佐    倉    城    

【馬出し空堀】
別   名鹿島城
所 在 地千葉県佐倉市鹿島
築城年月元和3年(1617年)
築 城 者土井利勝
主要城主土井氏・堀田氏
城郭様式平山城
遺   構土塁・馬出し・空堀・天守台

佐倉城は印旛沼に注ぐ鹿島川、高崎川を外堀とし、台地上に土塁を加えて築城した平山城です

この地7には、天文年間千葉親胤が一族である基胤に命じて築城を開始したが途中工事は中止されたが、幹胤がしばらくこの地に住んだためこれを鹿島の新城と言われた

慶長15年(1610年)土井利勝が小見川1万石から移封を命ぜられ工事中断中の鹿島城再築を幕府から命じられた

以後徳川幕府では江戸のまもりとして老中格の譜代の諸侯9氏を封じた

天守台が2段の土塁で築かれた珍しい形です
考察・感想
明治6年(1873年)第一軍管第二師営の営所が置かれ城の施設は壊されてしまった
駐車場
佐倉城址公園無料駐車場
目標物
国立歴史民俗博物館
大手門です 大手門古写真です

三の門です。この門は御作事の諸道具を入れた倉庫として使われた 三の門古写真です

三の門付近の空堀です 三の門北東の空堀です

三の丸です 二の丸土塁です

車道の碑です。大正9年兵営と大手門とを直通させる新道の完成記念碑です 二の門付近の空堀です

タウンゼント・ハリス像です 堀田正睦像です

二の門です。本丸から大手門にいたる第二の門で武器庫として使用された 二の門古写真です

本丸空堀です 台所門(不明門)です

角櫓(三階櫓)です 本丸土塁です

天守台です 天守台です

銅櫓です。土井利勝が将軍から拝領し江戸城吹上庭内より移築したもので、もとは三層であって大田道灌が造ったものといわれている 銅櫓古写真です

一の門です。台所門は開かずの門であったので本丸の出入はこの門が使用された 一の門古写真です

一の門付近空堀です 礎石です

佐倉陸軍病院跡です。テラスを配した洋風病棟であった 佐倉陸軍病院跡古写真です

椎木門です。馬出し空堀前にあり門をくぐった先には米蔵があった 椎木門古写真です

椎木門付近空堀です 馬出し空堀です

兵営の便所跡です 西側出丸です

西側出丸外側の水堀です 西側出丸付近の移築門です

北西出丸です 藩校です

宮小路の武家屋敷通り 江原刑場です。旧佐倉藩の刑場で、天保14年(1843年)蘭医学研究のため佐倉藩最初の人身解剖を行った

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