Let's No.29(2000.12)掲載

宋さんの東京高裁判決
                                               

                                      川田 文子
                  
(日本の戦争責任資料センター副代表/ノンフィクション作家)

   11月30日、宮城県在住の宋神道さん(78歳)が「慰安婦」被害について国会における公式謝罪と1200万円の賠償を国に求めた控訴審判決が東京高裁で言い渡された。

   強制労働条約について「従軍慰安婦の労働が強制労働条約の禁止する強制労働に該当」「国際法上の国家責任が成立すると解する余地はある」、また、婦女禁売条約(判決文では醜業条約と略)について「従軍慰安婦の労働は、醜業条約の適用対象となる『醜業』であったと認めることができる」と国の条約違反を認めた。奴隷条約についても「従軍慰安婦の実態については、奴隷状態類似の重大な人権侵害行為があった」と推認している。戦後補償裁判ではじめて国際法上の国家責任を認めたが、宋さんの請求は棄却した。

   99年10月1日の地裁判決後の宋さんの落胆は私たちの想像をはるかに超えていた。裁判の公正性に一定の期待を抱いていたからだ。控訴審判決に対しては「裁判所はヘソがお茶を沸かすようなことしてる」と不信感を露にした。  大勢の記者がつめかけた記者会見室に入った時、宋さんは、「なんだ、俺が負けた裁判をみんな報道するのか」とつぶやいた。提訴した時には、「俺らの税金で生活保護受けているくせに裁判するのか。文句があるなら韓国へ帰れ」、地裁判決後は「負けた裁判いつまでやるんだ」と近隣の人からいわれた。日本軍の性暴力を受けたことも恥、裁判に負けたことも恥、「恥を重ねている」と宋さんは萎れた。恥じなければならないのは、戦争遂行のため植民地や占領地の少女を組織的強姦の対象にした日本軍の側であったし、半世紀以上もの年月を経てなお国が犯した犯罪を裁けない司法の側だといっても、宋さんには気休めにもならない。

   私の下の娘は15歳、上の娘は19歳である。宋さんが揚子江中流域の武昌の慰安所世界館へ連れて行かれたのは16歳だった。世界館には3年いたが、誰の子かも分からない子を身ごもり、しかし、容赦なく「慰安」を強要され、7ヵ月目で死産、自ら逆子の胎児を引き出し葡萄色のナマコのような遺体を山に埋めた。そして、再度妊娠、漢口の海軍慰安所に移って出産し他人に預けた後、岳州の慰安所へ移った。上の娘と同じ年の頃のことだ。自分の娘に引き寄せて宋さんの中国での7年に及ぶ「慰安婦」体験を辿ると愕然とする。思春期の多感な時期に自分を性的対象としか扱わない、殺戮と破壊を繰り返す荒くれた兵士としか接することがなかったのだ。

   判決の報告集会は、同じ日、東京地裁で本人尋問をした中国山西省の万愛花さん(70歳)の報告と合同で行われた。抗日ゲリラだった万さんはその報復として日本軍の凄惨な性暴力を受けた方だ。宋さんは「これだけ分からない国ははじめて見ました。本当にイナゴが頭割るよ」と判決で受けた衝撃を吐露した。それでも集会終了間際、♪慰問袋のキャラメルに郷里の味がすると哀調な軍歌を唄った後、♪いくら負けても俺はさびない、と即興の替え歌で判決を笑った。最も落胆しているのは原告である宋さんだろうに、支援者に心意気を見せなければと、自分を奮い立たせて唄ったに違いない。そして翌日、上告を決意した。

   宋さんの判決の前日、花岡訴訟和解成立のニュースが流れた。勤労挺身隊や強制連行など企業の戦後補償問題は、裁判所からの和解提起によって解決の糸口が見出されつつある。国が責任をとるべき「慰安婦」問題の解決は21世紀にもち越されたが、宋さんが受けた重大な人権侵害が放置されるようなことがあってはならない。 

                       

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