見つけた道標へのリンク 記載のない道標 & マップ(地図)  一覧へ   道標一覧
記載のない道標「江坂西西道標」は下新田の道標と  投稿論文で発表
                各市の資料、ウェブ上で説明、紹介の無い道標を挙げます。
  未だ人知れず、ひっそりと佇んでいる道標が、「早く見つけて!」と私を呼んでいます。
  まだまだある!  次の出会うのはあなたかもしれません!  近くの町を探索しましょう。見つけたらお知らせ下さい。
2010/5/27 池田・伊丹の道標についてのアクセスが多いです。多田街道に注目か!
                
自分の得意分野で活動しませんか!

表示記銘が分かりにくい場合・・・ 習字などを習っている方
地蔵の言われ、古くから言い伝えられていること 
歩くのが得意な人は ・・・ 文字の入った石物の発見が出来る。

すごい道標が見つかりました。 これはすごい
初めての「麻田」への道標
遠い 「道祖本」への道標
確認事項
   1.設置場所・大きさ、向き・記銘をはっきりとさせる。
   2.写真・拓本を取ることを勧めます。 
   3.資料で確認し、市の文化財保護課に連絡、 他の機関に告知する。 
 


大阪市 恩貴島島屋共同墓地
   2015/01/14  29  すごいのが見つかりました。

「右 麻田道」
「左 大坂」
はじめての 
行先「麻田」
ヤッター・ヤッター
    2015/01/14  こちらもすごい

28 「右 さいの本」 これまた、すごいものが見つかりました。
 
 27  2014/10/02  すごいのが見つかりました。 
  中国道 「おはつ天神」「よどやばし」、「十三」、「かんざき」、「中山道」 大阪市内

   地上より高さ 150センチ 30センチ角 立石です。 詳しくはこちら
  
   2011/11/10 見つけた 十三新高公園の道標

道標18 十三新高公園の道標
 追加
 2年半ぶりの新しい情報
   26 三光山道  2014/01/24 
 
 池田市五月山ドライブウェイ料金所 崖上 詳しくはこちら 
 珍しい 「矢羽」で左の方向を示している。 
  25 下新庄の道標

  右 あまがさき
  左 そうぜんじ





一方通行の電柱の下に 道標は隠れています。
 24 素盞嗚神社   万人講C

 


 油かけ地蔵横の石物群の中から2基目  石の叫びが私を呼ぶ
 3回目でやっと探し当てました。
                 万人講 の道標 これで4基目です。
 今回は 初めてです「勝尾寺」への案内です、他の3基は「大坂」へに案内
 
 
   
23. 盞鳴尊神社(すさのおじんじゃ)    さらにもう1基
                     
            江坂・豊津コース まち歩きで見つける!
                    
                           吹田にもまだまだ知られていない道標があるのでは!
  
 (坐像地蔵) 半彫 で、前面に出ている。 みごとな地蔵である。  
  右 みや     8/18 訂正 右 みや津 七リ
  左り なりた   訂正 るりけいへ  九リ  再度訂正8/22 なりあいへ  旧在所 未定
  文政十二年(1829)

 
   当村願主                              文政十二年
  未確認 国分寺の道標   吹田郷土史研究会まち歩き案内  まち歩
                                  吹田郷土史研究会探索 
   
 

 
もっとも南にある道標   勝尾寺への案内


22  本庄の渡し(西中島)道標  水没した旧川口村  本庄の渡し 
    
  (正面)  (馬頭観音像) 右 かち  (左面) 左 中山      下部欠損  
    点と点が繋がり 特にこの道標は「面」に広がる重要な道標である。
    天満、十三、東中島それぞれの点がこの道標を通じて繋がりました。
      この道標は点と点の情報が面に 又、水没した「川口村」 その存在を現在に
    伝えるには十分な遺跡で移り住んだ人たちは「観音さん」として親しまれています。
    

   明治19年の地図  新淀川が出来る前
  真ん中の東西の川が「中津川」 本庄村の上の渡しが「横関の渡し」、
  国鉄を挟んで、西に川口村があり、ここに「本庄の渡し」があった。
  川の上方 黄色く色づけされている「南方村」ここが現東中島2丁目の道標に出会う。
  ここで、横関街道と合流し、勝尾寺を目指す。
  「本庄の渡し」の西方には 明治時代になり、木川村の「新橋」という橋が架けられた。

