〜もしも今日が雨ならば〜

 

  それは文化祭も終わり、数日が過ぎたある日の事だった。秋空はいつものように晴れていて、薄い巻雲とやわらかな日差しは、何事もない一日を期待させてくれる。

 平和な一日、それが一番大切で、得難いものだというのはとてもよくわかっていた。だから、こんな空を見るのはとても幸せだったんだ。

 

 

 

 でも、そういう幸せな時間ってすぐに終わってしまうんだよね。

 HRも終わり、いそいそと帰り支度をしていた時だった。僕は、背後からあらぬ気配を感じて手を止めた。

 

「ねぇ鳩羽君」

「委員長が現れた」

「私は怪物かなんかかいっ!」

 

 顔を上げてみると、そこには呆れた顔をした委員長。なんとなく女心と秋の空という諺が脳内に浮かび、ふと窓を見れば、なにやら空には薄雲がかかっていて、太陽はどこかに消えていた。

 平和な一日というのはかくも短いものなのか……そんなことを思いながら僕は委員長へと尋ねる。

 

「なに?」

「あーその、鳩羽君今日暇?」

 暇だけど……

「状況による」

「何よそれ」

「だって……」

 委員長がこんな風に話しかけてくる時って何か厄介ごとを持ちかけてくる事が多いし、経験上。言わないけど。

「あ、さてはなんか変なこと頼もうとしてるとか思ってるでしょ。大丈夫、今日は荷物運びとかのお願いじゃないから」

 言わなくてもばれていたらしい。あと、今日はっていうことはその内やらせるつもりだろうか?

 諦めて首を縦に振る。

「うん、特に用事はないけど……」

「よし」

「何がよしなの?」

 

 ガッツポーズをした委員長を見て嫌な予感がした。見れば、既に青空は黒一色に塗り替えられていた。グラウンドでは、寒風に落ち葉が舞っている……っていくらなんでも早すぎだろ!?

 

「あ、そうじゃなくて」

「何がそうじゃないの?」

「あーっそれじゃなくて!いいでしょ、ともかく話を聞きなさい」

「……はい」

 理不尽なのには慣れていた。おとなしく話を聞くことにすえる。

「ほら、数学の宿題明日まででしょ、だから……」

「やだ」

「って即答かいっ!」

「宿題は自分でやらないとね。それじゃ」

 

 僕はそう言って立ち上がった。ちなみに、僕の方は出たその日の内に終わらせてある。

 それに、今日は、この後つばさと商店街で買い物をする約束があるんだ。委員長には悪いけど、今日の所は断らせてもらおう。あれ位なら、教科書を見ればどうにか解けるだろうし。

 

「くっくっく」

 

 だけど、そこで僕は怪しげな笑い声を聞いて立ち止まった。周囲を見回したけど明穂はいない。そういえば「今日は私は家にいるから、つばさとしっかりやってきなさいよー」とか言っていた気がする。何をしっかりやってくるのかはあえて聞かなかったけど。

 あと『怪しげな笑い声』で、真っ先に明穂の事を考えたのは秘密にしておこう、呪われそうだし。

 と、明穂の事はいいとして……

 

「……何で笑ってるの委員長?」

 視線の先で怪しく笑うのは委員長。

 壊れた?それとも僕が言った何かがツボに入ったんだろうか?だけど、悩む僕を後目に、委員長はやれやれとばかりに独語する。

「野乃崎も大変ね……」

「はい?」

 要領を得ない言葉に思わず問い返す、話が妙な方向に進み出した。何でここでつばさが出てくるの?

「あの子、明日から特別メニューなのよ」

「特別メニュー?」

 聞き慣れない言葉に、少し考える。体育会系だし朝練でもするんんだろうか?

 首を傾げる僕に、委員長は得意げに続けた。

「あの子声量が足りないから肺活量を上げようと思ってね。タイヤを引きずってグラウンド三周、その後うさぎ跳びで校舎を十周、それから……」

「……ってそれいつのスポコンアニメ!?」

 

 得意げに続ける委員長に突っ込んでしまった。さすがは体育会系……じゃなくて、これってもしかして、いや、もしかしなくても……

 

「折角だからうさぎ跳びの時はバニーちゃんになってもらおうかしら。上がり症も治したいし……」

 それはちょっと見たいかも、じゃなくて!

