坂本龍馬年譜目次
| 天保6年-万延元年 |
| 文久元年 |
| 文久2年 |
| 文久3年 |
| 元治元年 |
| 慶応元年 |
| 慶応2年 |
| 慶応3年前半-6月まで |
| 慶応3年後半-7月以降 |
| 坂本龍馬略歴 |
| 船中八策 |
| 海援隊約規 |
| 海援隊名簿 |
| 新官制案 |
| 新政府綱領八策 |
| 五箇条の御誓文 |
個人年譜目次
| 勝海舟の年譜 |
| トーマス・グラバーの年譜 |
| アーネスト・サトウの年譜 |
幕末年譜目次
幕末カレンダー
| 幕末カレンダー |
| 坂本龍馬略歴 |
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1836.1.3-1867.12.10 直陰(文久3年) 大浜濤次郎(慶応元年) 西郷伊三郎(慶応元年) 才谷梅太郎(慶応2年) 直柔(慶応2年) 取巻の抜六(慶応2年) 自然堂(慶応3年?) 土佐藩 江戸千葉道場(嘉永6年) 勝海舟に師事(文久2年) 神戸海軍塾(文久3年) 亀山社中(慶応元年) 薩長同盟(慶応2年) 海援隊(慶応3年) 船中八策 薩土盟約 大政奉還 新官制擬定書 新政府綱領八策 京都近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺 五箇条のご誓文(明治元年) |
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勝海舟略歴 |
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1823.3.12-1899.1.21 勝麟太郎 勝安房守 永井青崖蘭学塾 佐久間象山塾 1855-長崎海軍伝習所 1860-遣米使節咸臨丸艦長 1863-神戸海軍操練所 諸侯連合策 1868-陸軍総裁 江戸城無血開城 吹塵録 海軍歴史 陸軍歴史 開国起源 氷川清話 海舟語録 海舟座談 1890-追賛一話 |
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トーマス・グラバー略歴 |
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1838.6.6-1911.12.13) (在日1859-1911) Thomas.Blake.Glover 英スコットランド・フレイザーバラで生まれアバディーンで育つ 1859-長崎に来日 1861-グラバー商会設立(ジャーディン・マセソン商会長崎支店長) 1865-長崎大浦海岸で蒸気機関車「アイアンデューク」試走 五代友厚・松木宗則らの薩摩留学生を援助する 井上聞多・伊藤俊輔・近藤長次郎・高松太郎らの長州藩の武器買付けの取引にかかわる 1866-英公使パークスの薩摩訪問を斡旋する 1867-長州藩・肥後藩の新造艦注文・高島炭鉱機器発注・修船場発注準備などのため英国一時帰国 1868-ジャーディン・マセソン商会の大坂・兵庫代理店依嘱,大坂の造幣機械を発注する 1870-グラバー商会倒産 |
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アーネスト・サトウ略歴 |
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1843.6.30-1929.8.26) Ernest.Mason.Satow 英ロンドン・クラップトンに生まれる 父はスウェーデン人 1859-ユニバーシティ・カレッジ(ロンドン) 1861.8-日本係通訳生正式採用 1861.11-英出発 1862.8.6(9.8)-北京発(横浜着) 在日第1期1862.9.8-1869.2.24) 1866-英国策論 1870--1882.12再来朝、書記官 1883-賜暇帰国 1884-シャム駐答総領事 1885-同国駐答公使 1887-英帰国、イタリア、スペイン、ポルトガルを旅行 1889-ウルグァイ駐答公使 1893-モロッコ駐答公使 1895.7.16駐日公使、日英同盟へ 1900-シナ駐答公使 1906-英帰国、枢密顧問官 1885-1921一外交官の見た明治維新(A_Diplomat_in_Japan) 幕末維新回想記 公使日記 |
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長崎での坂本龍馬の活動の足跡を辿って行きたいと思います。
自分が得た知識を、これから少しずつ皆さんに発信していきたいと思います。
皆さんと共に、龍馬の真実について少しずつ確かめ明らかにしていきましょう。
皆さんと共に、龍馬の真実について少しずつ確かめ明らかにしていきましょう。
□東日本大震災の発生とその後の経過
□NHK大河ドラマ「龍馬伝」 → 2010年1月3日(日)からスタートしました
□坂本龍馬や幕末についての知識を高める第3回坂本龍馬幕末歴史検定の開催が発表されました