          横に青いのが 「旧中津川」
          黄色の縦の線が 「本庄街道」
          白い中津川が 「本庄の渡し」
          黒い堤防沿い 「木川・小嶋・三国 又は 十三・かんざき・伊丹・中山・池田」
       中津川の手前が「本庄村」、川の北川が「川口村」 川口村は淀川改修で水没
          赤の丸印が 「川口の道標」現在所 西中島2   
 21 十三 神津神社 十三で三基目の道標 


左から  小嶋北口道標、木川道標、西口道標
   小嶋村西口道標   
   (東面)  往来安全
   (南面)  はっとり天神宮  三国渡 池田
   (西面)  嘉永 四?年 四月
   (北面)  堤上 西 十三渡  東 本庄渡   大坂
   大きさは 25x23x76 見事な道標です。
 20 長安橋の欄干
         
 19 大恩寺への道標  ある庭で 2011/04/20
       
 18 十三 新高公園の道標
         
       大きさ 南面 18.4  X 17.5 X 138 頭部 10センチ

 2011/11/10  十三の新高公園道標の旧在所 確定

           新高公園の道標 掲載 10件

  7/19  距離の測定 TU

この道標は 他のブログで紹介されていました。 
その中には行き先等説明はありませんし、十三のある公園とだけ記されていました、、
早速、コメントに書き込みました返事がありません。最終更新が2009年7月12日でした。
それで この公園は!
調査依頼をしました、その様子はこちら  調査依頼  調査結果 
調査結果  調査結果「今津っ子」 調査結果
今回はいろんな人におせわになりました、

  
2010/11/27   街道歩きのへのお誘い
何れは消えてしまうのか街道、心に留めておこう。
街道はわが町、ふるさとの心があります。
街道を歩くと、心が落ち着きます。
そして、200年前の当時を連想させます。
現代で私たちの失った物がそこにあり、
何か忘れていたものが見つかると思います。
また、私たちに伝統の継承を促しています。

道標 ページへのアクセス数
2009年4月から
このページ今年の春から訪問者が多くなっています。
1日30のアクセスはこれまで似ないことです。
街道・道標に関心のある方が増えたのだと思います。
このページをご覧の皆さん、コメントをお願いします。
勝尾寺への道標の情報をお寄せ下さい。
ブログへコメント下さい。
http://katuozi.blogspot.com/
 
本庄街道道標     発見者 今津っ子さんが見つけました。
       
「右ほん庄」本庄の渡しを渡ると大阪市街の曽根崎方面に行くことができます。明治時代には大阪府により「本庄街道」と呼ばれていました。

「左よこせき」とあるように、東に進み、右折して南に向い、横関の渡しを渡ると、天神橋筋に出ることができます。

       
「北かちおじ」 北に向うと池田、箕面、勝尾寺方面に行くことができることを示しており、一面だけで3方向に対応したとても珍しい例と言えます。
宮原の横関街道道標   発見者 今津っ子さんが見つけました。
新大阪駅の北、住宅街の民家の前に道標が建っています。
       

この街道は、江戸時代以来、大阪から池田、箕面、勝尾寺方面に向うメインルートでした。
明治になり、かつては十三経由で遠回りであった能勢街道に、中津川初の橋である新橋が架けられて近道ができ、池田方面への交通の中心はそちらに移りましたが、こちらのルートも横関街道の名前で大阪府補助里道に指定され、大阪市街東部から北摂への重要路でした。
       


23 愛宕さんの道標 今までの資料訂正
5/17吹田市立教育センターよりメールががありました。
博物館の資料に訂正されて報告されているようです。
「すいた歴史散歩」66〜67頁

参道横に移築 
資料 2010/5/7調査
大正十四年二月建立 同じ
正面 山の谷
千里市場ニ到る
  山の谷
       ニ到ル
  千里
山谷青年会  山谷青年
不明  記載なし
29×21×86 
(内 19.5×72)

