長 曽 我 部 盛 親 関 が 原 陣 跡 

【陣 跡】
別   名栗原城
所 在 地岐阜県不破郡垂井町栗原
築城年月慶長5年(1600年)
築 城 者長曽我部盛親
主要城主長曽我部氏
城郭様式陣城
遺   構説明看板

長曽我部盛親陣跡は関が原の戦いで標高235.6mの栗原山に築かれた陣城である

土佐20万石の領主長曽我部盛親は関が原の戦いで西軍に属しこの栗原山に六千人の兵とともに陣を敷いたが、吉川広家の内通により傍観軍となり西軍の敗色を見て戦わずして帰国した

途中、牧田川金谷で、松ノ木城主徳永寿昌の軍六百人、今尾城主市橋長勝の軍三百人の東軍との間に戦いがあった

この陣跡は、大永5年(1525年)の浅井亮政の美濃侵攻に対し、稲葉通則らがこの地で迎え撃ったが、討ち取られてしまった

伝承では、竹中半兵衛が稲葉山城を乗っ取った後隠居した場所とも言われている

考察・感想
軽自動車であれば、清水寺公園まで車で登ることが可能で駐車スペースもあります
陣跡の説明看板は栗原山の麓にあり、そこから20分ほど山を登ると栗原九十九坊跡や竹中半兵衛隠居地がある
駐車場
八幡神社の空きスペースを借用
目標物  長曽我部盛親関が原陣跡
清水寺公園
竹中半兵衛隠居地です 栗原九十九坊跡です

曲輪です

ホーム   バック