Essey
Indonesian life 02

インドネシアで楽しく暮らす 15-1

斜めからインドネシアを眺めよう 1

インドネシア人は幟や旗を掲げるのが好きだ。ないかと横断幕やのぼりを掲げる。独立記念日の一か月前から過ぎても10日程はどこもかしこも旗だらけ、うんざりする。旗売り,幟売りがあちこちに現れる。車に小さい国旗を付ける。シャレなのか日本人の臆病な人は自分の車にもインドネシアのミニ国旗を付けさせる。そして、安心をする。

インドネシアには政党が30以上ある。これでも、だんだん、少なくなってである。これが、また、旗を掲げるのが好きで、競うように町のどこにでも政党の旗を取り付ける。高速道路沿いの塀に5m間隔ぐらいでつける。他も負けずとその間に付ける。道の両側は旗だらけである。田舎のどこへ行っても必ずどこかにまとまって政党の旗が掲げられている。ここは、私はこの政党の支持をしている、ということを世間に知らせて、皆さんと同じです、と、行っているようだ。

何かの催しの前にはその会場から1km周辺には幟が掲げられる、たとえば、工場建設の着工式、会社名が書かれた幟で、道案内になる。一夜にして、何百本が掲げられ、終われば、一夜にして消えてしまう。

この旗、幟のためにどれだけの布、生地が使われているでしょうか、処分はどうしているのでしょうか、もったいないと思う。

インドネシアで楽しく暮らす 15-2

斜めからインドネシアを眺めよう 2

道端の排水側溝、道ができたばかりや、排水溝を作ったばかりは排水の効果はあるようだが、その水はどこに流れるのでしょうか、どう見てもどこかに流れていって最終的には小川に注ぐようにはなっていない。側溝がつながっているとは思えない。だから、水があふれれば一番低いところから道が冠水し始める。

また、日本のように町内会のようなものが溝の一斉清掃はしないから、どんどん、側溝は浅くなり塞がってしまい、まったく見かけだけになってしまう。それでも、その場所の人たちは側溝の掃除をしない。もう、そのままである。

雨季になれば、そこら中で、排水できずに水がたまってしまう。要するに作るだけで、あとのことは誰もが、どうでもいいという考え方だ。

道端のあちこちに小さい水たまりができる。その水はどこにも流れず干上がるまで、池である。ボーフラの住処になる、そして、デング熱が蔓延する。それでも、側溝は塞がったままである。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-3

斜めからインドネシアを眺めよう 3

交通信号は警察官が付いていれば守る、警察官がいなければ守らない。じっと、待つことができないのだ。前が空いていれば赤でも何でも止りたくないのだ。

 日本なら、いったん停止という習慣があるが、こちらには全くない、というか、絶対に止りたない、そのまま進んでしまいたいという心理が優先である。脇道から広い通りに出る場合見通しがよくて、車がさしかかるのが見えても、必ず侵入する。止まってくれれば儲けもの止まらなければ自分が止まるという考えだ。一種の脅かしをかけるのだ。

そのくせ、逆の場合は、その脅かしに負けてはならないと考えて、絶対、側道から車が脅かすように出てきても速度を緩めたり止まったりはしない。勝負どころと思うのでしょう。

車がつながっている駐車場などで、脇から、その列に割り込もうとしても、絶対、列の車は進入されるのを拒否する。車間距離をぎりぎりまで詰めて、割り込む隙を作らないようにしている。割り込もうとする車は、少しずつ、前に進んで、少しでも隙間ができれば入り込もうとする。その競り合いは見事なものである。日本人やドイツ人の運転の様子とは全く違う。

頑張るところが違うじゃないのと言いたい。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-4

斜めからインドネシアを眺めよう 4

こちらの交通信号はすぐに壊れて機能しなくなる。直してもすぐ壊れる。機能している期間は非常に少ない上に守らない。信号は人を迷わすだけだ。赤で待っていれば、後ろからクラクションを鳴らされ、早く発信しろと催促されるし、青信号で前が詰まっていて交差点内が空いているときは絶対に侵入してしまわないとパッパカパッパカならされるか、後ろの方の車が追い越して空いているところへ入ってしまう。それも怒ったような、乱暴な運転で、である。

