桜3
はい、判事さん。
すべて本当のことをお話しします。
私は主人を殺しました。
弁護士さんには私の生い立ちをお話しいたしまして、同情していただきましたけれど。
私が主人を殺しましたのは事実でございます。
どんな罰も受ける覚悟でございます。

凶器は包丁でございます。
主人を殺した時はもう夢中でございました。
準備などしておりません。
主人を殺して、呆けておりますところに姑があらわれたのでございます。
姑の叫び声で私は我にかえりました。
まず思った事は主人は本当に死んでいるのか?ということでございました。
主人は体が大きくて、力も強い人でございましたから。
主人が私などに殺されるとは信じられなかったのでございます。
姑の叫び声を聞いて、畑にいた舅も戻ってまいりました。
そして舅が警察に電話をしたのでございます。
私はまだ呆けておりましたし、逃げることなど思いもいたしませんでした。
そのあとは刑事さんがいらっしゃって、私を警察に連行なさいました。
その時までまだ私は包丁を持っていたと思います。
あの包丁はおそらく刑事さんが私から取り上げられたのだと思います。

動機でございますか?
私にもよくわからないのでございます。
あの日は桜がきれいな日でございました。
桜を見ていましたら、諦めていたことが諦められなくなったのでございます。
そしてそのまま、夕食を作るのをやめて立ち尽くしておりました。
その時主人が台所に入ってきたのでございます。
主人は私に何をしているんだと聞きました。
いえ、詰るような口調でございました。
主人に詰られながら私は何事か答えたのでございます。
私の返事は主人をさらに怒らせました。
普段ならそこで私が謝って手を付いて終わるのでございます。
けれどあの日は違っておりました。
あの日、私は初めて主人に逆らったのでございます。
嫁いでからの10年で初めての事でございます。
私のずっと抑えておりましたものが噴き出してしまいました。
学校に、高校に、私はずっと行きたかったのでございます。
それを初めて主人に私は打ち明けました。
主人には怒られると思いながら、必死で打ち明けたのでございます。
ところが、主人は怒りませんでした。
主人は笑ったのでございます。
私が10年間思い続けてきたことを、主人は笑ったのでございます。
主人は私が高校の入学試験に受かるはずはないと笑いました。
お前はひらがなもおぼつかないではないか、と申しました。

はい、私は主人に嘘をついておりました。
私はそれまで主人の前ではひらがなも書けないふりをしていたのでございます。
主人は家業の農業で小学校もろくに行っておりません。
ですから主人は仮名しか読み書きできなかったのでございます。
その主人の前で私は文字の読み書きなどできませんでした。
新聞を読みたくても10年間ずっと耐えてきたのでございます。
主人は私の嘘に気付いておりませんでした。
私を疑うほど私に関心はなかったのでございましょう。
ですから高校に行きたいという私を怒るより笑ったのでございます。
その時私の中で何かが壊れてしまいました。

はい、事実はこれだけでございます。
何も隠しだてはいたしておりません。
私は今とても静かな心持がいたしております。
警察では新聞も本も読ませていただきました。
食事も私のものを用意していただきました。
家にいた頃と比べたら夢のような暮らしをさせていただいたのでございます。
たとえ死刑とおっしゃられても私はもう思い残すことはございません。
私などの話を聞いていただいてありがとうございました。


判決でございますか?
はい、心の用意はできております。

懲役8年でございますか。
八年牢に入るのでございますね。
あの、それだけで私の罪は許されるのでございますか?
にわかには信じられないことでございます。
私は人を殺めましたのに。
ありがとうございます。
弁護士さん、判事さん、ありがとうございます。
涙が......
申し訳ありません、取り乱してしまいまして。
少しだけ、泣かせてください。
人を殺めた私には泣く資格などないのかもしれません。
けれど、私は今はっきりとわかったのでございます。

私は主人を愛しておりました。
主人はひどい人でした。
いつも私は主人に詰られておりました。
けれど、主人は私の主人だったのでございます。
そして可愛い子供たちの、父親でございます。
私は、主人を愛しておりました。
今やっと気づくことができたのでございます。
私は愚かな女です。
今更気づいても何にもなりはしないのに。
けれど私は気付いてしまったのでございます。
私と主人は夫婦でございます。
それは主人を殺めてしまった今も変わらないのでございます。
私は本当に取り返しのつかないことをいたしました。
牢の中で主人に詫びて毎日を過ごします。
それが私にできるただ一つのことでございます。
ありがとうございました。
これからは主人と子どもたちのことだけを考えて生きてまいります。



The End