2012.2.3update
SAKIORI Japan/裂織の今           







                              sakiorijapan
    裂織の今 研究会
  E-mail:sakiorijapan@yahoo.co.jp
  URL:http://sakiorijapan.com

アート&クラフト 
裂織展&小品展 2011 ~私の発見~ 今を生きる裂織

とき:2011.11.23(水・祝)~ 11.27(日)終了

ご来場ありがとうございました!



         
裂織:アート&クラフト展 2010.12.15~12.19
≪「裂織の今」展≫ 2010.2.15~2.20
鈴木利子 (栃木 壬生町) 2009.12.25 2009.12.30掲載
恒松和子 (宮城 仙台市) 2009.10..22~28
嶺岸昭子(1928.4.21~2009.2.8)の築いた世界 2009.9.25~26
西本和枝 (新潟 佐渡市) 2009.9.12~9.30
岩谷純子 (秋田 にかほ市) 2008.11.8~11.14
伊藤弘子 (東京 練馬区)
  Hiroko Ito -- "HIROFU"
2009.5.7~5.19
お便り 庄司克子 (宮城 名取市) 2009.7.17
岡田くに子 (長野 長野市) 2009.4.1~
成宮けい湖 (滋賀 愛荘町) 2009.4.4~
若松美佐子 (東京 目黒区) 2009.3.10~
Sakiori Japan からのメッセージ
朝まだき 語り継ぐ裂織 深堀 習


裂織の今研究会主催 ―裂織:アートクラフト展―
2010.12.15(水)~12.19(日) 目黒区美術館区民ギャラリー
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                  「裂織の今」展

        ~全国の裂織に深く関心を寄せる織作家15人・15作品~
 2010年2月15日(月)~20日(土) 千疋屋ギャラリー (東京京橋)

 江戸時代 暮らしの中から生まれた裂織が、高度経済成長とともに見失われ、逆にハイテク時代にその裂織ならではの良さが再発見され戻ってきました。
 公募展第1回全国裂織展(2002年東京)に集まったエネルギーに満ちた美しい裂織作品を見ようと、5000人の人々が集まってきたのでした。8年過ぎようとしている今、裂織はどうなっているのか、その一番輝いているところを見たい、皆に見て頂きたいと、織作家15人の方たちの協力で「裂織の今」展は実現しました。

     
     

       会場奥から入口を眺める           会場入り口から奥を眺める

       
      ジーンズ裂織のチェスセット       会場入り口右手の壁面
                                                   ツヅク
                     
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 第3回 モノを大切にする心 再生デザイン大賞
読売新聞東京本社主催
大賞受賞  鈴木 利子さん (栃木 壬生町)
もったいない、もったいないねと母から娘へ 

  ダッフルコート
幼い頃、着古された布を母がパズルピースを埋めるように丁寧に貼り合わせて着物をこしらえてくれた。物を大切にする母の思いが私の中にも宿っているのか、捨てられていく資源をクラシックなダッフルコートによみがえらせた。
 経:綿糸 
  緯:布団側、ジーンズの耳、           綿糸
人を生かす ものを生かす 私の裂織人生
鈴木 利子

 受賞 20091225

東京大手町の読売新聞本社にて授賞式に出席してきました。

使い古しの布団側とジーンズの捨て耳で織ったダッフルコートが、思いがけず「モノを大切にする心 再生デザイン大賞」の大賞に選ばれたのでした。私にとって、裂織りは人生でとても大切なものを教えてくれました。人を生かすということも、ものを生かすということも、どちらも同じ心から発せられていることを。そして、それは私の創作活動に大きな財産となっただけでなく、私自身の生きる指針として心の根底にゆるぎなく宿っています。

私が裂織りをはじめたきっかけは、旅先で見つけた濃紺と紅で織った小さな化粧ポーチでした。その小さな布に込められた奥深く豊かな世界にすっかり魅了され、私もいつか裂織りを織ってみたい、そんな気持ちが湧き上がっていました。その頃すでに機織りは自分のライフワークでしたが、糸を素材にすることはあっても、裂織りに挑戦したことはありませんでした。

私がはじめに選んだ材料は、母からの思い出の品でした。それは、おむつです。ずいぶん前に両親が亡くなり押入れを整理していたときに、ダンボール箱がひとつ出てきました。その中には、母が残したおむつがぎっしり入っていました。ゆかたや布団側、日本手ぬぐいなど、ほころびは当て布をしてひと針ひと針母が手縫いしたものでした。今はもう紙おむつの時代。布のおむつなど使う人もいないだろうとずいぶん迷いましたが、決してものを粗末にしなかった母の心を思うと、捨てるに捨てられません。そうしてとっておいたおむつを、裂織りにしてみようと思ったのです。

糸と裂き布。組み合わせを考えながら織る楽しさは、糸だけで織るときとはまた違った味わいがありました。特に、す虫に喰われたり擦り切れたりした着物や、変色した胴裏、色褪せた布団側など、ゴミとして処分されてしまう布を素材として織り込むとき、とても幸せな気分になります。それは、自分の手で新しい命を生み出すことのよろこびなのでしょう。この幸福感は、いま自分の工房で障がいをもつ人たちと創作活動をしているときのそれと似ています。

