどなし?でしょうね。
私が書くとしたら、その部分ですね。
[639]maru 06/01/06 22:56 jd8asXNRtn
接心で、婚約者にも話すなとの霊言が与えられることもある。
夫にばれて相談接心を受けると、「一緒にいる限り因縁が清め
られない」と暗に別居なのか離婚なのかを霊能者薦められた例も
ある。

幼い子どもを連れて苑に行き、家族に話すなと子どもに言う母親がいる。
子どもは、人生のはじめに、人を騙すことが当たり前のことと、
それを身につけてしまう。

苑の嘘つき体質が、世間に害毒を流し、他人の幸せを破壊していく。
[640]maru 06/01/06 23:29 jd8asXNRtn
霊能位(真如霊界・両童子)や易のびょうぜいは、仏教に無い教えです、
「伊藤開祖独自の占い(ビョウゼイ)」と「奥方の内田家伝承の霊能」を
「ブレンド」した、伊藤苑独自のイニシエーションです。
[641]DAKARA 06/01/07 00:05 HcWNwUFCgg
だから何?639はわかるが 「ブレンド」したらより良くなるから良いのでは?
[642]たぬきのおやこ 06/01/07 00:14 *nNLigvPzEKu*Y4p7.ageZH
ブレンドしたらよりよくなる?

おいおい、冗談はよしましょうぜ

おいしい所取りした、と言っても、伊藤がおいしいと思った所どりだから、かならずしも、よりよくなるとはかぎらんぜよ。
[643]DAKARA 06/01/07 00:34 HcWNwUFCgg
訂正。だから何?639はわかるが 「ブレンド」したらより良くなるかもしれないから良いのでは?ぜよ。
[644]ミランダ 06/01/07 01:05 jd8asXNRtn
易と霊能ブレンド結構だし ブレンドお米もあるし

無理して接心やりたくなければやらなくても良いし

苑に拉致監禁されて強要される訳じゃないし

社会的に問題があるなら何時か裁かれるのも事実だし
[645]草太 06/01/07 03:28 p8QHUHlWQV
h2oさん。
年寄りの冷や水ですがひと言お許しを。
>>ちなみに私は神など信じていない思考なので。いくら拝んでも助けてはくれない、自分がもがき苦しんで努力して幸福などは掴みとるものだと思っているので…<<

「我神仏に頼らず」ということで立派な考えたと思います。そして、これを突き詰めると「すべては自分」となりますが、この「すべては自分」というのが仏教なのです。
また、無宗教という言葉がもてはやされて久しいですが、たぶんh2oさんは「特定の宗教を信じない」という意味合いで使っていると思います。信じなければ、後で「騙された」なんて怨みことはありませんからそれに越したありません。
そして、私の場合は「何も信じないことを信じる」という固い信心をもっているのですが、これも「空」の信心という仏教になってしまいます。
また、阿満利磨氏が「日本人はなぜ無宗教なのか」(ちくま新書)の中で神道を例に、「日本人に宗教はあるが、それを宗教だとおもっていない」と語っています。2年前、ネットで無宗教論議をやったことがありますが、「地球上に無宗教の社会があるなら教えてほしい」と言った人の言葉が印象的でした。
さて、h2oさんは彼女を真如苑から連れ出しどこへ行こうというのでしょうか?この地球上に無宗教の社会があるのでしょうか?
もしかして、心の問題に関しては彼女の方が上かも知れません。今のままでは彼女を救い出すことは困難でしょう。大切な彼女が宗教という名の教団に入っているのを機に、宗教的なものを勉強して、彼女を自分の世界に連れ出せる力をつけたらいかがかと思います。
生意気なことを書いてしまいましたが、参考になれば幸いです。


[646]草太 06/01/07 03:40 p8QHUHlWQV
健一様。
真如苑は密教ですし、霊位が向上すると理趣経を奉じていますのでセックスはOKですよ。ちなみに、誤解を恐れずに理趣経をさわりを。

ビルシャナ如来は、いいました。
「たとえば、セックスをして最高に気持ちがいいことも、菩薩の境地。
早く欲しい!と矢のようにはやる気持ちも、金剛薩という菩薩の境地。
どうしても肌に触れたい!と思う気持ちも、金剛王という菩薩の境地。
抱きしめて我がものにしたい!と思う気持ちも金剛愛という菩薩の境地。
相手を思うようにした喜びも、金剛喜という菩薩の境地。

いうわけで、絶対肯定の世界が密教です。

ちなみに私は、時折、観世音菩薩(大日如来=真理)ちセックスをしていい気持ちになることがあります。
[647]草太 06/01/07 10:50 p8QHUHlWQV
密教がでたところで、前に密教経典と涅槃経の違いについて質問されたことを思い出しました。
浅はかな私的見解を述べさせて頂きますと、空海さんが「顕密人にあり」と言ったというように、すべては縁起の法則で相互に依存して成り立つから、経典も読者に依存します。
ですから、顕教の経典である涅槃経も、密教人間が読めば密教の経典となり、密教経典も顕教人間が読めば顕教の経典となります。
また、伊藤さんのようにオカルト人間が涅槃経を読めば、涅槃経はオカルト経典となり、知識優先人間が読めば、涅槃経はただの知識の一部に過ぎなくなります。
「顕密人にあり」、経典は読み人に依存してその姿を変えるいうことでしょう。
そこで、私といえば、身体性を重視する密教人間になりたくて真如苑に飛び込んでみましたが、果たして密教人間なのでしょうか?…。以前、「頭でっかち」といわれたように、知識優先人間で、単なる知識として経典を読んでいるのかも知れません。そんなろくでなしの私見ですが、何かの参考になれば幸いです。
[648]事情通 06/01/07 12:39 iT56loqtUO
昨日までに写さなかった部分も、念のために写しておきますね。

水も漏らさぬ秘密主義(1)
 世の宗教団体の中には、きわめて情報の漏〔も〕れやすい天真爛漫〔らんまん〕なタイプの団体と、何重にも垣根をめぐらして、容易には情報が漏れないようにガードをかためているタイプの団体とがある。
 昭和五十年ごろに栄えたGLAという教団は前者の典型であった。この教団は、電気技師で実業家であった四十代の教祖が、ある日突然、仏教の原点を悟ったと称して開いたもので、当初は、教祖を釈尊の生まれ変わりであるかのように見せかけていた。後には、教祖自身、「実は私は太陽系全体の大指導霊エル・ランティーの降臨である」というドエライことを語りだし、まもなく四十八歳で他界してしまった。
 「憑依霊〔ひょういれい〕を取りはらう」という独特の霊能的技術と、過去世〔かこせ〕の自分が意識の底から語り出す」と称する異言〔いげん〕現象を目玉商品として採用し、原始仏教を基礎にした現代人向きの教えを説き、葬式仏教に対して歯に衣〔きぬ〕を着せぬ批判をやってのけたのが若者に受けて、一時は十万人近い信者を持った。教祖自身が経営者だったため金に困らず、他の宗教団体のように寄付を強要することがなかったのも、人気を博した原因のひとつで、出版物を多く出したのもこの教団の特徴であった。
 しかし、周到な準備なしに片手間で始められた教団であったため、主張する教義の内容にも時として矛盾があり、とりわけ「エル・ランティー」騒動の唐突さは、多くの人々の疑惑を買った。この「エル・ランティー」氏の突然の逝去にあわてた幹部たちは、まだ十九歳であったその長女を「ミカエル大天使長の降臨」と称してかつぎ出し、もうひと山あてようとねらったのだが、これがかえって教団の分裂をひき起こす原因となった。この「ミカエル」について、とりまきが語ったことの多くは神話にすぎなかったのだが、「ミカエル」自身がこの神話におだてられて図に乗って、とりまきに対して威張りちらしだしたのだ。とりまきの多くが愛想をつかし、次々に教団をとび出しては、暴露談を外部の人々に語るようになった。
 しかも、教祖自身が出版活動に熱心だったことの影響を受けて、元幹部の連中も「こちらこそ本流」と主張するための本を競って出版しはじめたので、GLA時代のいろいろな人物の行動が、対立派の出版物を見ることで手にとるようにわかるようになってしまった。出版合戦のあげく、ついには、教祖の生前は弟子でも何でもなかった人物が「こちらこそGLAの教えを受け継ぐ本流」と称して旗揚げする例まで出てくる始末であった。こうした書物の多くはばかげたものであり、読んでいて少なからず胸くそ悪くなるが、時として何となく憎めない天真爛漫さが感じられるのは、ひとつの救いである。
 このGLAの対極に位置するような教団が真如苑である。
 こちらは昭和十一年立教というから、GLAのような新参とはちがった老舗〔しにせ〕であり、徐々に勢力を伸ばす過程で、教団運営のノウハウを少しずつ着実に蓄積してきているので、GLAのようなヘマはやらかさない。徹底した軍隊式のピラミッド型組織を採用しているので、どの信者も、自分より下位の信者のことはよく把握できるが、自分の「直属上官」より上のことは、とんとわからない仕組みになっている。しかも、自分の導きの子孫を多く作ると教団内で地位が上がるというネズミ講方式を採用しているので、ある程度地位が上昇して、教団の秘密にタッチできたほどの人物は、同時に、組織上、自分が得になるような「うまみ」が出てきてやめられなくなる。教団から脱落する人間はたくさんいるのだが、それらはみんな、思うように地位が上がらなかった失敗組であるから、教団の秘密にはタッチできなかった人々ばかりである。
 こういうわけで、秘密事項は容易には外に漏れない。
 さらに、教団の本部や支部などの建物を信者以外は原則として立入禁止の場所にしており、マスコミの取材は原則として拒否する。宗教社会学者などがどうしても内情を探りたい場合には、偽装入信して探る以外にない。しかし、たとえ信者になっても、上級の修行の場には、それ相応の地位が与えられるまでは参加できない仕組みになっているので、全貌〔ぜんぼう〕を知ることはまず不可能である。

(ちなみに、GLAを受け継ぐと称して弟子でもない者が勝手に旗揚げしたという教団は「白装束・パナウェーブ」のことですが、これは真如苑スレにとってはいささか余談)
[649]事情通 06/01/07 12:40 iT56loqtUO
水も漏らさぬ秘密主義(2)
 この教団は、何回かのお家騒動を起こした際に、教主の娘を筆頭に、有力な幹部から何人かの脱退者を出しているはずなのだが、どういうわけか、この教団の脱退者は、GLAの脱退者のように文書によってはっきりと教団を批判することをしたがらない。もしかすると、教団を暴露することは、自分自身が幹部として「うまみ」を吸い上げて生活してきた経歴を人前にさらすことにつながるということで、自制心が働くのかもしれない。
 まことに、水も漏らさぬ秘密主義である。
 この徹底した秘密主義と、例の「立川流」めいた噂〔うわさ〕とがあいまって、真如苑をまさに「立川の伏魔殿」と呼ぶにふさわしいものにしているのである。
 しかし、今までに、この「立川の伏魔殿」に潜りこみ、外部に貴重な情報をもたらした人間が全然いなかったわけではない。
 私がこの本を書きはじめた昭和六十二年の春までの時点でも、週刊誌以外の出版物に、真如苑についてかなり長い報告を書いている著者がすでに三人いる。
 第一は、毎日新聞記者の横山真佳〔みちよし〕氏(共著『新宗教の世界V』大蔵出版、九五〜一四五頁)。かなり綿密な取材に基づいて、冷静な筆致で書いている。ただし、この人の報告は、教団事務局に正式に取材を申し込んで、了解を取ったうえで書かれたものなので、それなりの制約がある。つまり、教団の悪い点をずけずけ書いて相手の機嫌を害してしまうと、以後取材拒否ということになるから、そうならないように、批判を極力控えているわけだ。また、取材自体にも、かなりの制約を付けられたらしい。私が横山氏から直接伺ったところによると、教団の敷地内で一般信者に対して直接質問することは一切禁止されたという。
 第二は、宗教社会学者の白水〔しらみず〕寛子氏(森岡清美編『変動期の人間と宗教』未来社、七一〜九五頁)。この人は、大学院の修士論文のテーマとして真如苑を取り上げ、偽装入信して内情を観察したようだ。したがって、真如苑の秘儀装置である「接心」も身をもって体験し、かなり核心に迫る報告をしている。ただ、最初から研究のつもりで偽装入信しているため、本気で信じてダマされた人間だけが知る悲痛な気持ちはご存じないようだ。
 第三は、宗教評論家の清水雅人〔まさと〕氏(清水雅人著作集第一巻『新しい宗教とは何か』稜北出版、一二九〜一三八頁)。この人もやはり、白水氏と同じく真如苑を内側から観察した体験を持ち、「接心」も身をもって体験しているそうで、報告にはそれなりの迫力がある。しかしこの人は、長年『新宗教新聞』の編集長のポストにあり、新宗教界全体のスポークスマンのような役目を果たしてきた人である。基本的には冷静な観察者として振舞っているのだが、立場上、新宗教教団の悪い面については、知っていても書きらがらないところがある。
[650]事情通 06/01/07 12:42 iT56loqtUO
歴史@草創期(1)
 伊藤文明〔ふみあき〕(後の真乗)は、明治三十九年(一九〇六年)三月二十八日、山梨県北巨摩郡長坂町の農業伊藤文二郎、よしえ夫妻の次男として生まれた。父親は家に代々伝わる「甲陽流病筮鈔〔こうようりゅうびょうぜいしょう〕」という易学書に通暁し、また母親は熱心な天理教徒であった。伊藤家はひとかどの地主であったらしいが、文明は、昼間の正規の学校としては高等小学校を出ただけであった。理科と図画が得意な、手先の器用な子供で、高等小学校時代に父から病筮鈔〔びょうぜいしょう〕の口伝〔くでん〕を受けたと言われる。
 十八歳で上京した伊藤は、働きながら夜学に学び、仕事の合間を見ては、日蓮宗の道場やキリスト教(プロテスタント)の教会にも足を運んでいた。やがて軍隊生活を経た伊藤は、二十二歳のとき、花形の軍需産業であった石川島飛行機に技師として就職した。高度な物理学を要する最先端の分野は、むろん伊藤のよくなしうるところではなかったが、空中撮影装置、射撃装置などの細かな分野では、かなり重要な仕事を引き受けていたらしい(第二次大戦当時のわが国の戦闘機には「回転するプロペラの隙間から機銃弾を撃ち出す装置」が取りつけられていて威力を発揮したが、これは伊藤の発明によるものであるという)。
 昭和六年には、石川島飛行機の立川移転に伴って伊藤も立川に居を移し、翌昭和七年には、またいとこにあたる内田友司〔ともじ〕と結婚した。
 友司は、明治四十五年五月九日、山梨県北巨摩郡高根町の商業内田義平、もとよ夫妻の長女として生まれた。四歳のとき父が亡くなり、まもなく母は他家へ嫁ぎ、友司とその兄妹は祖母内田きんの手によって育てられた。この祖母には霊能があり、明治時代に横浜で狐憑〔きつねつ〕きを治すなどの人助けをしていた。この人は現在、真如苑では「宝珠院〔ほうじゅいん〕様」と呼ばれ、真如か霊能の祖としてあがめられている。この祖母の娘で、友司の伯母にあたる油井玉恵〔たまえ〕も、この祖母の霊能を受け継いでいた。
 伊藤自身も、就職当初から、病筮鈔〔びょうぜいしょう〕(易学書)による運勢判断で職場仲間の相談相手になってやるなどして、ボランティアの易者的活動をしていたらしいが、結婚当初は、伊藤夫妻は互いの宗教的な血統や素質について、あまり深く考えることはなかったと言う。
 しかしやがて、伊藤の身の上に病気や仕事上の失敗などが妙な形で起こることを通じて、彼は、自分の使命は今の仕事よりも宗教の道にあるのではないかと考えるようになり、不動明王の信仰に深入りしてゆくようになる。やがて、伊藤の易占を頼って集まってくる固定客も四、五十名できるようになった。
 そこで伊藤は、いっそのこと会社を退職して宗教に専念しようかと考えたが、二人の子供の養育のことを考える友司は、当初はこの考えに反対であった。
 昭和十年十二月二十八日のこと、伊藤は東京の仏具屋で見つけた運慶作と口伝される不動明王像を自宅に勧請〔かんじょう〕し、翌年一月、友司とともに自分たちの使命を確かめるために水垢離〔みずごり〕の修行を行なった。この修行が満行に近づいた一月三十一日のこと、以前は伊藤の宗教専念に反対していた友司のほうが、霊感的に伊藤の使命は宗教にあると感得して、逆に、伊藤に会社を辞めるように勧めはじめた。伊藤は躊躇〔ちゅうちょ〕したが、その四日後の二月四日未明、友司は深い「入神状態」(霊界と交信しうる意識状態)になり、たまたま来泊していた伯母の油井玉恵と対座して、その霊能を「相承〔そうじょう〕」(受け継ぎ)し、ますますはっきりと伊藤に宗教専念を勧告した。伊藤が決心をつけかねたまま会社勤めを続けていると、子供が高熱を発するなどの現象が起こり、伊藤もついに意を決して「世間法〔せけんぼう〕(信仰に縁のない俗人の行動様式)へのとらわれ」を捨て切ることにした。
 こうして二月八日に伊藤は早々に会社を辞職し、宗教活動に専念することになった。それ以前から伊藤の家では「立照閣〔りっしょうかく〕」なる看板を掲げ、成田山の講中という形式をとっていたようであるが、現在の真如苑では、この昭和十一年二月八日をもって立教開宗の日としている。
 立教当初の教団の活動は、以前からの伊藤の易占に加えて、霊能者となった友司を霊媒として不動明王にお伺いを立てるという形のものであったらしい。
[651]事情通 06/01/07 12:43 iT56loqtUO
歴史@草創期(2)
 伊藤のもとには、ますます多くの顧客ないし信者がつめかけるようになった。しかし、収入の途絶えた一家の生活は苦しく、伊藤夫妻は栄養失調状態で苦行に明け暮れる毎日であったらしい。
 こうした中で、伊藤夫妻に大きな試練が待ち受けていた。立教の四ヵ月後の六月九日に、数日前から風邪気味だった長男の智文〔ちぶん〕が、突如、病が革〔あらた〕まり、あえなく亡くなってしまったのである。まだ、満一歳十ヵ月あまりであった。
 立教以来の多忙の中で、ろくにわが子を抱いてやることもできないまま、半ばは我とわが身の不注意によって、みすみす子供を犠牲にしてしまった感のある友司にとって、悔いは深刻であったらしい。智文を葬って間もない六月半ばから、友司の提案によって、夫妻は、昼の宗教活動に加えて、終電車で高尾山に行って滝行に挑み、始発で立川に帰るという激しい行の生活に入った。尽きせぬ悔いに耐えかねて、我とわが身に鞭打つことで、なんとか心の救いを見出だそうと模索したのであろう。
 結局、この修行の中で夫妻は、智文の死は「信者の苦しみを身代わりになって引き受けた死」であるとの理解に到達する。ここに、真如苑の教義の大きな柱である「抜苦代受〔ばっくだいじゅ〕」という考え方が、はじめて打ち出されることになった。
 この智文の死には、さらに後になればなるほど、教義上多くの意味が付与されてゆくことになる。例えば、生前の智文は、母親が霊媒として信者の相手をしている際に、信者が正しい精進の心を持っている場合にはおとなしくひとりで遊んでいたが、信者に自分本位のご利益信心しかない場合には、不思議と母親の膝を求めて寄り付いてきて、信者の相談を妨げたという。この事実は、「生まれつき霊能者であった智文が、その行動によって信者を戒めたのだ」と解釈されるようになる。智文の臨終を見取る際、母親の友司は不動明王の真言に子守歌ふうのメロディーをつけて歌ったと言われているが(一説には、このメロディーは後にできたもので、遡及〔そきゅう〕的な神話化のプロセスで「智文の臨終の際に」という話に変わったのだとも言う)、この事実は、「智文が霊界に旅立つにあたって、母の口に救いのメロディーを残したのだ」と解釈されるようになる。このメロディーつきの真言は、その後「ご霊咒〔れいじゅ〕」と呼ばれ、真如苑で最も尊重される唱え言葉となってゆく。
 ともあれ、智文の百ヵ日を期して、友司の霊能にひとつの飛躍があったのは本当のことであるようだ。真如苑では、それを「智文が母に感応して語りはじめた」のだと説明し、この時から友司は「即時入神、霊言発露〔ほつろ〕」が可能となり、かくして現在の「接心〔せっしん〕」の基礎が作られたのだとしている。さらに、この時を期して、あの世に「真如霊界」という新たな霊界が開かれたのだとして、智文は、この真如霊界を開く「道開き」のために旅立ったのだということになっている。智文は信者を教えに導く役割りを持った聖なる童子であったという意味で「教導院智文善童子〔きょうどういんちぶんぜんどうじ〕」という戒名が贈られ、以来「教導院様」の尊称で信者から慕われ続けることになる。
 このようにして教団は第一の危機を乗り切った。
 その後、信者もさらに増加したので、昭和十二年の末には新たな道場を建設することが決まり、現在の総本部のある土地が入手された。こうして翌十三年の十月には、後に「真澄寺〔しんちょうじ〕」と呼ばれることになる道場が完成し、これを機に、組織も「立照閣」から「真言宗醍醐〔だいご〕派立川不動尊教会」へと改められた。これは、浦野法海〔うらのほうかい〕という真言宗醍醐派の僧侶の指導によるものである。さらに伊藤は、浦野師の指導のもとに、正式な宗教家としての資格を取得することを勧められ、昭和十四年十月に京都の醍醐寺で入門課程の恵印灌頂〔えいんかんじょう〕を授かり、さらに一定の修行の後、昭和十六年三月には、金胎両部伝法灌頂〔こんたいりょうぶでんぽうかんじょう〕を授かった、これによって彼は僧侶としてひとり立ちできたことになり、以来「伊藤真乗」と名乗ることになる。
 この間、最初にも述べたように、昭和十二年四月八日には次男の友一が誕生し、彼も長男智文と同様、後に教義上大きな地位を占めることになる。
 やがて太平洋戦争が始まり、戦争末期には立川も空襲を受けたが、真澄寺は戦災をまぬがれた。信者の中から戦死者がほとんど出なかったとか、ある信者が防空壕に入りそこなってやむをえず外にいたら、逆に防空壕の方が直撃弾を受け、自分の方は助かったとかいった類の奇跡談も語られている。
 伊藤夫妻と信者たちとは、比較的ひっそりと信仰を守り続けて、戦争時代を過ごしたようである。
[652]事情通 06/01/07 12:45 iT56loqtUO
歴史A発展期(1)
 戦争中、宗教団体法によって真言宗各派は合同させられ、伊藤の教団も「真言宗醍醐派立川不動尊教会」ではなく「真言宗立川不動尊教会」となっていた。昭和二十年、終戦に伴う改革で合同真言宗は解体されたが、その際、立川不動尊教会は醍醐寺の末寺という関係からも自然に離れ、独立の団体となった。こうして、戦時下に逼塞していた多くの宗教団体と同じく、伊藤の教団も新たな気持ちで再出発の時を迎えたのである。
 が、そればかりでなく、終戦の翌年の昭和二十一年は、伊藤の教団の霊的活動の面でも画期的な年となった。この年の十一月四日、信者で薬剤師であった栗山という女性が、偶然的に霊能を開いた。前日から、心が身体から離れるような妙な症状に襲われていたこの女性は、この日の午後、伊藤夫妻の前に挨拶に出たとたん「双親様〔そうおやさま〕(伊藤夫妻の尊称)の金色輝くような仏身のお姿」を拝し、霊眼が開けたというのである。それまで友司の独自の能力と思われていた霊能を、受け継ぐ者が現れたのである。
 この現象にヒントを得て、教団ではさっそく、意識的に霊能を開発する修行を実行してみようということになり、二日後の十一月六日から、一ヵ月間にわたって「まこと基礎行〔きそぎょう〕」という名の霊能開発の修行が行なわれることになった。
 今日の真如苑では日常の「接心〔せっしん〕」と霊能開発へ向けての「相承会座〔そうじょうえざ〕」とは分離されており、さらに「相承会座」にもランクがあって、最終ランクではじめて直接の霊能開発が目指されるようになっているが、この時の「まこと基礎行」はこれら全体を合体したような修行だったようである。
 この行の中で、何人かの霊能者が生まれることになった。今は教団から追放されてしまっている伊藤夫妻の長女映子〔えいこ〕も、この時の修行で満十三歳にして霊能を開いたようである[校訂者注5]。しばらくして、昭和二十二年の四月には、次女の孜子〔あつこ〕がわずか六歳で、次男の友一が十歳で、それぞれ霊能を開いた。(現在の真如苑の信者必携小冊子『一如〔いちにょ〕の道』の一九六頁には、後に三女と四女が幼くして霊能を開いたことを「霊能開発に年齢はない」ことの最初の証明であるかのように書いてあるが、これは、次女の事蹟を抹消した結果生まれた空白を、三女と四女の事蹟で埋めたために生じた偽りである)
 このようにして、受け身のご利益〔りやく〕信心ではなく、自ら霊能者になろうと志す人間を訓練する修行の課程が、教団の日常的活動として成立することになり、ここに、教団は大きな脱皮をとげることになる。
 昭和二十三年一月には教団名も「立川不動尊教会」から「まこと教団」へと改められた。同年四月からは「智泉寮〔ちせんりょう〕」と称する布教師養成機関が設けられた。これは後に「智流院〔ちりゅういん〕」という名の布教師養成課程となって、現在まで続いている。さらに九月には、「まこと修行要諦〔ようたい〕」と称する文書が発表され、今日の「接心」に相当する「まこと修行」について、自分の心の奥底の姿を霊能鏡〔れいのうきょう〕に映し出して反省の糧とするところに眼目があることが明確にされた。
 茨城県の霞ヶ浦のほとりにある長禅寺という寺院を末寺として教団に「摂受〔しょうじゅ〕」(吸収)したりしたのも、この頃のことである。
[653]事情通 06/01/07 12:46 iT56loqtUO
歴史A発展期(2)
 こうして教団が順調に発展しつつあった最中、またもや大きな試練がふりかかってきた。
 昭和二十五年の八月、伊藤のもとの弟子であった荻野某という青年が、「自分は伊藤真乗から修行の名によるリンチを受けた」として警察に訴え出たのである。この青年は前年の秋まで伊藤の弟子として教団におり、教務総長の位にまで昇っていたが、伊藤と対立して教団を去っていたのであった。伊藤は逮捕され、この事件は「まこと教団リンチ事件」として連日新聞紙上をにぎわせることになる。世間の非難の前に、教団への信頼感に動揺をきたし、教団を離れる信者もかなりの数にのぼった。
 この「リンチ」については、現在では、荻野が伊藤に叱られたのを逆恨みして、事を警察沙汰にすることで復讐を図ったものだとの見方が有力である。当時の新聞で伝えられたほど教団側に非があるわけではないとの評価が、宗教評論家のあいだでは定着している。しかし、伊藤が荻野に対してある種の体罰を加えていたことは事実のようだ。そういうわけで伊藤は裁判にかけられ、結局、懲役七ヶ月、執行猶予三年の高裁判決に服することになった。教団ではこの事件を「法難」と呼んでいる。
 この裁判の最中の昭和二十六年六月、心機一転の意味で、教団名は「まこと教団」から現在の「真如苑」に改められた。伊藤が「教主」と呼ばれるようになったのは、この時からである。
 また、同じく裁判中に、以前から股関節カリエスで身体の不自由だった次男友一が順天堂病院に入院し、一年の闘病生活中、多くの病気を併発し、ついに昭和二十七年七月二日に亡くなった。満十五歳であった。この友一の死も、長男智文の死にならって「抜苦代受」の死であるとして意味づけられることになり、以後、友一は智文とともに「真如霊界」の主人公となる。その戒名の院号が「真導院〔しんどういん〕」であるところから「真導院様」の尊称で信者から慕われ続けることになる。教導院と真導院とをあわせた「両童子様〔りょうどうじさま〕」という呼称もしばしば用いられるようになった。
 教導院の死が真如霊界の道開きのためであったのに対して、真導院の死は、真如霊界をより完全なものとし、救いの大道〔だいどう〕を完成するためのものと意味づけられた。そのひとつの証拠として、真導院の死後まもなく伊藤が『大般涅槃経〔だいはつねはんきょう〕』(略して『涅槃経〔ねはんきょう〕』ともいう)に出会い、この経の中に真如苑の救いの道についての教理的裏付けを見出したことが挙げられている。
 さらに、昭和二十九年八月には伊藤の三女真砂子〔まさこ〕と四女志づ子がともに霊能を開き、ここに、伊藤の四人の娘はすべて霊能者となった。以来、彼女らが「歓喜〔かんぎ〕ミーデアム」という名で霊界の「両童子様」に感応して霊言を語り、信者の修行の場をリードしてゆくことになる。真如苑の刊行物の中に、しばしば、教導院様がこう語ったとか真導院様がこう語ったとか称して、大人の語るような教訓めいた言葉がカギカッコつきで載せられているのは、みな、この歓喜ミーデアムが語った言葉なのである。
 こうして地ならしを終えた真如苑は、昭和三十年代以降、本格的な発展期に入る。伊藤は、真如苑の霊能を大般涅槃経の予言の成就であると意味づける方向で、教義を整理するとともに、それまでの不動明王信仰中心から脱却して釈迦涅槃像を本尊にする方針を打ち出し、みずから涅槃像の彫刻をはじめた。
 霊能を開く信者の数もふえ、やがて百名を超えた(昭和六十二年現在では五百名以上いる)。各地に支部も開設され、昭和三十九年には芦屋の高級住宅街の豪邸を買い取って関西本部が開設された。以後、教勢は大きく関西地方に伸びることになる。また、昭和四十六年には、ハワイに初の海外支部が開設され(責任者は例の霊能開発第一号の栗山である)、教勢は海外にも伸びることになる。
[654]事情通 06/01/07 12:49 iT56loqtUO
歴史A発展期(3)
 ところで、こうしためざましい発展のさなか、第三の悲劇が真如苑を襲った。昭和四十二年八月六日、伊藤とともに関西本部に巡教中だった友司が、五十五歳で急逝したのである。しかし、この第三の死に対しても、早速、教理上の裏付けがなされた。友司が逝去の前年から直前にかけて伊藤とともに海外を歴訪した事実が、この死と関連づけられたのだ。友司はいまだ真如教法の恩恵に浴していない海外諸国の因縁を背負うとともに、世界の諸宗教を「涅槃了義〔ねはんりょうぎ〕」(「涅槃経に依拠する窮極の教え」という意味)の真如のみ教えの中に「摂受〔しょうじゅ〕」するためのいしずえになって亡くなったのだ、というのである。
 伊藤家は、かつて恩になった真言宗醍醐派に対してはつねに友好的な関係を心がけていたから、友司に対しては、逝去直後に醍醐寺から大僧正位が贈られ、友司は「摂受院友司慈凰〔しょうじゅいんともじじおう〕大僧正」と称せられ、信者のあいだでは「摂受院様」と呼ばれるようになった。
 こうして、伊藤教主自身、「ご自分のお二人のお子様ばかりでなく最愛の奥様までをも救いの完成のために、ご霊界に捧げ尽くされた偉大な代受苦のみ仏様」というふうに祭り上げられて、めでたく、真如苑の教義は完結したわけである。
 その後も信者数はぐんぐん増え続け、昭和五十年代の後期に入ると、真如苑は、日本の新宗教を語るにあたって、これ抜きでは済まされないというほどの有力教団へと成長する。
 昭和五十八年十月には、伝統密教の血脈相承〔けちみゃくそうじょう〕のやり方を踏襲して、伊藤の三女真砂子と四女志づ子が伊藤から血脈〔けちみゃく〕(教えの正統的代表者としての権威)を継承するための儀式が厳かにとり行われた。以来、三女は「真聰〔しんそう〕様」、四女は「真玲〔しんれい〕様」と呼ばれている。この「血脈相承」が伝統密教の醍醐寺からも追認された形になっているのは、新宗教のあり方としては珍しいもので、注目に値する。たとえてみれば、伊藤は、徳川将軍が朝廷の権威を利用して、形式上は「征夷大将軍に任ぜられる」という形をとっていたのと似たぐあいにして、醍醐寺を利用しているのである。
 このように目ざましい発展をとげてきた真如苑ではあるが、前記の三人のいしずえの死という事件の他にも、暗い影が射すことが全くなかったわけではない。読者ももうお気付きのように、伊藤の長女と次女が教団から追放されたという事件である。これについては第三部の「教主一家のスキャンダル」のところで、あらためて触れることにしよう。
 ともあれ、以上のようなぐあいで、明るいことも暗いことも、名誉なことも恥ずべきことも、何につけても伊藤一族ぬきには夜も日も明けぬ真如苑なのである。

