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朝鮮人強制連行  Issue#02 since2005.3.1 Record of Korian-Laborers

資料 はやしえいだい『戦時外国人強制連行関係史料集』? 朝鮮人2 下巻


資料 山田昭次・古庄正・樋口雄一『朝鮮人戦時労働動員』 NEW!





朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味―
/外村 大

(一)はじめに

 エスニックグループのアイデンティティ形成・維持において、その集団に関わる歴史の記憶が果す役割は大きい。

 在日朝鮮人も例外ではない。したがって、在日朝鮮人の歴史について一般の人々がどのように考えてきたか、歴史研究者たちが、いかなる歴史事象を強調し、 どのように評価してきたか等々についての考察は、在日朝鮮人のアイデンティティのあり方との関連において重要である。

 したがって、在日朝鮮人がどのような歴史研究を進め、歴史認識を確立してきたかは、それ自体が歴史研究のテーマとして重要なものとなり得る。

 ところで、在日朝鮮人のアイデンティティに関する発言を活発に続けてきた鄭大均氏が今年に入って発表した著作『在日・強制連行の神話』(文芸春秋、 2004年)は前記の問題に関わる記述を多く含んでいる。鄭大均氏の見解を要約すれば次のようである。すなわち、今日の在日朝鮮人の多くは「強制連行」に よってではなく、それ以外の契機で日本にやって来た人々やその子孫である。しかし、これまで歴史認識において「朝鮮人強制連行」が強調され続けてきた。こ れは、「革命の輸出」を図ろうとしていた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の指導のもとに動く朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の政治的思惑に動かされた 在日朝鮮人歴史学者がまとめた“いかがわしい”研究の影響が大きい。左派系の日本人がそれに動かされ、80年代にメディアにおいてそれが流布されたなどに よって、「強制連行」の結果としての在日朝鮮人の形成という「神話」が広まった。その影響は今日でも残っており、一部の在日朝鮮人文化人たちは「強制連 行」をしばしば語り、被害者性をことさらに強調しているが、そこに依拠して自らのアイデンティティを築くことは、在日朝鮮人自身にとっても幸福なことでは ない。以上が鄭大均氏の見解である。

 後に明らかにするように、鄭大均氏の見解は明らかに誤りを含む。これは筆者の見るところ、鄭大均氏が誤解を持つに至った理由の一つは、その時代の状況を 踏まえながら史料を丁寧に読み込んでいくという作業を行っていないことにある。そもそも、氏の論考には、在日朝鮮人の歴史に関する基本的な知識の欠如を露 呈しているような部分もあり、全体として粗雑な印象を与えるものとなっている 。

 しかし、より根本的な問題としては、次のような点がある。すなわち、鄭大均氏においては、個人の生活やそこから生み出される思想的営為を基礎に据えて歴 史を理解しようという方法が取られていないことがある。氏の分析においては、様々な個人も、ある種の国家の利益のみに忠実に活動したり、政治党派の方針の ままに動かされたりするというという発想のもとに進められているのである。

 もちろん、ある種の国家の政策や政治党派のイデオロギーが個人の考えや行動に強い影響を及ぼすことはありうる。だが、ある種の政治党派の主張や国家への 忠誠を選択したとしてもそこには個人の体験から導き出される思いが反映されている場合もあろう。また、一見、政治党派のイデオロギー的言説に即して展開さ れているように見える主張や、自らの属する国家の公式見解に沿った言動のなかにも、個人の考えが盛り込まれている場合もある。

 そこで、以下では、戦後における在日朝鮮人史に関する認識の変遷を在日朝鮮人のおかれていた状況に着目しながら考察していくこととする。その際、特に、 在日朝鮮人歴史研究者がいかなる思いを持って「強制連行」の事実を発掘する作業に取り組み始めたかや、なぜ特に「強制連行」の契機が強調されたのかについ て明らかにしていくこととする。

戦後初期の朝鮮人労務動員に対する認識

 日本帝国が、1930年代末から1945年にかけて、燃料等の確保や軍需物資生産、軍事基地建設のために朝鮮人労働者を多数動員したことは、誰も否定す ることのできない事実として認識されている。同時に、その際、本人の意思に反して暴力的に労働現場に連れて来れられたり、就労先で奴隷的な労働を強いられ たケースがあったことも広く認められている。近年、一部でそうした事実がなかったか、あるいは限定的な現象であったかのような主張がなされているが、それ は無知によるものでなければ悪質なデマと言わざるを得ない。この間の歴史研究では、戦時下における朝鮮人に対する暴力的な労働現場への配置や奴隷的な労働 の実在については、関係者の証言のみならず、それを裏付ける同時代の史料も発掘されているのである 。