□龍馬の原物写真新発見か! 大浦慶の親族が保管していた龍馬の椅子に座った坐像の印画紙に焼き付けた原物写真とみられるものが発表されました
□龍馬ゆかりの全国各地を歩く大会を開くことが発表されました
□龍馬が佐佐木高行とともに大政奉還直前の長崎で桂小五郎と会談した料亭玉川亭の古写真が発見されました
巨大地震と津波、それから引き起こされた原発の危機。われわれの生活と考え方を一変させた出来事について放射能汚染にテーマを絞って新聞を読み返しまとめてみました。
□復元蒸気帆船観光丸が佐世保市ハウステンボスから、軍艦島クルーズなどの実績がある長崎市の航路事業者に借り出され、長崎港観光クルーズを2012年4月7日(土)から始めると発表、ただいま出島ワーフ付近に接岸中
発着点: 長崎港ターミナル
折り返し点: 三菱重工長崎造船所香焼工場
所要時間: 約1時間
運航時間: 1日2便(正午と午後4時発)
運航日: 4月(土日)、5月から毎日運航
料金: 大人二千円、小学生千円
□2011年度「長崎さるく」が始まりました
折り返し点: 三菱重工長崎造船所香焼工場
所要時間: 約1時間
運航時間: 1日2便(正午と午後4時発)
運航日: 4月(土日)、5月から毎日運航
料金: 大人二千円、小学生千円
(2011年4月1日→)
同時に「長崎まちなか龍馬館」もリニューアルオープンし龍馬にまつわる人・ものなど展示されます
(2011年4月から1年間、長崎さるく新年度スタートとともに長崎市の直営で延長展示されます)
□龍馬の同志近藤長次郎の顕彰碑が有志の募金活動によって建てられました同時に「長崎まちなか龍馬館」もリニューアルオープンし龍馬にまつわる人・ものなど展示されます
(2011年4月から1年間、長崎さるく新年度スタートとともに長崎市の直営で延長展示されます)
□NHK大河ドラマ「龍馬伝」 → 2010年1月3日(日)からスタートしました
11月28日(日):最終回
□亀山社中跡が長崎市亀山社中記念館として新装開館されました
(2009年8月1日から)
□長崎歴史文化博物館にNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんだ「長崎奉行所・龍馬伝館」が館内に開設されました
(設置期間は2010年1月9日→2011年1月10日)
「大河ドラマ館」が館内に開設されました
(設置期間は2011年2月11日→2011年10月30日)
□高知-長崎500キロ「友情ウォーク」が10・11月に開催され予定通り無事ゴールしました
「大河ドラマ館」が館内に開設されました
(設置期間は2011年2月11日→2011年10月30日)
(2009年10月14日→11月3日)
□幕末カレンダーをつくりました 試しに御覧下さい□坂本龍馬や幕末についての知識を高める第3回坂本龍馬幕末歴史検定の開催が発表されました
実施日: 2010年12月19日(日)
□ハウステンボス(佐世保市)にも龍馬伝館が開設されることになりました
□長崎の幕末時の花街丸山の花月前にある丸山公園に坂本龍馬銅像が幅広い募金活動で建てられました□龍馬の原物写真新発見か! 大浦慶の親族が保管していた龍馬の椅子に座った坐像の印画紙に焼き付けた原物写真とみられるものが発表されました
□龍馬ゆかりの全国各地を歩く大会を開くことが発表されました
(2010年1月1日から2年間)
□龍馬が勝海舟に同行して初めて長崎に上陸した島原に島原湊龍馬館がオープン
(2010年2月22日・島原市津町)
□今年度の長崎くんち(10月7日-9日)に籠町・龍踊りの特別参加が決定しました
(2010年4月10日・長崎伝統芸能振興会発表)
□龍馬が久坂玄瑞から受け取って土佐に運んだ手紙が80年ぶりに発見されました
(2010年4月12日・土佐山内家宝物資料館発表)
□龍馬が借り受けて航海中衝突沈没したいろは丸が購入された契約書が発見されました
(2010年4月23日・愛媛県大洲市発表)
□ワイルウエフ号遭難地の新上五島町に合掌する龍馬像が建立されました
(2010年5月2日・除幕)
□高知県の民家に保存されていた龍馬直筆の手紙の下書きが発見されました
-大政奉還諮問の議で将軍徳川慶喜が招集した在京40藩の重役の二条城への登城前に、土佐藩代表後藤象二郎に決死の覚悟を持って激励しているもの
(2010年6月16日・県立坂本龍馬記念館発表)
この下書きの自署名は坂本直柔と堅いが、実物の所在は不明となり写真のみ残っていて、こちらは龍馬の自署名になっている
(参考-「龍馬の手紙」宮地佐一郎)
この実物写真のものは中島家文書となっていて、当時長崎から同行し上京したばかりの中島作太郎・岡内俊太郎・戸田雅樂らとともに、すでに醤油商近江屋の宿に移動して作成し、龍馬にいちばん身近にいた中島作太郎が残しておいたものか
□中岡慎太郎の写真ガラス原板が発見される
(2010年6月16日・県立坂本龍馬記念館発表)
この下書きの自署名は坂本直柔と堅いが、実物の所在は不明となり写真のみ残っていて、こちらは龍馬の自署名になっている