[校訂者注5]版本では長女の名が英子〔ひでこ〕とされていたが、著者から誤りであったので正してほしいとの要望があった。
[655]J 06/01/07 15:40 jd8asXNRU2
「接心・相談接心」の場合(2000苑?)
霊能者が一度に「多人数」をまとめて見るので、信徒カードは
的確に覚えにくいから。誰にでも、当てはまる曖昧な事を言え
ばいいから。

コールドリーディングを主に使う。

--------------------------------------

「鑑定接心・特別鑑定接心」の場合(8000苑?)
霊能者は、1対1だから、接心する信徒カードで、信徒の情報を覚えら
れるから、相談接心よりも個人にしかわかりにくい内容でも的確に言い
当てられる。

ホット・リーディングを主に使う。
[656]J 06/01/07 16:42 jd8asXNRU2
苑の「霊能位」と世間一般の「霊能力者」とは、違う代物なんだけどな。

苑の「霊 能 位」  =伊藤家(易のビョウゼイ)+内田家(霊能)+真言密教をブレンドした教えを学び
            苑信徒の「ノルマ達成した上で霊能位」になる資格が与えられ、苑独自の基準で選
            ばれた人なら誰でもできる代物。

世間の霊能力者(霊能者)=崇教に関わらず、神から授かった「先天性の能力」で、霊視、霊聴を、浄霊、霊
            と対話するとが出来る人。
            苑の霊能位と違い、先天的能力が無い人はいくら修行を積んでも霊能力者になれない。


[657] 06/01/07 17:29 *JnAN3qW8E1s*1WrG6EZ6IR
>>567白うさぎさま

私は仏教についての知識があまりないのでレスするのはお恥ずかしいのですが、今、
松本清張著「密教の水源をみる」という本を図書館から借りてきて読んでいます。
まだ読みかけなのですが、それによれば、中国で成立した密教そのものが仏教とは関係
のないもので仏教用語をもって修飾したために仏教と錯覚された、ということのようです。
なかなか興味深いです。
[658]草太 06/01/07 18:09 p8QHUHlWQV
中国で成立した密教とは、陰陽道や道教の、易とか雨乞い等をさしているのだと思います。
これらは、雑密といわれるもので、真言密教とは明らかに区別されています。
横槍を入れてしまって失礼しました。
[659] 06/01/07 21:17 *JnAN3qW8E1s*zJCp1M/NlP
草太さま

この本の中で言われている中国で成立した密教とは、どうも、陰陽道や道教の、
易とか雨乞い等のみをさしているのではないようですが、本を読み終えるまでは、
この本について、これ以上のコメントは差し控えさせていただきます。
[660]草太 06/01/07 21:29 p8QHUHlWQV
そうですね。仏教自体が中国で大分変質していますから、密教も相当に変質していますね。それぞれ日本にきたときは奇形でした。
いやいや、慌て者で失礼しました。
[661]元信者 06/01/08 00:14 TVZLEjociG
>なんで真如苑ではエッチがダメなんですか?
カルトの教祖はみなエッチなんですよ。そして信者にはそれを禁じる。
縛るんですね。
熱心な信者さんなら、絶対やらせてくれませんよ。ある程度手を尽くして
だめなら、諦めた方がいいですよ健一さん。
“人民寺院”の教祖さんも、ハーレムを造って、
信者が性交すると、晒し者にして虐待しまくりだったみたい。(笑笑)

(“人民寺院”ストーリー)
ある時、信者のカップルが夜中に部屋を抜け出して青姦に励んでるその時、
ふと見上げれば仁王立ちのジョーンズ先生が!これまた処罰(ここでは淫行は絶対ダメだそうです)
ってことでジョーンズ先生『わたしが指名する男と交わるが良い!』で、
ジョーンズ先生がご指名した男は黒人の大男(アフロヘアー)!
『私は一切の人種差別を断固赦さない!』ってもーワケわかんないっすよ。
みんなの前で強姦される女性信者。ニーチャンは只見てるだけ(もちろん素っ裸)。
でもジョーンズ先生、自分はチャッカリお気に入りの若い女の信者と毎晩アヘアヘやってるという、
お約束はバッツリです。
そんなこんなで脱会希望者が続出するんですが、ヘタにそんなこと口に出すと何をされるやら…。
そんな中、アメリカから査察団の一行が到着!脱会希望者達を引き連れ、飛行場についたその時!
ジョーンズ先生の親衛隊が彼らを銃撃する(ほぼ皆殺し完了)!
ま、教団の最後を悟ったジョーンズは、遂に集団自殺を決行するのであった。

だそうです。(笑)真如苑とは似ていないようで、似ているんですよね。(笑)
[662]健一 06/01/08 01:04 oKpyIt/BIK
ああ!ムカつく報告っす。

彼女に「真如苑と俺とどっちが大事なんだ」と詰め寄るとあっさり「真如苑」って言われてしまいました。

くそー!これで終わりか!マジむかつく。

真如苑のどこがそんなに良いのか!エッチ禁止なんて異常だよ。この自由恋愛の世の中で。

ああ、ムカツク!
[663]健一 06/01/08 20:44 DuMrUGj0sM
今日、ムカついたから真如苑に行ってきた。
でも中に入れてもらえなかったから門のところで見てたらイイ女多いよね。
真如苑がエッチ禁止じゃなけりゃ俺も入ったかな。
ってか今からでも入ってイイ女ゲットしてやめようかな?
どう思う?危険かな?
[664]提案 06/01/08 21:13 *pPKLqbk2lej*hsBAPQJnMl
健一さん
あなたは自分で考えが矛盾しているこに気付かないのでしょうか。
あなたが苑の信者にならずに真如苑にいるイイ女をゲットしても

「真如苑と俺とどっちが大事なんだ」と詰め寄るとあっさり「真如苑」って言われてしまいました。

を繰り返すだけですね。

まあ、あなたが苑にはいる動機がーーイイ女をゲットーーであるならは
ここにカキコする必要は無いでしょう。
今の彼女を導き親にして入信してみてはどうでしょうか。
そうすれば今の彼女ともうまくやっていけるのではないでしょうか。
[665]タヌキ一族 06/01/08 21:22 Y4p7.ageZH
健一さんは、新しい形の茶々入れ荒らしですかね?
そうでないなら・・問題としているところがあまりに違いますね。
提案さんがおっしゃっているように、
今のような考え方だと、あなたについていこうとする女性があらわれるかどうかは、はなはだ疑問でしょう。
真如苑、よりは禅寺にいって座禅をくんで、一度自分に厳しくされてみてはいかがですか
[666]J 06/01/08 21:31 GoRGEoUS
オウム真理教地下鉄サリン事件以降、世間ではカルト宗教に恐怖感
を持った。
当然ながら、親や子供達も、宗教に入る前にインターネットで調べるからね。
[667]偽の気配 06/01/08 23:47 *DTibdHfp8ZQ*Y4p7.ageZH
カルトであるかないかは、信者では判断できない。
また、その教団自らが、いかなる理由をつけて「カルトではない」、という主張をしたとしても、それは信ずるに足りない。
自らを美化するのは常だからである。

とにかく一緒にいってみればわかるから、
入ってみても大丈夫、仏教だから
ただ信じて3つの歩みを実践すればいいだけだ
会費も200円と安い
拘束はない。やめたければやめれるんだ・・

確かに、苑の拘束は物理的には緩やかだ。
しかし、精神的な縛りは強い。
其れを気にせず、やめてしまうことができるものならば、そもそも苑にはまるほどには悩みもしないだろう。
少し言い出しにくい、あの人は苦手、きっと自分がわるいからだ・・
そう言った考えや、行動基準を持つ人を
がんじがらめにからめとっていくのが真如苑のシステムだ。

勧誘のときには、まともに情報をださない。
勧誘している側もわかっていないのだから、だしようがない。
そのようなものが勧誘するようなシステムをつくった教祖一家は確信犯だ。
熱烈な信者は、苑のシステムがわるいのではない、その信者の信心がたらない、きちんと歩んでいない、スジが悪かった、などといいわけを山程積み上げ、自らを正当化する。しかし、悪いのは、苑の勧誘システムそのものであることは間違いない。問題をすりかえようとする苑の確信犯的盲信者のことばにだまされてはいけない。
システムそのものが欠陥であり、苑の教え自体が仏教とは別ものなのだ。

[668]黒蜥蜴 06/01/09 10:44 jd8asXNRgR
霊能の接心とかもやってたけど、あやふやな誰にでも言える事しか言ってないし。

テレビに出るほど自信がある程の苑の「霊能者」なら超能力で未解決事件で犯人を見つけてみろっての。

ただお助けノルマを上げる為に霊能者を採用して教団をを作る。
苑の「霊能者」にもある程度の事はわかるでしょう。
コールドリーディングとホットリーディングを駆使して・・・。

だけどそれは断片的だったり。パーフェクトではない。
依頼者を満足させる事は出来ない。

お金を取っておきながら・・・・・。
[669]saia 06/01/09 11:44 HcWNwLUvXz
>なら超能力で未解決事件で犯人を見つけてみろっての。
信者はそれで十分信じているんだからいいだろ。何言ってんの?
問題は、信じてない者を見下したりだとか、不幸になる、とか言うこととかだろ。
[670]白うさぎ 06/01/09 12:23 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
事情通さまによって、「水部くれ真如苑」の内容を読むことが出来ました。元信徒としては、納得のいく内容でした。

これから、私が苑内でもらった資料を公開します。
初信者向けのお話です。
これが、苑内での教えについての説明です。

MC中は、これをそのまま信じていました。
所属の教化にも使いました。

今は、あまりの詭弁にあきれています。
疑問点だらけです。
突っ込みどころに@のようにマークをつけました。

あまりにあほらしくて、突っ込む気も起こらないかもしれませんが、疑いを持っておられる方のために、どなたか突っ込んでみて下さい。
私は、紹介のみでレスしません。
[671]白うさぎ 06/01/09 12:26 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
初信者懇談会   「幸せを求めて」    講師  ○田○夫
                       平成5年3月21日
<その1>
今日は「幸せを求めて」という事につきましてお話をさせて頂きたいと思います。
―前略―
この教えに結ばれる方は、皆さんやはり幸せを求めて入信されたと思うのです。導き親さんや経親さんから、「真如苑に入ったら救われますよ」という事で入信されたと思う訳ですけれども、当初どなたもが本当だろうかと、真如苑に入ったら本当に幸せになれるのだろうか、どうしたらその幸せになれるのだろうかという、まず疑問にぶつかると思うのです。どうして救われてゆくのかというお話を順序を追って一つ一つ疑問を出しながら、それに対して解決をしていきたいと思います。
 恐らく初信者の方の大半は、真如苑も仏教であるけれども、自分も家で仏教をしている、いろんな宗派の仏壇があって、お坊さんがお参りに来て下さるわけです。ご先祖を護ってくださる。けれども家の仏教ではいろんな問題は解決しなかった。なのに真如苑で、仏教で解決するという事、本当に仏教というのは救われる教えなのだろうか。一番根本的な疑問がそこに出てくると思うのです。勿論仏教をお説きになったお釈迦様は、苦しみ悩みを持つ衆生を救う為に教えをお説きになった訳で、当然それは仏教は救われていく教えである。救われる教えであると言うことは、はっきり言えるわけです。であればこそ二千五百年もの間、存在するだけの価値のある偉大な教えであったといえます。
―略―
お釈迦様は衆生を救う為にお説き下さった訳ですから、当然仏教で救われる。けれども確かに、家の仏教では救われなかったと言われる皆さんの答えも、これも事実ではないかと思えます。それは何故か。同じ仏教でありながら、真如苑の仏教と家の仏教とどう違うのか、というところの違いです。はっきりしませんと納得できないと言う訳です。
日本の仏教というのは弘法大師や伝教大師が、真言宗、天台宗をおつくりになった頃は、厳しいご修行もされており、そして伝道、布教もなさった訳ですけれども、現在の仏教というのは徳川幕府の時代に檀家制度を作られまして、いわゆる地方に沢山ありますお寺に、皆さんのお家全部をそれぞれのお寺に繋いで、そしてその地域の面倒を見させるということです。それによって幕府に謀叛を起こすものはないかという監視の役をお寺さんにさせたのです。お寺さんには皆の戸籍が全部あって、何の何べえは、どういう考えを持っている。過激な考えを持っているとか、幕府をひっくり返そうと考えているとか、そういう情報を集めるために檀家制度というのが出来まして、それで何百軒かづつ一つ一つのお寺さんに結ばれたのが檀家制度であるという訳です。そうしますと、その菩提寺のお寺さんは新たに修行する必要もないし、ちゃんと生活できるだけの檀家を貰っている訳ですから、そしてもうそこを越えますと、次の隣のお寺の檀家になっている訳ですから、布教も出来なくなる。ということは、もう頂いた檀家のお世話、お葬式だとか、法要とか、法事とかですね、そういう事をやるだけのお役になってしまったということです。お釈迦様の教えの中には、お葬式や法事のことなど何も説いていらっしゃらない訳で、日本の仏教はお釈迦様の教えと次第に違ったものになってきたと思われます。
檀家制度によって、本来の仏教の特色である、一人一人を説法して、そして救っていくお釈迦様の時代の仏教とは違うものになって、違う方面のお世話をするようなお立場になったのが、今の菩提寺ということになったわけです。
そのような中にあって、真如教主様が偉大なのは、再びその仏教というものを、二千五百年まえに、お釈迦さまが人を救っていく為にお説きになった本来の仏教に戻されたという事です。実はそこに本来み仏様がお持ちになっている救いの力というものの存在があるのです。・・・@
教主様は厳しいご修行の中で、いろいろな霊能力のお力で、また伝統の法流というものを継がれる中で筆舌に尽くしがたいご修行の末、元の二千五百年前のお釈迦様の仏教をもう一度呼び戻されたのであります。それが、真如苑の仏教と皆さんのお家の仏教の違いであると言えるのではないかと思います。
仏教の中でお釈迦様は因縁というものをお説きになっていらっしゃり、仏教といえば因縁という言葉が出てきます。中にはこの因縁という言葉そのものを、いやだと嫌っていらっしゃる方があると思いますが、仏教と言えば、因縁、その因縁を切れば幸せになっていけるというのが、一つの大きな救いの根本になっている訳です。・・・A
お釈迦様は、二千五百年前の三十五歳の十二月八日の明け方、菩提樹の下で悟りを開かれましたが、そのお悟りは不変の真理(何時の世も、どの場所でもどの人間にもあてはまる変わることのない真理)即ち、因果の理というもの、因果応報と言われますけれども、この「因果の理」というものをお悟りになった訳です。・・・B
[672]白うさぎ 06/01/09 12:27 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
それが、大宇宙の法則であって、具体的に言えば、善因善果、悪因悪果
良い原因があれば良い結果が出てくるし、悪い原因があれば悪い結果が出てくる。りんごの種を蒔けばりんごが生まれてくるのであって、りんごの種を蒔いてもバナナが出ている訳はないのです。その不変の真理は、国が変わっても、時代が変わっても変わらない真理なのであるということです。
一切の事象というもの、苦しみも悲しみも喜びも悲しみにも必ず原因があるのです。皆さんの今お持ちになっている悩み苦しみ全てのものに原因があり、そしてその原因をなくさない限りは、悲しみ苦しみという結果が消えてなくなることはない。簡単に言えばそういう事をお悟りになった訳です。
因縁には良い因縁もあるのですが、その苦しい方の悩み苦しみのもとの因縁を切りなさい、なくしなさいと説かれたのです。そうしたら、悩み苦しみは無くなって幸せが得られるよ、という事です。これが仏教のお釈迦様のお悟りの根本なのです。・・・C
医学だってそうですね。病気になるには病気になる原因があるから病気になるのであって、お医者さんは、その原因を見つけて無くすから病気が治る訳でしょう。お医者さんは目に見える肉体に関して、顕微鏡あるいはコンピュータで探せる範囲の原因結果しか見つけられないけれども、お釈迦様はそうじゃあない。和合できないとか、いろんな事故に会いやすいとか、そういう目に見えないものにまで、全部原因があるから、そういう結果が出てくる。登校拒否も家庭内暴力も全てそういう事なのだというのが、仏教の教えの根本なのです。ですから、お釈迦様の考えは、ものすごく科学的な新宗教であると、そのように思わせていただきます。・・・D
それではその苦しみ悩みの因である因縁を切りなさい、とお釈迦様はおっしゃるけれども果たして消えるのでしょうか?それは消えるのですよ。因縁は切ることが出来るのです。
―略―
大般涅槃経の純陀品の、純陀という鍛冶屋の青年に残された教えの中に「煩悩に執われる事は蚕の繭のごとく自縛なり、身は苦しみの集まるところ。いかで、これを楽しみとせん・・・。離欲の正しき思惟は真実道を覚り、執着の存在を否定するものは(執着というのは煩悩から出てくるものです)直ちに涅槃を証すべし」このように書かれております。
煩悩を切りなさい、煩悩を断絶しなさいとお釈迦様はおっしゃるけれども、これはどういう事なのでしょうか?
人間は皆、煩悩を持っています。いろいろな欲望、もっとお金が欲しいとか、もっと美味しいものが食べたいとか、これを失いたくないとか・・・。その煩悩が原因で三業・身口意の三業を犯します。身体で犯す業、盗みとか、殺すとか、いろいろあるでしょう。お金が欲しいから人を殺して取るとか、皆煩悩から来ています。それから口で犯す業。霊感商法とか、人を騙してお金を取るとか、ウソをつくとかあるいは悪口を言う。その憎いという思う煩悩によって悪口が出てくる訳です。それから意業。惜しい・欲しいの心とか、怒りとか、そういう心で犯す業。そういう業を三業と言います。その三業が実は、悪因悪果の原因になっている訳です。だから三業の因であるところの煩悩を断ち切っていくということは、三業を犯さないという事。煩悩を断ち切ることによってこれ以上、盗んだり、悪口言ったり、ウソを言ったり腹を立てたりしない事、それを三業浄化と言うのですけれども、三業の因になるところの煩悩を絶つ事、即ち三業を犯さないようにしていくという事が浄めとなり、因縁切りになっていく訳です。煩悩尽き終わればと言うのは、その三業を犯さなくなるという事であります。
真如教主様は、苑歌によってわかりやすく、この事をお説き下さっています。
身口意の業の浄めも語をかえば、因縁切りの道と言うなり
真如教主様のご注釈に、身口意の三業を浄化する事は、即ち因縁消除の道である。そして、因縁を浄めて行くことが正しい仏法を修めることであり、更にいうなら運命を改革することである。夫婦喧嘩とか、親子喧嘩とか、一切の争いを無くして、本当に穏やかな心境になった時に、因縁は切れていく。そして運命も変わるのだよ、と教えてくださっています。
・・・E
[673]白うさぎ 06/01/09 12:29 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
<その2>
では、その三業を浄化、これ以上三業を犯さないだけで因縁は完全に切れるのでしょうか。もしそれならば、簡単です。今日、この三業を犯すことの愚かさを聞いたからには、今日からは絶対にもちろん盗みなんかはしないでしょうけれども、人の悪口を言ったり、うそを言ったり、腹を立てたり、惜しみの心を出したり、そういう事をやめるよう、努力して因縁切りの幸せを求める第一歩を歩み始めるでしょう。
しかし、今日以降は良いとしても、今日以前にやってしまった三業はどうなるのでしょう。これは、もう一度フィルムを逆戻しにして、子供の時代からやり直しにしてという訳には参りません。今まで散々業を犯してきましたね。例えば、学生時代にキセル等軽い気持ちでやったと思いますが、それは盗みなのです。そういう過去の犯した業は一体どうなるのでしょう。もう消せない「宿業」という訳なのです。・・・@
又、自分だけでなく、ご先祖の業はどうなるのでしょう。
今日以降は自分で責任を持つとして、今日より以前の生まれてこのかたと、生まれる前のご先祖の業はどうなるのでしょう。「親の因果が子に報い」という訳ですから、それではどうしたらいいのだと言うことになります。この真如み教えでは、過去に犯した三業まで遡って浄めていく事が出来るのであります。もちろんそれには、それだけの取り組みをしていかなければなりません。ではどういう取り組みが必要なのでしょう。・・・A
教主様は苑歌で、「運命を変える秘伝は口にあり、悪口の出離第一としれ」とご教導下さっていますけれど、悪口を言わないだけでも運命は変わるんだよと。
それほど、業というものは、大きな影響力を持っているわけです。三業は勿論浄めれば因縁切りになりますが、運命を変える秘訣は口にあると言われています。悪口、人の悪口を言わないだけでも運命は変わるのだよと教えて下さっています。それほど、三業浄化というものは大切なのです。
しかし、これからは良いとしても、過去のものはどうしたら良いのでしょうか。もう消す事はできないのか?と心配になってきます。教主様は三つの歩み(真如教徒の修行の根本)によって過去の業も消す事が出来ると教えております。・・・B
[674]白うさぎ 06/01/09 12:30 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
出家には六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)と六つの修行がありますが、真如苑は在家の教えですからその六つを要約して歓喜・ご奉仕・お救けの三つの歩みの修行をすればよろしいと教えております。
身業 身体で犯した業を逆上って浄めていくにはどうしたらいいかといいますと、この身体で犯した業というものは、この身体をみ仏様に捧げていく行いによって浄めていく事が出来るので、それが即ちご奉仕なのです。過去に犯した身業もご奉仕によって浄めさせて頂くことが出来るのです。
口業 散々人の悪口を言って、汚してきた口は、この尊い教えを他に語らせて頂くことによって浄まっていくのであります。
意業 心で犯した腹立ちとか、惜しい欲しい心は、歓喜(布施行)によって浄めていくことが出来ます。お金が命より大事な人、命の次に大事だと思っている人、執着の一番強いのがお金です。人が執着するお金をみ仏様に浄財として捧げていく。そうする事によって過去の心無い貪欲な自分の業も浄めていくことができるのであります。
即ち、この三つの歩みというのは、三業浄化の為の修行でありますけれども、逆にこれは大乗利他の心で三つの歩みを実践していく時、徳積みにもなっていく訳であります。三業浄化は悪因を消して、良い原因を作っていくことになります。善因善果、悪因悪果ですから、善因を増やし、悪果をなくしていけば、段々幸せになっていくことになります。
今まで自分中心だったから、この三業を犯した訳です。それを他の方のために三つの歩み、他の方のためにご奉仕をさせていただき、他の方のためにお救けをさせていただき、他の方のために歓喜をさせていただく、いわゆる罪滅ぼしをさせていただくことによって、悪因が消え、善因が増えることになる訳です。・・・C
段々わかってきましたが、先ほどちょっと、ふれました「徳と因縁」という問題を考えてみましょう。三つの歩みをすることによって、徳が積めると申しましたが、よく経親さんとか導き親さんとかから、「あなたは、徳がないから、いろいろな悪いことが起こるのですよ。」と言われた事があると思うのですが、人にはそれぞれ備わった徳というものがあります。因縁の逆ですね。
信仰というものは、「徳と因縁の戦い」であると言われております。徳が無い時は因縁が栄えるので、苦しみが多くなっていくのであります。そこで教えに入って三つの歩みを実践し利他に尽くすことによって、次第に徳が積まれてまいります。因縁と徳というのは、ばい菌と栄養みたいなもので、栄養がどんどんつきますと、ばい菌が死んでいくみたいなものですね。徳とどんどん積んでいきますと、因縁は衰えていく訳です。因縁だらけで苦しい中を一生懸命に徳と積んでいく努力、それが即ち徳と因縁の戦いです。真如苑の教えは、その徳を積んでいくという事が、一つの又、因縁を抑えていく方法にもなる訳です。例えば、身体で言えば栄養失調の時、栄養不良の時、すぐ風邪をひいたり、お腹をこわしたり、疲れたりしますね。それと同じように、徳がなかったらいろいろな不幸が次々と出てくる訳です。だけど人間うんと栄養をつけ、充分に栄養が足りたら、少々悪いものを食べてもお腹をこわさないし、薄着したって風邪もひかない。だから
栄養をつける事によって病気も治せる訳でしょう。ある程度、お薬も必要でしょうけれども、まず体力をつけないことには手術もできないし、病気も治らない。その体力にあたるものが徳なのですよ。それはどうしたらできるかと言えば、三つの歩みなのですよ。・・D
[675]白うさぎ 06/01/09 12:31 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
<その3>
歓喜積み、お救けこそは積み磨き、奉仕は磨く徳と知れ人
苑歌に言われているように歓喜というのは、積んでいく。徳を増やしていく方法であります。お救けというのは増やすと同時に磨いていく修行、二つの修行が出来る訳です。
ご奉仕は磨いていく修行であり、このように増やしながら磨いていく徳の力によって、因縁がだんだん押さえられていって、家の中もがらっと変わってくることになります。だから、三つの歩みというのは、三業浄化を遡ってする尊い修行であると同時に、徳を積んでいく事ができるのであります。・・・@
もっとわかりやすく言いますと、徳の器というのは皆さん生まれた時に、それぞれ持って生まれている訳です。オギャアと生まれた時に、小さな器に生まれてしまっているか、もっと大きな器を貰って生まれているかによって、その人の幸・不幸が決まってしまう訳です。ものすごく小さな器に生まれた人は、そのまま霊界に逆戻りしてしまう。大きな器に生まれた人は、何も努力しなくても、どんどん幸せになっていくのであります。子供の頃には、まだあまりわかりませんけれども、社会に出て4、5年経ってごらんなさい、ものすごく幸せになっている人と、ものすごく不幸になっている人があります。もう十年経つともっとその差が開いてきますね。どんなに努力しも、その器一杯の幸せしか入らない訳です。だから努力しても報われないというのは徳が足りない訳です。経親さんが「貴方は徳がないからいろいろ苦労があるのよ」と言われるのは真実なのです。その徳の器というものは、オチョコのようなものから、湯のみ茶碗、あるいは丼のようなものから、洗面器、バケツのようなものだったり、いろいろな大きさの人がいらっしゃる訳ですけれども、その器は変えられないのですよ。変えられないから運命と言われる訳ですよ。・・・A
しかしながら真如苑ではその変えられないはずの器を大きく変えていく事が出来る訳です。ですから教えを求めて徳積みをして、三つの歩みを重ねていった時に、だんだんとその家の状況が変わってくるのです。今まで、公団住宅なんて当たったことがないのに、真如苑に入信させてもらった途端当たったとかね。今までこぼれていたものが器が大きくなった分だけ入るようになった訳です。今まで逃げていた幸せが逃げなくなってくる。だから真如苑に入って一生懸命三つの歩みをしていけば、だんだん商売も繁盛してくるし、売上も伸びてくるし、というケースが多いのは、目には見えないけれども徳の器が大きくなった分だけ、今までこぼれていた幸せが入るようになってきている訳なのです。だから、真如苑は運命を変える事の出来る運命改革の教えと言われている所以であります。・・・B
[676]白うさぎ 06/01/09 12:32 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
運・不運とは結局徳があるか、ないかという事によって決まると思うのです。先ほど苑歌を示しましたけれども、歓喜は器を大きくしていく修行であり、ご奉仕はその器を磨く修行なのです。そして、お救けは、器を大きくしながら、なおかつ磨く修行といわれています。三つの歩みというのは、何も教団の真如教徒の数を増やせとか、お金を集めろとか、そういう事とは全然違う訳です。あくまでも教団の為ではなくて、自分の幸せのために自分の徳の器を大きくしていくために、させて頂くのであり、運命を変えて頂くためにする修行だという事です。それがわかりませんと、他の教えとの区別がなくなってしまい見分けがつかなくなってしまう訳です。・・・C
では、その因縁というのは全て三業からくるのか、そしてその三業を浄化し、三つの歩みを重ねて、遡って消してしまえば、完全に幸せになるかと言いますと、まだ何かあるのですね。それは何かと言えば、自分の業とか、ご先祖の業ばかりではなくて、たまたまそこに住み着いた土地の霊、地縛霊、処刑場の跡地と知らずに住み込んでしまったとか、お寺の後を仕事とはいえ掘り返して建築をしてしまったとか、「袖触れ合うのも他生の縁」というのでしょうか、何の因果でそこに穴を掘ったりしなければならなかったか、何でそこへ引越しして行ったのか分からない。やっぱり何かつながりがあるのでしょう。けれども、それは悪いことをしたからではなくて、たまたまそこへ住み込んでしまった、或いは、ご先祖様が良いか悪いかは別として、神仏を使いものにしたその祟りとか、或いは、ご夫婦で和合できないのは、背後霊がお互いにいがみ合って和合が出来ない。それは三業とは関係なく、背後霊が和合できないためであります。又、何かの拍子に人から怨みの念を受けた生霊というものもあり、或いは猟が好きで鉄砲を撃って沢山の動物を殺してきたために動物霊がかかってくるとか、そういうものも、やはり今、我々の苦しみの因になっているのです。それも真如苑では接心修行によってわからせて頂く事ができるのです。
現在、自分の腰が痛いとか、リュウマチとか或いは家庭内暴力だとか、商売がうまくいかないとか、そういういろいろな苦しみがありますけれども、その原因が何なのか、接心修行で教えていただけるのです。だから真如苑の教えは徹底的に苦しみの因を追及し、それを浄めていく事が出来るから救われる訳です。・・・D
その接心修行によって口が示され、自分では人の悪口を言った覚えはない、業は犯していないと思っても何げなく言った言葉によって相手が傷つけられていたら、これはやはり口業です。貴方が気づかずに言っている言葉が相手を傷つけているのですよ、とちゃんと教えてもらえる訳なのです。自分で気づかないことは、見逃してしまう。知らぬ間に三業を犯しているかもしれません。それも接心修行によって教えて下さってストップをかけて下さるのですから、幸せになる以外にない訳です。
この教えに入ったら苦しみのもとを全部、根こそぎ教えて下さる訳ですから、ちゃんと真面目に求めていれば、即ちご霊言の通りに実践をし、教えを信じて、み心に添って良いことをしていれば、幸せになるはずなのです。それを疑ったり、反発したり自分勝手に解釈して求めると、なかなか解決しないのです。背後霊とか信仰障害霊だとかそうしたものは、お護摩とか、お施餓鬼によって浄めていただくことが出来る訳です。・・・E
そして、その接心修行。その素晴らしい接心修行は、世界中で真如苑にしかないものなのであります。初信の皆さんにとっては、ただお伺い的にいろいろ苦しみのもとを教えて貰えるのだという程度の解釈しかなく、深い意味はおわかりにならないかもしれませんけれども、これが本来の仏教の根本なのです。お釈迦様は菩提樹の下で悟りを開いて、仏となられ、「誰でも修行によって仏になれるのだよ」と、その仏になる方法を四十五年の間、お説きになりました。
一般に人が亡くなると成仏したと言いますが、お釈迦様は生きている時に成仏しなさいと、お説きになったのが仏教なのです。だから、お釈迦様の説かれた教えの中には、葬式とか法事の事など一切ふれてありません。衆生一人一人が仏になっていった時に、幸せになれるのだよと。人は皆、仏になっていく素質を持っている。仏性という仏になる性をどんな人でも持っているからして、修行してこの世で仏になっていきなさいというのが、本来の仏教であり、その通りに修行できるのが、この真如苑の教えなのです。真如教主様は、二千五百年前のお釈迦様の説かれた真の仏教に遡って教えを開いて下さった訳であります。そしてそのために必要なのが、接心修行なのです。・・・F
[677]白うさぎ 06/01/09 12:33 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
<その4>
ちょっとこんがらがって来たかもしれませんね。因縁切りの教えと聞いて入ってきたら、仏になる教えだと言われて、今とまどっていらっしゃるかもしれませんが、仏になっていくことが幸せになってゆくことなのです。どんな形をしているか知れませんが、皆さん仏性を持っているのですよ。しかし、すぐに仏になれないのは、その仏性を汚しているものが一杯ある訳です。それが、ご先祖様の業であり、自分が犯した業、いろいろな地縛霊だとか。いろんなものが、仏にさせまいとする汚れになってこびりついている訳です仏性に。だからその仏性にこびりついている汚れが、即ち因縁といわれるものであって、それが原因でいろいろな苦しみがある訳です。因縁は顔についているのではないのですよ。この仏性にくっついているのです。・・・@
顔ならば、鏡を見れば、ああここにあるな、とわかって取りますけれども、仏性を映す鏡はありません。しかし真如苑にはあるのです。霊能者なのです。霊能者が鏡なのですよ。
接心を頂くということは、霊能者の鏡に自分の仏性を映す事なのです。霊能鏡、ミーディアム。接心修行で座る。霊能者が前に来てくださる。その霊能者の鏡に自分の仏性がパッと映し出される訳です。そして貴方の仏性にこういうものがくっついていますよ、汚れていますよと教えて下さいます。それは、ご先祖であったり、地縛霊であったり信仰障害霊であったり、また、三業であったりいろいろな事が映し出される。映し出されるものを霊能者は霊言として教えて下さる訳です。「水子が示されますよ」て、その通りそれをお施餓鬼するなり、お浄めするなり、三つの歩みをするなりして、一つ一つ教えられた汚れが取れていく訳なのです。汚れが取れるという事は、その因縁が無くなることなのです。
そしてだんだんその汚れが取れていったら、その中にある仏性が顔を出してくる訳です。
その顔の出し具合によって、大乗という霊位を頂き、歓喜という霊位を頂くことになります。もっと磨いて綺麗になったら大歓喜となり、もっと光ってきたら霊能者になれるのです。大乗を頂くという事は、仏様と人間の間の羅漢様になることです。五百羅漢とか十六羅漢とかありますね。歓喜を開くという事は菩薩の仲間入り、菩薩の初地、そして大歓喜を頂くという事は、菩薩の中の大菩薩に近づいてきている訳で、霊能を開くという事は即身成仏。この世で、ある一面が仏性が磨かれて霊能者になって、お釈迦様が、皆、仏に成りなさいとおっしゃっている通りの事が、実現する訳です。だから真如苑の教えは因縁切りの教えですけれども、成仏道の教えである。仏になっていく修行、教えであると言えるのです。・・・A
二千五百年前に、お釈迦様がお説きになった素晴らしい教えを、二千五百年経った今、始めて真如教主様が、この世に実現して下さった訳ですから、皆さんのお家の仏教とは根本的に違うのです。全く、他の信仰とこれほど違うかと思う程、違うのです。本当の仏教、お釈迦様が説かれた真に救われる教えであります。・・・B
その接心修行というのは、摂受院様が、昭和十一年二月四日に、おばあさまから伝わっている法華経の霊能を、伯母玉恵さまから、引き継がれて三代目の霊能者になられた。そしてそれが真如霊能の始まりであります。即ち、法華の霊能から、真如の霊能に変わった最初の霊能者になられた訳です。だから真如霊祖と摂受院様のことを申し上げます。そしてたった一人の偉大な摂受院様から今では、千何百人かの霊能者が生まれている訳です。その霊能者が皆さん一人一人に仏性開発(接心修行により仏性にくっついている汚れを教えて頂き、浄めて下さる)それが、因縁切りです。そして、その因縁が切れていったあかつきに、その人も霊能者になっていくのです。生きたままで、仏様、即身成仏、入我我入といわれておりますけれども、そういうようになっていく。だからご利益というのではなくて、完全な形での幸せ、生きたままで仏様になっていく幸せを得ていくことが出来るのであります。・・・C
[678]白うさぎ 06/01/09 12:35 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
真如苑は仏教です。他の皆さんのお家も仏教です。ですけれど、いろいろ違うところがあります。お釈迦様は、四十五年間ずっと教えを説いてこられて、一切経という膨大なお経があります。けれども、その中で、八十歳の二月十五日に涅槃のお姿でもって、遺言の教えとしての全てを含めてお説きになったのが、大般涅槃経なのでありあます。そしてその大般涅槃経はどんな教えかと言いますと、涅槃経・聖行品に書かれているのですけれど、涅槃経は一切の大乗経典即ち皆さんのお家のお経やいろいろな宗派のお経(法華経・阿弥陀経・等々)それらの大乗経典に比べて、百倍・千倍・百千万倍の功徳成就があり、救いの力が大きいと言われています。だから皆さんのお家の仏教で救われなくたって、真如苑の教えで救われるのは当たり前なのです。お経の功徳が、百倍・千倍・百千万倍あるわけですから、しかもこのお経の中に二千五百年前の二月十五日に亡くなられたお釈迦様が今なお生きていらっしゃる訳です。涅槃経の中に他の菩薩摩訶薩と一緒に常住されているのです。私達は、仏教の膨大なお経の中の遺言として最後にお説きになり、今なおその中にお釈迦様が生きていらっしゃる涅槃経に結ばれたのであります。・・・D
だから、私達がやる事なす事、すべてに効果が現れてくるのです。悪い事をしたら、護法善神様(仏法を護り、仏教を志す人を護って下さる神様)のお叱りを受けるし、良い事をしたら、即その反応があらわれてくるのです。じゃあ今日からこの教えをやってみよう、命賭けてやってみようと決心されたら、今から変わる筈ですよ。何故ならば生きたお釈迦様が見てくださっているから。「本当にやるのだな。やるのなら変えてあげましょう」と両童子様が抜苦代受して下さるのです・・・E
このお経は、お釈迦様が亡くなられてから二千五百年の間、誰一人として説けなかったのです。それを教主様がお説き下さったのであります。
お釈迦様は、大般涅槃経・四依品の中で、弟子の迦葉菩薩に次のように言い残されております。「この大般涅槃経は如来が入滅してから四十年ほどは盛んに流布され、説かれるであろう。しかし四十年を経たら地中に隠没してしまうであろう。そしてその後は無数の仏法の教徒と称するものはあるが、教義の深奥を極めることをせず、自己の趣味や好みに合わせて大乗経を宣揚し、又生活や利益のために説く者が多く、真の正法を普及するものはいない」と。そして、また「これ善男子よ、ひとたび地中に没したこの経典もずっと後の世に再び、この世に現れて、あたかも大雨が国土をうるおすように、大教化を与えるであろう」形は出家であっても、世間法的な物のみを追う破壊非律の徒にまじって仏道に励み、正法宣揚に燃え、正法興隆の時を待つ者がある。その説く者が出てくるその時に本当の仏法が栄えるであろう、と大般涅槃経四依品に、はっきり残されている訳です。
そしてそのお釈迦様の予言通りに真如教主様が、この世に現れ、誰一人説く事の出来なかった、あの弘法大師様ですら、涅槃経からいろは歌をお作りになっただけであります。
「諸行無常 是生滅法」というあの聖行品の一節から「いろはにほへと・・・・」と言うあのいろは歌をお作りになっただけで終わっています。・・・F