 もっとも、この歴史事実について「朝鮮人強制連行」の語が用いられ、広く日本社会において知られるようになったのは、それについての本格的な研究が提示された1960年代以降である。

 しかし、このことはもちろん、その事実が1960年代まで、あまり知られていなかったり、人々の意識の俎上にのぼらなかったことを意味するのではない。

 まず、朝鮮人にとっては戦時下の労務動員は、日本帝国のとった政策のうちでも、とりわけ多大の苦痛をもたらしたものとして考えられ、しばしば言及されていた。

 日本敗戦からまだそれほど時間が立っておらず、朝鮮人による国家建設に向けた具体的な動きや民族団体の活動が、まだ充分ではなかった時期においてもその ことは確認できる。つまり、国家の教化や体系化された歴史教育によってではなく、個人の体験、見聞から、朝鮮人労務動員の暴力性は認識されていたのであ る。

 例えば、千葉県警察部特別高等課『昭和二十年・内鮮報告書類編冊』中の、一九四五年九月二八日付、東金警察署長から千葉県知事宛「終戦後の朝鮮人取扱に対し極度の不平不満に関する件」という資料には 、特に民族主義的な意識が強いとは思われない(むしろ、日本帝国の施策に協力してきていた)ある朝鮮人が次のように語っていたことが記されている。

…而して大東亜戦争勃発と同時に移入労働者を徴用するに当り、田畑より看守付きで而も自宅に告げる事なく内地の稼動場所へと強制労働に従事せしめた事であ る。然し乍ら朝鮮人も日本人である以上大東亜戦争をして有終の美を得せしむべく不可能なる労働を可能ならしめ戦力の増強に寄与したる点は内地人に劣らざる 事を確信するものである。

 また、一九四五年一二月八日に『京城日報』に掲げられた、戦争中に朝鮮民衆が受けた被害を批判した漫画風の絵でも、志願兵の強要や、食糧供出と並んで、 「強制徴用」が描かれている(『京城日報』はもともと朝鮮総督府の「御用紙」的立場にたつ日本語紙であったが、敗戦後、日本人社員が退社した後、朝鮮人社 員によって日本語を用いたまましばらく刊行を続けていたものである)。

 このように、労務動員の過酷さは強く記憶されていたのであり、当然、戦後、まとめられていく歴史書においてもその事実は記載されることとなった。もっと も戦後日本で最初にまとめられた日本語による朝鮮近代史の通史である、金斗鎔『近代朝鮮社会史話』郷土書房、1947年、では、「徴用で連れてこられた」 朝鮮人に対する虐待について言及されていた。さらに、在日朝鮮人の形成過程についてまとめた、最初の論文である、林光_「渡航史―並にその性格―」『民主 朝鮮』一九五〇年七月号、でも「太平洋における帝国主義戦争が始ってから朝鮮の青年が徴用労働乃至は勤労動員という名目で数え切れぬ程日本え強制的に連行 されたことは記憶に新しい」と記されていたのである。

 以上は、在日朝鮮人運動にも大きく関わった朝鮮人歴史研究者の言説であるが、日本人の間でも、戦時下における労務動員の実態について認識されていたし、 その暴力性についても認定されていたことが確認できる。例えば、宇垣一成朝鮮総督の側近であり、京城日報社社長を務めたという経歴を持つ、つまりは朝鮮植 民地支配に深く関わった人物である、鎌田沢一郎が記した、『朝鮮新話』創元社、1950年、には、労務動員において「郡とか面(村)とかの労務係が深夜や 早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九 州の炭鉱へ送り込み、その責を果すといふ乱暴なことをした」事実が述べられている。

 また、日本政府においても、朝鮮人労務動員の暴力性に対する認識はある時期まで存在していた。この点について興味深いのは『在日朝鮮人処遇の推移と現 状』法務研修所、1955年、の記述である。この資料は、法務省職員に必要な訓練を行う機関であった法務研修所の「法務研究報告」のうちの一冊としてまと められ、当時、法務省に所属していた森田芳夫が執筆したことが知られているものである。その意味では、日本政府の公式見解の性格を持つものではなく、一般 に公表されたものでもない。しかし、これは在日朝鮮人に対する施策に関わる職員を含む法務省職員の参考に供されたものであり、そこにおける記述は、そうし た職員が持つべき認識についての日本政府の考えを示したものということができる。

