日柳燕石

三舟の描く燕石像 松里庵に残る写真(後藤田南渓の画)

日柳燕石(1817〜1868)については、様々な著述物があり、その評価も千差万別、時代に翻弄されたような感もあります。
伝記としては、草薙金四郎、田村栄太郎、相原言三郎、神余潮外などの著作物があります。伝記本以外にも、様々な人がそれぞれに燕石について書いています。第二次世界大戦の前には、「娑婆歌三解」の中の尊皇、攘夷、報国の思想が時代にマッチして燕石の名が全国に知られるようになりました。上記の伝記本がその一翼を担ったとも言えます。
時代は巡り、彼の思想の大半は古くなったかも知れませんが、彼の生きた時代、彼の具体的な行動などを基に、主として漢詩人としての燕石を紹介する事とします。
元より全てを網羅する事は不可能ですので、誤記、思い違い等は生ずると思いますが、是非参考にして欲しいと願っています。燕石の年譜を追加しました。生れた歳を1歳としています。燕石周囲の出来事と国内の大事な出来事を分けています。


1. 燕石の漢詩をご紹介します。

燕石の作った漢詩は5000とも7000とも言われ、全てを網羅する事は不可能です。しかも、幾度となく推敲を重ね、同じ詩でありながら微妙に違うバージョンが沢山あります。一部巷間伝わる箇所と違っている箇所がある事をご理解下さい。また、現在では使用されていない漢字が多く、読む事も意味を把握する事も困難な詩が多く、解説も充分とはまいりませんが、出来るだけ平易になるように心がけました。

勤皇詩人と言われましたが、菅茶山の系統を組む叙景詩も高い評価を得ています。まず有名な詩を掲載した後に、格調高い詩を徐々に掲載したいと思っております。

尚、最初に詩の中の言葉の意味を知ってからの方が鑑賞しやすいと思いますので、解説を最初に掲載してあります。また、旧字体は新字体に変更、無い字は意味の同じ文字を使用しました。出来れば学術振興会(G)と東京大学(T)との共同開発によるGTフォントをダウンロードして元の漢字を見て味わって欲しいと思います。該当する漢字のフォント番号を記載しました。

1. 「詠史楠公」

燕石の一番有名な詩で、吉田松陰の松下村塾での愛吟歌として知られ、今でも詠じられています。河野鉄兜が平仄が合っていないと批判した詩でもあります。燕石は詩は志であると応えたと伝えられています。弘化二年、燕石29歳の時の作です。
解説・・・「干戈とは、戦乱の意味です。泰平の世に生まれれば聖人と仰がれるようなくすのき正成まさしげだが、幸か不幸か乱世に生まれ、武将として英雄となりその名を残した。」

日本有聖人 日本にっぽん聖人せいじん
其名日楠公 楠公なんこう
誤生干戈世 あやまって干戈かんかまれ
提剣作英雄 けんひっさげて英雄えいゆうる。

2. 「夜象山に登る」

乃木希典の好んで揮毫した詩です。「呑象楼遺稿」は、黒木安雄から乃木大将に贈られたようです。
乃木将軍は長州出身で、若き頃「松下村塾」で吉田松陰の叔父の玉木文之進の教えを受けています。善通寺の第11師団の師団長として赴任、黒木安雄はその当時の漢詩仲間で、奈良松荘の石碑など、沢山の書が刻まれています。
解説・・・「石で始まる詩と、崖で始まる詩があります。露気と霊気と両方の詩があります。長らく考えておりましたが、下記の句が燕石の意向であったと考えています。象頭山で該当する場所は葵の滝がある屏風岩と天狗の面が懸かる奥社の二箇所です。十丈の高さ(十丈は約30メートル)の杉を考慮すると、現在の象頭山にはこの高さの杉の木はありませんので屏風岩の辺りがそうかとも思われますが、金毘羅大権現には天狗信仰が古くからありましたので、奥社とも思われます。尚、十丈の老杉は現在まんのう町の天川神社で見る事が出来ます。」
(注)最初は町史ことひらに記載されている詩を掲載していましたが、2009年11月20日修正しました。
   
崖圧人頭勢欲傾 がけ人頭じんとうあっし、いきおいかたむかんとほっ
満山霊気不堪清 満山まんざん霊気れいきせいえず
夜深天狗来休翼 よるふか天狗てんぐたりてつばさやす
十丈老杉揺有声 十丈じゅうじょう老杉ろうさんゆらいでこえあり。

3. 「夜象山に登る」

2.で紹介した詩と同名の詩です。天狗、老杉など同じの言葉が使われています。天狗信仰は古くから金毘羅大権現に伝わり、。明治時代の禰宜だった松岡調も本当に天狗の声を聞いたと著述しています。

老杉頂上黒雲囲 老杉ろうさん頂上ちょうじょう黒雲こくうんめぐ
夜静神扉燈景微 よるしずかに神扉しんぴ燈景とうえいかすかなり
道士下山伝怪語 道士どうしやまくだって怪語かいごつた
前宵天狗攫人飛 前宵ぜんしょう天狗てんぐひとつかんでぶ。

4. 「春暁」

燕石の叙情詩として有名です。今でも詩吟で詠じられています。
解説・・・「春宵一刻値千金という有名な漢詩があります。枕草子では、春は曙ようようひらけたる・・・と綴られています。以上の二句を念頭に置いて鑑賞して下さい。

花気満山濃似霧 花気かきやまちてこまやかなることきりたり
嬌鶯幾囀不知処 嬌鶯幾囀きょうおういくてんところらず
吾楼一刻価千金 ろう一刻いっこくあたい千金せんきん
不在春宵在春曙 春宵しゅんしょうらず春曙しゅんしょり。

5. 「吉田駅にて」

高杉晋作の墓参の時の詩です。慶應4年燕石52歳です。
解説・・・「高杉晋作は辞世の句として、死して赤間が関の鬼とならん、と言っております。燕石がこの句をいつ知ったかは定かではありません。」

故人為鬼美人尼 故人こじんおにとなり、美人びじんあまとなる
浮世変遷眞可悲 浮世うきよ変遷へんせんしんかなしむべし
惨日凄風吉田駅 惨日さんじつ凄風せいふう吉田よしだえき
涙痕如雨灑苔碑 涙痕るいこんあめごと苔碑たいひそそぐ。

6. 「梅処尼に贈る」

上記と同じく、高杉晋作の墓参の時の詩です。愛妾おうのは伊藤博文と井上馨の計らいで尼になっていました。後半の部分のみが戦前独立して詠じられていました。
解説・・・「雲鬢とは美しい髪のことです。鴛鴦とはおしどりの事です。鴛鴦の衾とは夫婦が一緒に寝る夜具のことです。 燕子楼とは唐の張建封の死後その愛妾が空房を守って暮らした家の事です。白居易の著名な詩「燕子楼中」を巧みに使用して、燕石自身の楼もまた・・と二重の含みを持たせたようです。高郎は高杉晋作を指しています。繊手とは細くしなやかな女性の手のことです。」

憐汝恩情会不忘 あわれむなんじ恩情おんじょうってわすれざるを
雲鬢剃去守空房 雲鬢うんびんって空房くうぼうまも
鴛鴦衾外春風冷 鴛鴦えんおうきんそと春風しゅんぷうひややかに
燕子楼中秋夜長 燕子えんし楼中ろうちゅう秋夜しゅうやなが
誰道妓娼無信義 だれ妓娼ぎしょう信義しんぎしと
始知婦女有心腸 はじめて婦女ふじょ心腸しんちょうりと
高郎地下応瞑目 高郎こうろう地下ちかまさ瞑目めいもくすべし
繊手長供一片香 繊手せんしゅながきょう一片いっぺんこう

7. 「娑婆歌三解」

戦前一番有名になった詩です。高松藩の獄中の、三節からなる分かりやすい作です。
解説・・・「鉄釜の釜の字はGTコード055048 です。」 

縦呑鉄釜湯不変男子腸 たとえ鉄釜てっかくむとも、男子だんしちょうへんぜず
聴我娑婆歌第一 娑婆歌しゃばうたの第一を
尊王尊王又尊王 尊王尊王又尊王そんのうそんのうまたそんのう
縦挙剣樹枝不作婦人姿 たとえ剣樹けんじゅえだがるとも、婦人ふじん姿さず
聴我娑婆歌第二 娑婆歌しゃばうたの第二を
攘夷攘夷又攘夷 攘夷攘夷又攘夷じょういじょういまたじょうい
縦作侯家賊不為帝室敵 たとえ侯家こうかぞくとなるとも、帝室ていしつてきらず
聴我娑婆歌第三 娑婆歌しゃばうたの第三を
報国報国又報国 報国報国又報国ほうこくほうこくまたほうこく

