このページに掲載した随筆は弊支部のホームページの「上田市旧北国街道の調査と提案」をご覧頂いた感想と共にお送りいただいた、北国街道沿いを流れる蛭沢川の探訪記を御許可を頂き掲載したものです。
 
※写真は、当支部まちづくり委員会で撮影したもので、蛭沢川と矢出沢川の風景です。 

上小支部トップへ戻る

北国街道調査と提案表紙へ戻る

上田市蛭沢川探訪


随筆:2004年1月10-20日
太田和親
 

yanagimati(2004.1.13):市内で鴨が泳いでいます
 
  最近の運動不足解消のため、1/10-12の三日間、蛭沢川(ひるさわがわ)の源流から終点までを求めて、合計9時間も歩き回りました。それで発見したことが二つありました。
(1)蛭沢川と明瞭に書かれているのは古里(こさと)の段下の袮津街道付近(JAF付近)からですが、更に上流では、段上の古里の農地全部を、この川は網の目のよう分かれて潤しています。蛭沢川は古里の農業に不可欠だ!これが発見の一つです。
 因に、あまりに網目が複雑になっているので、どれが本流か分からず、歩き回りましたが、疲れてしまい、それ以上の探索は諦めました。どうも、その網目が、また一本に収束して、それが神川(かんがわ)につながって、そこから取水しているようでした。誰か御存知の方、蛭沢川の源流を教えて下さい。
(2)蛭沢川は、昭和の初期にJAFの少し上手付近で掘鑿分川されて、常田川(ときたがわ)がここから始まっています。洪水を防ぐのと農業用水を取るためのようで、記念碑がそこに建っていました。常田川は常田池(ときたいけ)のそばを流れて、踏入(新田)地区を貫いています。常田池の水も、常田川に注いでいます。1月の今、常田池には約20羽の鴨が泳いでいます。さて、JAFより更に、蛭沢川を流れに沿ってたどって行きました。袋町の香青軒近くの弁天橋まで来ましたら、何と、その弁天橋の下にも、鴨が4羽泳いでいました(1/10目撃)。こんな市内に鴨が泳いでいるなんてびっくりしました。これが発見の2つ目です。 
 尚、1/12にも弁天橋まで行って見ましたが、その鴨はいませんでした。しかし、約300メートル下(しも)の東町橋(真田太平記館裏あたり)の下流で、その4羽を見つけました。風情がありました。そして、もっと下流に歩いていきました。旧上田中央郵便局の横を流れ、柳町の武田味噌屋さんのあたりで、矢出沢川(やでさわがわ)と合流していました。やっと蛭沢川の終点にたどり着きました。蛭沢川最後の橋、緑橋から約20メートル位下流で、蛭沢川は矢出沢川へ注いでいます。緑橋からは両岸の家に挟まれ蛭沢川の川口しか見えないので、少し紺屋町の北国街道を引き返して「保命水」の交差点を左折し、大宮さん(上田大神宮)への参道を少し行くと、武田味噌屋さんの脇で、矢出沢川をまたぐ神宮橋が架かっています。この神宮橋から蛭沢川川口を眺めてみて、またびっくりしました。そこには約40羽もの鴨が群れて泳いでいました。この神宮橋付近にはいつもこんなに鴨がいるのでしょうか?ここには、常田池の倍も鴨がいます。この付近えさが多いのでしょうか。鴨は渡り鳥でしょうから、冬の間だけこのあたりにいるのでしょうね。神宮橋付近の参道から柳町の北国街道にかけては、江戸時代にタイムスリップしたみたいだし、橋の下には鴨が沢山・・・、感動しましたね。上田市内の見どころナンバーワンっていう感じでした。

(2004.1.19):蛭沢川の源流らしきもの発見

 蛭沢川の源流らしきものを発見しました。五中の東、虚空蔵山(地元ではお蚕山ともいう)の南の新屋隧道のようです。
 古里全体を足で歩いて探すのは余りに大変だったので、昨日の日曜日(1/18)は車を使って、目星を付けた所を中心に回ってみました。袮津街道JAF辺りから上に登ると道がY字に分かれ、左手の方に道を蛭沢川に沿って登ります。段上に達するとそこからは蛭沢川というより、丸で側溝になっていて、その上、暗渠になっています。しかし、所々簀子(すのこ)の蓋がしてあるので、上から覗くと水が滔々と流れ、単なる側溝でないことが分ります。この流れを追って真っすぐ東上して行くと、笹井地区に至ります。ここで、この流れは左に折れて北上します。暫く行くと水路がトの字になっている所があります。このトの字のところは東から水が流れてきて、ここで面白いことに北上する水と南下する水にわかれています。同じ南北一直線の水路をこの地点で北上する流水と南下する流水になるので、不思議な気がしました。水量は大変多く、ここを東に右折して、トの字の枝のところをさかのぼって上流を訪ねると、古里台地の端に至ります。ここから水路はまた左折し台地の端を、虚空蔵山(お蚕山)まで、北上しているようでした。水路沿いに車を走らせることは不可能でしたので、五中まで北上して右折し、そこから新屋地区まで行きました。そこでまた、水量の豊富な水路に出会いました。これに沿って水路をたどっていくと、お蚕山の裾に至ります。ここには、お蚕山下に掘ったトンネル、新屋隧道があり、その直ぐ南に「上水道取り入れ口」という上田市水道局の施設がありました。隧道からは清涼な水がこんこんと湧きだし、施設内に流入し、そして施設の南から施設外の水路に放流されていました。この水量からして、これが、古里全体の水源になっていることは間違いないようでした。 
 これを証明するように、水路の横に、新屋隧道開通記念碑が立っていました。その碑文には、「古里地区は、江戸時代から農業や生活のため、この新屋あたりを水源として、水を引いていましたが、度々大雨による土砂崩れで水源がふさがれ、大変苦労していました。明治時代から大正時代に安定的水源を確保するために計画が立てられたのですが、合意がうまくいかず、そのままになっていました。しかし戦後のキティ台風で大規模に土砂崩れがおこって水源が壊滅してしまい、住民はその惨状に呆然自失となりました。これではいけないということになり、ようやくそれで、多くの住民が合意し一致協力できました。昭和28年に、市の事業としてこの新屋隧道を開通させ、安定的水源を確保しました。云々。」という趣旨のことが書かれていました。因に、キティ台風は占領下の日本での台風の命名法の所産ですね。
 この新屋隧道の水源からの水が、網の目のように分れて古里の台地を潤し、最後には蛭沢川に収束されて、流れているようです。
 新たな疑問ですが、新屋隧道(トンネル)の向こうは、神川から取水しているのでしょうか?どなたか、新屋隧道の向こうは水の流れはどうなっているか知っている方はいませんか?


(2004.1.20):水辺を歩く遊歩道

 蛭沢川を探訪していて、上田は小川や水路が市内を流れて、とても風情があることを、改めて認識しました。オランダに似ています。冬は鴨まで泳いでいるのです。そこで、下記の提案は素晴らしいもので、検討に値すると思います。
 社団法人長野県建築士事務所協会上小支部が平成14(2002)年に提案されている第3案:「水辺を歩く:町並み散策のもうひとつのルートとして、旧街道の町並みに沿って流れる、矢出沢川・蛭沢川を利用した、遊歩道の提案をします。これに、私も大いに賛成です。
(以上)

上小支部トップへ戻る

北国街道調査と提案表紙へ戻る

 

- 社団法人長野県建築士事務所協会上小支部 -