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こんな人、そんな人シリーズ 01
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こんな人シリーズ 15−1

Mariaさんについて。

この子には本当に参った。お客さんが日本から来た時、カラオケに付き合うことになった。その時、私が指名した女の子のこと、当時19歳、かわいかったので、指名した。これが問題のおき始め、彼女が、「仕事が終わった後一緒に家に行ってもいいか」、と聞くので、金曜日で、明日予定が無いのでいいよということになり、仕事が終わる12時半を待って、彼女を家に連れて返った。土曜日は一緒に近くのちょっとした観光地、ジャティルフールへ行って、そのまま、ジャカルタのお姉さんと一緒に住んでいるという、コスの前まで送っていって分かれた。ハンドホンの番号はその時教えた。

一ヵ月後くらいに、彼女から電話があって、また、会って欲しいといってきた。日曜日にジャカルタまで行って、そのままアンニョール(ジャワ島の西の端、スマトラへフリーがでている港町)へ一緒に行った。その道中、彼女に電話がかかってきた。何か深厚な

話をしているようで、相手が一方的に話し、彼女はフンフンと返事をしているだけである。その電話が、終わってしばらくして、彼女が「お姉さんが、首のあざの手術で5ジュタかかるからいくらでもいいから手伝って欲しい」と切り出した。それ、やっぱり来たかと、思った。いくらでもいいからと言うのは、曲者である。いくらかかるとはっきり言わない、要するに、そのためではなくて、本当にいくらでもいいから小遣いを欲しいのだ。それも、影に男がいることは明白である。紐のような男がいるようだ、と感じた。

その時は、1ジュタだけ渡した。その後も何回か、ほぼ、一カ月おきぐらいに合いたいと言って来ては、1ジュタせしめて行った。多分、というか、絶対に、ほかの日本人にもいくらかたかっていると思う。

知ってから、一年後くらいに、「男が自分に付きまとって着て困る、仕事が終って店を出るとその男が待っていて、家まで送って行くといって車に連れ込まれる、怖くて断われない」そして、「休みの日には家の前で、ずっと待っている、だから、引っ越したい、いくらでもいいから、手伝って」、といってきた。その時も、若干渡した。

またしばらくして、会って欲しいといってきたので、会ってやったら、今度のコスの隣の男が、暴れて、壁を、蹴破ってしまったので、住めなくなった。もう、コスへ戻りたくない、しばらく、住まわせて欲しい、と頼んできた。無理やり返す分けにもいかず、住まわせる事にした。ところが、一ヶ月もいられると、どうもうさんくさくなってきた。ジャカルタへ戻したが、住むところがないといって、二三日後に戻ってきてしまった。二ヶ月過ぎた。電話代の請求が三倍以上に跳ね上がった。彼女が昼間、あちこちへ電話をしまくっているのだ。それも、圏外のハンドホーンへである。電話を圏外へは使えないようにした。

 

こんな人シリーズ 15−2

今度は、その男から脅かしの電話がハンドホーンにかかってくるから、電話番号を変えたい、また、お金のムシンである。電話番号を変えてやった。しかし、夜になるとまた誰かからか電話がかかってくる、それも、真夜中の二時,三時である。二三十分話をしている。それも、一方的に聞いているだけである。その内、その電話が終ると、弟が交通事故で起こしてお金がかかるとか、カラオケに電話代の借りがあって払わなければならないとか、お金を要求する。私はまた、男に貢いでいると見抜いているので、お金を渡さなかった。誰かから借りて払って、領収書を持ってきたら、借りた人に返してあげようといった。

彼女は怒って出て行ってしまった。当てが外れたのだ。これで、安心と思ったのが甘かった。一ヵ月後、また、のこのことやってきて、お金をむしんに来た。だめだ、返れ。と言ったら、トイレに入ってしまって出てこない。鍵は無い。十分ほどたっても出て来ないので、ドンドンとドアを叩いても返事がない。びっくりして、あけて入ったら、彼女、座り込んで、気を失っている。そして、手首を押さえている。手首を切って、気絶しているのだった。ほっぺたを叩いて正気に戻させ、寝かせた。手首の傷は擦り傷程度で、血も殆ど出ていなかった。 