8. 「雪後朝」

嘉永5年冬、大雪の翌日の詩です。燕石36歳です。
解説・・・「瓊瑶とは、美しく輝く様です。当時、象頭山、鞘橋、燕石の住居は東西に一直線でした。」
居然・・・「なんとまあ」と驚く様子です。

一点無塵雪後朝 一点いってんちりし、ゆきあした
鱗々万瓦綴瓊瑶 鱗々りんりんたる万瓦まんが瓊瑶けいようつづ
居然凡境為仙境 居然きょぜん凡境ぼんきょうは仙境せんきょう
玉象山連銀鞘橋 たま象山ぞうざんぎん鞘橋さやばしつらなる。

9.「吉田松陰翁追悼」

吉田松陰が燕石の詩を好み、松下村塾で燕石の詩が吟じられていた事はよく知られています。萩に旅行する人の殆んどが訪れる松陰神社の建立を提唱したのが燕石です。慶應4年燕石52歳です。
解説・・・「佐久間象山が松陰に送った詩に「孤鶴秋旻に横たわる」とあります。その漢詩を知っての表現です。又、於莵は虎の事です。松陰の幼名寅をわざと分かり難く表現しているようです。文相とは宋の文天祥のことです。正気とは正気の歌の事で、文天祥の作でもあり、藤田東湖、吉田松蔭にも同題の作があります。子房とは韓の張良のことです。文久3年、慶応元年にも吉田松陰を追悼した漢詩が残っています。」

首唱尊皇論太奇 尊皇そんのう首唱しゅしょうしてろんはなはなり
此翁霊骨世皆推 このおう霊骨れいこつみな
横空孤鶴翼雖折 そらよこたわる孤鶴こかくつばされるといえど
入檻於莵尾不垂 おり於莵おとれず
正気直追文相筆 正気せいきただち文相ぶんそうふで
壮心欲奮子房推 壮心そうしんふるわんとほっ子房しぼうすい
維持国力功非少 国力こくりょく維持いじするこうすくなきにあらず
好慰寃魂為建祠 寃魂えんこんなぐさめて建祠けんしをなさん。

10.「暁象山に登る」

「夜象山に登る」と対比する詩です。燕石20歳前後の作ですが、別バージョンが沢山あります。詩は一遍の絵画とも言われますが、燕石の詩には動きがあり、絵画と言うよりも短編映画を見ている感がするものもあり、この詩はそれを代表するような詩です。
解説・・・「紅塵・・・俗人の住む世の中とか、俗世の煩わしさのことです。驚鴬の鴬の字はGTコード064544  です。」

及此紅塵未起時 紅塵こうじんいまきざるときおよ
桜花深所叩僧扉 桜花おうかふかところ僧扉そうひたた
垂枝微動香如雨 垂枝すいし微動びどうしてかおることあめごと
半睡驚鴬帯夢飛 半睡はんすい驚鴬きょうおうゆめびてぶ。

11.「象山新月」

天保9年刊行の「象山竹枝」の中の句です。燕石21歳です。
「竹枝」とは漢詩の一様式で、土地の風俗や花柳界、男女の情事を叙すものです。「象山竹枝」は象頭山下の勝景、金毘羅の町の様子、紅燈を纏めた詩集で、56首を載せています。序は近藤梅外、牧野黙庵、三井雪航の3名、跋は岩村南里、尾池松湾、三井雪航の3名。
与謝蕪村の有名な句「三日月の牙とき出すや象頭山」を前提として作られたようです。
解説・・・「巒・・・まるい峰。陂陀・・・けわしい坂。溌・・・勢いの盛んな様。黛・・・山の青々とした様。」

翠巒擁郭勢陂陀 翠巒すいらんかくようしていきおい陂陀はだ
溌黛嵐光帯晩霞 溌黛はつたい嵐光らんこう晩霞ばんかおび
遠望眞成象頭状 遠望えんぼうしん象頭ぞうずじょう
人言新月似磨牙 ひとう、新月しんげつきばみがくにたり。

12.「象山新月」

文久元年刊行の「象山竹枝改本」の中の句です。燕石44歳です。
「象山竹枝改本」は上記「象山竹枝」を改定したもので25首を載せています。大部分は新作ですが、部分的に似かよった句もあります。その中から同題の句を紹介します。
跋は備中の阪谷朗廬で、朗廬に贈られた詩集のようです。
解説・・・「彎・・・弓が曲る様。」

青山擁郭如眠象 青山せいざんかくようしてねむれるぞうごと
長鼻彎彎捲晩霞 長鼻ちょうび彎彎わんわんとして晩霞ばんかまく
警句一遍人艶説 警句けいく一遍いっぺんひと艶説えんせつ
半痕新月恰磨牙 半痕はんこん新月しんげつあたかきばみがく。

13.「赤關雑詩10首」

東瀛とうえい詩選」に掲載された詩を3首紹介します。明治16年から暫時発行された「東瀛とうえい詩選」は、中国の学者兪越ゆえつが江戸時代以前の日本人の漢詩を選定した書物で、讃岐では燕石はじめ、尾池桐葉、松湾親子など、数人が選定されています。
燕石は長詩1篇、短詩3篇が掲載されています。短詩3篇の制作年代は不明ですが、「赤間関」が主題なので、慶應4年ではないかと推測されます。呑象楼遺稿と字句が違うのは、呑象楼遺稿の方を尊重しました。
(注)越の字は木偏GTコード019851 です。

雙珠島外早涼饒 雙珠そうじゅ島外とうがい早涼そうりょうゆたか 雙珠そうじゅとは二人の優れた人の意味です。
一串銀燈照暮湖 一串の銀燈、暮湖を照す  
少女慣舟無怯態 少女舟に慣れ怯態きょうたい無し 怯態きょうたいとはおびえた態度です。
玉繊戯蕩木蘭橈 玉繊ぎょくせん戯蕩ぎとう木蘭もくらんたわむ。 蕩とは舟を漕ぐ事です。 

妃嬪一去恨無涯 妃嬪ひひん、一去し、うらみはて無し  
遺種何年落狭邪 遺種いしゅ、何年狭邪きょうじゃに落つ 狭邪きょうじゃとは遊里、色町の事です。
剰得宮妝舊時様 剰、宮妝ぐうしょうを得、時様じようふる しょうとは装う事です。
倡條冶葉別成家 倡條冶葉しょうじょうやよう別に家を成す。 倡條冶葉しょうじょうやようとは芸をする女性の声の美しい様子を譬えた言葉です。

狐王廟下正梅霖 狐王、廟下、正に梅霖ばいりん 梅霖ばいりんとは梅雨の長雨の事です。
港口連檣簇似林 港口、連檣れんしょうむらがり林に似たり しょうとは船の帆柱の事です。
客祈新晴儂祈雨 客は新晴を祈り、われは雨を祈る 祈の字は示偏GTコード032030です。
鴛衾一夜両般心 鴛衾えんきん、一夜両般心。 鴛衾えんきんとは夫婦が一緒に寝る夜具の事です。

14.丸谷才一の随筆に出てくる詩

丸谷才一の随筆集「男ごころ」1989年新潮社刊の中で「博徒の詩」として日柳燕石が紹介されています。初出は1982年10月の「四季の味」39号です。まず「柳東軒畧稿」の自序(このページの最後の方に掲載してあります)が紹介された後、好意的に燕石の詩が3句載っています。

画に題す

黄昏買酒向城東 黄昏たそがれ酒を買わんと城東に向う
一路帰来烟已籠 一路帰り来ればけむりすでにこも
待我細君應斫膾 待っていた我が細君、まさになますらんとす
鳴刀聲出荻花中 刀を鳴らす聲おぎ花の中に出る。

蠶豆そらまめ

夏初蠶豆味尤眞 夏の初め、蠶豆そらまめの味もっとも眞なり
好賞頭番比美人 好んで賞し、頭番美人に比す
只恐鉄漿將染歯 只恐る、鉄漿まさに歯を染めるを
知侘碧玉是前身 知るや、わびしい碧玉へきぎょく、是前身と。
芳膚脱莢猶柔嫩 芳膚ほうふさやを脱し、猶、柔らかくわか
緑顆登盤太斬新 緑顆りょくか、盤に登ぼり太斬あらたなり
堪笑貪貪汪家臾 笑いに堪えず、貪欲な汪介翁
漫將秋蟹作同倫 そぞろに同倫とまさに秋蟹。

