大    高    城    

【城址碑】
別   名
所 在 地愛知県名古屋市緑区大高町
築城年月不明
築 城 者花井備中守
主要城主水野氏
城郭様式平山城
遺   構城址碑・曲輪

大高城は標高20mの小山にあり、東西約106m、南北32mで四方を二重の堀で巡らしていた

永正年間(1504年〜21年)には花井備中守が居城し、天文・弘冶年間(1532年〜58年)は水野忠氏父子が居城した

桶狭間の戦い後廃城となってしまったが、元和2年(1616年)尾張藩家老志水忠宗が城跡に館を設け1万石で入り明治維新まで続いた

こぼれ話
[大高の兵量入れ]
今川義元は上洛に先がけ尾張領に足がかりを築こうとし天文21年(1552年)織田方の鳴海城主山口左馬介義継を寝返らせた
山口左馬介義継は大高城と沓掛城を奪い取った
今川義元は妹婿の鵜殿長照を大高城の城将として派遣した
これに対し信長は大高城の北東に鷲津砦、東に丸根砦を築き大高城の糧道を遮断し城内は兵糧が尽きてしまった
今川方は大高城に兵糧を運び込もうとしたが、今川の部将は敵地深く入りこむ危険な役を嫌って誰も引き受けないため三河から人質に入っていた松平元康(徳川家康)が引き受ける羽目となった
元康は部下の兵を2手に分け、1隊を敵中深く寺部城に夜襲をかけ丸根・鷲津砦の織田方が寺部に救援にかけつけたすきに150頭の馬をひきいた小荷駄隊を大高城に運び込んだ
これが世にいう「大高城の兵糧入れ」です
考察・感想
有名?な割りには城址碑と説明用看板があるだけだった
せっかく史跡としてあるのだからもう少し整備して欲しい
鷲津砦・丸根砦がすぐ近くにあり、ここの城主のプレッシャは相当なものだったと思う
本丸跡に城山八幡宮があった
駐車場
なし(周辺は道も狭く車では苦しい)
目標物
大高城公園
アクセス
JR東海道線・大高駅を下車し南方向の緑の小山がありますのでそこを目標に進みます
(すいません 各道の目標がありません)
本丸跡です 説明用碑です

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