その時の様子
22 観音寺道標 
5/20 「豊中の史跡たずね描き」福西 茂著 豊中市立教育研究所発行
資料を再度調べてみますと、若竹町の道標2基が描かれていました。
見つけた道標からは取り下げ、豊中の道標には加えます。
若竹町 新しい道標
右 小曽根の渡し跡
 観音寺
 左 大阪城焔硝蔵場跡

ウラ面 昭和五七年八月
   地元有志
 大きさ 24×18×100
 
21 興法寺道標  3月31日
 
5/20 「豊中の史跡たずね描き」福西 茂著 豊中市立教育研究所発行
資料を再度調べてみますと、若竹町の道標2基が描かれていました。
見つけた道標からは取り下げ、豊中の道標には加えます。

旧能勢街道の若竹町を散策しました。
 新しいものですが。
右 大坂焔しょう蔵場跡
興法寺    
左 石蓮寺(白鷹)跡   

(裏面) 昭和五十七年八月
地元有志

大きさ 24×18×106


延喜式内社 久佐々神社 

7月15日 能勢町「町案内人」さんから連絡がありました。
森本さんの資料に載っているとの事でした、
記載内容は読み取れませんでした。

3/21  昼食を取る為 案内板がある神社に駐車し、
  弁当を 
  食べながら散策、すると、これがありました。

延喜式内社 久佐々神社 境内にて
右 京ミち  左 □ □   年代は 元禄 ???

3/20  江坂西西道標聞き取り調査

池田街道
は移動しました。
19 上止々呂美 間違いありません。1/14 訂正 1/9 下止々呂美でした。
久しぶりです。 2010/01/03

   
地蔵が祀ってある祠の横にあるものです。

中の地蔵さんは台座か木製です、初めて見ました。

上止々呂美
20 吹田 岸辺2丁目     以前見つけた道標
  佐井寺観音参詣道道標より西15メートル
          車よけか!
            
             不明 
2009年12月12日(土)再調査
吹田市岸部北3−4 字が読み取れません。「車よけ」みたいです。
上新田 拓本から 新事実 豊中市最古 天明の 「南口道標
 

武藤さんの本にも、豊中の道標にも、とよなか歴史・文化財ガイドブックにも 東面が表示されていない。
今回の調査で (東面) 左 大坂 と記載れていた。

19     箕面で見つけました。  これはどこかに記載があるとおもいますが、
11/25 箕面市立郷土資料館から連絡をもらいました。
この道標は、平成3年以降この道路が修理され立派になった折、近くの消防団の倉庫に保管してあった道標を
改修後、元の位置に戻したそうです。 やっぱりね!あまりにも立派すぎます。

 「箕面の道しるべ」平成三年版には載っていません。


新池の南側・当対池公園南 


(西)すぐ 京 道        
(東)すぐ みのた        
(北)  ■■ 願主 ■■   
右に取ると 萱野2丁目の交差点 
 見つかった道標2基 紹介

箕面市立郷土資料館
箕面から大坂への道標展開催にあたって
 当館では、平成18年度に西宮から京都までの西国街道沿いの道標を紹介する西国街道の道標展を、平成20年度には総持寺から勝尾寺、勝尾寺から中山寺と続く西国巡礼道の道標をテーマに巡礼街道の道標展を秋のこの時期に開催してきました。    西国街道も巡礼街道も本市を東西に横切っている古道ですが、本年度は、本市を南北に横切り、大阪へ向かう道に建てられている道しるべを拓本を駆使して展示いたしました。明治43年、箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開通して来年で100年になりますが、それまで、箕面の先人たちは大都市大阪を目指して歩きました。また、昔から紅葉と滝の景勝地として、多くの観光客が箕面を目指して歩いてきました。今回展示しています道標は、箕面街道、能勢街道、亀岡街道、勝尾寺街道のもので、箕面市域だけではなく、池田、豊中市域のものも含めて45基を展示しています。   展示にあたり拓本のご協力を賜りましたアンコール・ワット拓本保存会及び箕面市文化財愛好会の皆様、並びに道標の所在につきましてご教示を賜りました、上村和功氏には心から厚くお礼申しあげます。   小展ですが、ご見学賜りますようお願い申しあげます。   
                              平成21年(2009年)秋
 