[679]白うさぎ 06/01/09 12:36 *mWed5hXHWmu*kHlEEUfR.s
平家物語の一節、冒頭に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」あれも、涅槃経の一節です。けれども文学として残されているのであって、宗教として仏教として始めて説かれ残されたのは真如教主様だけであるという事です。
その真如教主様に巡り会えたという事が、そしてその真如教主様がお釈迦様と同じように、全衆生、人類、地球、宇宙をも救いたいと願われて宇宙の創源におかえりになって、そしてその人類、地球、宇宙を救う総合道場の一環がもう、間もなく目の前に迫っています。
悠音精舎の落慶によってその予言は実現したことになる訳です。・・・G
そして真如苑の特色というのは、その大般涅槃経にあるのです。これはもう世界で真如苑しか無いし、真如教主様しか説けなかったのです。そして真如霊能というものがあって、これは接心修行、又いろいろな霊界のお力というものも、そこに顕現されておりますし、宝の三つ目に、伝統の法脈があります。大日如来様、弘法大師様から流れている真言伝統の法脈を真如教主様は醍醐寺にて相承されて、そしてそれを基盤に霊能と涅槃経を加えた真如法脈という新しい法脈を、とてつもない大きな救いのある法脈を確立されて、今私達が生かされていることを、よくよく知って頂きたいと思います。
両童子様が霊界に逝かれる事によって、抜苦代受という救いを頂き、又摂受院様のご遷化によって、他の教えを求めている人も、この教えを求める事が出来るようになり、摂受の大道が開かれ、そして又、真如教主様のご遷化によって真如教法の救いの極みと言われる済摂の大きな救いの力を今、我々に流して下さっているのです。
一時間たってしまいましたので、「幸せを求めて」という題でございましたけれども、本当に真如み教えで、本当に仏教で救われるのかという疑問が、少しはとけて頂けたのではないかと、少しでもおわかり頂けたら有り難いと思います。これで今日の初信者懇談会を終わらせて頂きます。・・・H

[680]草汰 06/01/09 15:29 p8QHUHlWQV
白うさぎ様。
貴重な内部資料の公開ありがとうございます。その労苦に敬意を称します。
「俺のところだけは違う」と、名誉欲、支配欲の業にまみれて、どこの新興宗教も同じですね。ただ、仏教で始めて「俺のところは違う」といってしまったのは空海さんなので、当時の状況を勘案しても残念に思っています。そうしなければ新しいものが社会に定着しないのかも知れませんが…。
こうしてみると、やはり、真如苑は仏教とやらで支配してくるでしょう。ですから、真如苑を粉砕しようとすると、真如苑の仏教教義を粉砕しなければならない状況に追い込まれます。
学習することは楽しいですが、@の原始仏教の歪んだ解釈の間違いを正すだけでもそれなりの労力が必要とされます。
時間的な問題がありますが、本来ならば、白うさぎさん自身が、番号で示された部分を「私はこう思い、こういうところが疑問だ」と自分の意見を述べられれば一番いいことだと思います。
しかし、仏教に余りにも不純物が混ざり、煩雑になってしまった面がありますから、一般教養としての肝心なところだけ押さえておけばいいのではないかと思います。

[681]草汰 06/01/09 15:34 p8QHUHlWQV
「幸せを求めて」 の支配欲名誉欲の貪欲にまみれた、講演を味わってみるのもいいですね。読んでみて下さい。「俺が最高」「俺こそは」「俺だけだ」…。三毒にまみれている講演です。
白うさぎさま、ありがとうございました。
[682]健一 06/01/09 23:53 DuMrU/rl70
いい女は好きだけど宗教は嫌いです。

真如苑やるとおかしくなるんでしょ?彼女は人間としても女としてもほぼ完璧ですが。チャングムの「イ・ソンエ」にそっくりでもうたまりません。

何とか真如苑に入らず彼女とエッチできないですかね?

おかしくなりたくありませんから真如苑には入りたくないのです。
[683]提案 06/01/10 00:08 *pPKLqbk2lej*1NgL2oo/nP
健一さん
大丈夫です、
彼女とエッチできないですかね?
苑に入る目的がこれだけなら、あなたはおかしくなることはありません。
一日もはやく今の彼女に導き親になってもらって真如苑に入信してください。
この目的で入信するあなたは絶対におかしくなることは有りません。
ただ、猿にはならないようお気をつけ下さい。
今の彼女と距離を縮める良い機会です。
[684]健一 06/01/10 00:17 sJBDspXpnJ
提案さん。どうも。

でも本当に大丈夫なんすかね?

辞めるとおかしくなったりしません?

ここの人たちも精神病の人多いみたいだし。俺、結構、女遊びとか激しくて悪いことばっかりしてきたから怖いんすよ。


何回かヤッて逃げると罰が当たりそうで怖いんですよね。
だから彼女にやめてもらって安全な所でエッチしたいんですが…
[685]提案 06/01/10 00:23 *pPKLqbk2lej*oY538Qt9U4
健一さん
それは真如苑どうこうではなく

あなたの 倫理 の問題です

よく考えてください、私の提案はここまでです。
[686]事情通 06/01/10 00:24 iT56loqtUO
健一さん。
真如苑では「導き親」は「導きの子」をつねに指導し続けなければならないことになっているのですから、彼女にいったん導き親になってもらいさえすれば、あなたが教えに従うようなふりをしているかぎりは(明示的に脱会を宣言しないかぎりは)、彼女は信者の義務としてあなたとのコンタクトを密に取り続けなければならず、たとえ異性としてのあなたを嫌いになったとしても、自分から「振る」ことは絶対にできないという拘束を受けるのです。
その意味で、意中の人に、金輪際自分にそっぽを向かないスタンスでいてほしければ、その意中の人が真如教徒である場合、自分がその人の導きの子になってしまうというのは、最強の手段です!
私がもし若くて、独身で、真如苑の手の内を知っていて、しかもほれた意中の人が真如教徒だったら、彼女の導きの子になるという手を、きっと使ったでしょうね。あなたが宗教嫌いなのなら、それはそれで結構。「信じるふり」だけで十分。そして彼女を射止めて、しっかり結ばれてからあとで、彼女を引き連れての脱会を考えればよいだけですよ。
[687]提案 06/01/10 00:35 *pPKLqbk2lej*KJo9HNPzZg
事情通さん
そんなこと書いたら青年信者が増える懸念が・・・
しかし脱会は簡単ではなさそうですね。
[688]健一 06/01/10 00:35 sJBDspXpnJ
罰が当たらないとかおかしくならないなら一発入ってみようかな。

他にもいい女一杯いるみたいだし。金はかかるんですか?あんま宗教に金つぎ込みたくないんですが?
[689]読者 06/01/10 00:44 u7GuCs9m2Z
けんいちくん。そんな話題はここではなく裏スレでしてくれ。どうぞ存分に。www
1 にリンク先があるから。
[690]提案 06/01/10 00:50 *pPKLqbk2lej*NfZj7jG1Db
真如苑の門のまえで
俺の導き親になってくれないか って新しいナンパのスタイルが始まったりして。倫理もなにもなくなってしまいそうです。

しかし、行きはよいよい・・・
[691]読者 06/01/10 00:54 u7GuCs9m2Z
恐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い

(真如苑・裏スレ 心ゆくまで3)
[692]よもぎ 06/01/10 02:10 CG7I25DhsA
>>671 白うさぎさま

内部資料公開読ませていただきました。ありがとうございます。
私は仏教については素人ですが、随所に変な個所がありますね。

@仏教自体の教えが素晴らしいという前に、「教祖が偉大」といってしまうところ、あまりにさらっと出てくるので、ちょっと待って、とひいてしまいます。

A因縁を「切る」としきりに出てきますが、お釈迦さまは「物事は因りて起こる」ということを説いたのではないですか?

読み進むほどに、よくこれだけ自信満々に「苑は最高」と言えるもんだ、と。
そして、苑の因縁を切るためには、つくづくものすごい数の霊を静めなければダメなのね、とあきれます。目に見えないものを次々と示されても、どうしようもない。そして、それらが示されるころには、否定できないような気持ちになっており、「自ら願って」「歩んで」しまうんでしょうか。

怖いです。。
[693]健一 06/01/10 06:42 QsPPew7bYb
よもぎさん、あんたが隠れて苑に行ったから旦那が薬飲んだってわけじゃないの?

あんたアンチなの?

じゃ、なんで旦那は薬飲んだの?

俺、こんな不幸になりたくないから宗教に近寄りたくないんだよね。

白うさぎさんなんかモロ不幸そうじゃん。
[694]バスターズ 06/01/10 06:49 *ae59ezU0v3R*Y4p7.ogtAx
HN替えて登場かい、健一君。
[695]健一 06/01/10 07:09 DuMrUObc21
バスターズ、頭大丈夫かい?

真如苑に関わるとこうなりそうだから嫌なんだよな。
[696]バスターズ 06/01/10 07:14 *ae59ezU0v3R*Y4p7.ogtAx
いやならやめれば?
君みたいのがいっても、どの女性にも相手にされないのが落ちだよ。
それが本当の目的ならね。
しかし、それが本当の目的なら低能キャラって言うのは間違いないし、
彼女に振られた理由もそこにあるんだろうさ。
それに気づいていないで、信教のせいで降られたと思っているあたりはやはり低能キャラだろう?

よそおっているとしたら、もう少し書き込みの癖とか、
言い回しとか替えたほうがいいぞ。
なんだかボッキャヒンぶりがだれかさんとそっくりだ。
[697]健一 06/01/10 07:21 DuMrUObc21
確かに俺は頭わりぃけどアンタに言われたくないね。

名前がバスターならなんとか上手く彼女とエッチできる方法を教えろよ。

どうも真如苑に関わるのは危険な気がするんだよ。ここの人間見ててさ。この感覚おかしいかい?

まァ、逆に真如苑がまともでここに居る人たちがおかしいのかも知れないけどさ。

俺の関心は彼女との罰が当たらない安全なエッチなの。

それに必要な助言だけしろ。因縁吹っ掛けてくるなバカ!
[698]バスターズ 06/01/10 07:29 *ae59ezU0v3R*Y4p7.ogtAx
必要な助言かい? あきらめておうちにかえっておとなしくしてな。
苑に行っても、君みたいなのに引っかかるのはまれだ。
外の世界よりも厳しいかもな。
あまりに低俗ぶりを発揮すると、誰からも相手にされなくなるぜ
[699]健一 06/01/10 07:31 Xt4p68vLOV
あんたみたいにかい?
[700]健一 06/01/10 07:34 Xt4p68vLOV
なんか話聞いてると苑の女は貞操観念もちゃんとしたマトモな女見たいじゃん?

あんたら苑の人間はまともじゃないって言ってなかったか?
[701]幽霊 06/01/10 08:41 DuMrU/rloa
ここの人間がまともじゃないことくらい書いてる内容で解るだろう。
キチガ○が移る前に去ったほうが良いぞ。

[702]よもぎ 06/01/10 08:43 *jk9EeGcXxrY*CG7I25DhsA
健一様

あなたのご相談はこの板よりは、○chの方が回答が得られやすいのでは?
ですが、あちらの真如苑スレをざっと見たところ、あちらで同じ相談には行ってないのですね?

ご相談内容についても、回答が得られるスピードも、○chのほうがいいでしょ?

年末年始にかけて出没した荒らし行為の方とあなたがそっくりだな、とこの板の住人は感じていると思いますよ。

----独り言----
IDがころころ変わること。。
逆ギレして攻撃的になること。。
スルスルーっと。。
[703]幽霊 06/01/10 08:47 Xt4p6N.AWa
このよもぎってのは新入りか?旦那がくたばりそこなったとか?

旦那を自殺にまで追いやるってどんあ悪事をしたんだよ?

和音にしろお前にしろロクな妻じゃないな?

真如教徒か?そんなわけねーか。ここにカキコするくらいだから。


[704]偽の気配 06/01/10 10:18 *2cbZid.BLx3*mynxzNDT83
[701]幽霊 06/01/10 08:41 DuMrU/rloa
[697]健一 06/01/10 07:21 DuMrUObc21

でた。また管理人に対応をお願いしましょう。
[705]草汰 06/01/10 12:41 p8QHUHlWQV
この板の古い住人が他の板を荒らしている。
そういう人の「体質体臭」が、匂いを嗅ぎつけて荒らしを呼び寄せている面があるのでは?
この板にやってくる人と同じ悪臭がします。
[706]たぬきの親 06/01/10 12:58 *BzKf9sYC99S*mynxzNDT83
草汰さん、
他の板というのは、苑関連の板ですか?
それとも他にも出没していますか?

宗教とは、かくもやっかいなものであります。
しかし、知らずに済ませばそれでよいというものでもない。
知らぬが故に、なじみが少ないが故に、
大学などのサークルでカルトにひきづりこまれてしまったり、
社会人になってからでも、
ちょっとの甘い言葉にほだされて陥れられたりしてしまうのです。

この板にくる荒らしは、
苑関係者かもしれません。
そうでないかもしれません。
あまりに低俗低級で、人とのコミュニケーションとしての会話ができないタイプの人だからです。
苑には、紋切型の発想パターンと回答がありますから
それから逸脱した低俗な発言をくりかえすものは、
人として現実世界だけではなく苑の中でもはみだしものなのか
はたまた苑にも相手にされないものなのか。

いずれにしても、実のある話をしようとしない、できない、ということをさらけ出していることに、本人が気づいていないというのが、悲喜劇です。
[707]草汰 06/01/10 13:18 p8QHUHlWQV
ただ匂いだけですが、この板の古い人が、サソリやムカデのような陰湿な形で、他の板に出没しているように感じています。
内部のそういったサソリやムカデのような陰湿な毒気が、荒らしを呼び寄せている面はあるのではないでしょうか?
ものごとは、外部からではなく、内部から腐敗していくといわれます。
余計なお世話ですが、陰湿な疑心暗鬼にうんざりしまして書かせて頂きました。
申し訳ありません。
[708]THE C TEAM 06/01/10 15:18 u7GuCJIltg
霊能の接心とかもやってたけど、あやふやな誰にでも言える事しか言ってないし。

テレビに出るほど自信がある程の苑の「霊能者」なら超能力で未解決事件で
犯人を見つけてみろっての。
ただお助けノルマを上げる為に霊能者を採用して教団をを作る。

苑の「霊能者」にも程度の事はわかるでしょう。
だけどそれは断片的だったり。パーフェクトではない。
依頼者を満足させる事は出来ない。

お金を取っておきながら・・・・・。
[709]THE C TEAM 06/01/10 19:29 jd8asXNRIf
1年間の接心修行の累計金額

接    心1回1000円 X 18回 =18000円

特別鑑定接心1回8000円 X  2回 =16000円
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
合    計         20回= 34000円

[710]事情通 06/01/10 20:53 iT56loqtUO
>>210
『水ぶくれ真如苑』の時代には向上接心は1回500円だったんですけど、それでも他のもろもろと合わせると1年間30万円以上と出てますね(ほぼ、あのころの実態と言っていいでしょう)。

はて、現在はどにくらいなのかな?
どなたか全体の集計をなさいませんか?
[711]THE C TEAM 06/01/10 21:07 jd8asXNRsk
伊藤苑は、世間法をでっち上げできるだけ世間に接触させず、洗脳生活をさせた上で、
お金をちょぼちょぼ吸い取る。

さらに教線拡大させることで苑信徒を増やし、もっともっと吸い取る。
狂団の最終的な目的はそれだけです。

真如密とは。無一文になったら、叩き出される似非仏教という名のお仕事です。
[712]和音 06/01/11 08:52 wVkbRjjfxE
白うさぎ様

資料読ませていただき、自分成りにチェックさせて頂きました。
ありがとうございます。
自分自身の苑への疑問提起にしていきたいと思います。
頭クラクラしましたけど。
[713]講釈師 06/01/11 13:18 rTPHx8SQzp
白うさぎ様 資料の掲載ありがとうございます。

色々感想はありますが、「神でもないオッサンの妄想に踊らされて」です。

キリスト、ユダヤ、イスラーム教は、宇宙、人類を作られた神、神の預言者です。
翻って、仏法は思想、概念です。
苦難を取り除く「考え方」なのです。
「死後の世界が有あれば思い悩むことなく、楽になれる」という概念です。
「有れば」から「有る」そして「新たに作る」というのは「神」の領域です。
「神」ならば奇跡も起こしますが、「思想、概念」からは奇跡を期待してはいけません。
釈尊は「神」ではありません。
偉大な思想家です。
[714]通りすがり 06/01/11 13:30 E-3btYc
はじめましてm(_)m
ハンネ通り、通りすがりさせて頂きます。
以前、あるサイトで真如苑の信者さんが勧誘していました。ただ、その人は真如苑は宗教団体ではないといわれるのです。
これは、何かの目的があって宗教団体というのを伏せていたのでしょうか?
それとも…もしかして、信者の中には宗教団体とは知らず入信している方がいるなんていうことはあるんでしょう?

それとも、それ以外に何か理由があったんでしょうか?