私には重度の知的障がいのある息子がいます。息子に障がいがあるとわかった当初は、多くの障がいをもつ子どもの親がそうであるように、本人のこれからの人生を思い悩み、不安に苦しみました。彼が生まれてきたこと、そして私たちがその家族であることを、よかったと思える人生とはいったいどんな人生なのか・・・と。

長い長いあいだの暗中模索と試行錯誤の末やっとたどりついたのが 「織り」 でした。それは、さをり織りという「だれもが生まれながらに持っている『感力』」を織りに表現するユニークな織物でした。それまでものづくりなど何ひとつできなかった息子。感情を表すことでさえ、ほとんどない息子。彼がもし自分を表現するなら、どんなふうにつくるのだろう。想像もできない世界に興味と期待でわくわくしていました。息子にも興味をもってほしいと、まずは自分から織り機に向かい夢中になって織りました。しかし、当の本人はいっこうに関心を示さず、ただただ月日は流れていくばかりでした。本当にこれでよかったのか、息子にはやはり無理なのではないか、自問自答の毎日。

それから4年たったある日のこと、

「ボクもやる」
彼が突然言い出したのです。

織り機に向かった息子は、シャトルを手に縦糸に横糸をぐるぐると巻きつけていきました。それは織るというよりも、ものすごい勢いで織り機と格闘しているようでした。まるで、幼な子が殴り書きをはじめたときの様に似ていました。

これが、ファイバーアート作家 カズ・スズキの誕生です。

いま、工房には知的、身体、視覚に障がいのある人たちが地域の人たちといっしょに創作活動をしています。彼らの織るものには人の心をひきつける何かがあり、私たちにマネのできない不思議な魅力をもっています。これが『感力の表現』というのでしょうか。その魅力が引き合わせたご縁がたくさんあります。

私の作品に一部デザイン・縫製を引き受けてくださった澤井さんもその一人です。どんなに魅力ある織布も、障がいをもつ彼ら自身がそれをプロデュースすることはできません。彼らを支えるプロフェッショナルな力を、私たちはとても必要としています。一方、彼らといっしょにいると、彼らの人を思いやるやさしさ、あたたかさ、力強さに私たちが心を癒されていることを知るのです。

障がいがあるからと限られた人生をあきらめて過ごすのは申し訳ない。彼らは世界に羽ばたける力を十分に備えている。私たちがそれに気づいていないだけなのだと。ものを生かした母たちの暮らしは、私が裂織りに夢中になった原点。そして、息子たちがいきいきと生きる世の中が、だれもが希望を持って生きることの証。「人を生かすことも、ものを生かすことも、どちらも同じ心から発している」 裂織りから、そして息子たちから、学び続ける日々です。


                                       
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 ちりめん街道まるごとミュージアム 特別展示
裂織作家 恒松和子の作品展―

09.10.22~10.28  旧尾藤家住宅(京都府指定有形文化財)

日本の家の暮らしを思うままに楽しむ裂織

 丹後ちりめんの産地として、また丹後地方と京都を結ぶ物流の拠点として、江戸時代から明治、大正、昭和と栄えたちりめん街道。京都府与謝郡与謝野町加悦にあるこの街道の中心部にある日本の伝統的な家に、恒松和子さんの裂織を飾ってみたいという吉岡洋子さん(加悦在住)のたっての願いで実現した。

 全国を回る転勤族の主婦であった恒松和子さんは、30年前新聞の家庭欄で裂織を織る90歳の竹内つるさんの記事に触発され、身近に指導者を得られないまま独学で裂織を織ってきた。着物を日常的に愛用していたので、自分が締めるための帯、座布団、畳の部屋に敷いたり炬燵掛けにしたりの多用布、ソファカバー、そしてタペストリー。みな暮らしに日常的に使うものばかりだった。

 「季節が変わればタペストリーはかけかえるでしょ。タペストリーとしては色がはげてきたと思うと、布地と合わせて座布団にして、汚れてくれば洗い張りして仕立て直す。裂織主婦は忙しいのよ」と恒松さんは笑う。

 この恒松さんが第2回全国裂織展(2004年上野・きもの美術館)で大賞を受賞。「裂織なんて織りじゃないと言われて今まで人には裂織をしているとは言わなかった。
今回勇気を出して本当に良かった」と受賞の喜びを書いたお手紙をくださった。
 平織だけで、これだけの緻密なデザインの布を織りだす。裂織の真骨頂だと思う。それだけに、ちりめん産地のプロの面々にも、恒松さんの作品世界は新鮮で裂織を見直す深い印象を残したようであった。
                                     (撮影も:深堀 習)    
ちりめん問屋の前で
旧尾藤家前に立つ恒松和子さん
江戸後期の生糸ちりめん問屋として
間口は狭い
和室にて
藍の敷物の和室にきりっと
着物を着こなして座る

帯 帯 帯2点
帯 帯
帯
それぞれの季節感をもって
帯は和室によく似合う
大賞受賞作品
右が第2回全国裂織展
大賞受賞作品
タペストリー
 いたづらっ子が織ったような
茶目っ気たっぷりのタペストリー。
模様が織りだされていないところには、
線描の正方形がある。
やっぱり作品は実物をみなければね。
井之本 泰氏
 私たちが10年前に、初の裂織全国展を
するために勉強に行った京都府立
丹後郷土資料館の前資料課長
井之本 泰さんは、左のタペストリーが
一番好きだと言われる。

