桜2
私に弁護士さんが付いてくださるのですか。
有り難いことでございます。
私は罪を犯しました。
それはもう動かしようのない事実でございます。
私の事情次第で刑を減らしていただけるのですか?
そんなことが許されているのでございますか?
はい、話せとおっしゃるのでしたらお話ししますが......

主人との結婚が決まったのは疎開の少し前でございました。
主人に赤紙が来たことがきっかけでございます。
はい、まだ私は幼い子供でしたが、両親によって決められたのでございます。
主人は13歳年上で従兄でございました。
インドシナに出征する前に結婚させてやりたい、と伯母が申したのでございます。
そして私が選ばれたのでございます。
私の意思などは何も聞かれませんでした。
父方の親類には男腹が多くて、女の子の中では私が一番の年かさでございました。
それだけの理由で決まった縁談でございました。
主人が出征する前、形だけの祝言をあげました。
やっと小学校にあがったばかりの私に三三九度などまともにできるはずもございませんのに。
本当に形ばかりの祝言でございました。

主人がインドシナに出征するとすぐに、私も疎開いたしました。
疎開先では家族に手紙を書く時間というものがございました。
私は母に手紙を書きたかったのですが、母に手紙を出しても返ってきません。
しばらくして父から叱る手紙が来るばかりでございます。
はい、両親は私に主人に手紙を書くよう命じていたのでございます。
主人に手紙を出しても優しい言葉など一つも帰っては来ませんのに。
そんな返ってこない手紙ですから、いつも手短に近況を知らせるだけの手紙でございました。
疎開の中で寂しい日があっても誰にも頼れないで過ごしたのでございます。
やっと七つになったばかりだった私にはとても辛い日々でございました。
許婚がいるということで私は疎開先でもおかしな目で見られておりました。
国民学校に通う年で許婚がいるのはいくら田舎でも珍しいことでございましたから。
主人に手紙を書く度にからかわれたものでございます。

戦争が終わると主人が復員してまいります。
許婚という言葉の重みは日増しに増して、気が重い日々を過ごしておりました。
そんな私の心を知りもせず、主人は負傷もせずに復員してまいりました。
非国民とののしった私は母に打たれました。
私は主人にお国のために死んで欲しかったのでございます。
それが殿方としてのあるべき姿だと教えられておりましたから。
なぜ玉砕しなかったのかと主人を責めました。
傷一つなく帰ってきた主人がふがいなかったのでございます。
いえ、違います。
私は主人と結婚するぐらいなら嫁かず後家になりたかったのでございます。
主人が戦死すれば、主人と結婚しないで済む......
幼かったとはいえ恐ろしいことを考えたものでございます。

主人が復員してまいってからは「いつ嫁ぐのか」とそればかり伯母にせっつかれておりました。
国民学校が小学校と名前を変え、世の中はどんどんと変わっていくのに私の周りだけは取り残されたようでございました。
世の中では女も選挙にいけるようになったりもいたしましたが、母も伯母も祖父に止められて選挙に行く事を禁じられておりました。
「女は政治に口を出してはいけない」、どんなにアメリカ様が頑張っても祖父の頑なな心はかわらなかったのでございます。
小学校を出ると私は女学校ではなく新しい中学校に進みました。
男も女も一緒の中学ということに戸惑ったものでございます。
周りでは淡い恋をするものもおりました。
私にはもう恋などは縁がございません。
そのことがわけもなく悲しく、夜に一人で泣いたこともこざいます。

アメリカ様が来てしばらくして農地改革が始まりました。
主人の生家は地主の家柄でございました。
小作人に土地を取られて口惜しいとよく伯母が嘆いておりました。
私と主人はは従兄妹と言えど分家でございます。
農地改革までは小作人でございました。
それが急に土地を持ったのでございます。
伯母にはさぞ理不尽に写ったことでございましょう。
父が浮かれていたことも伯母の怒りに拍車をかけました。
結婚をせっつかれ、泥棒呼ばわりされ、私は毎日泣いておりました。

中学を卒業するとき、高校に進むものと家業を継ぐものと町に就職するものに別れました。
私は高校に行きとうございました。
でもそれは許されるはずのない望みでございました。
伯母に鼻で笑われ、私の望みはくだかれました。
法律で16歳になるまでは結婚ができないことになっておりましたことが唯一の救いでした。
高校に行けなくとも、中学を出てからしばらくは自由だと思っておりました。
でもそんな私のささやかな期待さえ伯母に打ち砕かれたのでございます。
中学を卒業してすぐ、伯母は「花嫁修業」と申して私を連れ出しました。
それからは私の自由は完全になくなりました。
伯母の監視を受けながら毎日主人の家業の米作りを手伝わされておりました。
一日も休むことも許されず、女中以下の扱いでございました。
毎晩泥だらけになってもお風呂は一番最後でございました。
垢が浮いてぬるくなった湯船で毎晩涙を流したものでございます。
お風呂の時間だけが一人になれる時間でございました。
伯母の「花嫁修業」は私が16になるまで続きました。
私が16になると正式に結婚でございます。
もう祝言は主人の出征前に済ましておりましたから、何の祝いもございませんでした。
ただ私の苗字が変わっただけでございます。
でもそのことがもう戻る家がないのだと私には重うございました。
正式に結婚すると主人は何の感動もなく私を抱きました。
毎晩の最後の仕事は風呂の掃除から主人の伽に変わりました。
私にとって結婚はたったそれだけのことでございました。

はい、これが主人と結婚するまででございます。
生い立ちを人にお話するなんて初めてでございます。
うまくお話できておりますかどうか......
こんなことをお話して本当に何かになるんでございますか?
いえ、疑ってはおりません。
けれど、申し訳のうございます。
こんな私の罪を軽くしようだなんて考えないでくださいませ。
私は主人を殺したのでございます。
どんな罰も受ける覚悟はできております。
ただ、話を聞いていただけるのは嬉しゅうございます。
またいらしてくださいませ。

To be continued.....