昨夜放嚢螢 昨夜ふくろより螢を放つ
一半踰墻去 一半、かきえて去る
愛見二三星 愛しく見ゆ、二三の星
未離幽竹處 いまだ幽竹ゆうちくの處を離れず。

15.中村真一郎『頼山陽とその時代』に出てくる詩

中村真一郎の著作『頼山陽とその時代』には200人以上の人物が登場しますが、日柳燕石は諸国の知友の一人として紹介されています。燕石の人物像や家系については幾分の異論はありますが、ここでは敢えて触れません。掲載された燕石の詩10句のうち一つのみ紹介します。

即時


暴雨乍開霽 暴雨たちま開霽かいせいし、
揺細 ちいんさいしに揺る。
驚蛛心初定 驚蛛、心初めて定まり、
閑補断餘絲 閑かに補ふ断餘の絲。

ちいんとは小さな竹の皮の事です。さいしとはそよ風の事です。頼山陽の母の名にこの漢字が使われているのでわざわざ載せたのではないかと考えられます。はGTコード033558、はGTコード058877です。
大雨で壊れた巣を補修する蜘蛛が心豊かに詠じられています。



2. 「柳東軒雑話」より抜粋。

「柳東軒雑話」は嘉永3年、燕石34歳の時の草稿で、燕石の知る人物の評伝や逸話、その他の関心事を記したものです。
昭和2年梶原猪之松が編輯、香川新報社が出版したものの一部、興味深い箇所のみ転載します。原文のまま鑑賞下さい。

@ 近代讃之人物

顕于天下者 不為不多矣
儒家後藤芝山 柴野栗山 良野平助
閨秀井上通
技芸則平賀鳩渓 錦織勘七

後藤芝山(享保6年〜天明2年 62歳) 諱世釣、字守中また竹風、通称幸八郎また彌兵衛、号玉來山人、の高松人。著書「四書五経訓点(後藤点21冊)」、「元明史略(4冊)」など多数。高松藩学講道館を創建し、門下には柴野栗山を始めとして多数の優秀な人材を輩出した。

柴野栗山(元文元年〜文化4年 72歳) 諱邦彦、通称彦輔、号栗山また古愚また古愚軒また三近堂、牟礼村八栗の人。著書「國鑑聖賢像図考」、「資治格言」など。後藤芝山に学んだ後阿波藩の儒者、後昌平黌の教授、「寛政異学の禁」の提唱者として著名です。

良野平助(元禄12年〜明和7年 72歳) 名芸之、字伯耕、通称平助、号華陰、那珂郡吉野の人。著書「華陰良論」、「詩評集華陰文集」など。京都にて「宇三良平」と称せられる。「宇三」は宇野三平の略、「良平」は良野平助の略、二人の篤学を称した言葉です。

井上通 (万治3年〜元文3年 79歳) 名振、玉、通、晩年には感通、丸亀の人。著書「東海紀行」、「帰家日記」など。小柄な美人でした。貝原益軒や室鳩巣の書物に紹介されて有名になりました。

平賀鳩渓(享保12年?〜安永8年 52歳?) 幼名源吉また四方吉、諱國倫、字士彜また鳩渓また松籟子また森羅万象翁など多数、号源内また風來山人また古今独歩我慢坊など多数、志度村の人。著書「物類品隲(6巻)」、「神農本草経図(4巻)」、「神霊矢口渡根無草」など多数。本草学者として活躍する傍ら、火浣布を創製したりエレキテルを作ったり源内焼の陶器を考案するなど、またまた土用の丑の日を鰻の日として宣伝するなど、多彩な才能を発揮しました。

錦織勘七(宝暦4年?〜文政3年 66歳) 詫間沖の粟島の人。粟島の船主木曽屋勘兵衛の息子として生まれましたが、幼少より京都に出、鍵屋嘉兵衛という呉服店で錦を織ることを学びました。12歳の時には自ら織り具を考案し、初めて綴れ錦を織り出しました。病弱であったため京都から粟島に帰り、粟島でその綴れ錦を織っていたようです。文化4年には自分の作品を将軍に上覧しようとしてしますし、天保5年には金毘羅宮で参拝客に見せた事が記録に残っています。木曽屋は西山姓を名乗っていますので、西山勘七とも呼ばれていますが、墓には妻方の姓の中山勘七と刻まれています。「西讃府史」や「讃岐国名勝図絵」にも若干の記述があります。

A 後藤漆谷(寛永元年?〜天保2年 83歳) 名苟簡、字田夫、号漆谷、高松の人。家は袋屋と号すが、若き頃から隠居し、趣味三昧の人生を送りました。福山の菅茶山とは同年代で共に長寿だった為深く親交しました。詩書共に評価が高く、山田梅村は「吾が讃岐の文人巨壁」とまで言っていますが、詩書を刊行するつもりは全くなかったようです。書は中国の真蹟を収集して研鑽し、死の直前まで品格の有る書を残しました。現在見てもその人柄が偲ばれるような端麗で格調高い筆蹟です。

藤漆谷東讃詩人也 其人其詩皆澹雅可愛
其集未上梓 可惜也 今録数首
浅夏書適云
棋子聲中我酔眠
題画云
渓行云
冬日過山村云

漆谷翁家世崇日蓮教 翁臨死遺言日
祭我勿唱題目 唯誦仁義禮智孝悌忠信八字
則足矣 世唯知翁之風流
而無知其卓識有如此者故標出于此

B 三井雪航(寛政7年〜嘉永4年 56歳) 名は重清、字は子潔、通称隆斎、丸亀田村の生まれ、幼少の頃琴平の三井家に入り医業を継いだ。長じて福山の菅茶山の塾に学び詩名を挙げた。晩年金毘羅宮の正風館の師役となる。燕石の師匠として有名ですが、跡を継いだ隆邦も燕石と深く交わり行動資金を送っています。

三井雪航名清字士潔象山医員予学詩之師也
梅雨所見云迎梅霖雨日昏々窓外芭蕉緑巳繁
大葉恰成連筧状受将簷瑠灌隣園渓橋弄月云
蓼穂揺風墜露明追涼人向澗橋行清泉石上流
無響蟾影鱗々碎復生

C 荒川栗園(文政2年〜安政5年 39歳) 名は英政、字は徳卿、通称は潤吉郎、琴平の人。燕石と同時期に三井雪航に詩文を、大原東野に絵画を学んだ。勤王の志篤く、隠岐島に渡り後醍醐天皇の行在所で子弟を教育した。

友人荒川栗園有詩云
我邦自古風流足
馬上英雄悉解歌
堂々四百余州地
横槊英雄知幾人


3. 「皇国千字文」について。

「皇国千字文」は燕石が高松の獄に繋がれていた慶應2年の作です。同獄にあった藤川三渓は燕石と互いに語り合って「神洲千字文」を著しています。梁の周興嗣の撰する四言古詩、250句の「千字文」を念頭に置いて二人して競い合って作った作品です。自らの死を覚悟していた燕石は、美馬君田の浄書したものを、故郷の同志であり、経済的な援助者でもあった長谷川佐太郎に形見として贈り、もう一遍を息子の三舟にも送っています。
燕石と常に行動を共にしていた美馬君田の序文をまず紹介します。(原文は漢文)

神龍@うたえば霊雨天に満つ
鮫客こうかく泣けば明珠めいじゅは地にほとばし
士煥しかん囹圄れいごに在って皇国千字文を著わす
颯爽さっそうとして語々燦爛さんらんたり
人をして覚えず、奇と呼ばしむる、けだし此の文なり
先哲かたしとして未だ手を下さざるところ
赤子せきしを以って大業たいぎょうを掲ぐ
其の盛んなることなんただ墨池ぼくちの神龍
文淵ぶんえん鮫客こうかくのみならんや。
解説・・・「@の字は口偏+金GTコード004717 」です。

