萩   原   諏   訪   城   

【城址碑】
別   名
所 在 地岐阜県下呂市萩原町萩原
築城年月天正13年(1585年)
築 城 者金森長近または佐藤六左衛門秀方
主要城主金森氏
城郭様式平城
遺   構石塁・堀・隅櫓跡

萩原諏訪城は72m×100mの城でした

天正13年金森長近は三木氏を討伐して飛騨を平定し、高山に本城、古川に増島城、舟津に東町城、萩原に三木氏の桜洞城を廃し諏訪城を築いた

もう一説は秀吉が美濃上有地城主佐藤六左衛門秀方に飛騨南部の守護を命じられたため、萩原に来て諏訪神社を上村に移しその跡に城を築いたとの設もある

佐藤氏初代清信は永禄中織田信長に降り、2代秀方は金森長近の姉をめとり信長・秀吉に従った

関ヶ原の戦いでは西軍につき、岐阜城主織田秀信に従って新加納方面に出陣し敗戦となり行方不明となる

元国の一国一城制によってこの城も廃城となったが金森旅館として存続した

元禄8年(1695年)高山城とともにこの城も破却された

こぼれ話(諏訪城址の蛇)
天正中佐藤六左衛門秀方が金森法印公の命を受けてこの地にあった諏訪明神を上村の地へ移し、諏訪城を築城中工事現場に1匹の蛇が出て人夫が追いだそうとするがとぐろを巻いて動かず見回りの六左衛門は怒って梅の枝で蛇の頭を打ち左目を潰した
蛇はどこかに逃げ去ったが以後諏訪城中では梅が育たなくなった
この蛇は諏訪明神の使いであるといい、いまも片目の蛇が神社付近に生息すると言われている
諏訪神社は金森長近が上ノ山へ転封後元の地に戻された
考察・感想
思ったより立派な石垣も残っておりなかなか良かった
搦手道はなかなか雰囲気が出ていた
駐車場
5台
目標物
萩原駅・諏訪神社
アクセス
国道41号を下呂から小坂方面に進みます
「萩原」の交差点を右折し萩原駅方面に行きます
路地の3本目を右折し、100m程いくと右側に諏訪神社があります
大手道です 大手道にある城址碑です

搦手道です 矢倉跡の石垣です

空堀です 水堀です

東側水堀です 東角矢倉跡。面積が最大で天守閣の役目を果たしていた。この様式は豊橋市の吉田城と同型です

北角矢倉跡です 中間矢倉跡です

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