信号がない方がよっぽど迷わない。自己責任でどうにでも判断できるからである。

信号がない交差点やあっても機能していない交差点には、その辺りに澄んでいる人でしょうか、交通整理をする。小遣い稼ぎが主である。彼らもいない方がいい時の方が多い。

ただし、卍固めのように車が交差点内で解れなくなってしまったとき、そういう人が必要だ。また、そういうときが多い。とにかく、空いていればどちらの方向からも車を突っ込んでくるからだ。対向車があろうと赤信号だろうとお構いなし、半分面白がっているのではないかと思うくらいに、隙間隙間に割り込む。

 私も、負けないぞと、かなり、意識してしまう。

インドネシアで楽しく暮らす 15-5

斜めからインドネシアを眺めよう 5

家の前にいる人が多い。小さな店にテレビが置いてあって、外からテレビが見えるようになっている。店番はテレビを見ている。近所に人でしょうか、遠くから来た友人でしょうか、家族でしょうか、一緒に見ている。また、店の前には縁台ではないが、何人かが座れる。低いテーブルのようなものが置かれてあって、其処にすわって、表を通る人を眺めているのでしょうか、何も見ていないで、うつろな目をして、かがみこんでいるだけなのでしょうか、じっと、している人がいる。チェスをしている人も多い。それを見ている人も多い。

家の中で、テレビを見たりゲームをしたり、趣味のことをやったり、ということはないようだ。とにかく表通りに面した場所に場所を見つけて、出てくる。たむろする。買い物を近所の店で済まそうと思って、通りへ出ると、すぐに多くの視線を感じる。歩いて進むに従って、次々と新しい視線を感じる。中には、ミスターと言って声をかけてくる人もいる。以前、話をしたことがある人などは、俺はこの日本人とかなり親しいんだぞ、と、周りに誇示したいかのように、やたら親しげに話しかけてくる。なんというか、めんどうくさいというか、うさんくさいというか、相手をしたくないが、そう、冷たくも出来ないので、しょうがないから、愛想笑いぐらいはして通り過ぎる。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-6

斜めからインドネシアを眺めよう 6

小物の日用品の小さな店がやたらと多い。屋台にちょっと毛が生えたような店だ。飲み物と石鹸やシャンプーや洗剤など、タバコ、安っぽい化粧品、子供が群がりそうなスナック類。店の面積はせいぜい二坪、商品は一坪くらいの場所に立体的に置かれている。許可されているのかどうか知らないが、ちょっと家並みが途切れた場所の二三坪の掘っ立て小屋を建てて、店を開く、其処に寝泊まりもする。電気はないので、灯油ランプで明るくしている。今でも、インドネシアは文字通り、灯油は明りのための油である。

私も、以前、タバコが切れたときとか、今はもっぱら、ゴルフ場の手前で、水を買う。ゴルフ場で買うと三倍くらいするからだ。

自分の家が通りに面していれば、資本金は2~3ジュタ(約3~4万円)で商品をそろえられるので、その気になれば、誰でも店を開ける。儲かるかどうかは場所によることは確実である。

近所に店がないこと、学校や病院など不特定多数の人が前を通ること。とにかく子供の数は半端じゃないので、子供に人気がある店は繁盛する。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-7

斜めからインドネシアを眺めよう 7

だいたい、多くのこういう店の商品は、いつ仕入れたものでしょうか、すべてホコリをかぶっている。ショウケースに入っている商品は汚れていないが、ショーケースが埃をかぶっている。細かい砂がかぶっている。例外なく掃っても掃っても、すぐ積もるような道路事情のです。