鮫客とは、泣くと真珠の涙を流すと言われる水中の妖怪の事です。囹圄とは牢屋の事です。赤子とは穢れの無い心という意味です。墨池とは硯の窪んだ所です。

美馬君田については他にはあまり知られていないようですので、「讃岐人名辞書」より転載してここに掲載します。読み易い様に改めています。

名は諧、字は和甫、通称援造、初め三嶺と号し後君田と号す。入獄するに及び櫻水と改め、晩年には休翁と号す。阿波国美馬郡重清村の人。 幼より郡里村願勝寺に入り弟子となり釈典を学び、傍ら美馬太玄に従って経史を学ぶ。好んで華厳維摩を読む。又書画和歌詩文等を研究す。 安政元年の秋、一朝感ずる所あり還俗して姓を美馬と改め飄然四方に歴遊し、以って士風国政を観察し、俊髦奇傑の士を求めて之に交わる。長門人高杉晋作、土佐人坂本竜馬と最も親しみ善し。 安政4年の冬、外艦浦賀港に泊し海内騒然たり。孝明天皇深く之を憂いさせ給う。援造ほのかに伝え聞き諸国に奔走し以って尊攘の大義を鼓舞す。 既にして四方輻輳の境は以って天下の形勢を察するに足るとし、安政6年讃岐国琴平に来たり住す。金山寺町の一陋屋を賃し筆耕硯田し以って生計を営む。 偶々高杉晋作、桂小五郎長門より琴平に来たり寓す。援造、日柳燕石、植田宗平等と共に之と相往来し、文酒を以って交を結び互いに肝胆を吐露し、謀って将に皇運を振興せんとす。 幾もなく晋作、小五郎等帰国し、宗平去って長門に入る。援造、燕石と共に天下の形勢を長門に漏らし以って尊攘の計を為す。慶應元年、幕府益々横暴にして辺海屡々警す。 援造憤慨に堪えず益々慷慨の士と交わり遂に高松藩の嫌疑に触れ、燕石と同日縛に遭い高松の獄に投ぜられ、縲絏4年辛楚をなめしも憂国の気少しも挫けず、憂国文を作り時弊を痛論せり。 明治元年、官師賊軍を鳥羽伏見に破りて大に勝つ。此処に至り世局一変し、援造漸く出獄す。朝野其の入って大政に参するを望む。援造慨然として曰く「余もと微賎、而して聖恩を蒙り青天白日の身となる。 因って残賊を誅し功績を立て以って其の恩に報ぜん」と乃ち将に剣を抜き燕石と共に上京せんとす。而して不幸疾病に罹り遂に果すことを得ず。爾後、身体羸痩、英気大に衰え、自ら為す可らざるを知り、帷を琴平に下し生徒に授く。 其の書を講ずるや声を抗し弁を飾る等のことなく、恂々として講話するが如く蘊を摘発し、人をして了得せしめ而して後止む。門弟の詩文稍々観るべきものあれば嘆賞して置かず、拙陋の作と雖も反覆改刪して朱黄爛然、必ず意の如くして而して止む。 君田、書画詩歌俳句等を能くす。詩は詠史を、画は気韻を主と為す。俳句は土佛と号し、又駑物と疑せるもあり。明治7年7月、中澣偶々痼疾再び発し、同月27日を以って没す。 臨終に臨み胸を附ち大息して曰く「男子尸を包む馬革を以ってせずして衽席上に徒死す寔に恥ずべし」と、享年63。明治36年11月13日特旨を以って正五位を贈らる。墓は琴平西山墓地にあり。

君田の画像 君田の胸像 西山墓地から柳谷墓地に移転した君田の墓

「皇国千字文」は、長谷川佐太郎に形見として贈ったものと息子の三舟に送ったものとでは若干の差異があります。
本文は四言古詩、250句の「千字文」の漢詩です。四字熟語を250個、一字も文字が重複する事がなく、韻を踏み、全体としての流れを損なわず、格調高く、しかも己の思想もその中に表現する! 現在の天才的な国学者でも同じ事をするには、膨大な時間と知識を必要とし、まずその前に自分自身赤子せきしで臨められるかどうか? 梁の周興嗣は「千字文」を一夜のうちに作り、白髪になったと伝えられています。
全文とその読み下し文を掲載しますが、解説は一部のみ記載します。燕石の時代では普通であった知識が、現在では理解不可能、調査に膨大な時間を必要とする為ですのでご理解下さい。

恭惟諾尊 うやうやしくおもんみるに諾尊だくそん 諾尊だくそんとは伊弉諾尊いざなぎのみことの省略形です。
降自高天 高天たかま 高天とは高天原たかまがはらの省略形です。
立鶺鴒教 鶺鴒せきれいおしえをてて 相互に難を救い、扶助して成育発展をするの意です。
闢蘆葦原 蘆葦原かやあしはらひらく。 蘆葦原かやあしはらとは瑞穂みずほの国すなわち日本国の事です。
霊等鏡璽 れい鏡璽きょうじひとしく 鏡は三種の神器の一つです。 
沢遍乾坤 さわ乾坤けんこんあまねし。 恵みは天地に行き渡っている。 
肇基二柱 はじめ二柱にちゅうもとづき 二柱にちゅうとは伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冊尊いざなみのみことの事です。
伝統一孫 とう一孫いっそんつたう。 統治は一系。
国非姫姓 くに姫姓ひめせいあら 中国晋の時代の書物に天朝の始祖が姫姓ひめせいであるとの記述があり、
それを否定したものです。
含殷盧真 殷慮いんろしんふくむ。 殷慮いんろとは殷馭慮島いんぎょろとう即ち日本国の事です。
殷慮の字は石偏、GTコード031153 031426 です。

始めに国の成り立ちを説き、皇統は一系連綿として今日に至り日本国が出来た事を説明しています。

人悉男児 ひとことごと男児だんじ  
具日本魂 日本やまとだましいそなう。  
厥俗喜勇 そのぞくゆうよろこ  
翠鬟跨鞍 翠鬟すいかんしてくらまたがる。 かんとは「みずら」の事です。
其性憎讐 其性そのせいしゅうにく  
黄口揮鞭 黄口こうこうむちふるう。 黄口こうこうとは幼年者の事です。
神帝以下 神帝しんてい以下いか 神帝しんていとは神武天皇じんむてんのうを指します。
世出聖君 聖君せいくんづ。  
逆蘇之外 ぎゃくほか とは蘇我氏を指します。
廷無暴臣 てい暴臣ぼうしん無し。  

蘇我氏を逆臣として扱い、蘇我馬子の悪逆非道に対して憤りを見せてはいますが、彼ら一族以外は悉く日本魂を持っていると書いてあります。

峭巖為壁 峭巖しょうがんへき  
万里隣q 万里ばんり隣qりんじゅんたり。 隣qりんじゅんの字は山偏、GTコード010767010126です。
蒼瀛作塹 蒼瀛そうえいざん 蒼瀛そうえいとは東方の青い海の事です。
四面回環 四面しめん回環かいかんす。  

以上、日本国の地勢を述べています。

瀛政艶羨 瀛政えいせい艶羨えんせん 瀛の字はサンズイなし、GTコード008502です。
瀛政えいせいとは秦の始皇帝の事を表現しています。
遙望蓬山 はるかに蓬山ほうざんのぞむ。 蓬山ほうざんとは蓬莱山ほうらいざん、富士山の事です。
徐福帰化 徐福じょふく帰化きかして 秦の始皇帝は徐福じょふくを不老不死の妙薬を探す任務に就けました。
竊比桃源 ひそかに桃源とうげんす。 日本の国を桃源郷に比定した。
蜻廷伸翼 蜻廷せいていつばさばし 廷の字は虫偏、GTコード044621です。
蜻廷せいていとはトンボの事です。
地芥区寰 地芥ちかいかんわかつ。 地芥ちかいとはつまらない土地です。
かんとは天子直轄の土地です。
函A開萼 函Aかんたんうてなひら 函、Aの字は草カンムリ、GTコード040996040794です。
蓮の花の事です。
うてなとは花の一番外側にあるはなぶさの事です。
嶽奴崑崙 ごく崑崙こんろんとす。 ごくは古代の諸王の事です。
崑崙こんろんとはインドシナ半島の事です。


杵嶼清浄 杵嶼しょしょ清浄せいじょうにして 杵嶼しょしょとは厳島の事です。
夏宵没蚊 なつよいぼっす。  
琶湖斂艶 琶湖はこ斂艶れんえんとして 琶湖はことは琵琶湖びわこの事です。
斂艶れんえんとは水の満ち溢れる様です。
斂、艶の字はサンズイ、GTコード024003024054です。
雨時可船 雨時うじにても、ふねなり。  
武野暮色 武野むや暮色ぼしょく 武野むやとは武蔵野むさしのの略です。
蟾離草間 せん草間くさまはなれる。 せんとはひきがえる、月の別称です。
弱浦晴景 弱浦じゃくうら晴景せいけい 弱浦じゃくうらとは和歌の浦わかのうらです。
鶴渡葭辺 たづ葭辺あしべわたる。  