彼女は、その、紐のような男の悪口を盛んに言うが、本心はとことんほれてしまっているのだ。彼の言うことは何でも聞こうとする、捨てられるのが怖いのだ。電話番号を変えても、一日も過ぎないうちに電話を彼女の方からかけてしまっていることも分かった。

ついに、レバランの時、故郷へ帰るからというので5ジュタ渡した。信用できないので、証拠の写真を撮ってきなさいと、いってやった。しかし、やっぱり、レバランというのに返らず、男のところに転げ込んでしまったらしい。お姉さんから何処へ行ったか問合せがあって、帰っていないことが分かった。

 

こんな人シリーズ 15−3

レバランも過ぎて、一ヶ月たったころ、彼女がまた、突然現れた。今度は本当に男から逃げてきたと言う。彼女の女友達も一緒だった。その友達も彼女が言っていることが本当だと言っていた。その一ヶ月ちょっとの間、麻薬をやったり、刺青(仮)やったあり、髪の毛を細く細かく編んだり、散々、遊びに遊んだらしい。お金がなくなったのでしょう。また、お金のむしんに戻って来たのだ。それも、友達の言うことを証拠としての演技である。もう、こちらも、お金をわたす気はない。そのまま、ジャカルタまでのバス代を渡し、追い返した。

ブロックMのプレマンといって、チンピラとの付き合いというか、その仲間に入って、ボス的な男が紐になっていて、何がいいのか、その男に惚れ込んでしまっていて、何を言って聞かせても分かれられないでいるのだ。

無駄にしたお金は膨大な金額になっていると思う。もし、貯金していれば家(250万円)の一軒も手に入る金額なっていたでしょう。女の気持ちは理解できない。

それから、また、一ヵ月後、ちょっと大きめなバッグを提げて、また、夜、やって来た。今後は本当に逃げてきたと言う。またかと思ったが、夜遅いので、そのまま泊めた。また、お金をムシンして直ぐ出て行くと思っていたが、その日から、ずっと一緒にいることになるとは思っていなかった。

私は、会社に行っている間に彼女がいなくなっていることを望んでいたが、どういう事情か、もう、帰るところがなくなってしまったのでしょう。

その時から、住み込みのお手伝いさんになったようだったが、いままでの生活があまりにも荒れていたので、お手伝いさんの仕事だけでは暇をもてあまし、やたら、あちこちに電話をしまくって、一月の電話代が二万円を越してしまった。その後、電話機を取り替えて市外電話は出来なくしてしまい、携帯は一週間に1200円までと決めた。そこで、時間をまたもてあますので、専門学校へ通わせた。バイクを中古で買ってやった。カラワン(ジャカルタから遠ざかる方向で30分)に学校はある。そして、旅行には必ず連れて行くようにした。旅行の最中は携帯電話の電源を切らせた。

 

こんな人シリーズ 15−4

 

こちらの専門学校は一日一時間か二時間ぐらいしか授業が無く、秘書科とコンピューター科の勉強をさせた。まじめに通い、新しい、普通の学校の友達もでき、次第に、ジャカルタ、ブロックMのプレマンに貢いでいたときのことを思いださなくなっていったようだった。しかし、ことはそう簡単ではなかった。そのプレマン連中の嫌がらせが始まった。ブロックMのパパヤ(日本食スーパーマーケット)へ買い物に行ったとき、買い物から出てきたら、車をパンクさせられていた。ご丁寧にスペアータイヤまで、穴をあけられていた。バジャイに乗って近所のパンク修理やで、直して戻ってきたら、連中が薄ら笑いをしながら眺めていた。そこで、ジャカルタで買い物をする時はパパヤ以外に行くことにした。

