小    田    原    城   

【天守閣】
別   名小峰城
所 在 地神奈川県小田原市城内
築城年月明応4年(1495年)
築 城 者北条早雲
主要城主後北条氏・大久保氏
城郭様式平山城
遺   構天守閣・土塁・堀

小田原城は現在の小田原城とこの城から少し北の方に行った城山公園内にある小田原城と二つありここでは早雲が築いた城を紹介します

伊豆韮山に勢力を得た伊勢新九郎(後の早雲)は奇策を用い小田原に攻め込むと大森氏から城を奪い、ここを関東支配の拠点とし次第に整備拡張し当時としては珍しく城郭都市的な構想をもって城下町全体を防護する構築物を備えていた

上杉謙信・武田信玄の攻撃に対しても容易に侵入を許さなかったが、豊臣秀吉に対し臣従しなかったため天正18年(1590年)秀吉20万の大軍で小田原城を包囲し篭城戦は100日におよび遂に開城し当主氏直は高野山に追放となり氏政と弟の氏照は自害し北条5代は滅びた

考察・感想
ここはすごいです。さすが北条氏の居城です
城内に動物園や遊園地があるのは驚きですね
歴史見聞館や郷土文化館もあり、見がいがありますよ
こぼれ話
天正18年豊臣秀吉の小田原討伐は100日におよぶ包囲戦になり、小田原城では大きな戦いはなかったが城内では決戦・降伏の長い論議が連日行われのちに「小田原評定」という言葉が生まれたほどであった
駐車場
有料駐車場多数有
目標物  小田原城地図
小田原城
アクセス
JR東海道本線・小田急線「小田原駅」東口から真直ぐ進み交差点「錦通り入口」を右折しそのまま進むと右側にあります
堀と学橋・二の丸隅櫓です 馬出門土橋(めがね橋)です

馬出門跡です 城址碑です

大腰掛跡です。元禄時代の絵図によるとこのあたりに大腰掛と記された建物があった。腰掛とは門に設けられた番士の詰所のことで長さ約24mの細長い建物で屋根は板葺きであった 馬屋跡です。元禄時代の絵図によるとこのあたりに瓦葺き屋根の馬屋があった。馬屋は41m×7mの大きさであった

住吉堀と住吉橋です 住吉橋と銅門前の内仕切門(うちじきりもん)です

解体される前の銅門(あかがねもん)です 今の銅門(あかがねもん)

銅門(あかがねもん)です。小田原城二の丸の表門にあたり馬屋曲輪から住吉橋を渡り二の丸へと通じる大手筋に設けられた門で、扉の飾り金具に銅が用いられたためこの名がついた。銅門の形式は石垣による桝形、内仕切門、櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式である 本丸東堀跡です。この堀は二の丸堀とつながる水堀となっており最大幅は20m以上もあった

常盤木門前の門跡です 常盤木門です。本丸の正面にあたり最も大きく堅固に造られていた。周囲に多門櫓と渡り櫓を配した桝形門の構造を持ち、常盤木とは常緑樹の意味で門の側にあった巨松になぞらえこの名が付けられたという

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その他周辺史跡(北条の墓・門跡・報徳二宮神社・隅屋敷跡・城山公園他)

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