壌産瑞穂 じょう瑞穂みずほさん 大地は瑞々しい穂をつけ
黍稷稲綿 黍稷稲綿きびあわいねわた  
礦胎珍宝 こう珍宝ちんぽうたい 天然の鉱石は珍しい宝を持っている。
銅鐡金銀 銅鐡金銀どうてつきんぎん  
郊絶獅豹 こうには獅豹しひょう こうとは町に近い村里の事です。
毛物共馴 毛物けものとも  
厩多騏驥 うまやには騏驥ききおお 騏驥ききとは千里を走る名馬の事です。
駿骨成群 駿骨しゅんこつむれす。 駿骨しゅんこつとは良馬の骨から転じて優れた人材の事です。
嘉菓留馥 嘉菓かかふくとど 嘉菓かかとは蜜柑の事です。
扶桑托根 扶桑ふそうたくす。 扶桑ふそうとは日本の国の事です。
栂茶芽緑 とがちゃみどりにして  
摂酒味醇 せつさけあじじゅんなり。 せつとは摂州、大阪西部から兵庫東部地方の事です。
瑳玖蕾綻 瑳玖蕾さくらいほころ 桜のつぼみほころびると
麝臍猩唇 麝臍じゃせい猩唇しょうしんなり。 麝香鹿じゃこうしかへその様で猩々しょうじょうの唇の様に美しい。
汰緋魚躍 汰緋たいぎょおど 鯛の事です。
瑠晴瓊鱗 瑠晴りゅうせい瓊鱗けいりんなり。  
参乃鼠族 さんすなわねずみぞく 海鼠なまこのことです。
五葉駢肩 五葉ごようかたならべる。 美味しいという意味です。
兼即鳥羽 けんすなわとりはね 兼の字はイト偏、GTコード035729かとり絹のことです。
六銖争釣 六銖りくしゅきんあらそう。 軽々としているという意味です。


書免秦火 しょ秦火しんかまぬが 秦の始皇帝の焚書坑儒ふんしょこうじゅの批判です。
篆B儼然 篆Bてんりゅう儼然げんぜんたり。 Bの字は竹カンムリ+木偏+留、GTコード034394です。
中国の無くしたのが日本には残っているていう意味です。
服用唐制 ふく唐制とうせいもち  
黼黻炳焉 黼黻ほふつ炳焉へいえんたり。 黼黻ほふつとは天子の礼服の模様の事です。
炳焉へいえんとは明らかな様です。
 
就中介冑 就中なかんずく介冑かいちゅう  
最類軼倫 もっと軼倫てつりんるい 軼倫てつりんとは仲間のものより優れている事です。
飾窮佳麗 かざりは佳麗かれいきわ  
質択精純 しつ精純せいじゅんえらぶ。  
劍断蟒尾 けんうわばみ  
刀駆魔氛 かたな魔氛まきる。 魔氛まきとは源家の宝刀「鬼切丸」の事です。
箭洞戦艦 戦艦せんかんとお  
鏃鑿虜干 やじりえびすたてうがつ。  
綉A傾錏 綉Aしゅうぼうしころかたむ Aの字は務の下に金GTコード054906です。
綉Aしゅうぼうとは錦で飾った兜の事です。
しころとは兜の後方で首筋を保護する物です。
菊蕋嬋娟 きくずい嬋娟せんけんたり。 きくずいとは菊の紋章の事です。
嬋娟せんけんとはあでやかで美しい様です。
直槍閃刃 直槍ちょくそうやいばひらめかせ  
梨花繽粉 梨花りか繽粉ひんぷんたり。 梨花りかとは梨子打烏帽子なしうちえぼしの事です。
繽粉ひんぷんとは花の乱れ散る様子です。
陣選奇騎 じん奇騎ききえら   
蝴蝶従軍 蝴蝶こちょうぐんしたがう。 蝴蝶こちょうとは戦いの陣形の一つです。
舸排捷艪 捷艪しょうろつら 捷艪しょうろとは速い船の意味です。
蜈蚣走瀾 蜈蚣ごこうなみはしる。 蜈蚣ごこうとは百足むかでの事です。
洵是美土 まことにこれ美土びどなり。  
須禦蠢蛮 すべからく蠢蛮しゅんばんふせ 蠢蛮しゅんばんとはうごめく無知な敵の意味です。
歴代薄伐 歴代れきだいここにばっす。  


諸将録勲 諸将しょしょうくんろくす。 以下に日本人の諸将の勲を録書する。
倭建踰塞 倭建やまとたけるとりで  
苦矢瑞臻 苦矢こしすみやかいたる。  苦の字は木偏、瑞の字はシンニュウ
GTコード019057052353です。
苦矢こしとは蝦夷地の住民が使用する弓矢の事です。
功后拓境 功后こうごうさかいひら 功后こうごうとは神功皇后の事です。
日本と朝鮮の国境の事です。
氈笠咸賓 氈笠せんりゅうみなひんす。 氈笠せんりゅうとはフエルトの帽子の意味です。
暗に三韓人を指しています。
坂進纛旆 さか纛旆とうしすす 坂は坂上田村麻呂の事です。
纛旆とうしとは旗の先に雉などの尾を飾った大きな旗という意味です。
後に軍旗や天子の馬車の飾りとして用いられました。
遼羯遁奔 遼羯ようけつ遁奔とんほんす。 遼羯ようけつとは遥か遠くのエビスの意味です。
紀執斧鉉 斧鉉ふげん は紀氏、武内宿弥たけのうちのすくねを指します。
斧鉉ふげんとは斧と金属製の道具です。
呉狗逡巡 呉狗ごく逡巡しゅんじゅんす。 呉狗ごくとは呉の国の蔑称です。
北九州に於ける呉の影響を絶った事を述べています。
巴提奮拳 巴提はすこぶしふる 巴提はすとは膳氏、巴提便の事です。
百済で愛児を殺した虎に戦いを挑みました。
獰獣血玄 獰獣もうじゅうあかぐろし。 虎の舌を左手でとり、右手で刺し殺したそうです。
伊企啖臀 伊企いきでんくらわ 臀の字は下に肉、GTコード038823です。
伊企いきとは調氏、伊企儺の事です。
新羅で囚われの身となり、敵将に尻を向けたそうです。
驕酋膽寒 驕酋きょうしゅうたんさむし。 敵将の肝を冷やしたという意味です。
責彼慢辞 慢辞まんじ 高麗からの無礼な手紙の事です。
莵郎雷嗔 莵郎とろう雷嗔らいしんす。 莵郎とろうとは莵道稚郎子うじのわきのいらつこの事です。
無礼な手紙に対しての怒りを表しています。
輟吾遠使 遠使えんし 遣唐使の廃止を提言したという意味です。
菅氏更言 菅氏かんし更言こうげん 更の字は魚偏GTコード062333です。
固い骨が元の意味です。
菅原道真の遣唐使の廃止の直言を評価しています。
牛稚軽履 牛稚ぎゅうい軽履けいげき 履の字は潟−サンズイGTコード039073です。
牛稚ぎゅういとは源義経の事です。
軽履けいげきとは軽い履の事です。
躡蝦窟灘 蝦窟かくつなだむ。 蝦窟かくつとは蝦夷地の事です。
源義経が蝦夷地に渡ったと言っています。
猿臂鳴鏑 猿臂えんびかぶらやらし 猿臂えんびとは源為朝の事です。
響虻戸雲 虻戸きゅうとくもひびく。 虻戸きゅうととは琉球の事です。
源為朝が琉球の地に渡ったと言っています。
椿説弓張月の物語からの引用と思われます。
北条斫案 北条ほうじょうあんはつ 北条時宇の元寇の戦いの説明です。
鞭兵喪元 だつへいげんうしなう。 だつ韃靼だったんの省略形です。
西府郤聘 西府せいふしょうげき 西府せいふとは征夷大将軍懐良たかなが親王の事です。
明客赧顔 明客めいきゃくかおあからむ。 明国の無礼をたしなめた為使者の顔色が赤くなったという意味です。
豊閤胸宇 豊閤ほうこう胸宇きょうう 豊閤ほうこうとは豊臣秀吉の事です。
禹域併呑 禹域ういき併呑へいどんす。 禹域ういきとは支那の異称です。
豊臣秀吉の胸中では明国を呑みこんだという意味です。
藤肥矛戟 藤肥とうひ矛戟ぼうげき 藤肥とうひとは加藤清正肥後守の事です。
箕跡摧残 箕跡きせき摧残さいざんす。 箕跡きせきとは朝鮮の事です。
摧残さいざんとは挫くという意味です。
A鬚偉略 A鬚かす偉略いりゃく Aの字は鰕の豸偏、GTコード048845です。
A鬚かすとは秀吉の朝鮮での蔑称です。
豈沐猴冠 あに沐猴もくこうかんならん。 沐猴もくこうかんとは沐浴する猿の頭という意味です。
秀吉の知略をほのめかす言葉です。
虎頭驍貌 虎頭ことう驍貌ぎょうぼう ぎょうとは優れた、強いの意味です。
再び加藤清正の事です。
是鬼上官 まこと鬼上官おにじょうかんなり。 是の字は宀カンムリ、GTコード009100です。
まことの意味です。
麑島石曼 麑島げいとう石曼せきまん 麑島げいとうとは島津義弘です。
島津義弘は朝鮮の役で鬼石曼子と恐れられました。
著干青編 青編せいへんあらわる。 青編とは明史の「日本伝」と思われます。
亀井琉珠 亀井かめい琉珠りゅうきゅう 亀井とは亀井かめい茲矩これのりの事です。
輝於素丸 素丸そがんかがやく。 丸の字は糸偏GTコード035097白い練り絹の事です。
秀吉が茲矩に与えた扇の事だと思われます。
奥主独眼 奥主おくしゅ独眼どくがん 伊達政宗の事です。
蔑視南蕃 南蕃なんぱん蔑視べっしす。 伊達政宗の対外政策の評価です。
狭侯隻手 狭侯さこう隻手せきしゅ 武田信玄の事です。
攫取東偏 東偏とうへん攫取かくしゅす。 東偏とは松前の事です。
鄭森襲臺 鄭森ていりんたいおそ 鄭森とは明代末の海賊で、台湾を統治した鄭成功の事です。
蛟騰龍蟠 みずちあがり、みずちわだかまる。 龍の字は虫偏+離の左、GTコード045240です。
鄭成功は日本に生まれ、母は日本人です。
長政定暹 長政ながまさシャムさだ 長政ながまさとは山田長政やまだながまさの事です。
鴻飛鵠塞 こうのとりはばたくぐいたかくとぶ 飛の字は者の下に羽、塞の字は土の部分が鳥
GTコード037075064227です。


