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こんな人、そんな人シリーズ 01

こんな人シリーズ 19−1

勘違いしている? 1

  日本と同じようにテレビの娯楽番組からの影響で、現在インドネシアで流行っている言葉の一つに、CapekDe~~~~!(チャッペデ〜〜〜)というのがある。おとといはゴルフ、昨日は日曜出勤で新製品の試作で頭と体を使った。本当に疲れた。こういう時はあまり使いません。

人の話を聞いたり、行動を見たりした時に、理解しにくい場合いに、気持ちが疲れるという意味で、おでこに手の甲をくるっと回すように当てながらいうのです。

そう言いたくなるような言動、行動の例をいくつか書いてみます。

 

入社して二週間あまりのインネシア人の新人さんが、現場で製品を並べる作業をしていた。内径検査用の通り,止まりのジグが置いてあったので、それを使って検査を私がした。ちょっときつめだったので、内径が小さめだねと言ってやった。本人はテーパーゲージで測って、ほら、OKでしょ、と言った。そして付け加えた。製品が楕円だからキツメになると。

 おいおい、楕円も含めて検査をして、きつめだといっているのに、私に彼は楕円だから丸い状態を想定すればきつくないと教えてくれた。テーパージグでは差し込めばちょっと大き目に寸法が出てしまうことをわかっていないのは当然だ。これ以上言っても、駄目だ、こりゃ。

 私がどんな人か知らない本人は製品が楕円になっていることに私は気がついていないできつめだと判断した、と思っているのです。   ま、いいか。

こんな人シリーズ 19−2

勘違いしている? 2

 

こんな話もある。日本で処方されこちらへ持ってきたパニック障害の薬が間もなく切れるので、ジャカルタの日本人医師がいる病院へ、薬のリストと説明書をあらかじめFAXで送っておいてから行った。そこのお医者さん、「パニック障害でしょ、私なら直ぐわかりましたよ。」おいおい、薬の説明書のパニック障害と書いてあるでしょ。「これらの薬は良く利きましたか?」と、聞かれたので、「飲んだその日から全くパニックにならなくなって、一年半たった今は最初の半分に減らしていますが、医者の指示で、やめることはしていません」と答えた。「これらの薬は取り寄せれば手にはいるが、もっと良く効く、薬があって、それなら今ありますがどうしますか?」と聞かれた。もっと良く効くというのはどういうことだろうか、と、?マークが灯ってしまった。今までの薬で全く症状が出ないので、全くパニックになっていない。良く効いているのです。それより良く効くということは、どうなることでしょうか?医者がまじめに勧めるので、その薬に変えることにした。結果はどうだったと思いますか。同じでした。同じように効いています。パニックになっていません。

 ま、いいか。

こんな人シリーズ 19−3

勘違いしている? 3

 

ある人と、客先へ挨拶に行った。その人の新任の挨拶でした。客先への人と世間話や仕事の内容の話をしていた流れで、私について、この人が、「太田さんは日本でも一二の押出成形の専門家ですよ」と言った。私に?マークが灯った。押出については全く素人のはずで、プラスチックの樹脂の知識も全くないはずなのに、その人がなぜ、私がそんな人間だと評価できるほど評価力を持っているのでしょうか。違和感を持った。私の上から口を利てることに,本人、お気づきでない。

人を持ち上げるにしても、評価の言葉を口にするなら、当然、一般的に、評価する相手より何らかの点で優れていると客観的に世間的にでもいいからなんとなく認められている人でなければならないか、本人が評価する人の上であるという自意識が潜在しているはずである。

わたしとしては、自分で、東南アジアではダントツの一番だと思っているし、日本で何人かの指折りの押出職人と自負はしているが、他人に言われたくないと思っている。何故なら、押出の腕に関して私を評価できる人には出会ったことがないからである。