期間:9月4日(金曜日)から12月7日(月曜日)木曜日休館
郷土資料館展示案内
箕面市広報より  
9/11 18 「ウツギ谷上池合流点」
ずーと以前に、箕面山で見つけていました。
下のポスター「箕面から大阪への道標展」の右側の丁石道標です。

大阪道を下り、巡礼道と別れウツギ谷を下ります。
上池から降りてきた道との合流点、標識外院まで2.6キロの地点です。
「馬頭観音 で かちおじ 十六丁」と書かれていました。
その後すぐ資料館に報告しました。
その時は「そこには道標はない!」と言われていました。
写真を見てもらったのですが、認めてもらえず。そのままになっていました。
今回のポスターに記載されていました。ので承認されたようです。
そこで、発見者の名前は記載されているのでしょうか!

またもや疑問が!!!                      
ここより100メートル下った、下池には、梵字と十三(丁)の丁石があります。
距離からすると 十三丁はもっと上であるはずです。 下池の丁石は移動されています。


詳細は後日 土曜日に見学します。
 箕面市立郷土資料館 木曜日休館


拓本 上新田
アンコールワット拓本協会のメンバー3人と箕面市立歴史資料館館長福田さん
の5人で上新田の拓本をとりに行きました。

東口道標 この方は南の堺市から来られました、協会のひとです。

街道の風情を残す上新田、、向うに千里中央のマンション群

北口道標 「右 か」

左大坂3里


南口道標豊中最古の道標「天明元年」???
「右佐井寺 左勝尾寺」です。

見えない部分の東面に「右 大阪」とあります。
今回拓本で分かったことは、この道標は
1.元もとの位置が違う。 
2.年号が怪しい。     
このことは、展示会で報告します。

見つけた道標の拓本

文字がくっきりと浮かび上がりました。「やったー」


またもや見つけました。



やりました。  道標が呼んでいます。
立派な物です。きれいですね。

大発見です。
こんな物がありました。すごいですね!

「天明元年」「・・・・・?????」
江戸時代に御影石???

チョット・チョット・チョット


6/25  17 今宮教えてもらいました。 有難うございます。
下の台座は「徳本上人の名号碑か道標らしいものが
建っていた(四面に観音?が刻まれていた)」ということです。

箕面市 今宮で これも道標!
どこかの資料でこの上に道標が立っていた。という記事を見ました。 

大坂道が西国街道と合流する点の軒下にありました。 道標でしょう。
それとは別に個人の家で道標を見せていただきました。  元在所は分かりません。
文字も判読できません。 誰か教えて
!!!!

16 高槻


「高」高槻街道の高ではないか! 確認取れず

追加 15 江坂西西・・・ 変更
以前に見つけていました。

吹田市立博物館「博物館だより No47」 写真で紹介される。

2011年1月21日 郷土史講話で 加賀さんの冊子の表紙を飾り、
発見者として紹介されました。

2010年11月14日 吹田郷土史コンクール 受賞

 2010/0320 聞き取り調査  油谷雅彦さんに聞きました。

01/21 間道は 「津戸の中道」 「津戸の中道」U でした。
「とよなか歴史・文化財ガイドブック」 p73

 2009/12/3 吹田市の加賀真砂子さんに確認の手紙を出し、その返事を得ました。
いままで未確認だったそうです。 「立派な道標ですね。」とのことでした。
再度写真を確認すると、固めてあるセメント新しい物のようで、最近、移築された物ですね。

別件千里街道(吹田街道・亀岡街道の間道)の件については、今のJR線路と重なっているとのこと。
私は明治の地図からも間道は天童から片山に向かう道がそれに当たると思っています。
その間道には、浄念寺和尚の話「正門が北にあったて、通りになっていた。」それに、
辻辻に地蔵が祀ってある、地蔵もある事からこれは間道であると思われる。
確証を得るには、道標が見つかることです。浄念寺北側ともう一つの道標で確認取れるはずです。
「片山の道標」もう少し、粘ってみます。