缶の物は洗ってからでないと直接口をつけられない。ストローが必ず付いてくる。ソフトドゥリンクは一般的に缶や瓶からストローで飲む。

もっとも、こちらの人は埃を気にしないので、ストローを使わないで、ちょっと吹いただけで直接飲む人も多い。

仕入れはどこからするか、マクロやカルフールからする。籠いっぱいに買っている人が多くみられる。明らかに自分の店の商品を仕入れていることがわかる。石鹸や洗剤、生理用品、ソフトドゥリンク、ティッシュペーパーなどなど、みなさん、その値段に20%ほど乗せて売っているのです。水はスーパーで日本の卵のような役割で、客引きのためにただに近い値段で売っているときがある、そういうときを狙って仕入れる。

私たちの感覚からすると水ボトル一本が2000Rpだろうが5000Rpだろうが、あまり、値段を意識しない。買いたいとき、其処にある店で買うという感覚だからだ。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-8

斜めからインドネシアを眺めよう 8

先週、日本人の若者で、初めてゴルフ場でゴルフをするという人と一緒に回った。自分はうまくないがそれでも、他人に迷惑や不快感を与えるようなことはしていないと思っている。最低のエチケットは心得ているつもりでやっている。

ところが、ご本人、ドライビングレンジは三回とか、合計300球しか打ったことがないとか言っている。空振りは多いし、チョロもおおい。それでも、走るということは絶対しない。大変な迷惑を私たちに掛けているのに、一緒に回った私に何の声もかけないどころか、終わってから、キャディにチップを渡すもんですかと聞いてきた。途中で、あなたのキャディは他のキャディの何倍も仕事をさせているのだから、チップを弾まないといけないねと言ってあって、本人、うなずいていたのに。

インドネシア人と一緒に回ると、上手下手は関係なく、特権階級意識が、見え見えな態度でやる。キャディをとにかくこき使う。自分でボールは絶対拾わないし、置きもしない。びっくりしたのは、たまたま、会社の上司がほかの組で回っていて、見つけたとき、走り寄って行って、ペコペコ挨拶を繰り返していたことだった。戻ってきたとたん、飲んでいたポカリスエットの缶を投げ捨てた。注意したら、キャディを怒鳴りつて拾わせていた。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-9

斜めからインドネシアを眺めよう 9

会社の真向かいで、工場の建設が始まった。某建機、フォークリフトなどの製造日系企業の工場を、某K建設が工事を始めた。いきなり、杭打ちが始まった。重いものを扱う関係でしょうか杭の数が半端ではない。三週間、三台のくい打ち機でトンカン、トンカンやっているがまだ半分ぐらいでしょうか。

杭を打つ時に油の煙が上がる、それが風に乗って周囲にばらまかれる。日系企業でもインドネシアでは周囲からクレームが付くまで、断りも、挨拶もしないのが常識らしい。建設会社はくい打ちのたびに周りからクレームがつかないように、また、ケレームが付けられたときどう対応するかは、経験豊富のはずである。しかし、何の音沙汰もなく突然、油煙をばらまいて知らん顔をするらしい。

車は黒い点々がへばりついて、洗っても落とせないし、白い建物にも同じように黒い油がこびりついている。日本なら住民のクレームで大問題になるところだが、インドネシアでは、建設会社の日本人も交代が激しく、知らない振りをして通り過ぎるのを待つのが常識らしい。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-10

斜めからインドネシアを眺めよう 10

どの会社でも朝皆さんが出勤する時間や会社から帰る時間に軽食屋さんが現れて、金網越しというか塀の隙間から従業員に売っている。会社の裏(オフィスから遠い場所)で、特にそういう風景を見る。そこで、大体、どの会社でも、金網や塀に屋台の売り込み禁止という看板が吊るされることになる。

シウマイ、ゴレンガン、ミー類、ナシ類のカキリマである。どこから現れるのか、湧いて出てくる。工業団地の外から、屋台を引っ張ってやってくるのでしょう。

工業団地外の工場の正門の前の一般道路には必ず、食べ物を売る屋台が何台も来ている。昼時になれば、まるで、日本のお祭りや花火大会などのように賑やかになる。車で通りかかれば渋滞に巻き込まれることになる。

