阿志都弥神社、行過天満宮略記
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阿志都弥神社
当宮は神代の昔、この幽邃な霊地に神気を感じて、葦津姫命(あしつひめみこと)を勧請して阿志都弥(あしつひめ)大明神と称した事に始まり、延喜式内の名社で国幣社として祀られ上野山大社、櫻花大明神とも称されています。
日本書紀によりますと木花咲那姫命(葦津姫命)が、天甜酒(あまのたむけざけ)を醸された御事跡が登載され、又推古天皇三十年に新羅征伐副将軍の近江脚身臣(おうみあしずみのおみ)が当地に住んで崇拝したお社であります。


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行過天満宮
天満宮の御祭神菅原道真公は、陽成天皇元慶七年に加賀国(石川県)の国守に任命せられて、御赴任の途中に本社「阿志都弥大明神」に御参詣になって、御詠吟などせられて過ぎ行かれた由縁(いわれ)によって、公の御曾孫菅原輔正朝臣が行過天満大神と称して、長徳四年八月五日に勧請建立になったのであります。尓來善積郷の総社として上野山大社、上野山天満宮、桜花大明神とも称されています。
建久二年三月十五日に海津村上尾山(海津天神社)へ当宮各社の御分霊に菅原道真公直筆の十六禅神、法華経等を添えて分社として遷宮したと伝えられています。慶応二年四月五日神祇道管領卜部朝臣良義より善積惣社号の神宜を受けました。学問芸術、厄除健康等神威顕著な神様として崇敬されています。

脇神
福禄寿天様は七福神の一つで、福徳、禄徳、寿徳を備えた霊験あらたかな方でありまして「七福神めぐり」に各地より参詣があります。

当宮は古来より善積郷八部落神社の総社として全部落の住民を崇敬者とし毎年四月の例大祭には各部落より出動した人によって神輿を担いで御旅所の住吉神社で祭典をして南浜まで渡御をしましたが、現在は弘川、宮西、中野の氏子によって担いでいます。

倭名類聚抄(わみょうるいじょしょう)に登載された当郷社付属の八部落各神社は、白山神社(南生見)、熊野神社(藺生)、白山・降宮神社(上弘部)、日吉神社(下弘部)、八雲神社(大供)、日枝・大水別神社(南浜)、住吉神社(中浜)、小梅・大浜神社(南新保)であります。

皇室との御関係については天智天皇が志賀に都をお定めになられた以後、毎年当地産物の烏瓜の根を献上し又、刈安(かりやす)と言う草を、天皇御衣の黄色染料の原料として奉納していました。が、戦乱が続いたので廃絶しました。しかし、毎年四月の例大祭には必ず烏瓜の根を献じています。又御宝祚永世御祈祷の命を奉じましたので、以来毎年九月に当宮の御神璽に生栗一篭(約二升)を添えて献上しておりましたので、天皇の御撫物を当宮に御神納になり、毎年九月に新旧御取替になりました。その時金弐両の御下賜があり、当宮の神璽を献上しておりましたが、明治四年命達により廃止になりました。


 

阿志都弥神社
行過天満宮
郵便番号520-1611 滋賀県高島市今津町弘川宮の森公園内 TELFAX0740-22-2379
http://space.geocities.jp/mike0811kei0204/