今度は、夜中に忍び込んできて、車のバッテリーの配線をずたずたに切ったり、ガソリンを送るパイプを切断したりしてくれた。朝、会社へ出かけようとエンジンをかけたときにこの有様だった。犯人は分かっているが、捕まえたり、訴えたりすることが出来ない。ただ、辛抱するしかなかった。彼らが住んでいる場所から、車で、一時間もかけて夜中に嫌がらせにやって来るのだから、そう、長続きはしないと思っていたら、案の定二回だけで済んだ。次の日の朝、車を使って旅に出る前の晩は車に寝たたりして見張った。その時は何でもなかった。その後は何事も起きなかった。

 彼女は学校へ行きながら、車の運転の練習もさせた。土曜日、日曜日には近くの広場で、縦列駐車や車庫入れの練習に付き合った。バイクの免許も取らせた。これで、やっと自立できるようになったと確信したのは、彼女と出会ってから、4年経過していた。その間、妊娠中絶が二回、手首を傷つけたのが三回、車の損傷が4回、病気でジャカルタの親戚に世話になりにいったのが一回。まったく、修羅場の連続だった。

マイフェアレディーの世界よりはるかに過酷だった。それでも、何とかまともな女性にしてやろうと、とことん付き合うことにした。そして最期には本当にまともになった。これでやっと終わった。そして、作品が完成したと思った。ブリタールの両親にも会って、経過を話した。お礼を言われたが、特に感慨は無かった。

この女性が、パニック障害の時に私の大きな手助けになってくれて、私は救われたのでした。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/の自己紹介を参考にしてください。

 

こんな人シリーズ 15−5

これで、再会することは無いかもしれないと、ジャカルタ空港で涙の別れがあり、私は日本へは帰り、休養と治療に専念した。彼女はブリタールに帰った。その後、二歳年上の幼馴染と結婚をした。スラバヤに住んでいた。仲良く、新婚生活をはじめたという知らせを日本にいて聞いた。週に一回のペースで近況を知らせあっていた。

こちらで就職して仕事をしていたユニーさんが、私が帰国している間に、日本の会社を辞めてインドネシアへ戻ったので、インドネシア語で話しが出来るのはヤント君一人になってしまった。ヤント君は大学に後二年だが、その後大学院へ進学して、終わったら、インドネシアへ戻って、大学の先生になって日本語を教えたいと言っている。

そうこうしているうちに、私の健康も回復し、活動できるようになったので、また、じっとしていられなくなり、海外へ行きたくなり、やはり、言葉が出来るインドネシアに戻ることになった。帰国して一年半後だった。

彼女がどうしても私のお手伝いさんとして仕事をしたいと言うので、新婚の旦那に相談したらOKだという。まだ、妊娠していない。妊娠したら来なさいということにした。しかし、どうも、妊娠できない状態になってしまっているらしい。こちらで治療して,よくなったらスラバヤへ一時帰る、と、いうことにした。現在、産婦人科に通って治療中である。次に、私が、日本へ帰るなど長期で留守をする時に旦那の元へ返す。そして、妊娠するまで来るなと言う。

前にも書いたが、一人暮らしは大変不安で、また、パニック障害の症状が現れたら、大変だと思うが、彼女の家庭のことを優先的に考えなければならない。今は、一緒に二週間に一回のペースでブンクルーやジャヤプラやバンジャルマシンやマナドへ旅行に行っている。安定した、安心した生活を送っている。

先日、彼女の旦那が休暇を取ってスラバヤからやってきた。一週間泊まっていった。新婚旅行の気分だったと思う。ジャカルタ見物にも行ってきたようだった。別れ別れの生活だが、スラバヤでは昼間一人で家にいることは耐えられない、仕事も適当なものがない、そこで、一種の出稼ぎのようなもので、私の所へ押し掛けてくる、私も一人よりはいいし、運転手にもなるので、お互いに利益が一致している状態でしょうか。

いつまで、一緒にいられるかは分からないが、必ず、期限はある。いつかは分かれる時が来る。

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