31 マナド Manado Sulawesi utara
32 パンガンダラン Panganndaran 2
33 ガルングン Galunggung Tasikmaraya
レムバン LembangJawa tenggah
35 ロンボク Lombok

2008-05-01メーデーで休日、ジャカルタは色々な団体のデモで、大渋滞になる日です。また、空港までの道が工事渋滞をしているという情報が入っていたので、デルタマスの家を06:00に出発した。拍子抜けの順調さ、1時間もかからなかった。車は、第二の宿泊場に駐車した。帰りの便がガルーダなのでインターナショナルの方に駐機するからである。出発時間が09:55分、3時間の早く着いてしまった。ホカホカベントウで朝食を取り、第一へ移動する。タクシーで5万ルピアも払うのがくやしいので、シャトルバスを探した。尋ねると時間がはっきりしない上に、何処に止まるのかもはっきりしないので、空港のセキュリティーに他に方法は無いかと、聞いたら、今、この車のボスが第一へ行くから乗ってゆけばいいと勧められた。例の小型トラックで荷台に背中合わせに椅子が置いてある車である。其れに便乗させてもらってドメスティックの第一に送ってもらった。チップを二万ルピアわたした。気分が良かった。
 国内移動のときは格安を狙うので、行きと帰りが違う航空会社を使うことは普通である。

 二時間前にはカウンターでボーディングパスに交換した。
 オンタイムで出発、バンジャルマシンの上空を通過して、空港に着いたのが11:00だった。バリと同じで、ジャカルタタイムより一時間早い。
 空港で、タンジュンプティン国立公園へのフライトを予約しようとインフォメーションに尋ねたら、今は出ていない。スラバヤかスマランからしか行く事は出来ないといわれた。”地球の歩き方”は間違えている。

 ここ、数年のインドネシア内旅行の基本は、目的地を決めたら、車か飛行機を使って行く。飛行機はインドネシアから出る時も含めて、”さくら旅行社”のウィウィさんにお願いしている。例外はあるが、車では片道500km以内にする。列車やバスは連絡が悪いし、危険も多いし、乗り心地も悪いから使わない。
 ツアーやセットは使わないで、行き当たりばったりの旅をする。だから、旅先での予約は一切しない。
 車の場合は全く自由で、何の抵抗も交渉ごともない。ホテルを探すだけだ。

水浴風景

ガソリンスタンド

水上マーケット

水際マーケット

使ったクロトッ

水上家屋

みやげ物や

ローソクに明かりで調理

インドネシアに関する何でも質問、エンプラ押出に関する何でも質問はE-mail
kota02@y6.dion.ne.jpまでどうぞ。   静岡市  太田勝夫

 船で食事を済ませ、カゲッ島に向う途中、エンジンの規則的なやかましい音と、船全体の微振動で、つい眠たくなって、うとうとしながら、いい気こちになり、パニック障害にこの振動マッサージが効くのではないかと思った。また、眠り込みながら、このまま、この幸せな状況に中、永遠に眠ってもいいな、と思った。しかし、本当にそう思ってはいない。まだ約束が沢山残っている。

Jalan-Jalan Indonesia

Selamat datang Enjoy 30


別冊Top

ブンガバンカイの一種

鯰のから揚げ

バリト橋

カゲッ

クンガン

水上家屋

揺れるレストラン

 しょうがないから、バンジャルマシンの街中のホテルを二泊予約した。Martapra(マルタプラ川)畔でバンジャルマシンの中心にある、SWISS-BELHOTELである。最高給ホテルで、バスタブが無いだけで、他は文句なし。私には高級すぎる。50万ルピア一泊である。
 前の話に戻る。次の日の早朝、05:00ホテルの前の船乗り場からクロトッで出発。まだ。真っ暗で、周りの景色は全然見ることが出来ない。橋の電飾が際立っていた。06:00くらいに、Sungai Barito(バリト川)の大河にでた。うっすらと明るくなって、やっと、水草や水の色が分かるようになった。二三百mは幅があるだそうか。其れがトウトウと満々とゆったりと流れている。何処から現れたのか突然、大河の行くてき小さなボートが塞ぐように群がっている。其の真っ只中に進むと中に入って、やっと、船に野菜や果物や椰子のみが積まれていることが分かった。岸辺ではない、川の中心に近い。観光船がもう一艘いて、盛んにフラッシュをたいているので分かる。小船同士が衝突するように入り組んで、お互いの品物で物々交換をしているようだ。買い物客が船で着て買うという風景ではない。ただし、観光船を見つければ盛んによってきて、押し売りをしようとする。かわいい小柄なおばあさんが寄ってきて、ジャムーという果物を売りに来た。あまい、おいしいというので、四つだけ、5000ルピアで買った。其の場で食べたら、すっぱくて食べられない。文句を言おうと、顔をあげたら、もう其のおばさんの船は10以上離れてしまっていた。日本語で、うそつきと大きな声で言ってやった。
 完全に夜も開け明るくなった頃、Jumbatan Baritoといって、インドネシアでは珍しい、というか、唯一でしょうか、いや、マハカムにもあった。500mくらいの吊橋である。鳴門海峡の橋の半分位でしょうか。地元の人は東南アジアで一番だといっていた。
  