知らない人が知っている人を評価するのは奇妙である。すべてに共通すると思う。

まじめに、言うことはないが、人を軽々しく評価して、公言するものではないと思う。気持ちの中に仕舞っておくのはいい。

悪く評価された時は、一度は冷静になって、聞くことである。冷静さを欠いてしまう人は多い。

こんな人シリーズ 19−4

勘違いしている? 4

 この人は、何度も何度も私にお礼を言った。私のお影ですと。同じ会社の違う部門の仕事を偶然、私が取ってきた。その人の部門では、最上位の儲け仕事で、一番の儲け頭として続いている。なにかの話をしている時、その仕事の話になる時がある。その度に、その人は私が取ってきてくれたと、皆さんに話しながら、御礼をいう。私としてはうっとうしい。偶然取った仕事だし、お礼を言われたくて取った仕事ではないし、お礼をしつこく言われると、だんだんうれしくなくなるし、逆に、この人、もし自分が、人の仕事を取ってきてやったなら、こんなにいつまでもお礼を言われないと気がすまない人なのだろうかと思ってしまう。

 お礼を言われたい心理が、逆にお礼を言わせているのだろうが、私の心理と全く違う。いちいちお礼を言われたくない私は、他人にお礼をあまり言わない。何かの時に誰かが私の手伝いをしたという心理になった時、私がお礼を言われなかったと、思われているかもしれない。

難しい。

 

こんな人シリーズ 19−5

勘違いしている? 5

ある24歳の若者、私と40歳くらい違う。ゴルフをするのに、彼はまだ初心者で、お付き合いで他人とやるにはまだ、テクニックもエチケットも未熟なので私が誘って、一緒にプレーをしてやることになった。彼はジャカルタなので、私が迎えに行って、終わったら送っていってやっていた。彼のために一時間早く出て、帰りは一時間遅くなっていた。

ある日、ゴルフの約束の前の日、彼曰く「いきなり打つと最初のティーショットがまともに当たるか当たらないか心配ですよね」だった。私が、「そうだよね、それなら、三十分早く迎えに行ってやるから、ドライビングレンジで50球ぐらい打ってからスタートしようよ」と気を効かせて言った。彼からの返事「スタート前に疲れちゃうし、体力を温存したいから、止めましょうよ」でした。ずっこけてしまった。

私が運転して朝早く迎えに行って、終わって疲れても送っていっているのに、朝の50球が疲れてしまうとは、あきれて、何もいえなかった。

その時、一緒にやって、其の後は誘わなかった。彼からも誘ってくださいといわれない。きっと、ゴルフ自体が疲れるから、やりたくなかったのでしょう。私が誘ったのがいけなかったのでしょう。

こんな人シリーズ 19−6

勘違いしている? 6

従業員の家で、その日のプアサ明けの食事会をすることになった。土曜日である。彼は車がないのでジャカルタからタクシーで来なければならない。それでも参加するというのは従業員に早く溶け込みたいという彼の意気込みを感じる。それはいいのだが、私との会話が変、「本当は、ジャカルタまで送り迎えしてやれればいいんだけど、悪いね」と私。「ジャカルタ、遠いですから、疲れますよね。タクシー使いますから心配しないでください」と彼。私が疲れるから、遠いから、送り迎えをしないと思っている。私がジャカルタへ前後に行けない理由は、食事会の前にも後にも、ほかの付き合いが入ってしまっていたからで、疲れなど、そんな事は、私の理由にまったくないのにもかかわらず、である。もし彼なら、疲れるから迎えに行く立場でも迎えに行かないのでしょう。

私や、従業員に気を使っての反応ということは分かるような気がするが、これも、基本的に発想がずれていると感じさせられた。私の気持ちを勘違いて自分の感覚でしか発想していない。

その後、そうじゃなくて、こうだからと、理由は言っておいたが、信じるかどうかは本人次第。

こんな人シリーズ 19−7

勘違いしている? 7

仕事の話で恐縮だが、私がアドバイザーをしていた会社で、新しく交代で赴任してきた上司ではあるが、私より十歳若いマネージャーが、この会社の二つの部門のうちの射出成形の責任者をしていて、私が押出成形の責任者らしきことをしていた。彼は押出について素人なので、私が面倒を見るしかないのでした。彼が、ある日、仕事の基本はすべて同じだから、検査の部門を共通にし、特に押出部門専任の検査をおく必要はないと言い出した。私は、二つの仕事の基本は全然違うので、QCも検査員も押出専任でなければできないと言って、専任にしてもらっていた。といういきさつがあった。彼の言うとおり、押出専任の検査員は廃止し、共通になった。