照祖靖難 照祖しょうそなんやすんじ 照祖しょうそとは東照大権現徳川家康の事です。
号令維新 号令ごうれいあらたなり。  
台公承緒 台公だいこうしょうれたまわ  
規模仍遵 規模きぼすなわしたがう。 第2代将軍以降の事です。
臚館応接 臚館ろかん応接おうせつ 臚館ろかんとは迎賓館の事です。
只延流韓 ただ流韓りゅうかん 流韓りゅうかんとは琉球と韓国の事です。
藁街亙市 藁街こうがい亙市こうし 外国人の居留地の事です。
特容漢蘭 とく漢蘭かんらんのみにゆるす。 漢蘭かんらんとは漢国とオランダの事です。
戈貫胡顱 ほこ胡顱ころつらぬ 胡顱ころとはエビスの頭蓋骨の事です。
千足勢振 千足ちたるいきおいふるう。 細戈千足は日本の旧称です。
榜示奸罪 ぼう奸罪かんざいしめ ぼうとは立札の事です。
三眼威懸 三眼さんがんかる。 宣教師が日本人を三眼さんがんと言って恐れたそうです。


浜田匕首 浜田はまだ匕首あいくち 浜田弥兵衛の台湾の事件です。
脅甲比丹 甲比丹コピタンおびやす。 脅の字は去+刄GTコード002524です。
兼子片槎 兼子けんし片槎へんさ 片槎へんさとは小船の事です。
偵米利堅 米利堅メリケンていす。 島野兼了のアメリカ行きの事です。


憑咽喉険 咽喉いんこうけん  
函関泥封 函関かんかんどろにてふうず。 函関かんかんとは箱根の関所の事です。
備覬覦寇 覬覦きゆこうそな 寇の字の攴は女、寇の異字体です。
覬覦きゆとは身分不相応な事を望む事です。
鑰厳江門 かぎもち江門こうもんげんにす。 江戸の町に鍵を掛けたという意味です。
郭帯鋒霞 かく鋒霞ほうか 江戸城の描写です。
喬松陰繁 喬松きょうしょうかげしげし。  
旗フ朱旭 はた朱旭しゅきょくかか 日の丸の国旗の事です。
異葵葩薫 異葵葩いきはかおる。  


覇図極盛 覇図はときわめてさかんにして  
宸居永全 宸居しんきょながまったし。 宸居しんきょとは皇居の事です。
徃昔寧楽 徃昔おうせき寧楽ならから  
抵今平安 抵今ていきん平安へいあんまで  
祭祀粛穆 祭祀さいし粛穆しゅくぼくとして 粛穆しゅくぼくとは厳かで恭しい様です。
儀陳瑚l 瑚lこれんならべる。 瑚lこれんとは祭祀の器の事です。
簪笏端荘 簪笏しんこつ端荘たんそうにして 簪笏しんこつとは祭祀の礼服の事です。
班列宛鸞 はん宛鸞えんらんれっす。 宛の字は宛+鳥GTコード063965です。
朝廷に煌びやかに並ぶ臣下の事です。
堯階尚倹 堯階ぎょうかいけんたっと 堯階ぎょうかいとは朝廷の人々の事です。
帰存億年 帰存きぞん億年おくねんたり。 帰の字は山カンムリGTコード068154です。
高く聳える意味です。
周晢貴徳 しゅうあきらかとくたっと 天子の事です。
鎮圧百藩 百藩ひゃっぱん鎮圧ちんあつす。  
桜楊経緯 さくらやなぎ経緯たてよこにして  
錦裏禁垣 にしき禁垣きんえんつつむ。  
楓櫨濃淡 かえではぜ濃淡のうたんにして  
画繞御園 かく御園ぎょえんめぐる。  


才女捲簾 才女さいじょすだれ 才女さいじょとは清少納言せいしょうなごんの事です。
賞雪霽晨 ゆきれたあしたでる。 中宮定子とのやり取りです。
鉅儒染簡 鉅儒きょじゅかんめて 鉅儒きょじゅとは菅原三品の事です。
咏鶯囀春 うぐいすさえずはるえいず。  


洛筮己穏 洛筮らくぜいすでおだやかにして 筮の字はサンズイGTコード023577です。
京都賀茂川辺りの事です。
浪速亦殷 浪速なにわまたにぎやかなり。  
綺羅輻湊 綺羅きら輻湊ふくそうして  
管絃喧填 管絃かんげん喧填けんてんなり。 填の字は門ガマエに眞GTコード055723です。
門一杯に塞がる意味です。
鷦閣暁眺 鷦閣しょうかくあきつきながめれば  
竃蒸祥煙 かまど祥煙しょうえん 仁徳天皇の事跡からです。
蜆川夜游 蜆川しじみがわよるあそべば 蜆川しじみがわとは、大阪北新地あたりの川です。
橋漲軟塵 はしには軟塵なんじんみなぎる。  
城聳楼櫓 しろ楼櫓ろうろそび 大阪城の事です。 
睥睨朝鮮 朝鮮ちょうせん睥睨へいげいす。  
港銜艫舳 みなと艫舳ろじくふく  
吐納秋津 秋津あきつ吐納とのうする。 秋津あきつとはトンボ、転じて船を指します。 
踴糶糴価 糶糴ちょうてきおどらせて 糶糴ちょうてきとは売り米と買い米の事です。 
商賈専権 商賈しょうこけんもっぱらにす。  
鬻漆絲品 漆絲しっししなひさ  
牧伯通泉 牧伯ぼくはくせんつうず。 せんせんという事です。


如斯静謐 くのごと静謐せいひつなるに  
誰招災殃 だれ災殃さいおうまねく。  
歳当磨蝎 さい磨蝎まかつあた 磨蝎まかつとは山羊座の事です。 
運属紅羊 うん紅羊こうようぞくす。  
凶鴉噪峡 凶鴉きょうあはざまさわ  
妄爾鴟張 妄爾もうじとして鴟張しちょうする。  
妖鷲摶崎 妖鷲ようしゅうみさき  
飽即鷹揚 きればすなわ鷹揚おうようする。 揚は風偏GTコード058894です。
蓮幕寛量 蓮幕れんばく寛量かんりょう  
姑許跳梁 しばら跳梁ちょうりょうゆる  
柳営深慮 柳営りゅうえい深慮しんりょ  
務撫獗猖 つとめて獗猖けっしょうす。  
蟹文狼藉 蟹文かいもん狼藉ろうぜき 蟹文かいもんとは横書きのアルファベットの事です。
猾礼義郷 礼義れいぎさとみだ  
鴃舌侏離 鴃舌げきぜつ侏離しゅり 離の字は人編+離の左GTコード不明です。
鴃舌げきぜつとは意味不明な外国語で喋る事です。
擾翰墨場 翰墨かんぼくみだす。 翰墨かんぼくとは詩歌を作る事です。


