

なぜ、それがそうであるかを知らないまま
わたし達は、何の不思議もないかのように
日常を生きていくことができます。
この世界
それを、知っている、でしょうか。
事態の意味として知ることが出来ないこと、とは
まさにこの日常である
世界 自己
この世界に、生きているのに知らない。
そもそも、自分とはなんなんだ?
世界?
なぜ人は、そこに生きるのか。
そもそも、それは、なんだろう。
それは、ある、のか?
または、ない、のか?
意味があるのか?
あるとも、ないとも?
どう言えば、いや、表現可能なのだろうか?
意味とは、なんだろう。
人とは、なんだったろう。
なぜ人は、考えられるのか。
なぜ人は、怒れるのか、笑えるのか、歓喜できるのか。
なぜ人は、絶望できるのか。
それとも、絶望、できない、のか。
どこからそれらは、湧き起こってくるのか。
いや。湧き起こっているのは、この自分だったろうか。
この生をして
人生をして
自分は一体この世界で、なにをしているのか。

その非意味が、気付かれたとき
自体が自体を、問いかけるとき
扉が開かれるかのように
わたし達は
自分自身である未知を、開くのかも知れません。
― 2009年3月20日開設 ―
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