案の定、押出の客先との話しがQCのメンバーは出来なくなった。射出は製品を本社へ送っているだけなので、話も複雑なものはないし、本社の方にも事情を知っている人がいるから問題は少ないし、自動化が進んでいるので、人間の腕というか熟練や第六勘を必要としない。製品の曖昧さが大きく違うのに基本は同じだと、最後は顔を真っ赤くしながら、怒るように主張する。こちらは、引き下がるしかない。

 そして、ある時、その上司、曰く、「太田さん、押出の仕事はなぜ射出のように技術の進歩が進まないの?」と、聞いてきた。答える気になれなかった。だめだこりゃ!!!である。

こんな人シリーズ 19−8

勘違いしている? 8

 私が一時帰国中に自主的に仕事を覚えてもらうために、いくつかの宿題というかテーマを与えた。帰国前のミーティングの時であった。

 夜、何をしているか知らないが、ミーティングというか、私の講義の時を朝にしているのにうとうと、こっくりこっくり、すぐ始まってしまう。

 顔を洗ってこせる。自分から眠いから眠気を覚まそうと工夫をしないので、そうしている。それでも、やはり、居眠り状態が解消されない。逆の立場だったらどう思うのでしょうか。押出の技術の話しですから、其の技術を本当に自分の物にしようとするか、しようと思わないかの姿勢の違いである。

 ご本人、行けと言われたから来た、何をしろとは,なにも言われていない。と、言っている。それでは、最期のテストとして宿題を与えたのでした。

 一時帰国から戻って、宿題の報告を待ったが、一週間後に、どうだったと、こちらから聞いた。「何のことですか、何も聞いていません」だった。たしか、話をした時に何やらノートにメモをしていたようだったので、彼のノートを見せてもらった。其の場所は字ではなく、猿がエンピツで紙に殴り書きをしたような抽象画のような物が書かれていた。居眠りをしながら書いたのだった。だめだこりゃ!!

 すごい人もいるものだと思った。彼は40過ぎた独身だった。

 勘違いでなく、確信犯である。間もなく帰国させた。こんなのしかいないのかよ。

こんな人シリーズ 19−9

勘違いしている? 9

 七年もインドネシア語の学校へ1週間二回通っていてまだ継続中の人がいる。会社から学校まで、30分以上かかる一時間半、勉強するそうだ、帰りが30分で合計二時間半、一週間で5時間を使っている。若い女の先生で、日本語を勉強している大学生のアルバイトだそうだ。現在は三人目だそうだ。ご本人その熱心さを自慢げに言う。

 ところが、インドネシア語が本人の口から出るのを聞いたことが無い。殆ど出来ないのだ。「そんなに通って、出来ないなら、お金も時間も無駄だからやめたら」と言ってやったら、「出来なくてもいい、通訳がついているし、仕事をしている仲間のインドネシア人は皆、日本語が上手だから、」という。なぜ通っているのか、聞いたら、「若い女の子と一緒にいたいから、費用は会社持ち出し」要するに、無趣味の暇つぶしである。時々、土日に誘い出して一緒に食事をしたり、ジャカルタツアーをしたりするそうだ。

 「彼女達の日本語の勉強の手伝いを只でやっているし、こっちは若い女の子と一緒に歩きたいし、ボランティアだよ」

 ちょっと違うと思うが、ま、いいか。続けてください。

 言っていることが全て、本当なら、珍しい清純派だが、本当かな?それにしても、七年いて、インドネシア語が全然しゃべれないことが不思議である。

 