江坂西道標より、一辻西の角に立っています。
右の道が吹田街道、進むと豊津、吹田へ

南面
右 かちをじ  3り  年号不明  
2009年6月6日再撮影

江坂西の2基道標

案内板

箕面市14 下池  大阪道 
                                                                      
「箕面の道しるべ」 47 ウツギ谷下池の丁石でした。 それで疑問が???
是より100メートル上で私が見つけた「ウツギ谷上池の道標 十六丁」でした


以前に見つけたものですが 写真がありませんでした。
私の思っているのとちょっと違うようですが、再度挑戦


下池
4/25 木部の道標探しています、依頼者 能勢町郷土歴史研究家「塩田豪一」氏
昔は海太と言ってた所と木部との堺 お店屋さんの横にあったそうです。
この道標を探しています。 昭和60年12月13日  今の木部インターに2基あったそうです。
 1基は道路に横たわっていたそうです。 おおきさは高さ約150センチ
  
  左 能勢街道
 同じところにもう一基 自然石で

右 かめおか     
左 多田みょうけん



5/4 12 慶積寺2 地蔵「中山」 住職に確認   慶積寺1はこちら
地蔵でした。
焼けて今は古文書はないそうです。 
慶積寺のことは、川西市の史書で確認するといいと
前川橋の道標も誰かが持ってきて設置されている。とのこと。
話の中で                                                
「下の道、今駐車場になっている角に 自然石の
大きな道標があった。」そうです。
表記の行き先は 定かに覚えていないそうです。


この石物   五月山 4/19

地蔵のそばにたっていました。


そして帰り 私がやりたいと思っていることを 池田では冊子になっていました。


「いけだ今昔たずねあるき」
「地蔵めぐりガイドブック」
  現在これは売ってないそうです。

いけだまちづくり2010市民会議「歴史・文化部会」発行 2004.3.31
活力のある市 色んな取り組み・イベントを行っています。
自分たちが町おこし、市民一人一人の活動が町おこし・町の再発見
広い机の上に写真とこの冊子が所狭しと広げられ、それにこの冊子がありました。


見たことある冊子です。  「池田を歩く」
「市内の旧街道と道標を巡って」

これは市教委でもらいました。

「自然と歴史と文化が息づく”落語のまち池田”」

このサイトは 頑張っている人を応援します。
4/16 上新田の新道標確認と北出口の確認       
道標「右か」の道標から北に千里中央に抜ける道があり、昔はその道をたどって
箕面の滝に行っていたという。 その道を探しました。
 いつも行くときは神社の行く竹林を歩きます。今回はもう少し南に行ったところにある道をたどります。
この道の入り口は 左右にマンションが建っていましたが、峠を過ぎると上新田村に入ります。


そこには、いまだ昔の面影を残しているところが所々に見られます。


    一つは 道路に面して門が2つある大きな昔ながらの家がありました。


道を下って行くと新田の旧道に出会います。その左角に北口の道標「右 か」に出会うことができました。

 北口の道標

次に 北口の道標を左にとり、東出口を目指します。 夜に見た道標らしい物の確認
残念 文字のように見えたのは 「草の影」でした。
あったと言われれ道標どこに行ったのでしょうか!
今日は畑を耕していた「奥井のおじいちゃん」はお休みでした。



4/15 熊野田の帰り上新田の東端
文字が書かれている石盤を見つけました。が
暗かったので別の日にしました。 
結局この日雨の中バスに乗らず熊野田から歩きました。

文字ではないでしょうか!
歩くと何かが見つかる。 また、おじいちゃんに会いに行きましょうか!
4/14 仕事の帰りに あいにくの雨の中 熊野田まで
小降りだったので出かけました。ところが途中で雨足が強くなり 
靴下まで 濡れました。  一時間半後 気づいて写真 こんなでした。

新聞紙に足跡  と 洗った足に残った靴の色


さて本題に入ります。 13 仏眼寺の道標は  これです。  現在の案内碑


寺の関係者が居られたのでひとしきり
「ここに こんな物が いつの時代の物か」
これは文化財です。


左を指指し 「仏眼寺」
多分 別な場所にあった物を移築した物でしょう。
現在の案内碑と同じところにあったのかも知れません。
石は荒く、彫りは浅い、年代は江戸時代とおもわれる。
指指す道標 寺の案内に多いですが豊中では珍しいものです。 
所有者も分からないことでした。
大きさ 19×16 高さ56センチメートル
どこにあったのでしょうか!

