小次郎と夏の日

 

「こ、こんにち……」
「かあああああああっ!!」
「ほわぁぁああああっ!?」

 扉からおずおずと顔を出した小娘を一喝する。そやつは、間の抜けた叫び声を上げて逃げ出していった。
 気だるい昼下がりに、景気づけの一発。これでここのじじばばどもも、少しは暇を潰せるだろう。何人か驚いたままあの世逝きになった所で、そんな根性なしどもの事は知らん。
 館内にごみ箱や小娘が転がる音が響き渡り、笑いや気遣いが混じった声が聞こえたが、やがてそれも消え、ここは静かになる。





「……夏風が心地いいわい」
 しばらくして、独りごちた。
 ずいぶんとやかましい蝉時雨や、遠慮会釈のない日射しの中を、山からの風が吹き抜ける。ゆっくりとカーテンが揺れる。思わず頬が緩んだ。
 この辺りは街から離れ、夏の匂いがしっかりとして気持ちよい。木と、土と、生き物と……一緒くたにした匂いを嗅いでこその夏じゃ。 
 クーラーとかいうものもついているらしいが、涼しい夏など風情もなにもあるものか。たたき壊してやったわ。
 代わりにつけた風鈴は、涼しげに鳴る。からからと鳴る音を聞き、夏を感じるのは実に風流、騒がしいモーロクじじいどもと一緒に、芸能番組だのを見るのは性に合わん。
 


「ふん」
 たった独りの部屋の中を、静かに風が吹いていく。
 山の匂いは鮮烈で、蝉時雨は止むことがなく、日射しが肌を刺す。太陽は中天を過ぎ、転がり始めたが、未だ暑い……ただ暑い。
 昔、こまりと共に過ごした夏はどうだったか……ここよりももっと暑く、もっと心地よかった記憶がある。
 暑くなると、縁側に座り、こまりと二人西瓜を食べていた。ここのようなしみったれた部屋ではない、広い広い畳の上を、夏風が過ぎていった。
 あの時の西瓜は大層うまかった。近くの川で冷やし、頃合いを見て二人でとりにいったものだ。こまりはとろく、幾度もずぶぬれになっておったが……
 じゃが、兄の名を呼び、わしに西瓜を食わせるこまりは幸せそうだった。わしも、きっと幸せだっただろう。例え、我が名を呼んでくれなくとも、それでも……
 今は独り、部屋にいる。



「ふん……」
 外を見れば山の景色は昔と変わらず、緑が空へと昇っておる。こまりがおった頃と変わらぬ、拓也や、小毬がまだ外で駆け回っていた頃となんら変わらぬ。
 届かぬ幸せに手を伸ばそうとし、押しとどめた。いかん、わしはここまで耐えたのだ、これは、墓場まで持って行かねばならん腕だ。
 あの小僧っこは、わしをあと80年は生きるとかほざいておったが、それはあるまい。人は老い、死ぬ、それが定めじゃ。
 そして、そのあと数年か、十数年の幸せの為に、きゃつらの幸せを奪う事はできん。
 おそらく、小毬と小僧を呼べば、あの頃のような幸せを感じる事ができるかもしれん、いやできるじゃろう。
 だが、どうしてもわしはそれを恐れる。
 たった一人のわしの希望を、兄の希望を、拓也の希望を……そしてこまりの希望を傷つける事は怖い。
 妙な小僧が現れ、あの事故があり、そして現在がある。
 あの小気味よい小僧が言うには、小毬はもうだいじょおぶ、おっけいですよとの事だ。いまいち安心できない口調じゃったが、まぁきゃつは嘘はつかぬだろう。騙される事はあっても、騙す事はできそうにない、今時珍しい小僧じゃ。
 だが……危険は冒すまい。小毬は、わしの側に寄らせるわけにはいかぬ。

 もう、失うのも、失わせるのも十分だ。
 老いさばらえた果てに、ようやく安心できたのだ。こまりが……小毬の楽しげな声が聞こえるだけで、この老骨は満足すべきなのだろう。
 わしは、そこらの連中とは違う。独りで生き、独りで死んでいったところで無念に思うまい。それどころか、最後の最後で不安が消えたのだ、感謝せねばなるまいな。
 じゃから、最期まで傲岸不遜でいたいものだ。奴らが同情などせぬように。
 皆から受け取った想いを渡す、幸せを渡す、自らの幸せより、孫の幸せを願おう。それが、神北小次郎としての役目、親として、祖父としての役目……そして、人としての本能なのじゃ。
 