 Engineering Plastic extrusion molding と Indonesia

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バンジャルマシン Bajarmasin Kalimantan

ダイヤモンド採掘場

 最終日は時間がたっぷりあったので、一時間半ほど南の山の中の滝まで行くことにした。いってみるとちょっとした公園になっているところに車を止め、そこから急なのぼりを30分以上、大変だった。相棒のマリアさんはギブアップで途中からは私と、地元のフォトグラファーの二人で登った。彼も初めてで道が分からない。私の後ばかりついてくる。私は一人の方がよかったが、ずっとついてくる最期まで着いてきて三段目の大きな滝まで着いてきて、水浴を始めた。私はお先にといって離れようとしたら、写真をとっくけれと私に頼む、撮ってやって、ではお先にと私は其の場を出発した。しばらくすると、彼がまた後ろから一生懸命追いかけてくる。一人きりにされるのが怖いかのように必死に追いつこうとしてくる。そしてまた、一緒に降りてきた。
 滝自体は、何処にでもある滝と同じだが、結構いい運動になったと思う。汗も一杯かいた。茶店で休んでいたマリアさんに下にも滝があるので、いってきたかすぐそこでしょ、といったら、行ってきたという、じゃあ証拠の写真を見せろといったら、写真は撮ってこなかった嘘を言う。そこで、私はもうくたくただったので、彼女にもう一度行って写真を撮って来てくれと頼んだ、彼女はしぶしぶ、20mくらい下へ降りて、一番下の滝の写真を撮ってきた。

 私はその茶店の前で、変わった花のような物を見つけて、写真を撮ろうとしたら、後ろから茶店のおばさんがそれはBunga Bangkaiと教えてくれた。なるほど、直ぐ横にあ枯れかかった木を持ち上げてみるとTitanium(チタニューム)とそっくりだった。偶然に三種類目のブンガバンカイに会えたのである。大感激である。

 次はダイヤモンドの発掘場所に行ってみた。思ったとおり、なんだか昔のアメリカ映画のゴールドラッシュの風景を見ているようだった。荒れ果てた、荒野に大きな穴と、採掘ポンプが目立っていた。茶色の世界である。白っぽい石があちこちにある。
 バンジャルバルという町はダイヤモンドの採掘で栄えた町だ。至るところに宝石やさんがある。

 今回のたびは四日間と長く、見て歩く場所があるか心配したが。フルに日程をこなすことが出来た。町の人や田舎の人たちとも冗談交じりに色々話ができた。ジャワ語を話す人たちが多かった。最期に、ハプニング、空港の待合室で、有名な映画スターのインドゥラさんとマリアさんがスーショットで写真を撮らせて貰って、マリアさん、興奮状態が続いた。

松の林

 その後、この船レストランに多くのお客さんが乗り移ってきて朝食を取っていた。

 お腹も一杯になったところで、Pulau Kembang(クンガン) とPulau Kaget(カゲッ)によって見たが、他人にお勧めできない。サルはうるさいし、人間もお金頂戴でうるさかった。また、見るべき景色は無かった。期待はずれにカゲッ(驚くという意味)だった。ホテルに戻ったのが12:00前後だった。35万ルピア(4000円くらい)だった。

 Aranioという地名の Waduk Ir. Pangeran muhammad noorという名前の人工湖,水力発電用のダム湖である。其の前に南の端の海岸にも行ってみたが取り立てて何もなかった。
 

 クロトッ(Klotok)という、焼玉エンジン一基の小船でどこえででも行けそうな、水の都という印象がバンジャルマシン、バイクのうるさい音とクロトッの音で、いつでも何処でも町中が騒々しい。そして、水の都にしては直射日光がきつい。
 町にはそれほど有名な観光地は無いが、ボートに乗って、水上家屋や水辺沿いの色々な店やガソリンスタンドや皆さんのマンディの様子を眺めているだけでも気持ちは和む。
 
 

Permata Inというホテルに泊まった。70万ルピアも出してBanjarbaruバンジャルバルでは最高級のである。大奮発。その代わり夕食は外の道端のテントレストランで鯰の空揚げで済ませた。注文している最中に停電になり、ローソクの明かりで食事、終わった頃停電が回復した。   

バンジャルマシンの風景

お腹がすいたので、何か食べたいと船頭に言ったら、すぐそこで食べたれるという。岸を見てもそれらしい場所が無い。すると、100mほど先にラストラン船がやって来た。看板にゆれる食堂と書いてあった。其の船に横付けし、注文して食べた。名前は知らないがミーアヤムのようであるがアヤム(鶏肉)でなく、普通のお米をお餅のようにして、そぎ取った物が沢山入っていた。スープが大変おいしかった。こういう環境が何でもおいしくしているのかもしれない。