本人はそれ以来、サイトにこなくなりました。
[715]偽の気配 06/01/11 14:41 *2cbZid.BLx3*mynxzNDT83
714通りすがりさま。
真如苑は、まちがいなく宗教団体です。
苑自体が、自らを指して「新興宗教ではない」「真言密教の法脈を伝承している仏教である」とHPに書いています。
しかし、「新興宗教」の定義に従えば、真如苑は間違いなく新興宗教に当ります。
また、「仏教である」といいながら、教祖である伊藤真乗・友司、若くして逝去した二人の子供を崇め奉ります。
教書である一如の道を読み解くと、冒頭から勝手な解釈による用語の言い直し、造語などが随所に見られるのです。
さらには、それら伊藤家が勢ぞろいしている「真如霊界」なるものを論じ、その霊界と通信できるという真如苑的「霊能者」をつくりだし、信者に対して「接心」なるものをおこないます。勿論有料ですし、受けなければ精進できないということで、半ば強制的・定期的にうけることを義務付けられています。そこで、先祖の悪因縁をきらなければならない、という暗示を用いて、信者をがんじがらめにしていきます。
苑費などは安く設定されていますが、もろもろの経費で結構な出費を強いられます。
また、「おたすけ」という言い方で、新たに信者を勧誘することを義務付けています。これも実践しないと、精進できず、悪因縁をきることができないのだ、とやんわり脅しをかけるのです。
ほかにも、苑の法要(伊藤家の命日など)には、修行だ・精進だ、という形で労働力の提供を義務付けられています。
なんだかんだで、毎月週末などは苑に通いつめるようになっていき、やがて苑どっぷりの生活に嵌ります。

苑は、悪質な暴力的カルトとは一線を画しているかもしれません。
慈善事業や寄付などもおこなっているようです。
しかし、それは創価学会などもおこなっていることですから
それをもってカルトではない、と言い切ることはできません。

苑の勧誘の特徴は、
まったく詳しい情報をださないこと(勧誘している当人たちも良く知らないらしい)ことです。
実践する教えです、というような言い方をします。

信者で、真如苑を宗教団体でない、と思っているとしたら、
それはその人が常識不足なのでしょう。きちんと訂正してあげてください。

もし勧誘されても、深入りされないほうがよいかと思います。
自分のみならず、周囲を不幸に巻き込む宗教です。
やがて、社会問題として取り上げられる日もくるかもしれません。

[716]通りすがり 06/01/11 16:54 E-3btYc
>>715さん、ありがとうございます。

確かに詳しく聞こうとしたら、その人はサイトにはこなくなってしまいました。

勉強になりました。ありがとうございました
[717]知りたい 06/01/11 17:19 */2gyHsA8EoT*D-qQsTQ
わざわざ勧誘などしなくても、正しい教えであるのなら、人は自然に集まるよ。
[718]よもぎ 06/01/11 22:19 *jk9EeGcXxrY*V-oyb.K
>>713 講釈師さま、

> 翻って、仏法は思想、概念です。
> 苦難を取り除く「考え方」なのです。
> 「死後の世界が有あれば思い悩むことなく、楽になれる」という概念です。

同意です。大変参考になります。
私も仏教とは縋る、依存するというよりは、モノの考え方、とらえ方を説くもの、と思っています。
ですが、苑の教義は方便の域を越えていると考えています。
概念としての「あの世」なのに、いつのまにかあの世に追い立てられているように、3つの歩みを「願って」するように駆り立てられる。
[738]バスターズ 06/01/12 07:06 Y4p7.ogtAx
今度は語りのバカですか。
幽霊か、健一かしりませんが、
名乗る勇気もないぐらい腐ったバカですね。
そりゃ、友達にも相手にされないだろうし、
彼女もできんでしょう。
一人パソコンにむかうさもしいバカです。
[739]偽の気配 06/01/12 07:27 *CKoaqNDPhmA*Y4p7.ogtAx
よもぎさん
そうですね。苑がいかに仏教から矛盾したことを教えとしているのか、それが浮き彫りになりますね。
幽霊や健一という人格を語ってきていたものが
信者でないとするならば、
苑に魅入られるもののなかでもとんでもない低俗なものだったのでしょうし、
信者であるとするならば、
やはり低俗な下品さを、苑の教えで開花したというところでしょうか。
HNの語りで書き込みをするなんぞ、卑劣漢以外のなにものでもありませんしね。
漢・・というのもおこがましいぐらいです。
やがて消え行くものですが。
[740]よもぎ 06/01/12 10:39 *jk9EeGcXxrY*V-oyb.K
>>739 偽の気配さま
ついにネタが尽きて残ったのは低俗な人格という感じですね。他人のHNを騙るなど、もはや苑以前のお話かと思います。
そのうち「戯論無用」みたいな諫め役の人格が現れるかもしれないけど、さすがに今回は出てきたくないかも。

> やがて消え行くものですが。
ですね。

ともかく私なりの書き込みを続けます。
[741]28 06/01/12 10:40 LLtBG4BPQD
真如苑信徒 が、病気で亡くなった場合、お通夜、お葬式は

真如苑方式 で行うのでしょうか?
[742]講釈師 06/01/12 12:11 /1Wgcno/lW
>>741
親類、縁者、菩提寺等すべての同意があれば「真如方式」でできます。
(私も苑オタになりました。)

>>718 よもぎさま

神は奇跡、ご利益をくれる事がある「かも」知れませんが、
仏教は所詮人間(釈尊)の考えた概念ですので、奇跡、ご利益はないです。
(他の住人から叩かれそうですが)
私はアホですので、この結論に達するまで1年かかりました。

真如苑もあと50〜100年で伊藤一家を「神」に昇格してそうです(笑)

ちなみにイスラーム教では、アッラーは誰かから生まれたのでなく、存在したのです。

苑の奴隷になる。→徳の器を大きくする。→「幸せを求めて(公団の抽選に当たることが?)」
すべて矛盾してますね。
[743]笑店 06/01/12 13:00 Ri6QF904h0
>さぁ、もうこんな板、閉鎖でよろしく!

残念!こちらの尊いスレは 常住なのです。そんなことよりさっさと勧誘や献金をしていろ。さあさあ。
[744]白うさぎ 06/01/12 18:57 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
[733]和音 05/10/03 18:38 wVkbRjjffG
 Q真如苑はカルトではないのですか?

B:宗教って聞くとすぐカルトを連想しちゃう人がいるよね。

A:たしかにいくつかの宗教団体がいろんな社会問題を起こしているから、みんなが
  ”宗教団体=カルト”って思っているのもしょうがないよ。
  だいたいカルトって何なの?

C:カルトというのは、過激で異端的な反社会的な宗教集団のことだよ。
  例えば多額の寄付金を強要したり人権を侵害しマインドコントロールして常識的な判断を
  させなくして、反社会的な行動をおこすんだ。

B:セミナーを開いて、社会への憎悪や終末観をあおってるって聞いたことがあるわ。

C:たとえば、国が自分達を攻撃しようとしてるとかね。そこからしばしば事件などをおこすんだ。

A:じゃあ、真如苑はまるでちがうね。

B:真如苑は、世間ばなれしていないよね。
  しゃかいとかの融和とか、社会貢献とかに積極的だし。

C:真如苑の教えは、「社会即道場」だから。家族や友人、周囲の方を大切にして、
  一人ひとりが世のため人のために、社会に役に立つ人になるのを目的にしている。

B:そして、他の宗教とも仲良くしていこうと取り組んでいるわ。ヨーロッパのキリスト教
  の教会で、古楽器の演奏と共に真如苑の声明衆がお経をとなえる公演をカトリックの方々
  と協賛して開催したわ。法律でカルト規制が厳しいフランスでも、真如苑は正しく
  仏教として認められているから、斉燈護摩もできたのよ。ヨーロッパでは、火を焚いて
  拝むってことはキリスト教的宗教ではないのに真如苑はカルトではないって
  フランス国家が認めたんだから。

A:国が認めたから正しいとか、正しくないというのは意味が無いと思うよ。
  正しいかどうかを国が判断するのはナンセンスさ。
  戦争中は、日本は神の国って教えられてたんだから。

B:それは昔の話しでしょう。今は、民主主義の時代よ。

A:でも、いくら真如苑が間違っていないと主張しても、中には家族や友達、
  社会的責任についていい加減になっている人もいるんじゃないかな。
  マナーが悪かったり。

B:そうね、いくら真如苑が正当な仏教ですっていっても、一人ひとりの行動が常識ハズレ
  だと、カルトと呼ばれてしまうかも。だから、周りから信頼される人にならなくっちゃ。
  私達一人ひとりの行い一つで、正しい教えも間違った教えと判断されることも
  あるんだから。

復習です。
>C:カルトというのは、過激で異端的な反社会的な宗教集団のことだよ。
  例えば多額の寄付金を強要したり人権を侵害しマインドコントロールして常識的な判断を
  させなくして、反社会的な行動をおこすんだ。

B:そうね、いくら真如苑が正当な仏教ですっていっても、一人ひとりの行動が常識ハズレ
  だと、カルトと呼ばれてしまうかも。だから、周りから信頼される人にならなくっちゃ。
  私達一人ひとりの行い一つで、正しい教えも間違った教えと判断されることも
  あるんだから。

この2項目は、荒らし行為に適応しませんか?
 常識的な判断をさせなくして、常識ハズレ・・・ちゃんと書かれていますね。
[745]白うさぎ 06/01/12 19:02 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
運・不運とは結局徳があるか、ないかという事によって決まると思うのです。
先ほど苑歌を示しましたけれども、歓喜は器を大きくしていく修行であり、
ご奉仕はその器を磨く修行なのです。そして、お救けは、器を大きくしながら、
なおかつ磨く修行といわれています。三つの歩みというのは、
何も教団の真如教徒の数を増やせとか、お金を集めろとか、
そういう事とは全然違う訳です。あくまでも教団の為ではなくて、
自分の幸せのために自分の徳の器を大きくしていくために、させて頂くのであり、
運命を変えて頂くためにする修行だという事です。それがわかりませんと、
他の教えとの区別がなくなってしまい見分けがつかなくなってしまう訳です。・・・C

この部分は上記の「真如苑はカルトではないのですか?」の質問と同じく自覚あっての言い訳のように感じます。
[746]身近に信者が。。 06/01/12 19:26 kU3X30SYkk
彼女の家族が全員信者で困っています。
被害者の会みたいのは真如苑にはないですか?
[747]被害者 06/01/12 20:19 *xhwIHhvEBRD*SbvMlb5Fie
身近に信者が。。 様
ご質問が少し漠然としていますので、お答えしやすくするために・・。

@ >彼女の家族が全員信者で困っています。

全員というのは、親、きょうだいと言うことですか。家族構成を教えてください。

A >被害者の会みたいのは真如苑にはないですか?

まだあなたは被疑者とは言えないのではないですか。具体的な被害があれば教えてください。
  
[748]被害者 06/01/12 20:24 *xhwIHhvEBRD*qxVA4G3EEG
↑747補遺

どのように困っておられるかもお話し下さい。失礼しました。
[749]The K TEAM 06/01/12 20:36 Qggmm9H6PM
真 如 苑 に か か る お 金 !

立川にある金ピカ御殿に、一年間に払わされるお金の額の合計 (交通費含まず。)
通常信徒の最低限の金額。

会 費(1月200円)     …………  2.400円
歓 喜(大歓喜委員の場合)   …………120.000円
護法善神様お奠供         ………… 48.000円
施餓鬼料(接心で示されたもの)  ………… 30.000円
 同  (お奠供帳)       ………… 33.000円
護 摩 料(信仰遍歴のお浄め)   ………… 36.000円
 同  (接心で示されたもの)  ………… 10.000円
 同  (堕ちた導きの子のお浄め)………… 24.000円
相談接心 冥加料(7回)      ………… 14.000円
向上接心 冥加料(8回)      …………  4.000円
            年額 合計…………321.400円
[750] 06/01/12 20:59 *JnAN3qW8E1s*XOkEmrj4Gz
白うさぎさま

内部資料をありがとうございます。三つの歩み(苑にお金を払う、苑に信者となる人を連れて行く、
苑関係の奉仕をする)は苑にとって都合のいいことばかり。それを「自分のためだから、ありがたく
させていただけ」とヌケヌケと語り、初心者懇談会からさっそくMC全開ですね。
[751]身近に信者が。。 06/01/13 12:14 kU3X30SYkk
>>被害者様
家族全体とは親兄弟のことです。

困っているのは真如苑をやめさせたいが、
うまくいかないということです。

一度よく知らなければ説得できないとおもい、
3ヶ月ほど入信し法要には何度か参加し、青年部の集会のようなものに行き疑問をぶつけたりしました。

しかしながら耐えられなくなり、直接自分で退会届を出しにいき
今は退会しております。

彼女は私が彼女を大切におもっているからこそやめてほしいと考えているということは理解できているようですが。。。

まあたしかに被害者といえるかどうかはわからないですが
めちゃめちゃ困っています。

被害者の会なんかがあれば相談してみようかと思い
書き込んだのですが、そういうものは今のところないのでしょうか?
巧妙に目立った衝突が起きないように影で動いている教団だから
目に見える被害が少なくて結成されにくいんですかね。。。

[752]偽の気配 06/01/13 13:23 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
身近に信者が・・・さん
多分に、同じように悩んでいる方は、私も含めて、少なくないと思います。
が、現時点では、既存の被害者の会、のようなものはないようです。

>家族全体とは親兄弟のことです。

というのは、ご自身の親兄弟ですか、彼女の親兄弟ということでしょうか。
もし、ご自身の親兄弟あるいは彼女の親兄弟の一方が信者であるならば、少なくともそうでない親族には入信しないように、説明をしておく必要があると思います。免疫をすでに持っている方であれば、説明はむずかしくないでしょう。

具体的に困る・・という状況は、
たとえば友人知人を勧誘しようとしたことによって関係がこじれる、
あるいは、苑行事への参加のため家を空けることが増える、
苑につぎこむ費用がかさばる、等といったようなことが挙げられると思いますが、そのような兆候はありますか?

彼女さんとは、既に入籍されているのでしょうか?
まだだとすると、接心などで妨げが生ずる恐れもあります。
入籍済みということであれば、すくなくとも彼女が脱苑できるように
気長に接していく必要があると思います。

それには、根気もいりますし、実際、脱力感にさいなまれることも多いですが、自分がやらなければ、相手はそのまま苑の深みに嵌っていく、ということを把握して、粘っていかなければなりません。

ある意味では、ここで苑情報をしいれ、
苑の矛盾点やでたらめな点をどんどんついていくこと、
当人に、「おかしい」とおもわせることができるように、
脇固めをしていくこと、しか、有効な手立てがないような状況かもしれません。
[753]講釈師 06/01/13 14:54 wwvcx1cxp8
生活訓として両親、ご先祖に感謝しましょう。

(真如苑流にすり替えて) ↓

あなたの運のなさは、先祖の悪因縁のせいです。
ご利益を頂く為に、施餓鬼、護摩で現金の拠出をせよ。
[754]身近に信者が。。 06/01/13 16:38 kU3X30SYkk
偽の気配 さん
やはりそうですよね。。

信者なのは彼女の家族です。
入籍はしておりませんが、ここ何ヶ月かは接心を受けるのもやめてくれているようですが、すぐにやめる気にはならないし、今のところ辞めるつもりもないといいます。

あなたが感じたように真如苑がおかしいと感じれば辞めると言ってはいますが。。幼少期からなので中々大変そうです。
しかも両親兄弟も信者ですので辞めさせたとしても後が心配です。

正直言って私自身の精神がいつまで持つのか自信がなくなってきていたところです。

この掲示板は以前からみていて過去スレもすべて拝見いたしました。
[755]偽の気配 06/01/13 17:48 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
私の場合は、結婚前に「真如苑を信じているけれど、仏教だからいいよね」と尋ねられました。私自身は宗教的な信条はなかったので、別にかまわないよ・・と答えたものの、「真如苑って何?」と思い、いろいろと調べてみて、ぶつかったのがここの板(2代目の板)でした。

末端部分で信じて信者を拡大している人たちの多くは、
冗談ぬきで「まじめに」信じている善意の人たちなので
すっかり苑の教えを信じ込んでしまっていて、
いかにその教えに矛盾があるのか、仏教とはかけ離れたものであるか
を説明しても、すぐにはわかってもらえません。

また、あまりに急いで、伴侶(あるいは彼女)をやめさせようとしても
頑なにさせるばかりで、逆効果につながります。
ゆっくり時間をかけて、本物の仏教にふれていくことで
いかに似非であるか、をみせていく・・というのが、
苑から脱させるためには必要なようです。

彼女がすごく熱烈な信者ではないのならば
(すべての法要などの行事には参加する、勧誘などもおこなう、などなど、生活の軸が苑に移っているというのでなければ)
身近に信者が・・さん自身も、あまり思いつめすぎずに
肩から少し力を抜きつつ、長くむきあっていくようなつもりで接してみてはいかがでしょうか?

>ここ何ヶ月かは接心を受けるのもやめてくれているようですが、すぐにやめる気にはならないし、今のところ辞めるつもりもないといいます。あなたが感じたように真如苑がおかしいと感じれば辞めると言ってはいますが

ということですので、希望の光は見えていると思います。
それをすこしづつ大きく明るくしていくように、あせらず急がずやってみる、というのはどうでしょうか?
力みすぎると、無力感を感じます(実際感じましたから・・)
[756]三十数年 06/01/13 18:10 WjjoEdF8xN
はじめまして、三十数年です。由来は教徒としての年数になります。
生まれた直後にはもう教徒になってました。中学くらいまで母親の影響で参座してましたが、母親が基地○みたいになって信仰しているのを診て足を引きました。私は2年前に、たか○きにいって最後、行かなくなりました。母親は完全に信じきっているので逆お救けは叶いませんが、妻が「今まで信じてきたのだから無理やり止めさせることはかわいそうだ」と言って母親をかばってました。もう三十数年以上教徒の人は(母)は「我」が強いらしく中々霊位向上はできてないようです。私より激しく私の子(3歳)にきつい口調で叱りつけてましたから、何十年信仰しようとも変わらない人は変わらないというのが、真如苑ともいえます。
[757]講釈師 06/01/13 19:00 /1WgcGmmWq
三十数年様 よろしくお願いします。
身内が苑徒被害者の会そのAです。

苑徒の方は、伊藤文明を「神」と錯覚を起こしているのではないですか。
あるいは、錯覚を起こそうとミスリードをしているのではないですか。

別に伏字にしなくても良いですよ。
精神異常は立派な病気ですし、
高槻の立派な建物には1度行った事があります。
[758]三十数年 06/01/13 20:11 WjjoEdF8xN
講釈師様 こちらこそよろしくお願いします。
今まで感じてきたことすべてが一気に鬱憤として放出したいのですが、年数が長くてまとめて談を整えることができなく、申し訳ないです。また、仏教の知識も皆無なので(真如苑にある程度染まって)随時適切なアドバイス等は無理だと思いますが、できる限りこの板に注力視したいです。
[759]三十数年 06/01/13 20:42 WjjoEdF8xN
間違いなく母は伊藤氏を元生き仏として全霊を込めて崇拝しておりました。また少なくとも当時は真面目すぎる(本当に因縁切をしたい、自分をもっと変えたい。過去を反省したい等)信者ばかりで20年前まではこんなカルトチックな教団ではなかったという記憶ですが。今はなんか勧誘命の信者さんが多いのでしょうか?当時に比べ自分自身を磨く、高めるといった観念は低いのかもしれません。
[760]ぽりん 06/01/13 21:02 LQ./ybLFKQ
三十数年様

お救け命令が継主より出ています
県単位で信者が増えたら「支部」建ててもらえるらしいです
他にも大きな精舎の計画があるんじゃないですか?

今の継主は親兄弟の為に涙流して功績訴えるだけで中身が伴ってないように思いました

誰でもいいから増やせ〜って言ってるようで嫌悪感ありました
「人増やせ」はお金持ってきてくれる人が欲しいんでしょうね
[761]偽の気配 06/01/13 21:42 eZn4bkYjmS
善悪はさておき、
伊藤真乗・友司のころ、とくに苑の前進であった「まこと教団」から苑創設初期のころには、もうすこし純粋な部分もあったんでしょうね。
苑が途中から変質したのは、接心のありようが変質したこと(以前指摘されていました)からも明らかではないでしょうか。
特に、今の継主になってからは、ありがたやありがたや、の部分が強調されているように思います。中身のない人を後継に選んだことが原因でしょう。
[764]偽の気配 06/01/14 00:11 eZn4bkYjmS
HNを語るのはやめましょうね、「茜」さん。
[765]田舎 06/01/14 00:16 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy
表に来たくなかったが…SO-NET 真如苑は腐りきってるな、負け犬の遠吠えはどっちだ!
[766] 06/01/14 00:39 *JnAN3qW8E1s*DdCzz3nNr5
[763]茜 06/01/13 23:43 SNa/ZToNuz

ID SNa/ZToNuzさんが、私のHNを騙ることに何のメリットがあるか知りませんが、
真面目に真如苑の疑問や疑念について真剣に語り合おうとしているこの板で、
このような荒らしがあるのはとても残念です。
[770] 06/01/14 06:05 *JnAN3qW8E1s*rr2GqRi3Fx
>>769は成りすましですので、削除をお願いいたします。
[771]偽の気配 06/01/14 07:02 eZn4bkYjmS
なりすまし「茜」のほうは、本物さんとくらべると、まぁ品がないだけでなく、低俗ですね。その質は、かつての幽霊と同じです。
独自のHNで書き込むと、多少HNを変えても正体をみぬかれてしまうがために、HN語りをして書き込んでいるのでしょう。

しかも、以前と比べても、書き込みの内容が一言二言いい去りだけで、まるでなかみがありません。何たる低能ぶりでしょう。

苑のほうからも、お前らあまりに低能振りを見せすぎる、と処罰でもされて、いじけているのかもしれませんね。

まともに話をできない人たちの成れの果てでしょう。

[773]おっと 06/01/14 14:23 *aN.3FNyHm6M*2yME8RHjGQ
今度は○価をからませたあらしですね
[774]よもぎ 06/01/14 16:44 *jk9EeGcXxrY*NoName
事情通さまの労作 「水ぶくれ真如苑」三土 修平 (著)のコピーの目次に、このスレ
ザ! 真如苑 その5
の何番(No.以下)を見ればよいかつけてみました。
事情通さま、ありがとうございました。

「水ぶくれ真如苑」三土 修平 (著) 目次(1/3)

第一部 真如苑とはどんな教団?
 第一章 立川の伏魔殿
  新版立川流密教?          No.78
  水も漏らさぬ秘密主義        No.648-649
 第二章 伊藤ファミリーと真如苑の歴史
  四月八日は何の日か?        No.79
  歴史@草創期            No.650-651
  歴史A発展期            No.652-654
  真如苑の教義のあらまし       No.81,83
  真如苑の組織と修行のあらまし    No.86-89

※行末の番号は、「ザ! 真如苑 その5」のレス番です
ザ! 真如苑 その5
[775]よもぎ 06/01/14 16:46 *jk9EeGcXxrY*CO7K8x9Gv3
「水ぶくれ真如苑」三土 修平 (著) 目次(2/3)

第二部 なぜいま真如苑が伸びるのか?
 第一章 オモテの理由とウラの理由
  オモテの理由               No.90-91
  ウラの理由                No.92
 第二章 何でも答えてくれる「接心」
  スーパーマンが五百人           No.100
  「ご霊言」は絶対の真理?         No.96-98
  親切すぎるほど親切            No.102
  変化エージェントとしての霊能者      No.106-107
  卓抜した霊能者統御法           No.109-110
 第三章 洗練された説得術
  際限なく湧き出してくる「因縁」      No.127-128
  疑問はすべて「障害霊のせい」       No.129-130
  解決の道は「あなた自身の霊位向上」    No.131-132
  「不満はすべて上求菩提しなさい」     No.133
 第四章 「抜苦代受」のあとに来るもの
  ネズミ講とマルチ商法           No.140-143
  「幸せのネズミ算」は「不安のネズミ算」  No.153-154
  死屍累々の上のわずかな救い        No.155
  水ぶくれは教主のお家芸          No.176-178
  会費が安いことのウラの理由        No.180
 第五章 安い会費のウラにあるもの
  「大歓喜委員バッジ」の無言の圧力     No.189
  「歓喜袋」の奸計             No.190
  「お施餓鬼」は年に六回?いや十八回!   No.204
  「七分獲一」のボロもうけ         No.205
  「お護摩」は最低二千円          No.210
  接心は月に最低一回泊まりがけ       No.211
  経別指導の膨大なロス           No.236-237
  有名人・有力者を入信させるは大功徳!   No.241

※行末の番号は、「ザ! 真如苑 その5」のレス番です
ザ! 真如苑 その5
[776]よもぎ 06/01/14 16:46 *jk9EeGcXxrY*CO7K8x9Gv3
「水ぶくれ真如苑」三土 修平 (著) 目次(3/3)

第三部 水ぶくれ真如苑の泣きどころ
 第一章 仏教学に照らしてみた真如苑教義の問題点
  「大乗」                  No.311
    @「ご利益信心」が「小乗」か?     No.312
    A時代遅れの教相判釈          No.313-314
    B本当の大乗精神とは?         No.315
  「大般涅槃経」               No.316-319
  「密教」                  No.444-446
  「因縁」                  No.447
    @仏教の宿業論と真如苑の因縁論の相違  No.448-450
    A原因のない結果だけの連鎖       No.451
    B群盲象をなでる            No.452
  「世間法」と「如来法」           No.453
  ひと皮むけば天理教             No.454
 第二章 肥りすぎた拝み屋の悲劇
  真如苑進化論                No.519
    @拝み屋時代              No.520
    A信者寺時代              No.521,523
    B新興教団時代             No.524-525
    Cネズミ講時代             No.526-527
  分際をわきまえない肥りぶり         No.528
  難問百出の現状               No.576
    @お救け競争でふえすぎた信者      No.576
    A教主神格化の進行           No.577
    B偏る信者層              No.579
    C申し訳としての社会奉仕        No.580-581
  教主一家のスキャンダル           No.585-586
  えげつない創価学会との争い         No.592
  霊能者の来世はさぞや悪かろう        No.605
  何のための真如苑?             No.619-620,622


※行末の番号は、「ザ! 真如苑 その5」のレス番です
ザ! 真如苑 その5
[777] 06/01/14 20:31 *JnAN3qW8E1s**7*7*7*
よもぎさま とても便利な目次を作っていただきありがとうございます。
事情通さま ありがとうございました。
[778] 06/01/14 20:57 *JnAN3qW8E1s*XOkEmMj2HC
スレ主さま どうもありがとうございました。
[779]白うさぎ 06/01/14 21:13 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
今日は、霊能者のお話を聞いてみましょう。

護法善神さまについて

 私はね、特級教師っていって、誰にでも教化できるんだよ。だから、霊能とる日は何時でもここにいて、智流学院専門に、今は教化しているんだ。近頃はいろんなことがメチャクチャだからね。
今の教徒たちは、食事観念をお唱えしているかい?一人でやっても駄目なんだよ。
家族みんなでお唱えしなけりゃ、折角あんたがやったって、すぐに汚されてしまうんだから。何故、食事観念をお唱えするのか。それは、物に感謝できないような人を護法善神さまはご加護下さらないからだよ。物に感謝出来ないような人、それから例えば、履物を脱ぎっぱなしにするような人を護法善神さまは一番お嫌いになるね。護法善神さまのご加護をいただかなけりゃ祈れないんだよ。だから、みんな祈りがないんだね。みんな祈りがない。私なんか導き親が教主さまだよ。祈る事ばかり教えていただいたものなんだ。
 あんた祈れているかい?例えば、読経中に妄念が湧くだろう?これはもうリブライなんだよ。祈りでもなんでもない。「正しい信仰してませんよ」って霊界が教えて下さっているんだよ。信仰が欲しい、惜しいの信仰になっている証拠なんだよ。
 こういう時は、すぐに接心に取り組むんだよ。
「読経中に妄念が湧いてくるのですが、どんなふうに取り組んでいったらいいでしょうか」ってね。祈りのない時に向上接心なんかいただいても無駄なんだよ。祈りのない時にいただいて良いのは、向上相談接心だけ。向上相談接心をどんどんいただいて心を浄めていかなくちゃ。接心というのは、心を浄めていただく為にいただくものなんだよ。祈りのない時、向上接心をいただいてもご霊言はいただけるよ。でも霊言のとおりには絶対行えないんだよ。行えないって事がリブライなんだよ。だから今度は「何故ご霊言のとおりに行えないんでしょうか」ってまた向上相談接心をいただかなきゃならなくなる。
申し訳ないだろう?
 その代わり向上接心なんかでいただいたご霊言が納得できないような時は、向上相談接心で何回も納得できるまでいただいていくんだよ。納得できないという事は、何か自分でも分からない、浄まっていないものがある証拠なんだから。
接心は心を清らかにしていただく為にいただくものなんだから。いつも心を清らかにして、祈りをもっていなけりゃ駄目なんだ。でなきゃみんな教主さまにご負担がかかっちゃうんだよ。あんたたちには分からないんだよ。祈りがない時には、教えに結ばれていたって教徒でも何でもないんだ。法流が流れていないんだから。護法善神さまが法流を流してくださらないんだから。祈りのない時はご奉仕をしたって無駄だよ。そりゃ世間法と同じだ。修行にならないんだよ。お施餓鬼したって霊界に届きゃしないよ。
 教主さまは届けてくださるけど、霊界が断るからね。お施餓鬼したってご先祖は救われないままだ。
[780]白うさぎ 06/01/14 21:14 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
 昔、女房が髪の毛の抜ける病気にかかった事があって、すぐ教主さまに伺ったんだ。そしたら一言、祈りがないからだっておっしゃったけれど、祈りになってなかったんだ。それを教えて下さる霊界からのリブライだったんだよ。何時の間にか、欲しい、惜しいの信仰になっていたんだね。
 祈りがあれば、護法善神さまは絶えず信号で教えてくださる。苑歌があるだろう?
「何見てもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば」って。あれは、祈りがあればこそ解る苑歌なんだよ。例えば暗い道を通る時、「あっ、何か変だな」と感じるとか、それから夢。夢ってのは起きてしばらくすると忘れちまうものだけれど、いつまでも覚えているようなのは、こりゃリブライだからすぐに接心に取り組むこと。祈りがある時は、三つの歩みの、特にお救けなんて面白いように出来るものなんだ。どの人に教えをお取次ぎすべきかだってわかっちゃうんだよ。護法善神さまが教えてくださる。だから百発百中だよ。摂受院さまと両童子さまがお救けにどのくらいお力を下さるか知っているかい?そりゃものすごいものなんだよ。だって真如苑の教えは人をお救けしていく教えなんだから。その為にはいくらだってお力を下さるんだよ。お救けしたくていろいろ話しても、どうしても駄目だって人もいるよ。そういう人は霊性が人間より下の人は、人間がどうしても救えないんだ。これは、摂受院さまと両童子さまのお手を借りなければ無理なんだよ。なのに、それをなんとかお救けしようと頑張るから、我になって、そういう時は、かならず権威教化になってるもんだ。だから余計相手が反発する。当たり前のことだよ。だったらどうするか。
 祈るんだよ。一生懸命その人の為に祈るんだよ。その人が一日も早く、この素晴らしい教えにご縁がいただけますようにって、これこそ他がための祈りだよ。朝夕のおつとめの時に、心中祈念の中に、その人の名前を入れて祈念していくんだ。真剣に続けると、そのうち、その人は事象をいただくよ。悪くなっていただくんじゃないんだ。浄まってきてやっと事象がいただけるようになったって事なんだよ。やっと霊性が人間格まで上がったってことなんだよ。そうすると、あんたの事を思い出して、向こうから頼ってくるよ。
事象をいただかないうちにお救けしてあげたいと思うけど、こればかりはしようがないね。話をするとすぐに結ばれて素直に一人で、こつこつ歩む人もいるだろ。そういう人は仏性が上品なんだよ。とにかくお救けが楽しみで楽しみでしようがないようにならなくちゃ、とても霊位向上、とくに歓喜や大歓喜なんていただけないよ。つまり、欲しい惜しいの信心だってことだからね。この教えは人をお救けしてく教えなんだからね。
[781]白うさぎ 06/01/14 21:15 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
 だいたい、今日副門を入って、護法善神さまのお社の前で何を拝んできた?
笠法さまの前で「笠法さま」って拝んできただろう。それが間違いなんだ。いいかい!
「おん、ろうきゃ、ろうきゃ、きやらやそわか」の咒の前に何と書いてある?
諸天善神咒って書いてあるんだよ。つまり、笠法さまのお社には、諸々の地霊系の護法善神さまが祀られていて、その代表が笠法さまなんだよ。だから毎日ご守護下さる諸々の護法善神さまありがとうございますって「おんろうきゃ・・・」って唱えるんだよ。
 弁才天さまも同じ天霊系の護法善神さまだって、たくさんいらっしゃって、私たちを護って下さるんだよ。じゃあ、清龍大権現さまってどんな神さまか知っているかい?天界と地界の調和を司る神様ってことはわかるかもしれないけど、つまり、じゃあそれはどういう事なのかわかるかい?そういう事がわからなくて何を拝むんだい?
 いいかい、例えば、あんたが旅行をする。飛行機で行く。事故がなく無事に帰りたいと思うだろう。そこで「無事に帰れますようにと祈る」そのあんたの祈りを天界の護法善神さまに、どうぞよろしく頼むと伝えて下さるのが清龍大権現さまなんだよ。天界ばかりじゃない、地界の護法善神さまにもちゃんと頼んでくれる。そのおかげで今日もあんたが生きているんだよ。
 第一、あんた方、合掌っていうのが出来ているかい?やってみな?そうじゃなくてあわせた手をもっと立てるんだよ。手首に抵抗がある位。教主さまがご謹刻になった聖徳太子さまのお像の合掌を見てごらん。そんなに寝かせてないよ。きちんと立てていらっしゃる。それから足。正座の時、右の足が上にきているかい。右は仏さまだから大切にするんだよ。踏みつけたりしちゃ駄目なんだ。そういう事がちゃんと出来てなけりゃ、とても正しい祈りは出来ないんだよ。
 ついでに双親さまの額。向かって右側が上手になる。だからお亡くなりになっている摂授院さまが右で教主さまが左なんだ。ご内陣も、右が上手。だから教主さまはいつも左におられる。来賓や教徒の代表を右の上手に座らせて下さるんだよ。何でもなくあんた方は見ているだろうけれど、勿体ないことなんだよ。そういうところに教主さまのみ心は生きているんだよ。
 とにかくこの教えは霊能者にならなきゃ駄目なんだよ。私なんか二度霊能を相承させてもらった。一度はまこと教団時代、二度目は真如苑になってから。まこと教団時代の霊能は透視の霊能だった。財布はどこかなと思うと、引き出しが透けて中に財布があるのが見えちゃうんだから。霊能っていうのはすごい。そうなるとこの教えの正しさ、偉大さ、素晴らしさがよくわかるんだ。霊能を相承した時ってのはね、一口に言えばワクワクするような最高にうれしい気持ちなんだよ。

