寛    永    寺


【本 殿】

寛永寺は東叡山の総称をいう。天海の発議で江戸城丑寅の鬼門にあたるこの地に比叡山に対し東叡山と名ずけ寛永2年(1625年)土井利勝が総奉行となり本坊を作り塔・清水観音堂などをととのえたが幕末の上野の戦いで寺塔は壊滅してしまった
現在の本堂は明治12年(1879年)川越喜多院の本地堂を移したもので慶喜が謹慎幽閉した大慈院の間がある
住所 東京都台東区上野桜木1丁目14

徳川家霊廟。東西に分かれており第一霊廟は4代家綱・10代家冶・11代家斉をまつり、第ニ霊廟は5代綱吉・8台吉宗・13代家定の墓がある 徳川綱吉霊廟勅額門

旧因州池田屋敷表門(黒門)。丸の内大名小路に建てられたが明治25年芝高輪台町の常宮御殿の表門として移設され、のち東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれた 徳川慶喜の墓の全景

徳川慶喜の墓 徳川家の墓

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