別な石物  熊野田を歩いていると
別の石物 玄関にありました。 石分銅ですね!








4/13  思い出しました、もう一つ見つけていた、
写真はありません。 後日紹介します。    


熊野田の街道・道標をまとめていましたら
以前に 仏眼寺に行ったときの事を思い出しました。
仏眼寺を指で指していました。
熊野田の仏眼寺山門前 階段を登る手前にありました。
明日 帰りに撮って来ます。
4/11  12 妙見口

4/16 豊能町保護係りに問い合わせしました。

 右の方を指差しています。 妙見山 です。
妙見には 秋から3回も歩いている道ですが、えーと思うところで見つけました。
田んぼと一般道路との間の溝です。

4/9 新田に行き、見つけた道標の大きさを測りました。
北出口「右 か」
帰りに畑で野良仕事をしていた、長老 奥井さん大正生まれ 90才
元気です、単車に乗って来て野良仕事です。 の話  
北出口「右 か」の道標 裏は箕面とあったとか 



北出口の道は、険しく、今の千里中央を横切り
遠いが、萱野・箕面へ行ったという。

北出口と対になる道標があった。
現在の東出口より東方に  「右 箕面」 という道標があったらしい。 


11 3/25   大発見 命名「上新田西口の道標」
旧在所  旧新田小学校東北角
熊野田・大阪へ分岐道標
 2009/3/26
15.6x13.6x25.6 一文字が7センチ  推測高さは 50センチ程度の小さいな道標です。
上新田の道標揃う!!!!
 勝尾寺からの帰りの道しるべで新御堂筋の落合橋の手前、旧新田小学校よこにあった物でしょう。  新田には昔から知られている道標が4基残っています。
上新田 東出口の勝尾寺の道標  南出口佐井寺の道標,北出口箕面への道標、最後にもう一つの出口(西出口)、大阪道、熊野田の分岐のここに欲しかった道標です。 これで新田の道標が揃いました。 良く残っていました。近所の人に聞きましたが、此処に道標があるとは気づいていないようです。  道標は年代はわかりませんが江戸時代の物と思われます、途中で折れていますが、3文字の判断が出来ます。来られる方が頭をさすっているのでしょう、良く光っていました。   見つけた当初は下方が雨のしぶきで土が着いていて、  西面の南無阿弥陀仏の最初「南」しか見えませんでした。 表面の土を落とし裏面(東面)を見ると「右くま」とあり、 すごい熊野田が出てきました。次のように判読できます。
追加・箕面市歴史資料館から教えていただきました。
箕面市には完全な形で「同じ形式」の道標が2基存在し、「大阪道」沿いに建てられている。
 本基は折れていますが、それによりますと、次のようになります。
西面 「南無阿弥陀仏 願主岸■・・」
北面 「為万人講中法界」と刻まれているそうです。
面は小さいですが、高さは70センチ以上になります。

   南面 左大阪          
 西面 南無阿(弥陀仏)  
北面 為万人       
東面 右くま       
    
計測
大きさ 15.6x13.6x25.6
文字の大きさ 7センチ

最大文字数が南無阿弥陀仏と考えると6文字
全体像は 50センチぐらいか
北口の道標と同じ、小さいな道標です。



この道標は話題にものぼっていない道標です。 
豊中の文化財 道標編 昭和50年(1975年)発行より、上新田「五一会」の資料にも載っていませんし、
去年出された、豊中市の「とよなか歴史・文化財ガイドブック」にも掲載されていません。
以前から存在すら、忘れられていた道標です。
   まだ知られない道標があるのでしょうか?
豊中市で再調査する必要があるのではないでしょうか! 「地蔵」と一緒に再調査しませんか!
熊野田には地蔵盆があります。夏休みの子供の地域教材として「地蔵の数」「道標」そのた石物の探索をやるといいのでは、
写真を撮りその場所をネットで表示し、一発で位置がわかるようにするといいのではないでしょか。
小学区ごとにまとめるか、中学区ごとにまとめるかすると豊中市の「地蔵マップ」ができあがります。
地域を「知る」ことが、地域を「愛し」、そして自慢できる地域・市になると思います。
  これで 豊中市で何個目になるのでしょう!

