御    嵩    城    

【城址碑】
別   名本陣山城
所 在 地岐阜県可児郡御嵩町
築城年月応仁年間(1467〜1469年)
築 城 者斎藤妙春
主要城主斎藤氏・小栗氏・山口氏
城郭様式山城
遺   構曲輪

御嵩城は規模650m×800mの城です

戦国時代小栗氏が御嵩城を修築して本拠とし、関城主長井道利に属してこの地方を領有していた

天文年間頃、土岐郡高山城の城主に後嗣が絶えたとき小栗信濃守がこれを押領しようと考え土岐郡に侵入し、高山城救援の信州勢平井頼母は後藤庄助を将として大富山において対戦した

庄助は討死し、退却する信州勢を追撃して高山城に迫り土岐川を隔てて対戦した

今度は信州勢の逆襲に遭い、小栗出羽守は捕らえられ小栗信濃ロ守は御嵩城に逃げ帰り守備を固めたが追撃する信州勢は小原城を築き御嵩城と対立しついに小栗信濃守は敗戦し御嵩城は落城した

この戦功で小笠原の臣平井頼母は高山城主になった

永禄7年美濃侵略を謀り稲葉城を攻めた信長は翌8年さらに東方外郭の猿啄城・鵜沼城・堂洞城・関城を落とし、森可成を金山城主に封じ東濃地方に制圧に乗り出したが肥田・長谷川・小栗・奥村・斎藤氏ら在地部将は織田勢力(森氏)に抵抗した

しかし、金山に至近距離にある小栗氏はまっさきに降伏し他の部将も圧服した

元亀3年(1572年)武田信玄が岩村城主遠山影任を降し、秋山春近ら武田勢が東濃全域を席捲しその先鋒は小原城に拠って御嵩城下に及び御嵩城は金山城とともに美濃勢反撃の最前線拠点となった

天正3年(1575年)長篠の戦いでの武田軍の敗北を機に信長の反撃が始まり岩村城も攻略し東濃を回復した

豊臣時代は平穏に過ぎ、慶長4年(1599年)金山城主森忠政が信州川中島海津城へ移封となり金山城は廃城となり、合わせて御嵩城も廃城となった

こぼれ話
御嵩城が落城したとき、城主の小栗信濃守には20歳になる娘がおりこの戦いにも果敢に参戦し相手方と刃を交えた
しかし、敗北と「父の信濃守死す」の訃報に直面し己の操と父の信濃守の後を追うため城の北側の断崖絶壁より身を投げ自害した
自害された場所は「廿ヶ平」と呼ばれている
考察・感想
宅地造成されてしまいほとんど遺構が見つからなかった
空堀が残っていると看板にはあったが発見できなかった
入り口門が16時30分に閉まるので注意が必要です
駐車場
目標物
海洋センター
アクセス
国道21号を美濃加茂から土岐方面に進みます
御嵩町に入り「中」の交差点を右折し、名鉄御嵩線を渡り可児川も渡ったら直ぐ左折し可児川の左岸を走ります
突き当たりになったら右斜め方向の道に入り、さらに突き当たりを左折します
最初の信号を右折し、団地に入った所で「御嵩城」左折の看板がありますので、ここを左折しそのまま山を上がって行くと着きます
本丸です(奥に見えるのが展望台です) 全景です

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