こんな人シリーズ 19−10

勘違いしている? 10

極めつけ、インドネシアでは車を日向に駐車しておけば10分もしないうちに車内は灼熱の暑さになる。当たり前である。車の中が熱い

ある日、新任の私より若い社長さんが自分の車を点検に出しているので、昼食の時私の車で一緒に行ってほしいと頼まれた。勿論、快く引き受けた。

昼になっていざ出発と私の車の後部座席に踏ん反り返って座った。それだけでも変、「私はあんたのドライバーじゃないのだから、普通、助手席に座ってお願いしますというだろう。」

おまけに、「暑いねこの車、エアコン早く効かせてよ、」といいながら、横の窓を全開にした。

ビックリである。私は運転手を使っていないから、普段、決められた炎天下の駐車場に車を置いてある。彼ら、運転手を使っているから、運転手が日陰の本来駐車場で無いところに止めて暑くならないようし、出発の何分か前にはエアコンを聞かせて、彼らが乗る時には車内が涼しくなっている。私は、いつも最初は暑い車に乗っているからこれが普通なのに、涼しい車しか乗っていないので、彼にとってはとんでもない車に乗ったと思ったのでしょう。こちらからしてみれば、勘違いもはなはだしいと思う。まったく、気の毒な人だと思う。言い方も、態度も勘違いである。

是にはおまけの話があって、後日、私が技術を指導している若い日本人が全く同じ態度をとった。彼はその後、はっと気がついたのでしょう。「直ぐ涼しくなりますから、いいですよね」とわけのわからないことを言いながら、窓を閉めた。

この会社の人間は勘違い人間が多い。

こういう人は、もし、車内が暑くなっていれば、インドネシア人の運転手に大きな声で叱りつけるのでしょう。場合によっては辞めさせてしまうのでしょう。

旧日本軍にはこういう人が多かったのでしょう。日本人の態度は今もあまり変わらない。非常に残念であり、嘆かわしい。

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こんな人シリーズ 20−1

インドネシアでの最初の社長さん。

1996年8月 私を含めて七人が何もない荒涼とした、西部劇の決闘場面の砂塵が巻き上がる風景の中にヤギや牛が食事をしている。それを目の当たりにして、絶句した。

これから、工場を立ちあげようと、不安と期待の入混じった気持ちを解きほぐすように、なら良いが、突然の剣幕に飛び上がってしまうような怒り方をする人だった。是には私もびっくり、こんな人が日本人でいるのかと自分の目や耳を疑った。とにかく、震え上がらせるほど、相手を萎縮させてしまうのだ。どんな怒鳴り返し方をしても、負けてしまうだろうと思われる。事実何十人も相手に怒鳴り、一度も怒鳴り返して反発する人はいなかった。それほど、すごい勢いなのだ。

見掛けや普段の話し方は紳士風で、とても、そんな人とは想像できないだけに、怒り顔に変化した時の変化の大きさに飛び上がってしまうのだ。自分が直接、怒鳴られなくても、飛び上がってしまう。

この人と一緒なら、やっていられないと、帰国したいという日本人が続出、帰りたいコールが巻き上がった。私も当然だと思い。日本の社長に現状は深刻であることを伝えた。

運動はまった駄目で、ゴルフのゴノ字も言わない人だった。日常の付き合いの接点はまったくなかったひとだった。

間もなく、短期間で(96年8月〜97年3月末)社長交替になった。短期間だった。それでも、その剣幕には私もたじろいだ。

その方の功績は、会社を立ち上げたことである。それだけでも大きかったと思う。経営には向かなかった。

こんな人シリーズ 20−2

二番目の社長。海外経験が豊富で、この人も英語が堪能、インドネシアにも出張で何度も来た事があるようで、海外慣れをしていて、おおらかな人だった。海外を怖がらないというか、事件を恐れないというか、もっと危ない地域にいたので、インドネシアは安全だよ、と、悠々としていた。

其れが、臨時で社長を頼まれたような物なので、仕事自体は様子をつかめていない様だった。人を叱ることもなかったが、一番本社を困らせたことは、頼みごとをしても、なかなかはかどらないことだったようだ。もともと、車関係の組み立てラインの立上げの仕事を専門に海外を回っていたようなので、事務的な仕事には不慣れだった。

