Belajar Hahasa Indonesia

実用インドネシア語講座 V

 

 Engineering Plastic extrusion molding と Indonesia

21 別れるとき、さよならと言う事は実際には少ない。だから、Selamat jalanSelamat tinggalはあまり使わない。親しい間柄なら、ほとんど使わない。その代わり何を使う?Sampai jumpa,(サンパイ ジュンパ)かSampai ketemu(サンパイ クテム)Sampai bertemu(サンパイ ブルテム)を使います。それぞれにlagi(ラギ)を付ければ、ちょっと丁寧になります。私がよく使うのは(サンパイ ジュンパ ラギ)です。See you!あるいはSee you again!と同じです。”また会うまで””じゃあ、またね””また、今度ね”の意味です。(サンパイ)は”〜まで”とか”到着”の意味です。(ジュンパ)と(クテム)(ブルテム)は”会う”の意味です。(ラギ)は”また”、”再び”、”繰り返し”の意味です。だから、この別れの状態で、(ラギ)だけ言えば”またね”と全く日本語の使い方と同じです。Sampai
besok
(サンパイ ベソック)”また明日”sampai hari senin(サンパイ ハリ スニン)”また、月曜日”など、日常的に使います。
22 Sampaiどこどこと言えば、”〜まで”です。Dari(ダリ) Bandung sampai Jakartaなら、”バンドゥンからジャカルタまで”です。Sudah(スダー) sampai Jakartaなら、”ジャカルタにもう着いた”。です。(スダー)は”既に”と”終わった”ですが、このの文章では”既に”ですね。
 Bulum sampai hati saya.(ブルム サンパイ ハティ サヤ)”まだ、私の心は届かない””まだ、私の心は受け入れられない”片思いですね。(ブルム)は、”まだ””まだ、終わっていない”です。
 (スダー)はudah(うだー)と言う事が多い。
 (スダー)と(ブルム)は対称語です。レストランや機内で、食事が終わったかどうか訪ねられた時、どちらかで、応えます。selesai(スルサイ)”終わり””終了”が省略されています。
23 air(アイル)は”水”です。besar(ブサール)は”大きい”です。kecil(クチル)は”小さい”です。ご存知ですよね。それではair besarair kecilは何ですか?想像してください。
  そうです。”大便”と”小便”です。インドネシアの若者はこれをAB(アーベー)AK(アーカー)と言います。
 そして、buang(ブアン)は”捨てる”です。buang air besarと,buang air kecilの意味は?”大便をする”と”小便をする”です。じゃあ、これらを略すと、なんになりますか?BAB(ベーアーベー)BAK(ベーアーカー)ですね。ここまでは普通のインドネシアの若者は分かります。実際、彼らも普通に使います。silahkan(シラカン)”ドウゾ”と言われます。
  それでは、BABB(ベーアーベーベー)とBAKB(ベーアーカーベー)と言ってやります。apa?と聞かれます。その時、buang air besar(kecil)banyakと教えてあげます。banyak(バニヤッ)は”たくさん”ですから、”大便(小便)を沢山してきます”。それを聞いたインドネシア人は大笑いします。同じBABBでもbuang air besar bauh(バウー)と解説してやれば、”臭い大便をしてきます”の意味です。もっと、おお笑いになります。  
 全く恥ずかしがる事はありません。女性でも、あっけらかんと、普通に言います。
  air putih(アイル プティ)といえば”純粋な水”です。(プティ)は”白”です。ジュースでなくソフロドゥリンクでなく水をくださいと言う時に使いますが、普通は”飲み水”をAkua(アクア)と言います。Aquaという一番売れている銘柄の水があります。同じアクアですから、他の銘柄の安いものを買いたい時は勿論アクアとは言いません。その商品名をいいます。AQUAが一番高い。

