Let's No.39(2003.6)

    藤原彰さんを偲ぶ

          荒井 信一(日本の戦争責任資料センター共同代表)


 さる2月26日、藤原彰さんが亡くなった。2年前に腎不全で人工透析を受けるようにな
ったが、週3回透析のための通院という苛酷なスケジュールのなか、2001年には『餓死
した英霊たち』(青木書店)、昨年には『中国戦線従軍記』(大月書店)を上梓し、その
旺盛な意欲と筆力にまだまだ元気で現代史研究の第一線で活躍されるであろうことをわ
れわれは信じていた。その矢先の思いがけない死であった。
 藤原さんの次の作品として、日本軍が中国の一般民衆を無差別に殺し、民家を焼き払
い、食糧などを奪った燼滅掃蕩作戦(三光作戦)の研究がまとまりつつあったが、これ
は未完のままに終わった。その片鱗は『戦争責任研究』に寄せられた海南島と華北にお
ける日本軍の三光作戦を取り上げた数編の論文でうかがうことができる。これまで利用
されてきた中国側資料だけでなく、あらたに防衛庁所蔵文書をはじめとする日本側一次
史料をひろく収集し利用するとともに、シベリア出兵にまでさかのぼり日本軍の本質と
侵略戦争の実態を追求した好著になることが期待されていた。
 藤原さんの膨大な業績についてこのような短文で述べることは不可能である。ただ日
本の戦争責任資料センターの活動にとって藤原さんが研究者を育て組織するために力を
尽くしたことが、大きな役割をはたしたことを明記しておかなければならない。
 1982年の教科書問題の後、南京事件調査研究会を組織したことがそのひとつである。
南京大虐殺虚構論が『正論』や『文芸春秋』をにぎわすなかで「教科書裁判の重要な争
点のひとつでもあるこの問題に、現代史研究者としても取り組むべきではないか」と考
えたのが会の結成の動機、また会の研究成果について「会としての刊行物の他にも、(
会のメンバーが)著作を出し、学問的には(南京事件)虚構説、まぼろし説を完全に粉
砕したと思う」と藤原さん自身要約している。
 もうひとつはやはり82年の教科書検定で沖縄における日本軍の住民虐殺の記述が削除
されたことを発端として86年に「沖縄戦を考える会(東京)」を発足させた。この会も
「研究対象は沖縄だけでなく、マレーシア、シンガポールとだんだんに東南アジア全体
に広がっていき、しだいにアジアでの日本軍の虐殺研究会のような観を呈するようにな
った」(以上、引用は藤原彰『ある現代史家の回想』より)。
 これらの会の研究成果自体が、10年前にセンターの活動が始まる前提になった。それ
ばかりでなくこの二つの会のメンバーをはじめ藤原さんの影響を受けた多くの人が、現
在までさまざまな面でセンターの活動で中心的な役割をはたしてきている。そのことで
もわれわれは藤原さんに感謝しなければならない。
 藤原さんはアジア太平洋戦争の直前に陸軍士官学校を卒業し、歩兵の最前線の指揮官
として中国戦線で苛酷な戦闘を体験した。敗戦とともに東京大学の文学部国史学科に入
った。私が藤原さんとあったのはそのころであるが、かれは人情部隊長として部下の兵
隊に慕われていたと話した。かれの遺著『飢え死にした英霊たち』は、太平洋戦争の戦
死者、230万人のうち6割以上が飢え死にした事実を明らかにして大きな反響を呼んだ。
この本で藤原さんは、日本軍に「兵士を病気や飢えで失うことへの罪悪感」がかけてい
たこと、兵士の生命と人権の軽視がこのような結果を生んだことを構造的に明らかにし
た。私自身、最下級の兵隊としての経験から、日本の兵隊は哀れだという思いを捨てら
れない。この本を読んだとき藤原さんの「人情部隊長」ぶりがこのような形で結実して
いることに深い感慨を禁じえなかった。                     
   
     

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