座ぶとん
凝った作りの座敷に合う茶系の座布団
こちらから見た眺めが美しかった

紅白の座ぶとん
ちゃめっ気タペストリーの部屋に
紅白の座布団が一組み映える


瞑想
大事な時には正座して瞑想

裂織があることでやわらぐ和室

座布団さまざま

和風の壁にあわせて

久留米絣を取り入れて

ソファカバーもさまざま

ソファカバー

ソファカバー

廊下の

部屋の一角

楽しいいろどり

「あ・お・き・み・あい・す」色ごとに細く
裂織して楕円につないだ丹念な仕事。
質問がたくさん出ていた。


ちりめん街道まるごとミュージアム
前夜祭には伝統の館で地元の若者たちの
ライブがあった!


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染織作家 嶺岸昭子(1928.4.21~2009.2.8)の築いた世界
作家愛用の衣服・織り・染め試作品展示と販売の会から

主催:日高京子 2009年9月25日~26日 東京世田谷区桜新町 池上邸  
 嶺岸昭子さんは、第1回全国裂織展が2002年、東京 中野で開催されて以来、毎回意欲的な作品を全国裂織展に出展し、第2回展では審査員賞を受賞。 また、毎年作品展を1回しているグループ「気になる衣」の“長老格”として認められた研究熱心な染織作家でした。幼いころからその手作りの衣服で育った娘、京子さんは「所持品はすべてを寄付するように」との母の言葉のもとに、この会を企画。嶺岸さんの作品を整理編集、CD-ROMに収め、来場者に提供されました。。                                 
 会場の提供から当日の運営まで、「気になる衣」のメンバーたちの全面的な協力もあってこの会は大成功。染・織を趣味とするお仲間や幼馴染の面々が沢山 訪れ、嶺岸さんの作品を手に取って語り合い、試着し心ばかりの対価で記念に持ち帰りました。                                         
☆☆☆
  この日の売上 23万9400円に補充して24万円が日高京子さんより、
「乳がんをなくす ほほえみ基金」に寄付されました。
   http://www.jcancer.jp/endowment/hohoemi/  

娘 日高京子さんの一番好きな服
中央に母の帯がある
(故)嶺岸昭子さん
2006年5月 撮影 飯泉 仁

染織を始めた母は庭の花々を
かたはしからデザイン
糸と素材と色と織の探究
あまりの試作品の多さにびっくり
さりげなくかけられていた暖簾があるお教室で大好評
一つづつ織りを眺め色を楽しみ語り合う 母の思い出の対話 染・織に生きた人の豊かさの
余韻のお茶


<詳細が「裂織の可能性」(は)のページに掲載されています。>

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西本和枝 裂織作品展
09.09.12~09.30 日本アマチュア秀作美術館

 
西本和枝 (新潟県 佐渡市)
    
 撮影 09.9.12 深堀 習
   さざ波  経:綿糸 緯:綿・古綿・絹 w 2170×h 1860
            07年8月 第4回全国裂織展審査員賞
 広い海原の遠近感を、波の高さや大きさの配列によって表現してみたいと、構図を仕上
げるまでとても苦労しました。色彩的にも微妙に変化させ、地味な中にも明るさを加えたい
思い、中心部には明るい色彩の布を織りこみました。素材の綿は一部藍染めにしました。
 

   裂織の可能性に目ざめて 佐渡の自然をテーマに織る
                            

 ログハウスの工房で説明する西本和枝さん

裂織にはまったわけ
 公務員の家庭に生まれ、スタートは親と同じ道でした。就職、結婚、出産、育児と公私ともに奔走している矢先、子どもに障がいのあることがわかり、退職。子どもの養育と、年老いていく親の介護にと、回りを振り向くこともままならない日々を送っていました。しかし、子どもの成長とともに、持ち前の好奇心も手伝って、子どもの余暇活動に裂織を取り入れてみようと思い立ちました。
 そして、子どもに教えるためにも、まず興味を持ってもらうためにも、裂織を学びあれこれ自分で工夫し研究するうちに、自分自身が裂織の魅力にはまってしまいました。

素材を生かし構図を考え表現する楽しみの発見
 成長する子どもの将来を考え夫と話し合い、福祉事業所を立ち上げてそれを軌道に載せていく行くことに一家で努力しました。夫が施設を作り運営を進める一方で、私は指導を担当しました。
 裂織の指導の内容や方法を考えながら、始めたころは、敷物や小物、バッグなどを作って楽しんでいました。が、織り進んでいくうちに、手織りで偶然できる模様では物足りなくなさを感じ、家に残された母の着物や布を使って、自分が考えた構図で、つたない技法でタペストリーや掛け軸風な作品を織っては、家の中に飾るようになりました。

裂織の限りない可能性を信じて進みたい
 夫にすすめられて、第2回全国裂織展に出品し、多くの作品に接して刺激を受け、織の勉強に力を入れるようになりました。第3回全国裂織展で美術工芸部門の佳賞を思いがけず受賞し、審査員の中野恵美子先生から「海辺に住む環境をいかして海をテーマにしていくのもいいですね」とアドバイスを受け、大きな指針となりました。そして、その布の持つ素材の良さを生かせる技法で、生まれ育った佐渡の自然をテーマに作品制作をするようになりました。
 裂織を初めて13年、裂織の限りない可能性を信じ、これからの人生の年輪模様を裂織で織り続けていきたいと思っています。  ∞