卒学繰歩 そつ繰歩そうほまな 兵隊は洋式の行進を学び、 
穿窄袖裳 窄袖さくしゅう穿 裾の搾ったズボンを穿き、 
民癈踏仏 たみ踏仏とうぶつはい 踏み絵を廃止しても 
迷十字方 十字じゅうじかたまよう。 キリスト教にしようかどうか迷っている。 
卓哉水烈 たくなるかな水烈すいれつ 水烈すいれつとは水戸齋昭の事です。
興乎常陽 常陽じょうようおこ 常陽じょうようとは常陸国の事です。
辨別名分 名分めいぶん辨別べんべつ  
率由典章 典章てんしょう率由そつゆす。 朝廷に建議して王政復古を図った。


弘秦州道 秦州しんしゅうみちひろめて 秦の字は虫偏GTコード045083です。
日本国の事です。
夙護皇綱 つと皇綱こうこうまもる。  
奉鳳詔旨 鳳詔ほうしょうむねほう  
先論海防 海防かいぼうろんず。  


符号総見 総見そうけんごう 総見そうけんとは織田信長の事です。 
梵器毀傷 梵器ぼんき毀傷きしょう  
軌同守屋 守屋もりやおなじく 守屋もりやとは物部守屋の事です。 
魑法掃攘 魑法ちほう掃攘そうじょうす。  
獻楠家策 楠家なんけさくけん 楠家なんけとは楠正成の事です。 
語綴珪璋 珪璋けいしょうつづる。  
奏善相議 善相ぜんそうそう 善相ぜんそうとは三善清行の事です。 
詞挟氷霜 ことば氷霜ひょうそうはさむ。  
蠅糞空点 蠅糞じょうふんむなしく  
和璧失光 和璧わへきひかりうしなう。  
竜気忽尽 竜気りゅうきたちま  
莫邪折B 莫邪ばくやBぼうる。 莫、邪の字は金偏、Bの字は金偏+草カンムリ+匚、
GTコード054797054423054305です。
螽麟続胤 螽麟しゅうりんたねつづ  
瓜C熾昌 瓜Cかてつ熾昌ししょうなり。 Cの字は瓜偏+失、GTコード027418です。
熊羆継志 熊羆ゆうひこころざし  
史筆焜煌 史筆しひつ焜煌こんこうなり。  
禊辰豪挙 禊辰けっしん豪挙ごうきょ  
壮心軒昂 壮心そうしん軒昂けんこうなり。  
燈夕快事 燈夕とうせき快事かいじ 「桜田門外の変」の事です。
惰風消亡 惰風だふう消亡しょうぼうす。  
筑嶺碧竹 筑嶺ちくれい碧竹へきちく 筑波山の武田耕雲齋の事です。 
建竿雖僵 建竿けんかんたおるるといえど  
萩塁紫英 萩塁しゅうるい紫英しえい 松下村塾の俊英達、 
幽叢愈香 幽叢ゆうそういよこうばし。  

いよいよ、最後です。

我輩小蟻 我輩わがはい小蟻こありなるも  
意慕余芳 余芳よほうしたう。 余芳よほうとは先人の残した偉業の事です。 
身在縲絏 縲絏るいせつれど 縲絏るいせつとは牢獄の事です。
憂及廟堂 うれい廟堂びょうどうおよぶ。  
踪似吉猛 そう吉猛きつもう そうとは先人の軌跡を追う事、
吉猛きつもうとは吉田寅次郎の事です。
寃亜古狂 えん古狂こきょうぐ。 えんとは冤罪、無実の罪、
古狂こきょうとは頼三樹三郎の事です。
嗚呼命也 嗚呼ああめいなり   
臨釜投湯 かくのぞとうぜられるも 釜の字は金偏に草カンムリ+隻、GTコード055048です。
唯所祈者 ただいのところ 祈の字は示偏に壽、GTコード032030です。
拒夷勤皇 こばみ、こうつとむるのみ。   