このお話は、ある日、精舎の片隅で、お年寄りの古い霊能者の方がお話してくださったものです。
[782] 06/01/14 22:12 *JnAN3qW8E1s*rr2GqdPyLi
白うさぎさま ありがとうございました。
今読ませていただきましたが、唖然としております。
[783]一般人 06/01/14 23:36 98mnTU1aX7

光太郎さん。人生けっこう休む機会はないものですから、この際たっぷり休んで下さいね。

事情通さん。講釈師さん。「水ぶくれ」のコピペありがとうございました。
ドキュメントにして保存したいです。
でもどういう順番で並べたらいいのか 分かりません。と言おうと思ったら、
>>774-776 よもぎさん
が目次を作ってくれました。どうも〜〜。

[784]一般人 06/01/14 23:36 98mnTU1aX7
独白スレ2[812]田舎さん
>…自分に都合悪い所はもやもやと誤魔化し、原因の解決にもならんその場しのぎの優しさ?みたいなものでやりすごす
「仏教を名乗るくせに教義が非論理」ですからね。
誤魔化すしかないですよ。

独白スレ2[813]ぽりんさん
>あ〜苛々するよ〜「なんで信じきってるんだよ〜」
普通は信じるに値する物事を目の当たりにして信じるわけですが、カルトは逆で、
まず信じて すべてをその眼で見て「盲信しなさい」と言うので、それを素直にきくと、ああ成っちゃうわけです。
そりゃ信じてたら鰯でも狸でも仏に見えるわな。

だから、語るべき言葉も持たない→相手に尽くしたり・参拝させることでしか勧誘できない、
わけです。

独白スレ2[815]白うさぎさん
>私のM子さんも(M孫付き)、「自分は続ける」と言って、私の送った本を開封もせずに送り返して来ました。
まえにも書きましたが私の場合「〜〜しないと正式に苑籍を抜くぞ」と言い
白状させたりしています。
そうするとさらに、ボロがボロボロ出てくるので 面白いです。
次の展開は「メールでの一問一答」です。 上記の台詞により 拒否はさせません。w

[785]一般人 06/01/14 23:37 98mnTU1aX7
>>671-678 白うさぎさん貴重な内部資料ありがとうございます。

>それがわかりませんと、他の教えとの区別がなくなってしまい見分けがつかなくなってしまう訳です。
真如苑はネズミ講や金儲けではない、
自分の幸せのためにさせて頂く、勧誘や献金や献身だ、と言いますが
他のカルトとの区別が全く無く、見分けがつかないですよね。w

他のカルトや自己啓発セミナーは 悟り/能力開発/自己実現/などを謳い、集客に努め、MCしますが
真如苑はどうですか??同じですね。

>運命を変えて頂くためにする修行だという事です。
真如苑に入信すれば、たしかに運命は変わります。一般人ではなく、MCされカルトメンバーになるから、変わるのです。

>仏教と言えば、因縁、
>その因縁を切れば幸せになっていけるというのが、一つの大きな救いの根本になっている訳です。
仏教以前に あたりまえなことですね。 悪い「原因」を取り除けば良くなる。 何が「救い」なのかな。

「先祖の業」を浄める?それには真如苑に、支払え、貢献せよ、と言うわけですか。
「原因」を先祖など「どうにもしようもないこと」とすることは「苑でなければ救われない」と設定するためですね。
その4[43]参照。
※しかも自らの過去生による自業自得ではなくあくまでも「先祖の」とするところが味噌。
過去の自分に対して払うなら、払わなくても同じだからです。

[786]一般人 06/01/14 23:38 98mnTU1aX7

さらには自縛霊や事故因縁?????怨霊???
それを口にしどうこうするならば、仏教では在り得ないですよ。 どういうつもりでしょうか 真如苑!

「日本の仏教は本来の姿ではない」と苑は言いますが、自分たちこそ、ぜんぜん違うでしょう。w
お得意の「霊視」だって、新興カルトに在りがちで珍しくもなし。
そしてしつこく払えと言われるし。 効果が低いから、何度も払うことになるのでしょう。w
最終的には即身成仏?である「霊能」
を目指すようですが、その点も全く、オウム信仰と酷似ですね。 「やらねばわからない」などと 創価のような台詞を吐くし・・

いっそ合併したら? 「創価苑」とか「オウム苑」として。 さすが大海の教え!

[787]一般人 06/01/14 23:38 98mnTU1aX7
ところで白うさぎさん。初信者懇談会と霊能者さんのお話、あれはTEXTで配られたんですか?
それともメモしてたのですか? 速記できるんですか?
[788]一般人 06/01/14 23:39 98mnTU1aX7
>>640]maruさんの指摘が『甘かった』ために >>644]ミランダさんに「反撃」されましたね。
ここでその後始末をしておきましょう。↓


真如苑は詐欺組織か、と聞かれれば「はいそうです」と答えるが、

信者に言わせれば、真如苑は信じるべきもの、つまり「信仰」であるから、
そこには詐欺かどうかと吟味する行為そのものが 存在しないわけであり、
たとえどれ程、そこに悪質なMCの要素が厳然と存在しようとも、
それについて目を逸らす、という行為そのものが存在せず、
目を逸らすのではなく、ただ信じるか否か、に集積されてしまうわけで、
その意味で「カルト信仰の自由」は保障されてしまうのである。
そのわりには「非信仰の自由」は認めず、相手の話など聞かず 脆弱な優位性を保持するのは かなりおめでたい。


>易と霊能ブレンド結構だし ブレンドお米もあるし
>無理して接心やりたくなければやらなくても良いし
>苑に拉致監禁されて強要される訳じゃないし
>社会的に問題があるなら何時か裁かれるのも事実だし

米のブレンドはご自由にだが カルトと仏教の融合はどうか?
無理して真実を知りたくなければ 知らなくても良いし
今のカルトは拉致監禁も強要も する訳じゃないし
違法ではないが社会的に問題があるから 事実を指摘され裁かれているのも事実。
「言う通りにせず、辞めたら不幸に」と言うだけで、「強制」じゃないから 問題無し???
そもそも「強制する権利」が無いですよね。

そんな有様を、懺悔しなさい! 真如密!!(今月中)

[789] 06/01/15 02:54 *7uf.zfdJfzk*qdTj4axAT/
淋しいね、一般人。
[790]偽の気配 06/01/15 09:11 eZn4bkYjmS
789はとりわけ真如苑の「垢ネ」 語りの「垢ネ」
[791]yumi 06/01/15 09:23 */EwXk.ygj73*tiSMf39iiz
始めましてm(_ _)m
こちらの皆さんには、関係の無い話で恐縮ですm(_ _)m


@服部エンタープライズ社長 *vOys31uzjgw* E-A0VR6

A服部エンタープライズ社長 *vOys31uzjgw* IN.5J.V.OB

B服部エンタープライズ社長 *vOys31uzjgw* ARJLZODUSP
 ↑                     ↑↑
これ、どういうことか、わかる方教えてください。
[792]和音 06/01/15 09:51 H69SQvRRMX
遅れましたが、白うさぎ様の内部資料を読んでの私の感想です。

文章の随所にちりばめられている「救い」の言葉は紛れも無くご利益信仰であり、
私の思う処の仏教とは真逆に位置するものです。
私が読んだ数書のお釈迦様のお話では、出家の動機として貧困や病や死から逃れるため、幸福に生涯をまっとうするにはどうすべきか…。
というものでしたが、悟りを開いた時には様々な不幸から逃れる術は無く、しかしそういった不幸を受け入れながらもどう生きていくかを説いたというものでした。
そういった考え方を土台とするなら、常楽我浄という言葉にある…得てして常に楽をして我を通しがちな人生をいかに教訓を学びながら成長させるか…という人生にさせたいものです。
世の中は常に変わって行き、因果も自分のしたことが自分に返るものとして。

先日、親戚の法要でお会いした禅宗の住職様のお話にもありましたが、
「仏教は他の宗教からみたらとても冷たい宗教で、家族が逝去しても49日後には笑顔に戻りなさい、という教えです。何故なら逝去した本人は何時までも家族が悲しい顔をしているのを喜ばないからです。」
ご先祖も然りでしょう。

どんなに難しいお経の話よりも、基本的な理の意は変わらないのではないでしょうか?
自分自身を磨くも汚すも自分自身でしょう。
幸せも自分で感じるもので、人に決めてもらうものでもありません。他人が干渉するのは余計なお世話というものでしょうね。
私よりも頭の良い方々がこんな単純なことも分からないとはつくづく盲信とは怖いものですね。
[793]白うさぎ 06/01/15 15:28 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
一般人さま
過去スレに一般人さまを、「元信徒」だったと書いてしまいましたが、籍があるなら、立派な「現役信徒」さまですね。失礼しました。

ぜひ、メールで質問の時に、「どういう方法によれば、因縁が切れているのが確認できるのか?」と聞いていただきたいです。
「因縁が切れるから幸せになれる教え」なら、因縁がどのくらい減ったとか、徳がどれだけ積まれているのか、どうやって確かめるのか知りたいです。
「見えないことだから、信じなさい」という回答が来るのでしょうか?
徳と因縁のポイントの出る「信徒カード」でも作ってもらいたいものです。苑に行くたびに、リーダー通すと一目瞭然にわかるものが欲しいわ!でも、苑的解釈だと、人は生きている限り業を犯すから、因縁が無くなる日など、決して来ないはずなのですが・・・。

内部資料の件ですが、ご存知の様に苑では、コピーは長い間禁止でした。ああいう資料を苑が、配ることはまずないと思います。
あれは、私の最初の経親や、今の経親から、もらいました。
それも、奉仕にいったご褒美に。MC強化資料として。
たぶん、あのお話を聞いた人が必死で書きとめて、それを誰かが清書してそれをコピーしたものを、経親が手に入れ、私の元に届いたのだろうと思います。
超MC教徒だった私の経親は、法要中、手を休めることなく、法要の時のプルーフ、法幢、親教など、全部書き留めていました。めちゃめちゃ、手が速く動いてました。すごーーーーーいと半分尊敬、半分引いてました。
なので、どっぷりさんなら、あれを書き取るくらいは朝飯前かもしれません。
[794]白うさぎ 06/01/15 15:48 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
和音さま
苑の内情を知れば知るほど、ムカつくでしょ?
盲信しなかったら、理解不可能な教義ですね。
でも、それをうまくMCされて信じておりました私は。
うまく、仏教でつる密教。最初からどんな内容なのか教えてくれませんしね。まず、行え!と言われます。
理論・理屈では説明できない。
そりゃ矛盾が多すぎて説明したら、やばいですもの。

よく登場する「心を浄める」の意味は、世間法の理解とは全く違って、如来カルト法における意味は、【苑の教義を疑う心を浄める】のです。つまり、選択肢を一つにするためのMC用語ですね。

そこの違いがわからないと、「心の洗濯・心のお掃除・心の浄化」と言われると、何か本当に心が清らかになったと勘違いし、苑に行くとすがすがしく感じてしまうのです。

言葉の使い方・受け取り方が世間法とは、全く違います。
世のため・人のための前に【伊藤の】が省かれているのと同じです。

「祈る」という言葉も、わかりやすく言うと、伊藤家の皆さんの顔をしっかり心に焼き付けなさい。心の中に伊藤一家の居場所を作りなさい。教主と心の中で会話しなさい、という意味だと思いますよ。
[795] 06/01/15 18:04 *JnAN3qW8E1s*XOkEmP0zaJ
白うさぎさま

いろいろと教えていただきありがとうございます。
入信していたときよりも、今のほうがずっと、苑のことがわかります。最初からこのようなことを
知っていたら、導き親からどんなにプレッシャーをかけられても入信書に署名することはなかったと
思います。私は苑で言う「祈る」「浄める」という言葉の意味が最初よくわかなかったのですが、
それが、「伊藤家の人々に祈り、伊藤家の人々で心を一杯にする」ということだと分ってきた辺りから、
とても気持ちが悪くなり、しばらく苑から離れていました。でも、きちんとけじめをつけたほうが
いいと思い、退会届を出しました。今になって、こうしていろいろと苑のことを知って「もうすこしで変な
世界にどっぷり嵌ってしまうところだった。すんなりやめられて本当によかった」と思っています。
[796]白うさぎ 06/01/15 18:28 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
真如苑の食事(じきじ)観念

朝と昼の食事前
@み仏の恵み思わば日に三度(みた)び 合掌してぞ食(じき)に謝(しゃ)すべし
A食物はこれ真如の教法(おしえ)を身に行(ぎょう)ぜんが為のもといなり
一粒の米にこもる万人(ばんにん)の力を思うて箸をとらん
一滴の水にこもる天地(あめつち)の恵みを謝してこの食を受く
いただきます。
夜の食事前
@箸とらば身のすこやかを先(ま)ず謝さん 法(のり)をば保つ器(うつわ)なりせば
A 朝・昼と同じ

食事の後
今、美(うるわ)しき食(じき)を終え心ゆたかにこの身を保護することを得たり
常に感謝を積みて有無二相(うむにそう)の接心を聖業(みわざ)に生かし
誓って仏祖(ぶっそ)に報い奉らん
ごちそうさま

「朝夕のおつとめ」に載ってます。これも、身近なMC効果ですね。
 仏教?じゃないようなのに、仏祖が出てきますし、有無二相の接心なんて言葉はMCの
 効果大。毎日唱えると、自然にMCが進みます。
[797] 06/01/15 23:52 suC3l19odm
白すさぎさん、みぐるし〜。

[798]よもぎ 06/01/16 00:40 *jk9EeGcXxrY*CO7K8x9Gv3
カウンセラー(精神科医)と相談者の対話を何篇かまとめた本を読みました。
その一節を引用します。ちょっと長くてすみません。

----
「どうですか?カウンセリングを再開してからもう4ヶ月たちますが、自分のなかでもなにか変化がありましたか?」
(中略)
 そうすること(尋ねること)で、カウンセリングルームを初めて訪れたときから今までを振り返り、より自分を客観的に見ることができるようになるからです。
 またこの質問には、相談者がカウンセラーに過剰に依存的になるのを防ぐ”効果”もあります。ワラにもすがる思いでやってきた相談者からは、カウンセラーは神様や天使、最高の親友に見えることもあります。最初はそれでも良いのですが、そういう状態がずっと続くと、相談者はなかなか自分の日常生活に戻っていくことができず、「いつまでもカウンセリングに通い続けたい」となってしまいます。そこで、「これは友達関係でも、永遠の宗教でもなく、”ただのカウンセリング”なんだよ」という現実を、相談者に時々知ってもらう必要があるのです。
(中略)
「私はお仕事であなたのカウンセリングをやっているのですよ」という現実を相談者に時々確認してもらうことで、依存状態になることを防いでいるというわけです。
----
----
(後日すっかり立ち直ったかつての相談者に偶然出くわしたとき・・・)
「先生があの時私に○○と言って下さったのを覚えてますか?」
「なんとなく覚えているような、覚えていないような」
もちろん、私はよく覚えていたのですが、相談者の悩み事が解決したら、カウンセラーはその人の人生の舞台から静かに立ち去るべきです。
(中略)
だから、彼女の問いかけにもあいまいな答えをしたのです。
----

私はこのカウンセラーの態度を好ましいものだと思います。相談者は悩み、苦しみを抱えているが、それを解決するきっかけを得たら、出来るだけ本人の力で局面を打開し、解決する方向に導きべきです。そうすることで自信を取り戻すこともできますし、新たな自分に気づくこともできるでしょう。
大事な経験、あとから振り返れば必要だったな、と思える貴重な経験になるでしょう。

一方、真如苑はどうでしょうか。
新たな入信者の悩み、苦しみは解決するかも知れませんが、その後には教団への貢献が否応なしに待っています。苑への依存をますます強める方向に導きことは明らかです。MCを深めていきます。っ信者を解放しません。脱退しないような脅しを随所にかけておくことにも、苑は巧妙です。
そして抜けた信者がいれば「堕ちた」とおとしめ、その導き親には接心などの一層の苑的な精進が求められます。
信者が教義に疑念をもつことは否定されます。
生活のあらゆる局面で伊藤家への盲信を企図されます。

骨折した人に、一生松葉杖なしでは生きられないようにし、その人にも骨折している人を見たらすぐに連れて来させようとしているようにしか思えません。
信者の善意をそのような形で、苑に縛りつけている。

白うさぎさんの書き込み(内部資料)
>>779-781を見て、ムナクソ悪っと思いつつ、こんなことを考えてしまいました。
[799]事情通 06/01/16 06:47 iOAFKtFHcr
>>798
よもぎさん、まったく同感。以前にも引用しましたが、以下、『水ぶくれ真如苑』と同じ著者が書いた『よみがえれ!仏教』の175〜177ページより。

 「わが教団を訪れてくる人は最初はみんな患者だが、やがて信者となり、さらに行者となって救われてゆく」と誇らかに言っていた教団がある。「従来の日本仏教は拝んで救われる甘口の仏教だったが、わが教団はあくまで修行で救われる辛口の仏教だ」とも言っていた。この誇り高き教団が、内紛にともなう殺人事件まで起こしたのは皮肉なことだった。
 実のところ、この種の「辛口」は日本の宗教界ではさほど珍しくない。最初は病気治しの宣伝で人を引き寄せ、教団内に取り込んでから「そんな甘えた根性ではダメだ」と意識変革を迫るという二段構えの教えで信者を育てている教団は、けっこう多い。
 例えば、ある教団の教祖さんは、もともと占いや祈祷を事として、「よく効く」という評判のある「拝み屋」だったが、顧客を信者として組織し、今日の大をなした。
 彼がまだ「拝み屋」だった当時は、相談ごとを持ち込む人に、一回ごとにズバリと的確な対処法を教え、絶大な信頼を得ていたらしい。しかし、そのうちに、彼の評判を耳にした近所の人々が、それぞれの身勝手な願い事を持ち寄って、混雑を起こし始めた。
 そこで彼は方針を変え、一回きり訪ねてくるような客には応対せず、きちんと「入信」して末永く彼の指導に従うと誓った者にだけ、占いや祈祷の便宜を与えることにした。そして、いったん入信した者には「修行」として未信者を勧誘する義務を負わせ、勧誘に乗って入信した後輩を指導する責任を負わせた。
 こうして教団が形成されると、この教祖さんの霊感的指導の内容も、拝み屋時代とはひと味違うものになってきた。簡単に言うと、以前より「歯切れが悪く」なったのだ。信者のかかえている問題の何分の一かは解決されるが、あとの部分は回答が先送りされ、同時に、信者に対して宿題も課されるというような、妙にまどろっこしい、じれったい回答になってきたのだ。
 信者たちは、多少のご利益を頂くと同時に、そのつど本格的なご利益は先送りにされ、ハナヅラにニンジンをぶら下げられて走る馬のように、せっせと「修行」に励まないわけにはいかなくなった。
 やがて、苦労して「修行」した弟子の中から、教祖に準ずる霊感能力を授かる者も出て来て、彼らが霊感的指導を担当するようになり、教祖が直々にお出ましにならなくてもよい体制が出来上がった。
 こうしてこの教団は今や日本でも有数の教団へと成長したが、大きな弱点は、「他人をこの教団に誘い込みなさい」ということ以外に、教えらしいものがほとんどない、ということである。
 「拝めば救われる」とする甘え信仰が、仏教の本旨にもとることは本当だし、徳も積んでいない人間が奇跡的な救いを頂いた場合には、後々よく徳を積むように心がけなければならない、というのもわかる。しかし、「後々よく徳を積む」ことの内容が、なぜ、その教団自体を無限に世の中に広めることでなければならないのか? なぜ、職場や家庭で己の本分を尽くすことではいけないのか?―こうした疑問へのまともな答は、この種の教団では得られない。
 宗教家が「病気治し」などの現世的な救済力をも身につけて活躍しようとすること自体は悪いことではない。古来、医者兼宗教家の例は多い。拝み屋というのも、要するに一種の医者である。宗教家が拝み屋をやるのは、いわば「拝み屋」という名の医者を兼業しているのだ。医者としての活動分野においては、患者は患者として遇するべきだろう。
 このけじめを忘れ、「患者」として訪れてくる人の期待をはぐらかして、みな「信者」にしてしまい、教団の活動に無限に深入りしないかぎり救いは与えないという方針で臨むのは、どだいおかしい。これでは、人助けの初心を、みずから裏切ることになってしまうではないか。
[800]白うさぎ 06/01/16 11:05 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
事情通さま
[799]の
>この誇り高き教団が、内紛にともなう殺人事件まで起こしたのは皮肉なことだった。

の「殺人事件」とは継主の自殺未遂事件のことでしょうか?
あるいは、他にもまだ何かあったのでしょうか?
[801] 06/01/16 11:17 *JnAN3qW8E1s*DdCzzNHxMy
よもぎさまの書き込みと、事情通さまのが引用してくださった『よみがえれ!仏教』に同感します。

>骨折した人に、一生松葉杖なしでは生きられないようにし、その人にも骨折している人を見たらすぐに連れて来させようとしているようにしか思えません。

仰る通りですね。その上、骨折していない人にまで「転ばぬ先の杖を持たないと今に転んで骨折するぞ」
と脅して、一生苑なしでは生きられないように仕向けているように思えます。
[802]事情通 06/01/16 12:40 7o.EqxHnWE
>>800
そこに出ている「誇り高き教団」は、1990年ごろに一時的に栄えて、すぐにぼろを出して滅びた「霊視商法」の「本覚寺・明覚寺」グループのことだそうです。そういえばあのグループは、内部者による殺人事件を起こしてしまったのが命とりになりました。「本覚寺・明覚寺」グループも、足裏診断の「法の華三宝行」も、ぼろを出して宗教法人解散に追い込まれたのに、それより古い老舗の真如苑は、実質的にはほとんど同じことをやっていながら、しっぽをつかまれずに生き延びているというのは、憎たらしいことです。
[803]一般人 06/01/16 15:45 98mnTU1aJf
白うさぎさん ありがとうございます。
苑では 籍があるだけの者は「信者」で 信じて実践されてる方を「教徒」と呼ぶようです。

>内部資料の件ですが、苑では、コピーは長い間禁止でした。
カルトではよくある在り様ですね。 書き写させ、より尊く刷り込み、そして「疲れさせるため」です。
それも洗脳が解ければ、「ただのゴミ」になりますが。

>「どういう方法によれば、因縁が切れているのが確認できるのか?」
MyM親は、
「悪い心癖が取れたから、いろいろ気付いたから、とにかく浄まったから」これからも真如信心を貫くそうです。
田舎さんもおっしゃってましたが 「善くなった」と言うのは信者本人のみ。
本人が「因縁切れた」と言うなら 切れたんじゃないですか? オウムでも切れるようですが。
伊藤一家は「家族和合」出来ていないので、彼らのそんな因縁、はやく切れればと、祈っております。


さて
その4>[330-550]「信者」さんの戯言は 
>>612で  >>515「フランナ」さんは >>608-611 あたりで
斬りましたが、
>>779-781 の「霊能者さんのご指導」も 消化しておきましょう。
どうやらその内容は、
「下座・謙譲・崇拝のすすめ」「祈れ」「透視できるから素晴らしい教え」に集約されるようですが
それのどこが仏教なのか よく分かりませんが。

>私なんか導き親が教主さまだよ。祈る事ばかり教えていただいたものなんだ。
はい。「祈る」や「信仰」は仏教の要素ではありません。 「祈り」とは「思考の固定化」でしょう。
アウトローさんもおっしゃっていたように、
仏教とは 思考を固定化するためのものではなく、逆に解き放つためのものですから。
真如苑では「仏教」を教えず、ただ闇雲に 伊藤家に思考を固定させようとするわけですね。

「うまく勧誘できない場合はその人を祈れ。そうするとその下人は不幸に見舞われこちらを頼ってくるから 勧誘できるよ」
というのも 凄いですね。

>ってまた向上相談接心をいただかなきゃならなくなる。申し訳ないだろう?
さらに儲かる仕組みですか。
申し訳ないのは伊藤家。 MCしてごめんなさい、と彼らが懺悔するのはいつになるのでしょうか。

[804]一般人 06/01/16 15:45 98mnTU1aJf
>祈る事ばかり教えていただいたものなんだ。
ああ、だからお話の内容が「空洞」なのですね。w

[805]よもぎ 06/01/16 20:15 *jk9EeGcXxrY*V-oyb.K
スジ組織など持つから、トップから裾野に広がるにつれて伝言ゲームがめちゃくちゃになってしまうのになぁ、と思っていたのですが、
独白スレ
>>841で和音さまも指摘されているように、なんのことはない、教主から直接導きかれた人でさえ、めちゃくちゃなことを言ってる。最初から、組織のトップからそもそもめちゃくちゃなんだ、ということですね。

>>799
事情通さま
引用ありがとうございます。元は易占や祈?の拝み屋だったのが、教団を形成し、後付けで構成員を増やすために利用できる箇所を仏教からかき集めてきたのが、現在の真如苑ということですね。確かに、教祖の人助けの初心は自ら崩れさり、現在の信者の善意も食い物にされていますね。
[806]よもぎ 06/01/16 20:17 *jk9EeGcXxrY*V-oyb.K
>>801
茜さま
以前に、苑にはまりこんでいる身内と話しをしたことがあります。
身内:「私は救われたのだから、真如苑の教えは良い教えだ。困っている人がいたら、真如苑を勧めて
あげたいのだ。」
私:「病気を患って医者にかかって入院して治癒したら、退院するでしょ?いつまでも病院に居続けて
ないで、出ておいでよ。自分が退院出来ないのに、他人を連れ込むのはやめようよ。」

そのときは、どうして直っているのに出てこないんだろう、そこまで拘って、依存していたら、また辛いことが起きたときに泣きつくだけになってしまう。少しも自分の身にならない。少し居心地の良い(と錯覚を与えられる)所だからって、一生入院生活でいいのか?と身内を非難するようなこともいいました。