十何年前から今も、お弁当を作って持ってくるという習慣は無いようだ。“ほっかほっかベントウ”という。日本食もどきのレストランチェーン店がはやっているのだから、その意味を知れば、少しは弁当を持って繰り習慣が芽生えてもよさそうなものだが、風土的に家庭料理という習慣は薄いので、料理をできる女性が少ないと思う。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-11

斜めからインドネシアを眺めよう 11

中途半端な田舎や地方から職を求めて都会に来た人が住む家には、そもそも、台所というものがない。そして、冷蔵庫がないので、保存ができない。また、冷蔵保存という習慣がない。もし料理をするなら、食材を買ってきて、家の外で、適当な板の上で切り、鍋やフライパンに放り込んで煮炊きするだけ。水も水道からでは、危ないことを皆さんわかっているので、生野菜は絶対に食べることはできない。

子供が多い上に調理をしないので、子供達も手伝えない。料理を覚える機会がない。それが、代々続いているわけだから、家庭料理はどうしても少なくなる。

外で買うことが多くなる。そこで、道端のテントレストランが必要になる。カキリマも必要である。多くの家庭は、それらへ行って、ブンクスといって、お持ち帰りをする。油紙のようなものにご飯を包み、ポリ袋に汁物を入れて輪ゴムでとめる。慣れたもので、それらの店は黒と透明のポリ袋は用意してある。朝早くはお粥屋さんがはやる。

朝や夕方、子供が持ち帰る風景によくあう。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-12

斜めからインドネシアを眺めよう 12

今年は今日9月1日からプアサ、日の出から日の入りまで、一切の欲望を断つ、勿論、主に食用である。だから、断食の月ということになる。

イスラムといってもインドネシアの場合は、一般的に、規則は緩やかである。うるさい人もいるが砂漠地帯のイスラムとは環境が違うので、同じにはならない。

宗教省といってもイスラムの為の省といってもいい。月と何かの関係をコンピューターで眺めながら、インドネシアのレバラン入りの日を決める。別に宗教省でなくても、誰でも特定することはソフトさえあれば簡単にできる。

一年365日ではなく、355日でも中には閏年のようなものがあるはずである。多分、イスラムの人でそういうことが分かっているのはほんのわずかな人でしかないと思う。

季節は雨季と乾季だが、それを、表すつきは西暦を使っているので、また、会社や社会も西暦を使っているので、イスラム暦は一般には通常は使われていないのが現状だから、当然だと思う。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-13

斜めからインドネシアを眺めよう 13

 どこかのブログで、1セントのお釣りをくれないで、無視された。その店には、皆さん、買い物をしないでください。という書き込みがあった。

 それに対して、いろいろな書き込みがあって、日本人は話が細かすぎるとか、其処まで、言わなくてもいいのではとか、一円でも足りなければ文句を言いましょうとか、いろいろでした。それはそれとして、人というのは、こちらから差上げるという気分の時はいくらでも腹は立たないが、取られたと感じた時には一銭でも悔しいものです。

そこで、インドネシアでは日本と違って、チップを渡すという習慣があります。ひどい言い方をすると、チップしだいで、警察も行政も操ることができる。

身近では、車の割り込みです。Uターン場所には必ず人が小遣い稼ぎの案内役が立っています。窓を開けて、小銭をちらつかせれば効果てき面、対向車をすぐ止めてくれます。500~1000Rp(12~3円)で十分です。

レストラン前の駐車場には必ず車の案内役がいる。全然必要ないどころか邪魔だと思うが、入る時に案内し、出るときに、通りかかりの車を止めて、安全に?車が出るようにしてくれる。ジャカルタの相場は2000Rp、田舎へ行け1000RpでOK.