本社から頼まれたデータや計画書などの書類をまとめるのが苦手な人で、いつも催促を受けていたが、動かなかったようだ。終いには事務所にいなくなることが多く、応接室で何をしているのか知らないが閉じこもって出てこなくなり、朝から晩まで一日中、見なくなることもあった。

しかし、海外でゴルフの経験は豊富で腕前もたしか。1998年の大暴動の時、ゴルフを始めたのはこの人に、ゴルフ友達が皆海外脱出してしまって、メンバーがいないからと、誘われたからだった。

本社の言うことを聞かないので、二年半で交替することになった。私が三年、技術指導をして帰国した直後だった。

こんな人シリーズ 20−3

三番目の社長。1

 若社長だった。彼がいる期間は約7年。会社を安定軌道に定着させた。

本社では主に色々な資格を申請するための事務の手伝いをしていた。株式上場の申請などのための書類を整える仕事である。メインではなかったが、補助的な仕事だったらしい。

最初、7人の中の一人だった。出張で来ていて三ヶ月で初代社長から解放されたくて逃げるように、「二度とこんな所へ来るか」と言い残して帰っていった。その時はインネシア従業員をやはり、どなりつけていた。まさかその彼が三代目として戻ってくるとは思わなかったが、本社の偉い人のお気に入りということと、ほかに適当な人が早く見付からなかったからだと思う。

お手並み拝見と見ていたら、出張の時と人が違ったようだった。これが、以外に何でもかんでも熱心、一二代は英語が堪能で事務所内は英語ができるスタッフで固めていたのでインドネシア語を覚えようとしなかったが、英語で十分以上に会話はできていた。しかし、三代目は英語が全く駄目なので、インドネシア語を自分で熱心に覚えた。私がよい手本になったと思う。私は、英語ができない現場の作業員と話をしなければならないのでインドネシア語をすぐ覚えた。

仕事が遅いのを自覚していて、遅くまで残って本社との連絡資料を作っていた。言葉ができるようになれば、当然現場の人間とも直接会話が多くなり、彼らも親しみがわく。

そんな雰囲気の中で、私も、一緒にやっていた。労働組合ができ、その対応も上手だった。安定期を作った。

こんな人シリーズ 20−4

 

三番目の社長。2

5年経過した頃、交代要員として、候補者が来たが、これが、出来が悪かった。技術畑の人間だが、やることなすこと乱暴、自己中心で、明らかにこちらから見ると間違っていることで、インドネシア人も首をかしげていることでも押しつける。日本本社も彼の評判を聞いて、交代をしないでそのままマネージャーとして残こした。

私の位置は相変わらず、目の上のたんこぶで、三代目お気に入りの本社の偉い人の私への接する態度に変化は無かった。

三代目がインドネシア人と結婚し、うまくいけばずっと社長を続けたろうと思うのだが、奥さんとの関係というより奥さんの身内との関係が非常に胡散臭いものになったらしい。インドネシアはそういうところがあるので、奥さんの身内とは関係をあまり持ちたくない奥さんに当たればいいが、そうでない場合はお金がいくらあっても間に合わないくらい、知らない親戚がいっぱい出てくる。それが、いやになって、日本へ帰りたくなって、希望を強烈に出した。結局、七年社長をやって、私も応援した。

帰国後まもなく、奥さんとは離婚したと聞いている。

明日から、夏休み(インドネシアでは夏も冬もないが)で、19日まで、フランクフルトとインターラーケン、ブリエンツに滞在するので、投稿はできません。

こんな人シリーズ 20−5

 

四代目の社長

これが、最悪で、目の上のたんこぶ扱いで、私を追い出しにかかった。パニック障害にもなり、私は逃げて帰った。

最初から変だと思った。いきなり通訳を雇い、インドネシア語の学校へ通うといって午後三時前には会社からいなくなってしまう。

インドネシア語は全然進歩しない。英語は全くできない。ということは通訳を通して話すしかないから、会話はすくない。誤解が多く、考え違いで、怒りっぽい。全く始末が悪い。営業が専門らしいが、商品知識がない上に、動かない。せっかく三台目が苦労して取った許可、輸入販売できる資格。本社の社長は喜んでいたが、全然、意味をなさない。