<詳細が「裂織の可能性」(は)のページに掲載されています。>

                            

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革・糸・布 遊び  岩谷純子展

―絵革 裂織 刺し子 草木染など―


2008.11.8 ~11.14 プラザイースト(さいたま市)

Uターンして 故郷の手仕事文化と出会い

   埼玉で50年間英語を教えていた友人が、一昨年スロー ライフの本拠を
故郷に求めた。そして昨年、埼玉で裂織など手仕事展をすると便りがあった。
訪ねてみて、その豊かさに圧倒された。 30年来の趣味、革工芸。
それにアフリカへの旅。そして故郷の伝統文化 裂織 刺し子。

穏やかに深い美しい世界が展開されていた。

撮影:岩谷 拓


   
革・糸・布 遊び --絵革 裂織 刺し子 草木染など--  
                            岩谷純子(秋田県にかほ市)


 
象潟の海と鳥海山を選んで
 浦和でのワーキングライフにピリオドを打ち、50年の時を経て故郷近く 山形・秋田県境 小砂川に戻って来たのが昨年(2007年)3月末のことでした。図書館・美術館は限られ、映画を観るにも1時間以上車を走らせねばと、文化とは遠い地と覚悟を決めてのふる里帰りでした。
 目の前の海、後ろに背負う鳥海山の四季が文化にまして魅力的と考えての移住でした。

伝統文化との出会い
 移り住んですぐに、草木染サークル…にかほ市、遊佐刺し子スクール…・遊佐町に参加させて頂きました。また手織工房“花がた”…にほか市金浦の毛利先生との出会い。どれをとっても私にとってこの上ない幸せな伝統文化との遭遇でした。それから1年数ヶ月夢のような楽しい時を過ごしました。 (写真: 鳥海山麓のブナ林で 撮影:深堀 習) 

絵革との取合せのすてきな効果
 染め、織り、刺す作品が30年続けた絵革との取合せで驚くほどの効果を出したりします。
素材は捨てられるような革はし、ボロ布、糸くず、古着など、思いつくままあらゆる物を使いました。モッタイナイもテーマの一つですが、それ以上に時を経た布、革、糸などの持つ深み、色のニュアンスなどにひかれます。

見て!見て!と言いたかったのかも
 浦和を去るとき「忙しい仕事をやめて、急に田舎に引っ込んで毎日何をするの?」と問いかけられていました。そんな友人達にこの手遊びを見て!見て!と言いたかったのかも知れません。それがこの企画の始まりでした。去年の暮のこと。
それから10ケ月の準備期間です。目もうすくなっての古稀のけい古始めの作品展と思ってお楽しみ下さい。各作品に対する思いなどもございます。どうぞ気軽にお声をかけて下さい。ご批評、ご感想など頂ければ嬉しく思います。(08.10.2)    (「お出かけ下さいましてありがとうございます。」と題されて、個展会場で手渡されたメッセージ)∞

<詳細が「裂織の可能性」(は)のページに掲載されています。>

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現代の藍絣「弘布」展から
Modern tie-dyed-ikat in indigo blue, "HIROFU" Exhibition

2009.5.7~5.19 玉川高島屋ルーフギャラリー
Roof-gallery of Tamagawa Takashimaya Department-store in Tokyo

第1回全国裂織展が2002年秋、東京 中野で開催されたおり、企画・展示に協力してくださった
伊藤弘子さんが、ルーフギャラリーで、「弘布」展を大規模に開催しました。日本の藍を大胆に
デザインし、現代的味付けで、日本の伝統文化を再生、世界に発信しています。         
 歴史的な裂織の原点には、藍との深いつながりがあります。さらに、現代の布作り、衣のデザイン
面からも参考になること大。 さっそく、ご登場いただきました。

In the begining of the history of sakiori, tie-dyed-ikat in indigo blue had been used for sakiori.
Modern Japanese ikat in indigo blue, "HIROFU" would be inspiration to sakiori weavers.
                           撮影: 佐藤公夫  PHOTO: Kimio Sato
伊藤弘子 現代の藍絣「弘布」
作品展会場正面 (ルーフギャラリー)
Exhibition in Roof-gallery

現代の藍絣「弘布」hirofu

                                    
伊 藤 弘 子
世界に誇れる日本の藍絣
 世界にはさまざまな美しい絣がありますが、藍と白の日本の絣は大変ユニークです。かつてわが国のどこにでも見られた庶民の絣は、和服の衰退と共に姿を消し、日常生活から忘れ去られようとしています。パリやニューヨークで、何人もの日本のファッションデザイナーが活躍しているのにひきかえ、世界に誇れる日本の伝統織物が衰退の一途をたどっている現状は、非常に淋しいことです。