 同資料では在日朝鮮人の形成史と政策との関係について説明がなされており、当然、労務動員に関する記述がある。そして、そこにおいては1939〜45年 の労務動員について「日華事変以後の戦時体制下にあって、政府は、朝鮮人を集団的に日本内地に強制移住せしめる策をとった」(17頁)、労務動員の対象と なった朝鮮人には逃亡者が多かったがその理由は「労務管理の不当であったこと、また契約期間の延長で安定しないことがおもな原因」であったことも述べられ ている(20頁)。なお、契約期間の延長云々とは、当初の契約期間が過ぎても帰郷させずに労働を強いたことを意味すると思われる。具体的な「強制」のあり 方や労務管理の「不当」さを詳細に述べているわけではないが、前記のような文言は、朝鮮人労務動員が本人たちの意思に反し暴力的なものであったことを、少 なくとも否定したものではないことは確かである 。

植民地支配責任を曖昧化した日本政府

 ところが、その後、日本政府の刊行物や声明等においては、戦時下の朝鮮人労務動員における強制性や暴力を想起させる文言はまったく見られなくなってしま う。同時に、日本政府が在日朝鮮人について言及する際、自発的に渡日してきた人々とその子孫が大半であることが強調されるようになったのである。

 そのような日本政府の説明のもっとも早い段階の例として確認できるのは、法務省入国管理局が主体となってまとめられ、1959年5月に刊行された『出入 国管理とその実態』(「入管白書」として通称される行政刊行物)である。同白書10〜11頁では、「大正中期以後になって朝鮮人が数多くわが国に移住する ようになったが、そのおもな原因の一つは、朝鮮本土の人口増加である」「とくに南朝鮮の農村の過剰人口が鉱工業の未発達な朝鮮内で吸収されないために、低 賃金労務者として日本内地に渡航することになった」と戦時以前の動向に触れた後、次のように記している。

 その後、戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、企 業主が渡航希望の労務者を募集し、17年2月からはその募集が総督府のあっせんにより行われ、19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし 20年3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった(したがって、国民徴用令による期間は6か月余であった。)

 また、北朝鮮帰国事業に関連して、1959年7月に発表され、一般の新聞でもその内容が紹介された「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とく に、戦時中の徴用労務者について」という文書も同様の説明となっている。『朝日新聞』1959年7月13日付記事によれば、それは次のようであったとされ ている。

一、 戦前(昭和14年)に日本国に住んでいた朝鮮人は約100万人で終戦直前(昭和20年)に200万人となった。増加した100万人のうち70万人は自ら進 んで内地に職を求めてきた個別渡航者とその間の出生によるものである。残りの30万人は大部分工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用 令による徴用労務者はごく少数である。また国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施され ており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは翌年3月の下関―釜山間の運航が止まるまでのわずか7ヵ月であった。

一、 終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基 く北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち75%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本 内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦 時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。

 以上のような日本政府の説明は、さすがに事実をねつ造して述べたものではない。戦後、日本に継続して居住した朝鮮人のなかで、戦時期の労務動員政策が直 接の渡日の契機となっていた者やその子孫は相対的には数が少ないことは確かであり、戦時動員政策の枠組みにおいても「希望」して職場に向かった者も実際に いた。そして、自己の意思によって渡日を選択し継続して日本に住み続けた朝鮮人が存在することも間違いではない。

 しかし、前述のような日本政府の説明は、明らかに植民地支配の問題を曖昧にし、忘れさせる作用を持つ文章となっていると言わざるを得ないだろう。

 例えば、戦時期の労務動員政策とは直接関係のない朝鮮人の渡日においても、朝鮮が植民地に置かれていたことの影響があったことは触れられていない。「自 ら進んで内地に職を求めてきた」者においても、植民地政策の影響による経済的苦境が背景となっているケースがあったり、日本人の詐欺的な募集活動が行われ ていたことなどは述べられていないのである。

 同時に、相対的に少数にせよ戦時期の労務動員の結果、日本に住むようになった朝鮮人も存在するわけであるが、その労務動員がしばしば暴力的で強制性を 伴っていたことについては、それを示唆するような文言すらないのである 。そして、日本政府が在日朝鮮人の歴史について言及する際のそのような態度は、今日まで継続している。つまりは、前述の1955年の『在日朝鮮人処遇の推 移と現状』において述べられていた朝鮮人労務動員の「強制」性や労務管理の「不当」性を、日本政府は(否定はしないにせよ)、極力、隠蔽するようになった のである。

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