長    篠    城   

【城址碑】
別   名末広城・扇城
所 在 地愛知県新城市長篠
築城年月永正5年(1508年)
築 城 者菅沼元成
主要城主菅沼氏
城郭様式平城
遺   構土塁、堀、曲輪

長篠城は寒狭川と三輪川が合流する標高60mの丘に築かれた城です

この城は戦国時代武田氏と徳川氏が奪い合った城である

当初は今川氏に従っていたが、桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られると菅沼貞景は徳川家康に降ったが貞景が掛川城攻めで討死するとその子正貞は武田氏に属した

天正元年(1573年)徳川家康に長篠城を攻められ落城。徳川氏の城番が置かれた

天正3年5月、武田勝頼がこの城を包囲攻撃したが城主奥平貞昌は5百の城兵で防ぎ、設楽が原の戦いとなった

天正4年新城市に城を築き長篠城は廃城となった

考察・感想
やっと行きたかったこの城を落城させることができました
戦国最強の武田軍団を打ち破り武田氏の没落させたのがこの城であると思っています
南面は宇連川、西面は寒狭川で断崖になっており、この城を落とすのは難しいがあの大軍の前でよく10日間も耐えたものだと感心してしまった
城址には長篠城址史跡保存館がありここも是非訪れていただきたい
こぼれ話(鳥居強右衛門勝商)
天正3年5月、武田勝頼が1万5千の兵で長篠城を囲み、14日には総攻撃をかけたが城兵はよく応戦したが食料はあと4・5日分となり落城寸前となった
岡崎城の徳川家康に援軍を頼むため鳥居強右衛門勝商は14日の夜半、野牛門から増水の寒狭川に入り鳴子網を切り4Km下り広瀬に上陸した
15日の朝かんぽう山で脱出成功の狼煙をあげ岡崎に走り、家康・信長に城の危急を告げ援軍を請うた
使命を果たし休養を勧められたがすぐに引き返し16日朝再びかんぽう山で援軍来るの狼煙を3発あげ長篠城の対岸まで来たが武田軍に捕まってしまった
武田軍から「援軍は来ない城を開け。武田軍は厚くもてなす」と呼ばわるよう説得され長篠城の二の丸近くに立った
しかし、「援軍は来る。2・3日は堅固に守れ」と叫んだので対岸の篠場野の地で磔にされた
こぼれ話(さかさ桑)
長篠の戦いの落武者が寒狭川の中流にある小松集落に差し掛かって民家の庭に杖をつきさした。
土地の者はその剛力を見てただものではないと思いその杖に手を触れなかった。落武者は武田勝頼であった
杖からは桑の芽が出たが下方に向かってだけ伸びるので「さかさ桑」と名ずけられた
駐車場
無料駐車場(10台)
目標物
長篠城址史跡保存館
本丸です 土塁です

内堀です 城址碑です

弾正郭です 帯郭です

厩址です さかさ桑です

全景です 空堀と土塁です

二の丸です 物見櫓跡です

殿井です 野牛郭跡です

櫓跡です 瓢郭跡です

鳥居強右衛門勝商磔の場です 鳥居強右衛門勝商の墓です

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