久    々    利    城   

【城 址】
別   名
所 在 地岐阜県可児市久々利
築城年月暦応年間(1338〜1342年)
築 城 者土岐悪五郎康貞
主要城主久々利氏
城郭様式山城
遺   構城址碑・曲輪等

久々利城は規模760m×530mの城です

南北朝争乱初期初代守護土岐頼貞は一族を各地に分散派遣した

7男頼遠は土岐氏の棟領に推され2代守護を継ぎ、6男頼清は西美濃池田郡に分派し長子頼康(小島城主・3代守護)、2男頼雄(揖斐城主)、4男頼忠(本郷城主・5代守護)の3人は西濃に根を下ろしたが、3男頼兼は可児郡明智城に5男康貞は可児郡久々利に築城した

康貞は悪五郎と称し豪勇の将として知られたが、文治元年(1352年)3月27日宇治の八幡合戦で戦死したのでその子悪五郎康頼が継いで久々利氏を名乗った

天文年間(1532〜1555年)久々利氏は金山城主斎藤大納言正義に属していたが、正義の横暴な振る舞いに東濃諸将は皆辟易していた

悪五郎は天文17年2月25日正義を久々利城の酒宴に招き謀殺し東濃の実力者とみられるようになった

永禄8年(1565年)信長の家臣森可成が金山城主となり、東濃諸将は圧服させられ久々利悪五郎もその配下に組み入れられた

可成が近江坂本で戦死すると武蔵丸長可が跡を継ぎ、天正10年(1582年)甲斐武田勝頼征伐に戦功を立て信州川中島3郡を加領されたが、海津城に居城中本能寺の変が起き信長を笠に着た森氏に強圧されてきた東濃諸将は一斉に蜂起し金山城を攻撃しようとした

長可は急遽帰国し、長谷川氏・奥村氏・肥田氏・斎藤氏ら近隣反乱武将を討伐し東濃の動乱を鎮静させた

天正11年(1583年)謀反の首謀者とみられる悪五郎を金山城に招き酒肴をもてなし上謀殺したので久々利氏は滅亡した

久々利城には家臣戸田勘左衛門を入れ城番としたが、天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで秀吉方に味方した長可は八幡林で戦死し忠政が継いだが慶長5年(1600年)2月信州川中島へ移封となり金山城は犬山城主石川忠吉に与えられ久々利城は廃城となった

考察・感想
城址は可児郷土歴史館北側の山にあり、遺構も良く残っておりなかなか良かった
土居により二段の曲輪があり、その上に本丸がある
石垣を用いずに自然地形を利用しての構築はなかなかである
堀切の看板があったが分からなかった 残念!
駐車場
目標物
可児郷土歴史館
アクセス
国道21号を美濃加茂から土岐市方面に進みます
御嵩付近で花トピア右折の看板のある交差点を右折し、そのまま花トピアも過ぎ山を降りた所で左折し県道土岐可児線に入ります
そのまま進むと右側に可児郷土歴史館がありますので、そこに駐車します
大手曲輪です 大手曲輪にある井戸跡です

三の丸です(三の丸からの二の丸方向を望みます) 二の丸です

本丸です 本丸から二の丸・三の丸を望みます

城址碑です 石碑です

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