(参考-「龍馬の手紙」宮地佐一郎)
この実物写真のものは中島家文書となっていて、当時長崎から同行し上京したばかりの中島作太郎・岡内俊太郎・戸田雅樂らとともに、すでに醤油商近江屋の宿に移動して作成し、龍馬にいちばん身近にいた中島作太郎が残しておいたものか
京都菊屋峰吉の子孫である富山市の個人宅で保存されていた中岡慎太郎の笑う顔の写真で左側の人物が削り取られたり塗りつぶされたりしている写真のガラス原板です
(2010年7月20日・中岡慎太郎館-高知県北川村-発表)
この写真を撮った時は他にも兄北川武平次も写った三人像のもの・女性にキセルを受けた姿・正面から睨みつけたような肖像と計四枚の種類があるようです
中岡慎太郎の略年譜は幕末カレンダーのページでどうぞ
□いろは丸の絵画史料発見される
(2010年7月20日・中岡慎太郎館-高知県北川村-発表)
この写真を撮った時は他にも兄北川武平次も写った三人像のもの・女性にキセルを受けた姿・正面から睨みつけたような肖像と計四枚の種類があるようです
中岡慎太郎の略年譜は幕末カレンダーのページでどうぞ
長崎市歴史民俗資料館で開催されている「長崎の海と船展」で展示されている中にいろは丸とみられる絵画があったと発表されました
(2010年7月27日・長崎市歴史民俗資料館発表)
幕末期に長崎に入港した艦船などについての記録「白帆注進外国船出入注進」(鍋島報効会所蔵)の冊子に記載されているそうです
時期は慶応2年10月24日に長崎港外深堀亀ケ崎出船の模様を描いたもののようで船印は大洲藩加藤家のもの・三本マスト・煙突の煙がたなびいて追い風のようです
□龍馬の現存する最古の手紙の現物発見される(2010年7月27日・長崎市歴史民俗資料館発表)
幕末期に長崎に入港した艦船などについての記録「白帆注進外国船出入注進」(鍋島報効会所蔵)の冊子に記載されているそうです
時期は慶応2年10月24日に長崎港外深堀亀ケ崎出船の模様を描いたもののようで船印は大洲藩加藤家のもの・三本マスト・煙突の煙がたなびいて追い風のようです
□龍馬が佐佐木高行とともに大政奉還直前の長崎で桂小五郎と会談した料亭玉川亭の古写真が発見されました
(2010年11月26日・長崎市・長崎大学姫野教授発表)
□龍馬と親しかった土佐勤皇党系の世話役的存在の樋口真吉が慶応3年の日記(日新録)に龍馬・中岡の暗殺時を詳しく記していることが話題になっています
・慶応3年11月15日午後10時ごろ
・龍馬・中岡はそれぞれ変名才谷梅太郎・横山勘蔵を名乗っている
・賊二人に襲われる
・中岡は隣室に刀を置いていたため短刀で応戦する
・龍馬は刀をとる間もなく斬られ「横山兄如何」と気遣いながら絶命する
となっているそうです
・龍馬・中岡はそれぞれ変名才谷梅太郎・横山勘蔵を名乗っている
・賊二人に襲われる
・中岡は隣室に刀を置いていたため短刀で応戦する
・龍馬は刀をとる間もなく斬られ「横山兄如何」と気遣いながら絶命する
となっているそうです
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龍馬が長崎に立ち寄った時期を抜き出して並べてみました。
(詳細は項目をクリックして下さい) |
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| 勝海舟の長崎出張に同行する (兵庫 佐賀関 熊本 島原を経て長崎へ) | 元治元年2月23日-4月4日 |
| 神戸海軍塾同志と共に薩摩潜伏行の際 大坂出港し長崎に寄港する | 慶応元年4月29日 |
| お龍と共に薩摩静養行の際 大坂出港し長崎に寄港し近藤長次郎の墓参をする | 慶応2年3月8日-9日 |
| 下関幕長戦参戦行の際お龍と共に薩摩出港し長崎に入りお龍を小曽根家に預け五島にワイルウェフ号遭難碑を建てる | 慶応2年6月4日-12日 |
| 下関幕長戦争後お龍を小曽根家に預けた長崎に入り亀山社中業務に参加する | 慶応2年7月25日-12月14日 |
| 後藤象二郎に会うべく下関に新宿を決め長崎に入りお龍を下関伊藤助太夫邸・自然堂に移す | 慶応3年1月9日-2月10日 |
| 脱藩罪赦免と海援隊長任命で長崎入りし土佐藩の旗のもと蝦夷開拓を秘めいろは丸で長崎を出港する | 慶応3年3月24日-4月19日 |
| いろは丸衝突沈没事故談判のため 鞆 下関を経て長崎に入る | 慶応3年5月10日-6月9日 |
| イカルス号事件談判のため 京都 兵庫 土佐 下関を経て長崎に入る | 慶応3年8月15日-9月18日 |
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坂本龍馬像(風頭山)
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坂本龍馬(1836-1867)
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