川    手    城    

【城址碑】
別   名革手城
所 在 地岐阜県岐阜市下川手
築城年月1353年6月
築 城 者土岐頼康(室町時代の美濃3代守護職)
主要城主土岐氏
城郭様式平城
遺   構城址碑

川手城は美濃の守護職土岐氏の居城です

第3代守護職土岐頼康は、足利尊氏の命により信州(信濃)・予州(伊予)を平定しその軍功により美濃・尾張・伊勢3ヵ国の守護職となる

8キロほど北の長森城では狭くなったため、この地に城を築き移った。

この城は旧木曽川と荒田川を改修し天然の地の利を生かした広大な城地で七堂伽藍を持つ霊薬山正法寺・源氏の守護神八幡神社をはじめ神社仏閣、数多くの平屋建築、城郭というより御殿風(都風)の建物であった

川手城が都風となって繁栄したのは、建武の新政の失敗と応仁の乱である

都を追われた公家・百官・天上人が地方の守護職を頼って寄宿したことにある

これらの人々を受け入れるだけの余裕があったのは西の大内氏(山口)と東の土岐氏(川手)だけであったため、これらの人達により都文化の花を咲かせた

こうして築かれた川手附文化は、1494年の船田の乱によって3日3晩燃え続ける戦乱によって灰塵となった

天文元年に土岐政頼は鷺山城主土岐頼芸に攻められ政頼は越前へ退散し、替わって土岐頼芸が守護の座に着いた

しかし、その頼芸も斎藤道三によって追われてしまい、道三が美濃の国主となった

道三が国主となると、美濃の本城は川手城から稲葉山城(岐阜城)へと移った

歴代 美濃国守護職
第1代 土岐頼貞  第2代 土岐頼遠  第3代 土岐頼康  
第4代 土岐康行  第5代 土岐頼忠  第6代 土岐頼益
第7代 土岐持益  第8代 土岐成頼  第9代 土岐政房
第10代 土岐政頼  第11代 土岐頼芸
考察・感想
川手城址碑と案内板は済美女子高校の校内に建っている
最初なかなか見つからなくて高校の周りをぐるぐる回っていた
校舎と校庭の間を入っていくと小さな公園の中にあった
悪いことをしているわけではないが女子校の周りをうろつくのは抵抗がある
周りからは変態おじさんと思われているような気がして・・・・
駐車場
なし
目標物
済美女子高校
アクセス
JR岐阜駅南口を出て加納城南通りを左折します
新荒田川に架かる城南橋を渡って直ぐ右折し川沿いを進みます
ライオンズマンション加納城南を左折し真直ぐ行くとあります
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