「脅迫?」

「何の事やら〜♪」

 

 今度は陽気に笑う委員長、間違いない、つばさを人質(?)にして宿題を写させる気だ。

 さすがに本気でやるとは思えないけど、万が一本気でやらされた時の事を想像すると、バニーなつばさの泣き顔が目に浮かぶ。ついでに、それを見て鼻を押さえながら委員長に斬りかかる珠美ちゃんの姿と、何故か僕をけしかけようとする明穂の姿も。

 ……色々とシュールだった。

 ふと外を見れば、既に水滴が窓を叩いている。さっきまでの青空はどこへやら、暖かな陽気に包まれていたはずの校庭には、鞄を頭上に掲げて走り去る生徒の姿がちらほらと見えた。

 はぁ……平和な日常は本当に貴重なんだな。僕は、激動の世の中にため息をつくけど、結局の所、それを受け入れるしかなかったんだ。

 

「……今回だけだよ、あと、つばさと買い物してくるから1時間位してからね」

 もう一度ため息、不条理なのには慣れている。これが原因で殺人事件が起きても困るし、騒がしい背後霊がこれ以上増えても困るしね。

「やたっ!さすが妹思いの鳩羽君♪」

「怒るよ?」

「冗談冗談、感謝してるって」

 

 

 

 その時、僕は、全然感謝していなさそうな委員長を見ながら思ったんだ。

 委員長って、本来不真面目な生徒を指導監督するような人間がなるんじゃなかったっけ?って……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、待った?……ってお兄ちゃんどうしたの?」

 靴を履き、ぼんやりと委員長をどうあしらうかなどと考えていたら、つばさに声をかけられた。どうやら、挨拶されたのにも気づかなかったらしい。雨音のせいにしておこうかな。

「あ、気にしないで。こっちのこと……じゃないな」

「変なお兄ちゃん♪」

 

 くすくすと笑うつばさだったけど、それは数秒と持たず、委員長の来訪を告げる僕の言葉に真っ青になった。

 

「部長さん!?来るの!?今日!?」

「うん、委員長、来るの、今日」

 焦ったのか、文節ごとに区切るつばさにつられて、こっちまで同じように答えてしまった。ここまで慌てなくてもいいんじゃないかと思うんだけど……どうもつばさって委員長の事苦手みたいなんだよね。

「嘘?何で?どうして!?」

「嘘じゃないよ、宿題を写しに来るんだって」

 本人は『教えてもらう』つもりなんだろうけど、答えを見て書くのは『写す』だけだと思うんだ。あと、つばさ慌てすぎ。

「うう……不遇だよ……」

 落ち込むつばさに、尋ねる。

「つばさが嫌なら断る?」

「駄目駄目!絶対駄目っ!?そんな事したらとんでもないことになっちゃうよ!?」

 慌てるつばさ、っていうか必死だ。

「まぁ冗談だけど」

「お兄ちゃん意地悪だよ……」

 

 そして半泣きなつばさ、ころころ変わる表情が面白くて、ついつい遊んでしまったんだ。ごめんね。

 まぁ、今更来るななんて言ったら矛先がこっちに向くしね。

 あと『とんでもないこと』と言われた瞬間に、バニーちゃんなつばさが、泣きながらタイヤを引っ張って土手を走っているのを想像してしまった、もちろん背景には夕陽。

 明穂だったらこういう展開好きそうだけど……っていうか、背後霊になって「つばさ!気合いよっ!根性よっ!!」とかやってそう。もちろん目は炎だ。

 そのさらに後ろでは、珠美ちゃんと委員長が、なぜかお互いぼろぼろになって、笑って河原に大の字になっている。雨降って地固まるはスポコンの基本だよね。

 ……でもさすがに最後はないか。

 

「まぁまぁ、そんな緊張しなくても大丈夫でしょ。つばさに会いに来るわけじゃないんだし」

 ひとまず、脳内に響く「不遇だよぉー!!」の叫び声を打ち消しながら、僕は努めて笑顔を浮かべ、言った。

「そういう問題じゃないよー」

「そうなの?」

「そうなの!もし不始末があったりしたら明日から部活に行けないよぉ……」

「不始末って……」

 落ち込むつばさを見て苦笑する。本当に体育会系なんだな、演劇部って。

「帰りにお茶菓子買わないと……和菓子がいいのかな、洋菓子がいいかな」

「両方買ったら?食べなかった分は後でみんなで食べれば無駄にならないし」

「そ、そうだね。お兄ちゃん、急ごっ!早く帰って片づけなきゃ」

「外、雨だけど」

「急いで傘差すのっ!」

 

 何で僕が怒られてるんだろう……傘を広げようとするつばさを見ながら、僕はため息をつきながら、傘を開く。

 外は相変わらず雨が降り続いていて、もう校庭にはいくつかの水たまりが出来ている。ずいぶん降ってるんだな……本当、さっきまでの晴天はどこに行ったのやら……

 千早ちゃんの落ち込む顔が目に浮かんだ。折角だからアイスクリームでも買ってあげようかな。

 そんなことを考えながら僕は歩き出そうとしたんだけど……

 

「……つばさ?」

 何故かつばさが硬直している。急ぐんじゃなかったの?