「弘布」・直線裁ちの衣の提案
 藍染・手織の日本伝統のたて、よこ絣の美しさと確かさを広く多勢の方に知っていただき、再び生活の表舞台に登場させたく、久留米と伊勢崎で37cmと75cmの手織絣を織っていただいております。それを「弘布」と名付け、直線裁ちの衣を創りつづけております。直線裁ちにこだわる理由は、大切な布に出来る限り鋏をいれたくないからです。
 「一枚の布のコート」に代表される「弘布」は、ゆったりとフリーサイズ、流行に左右されず、年齢、性別を問わず、季節も問わず、カジュアルにも、ちょっとフォーマルにもオールラウンドに着こなせます。明日への新しい生活の提案の一つです。

89年銀座で「弘布展」以来20年
 1989年4月、銀座松屋、クラフトギャラリーで第1回の「弘布」展を開催して以来新宿伊勢丹、玉川高島屋、JR名古屋高島屋、京都高島屋、大阪心斎橋大丸、沖縄リウボウ、その他各地のギャラリーで個展を重ね、20年の歳月が過ぎました。
 何度も足を運んでくださる方、初めてお逢いする方、皆さん其々に、懐かしく素敵な方ばかりです。いきなり大胆なコートを颯爽と御召くださる方も、時々は、いらっしゃいます。大抵は何度か足を運ばれ徐々にご自分の「弘布」姿に納得なさって御召しくださいます。

冒険を共有する幸せ
 一着のベストでもブラウスでもきっとそれまでの、お召し物とは一味も二味も違う世界への冒険にちがいありません。その時の躍動感、高揚感をお客様と共有できる時、何よりの幸せを感じます。「衣」を仲立ちとした、同志なのです。
 「初雪」「淡雪」「雪窓」「さざなみ」「木洩れ日」など季節を感じさせる名前と「大玉」「横段」「縞つなぎ」「ジグザグ」など幾何学的命名をした文様は30種類をこえました。
 これらの美しい絣の着地点は、遥か彼方のようでもあり、案外すぐ近くなのかもしれません。 ∞
 <詳細が「裂織の可能性」(は)のページに掲載されています。>


The Explanation on HIROFU and its creator, HIROKO ITO
By Hiroko Ito

Hiroko Ito

Born in 1940 and graduated from Japan Women’s University.
At present a dyed fabric designer & textile designer, a member of Japan
Craft Designer Association and President of ITO Design Institute.
Exhibited works in Japan Craft Exhibition, Asahi Modern Craft Exhibition and Japanese Folk
Craft Hall.
Won the award in Asahi Modern Craft Exhibition.

Address: 3-31-5 Higashi-ohizumi, Nerima-ku, Tokyo 178-0063
Tel: 03-3922-8803
Fax: 03-3867-6639
E-mail: ITOhirofu@aol.com

HIROFU
Japan, a small island nation located in the far-east of Asia, stretches from north to
south and boasts a variety of beautiful natural landscapes, including many villages and
mountains. Its traditional art of textile has been appreciated as highly as those of India and
Persia.
The art of tie-dyed-ikat has appeared in various cultures throughout the world since
ancient times, but the Japanese form in indigo blue and white colors is quite unique.
I am afraid, however, that this beautiful tie-dyed-ikat might disappear from our daily
life, because Japanese traditional dress, once common throughout Japan, is being worn by
fewer and fewer people. Even the sophisticated technique used in its creation might cease to
be handed down.
Therefore, I would like to introduce Japanese traditional double-ikat, a hand-woven
indigo-blue textile, in the hope that it will appeal to many people throughout the world, and
that they will find pleasure in using it in their everyday lives. That is why I decided on
designing 75cm tie-dyed-ikat, which was formerly too wide to be hand-woven, with geometrical
figures to mach the contemporary environment of modern life.
Above all, straight-cut clothes in all sizes will be available for all occasions, casual and
formal, regardless of current fashion trends, for all ages, for both sexes, and for all seasons.

“HIROFU”, clothes which are as natural and free in feeling as deep snowfall, as clouds
in the sky, and as sunlight filtering through the mountain trees, are what I venture to suggest
for tomorrow’s life.




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お便り  2009.7.17  庄司克子さん(宮城県名取市)より                            

裂織のウェディングドレス(絽織り)と
裂織のフレンチのブラウスも!
   


ウェディングアップ ウェディング全身
経糸は絹・綿の糸。緯糸には羽二重の裂糸を
数段織り和紙モール糸で絽織りにし、幅45㌢、長さ14㍍の布地を織りました。

 飾りやヘッドの部分も、裂織地で仕上げ
ました。 ウェィングドレス全景。
工房の庭で。
夏のブラウスピンク 夏のブラウスブルー

経糸:緯糸の布地の色合いの綿紙糸、緯糸:綿の花柄の布の裂糸で数段織り、糸を替えて経糸と同じ糸で交互に絽織りを入れて織りあげています。

 経糸:緯糸の布地の色合いの綿糸。緯糸:綿の花柄の布地の裂糸で、段数をかえて、経糸と同じ糸で交互に絽織りをいれて織りあげています。

  以前からウェディングドレスをいつか作りたいなあと、思っていました。 手織りに出会って35年。私流の色と
デザインで布地を織りあげ、数々の作品を作ってきました。 昨年、股関節脱臼の手術で2ケ月入院。入院中に
羽二重の布地を裂き、退院してからの材料作りをしていました。 退院して体調を整え、長年の夢のドレスを織り
ました。 今年5月には次男のお嫁さんが結婚式に着てくれました。 出席の皆さまからほめていただき、そして
とてもお似合いで可愛かったです。