ですが、こうして見ると、教団が信者に拘りを植え付けているのだな、ということがはっきり分かりました。依存するように、新たな信者を連れてくるように、苑無しでは生きられないように仕向けている
。信者自身はその自覚も出来ず、教団に利用されているに過ぎない。MCのために、建前としての仏教という皮をかぶり、利用しているだけですね。悲しいことです。
[807]よもぎ 06/01/16 20:18 *jk9EeGcXxrY*V-oyb.K
>>794
白うさぎさま
恐いです。全く苑のことを知らない人が聞いても聞き流してしまう言葉でも、苑の教えに触れている人は別の解釈をして、人知れずMCを自ら深めているのですね。
「心を浄める」=苑の教義を疑う心を浄める
「祈る」=伊藤家の皆さんの顔をしっかり心に焼き付けなさい。心の中に伊藤一家の居場所を作りなさい。教主と心の中で会話しなさい、

「事象をいただく」という言葉も恐いです。

明らかに世間的な使用方法とは異なりますね。
[808]jj 06/01/16 22:58 Qggmm9H6Ln
栃木見宇都宮市の「中学教師(苑信徒)」のと結婚後義理の父(未信徒)が5年で病死しその7年後夫(未信徒)が鬱病で服毒自殺し、
その10年後、今月初旬に、姑義理の母(未信徒)は、不可解な死を(家族集会で熱中して、姑の急変を見逃した疑惑?)遂げ急に
他界しました。

その葬儀のとき、今までに見た表情とうって変わり、妙に明るくニコニコしていて薄気味悪かったのです。
その女教師は、未信徒から家と財産を一手に握りしめました。

苑に全て取り上げられる危険性がないか、親類として心配と同時に、このような、真如苑信徒をみると
虫唾が走ります。
私の考えは間違っているでしょうか?
[809]偽の気配 06/01/17 09:48 Aq9XsBg0nx
807よもぎさんと同感です。

794の白うさぎさんの指摘、怖いものです。
ただ信じきっているものはまったくそれに疑いを持たないようにされてしまっている点、やっかいです。

なんたら祈願にしても、今年のおたすけ何人、種まき何人と、とにかく目標として掲げるのは信者をふやすこと。教えといっても、その本質は勧誘に始まり勧誘に終わる、どうしてそのねずみ講的なものに気づけないのか、もどかしくなります。

[810]講釈師 06/01/17 14:11 i2vv4ABDkU
今日はマスコミが忙しい日です。
「宮崎勤に最高裁判決」⇒ 死刑判決(若い人は知らないかも)

阪神大震災11周年式典

構造偽造による証人喚問

ホリエモンの「風説の流布」で容疑で家宅捜査

>昭和11年6月9日に教導院が霊界開拓に旅立ってます。

>百ヶ日法要に摂受院に感応した話もしらないのですか?
>それ以降、信者に奇跡が起こり霊言も出るようになったのです

これって「風説の流布」や「偽計」の罪に問われますよ。
ありもしない伝聞、妄想で信者を集める。
(証券取引法でなくて良かったね。)

>苑徒になれば、奇跡的に余命1ヶ月の父親の癌が完治した。
(薬事法、医師法違反)

1月5日にウィキペディアの「参考文献」に『水ぶくれ真如苑』が追記されました。

検索でこちらに飛んでこられる方も居られるでしょう。
事情通様ありがとうございました。
[811]掲示板の住人 06/01/18 02:35 *kf6vjcqEBIA*tiSMf39iiz
お疲れちゃん Oo。(^o^)y-゜゜
[812]事情通 06/01/18 07:11 iOAFKtFHcr
講釈師さまがやり始めておられた『水ぶくれ真如苑』転載のお仕事を、私が横取りしてやってしまったような形になり、恐縮です。ところで、序文だけはまだ転載していなかったので、以下にそれを転載しておきましょう。

はじめに(前半)

 宗教とは何だろうか?
 その定義は、学問的にはいろいろ難しく言うことができるだろうが、私は、要するに「人生の窮極の意味づけを与え、人々の生きる姿勢の根本に影響を及ぼす教え」が宗教だと思う。
 こういう意味では、マルクス主義なども、唯物論哲学に立脚するひとつの宗教と言ってもよいかも知れない。現にマルクス主義は、日本においても小林多喜二をはじめとする多くの殉教者を出している。小林多喜二が拷問に遭〔あ〕っても死ぬまで屈しなかったのは、彼にとってはマルクス主義が人生の窮極の意味を教えてくれるものだったからである。
 この例にも見られるように人がひとつの宗教にかかわるということは、場合によっては、自己の生命までもその宗教のために捧げるという、全人格的なかかわりへと発展する要素を持っている。この点こそが宗教の宗教たるゆえんなのだ。
 人間が自己の人生の「意味」を問い続ける動物であるかぎり、いろいろな形態上の変化はあっても、宗教がこの世からなくなることはないだろう。
 ところで、「人生の窮極の意味」を教え、「全人格的な没入」を要求するという宗教特有の性格は、一歩誤ると、歯止めを失った悪の温床ともなる。なぜなら、野心家が自己の世俗的な目的達成のために人間を組織的に利用しようと志した場合、「全人格的な没入」へとなだれこんでくる大衆の宗教的関心ほど、この目的にとって利用しやすいものはないからである。
 第二次大戦後にわが国で発展した新宗教運動の多くが、良識ある人々の眼にはどうにも胡散〔うさん〕臭いものに見えてならなかったのは、宗教の持つこうした病的側面がしばしば運動の前面に押し出されてきて、誰の目にもはっきりと見えてしまったからである。
 なかには、教祖自身が最初から世俗的事業家としての野心を持って教団を起こしたと見られるケースもある。が、より多いのは、教祖自身はいっぱしの人助けのつもりで始めた事業が、世俗的野心を持った取り巻きによって利用され、教団全体が予期せぬ方向へねじ曲げられていったというケースであろう。さらに、教祖も取り巻きもそれほど意図的に悪いことをする気はなかったのだが、教団がある程度以上の規模に発展して以後、「組織の力学」とでも言うべきものによって意図せざる方向に運動が流されていったというケースも、ないことはないであろう。
 本書で取り上げる新宗教教団「真如苑」は、そうした「胡散臭い」教団の最新例であり、その急成長ぶりによって、最近のわが国の宗教界で、最も注目を集めている教団である。
[813]事情通 06/01/18 07:12 iOAFKtFHcr
はじめに(後半)

 その入信勧誘の手口、金集めの手口などの実態を知ってみると、多少なりとも宗教それ自体を求めている求道的関心の者には、どう見てもたんなる世俗次元の野心的事業としか見えないのだが、これを宗教そのものと思って真剣についてゆく人々の数が現に増加しつつあることには、それなりの理由があるはずである。
 そこで本書では、「なぜいま真如苑が伸びるのか」という問題に焦点を当てながら、この教団の組織の実態に迫り、あわせて急成長したこの教団が目下かかえているさまざまな問題点を指摘することを通じて、今までのような急成長が今後も可能かどうかを読者とともに探ってみたい。
 その上で、この教団の世俗事業的発展は教祖そのものの野心によるものか、取り巻きの中に野心家がいるためか、それともたんなる「組織の力学」によるものか、という点について、読者のみなさんの公正な判断を仰ぎたいと思う。
 なお、著者たる私自身は、昔から仏教の信者であり、組織宗教の病理とは別の次元で、宗教心そのものはやはり人間にとって必要なものだと考える立場である。
 したがって宗教団体を分析するにあたっては、たんなる人間の欲望渦巻く組織として分析するだけではなく、あるべき宗教像を念頭に置きながら、そこからの逸脱の程度を判定するという視点を持ちたいと考えている。現に、本書でも、そのような視点に立った指摘や批評をところどころに挿入したつもりである。
 ただ、本書の性格上、私自身の宗教観をあまりに突っ込んで展開することは避けることにした。私自身の積極的な宗教観を知りたいかたは、私がペンネームで書いた次の二つの宗教小説を参照願えれば幸いである。
 『聖地足摺岬物語』秦野純一著(世界聖典刊行協会、九百五十円)
 『幸せのメッセンジャー』秦野純一著(世界聖典刊行協会、千二百円)
 とりわけ後者は、ネズミ講型教団の病理と対比する形で私自身の宗教観を展開したものなので、本書の姉妹編としてお読みいただければ幸いである。

 本書の企画・出版にあたっては、AA出版の近津義一社長にたいへんお手数をかけた。理論経済学が専攻で、ともすると論文調の肩肘〔かたひじ〕張ったスタイルに流れがちな私の文章が、本書においては多少ともルポルタージュ風の親しみやすい文体に直っているとすれば、それはひとえに近津社長のご尽力のたまものである。謹んで謝意を表したい。
   昭和六十二年十月
                     三 土 修 平

追記
 本文の中で真如苑の信者必携小冊子『一如の道』から多くの引用を行なったが、私の用いた版は、昭和五十九年五月二十日発行の補訂第一版第二刷である。真如苑はしばしば小冊子『一如の道』の改訂(悪く言えば改ザン)をやっているので、後世の人が迷わないように、敢〔あ〕えて明記しておく。
[814]講釈師 06/01/18 12:37 QLYsqA0H/i
  事情通様
私は二次被害を恐れて、あくまでもアングラで行こうとしましたが、
その懸念がなくなりました。

ウィキペディアの「ノート」「履歴」が面白かったので書きます。

8月24日以下が削除された文です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
なお現首座伊藤真總就任時には、真乗の遺志により彼の4女で権大僧正・
[[伊藤真玲]](いとう しんれい)が共同首座として就任していたが、
後日、将来的に2人の首座による組織の二元化等の問題発生を未然防止するため、
位階や資質面等で優先順位の低かった伊藤真玲が辞任し、
代わりに真如苑が母体となって興した、老人福祉を主業務とする‥‥‥に活動を特化した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

2004年8月30日に誰かに削除されていました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[[三土修平]] 『水ぶくれ真如苑―急成長の秘密と欺瞞の構図』 (数少ない批判書) ISBN 4900406260
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

2005年3月21日に大幅に削除されています。

2005年3月22日に復元され23日に削除されています。(攻防がすごい)

3月28日にも攻防があり、たった数行に削除されています。

4月10日にはほとんどなくなり、4月14日に復元されました。

7月4日に、本多順子『真如苑―祈りの世紀へ』(原生林)が追記され、
1月5日に部分追記されています。
[815]偽の気配 06/01/18 13:47 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
苑内のものが、ウィキペディアの書き込みをみて、
都合の悪い部分を必死に削除しているのですね。

東西ドイツの融合、ソ連の崩壊もそうでしたが
情報が公になること、隠してきたことが知れ渡ること
それを苑は恐れているのでしょう。
信者に対しても、
事実を都合のいいような解釈でしか伝えていなかったのですから。

法難、っという言い方あたりはその典型ですよね。
[816]h2o 06/01/19 09:31 WXzabzY8gw
大変遅くなりましたが、いろいろ相談に乗っていただきありがとうございました。
[817]偽の気配 06/01/19 12:36 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
h2Oさん、気長に、あせらずがんばっていきましょう。
また、なにか情報がほしいときには、こちらに書き込まれれば
内部の情報なども含めて出てくると思いますよ。
[818]講釈師 06/01/19 13:49 pmrqH.Y3r.
2005年04月28日の拾い物です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2月15日は釈尊が亡くなられた日(涅槃会)で、真如苑ではこの日に釈尊の
最期を看取った純陀(ジュンダ:釈尊が亡くなる前に、15人の仲間を連れて
釈尊のもとへ駆けつけた青年)に関係の深い純陀品というお経を読むことに
なっています。その数日前に純陀品を読む練習会が開かれ、私も参加したの
ですが、実際に練習したのはほんの数分で、その会合のほとんどの時間が
「私たちも純陀をみならってお救け頑張ろう!」といった内容の話しや、
信者同士のお救けのテクニックの交換に費やされていて、純粋にお経の
練習にいった私は不快な思いをしました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

境内掃除をすれば徳が上がると言う仏教があれば、教えて下さい。
            ↓
「大般涅槃経高貴徳王菩薩品第二十二を熟読なさい。」

かの御仁はこのような「お勉強会」で動機付けの経典の中の一部分だけを
知っているだけです。
苑にとって都合の良い部分だけの「お勉強会」頑張って下さい。
[819]噂好き★ 06/01/19 13:51 fzU8CxoQnm
たっ大変や!噂のサークルが
この掲示板にきたみたいやでぇ

tp://woman-l.cx/
 ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヾ(`ε´)ノ
[820]偽の気配 06/01/19 17:03 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
空海を祖とする日本の真言密教には
現在ではたくさんの宗派があります。

<古義真言宗>
高野山真言宗 開山816年、東寺真言宗 開山796年、真言宗善通寺派 開山807年
真言宗醍醐派 開山876年、真言宗御室派 開山888年、真言宗山階派 開山900年
真言宗泉涌寺派 開山1218年、真言宗大覚寺派 開山876年、そのほか

<新義真言宗>
真言宗智山派 開山1600年、真言宗豊山派 開山733年、新義真言宗 開山1126年
そのほか

そのほかには、以下などがはいる
真言宗東寺派、真言宗霊雲寺派、真言宗須磨寺派、真言宗犬鳴派、真言宗国分寺派
真言宗鳳閣寺派、真言宗金剛院派、真言宗大日派、真言宗石鉄派、真言宗花山院派
真言宗五智教団、真言宗九州教団、信貴山真言宗、霊山寺真言宗、新真言宗
光明真言宗、明算真言宗、石鎚山真言宗、真言密宗、真言聖天宗、真言三宝宗
真言毘廬舎那宗、天宗、一切宗、観音宗、求世観音宗、中山身語正宗、光明念仏身語聖宗
不動教、八宗兼学真修教、解脱会、真如苑、真言宗神道派、真言宗金毘羅尊流

真如苑も、(一応は)その一つであるにすぎません。
しかし、ご存知のように、真如苑では、
開祖伊藤真乗が「聖宝理源大師開山の真言宗醍醐派総本山醍醐寺(京都)において出家得度し、
昭和16年までに恵印灌頂、金胎両部伝法灌頂と、真言伝統の法流を嫡承し大阿闍梨位に就いたこと」をもって、
自らが正当な継承者であるという権威付けを行っています。

それは、本当に権威付けの意味あいが深いものなのでしょうか。
[821]偽の気配 06/01/19 17:03 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
仏教では仏・法・僧の三つを、三つの宝 「三宝」 といって大切にする。仏は悟りを開いたお釈迦様、法はお釈迦様の教え、僧はお釈迦様

の教えに従って悟りを目ざして修行する人をいう。この三宝のうち法を伝えることを伝法という。

伝法で伝えられる内容は、一般的な教えではなく、奥義にあたる口伝や秘伝の部分である。伝法を受けるには、それ相応の器量と能力が要

求される。宗派により基準が異なるが、おおむね加行(けぎょう)を終えていることが最低条件となる。

そして、誰からどう伝わったか、そのルートも重視される。
これを、血統のように受け継いできたものを伝える、という意味で「血脈(けちみゃく)」と呼ぶ。また、受け継いだ弟子がいずれは師とな

り次の弟子へ伝えることから、相互に継承する意味で「相承(そうじょう)」あるいは「師子相承」という。
これによって、どの教えも大元は仏につながる、ということになる。
ちなみに、師のことをインドでは「グル」あるいは「アーチャーリヤ」という。「アーチャーリヤ」は日本でいう「阿闍梨」に相当する。

原点から一連の流れを記したものを、「伝法血脈譜(でんぼうけちみゃくふ)」または略して「血脈譜」という。密教系の宗派では伝法は特

に重視される。また伝授した仏様のご真言や印を書いた印信(いんじん)も授けられる。

血脈のスタートポイントは、いくつかの考え方がある。
●法はお釈迦様の教えなのでお釈迦様とする。
●論理的原点に当たる廬遮那仏あるいは大日如来とする。
●宗祖を原点にする。
などがある。

[822]偽の気配 06/01/19 17:04 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
真言密教の法流・血脈では、空海にいたる8人が挙げられる。

     大日如来
      |
     金剛薩捶(こんごうさった)
      |
     竜猛  (りゅうみょう)
      |
     竜智
      |
     金剛智
      |
     不空
      |
     恵果  〜 金剛界・胎蔵界曼荼羅を修めた
      |
     空海  〜 真言密教の開祖 遍照金剛


この血脈は空海以降は出ていない。。
真言密教は、当初二つの流派:金剛界の密教と言われる宇宙の根源として大日如来の智慧を主とした教え、と
胎蔵界の密教といわれる大日如来の働きを主とした教えに別れていた。
この二つを初めてあわせ学び伝授したのが恵果で、
その後空海がその二つをまとめて一つにしたのが真言宗である。
従って、空海以後に開祖がでないのは当然であり、
それ以後は完成した教理を実践することに重点がおかれた。

ただし、真言密教の各宗派において、それぞれ空海以後自らにつながることを示した血脈はしめされている。

→真如苑が強調する血脈とは、所詮その一つに過ぎず、自らがのたまうほどの大袈裟なものではないことは明らか。
[823]偽の気配 06/01/19 17:04 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
参考資料

高野山大学助教授による2000年度宗教研究所ゼミナール「真言密教を学ぶ」第一講演より
出典『出会い キリスト教と諸宗教』51号 2001年4月 pp. 3-19

<密教とは何か インド密教の思想と実践>

インド仏教史における密教

 簡単に言ってしまえば、密教とは仏教のひとつ。インド仏教史の中で一番最後の時期にあたるインド仏教のことを指す。
 昔の解説書などでは、密教とは、仏教がヒンドゥー教の影響を受け変質してしまったもの、あるいは堕落してしまったもの、という評価

が与えられていた。しかし現在では、インド密教は特殊なものではあっても仏教であり、大乗仏教とほとんど変わらないものだったと考え

られている。インド密教を信奉していた当時の人々は、自分たちを「密教徒」だとは思っておらず「大乗仏教徒」と思っていただろう。
 インドで仏教が起こったのは紀元前5、6世紀頃だが、13世紀初頭にはイスラム勢力の侵入により仏教は消えてしまった(宗教戦争)。

そのため、インドで仏教が勢力を有していたのは1700〜1800年間に限られる。仏教初期には、釈迦の時代とそれに続く初期仏教とか原始仏

教といわれる時代があった。その後、いろいろな部派が分かれ、部派仏教の時代を迎えた。やがて部派仏教の中から大乗仏教が生まれ、イ

ンド仏教の中心になる。その一方、部派仏教の中の伝統的あるいは保守的な部派は上座部仏教と呼ばれ、やがてスリランカから東南アジア

へと伝わる南伝仏教となっていった。インド国内では、伝統的な集団(上座部仏教)は存続したが、大乗仏教徒から蔑称で「小乗仏教」と

よばれた。大乗仏教全盛の頃、6〜7世紀にかけて、現在でいう「密教」が生じ、その後600〜700年間は密教的要素が強まっていった。ただ

し、インド仏教が滅んだ後には、日本も含めたその周辺国で密教は受け継がれてきた。
[824]偽の気配 06/01/19 17:06 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
タントリズム

 密教のことを「タントリズム」と呼ぶが、タントラとはお経(スートラ)の綴じ糸のことのことを指す。
 ヒンドゥー教やジャイナ教でもタントリズムがあるといわれることから、タントリズムは、必ずしも「密教」と同義ではなく、宗教的側面よりも実践形態をさした言葉といえる。。
 密教の経典を「〜タントラ」と呼ぶが、「〜」の部分は固有名詞で文献の名前を示し、「〜経」と同義である。

 現在のインドでは、タントリズムというのは非常にいかがわしい宗教、卑俗な宗教というイメージがあるらしい。

 仏教を含むタントリズムがもつ要素として、「現世拒否的態度の緩和」「儀礼中心主義の復活」「シンボルの重視」「導師の絶対化」の4つが共通して見られる。

1)現世拒否的態度の緩和

 基本的に、仏教は悟りを究極を目標とするため、たとえば業・煩悩などの悟りの妨げになるようなものを止滅させようとする。これは釈迦以来、仏教の大前提である。しかし、密教ではそれが比較的緩やかになったり、逆に否定されるべきものを悟りのための必要悪とみる。

たとえば、性的なエネルギーさえも悟りのために用いられる。

2)儀礼中心主義の復活

 かつて、インドでは仏教が現れる前に「バラモン中心主義の時代」があり、そこでは祭式宗教(儀式を中心として宗教が構成される)の形態をとっていた。儀式の代表的なものは火を用いたもので「ホーマ」と呼ばれ、密教で行われる「護摩」に相当する。日本の密教寺院でもさかんに行う護摩は、古代インドのホーマを受け継いだヒンドゥー教から儀礼を借用したものと考えられる。
 一方、インドで新興宗教として現れた仏教は、基本的に儀礼を重視しなかった。仏教においても、戒律を受けるための受戒の儀式などは存在していたが、内容が重要なのであって、行為や形式に特別な意味があるとは考えられていなかった。密教は、仏教とちがい、かつての祭式宗教的な性質を強く持つものである。儀礼を重視したのが仏教のタントリズムであると説明することもできる。

3)シンボルの重視

「シンボルの重視」として「マンダラ」「マントラ」「ムドラー」いう三つの言葉があげられる。

「マンダラ」とは仏を中心とした世界の見取り図。

「マントラ」は「真言」と訳され、主要な仏ごとに定められた祈願文、あるいは儀礼である行為を行う時に唱えられる神秘的な言葉のこと。一種の呪文である。これによって、神々や仏などの聖なる存在に直接働きかけることができると考えられた。

「ムドラー」は両手を用いて作り出される特定の形で、「印」「印契」と訳される。密教の僧侶は、儀式の中でさまざまな印を結び、仏に対して働きかけを行う。 これらのようなシンボルを用い、特定の仏に接触したり、仏に対して働きかけたりする。


4)導師の絶対化

 密教では指導者をきわめて重視する。
 密教ではその師・先生である「阿闍梨」が非常に重視される。
 自分が直接教えを受けた師は、さらにその師から教えを受けており、それをたどっていくとどの教えも仏に元があることになる。この流れのことを血脈(けちみゃく)という。血脈をいうことで、仏から自分に繋がっているということを非常に重視する。「相承」あるいは「師子相承」というようなことばを使うこともある。

 日本の真言宗のお寺では、真言八祖の画像が置かれている。弘法大師にいたる八人の先生のことをいう。これはチベットでも同様だが、八人ではなくて何十人という血脈を持っている。その絵を前にして、自分がその一番最後に連なっていることを、行法の中で確認することも行われる。
[825]偽の気配 06/01/19 17:06 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
灌頂とは、密教の僧侶としての資格を得るための儀式。したがって、特定の修行を終えると高野山でも灌頂を受ける。
灌頂は真言宗だけではなく、密教の要素を持つ他の宗派でも行われる。
しかし、資格を受けるための儀式であっても、資格検査や試験のようなものではない。
人間が仏になることを約束するための儀式であり、阿闍梨によって弟子に与えられるものであり、それによって弟子がたしかに仏に成るこ

とが約束されるという儀式である。
灌頂(儀式)は、マンダラを前にして行われる。様々な所作があるが、重要なのは阿闍梨が弟子に智慧を与えること。
智慧は水によって象徴される。灌頂とは、すなわち「水をそそぐ」という意味。
そのために、灌頂用の水瓶:灌頂瓶を用いて、阿闍梨が弟子に水を注ぎ、それによって弟子に仏の智慧が与えられる。
水が注がれた後、阿闍梨は弟子の瞼に、細長い金属製の棒「金箆」(「コンピ」「コンペイ」)で触れる。
もともとは医療器具であり、目医者さんがこれに薬を付けて目にこすりつけると目が良くなるというもので
それまで智慧がなく目が見えない状態だった者が、仏の智慧を授けられたことによって開眼することを象徴する。
その後、阿闍梨は弟子に鏡を示し、智慧の目が開かれたことを弟子自身が自覚する。
灌頂の儀式の最後の部分では、阿闍梨が弟子に法輪と法螺貝を与える。
この二つはいずれも教えを説くことと関係がある。
昔から仏教では教えを説くことを「法輪を回す」とか「法螺貝を吹く」と例える。
このような一連の所作を通じて、仏の智慧を与えられた弟子が、そのことを自覚した上で、仏として法を説く資格が与えられるということ

が儀式の中で行われます。

ここまでは仏教的だが、密教ではさらにシャーマニズム的な要素が事前に加わる。
弟子を仏にするために、阿闍梨が独特の行法によって仏そのものを弟子の中に降ろす。
弟子は目隠しをして灌頂の儀式に望むが、
阿闍梨は、仏の世界から仏を呼び自分の中に仏を一回通過させてから弟子の中に入れるが、
その後で弟子の目隠しを取る。すると、弟子の目の前にマンダラがあり、弟子に入れた仏はマンダラの中心の仏であることを弟子にいう。
こういう図式で、灌頂儀礼は行われる。その後、阿闍梨が弟子に水を注いだりして、仏の智慧を与える。


[826]偽の気配 06/01/19 17:06 *2cbZid.BLx3*Aq9XsBg0nx
少し読みにくくなった部分がありました・・すみません。
[827]3年に1回帰苑 06/01/19 21:54 d3vQcqC26j
はじめまして、突然失礼いたします。
接心を受けた率直な感想をどなたかお聞かせ願えますでしょうか。
最近筋親が激しくすすめてきまして・・・。
昔、何回か受けたことはあるのですが、いまいちもやもやした感じがしてしまうのです。
[828]よもぎ 06/01/20 00:20 *jk9EeGcXxrY*V-oyb.K
3年に1回帰苑さん、はじめまして

接心を勧めるのは導き親でなく経親ですか?
激しくなる理由は何ですか?

もやもやした感じとは具体的にどんな霊言が示され、どう解釈されたんですか?

質問ばかりですみません。
[829]草汰 06/01/20 13:33 BzGcvSTS8J
参考になる人がいれば幸いです。

真如苑では今日から寒修行だ。
剣道でも、大寒のころに寒稽古というものをやった。立正佼成会でも名前が違うが寒修行があるそうだ。一番寒いときとか、一番暑いときに修行をするのは精神力を鍛えるのにはいいのだろう。
真如苑でも、寒修行に対していろいろ理屈を並べ立てるが、そもそも、仏教とは言い難く神道色が強いのだから、教義などなく、「かたち」や「しぐさ」そのものが教義であって屁理屈などどうでもいい。
現在の妻が、20年近く真如苑の信者だったから、私も中に飛び込んでみて寒修行とやらを3年ほど経験させてもらった。2週間、朝早く起きて信仰生活を定着させる効用があるのだろう。その他「結願」とかいって願いが実を結ぶようなことが言われるが、どこの新興宗教でもご利益新興は同じだから別に中身は語らない。語る価値もない。語る時間が惜しい。

夕べ、「明日、寒修行に行くの?」と妻が投げやりな言い方で聞いてきたので、私は、笑いながらさりげなく「よそうか」と答えると、「そうだと思った」と小声で妻は言って横を向いた。その後すぐに思い出したかのように、「○○さんから、連絡があった?」と聞かれたから「なかった」と答えると、妻は安心したような顔をしていた。
しかし、実は、○○さんという地域責任者から「寒修行のご奉仕ができるかどうか」と電話があったのを、私が「仕事が忙しいから」と断っておいたのだ。妻もその電話の応対を聞いていたはずで、心の片隅では納得しているのだ。それなのに私に聞いてきて、私に判断を求める。それは、真如苑に対してまだ罪悪感があるのだろうし、潜在意識の深くにすり込まれた信仰心はなかなか拭い切れるものではないだろう。静かにそっと傷が開かないようにして真如苑から離れて行くしかないようだ。とにかく、妻が寒修行に行かないのに納得したのは進化だ。もう大丈夫ではなかろうか。
[830]講釈師 06/01/20 18:12 wwvcx.i5eR
ウッソー

やったー!!!

