高燈籠ガイド説明書

この場所の正式名称は「金刀比羅宮北神苑」です。 金刀比羅宮の各種行事にも使われておりますし、歴史的な文物の保存場所でもありますが、木造では日本一高い燈籠があることから、高燈籠と言えばこの場所を指すようになりました。

金刀比羅宮北神苑碑 高燈籠

1.高 燈 籠

建立時期安政元年(1854)発願
  安政6年(1859)建立
 万延元年(1860)完成
 慶応元年(1865)献納
建築様式寺院造、瓦葺
  基礎石組
 木造三階建
仕様宝珠までの高さ15間1尺(27.58m)
 石台の高さ5間3尺(10m)
 石台下端幅51尺
  石台上端幅28尺
 敷坪7坪(23u)

奉納者は讃岐の国寒川郡萬歳講(讃岐三白の一つである砂糖の製造業者)及び千秋講(その他の地域の人達)です。内部は三階建にプラス燈を燃やす部屋となっていて、壁や柱、階段などには昔の人の落書きが一杯です。 老朽化が進んでいるため立入禁止となっています。香川県重要有形民俗文化財の指定を受けています。

2.高燈籠の碑−−− 「講外燈上断」

講中が建立を発願して完成する迄の記録が刻まれています。所要資金は約3000両と伝わっています。 講元は東讃の砂糖業者上野甚左衛門ですが、地元での中心人物は岡田通五郎、東呉楼と号し、当時この近くで揚屋を営み大変な繁盛であったと記録に残っています。 右面には珍しく狂歌が刻まれています。「引請は茶屋ありたけに置屋中給仕めしもり跡は志らんぞ」 通人堂寓 志度 東呉楼 。
「茶屋という茶屋、置屋という置屋、給仕飯盛り女ほか多くの人達の斡旋に寄ったものである。」という意味です。
石段の登り口には講の名前が刻まれています。
石段柱右 正面:「千秋講」 右面:當山綾九郎衛門弟子 大工 馬之助
石段柱左 正面:「萬歳講」 右面:備前 石工 嘉四郎
大工馬之助の子孫は現在も琴平町に住んでいると聞いています。石段上部の入口にも「萬歳講」と刻まれています。


講外燈上断 狂歌

3.蟲塚(百蟲招魂の碑)と藤棚

文政11年(1828)絵師大原東野が、丸亀街道の道を修復する時に犠牲になった蟲を供養するために建立しました。 大原東野は明和8年(1771)奈良の生まれ。山水花鳥に優れ、 人物画をもっとも得意としました。 「対相四言」、「唐土名勝図絵」、「絵本西遊記」等が現存しています。叉、東野の絵入りの蕪村の句碑が善通寺市大麻町に残っています。「対相四言」は高松藩柴野栗山書で、今で言う単語絵本のようなものです。 「絵本西遊記」はご存知三蔵法師や孫悟空が登場するものです。 丸亀街道の道の修復は費用の大半は東野が描く絵を売却して作ったと言われております。この事業により街道は日毎に整い、人馬の通行は円滑となり、人々に喜ばれました。 東野はこの事業を記念して百蟲招魂のための碑を藤棚の奥に建てました。文は当時の金毘羅宮の宮医であり、日柳燕石の師匠だった三井雪航の代撰です。
大原東野は特に藤の花を愛し、苦心して新種を取り寄せて苗田の家に植えていました。藤の棚は文人墨客の溜り場となり、大いに賑わったそうです。その藤の棚を蟲塚と一緒に明治30年頃にここに移動しました。


蟲塚 藤棚

4.並び燈籠と狛犬

燈籠は多度津街道の終点に並んでいた燈籠をここに移設しました。古い物が多く、壊れた物や台座だけの物もあります。つい最近宮により補修されました。
狛犬は大阪堺の富貴講寄進の物です。阿吽の呼吸という言葉がありますが、口を開けているのが阿、閉じているのが吽です。どこでも対になっています。


並び燈籠と狛犬(阿) 狛犬(吽)


5.鳥居(東入り口)

高松街道の終点に建っていたのをここに移設しました。最初の建立は元治元年(1864)です。


6.鳥居(南入り口)

多度津街道の終点に建っていたのをここに移設しました。最初の建立は天明2年(1782)です。琴平町に残る最古の鳥居です。粟島廻船中の人が献納しました。


7.丸亀街道の起点石

「従是丸亀江百五拾町」と書かれています。町は丁と同じ意味で、約80メートルを表します。150*80=1,200、12キロメートルと成ります。 丸亀側の中府に対となる起点石があり「「従是金毘羅江百五拾町」と刻まれています。


8.一里塚舊址

こんぴら五街道にはそれぞれ一里毎にその距離を示す石碑が建ち、松や榎などの植物が植わっていました。 この石碑はその頃の石碑が用済みとなった後、ここにその記念として昭和10年金刀比羅宮が設置しました。

9.象頭山金毘羅大権現霊験記碑

文政11年(1828)建立。 江戸時代の人達は神に祈り、その願いが叶うと神に感謝し、その感謝の念を石碑として残しました。この石碑はその内の一つです。 金毘羅大権現のお蔭で冤罪を濯ぎ、病気に罹ったのも大権現の加護で治り、例大祭の百味を供するための百味講を結んだと書かれています。 こういう石碑は沢山ありますが、時代と供に大半が判別不能となったり、他の場所に移設されたりしています。


高燈籠は遠くから見ても優雅な建物ですが、近くから見上げると一段と興趣が沸きます。 頑丈で優美な曲線を持つ石垣、木造でありながら裾広がりの有様は見ていて飽きの来ない日本独特の様式美を感じさせます。 石垣を一周しながら、ゆっくりとご勧賞下さい。

最後になりましたが、ここから右手に大きな鳥居と新しい橋がご覧になれます。町内には金倉川が流れ、町を東西に分けています。その金倉川には大小24の橋が架かっています。 その橋の一つで大宮橋と言います。鞘橋は橋脚がないので有名ですが、大宮橋の橋脚は激しい水の流れに耐える構造に作られております。大正末に建てられた大宮橋は老朽化を理由に最近立替られました。その際欄干の古い石材の再利用を懇願したところ、その大半が使用されました。親柱の文字は金刀比羅宮第20代宮司琴陵光煕(てるさと)大人の筆によるもとです。鳥居も橋の建て替えと同時に補修が施され、琴平のまちの景観に相応しい出来となっています。

建て替え前の大宮橋と鳥居

引き続き散策をお楽しみ下さい。

文責:三水会:橘 正範

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