 見つかった道標2基 紹介

箕面市立郷土資料館
箕面から大坂への道標展開催にあたって
 当館では、平成18年度に西宮から京都までの西国街道沿いの道標を紹介する西国街道の道標展を、平成20年度には総持寺から勝尾寺、勝尾寺から中山寺と続く西国巡礼道の道標をテーマに巡礼街道の道標展を秋のこの時期に開催してきました。    西国街道も巡礼街道も本市を東西に横切っている古道ですが、本年度は、本市を南北に横切り、大阪へ向かう道に建てられている道しるべを拓本を駆使して展示いたしました。明治43年、箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開通して来年で100年になりますが、それまで、箕面の先人たちは大都市大阪を目指して歩きました。また、昔から紅葉と滝の景勝地として、多くの観光客が箕面を目指して歩いてきました。今回展示しています道標は、箕面街道、能勢街道、亀岡街道、勝尾寺街道のもので、箕面市域だけではなく、池田、豊中市域のものも含めて45基を展示しています。   展示にあたり拓本のご協力を賜りましたアンコール・ワット拓本保存会及び箕面市文化財愛好会の皆様、並びに道標の所在につきましてご教示を賜りました、上村和功氏には心から厚くお礼申しあげます。   小展ですが、ご見学賜りますようお願い申しあげます。   
                              平成21年(2009年)秋
 
 期間:9月4日(金曜日)から12月7日(月曜日)木曜日休館
 郷土資料館展示案内
 箕面市広報より  

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ブログで紹介
 「箕面から大阪への道しるべ展」 2009年 期間:9月4日(金曜日)から12月7日(月曜日
    
 T、 U、 V  W、  X、
 
 「勝尾寺街道 上新田 道標見本のまち」      上新田の道標地図   2010年正月

 万人講が建てた道標   講演会で紹介  高市先生との探索

 「上新田今むかし U」西嶋修蔵氏 で紹介
 
2011/08 訂正 この石物 したに文字がないので 上部が折れた塔婆と考える。

最近
のを紹介します。  豊中市で見つけました。
  8 熊野田2の道標
お地蔵さんと一緒です。
送信者 2008-10-09-1230-16
馬頭観音みたいです。
古いのか、風化して、彫りは浅い、
 計測 4/14 2009
  21X21 高さ 104センチメートル
これは大きい 

 寛文年代か!
豊中は天明の道標が一番古い 1781年
それより 約100年古い道標が他市では
寛文10、11,12年で6基存在する。 1670年
豊中にも寛文年間のものが存在するはずです。
道標年表 
12/5 
 いつも地蔵さんにお花をあげている古川のおばあちゃんに会いに行きました。
この道標は 昭和20年にはこの場所にあったということです。
元々の場所はここではないでしょうが!
残念です 分かる人がいません。 拓本はだめだし!
地蔵の中で一つは、吹田の小松から床屋のおつちゃんと3人で荷馬車で運んだということでした。 外側の地蔵は風呂敷に包んで置いてあったので同じく祀ったそうで、 時々、熱心に拝みに来ていた人がいたが、最近は見ないそうです。


11/14  右の道標 拓本が採れないと連絡がありました、
石に刻まれた文字を浮かびあげ、判読できる術、
拓本以上の技術は!  無理かな!
豊中では三国、吹田の片山町の拓本をお願いしました。無理を言って、交通費も払っていません。感謝 感謝
9 慶積寺境内 ???
5/4住職に確認 地蔵さんでした。
ただ、気になるのは 「台座」
村の名前と多くの人前が記載されています。
地蔵にそのようなものは少ないと思います。
もう少し探索を、文字がはっきりするといいのですが。


