Let’s No.41(2003.12)

法廷で元日本兵の性暴力証言を聞いて

 
                                                                             川田文子


  11月17日に行われた中国人「慰安婦」裁判第一次訴訟の控訴審第9回口頭弁論を傍聴した。石田米子さんと近藤一さんのふたりの証人と原告劉面換さんの陳述という内容の濃い弁論であった。石田さんと近藤さんの証人申請は、山西省性暴力裁判(中国・山西省性暴力被害者損害賠償等請求事件)でもなされていたが、受けつけられず、こちらの控訴審で実現したという経緯がある。日本軍の性暴力を捉える上で、歴史学者としての石田さんの緻密な調査に基づいた証言に、私はきわめて深い啓示を受けた。
  近藤さんは独立混成第四旅団、第六二師団に配属され、中国から沖縄に従軍し、これまで加害者としての証言をされてきた方である。私も集会で、三光作戦にかかわる証言を聞いたことがある。この日の証言ではその実相とともに、性暴力についても語られた。いわゆる「慰安婦」裁判の中でも、性暴力についての加害者としての証言は、近藤さんがはじめてだろう。
  従軍中、日本兵が中国の女性を輪姦するのを六回目の当たりにし、一回は自分も輪姦に加わった。トーチカ建設中のことであった。中国の女性が連れ込まれた。外では仕事をしている者もいた。「おい、次は近藤だ」といわれ、仕切られた部屋に入る
と、ごろんと女性が横たわっていた。三、四番目だったからふっと「汚い」と感じたという。女性はことが終わっても無反応だった。  私は「汚い」と感じたという近藤さんのことばが妙に生々しく脳裏に残った。日本軍の性暴力被害者の多くが、自分の身が汚されたという感覚に深く苛まれていた。この問題が論議され始めた頃、韓国の被害者が、「こんな汚れた身体で結婚したら相手の男性に申し訳ないと思い、結婚しなかった」と語っていた。それを聞いた時、私は重層的な性暴力被害の深さに戦慄したものだ。そうした証言に出会う度、私は、被害者の身は汚れてなどいないと打ち消した。
  しかし、近藤さんが「汚い」と感じたのは正直な感覚だったろう。私は打ち消したけれど、近藤さんのそのことばを聞いた時、被害者の「汚された」という感覚がリアルに伝わってきた。荒んだ兵士の排泄行為同様の性の対象にされるのは「汚れ」以外のなにものでもなかったろう。
  犯す側にとっても、犯される側にとっても、輪姦は「穢れ」なのである。「穢れ」の感覚は種の保存という性の根源を犯すことのおそ畏れの表出ではないだろうか。輪姦によっても子は生まれることがある。が、子の養育責任は放棄され、女性の出産機能は破壊される。
  慰安所では、日本兵の子どもが少なからず産まれた。中国をはじめ、強姦、輪姦されたアジアの女性も子を産んでいる。在日の「慰安婦」裁判の原告だった宋神道さんは、数回妊娠し、死産、堕胎を経験し、ふたりの子を中国に残してきた。自分の子が
親を捜しに日本へ来はしまいか、残留孤児が来日する度に宋さんはテレビにしがみついていた。インドネシアのマルデイエムさんは、麻酔もなしに妊娠五ヵ月で中絶手術を受けた。その痛みの記憶以上に、親が自分の子を殺した罪の重さに慄き、辛く感じていると語っていた。日本軍が犯した罪を被害者が負い、今日なお、その罪悪感に苛まれているのである。慰安所で、あるいは、強姦、輪姦した女性に子が産まれていることなど、日本兵は想像もしないだろう。冗談半分に想像してみても、その子の行く
末を心配することなどないだろう。
  もっとも、あらゆる破壊行為の、その被害を受けた者の行く末など考えていたら戦争などできはしないという声がどこからか聞こえてきそうだ。あらゆる破壊行為、人間の生存をおびやかす戦闘行為は犯罪である。
  それにしても、男たちはなんと傲慢な性意識を長い歴史を通じて保持してきたことか。公娼制度も慰安所制度も輪姦を制度化したものだが、自ら輪姦しておいて、輪姦した対象を「身体の汚れた女性」と見なし、蔑んだ。その伝統は今日なお引き継がれている。
                        (当資料センター共同代表)

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