三代目が抑えていた、社長になれなかった乱暴なマネージャーのタガが外れた。新社長とともに二人で、従業員にわけもわからないことを怒鳴りまくるようになった。

私は従業員と親しいし、本社の社長や副社長と親しいので、彼らにとっては、まったくの邪魔ものになった。私に対する明らかないじめが始まった。大きな声で私がいる事務所内で、わけのわからない批判を二人でする。雰囲気はインドネシア人に通じる。私を気の毒がるが彼らはどうしようもない。

契約期限が切れる前に、仕事の引き継ぎの模索をしたが、彼らには引き継ぐことはできないし、その意志もなかった。私は放り出すようにしてその会社を離れた。その後は、私のホームページ自己紹介に書いた。

私が、その会社の本社に提案し、道筋を付けた。困っている客先の日系企業や部下だったインドネシア人スタッフへの私の責任上、まもなく、私が、その放り出した部門を引き取ることになります。四年ぶりに責任を果たす再スタートになるはずだ。

しかし・・・

こんな人シリーズ 20−6

四代目の社長 2

キーワードの一つは“なぜはなしてくれないの、そんなこと聞いてないよ。”である。

私がやろうと思うこと、私が過去にやったこと、今はどうか、私の知識、技術、それらの殆ど100%を彼らは知らない。そして、話をこちらからするには一日話し続けても一年以上かかるでしょう。知りたければ、機会を作って聞いたらいいと思う。聞かれれば親切にいくらでも教えてあげます。それなのに、何かの勘違いで私を呼びつけ、怒鳴る。私は、そのことについて、あなたの勘違いですよと、説明する。と、“そんなこと聞いてないよ”とまた怒る。「聞いてないよと言われたって、そっちから、聞かなければならないことでしょう」と、思うが、それ以上、荒げたくないので、気の毒に思うだけである。

もう一つは“私に自分の立場を侵されるのではないかという被害妄想からの敵対心”である。余りにも知識技能が違いすぎて私のやり方を理解できないし、技術的には全く無知のせあいのことなので、手も足も出ない。そのうえ、従業員に対する印象は味方と感じられている。

私が会社をリードするようになっては、立場が危ないと思う。ポジションを乗っ取られたくない。この立場から、出されたら、自分はどうなってしまうのかという恐怖心。

そんなこと心配しなくても、気持ち良く私に任せれば、その人のために何とかしてあげようと、手柄を大きくしてあげようと思う。私に任せれば自分は左うちわで、何にもしなくても順調に利益は上がるし、会社の雰囲気も良くなる、それが自然に、社長のおかげだということになるのだが、そうはいかないらしい。

私が援助している、また、援助した多くお若者のようにである。こういう考え方の欠片も持っていないので、私の心を想像できないし、そうは考えられない人達なので、どうしようもない。一般的サラリーマンはみなさん、そうなのでしょうか。

インドネシアで五代目、ではなくて、現在の五人目の社長をお楽しみに。


 もう一つ、腑に落ちないのは、会社にいることが非常に少ない。いつも体調が悪いといって病院通いをしていると本人は言っている。一年間ずっとである、今もそうだ。原因がわからないという。私には原因は分かっている。

  外国で、特にイスラム国家で仕事をする人はくれぐれも、魔がさしてしまった、というようなことが無いように、ご用心、ご用心。イスラム裁判というのは非常に分かりにくいし、他の宗教者には厳しいので、なお、ご用心。
 こんな状態で仕事に身が入るわけはない。技術的、品質的な知識が不十分のうえ、この調子だから、会社が順調に運営されるはずがない。客先からのNGは日常的で、従業員も経営者も危機感を全然持っていない。
こんな会社で技術指導をしている人はどうすればいいのでしょうか。


 こんな人を何年間も社長にしておく親会社の神経も理解できない。