舞    鶴    城    

【石 垣】
別   名国分新城・国分御屋形
所 在 地鹿児島県霧島市国分中央2丁目
築城年月慶長9年(1604年)
築 城 者島津義久
主要城主島津氏
城郭様式平城
遺   構石垣・門・堀

舞鶴城は関が原の戦いの翌年、隣国の脅威を感じた島津義久は国分をそれに対抗する地として築城に取り掛かった

10年にわたって住んでいた富隈城より移居し慶長16年(1611年)に死去するまで在城した

舞鶴城は山城の南麓に造営され日常生活をするための屋形造りとなっており、戦時になると背後の城山(隼人城)に立て篭もる方法がとられた

考察・感想
国分小学校・国分高校が城址で道路沿いには石垣と堀が残ってます
駐車場
目標物  舞鶴城地図
国分小学校
城址碑です 朱門です

石垣です 鳥瞰図です

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