Jalan-Jalan Indonesia

 1982年にジャワ島ガルングン山の近くを飛行中のボーイング747が、4基のジェットエンジンのすべてが一時的に停止するトラブルに見舞われた事(ブリティッシュ・エアウエイズ9便)がある。この話は結構有名で、日本からその道の専門家が何度もこの地を訪れて調査をしているようです。わたしは良くこの近くの道を通っていましたが、寄り道をして様子を見る余裕がありませんでした。今回は一日半の余裕が出来たので、行って見ることにした。

 2008年6月29日 思い立ってタシクマラヤとガルッの間でタシクマラヤ県に属するガルングン山へ行ってきた。28日、ジャバベカでゴルフ終了後15:00にチカラン、デルタマスの家を出発。途中まではパンダンダランへ行く道と同じ、チレニイまで高速道路を使う。いつものようにタフゴレンを買って10個ばかりぺろりと食べる。ちょっと塩味で大変おいしい。
 タシクへ入って直ぐにガルット(Garut)方面に向かいチパナス(Cipanas)に到着、パパンダタンの紹介の時にここに泊まったので紹介している温泉町です。
 

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温泉プールの入り口

チモールという食べ物

各種野菜

カカオの実

 大噴火から25年以上過ぎていて、もはや休火山も死火山に近いようで、娯楽地の無いこの辺りの人々にとっては貴重な娯楽地になることでしょう。道が整備されればもっともっと人は増えるでしょう。タンクバンプラフの様にお鉢周りをする人も増えるでしょう。

 日本からココを目指す人は学者以外にはいないでしょうが、インドネシア在住の人にとってはバンドンから近いので車で行きやすいところだと思います。話の種に暇があったら言ってみたら如何でしょうか。

Cipanasのホテル

Tahu goreng Semedang

 源泉そのままの熱い(45℃くらいの感じ)温泉水が各部屋のお風呂の常に注ぎ込まれている。熱過ぎるので、一旦、止めて何時間か冷めるのをまって入る。冷却用の水が無い。日本のような情緒ある温泉風呂とは行かないが、温泉雰囲気は多少味わうことが出来る。体をあっためて、その夜は熟睡。高原町なので、夜は寒いくらいで、蚊も出ないし、エアコンも使わない。
 
 翌日06:00には出発。ホテルの従業員に道を確認した。ガルットを通過し、ただひたすらタシクマラヤを目指せが途中ガルングン方面に左折する看板が出てくることになっていた。

 ガルットから東にガルングンが見えるを見ながら道は南下する。どんどん目的から離れていく、心配になって何度も途中で道を尋ねて確認する。それでもどんどん離れる、心配も限界に達し、引き返そうと思った頃やっと道は東に方向が変わった。もうだいぶ目的地から離れていて、山は見えなくなっていた。その内、左折して北に進む案内板が出てきた。そこからがまた大変、道は整備されていて良いと聞いていたが実際は未舗装の凸凹道、砂埃を上げながらガタガタ進む。三叉路四差路がいくつも出てくるが案内板が無い。そのたびに尋ねた。やっと、ホテルをでてから2時間半後に登山道を確認できた。
 途中、三回お金を払った。寄付金と入場料と駐車料金だと思う。占めて20万ルピアほどだった。場所はガルングン山の東側の中腹、富士山で言えば宝永山のようなものだが、南国です。火山礫に草や木が茂り、瓦礫に花ではないが、宝永山とは姿が違う。
 
 もう一大観光地になっていて、私たちは朝早く着いたので階段を登る時は途中何回も座って休憩できたほど好いていたが、一時間後の降りる時には登ってくる人々で渋滞していて、途中で座り込むなどは迷惑の状態だった。また、女性の観光客が多く、それも、皆さん、結婚式に出席するみたいな盛装できている。履物もちょっとヒールの高い物が多かった。

Selamat datang Enjoy 33


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 Engineering Plastic extrusion molding と Indonesia

パンガンダラン Pangandaran Jawa tunggar

 階段は大変急で620段だが、一段が高い。65歳に近いおじいさんにはチョット過酷だったが、小さい子供もどんどん登ってきていた。学術的には大事な場所なのでしょう。地震計が何箇所かに設置されていた。
 私はガルットから来たが、帰りはタシクマラヤ方面に下って、山を一周するような形になった。タシクからの方が近くて道も良く分かりやすいことも分かった。
 ココにも温泉があり、プールがありで、家族連れ、恋人同士の観光客でごった返していた。地元の人たちが栽培した。ほうれん草や蕨やサラダ菜などが大変安く売られていた。