伊    木    山    城    

【曲 輪】
別   名
所 在 地岐阜県各務原市鵜沼伊木山
築城年月不明
築 城 者不明
主要城主伊木清兵衛
城郭様式山城
遺   構城址

伊木山城は標高173mの伊木山に築かれた城です

対岸にある犬山城と鵜沼城のつなぎの城(砦)として重要な働きをもっていた

現在のような堅固の遺構は信長が作ったものです

こぼれ話
永禄3年(1560年)香川七郎左衛門正久は野武士(武馬七郎右衛門常重)の一団に攻撃を受け、城を避けて木曽川を渡り、木津へ転戦した。そこから遠望すると伊木山城は火炎に包まれていた。織田信長は武馬七郎右衛門に伊木山城を与え伊木と名乗ることを許した。武馬七郎右衛門常重は家臣小野木氏に伊木山城を守らせた
その後香川七郎左衛門の子伊木清兵衛門忠次は武馬伊木氏の家臣、小野木某が守っていた伊木山城を回復した
永禄7年(1564年)織田信長は東美濃へ攻め込むための足がかりとしてこの地を攻撃し、勇将大沢次郎左衛門(鵜沼城主)を中心とする斎藤方の抵抗にあい苦戦をした
そこで信長は策略家である木下藤吉郎に鵜沼城と伊木山城(城主伊木清兵衛門忠次)の攻略を命じた
松倉(川島町)から摩免戸(前渡)へ進軍した木下勢は摩免戸で二手に分かれ1隊の蜂須賀小六は伊木清兵衛門忠次と親しい間柄であったため、木下藤吉郎の書状を見せて本意を伝えることで戦わずして伊木勢を引き込む事に成功した
摩免戸から内陸道を通って進軍していた木下本隊は幅上(鵜沼羽場町)でこの知らせを受けた
その後、勢力の衰えた大沢勢は木下勢によって攻め落とされた
天正18年(1590年)までこの城は伊木清兵衛門忠次によって守られていたが主人の池田輝政が三河国吉田城に転封になり、家臣伊木氏もそれに従い鵜沼を離れ、伊木山城は破棄された
考察・感想
伊木の森案内看板にはフィールドアスレチックやテニスコートの案内はあるが城址についてはなにも記載はない。せめて城のマークぐらい入れて欲しいもんだ
山頂の岐阜放送とNHKのアンテナが建っていたのはチョット残念であった
結構キツイ坂道であった。今後に備え足腰を鍛えておかねば
山頂から東の方の道を行ってみるとキュピーの鼻という看板のある山頂に到着した。このキュピーの鼻とはいったいなんなんだろう?
駐車場
無料駐車場有
目標物
いこいの広場 伊木の森
アクセス
国道21号を美濃太田から岐阜方面に進み鵜沼内で「鵜沼東町」の交差点を左折し犬山方面に行きます
犬山橋の手前を右折し、川沿いを走ります
そのまま進むと伊木の森の看板がありますので、そこを左折し、頂上付近に駐車場があります
車を置いて同じ道を進むと入り口の看板がありますのでそこから山に入ります
入り口です 山頂から犬山城方面の見晴らしです

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