ピンクとブルーの軽くて夏にも涼しく着られる一点です。アトリエには裂織の作品が数々あります。これからも
やさしい色合い、風合いの軽くて気軽に着られる作品作りを心がけていきたいと思います。

ており工房 あんど ギャラリー ておりのいえ 庄司克子(宮城県名取市)





「岡田くに子 裂織展」 ~甦る悦び~
2009.4.1~4.27 旧長野県知事公舎 小川村郷土歴史館にて


静寂 漂う
             
              「静 寂」 w 760×h 1400         「漂う」 w 600×h 1980
                    斜紋織 経:エジプト綿       経:麻 緯:麻・銅線
                    緯:草木染綿・絹                   綿・絹

     「裂織15年の軌跡を故郷にみる」  岡田くに子(長野市)
                  岡田くに子さん
村を離れて50年
 このたび、生まれ育った故郷長野県小川村で同級生の皆さんの計らいにより、展示の機会を得ることができました。村を離れて50年、裂織にめぐりあって15年、意義深い節目となりました。

大自然の中で裂織と出会う
 振り返ってみると夫の転勤が小谷村に決まった時、私は学習塾に力を入れている最中でした。でも、子どもたちはすでに東京でしたので、自宅を留守にして、一緒にお世話になりました。そこで小谷村の伝統文化、『ぼろ織』に、はじめて出会うことができました。
 不用になった布たちが古い高機で織られて、みごとな輝きを見せてくれるのには驚きと感動の連続でした。大自然の中、山菜の宝庫でしたから、使い古しのシーツなどを草木染めして裂いて織ることから始めました。村のお年寄りに100年も前の機を探してもらい、先生に組み立てていただいて以来、ずっと今でも使っております。小谷村には3年の滞在でしたが、私の織りの原点となりました。

身近にある材料の甦る悦び
 私が裂織に関わり続けてこられたのは、身近に草木染の材料が豊富にあり、それを使って沢山ある不用になった布を染め、織ることで、その布が甦る悦びでした。子育ても終わり、やっと自分の時間を楽しむ幸せを噛みしめることでした。
 多くのお仲間から沢山の刺激をいただき、自分の中に少しずつ変化が出てきました。使う材料も草木染めした布から着物へ(綿から麻、絹へ)、織りも平織から網代や綴織へと広がり、素材や技法に幅が出てきました。

「実用のものづくり」と「心の響きの表現」と
 知り合いの皆さまから沢山の布をいただき、温かいお声がけもいただくお蔭で、私の織りは細くではありますが続いております。
 これからは生活の中に根ざした実用性のものとともに、心の響きをいかに表現するかをテーマに、体に無理ない範囲で布と対話していこうと思います。  ∞
<詳細が「裂織の可能性」(は)のページに掲載されています。>

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「成宮けい湖裂織展」
2009.4.4~5.6
 京都市白沙村荘(橋本関雪記念館)内 懶雲堂にて

湖愁
                           「湖 愁」 W2200×H1980 経:赤い綿糸
                                  緯:綿(中国の印花布など)
                                          2009.4.18撮影
成宮さん







成宮けい湖さん

「白沙村荘にて」


「琵琶湖テーマに裂織10年」成宮けい湖さん(滋賀県愛荘町)(談)  
            
裂織展に出会って
  私が裂織を始めたのは10年前。子どもたちがそれぞれに自立し、地域の医療に取り組んできた主人が亡くなってから2年後でした。新聞で読んだ児玉環さん(長浜市)の裂織展を訪ねて、すっかり裂織のとりこになりました。児玉先生の裂織で織ったタペストリーは、豊で力強く暖かく、裂織で創り出される世界のすばらしさに、魅せられました。「私にも織ることができるでしょうか?」とお聞きすると、「織ろうと思えば、誰にでも織れますよ。」と児玉先生はおっしゃったので、さっそく、児玉先生の主宰するおうみ裂織の会に入会し、第一歩から習いました。

三代受け継がれた布と対話しながら
  成宮家は三代続いた呉服屋です。家には100年前の大ばあちゃんの着物から、祖父母、父母と代々大切に受け継がれてきた着物、丹前、布団、風呂敷などたくさんの布が、きれいに洗って仕舞ってありました。私自身も、一寸の布でも「もったいない」と大切にする環境に育ちました。
ですから、裂織の材料は潤沢です。でも、土を耕し桑を植え蚕を育て絹糸を作った人たち、それを染めた人、織った人、着物に縫った人など自分の手に届くまでにどれだけの手を経てきたかを思うと、裂く前にみんなに感謝の手を合わせてから裂きます。三代着て擦り切れたものから裂きます。
  何十色もの布を裂き、色別に引出しに収めながら、何を織ろうか考えるのは至福のひとときでした。織り始めると布にまつわる色々の思い出がよみがえり、布との対話が生まれ、思わずひとり言を言いながら織っていることも度々です。