 

「な……何これ」

「つばさ?」

「うう……不遇だよぉ」

 そんなことを言いながら、立ちすくむつばさ。って泣き顔でこっち見られても困るんだけど。

「どうしたの?」

「今日は雨が降りそうだからって、お姉ちゃんが折り畳み傘持たせてくれたんだけど……」

 つばさはそう言って傘を差しだして来た。

 傘を見る。少し汚れてはいるけど、そんな変なところもなく無事そうだけど……

「うわ……」

 開いてみるととんでもない事になっていた。骨は折れてるわ、見えない部分は穴だらけだわ……

「お化け傘?」

「……うん」

 いくらお化けだからって傘までお化けを渡さなくてもいいのにと思う。

「それにしても、こんなの一体どこから……そういえば、壊れた折り畳み傘を、捨てようと思って納戸に置いてあったけど、もしかして?」

「もしかしなくても……この柄見覚えあるもん。ずっと前使ってた折りたたみ傘、朝は急いでたから気づかなかったけど……」

「何でわざわざそんなの……あ」

 

 そういえば、朝明穂が『あの顔』をしていた事を思い出す。何か企んでいる時のあの笑顔、一体何を企んでいたんだろうと思ってたけど、明穂……

 

「相合い傘イベントとかいうつもり?」

「え?え?相合い傘!?」

 しまった、声に出していたらしい。真っ赤になってこっちを見るつばさに気がつく。

「つばさ、声大きい」

 周囲にいた生徒が、何事かとこっちを見ている。

「え……あ、ごめんなさい」

 ますます赤くなるつばさ、そして沈黙。なんか気まずかった。

 

 雨音は続いていて、止む気配はない。目の前に続く道では滴がはじけている。傘を持っていないのか、軒下で雨宿りをする生徒達は憂鬱そうだ。

 それにしても、わざわざ納戸からこんなのを引っ張り出すあたり、千早ちゃんも巻き込んでるな、全く……

 

「まぁ、仕方ないか」

 このままここで待っていてもしょうがない、委員長も来るだろうし。明穂に乗せられるのは今に始まった事じゃないしね。

「え?お兄ちゃん?」

「行くよ、つばさ」

 戸惑うつばさの手を引いて、歩き出す。すぐに雨音が近づく。

「ほら、もっと側に来てくれないと濡れちゃうよ」

「え、でも……その……」

 僕の傘は折りたたみじゃないけど、二人一緒だとさすがに側に寄らないと厳しい。

「いいから、こうしていてもしょうがないしね」

「で、でも……相合い傘だよ?」

 恥ずかしそうにこっちを見てきたつばさに、問い返す。

「僕と一緒は嫌?」

「嫌じゃ……ないけど」

 うつむくつばさへと一言。

「それに、つばさがその傘みたいになったら困るしね」

「え……あ、あうう……」

 少しいたずらっぽく言うと、つばさは案外本気で悩み始めた。

 つばさの脳内で、明穂への遠慮と、委員長の恐怖と……そして、もう一つの感情がせめぎ合っているらしい。委員長もどれだけ怖がられてるんだか。

「行くよ」

「え、あ……」

 それでも悩んでいるつばさを強引に引き寄せて、傘に入れる。つばさの暖かさが寄ってきて、少しだけ幸せな気持ちになる。こんなに近くに、幸せがいるんだから……

 

 だから……

 

「うう……優遇だよ……」

 ちょっとだけ聞こえてきた言葉に、その言い方ちょっと変だよ、と突っ込むのはなしにしておいたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ落ち着いてきた雨の中、電車から降りた僕とつばさは、どちらが言うともなく商店街へと足を向けていた。通い慣れた通学路、特徴のない住宅がびんやると先に続く。

