小    谷    城    

【大石垣】
別   名
所 在 地滋賀県長浜市湖北町伊部
築城年月永正13年(1516年)
築 城 者浅井亮政
主要城主浅井氏
城郭様式山城
遺   構石垣・堀切

小谷城は標高495.1m、比高230mの小谷山に築かれた城です

亮政・久政・長政の浅井氏三代が居城したが、天正元年(1573年)織田信長に攻められ落城し浅井氏も滅亡した

落城後は木下藤吉郎に与えられたが、天正3年(1575年)に長浜城を築き移ったため廃城となった

考察・感想
う〜ん さすが浅井氏に居城 山全体が遺構です
曲輪はあっちこっちに設けられていて、全て見ていると何日あっても足りません
出丸から番所跡付近まで車で行って、そこから進軍するのが一般的ですが、清水谷からの進軍も曲輪や石垣も見れなかなかのものです
大嶽城を廻って福寿丸・山崎丸を見て廻るのもいいですよ
駐車場
麓・番所手前に無料駐車場有
目標物
小谷寺
金吾丸です。大永5年(1525年)六角定頼が来攻時に朝倉教景が来援し陣所とした 番所です。遠方からは見えず間道もここに集まる要所に位置している

御茶屋跡です 御馬屋跡です

馬洗池です 首据石です。この石の上に罪人の首をさらした。こんな感じでしょうか

赤尾屋敷です。天正元年8月28日長政はこの屋敷に入って自刃した 長政自刃の地です

桜馬場です 浅井氏供養塔です

黒金御門跡です 城址碑です

大広間と奥が本丸です。小谷城最大の面積がある郭です 本丸と石垣です。鐘丸ともいわれ大広間から12mほどの高さがある。彦根城西之丸の三重櫓はここの天守といわれている

大堀切です 御局屋敷跡です

井戸跡です 中の丸です。上中下の三段から成っている

刀洗池です 京極丸です。4段から成っており大永4年(1524年)亮政が主君京極高清、高延父子を迎えた処で、天正元年(1573年)8月27日夜半この曲輪の清水谷側大野木屋敷を経て侵入してきた秀吉の軍勢によって占拠され小丸の久政と本丸の長政との連絡を絶たれた

小丸です。上下2段から成っており、2代目城主久政の隠居後の居所で、久政は天正元年8月27日信長の先鋒秀吉軍の侵攻を受け鶴松太夫の介錯によりここで切腹した 山王丸です。山王権現を祀ってあった所で海抜395mの高所にあり詰ノ丸と言われている

六坊址です。久政は江北支配を進める上で軍務や政務を司っていた六つの寺院が散在して不便であったためここに集めたと言われている 月所丸です。越前道を防御のため作られて曲輪で、奥側に土塁が見えます

遠藤屋敷跡です。姉川の合戦で戦死した遠藤喜右衛門直径の屋敷と言われている 浅井山城屋敷跡です

御屋敷跡です。浅井氏の屋敷があった所で亮政が主君京極高清、高延父子や家臣をこの屋敷に招いたといわれている 徳勝寺跡です

三田村屋敷跡です 三田村屋敷跡上部にある石垣です

土佐屋敷跡です 土佐屋敷石垣です

竪堀です 案内図です

麓にある城址碑です 血原跡です

小谷寺です 小谷神社です

追手道です 磯野屋敷跡です

鳥瞰図です


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