境内にお地蔵さんが北向きに並んで立っています。

「中山寺」とは読めますが、案内でしょうか! 
可愛いい顔しています。

川西市保護課でも未確認のこと
 
12/9 判明 資料によりますと、この道標は
一庫ダム下流の8 前川橋の袂にあったものが移動されたそうです。  (不詳)


又 見つけ!  川西市 慶積寺で
資料には載っていません。明日確認します。

 
正面
これは、資料がありません。 川西市に問い合わせしましたが分かりませんでした。  12/1
     
 左側面      右側面   
すぐ        右 三田
左  妙見?      左 池田    
11/23 7 豊中成田不動尊 問い合わせしました。
原在所は分からない。
信者が祀って欲しいと持ってきてそうです。

岡町への道標
この時代 この地域で一番活発な村のようでした。


11/22 豊中成田不動尊
噂を聞いて行って見ました。
夕方で 探すのに苦労しました。

左 おか道   右 さい志

11/15 川西市 6 多太神社境内横
公民館の隣

是より 3丁

5 外院3丁目
補足 5/6 2枚 
正面はこちら

タウンハウス箕面の横
帝釈寺への案内か
墓標ではないでしょうね!
2009/5/6
電柱横に 全体図
こちらの面が表になりますね!

 

もう一つ 箕面の巡礼道に
折れた道標
箕面四丁目 
大きな「京」への道標の一つ東側の辻

すぐ京の道標

4 片 山  千里街道
続いて追加 この間道は津戸の中道の一部で
出口町から天童まで 資料「郷土の歩み」14 2010/1/21

訂正 千里街道は天童からh国鉄をわたり、南側、国鉄吹田駅に行ったもの
と吹田市郷土史家「加賀真砂子」さんより指摘がありました。

資料によりますと、泉殿宮北側から天童に抜け、千里を目指す千里街道があった。
間道がありました。 片山にはその面影があります。
そして、垂水から京への道でもあります。  4/26
 
吹田市で3つ 吹田街道と亀岡街道の近道

4/25 吹田の道標の案内で確認しました。
間道がありました。 片山から天童それが「千里街道」でその後佐井寺の東側を通ります、
山田名神下の交差点の「小野原街道」の案内板です。


3月14日 判明   西道標は車よけの石    
 電話しました副住職が出られ、「角の道標について」
「20年ほど前、角が壊され、車よけとして設置」
あーあ 残念です。

もう一つ 真ん中の道標は この家主70代の男性は
「物心ついたときからあった」と言うことです。
これは道標か


 この道標は 市に問い合わせると市立博物館より電話があり、資料にはない、
 車よけの石ではないかと思われています。  が
 うっすらと 文字が読み取れます。
 大阪 です。


浄念寺北東の石仏は
車よけの為設置とのこと  道標ではない。


別な石仏 70歳代の御主人の話では
小さい時からあったそうです。

3.三国街道能勢街道の分岐
道田小橋の手前・三国寄り




思い出しました。吹田市の案内板がない道標 江坂西道標の西50メートル 江坂西西の道標です。 
もう一つ 見つけた箕面の道標、後日アップします。4/19外院3丁目でアップ済み
小曽根の「」、熊野田の「右 山田上新田」はガイドブック以前に調査済み
長島神社「疑問の道標」は他の文献・資料に載っています。

11/14「拓本採れず」連絡ありました。
 各市の資料、ウェブ上で説明、紹介の無い道標を挙げます。
その内の2件が2008年3月発売の 「とよなかの文化財」で紹介されました。 
 拓本が欲しいです。    10/25 更新中
2 熊野田
  記載のない道標

  2008年4月撮影
 
この道標の指示に従い右に進みます。 意外な所に出会います。
 熊野田道と逢うのは、十五中の一つ北側をとおり、
 道路を横切り、さらに北進、ローソンの後ろをとおり、
 阪急バス停「熊野町東」の手前で熊野田道と出会う。


1 小曽根


    「京」
  珍しい一文字の道標
  この上に「右」の文字が書かれていたようです。
  これが「京への道」を考えさせられました。 
  記載のない道標
  2007年12月撮影
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