24 Manis dan Cantik(マニス ダン チャンティッ)”甘いそして綺麗””かわいいそして美しい”女性に対する、外観や第一印象の褒め言葉です。いわれた女性は大変喜びます。(ダン)は”そして””and;の意味です。インドネシア人はこれも略します。Macan(マチャン)です。Macanse(マチャンス)と言ったら何でしょう。Manis dan canyik selaki(マニス ダン チャンティッ スカリ)(スカリ)は”大変”とか”非常に”とか強調する言葉で後ろに付けます。だから、最上級の褒め言葉になります。女性はもっと喜びます。
ちなみに、Sangatは言葉の前に付けて強調する言葉です。
 例としては、sangat pintarpintar sekaliという言い方をします。どちらも、”大変賢い”ですね。(マニス)は食べるものが”甘い”と言う味覚の意味が基本です。そこから、可愛い女性の表現の時、普通に使います。日本語でも甘いマスクというようにです。
25 電話を掛けられるようになれば、完全に一人前です。掛かってきた電話を取る勇気が出始めれば、見込みがあります。自分から、日本人のHand phone(ハンド ホーン)”携帯電話”一般的にはHP(ハーペー)と言います、に、かけるときは全く問題ありませんが、それだけに、逃げている日本人が多い、また、掛かってきた電話は一切無視する日本人も多い。生のインドネシア語を聞くのも勉強だし、受け答えの表現のしかたもわかるというものです。
 電話をかける時、出る時Halloは普通に言います。”もしもし”と言えば、こちらが日本人と分かります。だから、どちらでもいいのです。
 ”はい、””そうですか”と電話ではよく使いますね。相手がしゃべっている時の相づちです。インドネシア人も同じです。Begitu(ブギトゥ)と言います。略して、gituのことが多いかな。教科書には、Bisa bicara dungan誰々?,(ビサ ビチャラ ドゥンガン〜〜)”誰々と話しができますか”と言う、と書いてありますが、長すぎます。Ada誰々?でいいのです。”誰々いますか”です。(ビサ)は”できる””できますか”(ビチャラ)は”話をする””話す”です。(ドゥンガン)は”〜〜に対して””〜に対象として”の意味です。Iniは”こちらは”です。Dari?は”から?””あなたはどなた?”どちら様?””貴方はどこに所属していますか”の意味です。Ini Ota dari PT.何々.Ada 誰々?.と言えばいいのです。
26 教科書には疑問文の頭にApakah(アパカー)”か?””なにか”を付けると書いてあります。全然つける必要ありません。着ければ堅苦しいだけです。書く時も最後に?を付けるだけでいいのです。
 話すときは、最後を上げればいいのです。なぜかと聞きたいとき、インドネシア人はわざと堅苦しく、(アパカー)を大きな声で強調して言う事があります。冗談で疑って問う時も使います。
 疑問文の最後にkah?を付けることも多い。これは、印象として、日本語の疑問語と同じです。例えばandakah?(アンダカー?)”あなたですか?”datangkah?(ダタンカー)”来ますか?”いった具合です。
27 kapan?(カパン)”いつ?”である。(カパン ダタン?)は”いつ来るの?”
mana?(マナ)”どこ” apa?(アパ)”なに?” kenapa?(mengapa)(カパン)(ムンガパ)”なぜ””如何して”siapa?(シアパ)”だれ”とこれらが5W1H(5ダブリュー1エイチ)ですね。これらは、覚えて使っていただくしかない。勿論、日常的によ〜く使います。インドネシアの歌詞にもどんどん出てきます。
 横道にそれますが、インドネシアの歌の詩は大変読みやすい。カラオケで下の字幕を読みながら歌う時、まったくローマ字を読むようで、簡単です。メロディーもドコとなくにJ-POPや演歌に似ているので、先が読めます。インドネシア語を覚えるのには最適だと思います。現地駐在の人は、インドネシアを覚える方法として、カラオケでお姉ちゃんといちゃいちゃするだけでなく、ぜひ、インドネシアンソングを歌う事をお勧めします。
  覚えると、勉強するとは別物です。勉強するは覚えるの一手段に過ぎません。覚える有効な方法はほかにいくらでもあります。勉強していても覚えない人は多いのです。身近な人で、なかなか覚えない人は、覚え方が、間違っているか、覚えが悪い人です。
28  Lagi(ラギ)”また””繰り返して”。前に、Sampai jumpa lagi(サンパイ ジュンパ ラギ)”また、会うときまで”で、出てきました。Ulang lagi(ウラン ラギ)”繰り返して”です。(ウラン)も”繰り返し”の意味です。
 1,2,3はsatu. dua. tigaですね。一回、二回、三回はsekali.dua kali.tiga kali.です。それでは、sekali lagi.dua kali lagi.tiga kali lagiはどういう意味ですか。そうです。”もう、一回、もう二回、もう三回”です。”もう百回””あと百回”はseratus lagi(スラトゥス ラギ)です。satuだけがseに変わる事に気が付きましたか。(サトゥ カリ)(サトゥ ラトゥス)でも通じますが、それはインドネシア語の未熟がばればれです。
29 mati(マティ) hidup(ヒドゥッ)は”死ぬ”と”生きる”の動詞です。(マティ)は人間が死ぬ時にはあまり使いません。動物が死んだ時は使います。人にはmeningg(ムニンガル)を使います。
 電灯、機械、テレビなんでも、電気器具をON,OFFするは(マティ)(ヒドゥッ)を使います。
hidupには生活するという意味もあります。kematian.kehidupanは死と生活の名詞に変わります。”明かりを消して”はMatikan lampuになります。〜kanは一般的に動詞の後につけると自動詞が他動詞に変わります。”消える”から”消す”に変わるのです。こういう言い方、や、例は”辞書”kamus(カムス)を見れば山ほどあります。
30 Pura-pura〜(プラプラ)は”〜する振りをする””〜の振りをする”です。インドネシア語の新聞を見ている私がいる。誰かがそれを見て、bisa baca?(ビサ バチャ?)”読めるの?”と聞いてきます。そのときの返事は、ニッコリ笑って、pura-pura baca(プラプラ バチャ)”読む振りだよ”と答える。雰囲気が和みます。読めても、読めなくてもそういえばいいのです。
 (バチャ)は”読む”という意味です。
 インドネシア人にはこういう人が多いと嘆く日本人が多い。”知ってる振りをする””分かった振りをする”pura-pura tahu(プラプラ タウ)pura-pura mengerti(プラプラ ムングルティ)です。(タウ)は”知っている”(ムングルティ)は”理解する””分かる”の意味です。
 私は都合が悪い時pura-pura tidak tahu(プラプラ ティダ タウ)”知らん顔”をします。大変便利に使えますし、冗談を言う時にも使います。