琵琶湖がいつのまにかテーマに
  児玉先生の工房までは、自宅から車で1時間ほどかかります。毎週通うごとに迎えてくれる朝の琵琶湖、そして一日織って満ち足りて帰る時の琵琶湖のやさしさ。琵琶湖に沿って通ううちに、湖の表情の豊かさが心に沁み、タペストリーに織りたいと思うようになりました。そして「琵琶湖は永遠のテーマ」となりました。イメージが固まり、デザインが決まると無心に織り続けます。
  一人で暮らす自由な生活の中で、裂織が生きがいとなりました。1日10時間以上織り続けることもしばしば。パンをかじりながら16時間も織ったこともありました。それでも幅2~3㍍、縦2㍍の大作を織り上げるには半年ぐらいかかります。織り上げ、仕上げた時の達成感は言い知れぬ喜びとなります。そして、ご先祖たちの布が喜んでいるようにも感じられるのです。こうした大きな作品はもう手掛けられないかもしれないけれど、感謝と家族の平和への祈りをこめ、これからも布の後始末を裂織の形に表現していきたいと思っております。
 
愛荘町文化の発信基地に
  私の初めての個展は4年前、地元の滋賀県内外の芸術家が発表の場としている「駅ギャラリーるーぶる愛知川」で、開催されました。昨年は、愛荘町立歴史文化博物館で開催。愛荘町の豊かな自然と歴史、生活を愛する人々の、文化を育てる努力の一環でした。今、私たちはこの地域のボランティアで「こころばえ」の会を立ち上げ、滋賀県で唯一残っている大正末期の貴重な木造建築(旧愛知郡役所)を、芸術活動の拠点として残そうと力を尽くしています。裂織という生活文化を表現媒体に選んだ者として、現代に息づく文化を世界へ発信していきたいと、仲間たちとがんばっています。 ∞
<詳細が「裂織の可能性」(は)のページに掲載されています。>

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第72回 新制作展受賞作家展 スペースデザイン部門から
建築会館ギャラリー(東京港区) 2009.3.10~3.15

新作家賞受賞 若松 美佐子さん (東京 目黒区)
                                      2009.3.10撮影
若松さん作品「まぁっ」
                       「まぁっ」 W2700×H1400 絹・麻 受賞作



若松さん受賞作「ふーむ」
                    「ふーむ」 W2800×H1000 経・緯:絹 最新作

             若松さん作品「層奏」  「層奏」 W400×H400 綿
                                  (布で構成された作品)

            
 
造形的な裂織タペストリーで受賞

若松美佐子さん談:
     絹は発色がよく質感もよい、織り上がりがふわふわしていないところが好きです。
     経糸に未精練の絹糸を使用。綴れで織ったもやった裂織の質感と、光った糸の
     質感を効果的に対比させてみました。
     裂織の材料にする絹の着物は、祖父母・母から受け継いだもののほかに
     骨董市などでも潤沢に手に入ります。今は裂織をする人たちの天下、裂織素材の
     着物の全盛時代だと嬉しく思っています。
     素材は自分の必要な色に全て染めて使用しています。

     
      第1回 全国裂織展 裂織織芸術部門 審査委員賞受賞作品
若松さん作品「響想」  

     「響想」  W1100×H1600×D80 絹・麻

    繊維の側面と断面の持つ色彩の美しさを表現してくれる
    裂織。何とも複雑であやうく、高貴に時代を渡って来た
    絹布。
    現代の私がこの両者の力を借りて、「明るい力の響き」の
    様なものが表現できたであろうか?



    (公募展 第1回全国裂織展 図録より)
     
      第2回 全国裂織展 裂織織芸術部門 入賞作品
若松さん作品「包想 Ⅱ」

     「包想 Ⅱ」  W1300×H1800×D70 麻・絹布

    入学・卒業式に母が着ていた黒の絵羽織。
    悲しみの日に着た黒紋付。
    兄や姉の結婚式に着た黒留袖。
    喜び・悲しみを包んできた黒衣。
    さあ今、あなたのありのままの黒を観せて下さい。
    そのために、わたしに少しだけお手伝いさせて下さい。

    (公募展 第2回全国裂織展 図録より)
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SAKIORIJapanからのメッセージ
2010. 8. 1

 

裂織の今
                        深堀 習

 

その日 私は玉川学園駅にほど近いギャラリーを訪ねた

その名が「私を着て」という意味の英語名

裂織の若手が出展していると聞いていた

カット専門店の外階段を上がった二階のギャラリーは

自然光が入り ほどよい広さ

彼女が不在なのは一わたり見てすぐわかった 

 

しかし 目を引かれるものがあった

今まで目にしたものとはちょっと異質な洋服たち

あたりを明るくする緋のゆったりしたジャケット 

どの服にも合いそうな新鮮な黒のコート

裂織のようではあるが 

きりっと織られた布の表情が並ではない

近寄って思わず手を伸ばして触りそうになったとき 

どうぞと声があった

 

風情ある黒いワンピースがよく似合う 手織りか

大人の美しさを感じさせる女性だった

手に取って手触りを確かめていると

彼女は語りかけてきた

着物を染めて裂いてしっかり縒りをかけて織っています

ほら このゆったりしたラインは直線裁ちで 

あまりハサミを入れずに仕立てているんですよ

和裁のやり方ですけど

 