4. 燕石の自筆サインと印譜

燕石の若き頃の「三井雪航吟草」、「柳東軒略稿」は楷書体で一字一字丁寧に書かれてあります。
ここでは「柳東軒略稿」の自叙と後年のサイン、印譜を紹介します。

「柳東軒略稿」の自叙

燕石の自筆サイン 燕石の印譜


5. 燕石の年譜


和    暦 西 暦 年齢 周辺の出来事 外部での出来事
文化十四年 1817 1 燕石生れる(父惣兵衛57才、母幾世38才)
文政元年 1818 2
文政二年 1819 3
文政三年 1820 4
文政四年 1821 5 伊能忠敬没(77才)
文政五年 1822 6
文政六年 1823 7 阪谷朗盧生れる
文政七年 1824 8 石崎近潔(青崗)の塾に入る 植田宗平(井上文郁)生れる
文政八年 1825 9 河野鉄兜生れる
文政九年 1826 10 頼山陽『日本外史』
文政十年 1827 11 牧石?没(80才)
長谷川佐太郎生れる
菅茶山没(82才)
文政十一年 1828 12 頼山陽『日本楽府』
文政十二年 1829 13
天保元年 1830 14 榎井村の管轄が倉敷藩より但馬生野藩に変更
三井雪航(当時32才)の門に入る
吉田松陰生れる
天保二年 1831 15 榎井村の管轄が但馬生野藩より松山藩に変更
丸亀新湛甫竣工
後藤漆谷没(83才)
天保三年 1832 16 女中と家出して飯之山南麓に行く 頼山陽没(53才)
天保四年 1833 17 牧詩牛没(46才) 天保の大飢饉
木戸孝允生れる
天保五年 1834 18 三井雪航の『雪航詩鈔』を編纂
榎井の米騒動で逮捕され、川之江の獄舎につながれる
天保六年 1835 19 芸妓小加代(ヌヒ)と同居
金丸座建立
田能村竹田没(59才)
坂本龍馬生れる
天保七年 1836 20 『象山雑詞』
松山の崇徳天皇陵に行く
天保の大飢饉続く
天保八年 1837 21 『象山雑詞』
父惣兵衛没(77才)、母幾世没(58才)
大塩平八郎の乱
天保九年 1838 22 4.11 金山寺町に大火
多度津新湛甫竣工
天保十年 1839 23 『十春詞』
7.17 長男道之助(三舟)生れる
芭蕉書屋版として『象山雑詞』を刊行
高杉晋作生れる
渡辺華山、高野長英等処罰される
天保十一年 1840 24 冬、小妻菊松と同棲して金毘羅撫松楼に假居
『愛松軒雑咏』
三野元密没(89才)
大原東野没(70才)
森田節斎来訪、中村歌六を観劇
久坂元瑞生れる
天保十二年 1841 25 比佐と結婚。燕石は初婚、比佐は再婚
琴平山下に転居
久米栄左衛門没(62才)
伊藤博文生れる
渡辺華山没(49才)
谷文晁没(78才) 
天保十三年 1842 26 榎井村の管轄が松山藩より倉敷藩に変更
荒川栗園隠岐へ行く
岩村南里没(59才)
松平頼胤高松藩主となる
細川林谷没(65才)
天保十四年 1843 27 長女きく生れる 平田篤胤没(68才)
野城廣助生れる
弘化元年 1844 28 4〜5月 富山凌雲と共に九州に遊び、『西遊詩草』、『旅の恥かきすて記』
抜刀して妻比佐を追い離縁
12.17 石崎近潔没(78才)
琴陵金陵没(62才)
『山陽遺稿』
江戸城大火
弘化二年 1845 29 旗岡の邸宅を売却して有余亭に移居す
すぐ別邸に移居す
『大楠公』の詩賦の作成
弘化三年 1846 30 9.17 妻奴卑没(27才)
村岡宗四郎生れる
暁鐘成『金毘羅参詣名所図絵』6冊を刊行
弘化四年 1847 31 3.05柳東軒に移居す
夏、森寛斉、金毘羅に在り
9月 燕石等榎井の春日神社へ石鳥居を奉献
嘉永元年 1848 32 美馬君田、金毘羅に来住
阿波に遊び、大坂越より引田を経て帰る
9月、吉田鶴仙、燕石に賭博廃止を忠告
『柳子読史到南北朝之際云々』
『夢記』
滝沢馬琴没(82才)
嘉永二年 1849 33 『愛松軒雑咏』
牧野黙庵没(54才)
井上文郁来寓
冬、小妻菊松と同棲して金毘羅撫松楼に仮居
葛飾北斎没(90才)
嘉永三年 1850 34 3月 猿赤の名により洒落本『金郷春の夕栄』を刊行
京極朗徹丸亀藩主となる
『柳東軒詩話』
長尾秋水来訪
高野長英没(47才)
清、長髪賊の乱
嘉永四年 1851 35 6.05 三井雪航没(56才)
燕石が墓碑銘を撰し、村井信攝が書
ジョン万次郎帰国
嘉永五年 1852 36 三野謙谷没(73才)
摂津に遊ぶ
荒川栗園隠岐より大坂に来る
森寛斎来訪
道之助(三舟)を富山凌雲に託す
睦仁親王(後の明治天皇)生れる
嘉永六年 1853 37 1.03 長女きく眼疾に罹り備中笠岡に同行、滞在中病没(11才)
河野鉄兜来訪
三備州に遊ぶ
『柳東軒略稿』
『山陽詩註』
三井雪航『雪航詩鈔』刊行
12月頃 呑象楼に転居
吉田松陰、森田節斎に入門
ペリー来航
菊池五山没(80才)
安政元年 1854 38 鞆に遊ぶ
春、満濃池の木樋を石造に改築
長谷川鉄之進来讃
7.09 満濃池決壊。燕石三日間炊出し
荒川栗園没(39才)
11.04〜05 安政の大地震
春日神社へ俳句奉額
美馬君田来寓
ペリーと和親条約締結
吉田松陰拘禁
佐久間象山幽閉
安政二年 1855 39 正月上旬、秋山惟恭筆写の大日本史、日本外史を借覧
初夏、森田節斉、再び呑象楼を訪問『後落集』の序を依頼される
藤川伯孝と舟遊び
長谷川正傑来讃
井上文郁備中に帰る
劉君鳳(号石秋)来訪
江戸大地震
藤田東湖没
広瀬淡窓没(74才)
安政三年 1856 40 吉田鶴仙没
老僕、髪虎歿
秋、備後に遊び野田笛浦と聚遠楼に登る
二宮尊徳没(70才)
木村黙老没(85才)
安政四年 1857 41 2月 十金を擲って備前長船の一刀を求む
合葉文山没(61才)
春、越後の長尾秋水、江上亭(撫松楼)に来訪
於松と共に坂出に遊び、力士と紛争和解あり
琴陵宥常金毘羅大権現別当に就任
市河米庵没(80才)
安政五年 1858 42 2月 白峰に登る
尾池松湾、廃博転向を忠告
長谷川宗右衛門、速水拘禁
コレラ病大流行
秋山惟恭他『西讃府志』
僧月照入水
下田条約調印
梁川星厳没(70才)
吉田松陰、森田節斉に宛て燕石への紹介状を乞う
吉田松陰、野山獄に拘禁
安政六年 1859 43 長谷川鉄之進来訪
京極高典多度津藩主になる
金毘羅高燈籠の建立に際し、花笠を着け榎井より練り込む
8月 森寛斉、金毘羅本宮彩色の為め来訪、滞留越年
興泉寺境内に井戸、石造井桁及び石造手水鉢を寄進
阪谷朗盧来訪
道之助、京都に遊学
吉田松陰、江戸伝馬町獄に送致
佐藤一斎没(88才)
安政の大獄 橋本左内没(26才)、梅田雲浜没(44才)、頼三樹没(35才)
吉田松陰没(29才)
万延元年 1860 44 春、京に遊ぶ
3.01 道之助、初めて帰省、痢を病み、富山?雲の処方にて全治
5.03 高杉晋作、金毘羅に参詣
桜田門外の変
長谷川速水没(25才)
江戸城本丸再建
文久元年 1861 45 松平頼聡高松藩主になる
道之助帰省して医業を開く
家里松崎の紹介にて塩谷良翰、山本士述来訪
広瀬旭窓来訪
妾於雪(当時25才)と同棲
『象山竹枝』改定本を刊行
森田節斎倉敷に転居
和宮、将軍家定に降嫁
文久二年 1862 46 奈良松荘没(77才)
長谷川宗右衛門出獄
椋木八太郎来訪
坂下門外の変
京都寺田屋事件
生麦事件
文久三年 1863 47 元旦『攘夷議定国威揚』の詩賦
1月、文郁、君田等と共に上洛し、松本奎堂の客となり、備中倉敷に開塾の森田節斎を訪問
8月 軍資金を得んとし天領地の蔵米二千二百石を奪わんとするが失敗
長谷川正傑、野城廣助丸亀に来る
蔵米の替わりに金毘羅金光院から巨額の軍資金を奪わんことを企てるが失敗
8.25 学僕三好京太郎(殿山、14才)密書を持って大和天の川に使わすが戦傷を負い帰国復命
9月 琴平劇場(金丸座)に大喧嘩起こし、琴平、榎井の対抗となり、燕石は推されて榎井の将となる
野城廣助没(21才)金毘羅の墓地に埋葬
10.24 榎井の博徒琴平に騒擾
12月下旬、妾於松を金毘羅古高藪にて斬る
将軍家茂上洛
足利尊氏木像鳩首事件
5.10 馬関海峡で戦闘起こる
高杉晋作、奇兵隊を編成
8.17 南山の義挙(天誅組の乱) 藤本鉄石、松本奎堂、吉村寅太郎等戦死
広瀬旭窓没(57才)
七卿西国落ち
元治元年 1864 48 榎井村の管轄が倉敷藩より高松藩に変更
1.04 妾於松、前述の傷がもとで没(33才)
6.17 道之助長女生れる。燕石初孫に大喬(おたか)と命名
10月 料亭宮本屋の娘於澤を妾とする
11.04 井上文郁、金毘羅を脱出
『買妾詩』(お澤)あり
柴原和、傘屋和助と変名して来寓
筑波山義挙
京都三条池田屋事件
佐久間象山京都にて暗殺される(54才)
禁門の変 久坂玄瑞没、小橋友之輔没
第一次長州征討
高杉晋作、功山寺の決起
慶応元年 1865 49 松崎渋右衛門投獄
4.26 桂小五郎来る。
4月下旬 高杉晋作、愛妾うの、下僕民蔵を伴い金毘羅来寓
5.04 高杉晋作、捕吏の知る所となり辛くも脱出
5.04 燕石、君田等捕えられて高松藩に投獄
燕石入獄の口吟『娑婆歌』
武田耕雲斎没
坂本龍馬 薩長同盟を斡旋
藤沢東?没(71才)
慶応二年 1866 50 『椚蝨餘話』
2.28 妾於澤高松の獄に燕石を訪門
8.07 大洪水、鞘橋流失
『正気の歌』
土肥大作、村岡宗四郎幽閉
第二次長州征伐
将軍家茂大阪城にて没
藤井竹外没(60才)
土肥大作、村岡宗四郎幽閉
徳川慶喜将軍になる
孝明天皇没
坂本龍馬没(32才)
中岡慎太郎没(30才)
慶応三年 1867 51 村岡宗四郎没(22才)
『皇国千字文』
『大和蒙求』
尾池松湾没(78才)
11.27 三舟の子歿(2才) 
明治天皇即位
高杉晋作馬関に病没(29才)
徳川慶喜 大政奉還
王政復古
慶応四年
明治元年
1868 52 1月 燕石、君田等出獄
呑象楼より東一町の地に妾於澤と同棲
土佐藩、金毘羅に鎮撫所を置き、社領、池御領を管治
2.23 燕石上京
3.03 着京、天杯を賜う
4.11 木戸孝允と共に京都を発し、淀川を下り、大坂に至る
火輪に乗り兵庫に遊び、伊藤博文より酒肉を饗せらる
4.12 木戸と共に神戸を発し、中国、四国巡視の途につく
木戸孝允幽居の老梅書屋に宿し、野村迂忠、前原彦太と会飲
5.09 吉田に高杉晋作の墓を弔し、梅処尼(うの)に詩を賦して贈る
6.05 木戸、北条と共に菊亭に会飲
燕石密書を館林藩の塩谷良翰に発し、従討軍東下尊皇によって稟議を決せんことを説く
6.26 大総督宮の日誌方となり、北征の途に上る
7.09 越後直江津に上陸
7.15 黄昏、柏崎に入る。この日病に罹る
森田節斎没(58才)
松平金岳没(60才)
8.25 越後柏崎の陣中に病没、大総督仁和寺宮兵部卿より大桜定居彦の諡名を賜ふ
鳥羽伏見の戦、高松藩兵官軍と戦う
高松藩主松平頼聰の官位を奪い土佐藩に征討の命令
丸亀、多度津藩先鋒となり進撃、征討軍高松城に入る



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文責:橘 正範