議員会館での訴え

2011年5月19日、「負げねど飯舘!!」メンバーが、衆議院第1議員会館 多目的ホールにて、飯舘村が直面している困難、現状を訴えました。

参加者

  • ジャーナリスト 上杉隆 氏
  • いわき市議会議員 佐藤和良氏
  • 福島老朽原発を考える会 阪上武 氏
  • 負げねど飯舘!! 佐藤健太 愛澤卓見

主催

  • FoE Japan
  • 環境エネルギー政策研究所(ISEP)
  • 原子力資料情報室
  • グリーン・アクション
  • グリーンピース・ジャパン
  • 「環境・持続社会」研究センター(JACSES)
  • 原水爆禁止日本国民会議

FoE Japan 開催報告 エネルギー政策転換に向けた議員セミナー第2回

院内セミナーの様子

USTREAM 2011-05-19 議員セミナー「原発事故取材の報告」上杉隆 氏
http://www.ustream.tv/recorded/14804269

USTREAM 2011-05-19 議員セミナー「原発が地元社会をどう変えたか?」佐藤和良 氏
「はじまりは一台の放射能測定器から」阪上武 氏
http://www.ustream.tv/recorded/14804891

USTREAM 2011-05-19 議員セミナー「飯舘村が今直面していること」佐藤健太・愛澤卓見
http://www.ustream.tv/recorded/14805318

飯舘村が今、直面していること

 初めに、このたび東日本大震災により、沢山の尊い命が失われたことに、深い哀悼の意を捧げるとともに地震や津波によって被災された方々、原発被害によって早くから非難を余儀なくされた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 今回こうして皆さんの前でお話させていただける機会をいただき誠にありがとうございます。少しでも飯舘村の今を知ってもらいたい。放射能から私たちを助けてほしい!という願いからここまでやってきました。

 私たちの飯舘村は福島第一原発からほんの一部を除いて30キロ以上離れている標高500メートル前後の山村です。重要な生活道路は村の中央を東西に横断している県道12号原町川俣線で、その道路を経由すると福島第一原発まで道のりで60キロ弱あります。
 村の一部が30キロ圏内に入っていることを認識している村民は少なかったと思います。交付金を受けていないだけでなく、山の上ということもあり原発は遠い存在でした。安全だと思っていたというよりは、無関心だったのかもしれません。

 3月11日東日本大震災が起こり、村も大きく揺れました。飯舘村は地盤が固く地震に強い地区でしたが、その破壊力や想像を絶するものでした。私は、仕事中で工場にいましたが地震と同時に自宅へ走り、痴ほう症の祖母を茶の間から裸足のまま、吹雪の外へ引きずり出しました。その後、電気も携帯電話も水道も使用できなくなってしまい、車のラジオしか情報を得る手立てがなく、経験したことのない大災害が起きたということ以外は分かりませんでした。その夜は、地元の消防団ということもあり見回りなどをし、大きい余震の続く中、車の運転席に横になり眠れぬ夜を過ごしました。

 翌日の12日、津波の被害があり沿岸部から避難してくる人達のために避難所を開設することになり、人口6000人あまりの小さな村ですが村役場、消防団はじめ村民総出で避難所の運営にあたりました。
 村職員の奮闘もあり水道は、すぐに復旧しました。プロパンガスも水道もある、復旧への足がかりはしっかり出来ており、隣の南相馬市をはじめとした沿岸部を助けなければならない!そして助けられると考えていました。

 しかし、避難所は開設当初から津波の被害から逃れてくる人より、原発から逃れてくる人で溢れ、私たち村民の不安を大きくかきたてました。なにかとんでもないことが起きているのではないか、脳裏に最悪な事態がよぎりました。

 飯舘村から更に西に避難する人々を見送りつつ、新たに避難してきた人々の支援に努力しました。情報のない中での不安を振り払うために目の前の問題に没頭したかったのかもしれません。

 運命の3月15日。

 避難所の炊き出しをするお母さん方の頭上に、一生懸命手伝いをする子供たちの頭上に、地域の道路の補修をしていた青年の頭上に、近所のお年寄りの世帯を心配して回る消防団の頭上に。うっすらとアスファルトをおおうだけの春雪とともに放射性物質が村に降ったのです、春を間近に感じるすこし肌寒い日でした。

 その後、ガソリン不足や物資不足が続き、村民は混乱し続けていました。さらに、放射線量の測定も始まり数値も出てきましたが、私たちがその数値を見ても、いったいその数値がどんな数値なのかが理解できずに、さらに不安が増しました。
 今でも、その数値が意味するものは何か、わからない方がほとんどでしょう。

 その中で某大学の先生が、この数値では問題ないです安全です。マスクをしなくても子供を外で遊ばせても問題ないですと講演をしていかれました。そのことにより、純朴な村民は、安全なんだ、非難しなくても大丈夫だ、と思ってしまったのです。
 その後も、洗脳するかの様に次々と安全だと言う先生が講演をして行かれました。
 そして、いきなりの計画的非難区域、あの講演はいったいなんだったんだ!?一気に村民は、不安に包まれました。

 なぜ、リスクがあると言う講演は行われず、かたよった情報ばかりで、私たちに選択肢が与えられなかったのか?
 いらだちさえおぼえます。その他、家畜やペット、仕事や生活環境など様々な問題が取り巻き避難するにできない状況になってしまっています。

 私たちは3月15日の午後、目に見えない放射能という津波に呑みこまれました。そして、今現在も放射能という津波の中で揉まれ、もがき苦しんでいるのです。不安や憤りの渦の中、家族は互いの手を離すことに強い不安を感じています。まずは津波の渦から逃れ陸に上がることが必要で、計画的避難を早く完了させたいが、それもスムーズに進んでいません。不安と憤りの渦の中、安心してしがみつくことができる太いロープが届いてはいないんです。
 さらに放射能という津波は陸に上がっただけで逃れることはできないのです。私たちはすでに、かなりの量の放射線を浴びてしまいました。おそらく内部被ばくもしているでしょう。私たちは疲れ果て、その事実から目をそらしたくなっています。

 私たちの健康は大丈夫なのか。自分たちはどうなっているのか。子どもたちの将来は大丈夫なのか。「ただちに影響の出る範囲ではない」では安心できません。だれか教えてください。事実を知りたいのです。子どもたちの未来のためにも、私たち大人が真剣に考えて行動しなければなりません。そのための手助けが欲しいのです。

 飯舘村は今、美しい新緑の季節です。しかし例年と違い水田も畑も3月11日のままです。子どもたちの元気な笑い声もありません。柔らかい笑顔の、おじいさんおばあさんの集う姿も見れなくなる。美しい村だったということに、あらためて気づきました。

 いつの日か、本当に遠くなるかもしれません。
 いつの日か、村が復興する時のために今、大人としてやるべきことをやりたい!子ども達の未来を守りたい!
みなさん力をかしてください!お願いします!

負げねど飯舘(仮)  佐藤健太

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