何がって、「ロト6」で3等が初めて当たりました。

でも433,000円です。
6コのうち5コも当たってるのに‥‥‥。

でも、競馬もやり(毎週)、totoもやり、ジャンボ宝くじも毎回買っていますが、
10万円超の払い戻しは初めてです。

これは新興宗教たたきの、ご利益でしょうか?。
[831]たぬきのこども 06/01/20 18:15 *sdgyOTMjtLr*Aq9XsBg0nx
すごい!今度かってみよう。
たたきまくっているから、ご利益あるかもしれませんね。
年末ジャンボは撃沈しました・・・(^^;
[832]たぬきの兄弟 06/01/20 21:10 *QNVI.jZAgtr*BzGcvSTS8J
ワオー!!
新興宗教を叩くとご利益があるぞォ!!フォー!!
真如苑よりご利益があるぞォ。
宝くじも当たるぞォ。
「新興宗教叩き教」という新興宗教の誕生だァ。フォー!!
さあ、みんなで新興宗教を叩こう。
アレ???(*^_^*)
[833]気配 06/01/21 09:44 eZn4bkYjmS
真言宗醍醐派のHPがありますね。
そこに醍醐派の寺院の紹介があります
http://nun.nu/www.daigo.ne.jp/temple/abc.html
さて、醍醐寺でアジャリとなった伊藤が、勝手に開いた真如苑は醍醐派に認められているのか・・
それとも派とは認められていないのか
[834]気配 06/01/21 09:54 eZn4bkYjmS
醍醐寺の略年表がありました
http://nun.nu/www.daigoji.or.jp/history/chro-f.html
苑が主張するように、
一子相伝のごとく、真如苑だけに血脈をひきつがせたとしたらならば
そのように大きな出来事は略年表にも記すだろうと思うんですが。

現信者さんたち、よく考えながらいろいろ自ら調べてみてください。
[835]白うさぎ 06/01/21 11:14 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
真如苑と醍醐寺の関わり(醍醐寺HPに記載のあった年表に関わるもの)

>1939 昭和14年 上醍醐国有林より出火、准胝堂、清瀧宮本殿、客殿、書院類焼す。
>1968 昭和43年 5月 上醍醐准胝堂再建落慶法要厳修す。

この時S41.3月  准胝堂再建のための浄財を苑をあげて勧募、その授与式が芦屋の関西本部で授与式が行われる。
   S43.5.19  准胝観音堂落慶大法要の導師を教主が務める


>1976 昭和51年 5月 醍醐山開創一千百年慶讃大法要厳修す。修証殿落成す。

この時、S51.5.19  醍醐山開創一千百年 怨親平等回向法要の導師を教主が務める

>1984 昭和59年 4月 弘法大師御入定一千五十年御遠忌法要厳修す。念持仏堂、新寺務所、宗務本庁竣工。新庭園「憲深林苑」完成開苑す。

この時、S59.4.24 醍醐寺にて真如法燈継承奉告法要 両法嗣に位階受く
(苑内の資料に記載されているもの)

気配さま
>>822

>この血脈は空海以降は出ていない。
>ただし、真言密教の各宗派において、それぞれ空海以後自らにつながることを示した血脈は
しめされている。
→真如苑が強調する血脈とは、所詮その一つに過ぎず、自らがのたまうほどの大袈裟なものではないことは明らか

空海ー真雅ー聖宝の間には実際の相承はなかったという事でしょうか?
「各宗派が自らにつながることを示した血脈」とは、創作と考えていいのですか?
すいません。勉強不足なもので・・・。
[836]白うさぎ 06/01/21 13:57 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
再び、霊能者さんのお話を聞いてみましょう。

一如の道には、ほとんど書かれていない「信仰障害」
についても触れてあります。
これは、お護摩地獄、お施餓鬼地獄を永遠に継続させる一つの原因です。
中には、脅し文句やS会批判、また、これぞMCテクニックと思われる
部分があります。
読むとムカつく人は、スルーして下さい。

○本○吉霊能のお話
平成八年十月二十七日発行「あんてな」より
(平成八年九月七日広報部全体会合の特別講演)
目次
@正法とは
A神社参拝と信仰障害
B神社参拝による両面性
C神様にご恩返しを
D常に願以此功徳の祈りを
E懺悔してお誓いする
F子どもの時の心のシミ
G読経中に睡魔に襲われ最後まで読経できない理由
H金剛三昧
I空三昧
J無相三昧
K無願三昧
L定―接心の肝要
M三三昧
Nご讃題と摂受院さま
O三礼と三三昧
P大海の教えの大海とは
Q「定記」について

[837]白うさぎ 06/01/21 13:59 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
立教六十年と正法護持

正法とは
「正法護持と定記」という難しいテーマをいただいておりますけれども、正法と言うと、反対は邪法です。邪法は壊法(えほう)とも言います。
「純陀品」のなかには、「壊れるべき法も流転して憂いを生ぜしめ」という一句があります。邪な宗教もこの世に存在することによって流転して、めぐりめぐって人々のいろいろな悩み、苦しみのもととなる。すなわち信仰障害によって、正法に結ばれるべき人もなかなか結ばれにくい逆縁となるのです。
正しい教え、正法は、因縁切りの教え、草取り信仰でなければならないわけです。因縁の雑草を取り除いて、幸せになっていくものです。一切の執着、煩悩、欲望を超越して、涅槃の境地へ至る、そういう涅槃へ導いて頂けるのが、正法です。
邪法は、ご利益信仰、自分がよければいいという、自分の自我を主張してご利益を願っていく信仰、因果の理を否定する宗教のことです。
神社参拝と信仰障害
入信間もない私の所属が、ある向上接心の場で、「あなたはお宮さんに手を合わせたことがありますね。合掌して神社にお祈りしている姿が示されますよ」とご霊言をいただいたと言うのです。それが障害となって、ノイローゼになったり、家庭的に問題があったり、肉体的にもあったわけですけれども、一方、その神さまに手を合わせたことによって、「あなたは命を救われていますね。高い所から落ちたことがあるでしょう」と言われたんです。そのときは思い出せなくて、家に帰って母親に聞いたら、「ああ、おまえは高校三年生の時に自転車で道路わきから溝へ落ちたことがあったでしょう。それが案外深い所で、三メートルもあるような崖だったけれど、ほとんど無傷で助かった。岩だらけで後から見たら、よくこれで無事に助かった、命があるのが不思議だった」と言われ、そういう経験をしていることを思い出した。神様にあの時助けられたとはまったく気がつかなかったわけです。
お宮さんに手を合わせたのが七歳の七五三の時。子ども心に、丈夫で長生きできますようにと、神様にお願いしたんですね。お願いされた神様は、純真な子どもに手を合わせられて頼まれたわけですから、なんとか護ってあげなきゃならない。
ところが、どこの神様も氏子たちにたくさん拝まれて、何百年もの間にそうとうご利益を授けて、へとへとに疲れきっている。だけど神様は、頼まれたことは無理してでも約束を果たそうとしてくださる。それで、自転車で落ちたところを助けてくださったわけです。
いまは結婚して子育てをしているわけですが、それが一つの信仰障害ともなって、いまだに尾を引いて、ときどき精神的に落ち込むことがある。
神社参拝による両面性
だから、プラスの面とマイナスの面と両方受けているわけです。ご利益としていただいた面と、信仰障害としていただいてしまった面とあるわけです。
誰でも、そのように一生の間には、いろいろな神様、仏様に手を合わせて拝んだ経験があるわけです。忘れていても、また自分の代でなくても、たとえばお父さん、お母さんが、自分が生まれるときに氏神さまに手を合わせて「どうか安産で、丈夫で元気な頭の良い子が生まれますように」と、拝んでくださっていたと思うんですよ。また、そのお父さん、お母さんも、生まれるときに、おじいさん、おばあさんからもそのように安産祈願で祈られている。さらには七五三のときにも、丈夫に育ちますようにと。それから、いい学校に進学できますように、卒業するといい就職ができますように、いい人とめぐり会えますように。結婚すると、いい子種に恵まれますようにと、一生の間には何回も何回もお願いしている。それが、三代、四代、五代になってくると、大きな因縁になってその家にのしかかってくるわけです。だから、一生懸命努力をしても、なかなか幸せになれない。商売がうまくいかない。なにかしらいつも病気をしている。家の中がもめるというような、そういう事象に見舞われなければならない状態になってくるんですね。
[838]白うさぎ 06/01/21 14:03 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
神様にご恩返しを
けれども、そうした神様があって、私たちの命がある。命があることによって真如み教えにご縁がつながった。ですから皆さん誰でも、氏神様なり屋敷神様なりのお力によって命があるわけですね。屋敷神様のお稲荷さんとか氏神様、あるいは天照大神とか須佐之男命とか、日本は神の国ですから、生まれた土地の氏神様、子どもの時に手を合わせた所の氏神様、引越しした場所の氏神様、また、結婚をして子育てをしているその土地の氏神様、そういうのが重なってきますから、そうした有縁の天神地祇を摂受させていただいて、お浄めさせていただくことによって、ご恩返しができるのです。
自分だけ真如教主さま、摂受院さまの教えに結ばれて幸せになろうとしても、そうはいかないのです。今までにいろいろお世話になって借りを作ってしまっているそうした神様たちも、共にこのみ教えに摂受させていただいて、お護摩で浄めさせていただいて、自分たちと共に向上して、救われていく。神様のお浄めのお護摩をさせていただくことによって、その神様が弁才天さま、笠法さま、清龍権現さまという真如苑の護法善神さまに霊的につなげていただけるわけです。ご眷属(けんぞく)として、家来として。
そうすると、今まで屋敷だけを護ればよかった、今まで村だけを護っていればよかったという屋敷神様、氏神様が、今度は真如苑の護法善神さまとご縁がつながって、世界、人類、地球、宇宙を救う任務がいただけるわけです。今までの縄張りの狭いところを護っていた氏神様が、今度は護法善神さまとともに世界中を護る、人類全てを護って下さる、そういう働きに出世する、向上するわけです。ですから、神様にとってこれほど大きな出世はない。それもまた、神様たちの喜びであり、神様たちの神格向上であって、私達のお救けが広がっていく背後の力になって下さるわけです。
常に願以此功徳の祈りを
そういう目に見えない自分達の背後のものを浄めていただけるのです。お護摩の申込用紙の、弁才天さま、笠法さま、清龍大権現さまとお浄めに○をつけて、お護摩を申込させていただいて、そこに祈りを込める。「願わくは、このお護摩の功徳を以って普く一切の人たちをお救けできますように」と。お護摩、お施餓鬼の功徳、また、月々の歓喜の功徳、全てさせていただく時には、必ずこの祈り、「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」。それを日本語で、「願わくは、このお功徳を以って普く一切に及ぼし、我等とともに皆さんがお救けできますように」と、そういう祈りを常にさせていただくのです。
早朝奉仕に行った時も、この一掃き、一掃きの早朝奉仕の功徳を以って、願わくは一切の人たちをお救けできますようにと、そういう祈りをこめていくことにより、一日の早朝奉仕が、偉大な功徳力となって社会の浄化につながってゆくのです。
お施餓鬼もお護摩でも同じことです。たとえわずかなお奠供で申し込んだとしても、そのような祈りを込めることによって、その功徳が世界中に広がる。何百倍、何万倍にその功徳が広がっていくのです。ですから、少ないお奠供で多くの功徳をいただくには、そのいう祈りを込めることが一番必要なわけです。それが神様とのお付き合いの仕方です。
正法護持、法を護らせていただく。すなわち、真如教主さま、摂受院さまの拓かれたこの尊いみ教えを護らせていただくということは、「法のために身を滅ぼすとも法は護るべし」という護法の精神を日々実践していくことです。法のために命を投げ出すということです。教えのために死んでいく、そういう祈り。真如教主さま、摂受院さまも、立教当初から、一人一人の信者さんを救うために、その都度我が身ささぐるがゆえに、この人の心と肉体を救わせたまえ、というように祈られて、一生貫かれたのです。
そういう身代わりになるという祈りです。自分はどうなってもいい、自分の寿命を縮めてもこの所属を救っていただきたいという祈り。所属のために水行をとらせていただいて心身を浄め、「密厳院発露懺悔の文」をお唱えてして、「この方の一切の罪、とがを、我に代わって懺悔させていただきます。どうか、私の命に代えてもこの方をお救いください。必ず一如教徒としてご恩報じの道に精進するように育てさせていただきますから」と真如霊界にお約束をしていく。そのまことが通じて奇蹟的なお力が誰方の上にも頂けるのです。
そういう祈りを深めることによって、そして自分を捨てきっていくことによって、自分の寿命をいただくことができるんです。身を滅ぼすということは肉体的な生命だけではなく物質的なものを捨てきって、メンツとか名誉とか地位とか財産とか、あるいは自分の趣味など一切の執着を捨てきって、お救けひとすじに精進させていただくという祈りです。
[839]白うさぎ 06/01/21 14:04 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
懺悔してお誓いする
正法を護るということは、一切の汚れを離れ、知らず知らずに犯した罪、あるいは意識して犯した罪、両方とも懺悔させていただいてお誓いする。人間は、毎日毎日意識的にあるいは無意識的に罪を作っているわけです。それも積もり積もって大きな因縁になっているわけですから、懺悔させていただく。それが正法護持につながるわけです。
ある経の方で、旦那さんが夜中に足が痛くて「あいてて」と言って、足の筋肉がつまって大声をあげて飛び起きる。それが一晩に、一回、二回と毎晩のように続く。奥さんが起きて「南無真如一如大般涅槃経」とお唱えしながらさすってあげるとおさまるんです。どうしてそんなに足が痛くなるのか奥さんが思惟させていただいた時に、「ああ、この亭主は
『一如の道』をふんずけた事があった」と気がついた。奥さんは一生懸命精進しているが、旦那さんが反対している。『一如の道』を、なんだこんなものといって、踏みつけたことがあったんですね。そうしたら、そっちの足だけ痛くなる。順現、順次、順後、順不定と言いますけれど、奥さんが精進している功徳によってそういう結果が現れ、気づかせていただくことができた。旦那さんに言ったら、「そういうものなのかな。それは申し訳なかった」とわかってくれたということです。そのように意識して犯した罪も懺悔によって救われていくのです。また、ある方が向上接心で「あなたは足が痛くありませんか」と示され、
「痛いです」と言ったら、「法具を粗末にした方がいますね。その業によって足が痛いんですよ」って。その奥さんは「私は方具を粗末にした記憶はありません」と言ったら、「あなたではなくて身近な方です」と。そして思い出したのが、母親は熱心に教えを求めていたんですけれども、あるとき父親が酔っぱらって帰ってきて、御尊影を取り出して足で蹴飛ばしたことがあった。一週間くらい経ったら、その父親が高血圧で倒れて、それから寝たきりになってしまったのです。
亡くなる時には胃がんで苦しんで亡くなったわけですが、あまりの苦しみにまわりの人たちが、何とかしてあげたいと言うけれども、手の施しようがない。「殺してくれ。こんなに苦しいんだったら、早く死にたい、死なせてくれ」。だけど霊界では受け入れてくださらない。罪の深い人は、死にたくても死なせてくださらない。霊界からお迎えがきてくれないのです。あまりの苦しみを見かねて母親が、「私に免じてどうか主人のためにご祈念をお願いしていただきたい。私がその分しっかり精進いたしますから」ということで、ご祈念をお願いした。そうしたらすぐ心臓が止まって霊界に行かれた、ということです。
この世で一番苦しいことは、死ぬ苦しみではなくて、死にたいのにお迎えがこない、そういうのが一番苦しいそうです。
子どものときの心のシミ
また、ある方は、家族中歩んでいるけれども、どうしても一人、息子だけが教えを好きになれない。まわりじゅう精進しているけれども、息子だけどういうわけか歩めない。それで接心をいただいたら、幼い日に心が汚されてしまっている、ということでした。
昭和二十五年に教主さまが逮捕されて法難事件が起こりましたが、法難事件のニュース映画を子どもの時に観たんですね。あのころは、テレビがなかったから、映画館で観るか、新聞で見るかなんです。映画はだいたい劇映画で、その間にニュース映画があった。そのニュース映画に、真如教主さまが手錠をかけられて、連行されていくお姿が映り、その時子ども心に、あれは悪いおじちゃんだなって、そう心に焼きついてしまったんです。それから四十五、六年経っているわけですが、いまだに心のシミは取れないんですね。そのために素直に教えが入らない。これも家族の方たちが代わって懺悔文をあげさせていただいたり、お浄めのお護摩をさせていただいて、護法善神さまのお怒りを解いていかないと、教えが魂にしみこまないのです。そのように、何年経っても、何十年経っても、身口意の業は残るんです。
[840]白うさぎ 06/01/21 14:05 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
読経中に睡魔に襲われて、最後まで読経できない理由
また、ある方はすぐ眠くなってしまう。読経が始まると睡魔に襲われて眠くなってしまう。自分で読経していながら、ある一定のところまでくると欠伸が出てしまい、眠ってしまって、最後まで「朝夕のおつとめ」を続けられなくなってしまう。集会していても眠ってしまう。経親さんがその方に駆遣呵責しているときでも眠ってしまう。それで怒られてるんだけれども、大事なときにどうして眠ってしまうのか相談接心をいただいたら、「幼いころ霊的に汚れたところに行ったことがあるでしょう」と示されたんです。それは物心ついた頃、おばあちゃんがS会の信心をやっていて、お父さんとお母さんは大嫌いだったんだけれども、おばあちゃんが熱心だったのです。そのおばあちゃんに手を引かれてS会の会合に行ったらしいんです。かすかに記憶に残っているのが、広々としたところに大勢ガヤガヤと集まってお題目みたいなものを唱えているところなんです。邪宗の会合の場所へ子どもの時に足を踏み込んだだけでも、もう霊的な汚れが魂にしみこんでしまうのですね。
そういうことを観念させていただいて、人間の意識の奥のマナ識に蓄積されている本人も気がつかな心身の汚れを懺悔の祈り、お浄めのお護摩で浄めさせていただくのです。
身・口・意の三業が残っているために、祈りが深まらなかったり、読経しようとすると欠伸が出たり、雑念妄想におそわれて心がとんでもないことを考えてしまったり、祈りを継続できないのです。そういったものを一つ一つ懺悔させていただくのが読経であり、早朝奉仕であり、日々の三つの歩みです。無意識のうちにつんできた過去の私の業を浄めさせていただく、そういう気持ちで、「密厳院発露懺悔の文」を、寒修行でなくても時間があればお唱えさせていただくのです。それで自分の信心も深まってくると思います。
金剛三昧
三昧、祈り。祈りを深めるということは、教主さま、摂受院さま、両童子さま、護法善神さまと一体となるそういう祈りです。
涅槃経における三昧は、金剛三昧です。金剛三昧というのは、大般涅槃経の三昧ですが、
『一如の道』にもあちらこちらに出ていますけれど、「衆生をして首楞厳(しゅりょうごん)を得しめんが為の故に、衆生をして金剛三昧を得しめんが為の故に、衆生をして陀羅尼を得しめんが為の故に・・・」と「獅子吼菩薩品」にずっと続いていますが、こうした金剛三昧が不動三昧、不動心です。不動心を持つことが霊能を拓くことです。どんなことがあってもくずれない信心、そういった不動心を確立するためには、金剛三昧を得てゆくことです。三昧を三つに分けると、空三昧、無相三昧、無願三昧です。
空三昧
空三昧は、心を「空」にしてなんでも受け入れる。自分の執着、煩悩、一切の執われを全部「空」にして、無我の境地になり、なんでも百パーセント受け入れていく。なんでも
「はい」の一言で受け入れていくのが、空三昧。これは、接心を重ねていくことによって到達できる境地です。接心を頂くとみな素直になる。ご亭主の言うことは跳ね返しても、ご霊言は素直に「はい」と受け入れられる。接心を頂きながら霊能者と喧嘩をしている人は見たことがないですね。だいたいが素直になってしまうのです。
私の経では、一人、接心中に霊能者に反発した人がいますけれども、頑固な親父さんだったのです。「あなたは我が強いですね。頑固ですね」というご霊言で、そうしたら怒ってしまって、「そんなことは言われなくても百も承知だ。それを直してもらうためにきてるんじゃねえか」と。それで腹を立ててサッと立って諏訪の森に行って、仲間が接心を終わって出てくるのをタバコを吸いながら待っていた。それきりその人は、導き親さんがいくら誘っても「もういい」と言って、来なかったのです。もうあの世へ行ってしまいました。
なかにはそういう人もいますけれども、だいたいにおいて、ご霊言ですと誰でも素直になれるのですね。だから旦那さんの言うことでも、お姑さんの言うことでも、ご霊言と思えば「はい」と言えるはずなのです。「そんなことを言っても、こうじゃないか、ああじゃないか」と言うことは、自分の方が偉くなって相手を批判したり、責めてしまうわけです。そうすると、空三昧には程遠いということです。空気のように、何を言われてもニコニコ、
無抵抗でなんでも素直に受け入れていく。ただし、受け入れっぱなしではなく、実行が伴わなくては本当の「はい」ではありません。
[841]白うさぎ 06/01/21 14:06 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
無相三昧
二番目が無相三昧。無相三昧は、聞きっぱなしではなく、他人ごとではない自分ごととして実践していく見返りの三昧です。すなわち無相接心です。
無相ということは相手が無いと書いて無相。相手ではない、自分なのだ。百パーセント自分なのだと。悪いのは相手ではなくて、足りないのはみな自分なのだと。人を責める心が少しでもあると、その部分の見返りができません。相手は鏡と思うと、全部見返りが出来るわけです。鏡の前で、私はこんな汚れた顔ではないのにと鏡のせいにしてしまうようでは、無相三昧とはいえないですね。そのまま百パーセント自分の姿なのだと無相に受け入れて、見返らせていただく三昧、それが無相三昧。それは、「すみません」という言葉にも通じます。なんでも「すみません。すみません。私が悪いのです」と懺悔の祈り。最初の空三昧は、南無の祈りです。素直に受け入れていく南無の祈り。それから無相三昧が見返りの祈り、懺悔の祈りです。
無願三昧
そして三番目が無願三昧。無願というのは、喜びの三昧です。無願というのは願いが無いと書いて、無願です。これ以上の願いはない、これ以上の喜びはない、最高の喜び、最高の感謝。感謝ということは、実践が伴っていかなければなりません。大乗の実践、実践に燃え立つ三昧です。「ありがとうございます」なんでも「ありがとうございます」。何を見ても「ありがとうごぞいます」。旦那様に蹴飛ばされても、「ありがとうございます。こんな私でも蹴飛ばして下さって、前世の業の罪滅ぼしをさせて下さって」と、そういう三昧です。よいこと、悪いこと、両方に感謝して、喜びにしていく。それによって、霊能が拓けるのです。ですから、「はい」「すみません」「ありがとうございます」のこの三つを身につけて、何事によらず、必ず一言ごとに「はい、すみません、ありがとうございます」と、一日のうちに何十回も何百回でも口に出していれば、教主さま、摂受院さまと一体になることができる。
教主さまもいつも「ありがとう、ありがとう」とおっしゃり、最後の言葉も「ありがとう」でした。またなんでも「はい、はい」、どんな初信者にも「はい」、身近でお仕えしている若い女性の方に対してもなんでも「はい、はい」と聞いて下さった。摂受院さまも常に
「ごくろうさま、すみません、すみません」と。「はい、すみません、ありがとう」は仏さまの印なのです。その三つが本当に全身で言えるようになれば、もう生きた仏さまです。
定―接心の肝要
空三昧、無相三昧、無願三昧というのが、「一如の道」の五十八ページの下の段に出ています。「善男子、定相とは空三昧と名づけ、慧相とは無願三昧と名づけ、捨相とは無相三昧と名づく」
定相とは、−「定」ということは、接心です。接心を頂くとみな、素直になって「空」になって「はい」と言えるからです。慧相とは、智慧波羅密の相。智慧波羅密ということは、お救けです。お救けができた時の喜びは最高の喜びなのです。また、所属が向上した時の喜び、歩んでくださった時の喜びは、最高の喜び。その智慧波羅密、それが無願三昧、
このうえない喜びです。
それから「捨相」とは無相三昧。「捨相」というのは、すべてを捨ててしまう。自分ではない他人ではない。自分と人との区別を捨ててしまう。すべて、他人事ではない自分事として、相手を鏡にして受け入れていく。それが捨相、無相三昧。自分と他人の差別があるからいろいろ問題が起こってくるんですね。その自分と他人の差別を捨ててしまう。怨親平等の気持ちになっていくことが、無相三昧です。
三三昧(さんざんまい)
それから六十四ページの下の段の四行目に「空・無相・無願」と書いてある。「空・無相・
無願の法」というのは、空三昧・無相三昧・無願三昧の三三昧です。それが金剛三昧の内容ですね。「空」というのが「はい」無相三昧が「すみません」無願三昧が「ありがとうございます」。「空」になれると歓喜、無相になれると大歓喜、無願になれると霊能とそういうご親教を頂いた記憶があります。
[842]白うさぎ 06/01/21 14:07 *mWed5hXHWmu*aQzfVZYj3q
ご讃題と摂受院さま
ご讃題「南無真如一如大般涅槃経」は、昭和四十二年九月六日に制定されたものです。昭和四十二年八月六日に摂受院さまはご遷化された。それから一ヶ月たった月のご命日の九月六日に、摂受院さまがご生前におっしゃられたようになったのです。「南無真如一如・南無大般涅槃経」と南無が二つついていた。私たちが入信当初、手にした「朝夕のおつとめ」には、「南無真如一如・南無大般涅槃経」と二行に書いてあったのです。
真如のみ仏に帰依する、また、大般涅槃経の教えに帰依する。仏と法は一体のものだから、「南無」を一つにしたほうがいいんじゃありませんか、摂受院さまのご意見だったようですけれど、それを教主さまが容れられて、昭和四十二年九月六日に、「南無」を一つにして「南無真如一如大般涅槃経」というご讃題を制定されたわけです。それからいちだんと摂受のお力も強まり、みなさんの祈りも深まり、教団が発展してきたわけです。
三礼と三三昧
「南無真如一如と尊きみほとけを念じ奉る」と朝夕三礼させていただく、必ず「南無」ですね。信心は「南無」ですね。信心は「南無」で始まり「南無」で終わる。「南無」ということは、自分を無にして仏さまに絶対帰依、自分をゼロにして仏さまを全面的に受け入れる。それが「南無真如一如と尊きみほとけを念じ奉る」。「南無南無」というのが無条件の受け入れ、絶対帰依です。それが空三昧。
「懺愧懺悔六根罪障」というのは、懺悔の見返り、「すみません、すみません」という無相三昧。
「おんさらば、たたぎやた、はんなまんなのうきやろみ」。仏足頂礼で仏さまの前に五体を投げ出して、喜んで仏さまの歩まれた道を実践してまいります、という無願三昧。
ですから、「朝夕のおつとめ」の中にもそうした三三昧が組み込まれているわけですから、真心込めて祈りを込めて三礼をさせていただく。それによって金剛三昧がだんだん身についてくるんです。仏さまに三礼、旦那さまに三礼、お姑さんに三礼、子どもにも三礼。すべて、この世の中で自分自身が一番低いところにいるんだ、そしてまわりはみな何かを私に教えて下さる存在なんだ、み仏さまが姿を変えて私に修行を与えてくださっているお姿なんだって、まわり全部高くみて、自分をもっと低いところにおく。それが大般涅槃の大海の教えです。
大海は世の中で一番低い所にあって、どんな流れでも全部のみこんでいく。教主さま、摂受院さまのみ心も大海ですから、すべての流れを摂受して下さっているわけです。だから私たちもその大海の一つになって、なんでも受け入れていく。祈り一つに受け止めていく。
「うちのお母さん変わったね。仏さまのようだね」って。夫からも我が子からも言って貰えるようになれば、霊位も向上できると思います。そのように自分を限りなく下げていくことによって向上ができる。うちのお母さんは怒ったことがない、どんなひどいことを言われても怒ったことがない。いつもニコニコ受け入れてくださる。大きな懐に包まれてしまう、愚痴もこぼしたことがない。「女性十七訓」を地でいっている・・・。そういう境涯を目指し取り組んでいってください。
「定記」について
それができている方が、継主さまですね。継主さまは、教主さま、摂受院さまから一番ご信頼があつかったし、仏さまの性をおもちになっておられます。「定記」によって跡継ぎが定められたわけですけれど、継主さまは正真正銘のみ仏さまです。ですから理屈抜きで、継主さまのお姿を拝しただけでみなさん和やかな心になったり、生きる希望が湧いてくる。また長年の持病が治ったり、心に抱えていた悩みが解消したり、継主さまのお姿を拝しただけで涙がこぼれる。それがみ仏さまである証拠です。
「定記」というのは、一言で言えば、継主さまだけが絶対のみ仏さま、私たちの礼拝の対象であるということです。おひとりですべてを束ねられて、教主さま、摂受院さま、両童子さま、護法善神さまの徳をすべて束ねられておられる、生きたみ仏さま、実体身を持たれたみ仏さまですね。そういう認識で継主さまに絶対帰依していく。すべてを代表されているわけです。真如苑苑主、真澄寺主座、代表役員。ですからすべてのことは、表の継主さま。裏は真玲さまです。表の継主さまのすべてということは、表でもあり、裏も兼ねることができるということです。裏が表になることはできません。表の継主さまがすべてのすべてを束ねておられるということですから、そのように解釈させていただけばいいと思います。

[843]偽の気配 06/01/21 15:26 *2cbZid.BLx3*eZn4bkYjmS
835白うさぎさま

血脈については、私もいろいろと調べたりして勉強中です。
より詳しい方にききたいところなのです。

しかし、空海以後、真言密教には実にたくさんの宗派ができたのは確かです。
そのひとつの醍醐派は、
空海の弟子真雅に師事していた弟子聖宝が開いた宗派なのでしょう。
その意味では、空海ー真雅ー聖宝という形での師弟関係があったのは確かだと思います。
しかし、空海の弟子は真雅だけではありませんし、ましてや孫弟子になると聖宝ひとりではありません。
もし仮に、聖宝が開いた醍醐派(やがて伊藤につながるもの)のみがまっとうな継承であったとすれば、そのほかの宗派は不当ということになるのでしょうか?