彼女はコートをボディからはずしながら続けた

わたし 以前は紬を織っていました

私は思わず尋ねた

どうして裂織を始めたんですか

今はみんな着物を着ないでしょう だから

今着る物を作りたいと思ったんです

丸顔のおっとりした表情とは異なる

りんとした声

 

作家を見つめて私はさらに尋ねた

着尺を織る世界では

裂織は織りではない

と言われてきたそうですね

彼女は答えた

わたしの習った先生はもういませんから

頬が紅潮していた

 

裂織だけの全国公募展が

初めて開催されたのは二十一世紀の初め

もう十年近い

織りの世界にも新しい風が吹こうとしている


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布で布を創る喜びの発見

裂織は 多様な繊維 あふれる現代 豊かに成長しています


Sakiori Japan/裂織の今

人類の歴史に布が登場したときから、布は大切なものでした。
寒さ、暑さ、いろいろな怪我から体を守り、活動を助け、暮らしを楽しみ、社会的な生活を営むために無くてはならない布。
それだけに木の皮や麻などのかたい繊維の次に綿が登場した江戸時代、日本の庶民にとって木綿布は大変貴重であり、その資源を最も有効に使う方法として「裂織」は各地で工夫されました。
布資源を有効に生かす工夫として生み出された裂織は、世界各地にあり、今もさまざまなかたちで残っているようです。

繊維産業の発達で繊維製品が明治以後、安価に手に入るようになり、「裂織」はいったん途切れました。ところが第二次世界大戦末期から終戦直後、極度の物資不足を補うものとして復活しました。そして産業が復活し、一層豊かなモノ余りの時代になるにつれ姿を消したかに見えました。
しかし「裂織」は、手織りを愛する人々によって“草の根”運動でもあるかのように織り継がれてきました。それは、2002年東京中野区沼袋の個性的な展示スペース、シルクラブで開催された、第1回全国裂織展の大盛況が明示していました。その結果、協会が設立され、2007年上野の森美術館で開催された第4回全国裂織展まで、全国的に裂織が豊かに個性的に織られているようすを明らかにしてきている。

裂織だけの全国展が順調に開かれる中で確実に裂織人は増え「裂織」の知名度もあがり、裂織ブームとさえ言われるようになりました。手織り人口がどんどん減少してきた中で、裂織ブームが歯止めをかけたと評価する向きもあるほどです。
しかし、現代の「裂織」をめぐる状況は複雑です。たとえば、「習いたい」と思っても、「見たい」と思っても、「もっと裂織の技術を向上させたい」「もっと裂織について知りたい」と思ってもどこへ行ったらよいかわかりにくいのです。
また、「裂織」の原点となった「歴史的な裂織」と、「現代の裂織」は素材も、織る動機も、教育システムも、織った布の用途あるいは何を作るかも、織る人もずいぶん違います。伝統的な手織りの世界では認められなかったといわれる「裂織」が、今新しい方向を模索を始めています。
ご一緒に、現代の生活文化として考えてみませんか。                     ∞   TOPへ





朝まだき
 語り継ぐ裂織
          深堀 習

ブラインドを通して朝の光が照らす一冊の図録
定年を前にして衝撃を受けた本
アルファベットの並んだ表紙一面に
様々な古木綿布を細く裂いて織り込んだ裂織
擦り切れているところまでが美しい写真だ

九四年サンフランシスコ民俗工芸博物館の裂織展
RICHES FROM RUGS
「古布から生み出す豊かさ
日本の農作業着における裂織と他の再生の伝統」
先進国のどの文化でも衣服の歴史は
支配階級と一般の人々と二分される
その差が日本では極端であったという
人々は極限状態のなかで衣生活を切り拓く


着る物はみな女たちの手で作られた
木の皮をはぎ麻を育て
糸を紡ぎ布に織り上げて衣を縫う
ほころびれば丁寧につくろう
北の寒い地帯では布を重ねて刺した

江戸時代になって綿の栽培が南で普及
綿の育たない寒い地帯にも
木綿は端切れや古布として届き
布として使えない部分は細く裂いて織った
水も風も棘も通さない暖かい丈夫な布
裂織は一生ものと言われ大切に着た

秋の収穫がすみ冬支度を終えると
白い雪の中 時間だけがある世界で
女たちは夫を想い子どもたちを想って
誰にも邪魔されることなく織った
創造の喜びが織り込まれた裂織
今その裂織が外国でも高く評価されている



日本でも繊維産業の発達とともに
既製品に取って代わられていった裂織
第二次大戦前後の窮乏期に復活していたという
そして高度経済成長とともに再び忘れられていく

二十一世紀を前にその裂織がブレイクした
裂織の全国展を開こうと女たちが声を上げたのだ
布の命を一度は生きた布を裂いて織る
その類いない表情に魅せられた人びとが
手織りの魅力を発見した人びとが
全国各地から 誰も予期しなかった
多彩でエネルギーに満ちた裂織の数々を寄せたのだ

人が宇宙に行く時代
ありとあらゆる布が
ファッションが
簡単に手に入る時代
裂織が私の心をつかんだ

気がつけば
多種多様に生きた布たちが
現代の織手を待っている
捨てられてよい布は一つもない
さらに生きる布のいのちを
私も手渡していきたい
現代裂織の語り部として
                       ∞






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