The Law of One 勉強部屋

 

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セッション34質問4

 

Q4質問者: お話し頂き有難うございました。 それでは次に、”カルマ”(karma)というものについて、貴方は此れを如何なるものであると考えられているのか、その定義を教えて頂けるでしょうか?

 

ラー: ラーです。 このカルマと呼ばれるものに関しましては、我々は此れを”慣性”(inertia)と表現される事が可能なものとして理解しております。 つまりは、一度、運動状態の中に置かれた所の活動らとは、それに対する”制御作用”、もしくは他の表現では、”より高位の原理・法則”が発動されるまでは、平衡化作用らを受けつつも、その動きを継続させる事となり…、この作用とは、あなた方であれば、”ブレーキ”、もしくは、”停止手段”と例えられる事が可能でありますが、この制御作用、もしくは、この慣性発生作用よりも高位の原理・法則が発動されるその時まで、この(慣性力からなる)活動らとは、その運動状態を継続させる事となる、という事であります。 また更には、その行動によって引起されたこの慣性運動、此れに対する停止作用とは、”許し・手放し”(forgiveness)と呼ばれる事もが可能であります。 これら”慣性発生作用”と”停止作用”という二つの概念とは、分け隔てる事の出来ない所の(一組の)ものとなっております。

 

Q5質問者: それでは、もし一存在が、その一受肉経験の間に、カルマと呼ばれるものの一つを形成した場合には、その後の彼の経験内においては、(事態修正の為の再)プログラムが発生する事となり、此れに従って、彼とは、或る成長触媒らを経験する事となり…、その働きによって、彼とは、このカルマを停止させる為の”許し・手放し”を行う事が可能となる一地点へと至る事が可能となり、そこにおいて、このカルマを緩和させる事となる…、という事なのでしょうか?

 

ラー: ラーです。 その御推測とは、一般論としては正しいものであります。 しかしながら、(このカルマを停止させるという作業に関しましては)、このカルマに関与する事となった所の自己と他自己(他者)の両者とは、そこに生み出している所の反復パターンらを改善させて行くという作業に関しましては、(上の再プログラムの発生を待たずとも)、”何時如何なる時であってもそれが行われる事が可能な状態の中に置かれている”、という事であり…、”相互理解の過程”(understanding)を通じて、”受容の過程”(acceptance)を通じて、そして、”許し・手放しの過程”(forgiveness)を通じて、其れが如何なる時であれ、このカルマを形作っている所の反復パターンらを改善させて行く事が可能である、という事であります。 この作業とは、一受肉パターン(一生)の内においては、如何なる時点においても此れが発生する事が可能となっております。 つまりは、カルマからなる或る活動を開始させた所の一存在とは、二度と再びその間違いを犯すまいという学びの下、”自己を許す・開放させる”事が可能であり…、(結果として、この行為を通じて、その存在とは、その望まれていない循環状況から開放される事となる)、という事であります。 この様にして、(他者を許すという行為だけではなく)、この”自己を許す・開放させる”という行為によっても、あなた方の呼ばれる所の”カルマ”の抑制を開始させる事が可能であり、もしくは他の表現では、此れを停止させる事が可能となって参る、という事であります。

 

訳注: 

この様に、カルマとは、慣性力に例えられるものであり、相互理解(understanding)、受容(acceptance)、許し・手放し(forgiveness)の働きによって、いつ何時でも、これを停止させて行く事が可能との事。 ただ、ラーの命題として”全ては一つ”である。 よってこの許しとは、このカルマに関係した他者だけに対するものではなく、自己に対する許しも含む。 完全な許しとは、其処に他者を許す事を含むと同時に、自己への許しも含む。 S18Q12 我々は、二度と同じ間違いを犯すまいという決意の下、自己を許す事によっても望まないカルマから開放される事が可能であるという事である。

 

ただ、自己を許せばカルマが解消するのであれば、何をやってもいいのではないかという解釈も生まれるかもしれないが、此れは誤解釈であると思われる。 なぜなら、”自己を許す”という表現の中には、暗黙の内にすでに、自己を責め、苦しんでいるという状態が含まれているからである。 我々はそれぞれが創造主であり、実際の所、完全な自由意志が与えられている。 ただ行った行動に対する責任は、自分か何をしていたのか、それを真に理解し、それを負う事の可能な精神的・霊的年齢に達した時に、それを追う事となるとの事である。S18Q7 よって、自己と他者らの幸せを考えた場合、行わない方がよいという知恵と戒めもまた明らかに存在する。 ともかくも、すでに何かを悔いている者にとっては、この自己をも許すという行為は重要な態度である様に思われる。 また、中々その様な事を言ってくれる者はいない様に思われる。

 

 

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