おそらくは、空海以降のつながりについては、各宗派の始祖がそれぞれみずからにつながるところに血脈がある、とそう考えているでしょう。
実際、「血脈」をしらべてみると、他の宗派でも、空海からつらなっている「血脈書」が残されているところがあり、文化財として開示しているところもあるようです。

仮に真如苑がいうことがただしいとしても、
数ある宗派のうちの一つである醍醐派の継承者であるにすぎず、
我こそが唯一仏教を正当に伝えうるものだという苑の説明は、
あまりに大げさすぎます。
権威付けをもくろんだ発言、正当化にすぎない、と見るのが妥当でしょう。


アジャリという資格を考えてみるに、
仮に醍醐派内だけを考えたとしても、
伊藤だけがその継承者・・・というのは、首をかしげたくなります。
このあたりは、醍醐寺にといあわせてみたいところです。

いずれにしても、真如苑のいう血脈の説明を鵜呑みにするのは
他の教義に虚偽がまぎれていることから察しても、
危険なことだと思います。
[844]真言密教 06/01/22 16:17 *oYu21bEWeQt*4HrPxrI8PF
法脈(血脈)の枝葉より、源流原点である龍猛(龍樹)を探らないと法脈の真意は分からない。
[845]一般人 06/01/22 22:24 dS42P5VEXt
だいたい「血脈」って大層に言うけど
そんなもの仏教には無いだろ?勿体つけてるだけさ。

それでは仏教には無い「血脈」って
いったい何故どこでどのように付加されたのでしょうね。 はい真砂子さん、白状してね。
 キーワードは「一子相承」「ウパニシャッド」です。


>これも自分の欠点を気づかせてくれる苑(苑の仲間)のお陰。
ありがたいですよね。
でもそれに釣られて脳をMCされ単なる1集金マシーンへと変身してしまうのは どうかな?
それでよければどうぞ。

[846]一般人 06/01/22 22:25 dS42P5VEXt
>勧誘は「断れば良いのだから迷惑ではない」
相手の立場に立つことを まず学びましょう。

>この教えは信じるに足りないと思って辞めたならそれでよし。
言われなくとも皆さんそうしているでしょう。

>何か挫折して教えをやめている
カルトMCをするカルトだから、みんな辞めるのでしょう。

>もちろん大歓喜の修行は厳しいけど。
厳しくないですよ。自分から「厳しい」と言うのは「甘え」ですよ・・

>「例えあなたが、双親さま両童子さまを振り払ったとしても、双親さま両童子さまは、あなたを見放したりしません」
教書で「焼き芋」したらとっても美味しかったよ、さすがだよね。と言えば良いかも。


[847]一般人 06/01/22 22:26 dS42P5VEXt

>真如苑が伊藤教であって仏教でないという主張の根拠がほとんど「水ぶくれ」から来てるみたいだね。
読まなくても知ってるよ。

>涅槃経に「能く種々無量の神通変化を示現す」と霊能のような神通変化が現れるとちゃんと書いている。
それ誰が書いたのよ。

「神通変化」は細木やらイタコやらいろいろあるけど「真如霊言」の内容もまたまったく仏教じゃないのは 何故だ?
しかも釈迦からのではなく、 伊藤の子供からの霊言とはw

[848]一般人 06/01/22 22:27 dS42P5VEXt

仏教修行で神通は得られるようですが それを求めるとその瞬間に 外道と成ります。
仏の求道において、超能力指向は皆無です。
この基本を知らないと、オウムや真如苑のような教団に騙されます。
また、如来蔵思想(本覚論)も 縁起論とは対極にある概念なので、仏教とは言えません。

[849]一般人 06/01/22 22:27 dS42P5VEXt
カルトの被害に遭われているご家族の方々、
「毎週こちらの掲示板を閲覧、書き込みする」という条件で その信仰を認めれば良いのでは?
そうすれば 否応なく気付くかもね。

>幸福の科学に行って1000万円払えば、あの世での菩薩世界が約束されるらしい。
ちなみに真如苑に入って3つの貢献すれば、あの世での歓喜世界を、確実に妄想できるらしい。

[850]一般人 06/01/22 22:28 dS42P5VEXt
その3[901]7年信者さんの
>「親が偽善者であれば、子は裏表のある性格となる。」  親=真乗
に真っ当な答え出せる信者さん、居るかな。
[851]母が真如苑被害者 06/01/22 23:05 M/QVmIe4PR
母は家族が幸せになると思い真如苑に入信し家族が退会させるまでに4000万円もお布施にしていました。もちろん父とともに退会させるように説得しましたが結局離婚。しかし子供としてはほっとしています。15年もお金のことでいさかいが耐えない家庭でしたので。真如苑は集金団体です。私は母がいなくなって幸せです。家族よりも真如苑を取ったのですから。ただはっきりいえることがあります。真如苑はオウムとかわりません。遅かれ早かれ自壊するでしょう。そしてそのことをこころから待ち望んでいます。真如苑をやめようかなと思っていられる方はこのすれにかきこんでください。
[852]偽の気配 06/01/22 23:10 EbN2YqksPZ
真如苑がわれこそがという法脈、
他でも自らを正当であるといわんがために歌っている教団をひとつ紹介。阿含宗です。
http://nun.nu/www.agon.org/hist.html

もう一度かんがえてみましょう。法脈ってなぁに?
苑のいう正当性って、そんなに妥当なものなのか?
伊藤が継いだといったから??
アゴンの法脈は偽だというのかな??
アゴンは、苑の法脈ではなくわれこそが・・というでしょうね。
さてさて・・
[853]え? 06/01/22 23:20 AApjmWx4mw
出家と在家の大法を得ているんだな。
阿含>苑だな。w

851の母は自分の意志で4000万払ったんだろ? なら問題なしだ。
[854]偽の気配 06/01/22 23:55 EbN2YqksPZ
井沢元彦氏のまとめたものに次のような記述があります。
「確かに、了源の師匠筋をたどっていくと親鸞に突き当たる。そして、この考え方は浄土真宗だけではなく、すべての仏教宗派にある。なぜなら、僧侶は妻帯できないから、自分の子供に後を継がせるわけにはいかない。したがって、すべて法脈になる。
 ところが、浄土真宗だけはこれとは別に 「親鸞の血脈」というものがある。この場合の血脈とは、文字通り親鸞の血を受け継いでいる者という意味だ。もちろんそれは本願寺だけのものである。」

さしずめ、真乗から真砂子(でしたっけ?)に継いだ真如苑では
法脈ではなく血脈ですね。
ここでも、法脈・血脈がでてきました。
真如苑だけが正当についでいるという理由だった法脈。
あっちこっちにあります。

その正当性に、苑がいうほどの絶対的な説得力があるかどうか、その判断は自分でしていきましょう。
[855]真言密教 06/01/23 12:31 *oYu21bEWeQt*4HrPxrI8PF
真如苑も真言宗ということで、悪趣味な覗き見をさせて頂きました。暇人の苦言をお許しあれ。

>>848:如来蔵思想(本覚論)も 縁起論とは対極にある概念なので、仏教とは言えません。


超能力批判はよろしいですが、思い切ったご発言に感服致しております。
一部に、如来蔵という実体を問題視する人たちもいますが、真言宗でも天台宗でも、その如来蔵を実体視していません。日本仏教を否定されるおつもりでしょうか。極端な道の片隅は、さびしい限りです。

[856]偽の気配 06/01/23 13:21 *2cbZid.BLx3*ahgBSInQsH
真言密教さん、
もしお詳しいのであれば、ぜひおしえてください。
血脈・法脈について。

伊藤真如苑の教えは、真言密教からもずいぶんとはずれてきているように思えます。
空海はおろか釈迦についてすらもあまり語られることなく、
ひたすら伊藤教祖とその子(両童子)の話ばかりがかたられる
おおよそ仏教とは思えない教義です。
おもてっつらだけみても、首をかしげる箇所があるかと思いますが
内部にはいると「とんでも仏教」節が炸裂しています。

その教えが正しいとする言い訳のひとつが
教祖が醍醐寺で灌頂をうけた大アジャリであるというその一点。
法脈をついだ、真言密教を唯一つたえる正当な仏教集団である、
というのが、苑の言い分です。

伊藤苑の霊能は、伝統仏教で語らているものからも大きく外れています。真如霊界なるものがあり、そこで語られる伊藤教祖あるいは両童子の言葉をつたえるのが霊能者だそうです。

どうですか?
[857]真言密教 06/01/23 14:59 *oYu21bEWeQt*4HrPxrI8PF
私は僧侶でもなく、真言宗高野山派の一信徒に過ぎませんし、真如苑も知りませんが、醍醐寺は当山派修験道の総本山で、聖宝が密教と修験を合体させた小野流と聞き及んでおります。

そのため、神仏儒混淆の民族信仰色を強く打ち出し、空海の法脈というよりは、修験の祖「役小角」の法脈です。曼荼羅から見たら神部で、土着の神様信仰の方々に仏教を教えるというのが建前です。

醍醐寺認可の新興宗教を、高野山派が問題にしていると住職から耳に致したもので、こちらの阿含宗と真如苑を覗かせて頂きました。
覗かせて頂いた結果、神仏儒混淆の民俗信仰で、怪しげな超能力の教祖信仰といった印象を強く持ちました。

問題を感じておりますが、私には手に負いかねますので、申し訳ありませんが、高野山派の住職に私の見聞録だけは述べて、お任せ致す所存です。覗き見だけのはずだったのですが、暇人の横車をお許し下さい。
[858]和音 06/01/23 15:20 QmYpxFdB7.
>>857真言密教さま

「修験道」は以前逃亡者さまから聞き及んでおります。
真如苑の本質を見極めるなら修験道を調べなさいと。
醍醐寺を考えるとやはり修験道は必要不可欠なものですね。

高野山派で問題視していると言うのは本当でしょうか?
出来ましたら是非、ご住職さまの見解をお聞きした限りをほんの一部でもかまいませんので、書きこみ頂けると幸いです。
私の勝手な願いですので、スルーされてもかまいませんが…。
またの書きこみをお待ちしてます。
[859]真言密教 06/01/23 15:44 *oYu21bEWeQt*4HrPxrI8PF
高野山派を真言宗の総本山と間違えまして、意見書や抗議文を醍醐寺で扱ってもらえないと、高野山派に阿含宗や真如苑への抗議が来るということです。
そこで、教義の規制を醍醐寺に要求はしているそうですが、伝統仏教から新興宗教への迫害問題もあって、なかなか聞き入れてもらえないようです。
また、真如苑に関しては、法事の時に、上座部仏教のよう涅槃像がやりすぎではないか、というようなことも聞き及んでいます。

醍醐寺は修験と密教の合体ですので、多少の修験道の知識も必要だと思います。
[860]偽の気配 06/01/23 16:48 *2cbZid.BLx3*ahgBSInQsH
真言密教さま

なるほど、そういう事情でしたか。
阿含宗も真如苑も、おそらく同じ穴の狢で、
生じている問題点は似ているように思います。

阿含宗のほうは、殆ど知りませんが、
真如苑に関しては、普段の法要あるいはプルーフと称する信者の話など、おそらくまっとうなお寺の御住職が聞かれたら、ある意味では驚かれると思います。
真如苑が「仏教」を語っているだけに、性質がわるいかもしれません。
知れば、仏教ではないことははっきりするのですが、
先に苑にMCされてしまった信者にとっては、それが仏教であるかのような錯覚をおこしてしまっています。
潜在的な被害者数は、かなりの者に上っていると思われますし、
社会問題化しうるだけのポテンシャルをもった問題ありの宗教団体です。

苑では用語の意味を勝手に変えてつかっていることが多いので
できれば、そういった用語についていろいろとおしえていただければ
今悩んでいる信者の人、あるいはこれから入信するかもしれない人のために、考える材料を提供できると思います。
もしさしつかえなければ、時折覗きに来ていただければ・・と思います
どうぞ、よろしくおねがいします。

[861]偽の気配 06/01/23 17:40 *2cbZid.BLx3*ahgBSInQsH
修験道について、ざっと調べてみました。

簡略ですので、不足分など書き込みお願いします。
****************************
修験道とは・・・
日本古来の山岳信仰が外来の密教,道教,儒教などの影響のもとに,結びついて平安時代末期に成立した宗教。
修験道は特定教祖の教説にもとづく創唱宗教とは違い、山岳修行による超自然力の獲得とその力を用いて呪術宗教的な活動を行うことを旨とする実践的な儀礼中心の宗教。
霊験を得るための山中の修行と加持・祈祷・呪術儀礼を主とする。室町期には、真言系の三宝院流(当山派)と天台系の聖護院流(本山派)の二派に分かれた。
開祖は役小角とされる。山岳信仰に神道・密教・陰陽道などの諸要素が混成したもの。中世には聖宝を中興と仰ぎ、醍醐寺三宝院を本拠とする真言宗系の当山派と、増誉を中興と仰ぎ、聖護院を本山とする天台宗系の本山派が興った。

その思想とは・・
修験道の思想や儀礼は峰入り修行による即身成仏という眼目を中心として展開する。依経は、教義上は山中の森羅万象そのものを経とするというように特定の経を立てない、とした。しかし実際には般若心経・法華経などが好んで用いられた。
崇拝対象は、基本的には大日如来と金剛界・胎蔵界の曼荼羅(両界曼荼羅)とされているが実際には不動明王やその両童子が崇拝された。また金峰山では役小角が感得した金剛蔵王権現・大峰八大童子、熊野山では熊野権現が崇められた。
修験道では峰入り修行が行われる山岳は、大日如来の金胎の曼荼羅で山中の自然現象はすべて大日如来の説法であるとされる。
そして修験者は全体として大日如来と自己の成仏の可能性を示す衣体を身につけて山中に入り崇拝対象を崇め、成仏過程になぞらえられた十界修行をし、その最後の正灌頂で金剛界・胎蔵界の秘印を授かることによって即身成仏できる、と教えられたのである。即身成仏するということは、正灌頂とあわせて授けられる柱源(はしらもと)供養法などによると修験者自身が天と地を結ぶ柱になることを意味している。
峰入り修行を終えた修験者は、峰中で獲得した験力を示すために火渡り・刃渡り・護法や動物霊を操作するなどの験術を行った(験競べ/げんくらべ)。羽黒山の烏とび・吉野の蛙飛びなどがその例である。またその験力を用いて小祠の祭・加持祈祷・卜占・巫術・調伏・憑きものおとしなどの多様な活動を行った。

[862]偽の気配 06/01/23 17:44 *2cbZid.BLx3*ahgBSInQsH
SHOBOIN > やさしい仏教入門より

日本では古来から山は神様の住むところ、または神様そのものと考えられました。この古代神道とも言うべき山岳信仰(民俗宗教)に仏教の行脚や道教の入山修行などが影響し、奈良時代になると山にこもって修行する人たちが増えました。修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)もそうした修行者の一人です。
平安時代になると修行者はさらに増え、密教系の人も山岳修行をしました。天台宗寺門派の開祖円珍はその代表的な僧侶です。平安時代の末期になると、修験道は密教や道教、陰陽道の要素をも含み独特のものとして完成します。

聖地は紀州の熊野、葛城、大和の金峯山(きんぷせん)が中心です。熊野を中心として活動した天台系グループを本山派といい、金峯山を中心に活動した真言系グループを当山派といいます。このニ派が主流で、地方的組織として出羽三山、日光ニ荒山、などをはじめとして、霊山と呼ばれている全国各所で修験道の各派が生まれました。現在は、本山派は聖護院を中心として本山修験宗に、当山派は醍醐寺を中心として真言宗醍醐派になりました。これに天台系の金峯山、修験本宗を加えた三派が修験の主流です。

修験の語源は「修行して迷いを除き、験徳をあらわす」から来ています。修験者は山に伏して修行するところから山伏とも呼ばれます。修験道は一宗一派に片寄らず、行動し体験する中で以心伝心のうちに本来の悟りを開く方法=道です。

※ 円珍は智証大師とも呼ばれます。天台宗の密教を確立した僧侶です。
※ 金峯山(きんぷせん)は歴史的な呼び名で、現在は山上ケ岳といいます。

[863]真言密教 06/01/23 18:15 *oYu21bEWeQt*4HrPxrI8PF
調査痛み入ります。

>>861:またその験力を用いて小祠の祭・加持祈祷・卜占・巫術・調伏・憑きものおとしなどの多様な活動を行った。

確か教祖は「卜占」で奥方が「巫術」だったようで、現在は、この「巫術」を独特なものとして「接心」という禅定用語に置き換えていいませんか?
また「調伏・憑きものおとし」が、名前を変えて、お施餓鬼とかいうものになっていませんか?

仏教用語を用いて、仏教らしく見せてはいますが、これらを中心に行っているのが、阿含宗や真如苑です。都市型修験道なんていう人もいますが、教祖信仰は修験道ではないので、別物になってしまった新興宗教です。お陰様で、私にもよく分かりました。

また、醍醐寺の三宝院は別院ですので、この別院で教祖はアジャリの位を頂いたのだと思われます。醍醐寺は別院があるの複雑です。私にもよく分かりませんが、醍醐寺にも問題がありそうです。

真摯な方がいらして感心致しております。折りをみて覗かせて頂きます。


[864]白うさぎ 06/01/23 19:16 *mWed5hXHWmu*qfDFi9h.MG
以前、フランナ氏に質問した内容の答えとなる資料が見つかりましたので書き込みます。
今話題となっています、法脈・血脈についても触れられています。
【  】は、私がつけました。

内外時報532号(平成7年12月号)より
発祥の原点から真如密の尊さを知る

いよいよ出発の月、明年は立教六十年を迎え、旧真澄寺の復建が具体化されてまいります。この真澄寺は真如教主さまが摂受院さまと共に、一切をなげうって建立し、人々の救いに伝燈の血脈相承にと厳行に明け暮れ救いの道を開かれた発祥の道場でもあります。
おりから、み親が受法された祖山、醍醐寺より真如法燈の荘厳がなされることになりました。開祖教主さまの遺徳を昂揚、真言正統密流の一派として、「真如三耶流」を樹立し
さらに醐山に真如三昧耶堂が建立されるというこの慶びも、尊き仏意といえましょうか。
そもそも、真如教法に伝わる法流血脈とはどのようなものか認識を深めたいと思います。
まず中心は、昭和十六年三月に真如教主さまが法畢された金胎両部伝法灌頂で、これが真言密教の正統な法流血脈の相承です。大日如来に発し、金剛サッター龍猛―龍智―金剛智―不空ー恵果―空海と、いわゆる真言八祖を経で相伝され、弘法大師によって日本にもたらされて確立されました。以後、師から弟子へと連綿と受け継がれて今に至っております。その間に事相の違いから多くの流派が生み出されましたが、醍醐寺を開いた聖宝理源大師を祖とする小野流、そして益信を祖とする広沢流が二大流派であり、さらにそれぞれが六派にわかれて野沢(やたく)十二流を形成し、諸流の根本となっております。真言僧は四度加行(十八道、金剛界、胎蔵界、護摩)を修し、伝法灌頂をいただくことによって、この法流を相承し、アジャリとなることが出来ます。
次に、昭和十四年十月に灌頂を受けられた恵印法流は、少し特殊な存在です。それは、醍醐寺の三宝院を本拠とする、当山派修験道の法流だからです。聖宝尊師は修験道中興の祖としても知られ、大峯山での修行中に、修験道の開祖である役行者の導きにより龍樹菩薩
(龍猛の別名)に出会って灌頂を授けられたとされます。もちろん、これは普通ではあり得ないことですから、実際には聖宝尊師が深い三昧の中にこうした祖師方から霊的に感得したものと言えましょう。その上で、真言の事相を基に立てられたのが恵印三昧耶法なのです。これが、大日如来―龍樹菩薩―神変大士―理源大師という系譜ではじまる恵印法流です。神変大菩薩のお姿が有髪であることからも分かるように、修験道の修行は本来、在家出家を問いません。これが「在家仏教の法流」と言われる理由です。
[865]白うさぎ 06/01/23 19:17 *mWed5hXHWmu*qfDFi9h.MG
真如教主さまはこの二つの法流を相承された上で、衆生済度のためにさらに研鑽を重ね、在家の教徒までもが因縁消除して真の悟りを得られる救いの道を求め続けました。そして、ついにみ仏の究教、「大般涅槃経」を発見されたのです。そこには、み仏が四十五年のご布教の最後に、出家仏教の限界を越え、在家をも含めた一切衆生を救いとるべく説かれた至極の法門が開示されていました。
ここに真如教主さまは、相伝の密法と真如霊妙、涅槃甚力を束ね、遺言のみ教えと共に常住する「久遠常住釈迦牟尼如来」の救いの力を現世に引き出すことに成功されたのです。
「妙法、秘密甚奥蔵門悉くこの大涅槃に入る」と示されるように、この涅槃の原理からみて、金胎両部の法流と恵印法流を包摂し位置づけ、霊妙の働きの中に一つに確立されたのが真如法流です。
その事相においては、在家法流ゆえ、恵印三昧耶法の構成を基盤に、金胎両部の秘法をおさめ入れ、涅槃経の真理に即して真如三昧耶法を立てられました。【ですから真如密の法流は、久遠常住釈迦牟尼如来から真如教主さまへと直流の、独自の法脈であり、さらに真如霊妙の力によって、み仏のご内証を教徒の一人一人にまで確かに伝え得る接心修行を完成した、いまだ例のない偉大な教法なのです。】
こうした独自のスタイルをとりながらも、そこには確かに真言伝燈の法脈が基盤に生きているゆえに、総本山醍醐寺より真如三昧耶流の正当性が明かされたといえましょう。
が、あくまで真如苑の教えは厳然とした一宗であることに変わりはありません。それも真如み親が願ってやまなかった一切悉くを救うことのできる教法であり「出家仏教を基盤にした在家仏教」という理想を、現実のものにしたかけがえのない無二の道と知れましょう。
真如教主さまはかつて「あえて『真如密』という新しい文字で呼称した。日本仏教界の真如苑批判に対する認識のいかんを問わず、あえてこの文字を用いてはばからないのは、いまだ開顕をみない涅槃密を摂受した真如密ならではの所以にあり、東・台両密に真如密を加えて『日本の三密』と称えられる日を目標としている」と説かれましたが、その本願を明かしていく道こそ教苑の歩みでありましょう。この重要性は現時点におけるよりも、未来の世において、真如教法が歴史として確固と位置づけられる時、その基盤として、一層大きな意味をもつことになるでしょう。
[866]アホかお前ら 06/01/23 20:01 5uLfdh/OzJ
幸福の科学に生まれつき霊能がある人が居てその人に苑主、伊藤真砂子の守護霊を呼んでもらったら「修行を積んだ修験行者」だった。

この霊能者も嘘っぽいなと思ってたけど、まんざら嘘でもなかったんだ。

それにしても白うさぎってアンチなの?いつも真如教徒の為になるような資料をUPしてくれてるけど。

真言密教さんの指摘は興味深いものがあるね。真如苑が邪教であることの決定的な所を指摘してもらえないかな?

別板で使いたいから。
[867]白うさぎ 06/01/23 20:09 *mWed5hXHWmu*qfDFi9h.MG
これは、>>490の質問の一部です。

>苑が鬼の首掻き取ったかのように豪語する、「醍醐寺」からもらった系譜。
久遠常住釈迦牟尼如来→法身大日如来→普賢菩薩→龍猛→龍智
→金剛智→不空→恵果→空海→聖宝理源大使→佐伯恵眼→伊藤
真乗→伊藤真聡

ここで、大日如来の前に「釈迦牟尼如来」があるけど、おかしいとは思いませんか?

そもそも、真言宗で言う「付法の八祖」には、久遠常住釈迦牟尼
如来は存在していなし、トップは大日如来ですね。
大日如来の次が普賢菩薩もおかしいですね。普通は、金剛菩薩です。
なんでもあり、系譜ですね。

ついで、
>>502
の私の質問の一部

>また、密教の第一祖とされる龍猛は、釈尊が入滅されてから、800年後に生まれておられるようです
が、釈尊と龍猛との間に血脈としての繋がりはないように、「密教入門」には書かれているのですが、
どう理解したらいいのでしょうか?
大日如来→金剛さった(漢字にすると文字化けしました)→龍猛→
という流れが、一般常識の様に思いますが、真如苑の相承図は、特殊ですね。
[490]にも、同じ質問がありますので、お答えをいただきたいです。

それに対して、
フランナは

>>516
密教では法身大日如来→金剛サッタ→龍猛という流れで龍猛が第一祖になっておりそれからの血脈
です。それを

久遠常住釈迦牟尼如来→法身大日如来→金剛サッタ→龍猛とするのは先に述べたとおり、この世で
ビル遮那佛の存在を説かれたのが釈尊故に釈尊からの流れとなっていると考えられます。

と答えています。
が、内外時報の記載と比較すると、フランナの答えは真如教徒としても不勉強と思われます。

これは私の推測ですが、苑の血脈相承書は、法難以前と以後では異なっているのではないかと
思われます。2種類存在するとか・・・?
大般涅槃経を中心にすえる以前は、「久遠常住釈迦牟尼如来」がトップに来ていたとするのは、
不自然のように思います。
あるいは、醍醐寺の相承書も、久遠常住釈迦牟尼如来から始まっている可能性もあるのでしょうか?
苑が独自の法脈と主張するなら、教主から三女、四女への相承も、醍醐寺での修行なしでも可能という
ことになりますから・・・。
[868]アホかお前ら 06/01/23 20:13 5uLfdh/OzJ
偽の気配が「縁起」の理解がムチャクチャと書いてた。一応、辞典で調べたんだけどどこがメチャクチャなのか解らない。

偽の気配「縁起」って何?おせーて。

あと、涅槃経も調べたけど釈迦は涅槃経説いてないの?これも事実なら真如苑にとっては痛いよね?確たる根拠はあるの?

阿含宗は「釈迦が説いたのは阿含経だけだ」って主張でしょ?

涅槃経はパーリー語の涅槃経もあって釈迦入滅前後の描写が事実に近く資料的価値が高いとあったけど…

真如苑で肝になる南本36巻がでっち上げって証拠あったらUPして。
[869]アホかお前ら 06/01/23 20:18 5uLfdh/OzJ
>あるいは、醍醐寺の相承書も、久遠常住釈迦牟尼如来から始まっている可能性もあるのでしょうか?

いくらなんでもそれはないだろう。真言宗なら大日如来で統一されてるでしょう。


>苑が独自の法脈と主張するなら、教主から三女、四女への相承も、醍醐寺での修行なしでも可能という
ことになりますから・・・。

実際、三女、四女って醍醐で修行してないんでしょ?でも、醍醐の血脈相承書には三女、四女の名前載ってるらしいね。

やっぱ醍醐は勢いのある真如苑にあやかりたいのかねぇ?

[870]アホかお前ら 06/01/23 20:25 5uLfdh/OzJ
>久遠常住釈迦牟尼如来→法身大日如来→普賢菩薩→龍猛→龍智
→金剛智→不空→恵果→空海→聖宝理源大使→佐伯恵眼→伊藤
真乗→伊藤真聡


これさ、醍醐から貰った系譜じゃなくて真如苑が独自に作ったものって書いてんじゃん、白うさぎ自ら。UPした資料に。

開祖が最初に来るのが筋なのになんでわざわざ真言八祖をかませてその上に久遠常住釈迦牟尼如来を付け加えたんだろう?

>「妙法、秘密甚奥蔵門悉くこの大涅槃に入る」と示されるように、この涅槃の原理からみて、金胎両部の法流と恵印法流を包摂し位置づけ、霊妙の働きの中に一つに確立されたのが真如法流です。

是が答えかな?醍醐の系譜を真如苑が「包摂し」たんだな。

つまり先の系譜は真如苑だけで通用してる系譜と言うわけだ。

[871]アホかお前ら 06/01/23 20:30 5uLfdh/OzJ
ちなみに幸福の科学 大川隆法先生は自らを「愛と慈悲、信仰を象徴する阿弥陀如来的側面と、悟りと修行、霊界の秘技を象徴する大日如来的側面をあわせもった釈迦大如来であり」と言っておられる。

釈迦如来は阿弥陀さんと大日さんを内包するという事か?

それなら真如苑の系譜は幸福の科学でも通用しちゃうじゃん!

わけわかんねー!
[872]アホかお前ら 06/01/23 20:33 5uLfdh/OzJ
でも伊藤夫妻が偉かったのは認めちゃう。

凡人ではあんな事できねーな。確かに。その双親に敬意を払う意味でも真如苑の仏教的な問題点はキッチリ浮き彫りにしておくべきだね。
[873]田舎 06/01/23 21:02 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy
幽霊の方がず〜っと、頭がいいなぁ〜幽霊を誉めてる訳じゃ無いが あんまり可哀想なんで出て来た おまえらアホか様。勉強が足りん レスを期待しても無駄だよ
[874]アホかお前ら 06/01/23 21:07 5uLfdh/OzJ
お前らアホかじゃなくてアホかお前らだ。

レス期待するの無駄って事は真如苑に問題がないって事?

[875]アホかお前ら 06/01/23 21:09 5uLfdh/OzJ
ホリエもん逮捕だ!

いよいよ始まるな。昔から当局に睨まれると大変なんだ。
[876]田舎 06/01/23 21:11 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy
すぐに頭にカッっとくる〜 大体何を言いたいのかぁ〜主旨がわからんのょ 中途半端な批判? 立場を明確にして下さいね。幸福の科学の信者さんな訳ですか?
[877]アホかお前ら 06/01/23 21:15 5uLfdh/OzJ
信者ではなくシンパだね。幸福の科学の板に喧嘩売ってきてる真如苑信者(自称なりたて)を虐めたいと思ってるからアンチ苑だね。

苑信者からいろいろ情報貰って今、苑を調査中。
[878]アホかお前ら 06/01/23 21:17 5uLfdh/OzJ
最近、ビックニュースが多いな。

世の中どうかしてるぜ。やっぱ60億人信者化を宣言してる幸福の科学万歳だ。
[879]田舎 06/01/23 21:21 *2431O59y0/3*E-gbvGy
シンパって…まあなんかわからんが釣られてみるけど、だったとしたら、このスレッド、過去スレもだけどぉ時間かかるかもしんないけど読んで見てくださいね?流れが把握できるかもしれませんから、よろしくです
[880]アホかお前ら 06/01/23 22:06 5uLfdh/OzJ
ムチャを言うな。800もの過去レス読めるかヴォケ!

俺に丁寧語とか使わんで良いぜ。気楽にいくべや。

で、アンタ、苑には詳しいんかい?

ここじゃ真言さんと白うさぎが詳しそうであんた雑魚キャラっぽいが?
[881]田舎 06/01/23 22:10 *UvqQsAFJwGa*E-gbvGy
ハァ〜 ウ゛ォケかぁ〜懐かしい。・゜゜(>_<)゜゜・。 んじゃね〜 勝手にやってて下さい!んでは
[882]アホかお前ら 06/01/23 22:18 5uLfdh/OzJ
んだ?ハゲ!田舎ものの癖にいきがんじゃねーぞ!ごるぁ!
[883]田舎 06/01/23 22:31 *G.RpK6qaSsu*E-gbvGy
と…言う事ですねっ(*^_^*) 偽り様 御理解の程をよろしくお願いしますm(_ _)m
[884]偽の気配 06/01/2