 向こうからは、小毬の声が聞こえる、じじばばの楽しげな声も聞こえる。
 わしは、それを一言たりとも聞き逃さぬように耳をそばだてた。間抜けな自分の姿が、たまらなく惨めに思えた。
 昔は街に出るたび、こまりに寄りつくたわけどもを一喝し、ちびらせておったというに……墜ちたものだ。
 
 人は孤独を恐れる。誰かに自分を理解して貰いたい、共に笑い、泣きたいというのは、それは人としての当然の心。
 そしてまた、孤独を求めるのも、それと全く同じじゃ。
 人を好き、ぬくもりを求めるという事は、それを傷つけ、傷つけられる可能性をも求める事、人に好かれたいというのは、嫌われる事を恐れるということ。
 人を遠ざける連中は、結局の所、嫌われ、嫌うことを恐れているのか。愚かな話だ。そんなわしが言うのだ、間違いはあるまい。





「結局、わしはただの臆病者か……」
 時間が過ぎ、独語した。
 小毬の声はもう聞こえぬ、帰ったのじゃろう。昔は帰りがけにも寄っておったものだが……毎度毎度追っ払われる内に、たまに覗くだけになりおった。
 小僧も最近は愛想を尽かしたのか、寄りつかなくなっている。

「それでいいんじゃ、小毬、小僧」
 寂しさを払うように言った。風が吹き、風鈴が揺れる、風はそろそろ温い。
 偏屈で臆病者のじじいは、勇敢な若者に後事を託す。
 そうだ、それでいい、幸せスパイラル……とか言っておったか、小毬や小僧ならばできよう。まして、奴らには仲間がおる、話に聞くだけで、この老体の血が沸き立つような、愉快で強い仲間達が。
 わしにはできぬ、できなかった。スパイラルどころか、たった一つの幸せすら守れなんだ。わしができるのは、せめてわしがなしえなかった幸せを託す事だけじゃ。

 毛布を被り、寝る。さすがにまだ暑いが、なに、寝ている内に丁度良くなるじゃろう。
 小毬が去ったのなら、あとは晩飯までなす事など何もない。
 独り眠り、飯を喰い、風を浴び、やがて死ぬ。孤独に最期を迎えようが、それはさだめか。好いた女一人幸せにしてやれなかったわしには、それでも贅沢すぎるやもしれんがな……
















「りりり理樹くん、おっけーですか?」
「うん、今日こそおっけー。いびきかいてるよ、このじーさん……寝てるときまで騒がしいんだから」
「じゃあ……ごーしていい?」
「うん、遠慮なく。ぼくの部屋じゃないけど」
「ほわぁあっ! 緊張するよ〜黙って入って怒られないかな?」
「きっと大丈夫だよ……多分」
「そっかー理樹くんが言うならだいじょーぶ……?」
「怒られる前に近づいちゃえばもう大丈夫。結局、近寄らせないのなんて近寄らせたらおしまいだから、孫が嫌いなじいさんなんていないしね」
「ほぇ?」
「何でもない何でもない、ほら、早くご飯の準備しよう。折角作ってきたんだから」
「う、うん、じゃあおっけーなことにしよう。おっけー?」
「おっけー。まったく、手間かけさせるところは変わらないんだから……でも、ぼくと小毬さんがもらった分の幸せは返さないとね」

 

〜おしまい〜

 

あとがき

 小次郎は大好きなキャラです。筋肉を止める手だてなしではあんな扱いをしていましたが、本当に大好きなのです。

 小次郎とこまり(not小毬)のお話はいつか書きたいと思っていたり…

 で、そんな小次郎の夏の日の情景を描こうと頑張ったお話だったりします。

 個人的には、夏の日の雰囲気や、小次郎の気持ちをしっかり書きたいなぁと頑張ったのですが、書きすぎたみたいorz

 思考書きすぎ、飛びすぎと、不評だったのですorz

 つ、次こそは頑張って良くできた小次郎SS(?)をっ!!