 さっきみたいに、大粒の雨が弾けるなんて事はないけど、どんより暗い空からは、延々と雨粒がやってきて、傘を叩く。

 すぐ側からはつばさの息づかいが聞こえてきて、つい意識してしまった。つばさの方も同じらしく、ふと見て、目が合ったと思ったら慌てて視線をそらされた。

 見慣れた景色の中で、いつも通りに回っていたはずの歯車に、相合い傘という単語が挟まって固まってしまった、そんな感じだ。

 灰色の住宅街には人気がなくて、聞こえるのは雨音ばかり、傘の下には気まずい沈黙が漂っていた。

 困ったな、何を話せばいいのかわからない、でも話さないと間が持たない。こんなんじゃ明穂が怒るだろうなぁ。そんな事を考えながら歩いていたんだ。

 

 

 

「お、お兄ちゃん!」

「なに?」

 

 まもなく商店街だというときに、突然大声でつばさが話しかけてきた。驚いてつばさを見て、その顔に微妙に朱が差しているのを確認、そして若干の沈黙。

 

「えっと……その……お茶菓子何がいいと思う?」

 しばらくして、なんか無理矢理っぽい笑顔でこちらを見るつばさ、その声がだんだんと小さくなっていく。僕は、つばさの声が消えてしまわない内に、言葉を返した。

「そうだね、両方買っていけばいいんじゃないかな」

「そ、そうだよね。それが一番だよね!」

 

 再びの沈黙、そしてお互い苦笑する。

 

「さっきもこんな事話したよね」

「そうだね、答えも一緒だった」

 そう言ってもう一度お互い笑いあう。歯車から異物がとれて、くるくると回り出した。

 

 

 

「怪獣かなんかが来るんじゃないんだから、そこまで気にしなくてもいいと思うんだけど」

 ケーキがいい、いや軽くつまめるクッキーか何かを、と一人悩み出すつばさへと僕は言った。すぐに返事が返ってくる。

「そんなわけにはいかないよ、部長さんを刺激しないようにちゃんとしないと後が怖いもん」

 怪獣はスルーなの?つばさ。という突っ込みは置いておいて、僕はため息をつく。

「お化けに、神様に、辻斬りまで来てるんだから、今更委員長の一人や二人、そんなに怖がる事はないと思うんだけど……」

 こうして考えると凄い家だと思う。親父も、留守の間に我が家が人外魔境の無法地帯になっているなんて思わないだろうなぁ。

「お兄ちゃん……たまちゃんの事そんな風に思ってたの?」

「……内緒にしておいて」

 苦笑いするつばさに頼んでおく。

 つい口が滑ってしまった。ちなみに、ばれると本当に辻斬られそう……って思ったのは辛うじて口にださずにすんだ。

「どうしよーかなぁ♪」

「部長さんを……後が怖い」

「絶対言わないよ、お兄ちゃん」

「ぷっ」

 妙に真剣な瞳で僕を見るつばさがおかしくて、ついつい笑ってしまった。

「笑わないでよ……」

「ごめんごめん、内緒にしておくよ、約束」

「うう……失言だよ」

 

 そんな会話を楽しんでいる内に、唐突に雨音が止む。

 

 

 

「「あ……」」

 声が揃って、思わず立ち止まった。

 さっきまで降っていた雨は上がり、曇り空は少しずつ青く変わってゆく。水たまりに光りがたまり、落ち葉が一枚浮いていた。

 

「雨、止んじゃったね」

「そうだね」

 つばさの声に、静かに答え、黙って傘を畳む。つばさが何か言いかけた気がしたけど、僕は気づかないふりをした。

 僕も少し惜しかったけど、空はもう晴れていて、秋の風が吹いてきて、傘の時間は終わってしまっていた。

 少し寂しそうなつばさの視線の中で、畳まれた傘がぱちりといった。相合い傘はこれでおしまい。

 

 でも……

 

「手をつないでいこうか?」

「え?」

 戸惑うつばさの返事を待たず、その手を握って僕は歩き出す。少しだけ遅れて、つばさも、おどおどしながら僕の手を握ってくれた。

 傘を左に持ち替えて、小さなつばさの手を引きながら、僕は思ったんだ。

 今日の天気はころころ変わったけど、こんな一日も悪くはないかなって。

 

 

 

『おしまい』

 

 

 

後書き

 本当は別SSの序章になるはずだったお話です。おかげで終わらせ方が結構微妙になったりorz

 ちなみに、一次二次通じて恋愛ものを書くのは初めてだったりします。書いている途中に作者が恥ずかしくなってしまったのは内緒(おかげで心理描写が最低限にorz)