高    遠    城    

【櫻雲橋下空堀】
別   名兜山城・甲山城
所 在 地長野県上伊那郡高遠町東高遠
築城年月天文16年(1547年)
築 城 者秋山信友
主要城主保科氏・内藤氏
城郭様式平山城
遺   構曲輪・堀

高遠城は標高800m、比高50mの山に築かれた城です

天正10年(1582年)織田信長が伊那谷に進軍し、仁科五郎が立て篭もるこの高遠城を1日で落城させた

信長死後は徳川家康の支配となり保科氏が入城したが、徳川家康の関東移封に伴い保科氏も下総多古へ移り、その後は豊臣秀吉の支配となり飯田城主の毛利氏・京極氏の城代が居城した

関が原の戦い後は再び保科氏の居城となり、以後鳥居氏・内藤氏と続き明治を向かえた

考察・感想
ここは城址というよりは桜で全国的に有名です
4月中旬の桜の季節には「天下第一の桜」と賞されたこの桜を見ようと大勢の人が訪れます
駐車場は桜の季節は有料となり、それ以外の季節でも北口の駐車場は有料ですが、ほんの少し離れた駐車場は無料です
桜雲橋のかかる堀は立派です
駐車場
周辺に無料駐車場有(季節により有料となる)
目標物 
高遠城址公園
太鼓櫓(再建)です 本丸土塁です

問屋門です。高遠本町からここに移築した 石垣です

二の丸と周辺の土塁です 二の丸の外堀です

法憧院郭です。ここに法憧院と言う寺があったのでこの名が付いた。天正10年の戦いでは滝川一益がこの方面から攻め込んだ 南郭です。二の丸が堀で区切られ一郭となっていた

井戸です 城址碑です

高遠閣です。国の登録有形文化財に登録されている 進徳館です。最後の高遠城主内藤頼直によって開設された藩重役の屋敷を改造して学問所とした

楼門です。城内の追手門にあった櫓門といわれている 搦め手門跡です

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