インドネシアで楽しく暮らす 15-14

斜めからインドネシアを眺めよう 14

インドネシアの最高級規模のスカルノ、ハッタ空港の出来事でした。下痢気味でトイレに駆け込んだ。西洋式が2、インドネシア式が2、インドネシア式には水洗いのシステムはあるがトイレットペーパーがない。西洋式の一つは便器が壊れていて、座るところが取れてしまっていた。もうひとつは使用中なのか扉が閉まっていて中が見えない。しかし、其処にいる掃除人の目がこちらの目と会った。使いたいか?と、言っていた。掃除人に、開けてくれと頼んだら、トイレットペーパーの使い掛けのものを隠してあった場所から出してきて、私に渡し、扉をヘラのようなもので、つっかい棒を隙間からあげて開けた。どうぞ、というわけである。

用足しを済まし、トイレットペーパーと共にチップを、5000Rpで充分だったが、かなり、助かったので、一万Rp渡した。彼はにんまりしていたが、私のために確保しておいてくれたと思えば安いものである。ものは考えよう。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-15

斜めからインドネシアを眺めよう 15

日本でもタクシーを使って、料金が2800円とすれば、3000円出して、お釣りは取っておいてと言う。これが、2700円なら微妙である。2600円ならお釣りを400円受け取る。私の感覚ですから、人によって、経済的余裕によっても、見栄っ張り度によっても違います。

インドネシアではどうか、大体、10%のチップと考えています。レストランの支払いの後、領収書と一緒に食事の金額によりますが5000とか1万を置いてきます。自分の満足度にもよりますが、サービスが悪かったり、食事がおいしくなかったりした時には一銭も置いてきません。気持ですから。

中には後ろから、ぶつぶつ、言っているのが聞こえてくるときがありますが、それはそれで、気のする必要はまったくなし。

信号待ちなどで、子供やイザリなどが寄ってきて、お金ちょうだいと手を出してきます。断ればいいのです。気にすることはありません。逆に、100Rpなどの小銭を何枚か渡すと、あからさまに、ケチ、と言われます。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-16

斜めからインドネシアを眺めよう 16

地方へ行くとなぜか突然、遮断機みたいなもので道が閉ざされている。これから先へ入るにはお金を払いなさい。いわば、有料道路になっているのです。入村料とでもいうのでしょうか。一般の舗装された道路から、それて海岸へ向かう場合に多い。

一般道路でも、トラックを止めてお金を徴収しているところも多い。どういう団体なのでしょうか、どういう法律や規則によっているのでしょうか知らない。キジャンクラス以下の車からは徴収しない。どこまでの大きさの車が払わなければならないか書いてもない。

全く知らないので、急に止められて、通過したければ、いくら払えと、言われても払うしかない。交通違反のように外国人と知って多額な要求をされても雰囲気では戻るか、払うしかなくなるだろう。そんな経験は今までにないが。

インドネシアで楽しく暮らす 15-17

斜めからインドネシアを眺めよう 17

モスレムの相互援助の産物なのでしょう。モスジッド(イスラム教会)の建設資金の寄付をいたるところの道路で求めている。道の真ん中に何本かのドラム缶を10m間隔で5~10本置いて、其のわきに何人かの人が昆虫や小魚を取るための網をもって、お金をちょうだい、ちょうだいと招いている。その近くの一角で、そのリーダーでしょうか、何やらスピーカーでひっきりなしにしゃべっている。

道は狭くするし、人(子供や女性の場合が多い)が立っている。タモを振っているし、危なくて仕方がない。もちろん速度は急激に落とさなければならないので、渋滞のもとになっている。渋滞になって、事故か工事中かと思うのが普通ですが、こちらでは、これがある。

私はお金を渡したことはない。切りがないし、渡した、渡さないでは不公平になるので、一切渡さない。

そして、何か月か、何年か後にそこを通ると、ムスジッドがちゃんとできている。でこぼこ道でもバケツを持って、お金をちょうだいをやっている。そこの道の修理代(材料費)になる。公共は頼りにならないからだ。

インドネシアで楽しく暮らす 15-57

斜めからインドネシアを眺めよう 57

 どこかに書いたが、日本人の多くは、インドネシア人のだめなところを強調する。確かに、教育レベルは低いと思う。算数などのレベルは特にひどいと思う。

しかし、程度が高い人も多い。若者の人口は多いので、上位10%くらいの人数だけでも膨大な人数である。テストをしてインタビューをして選べば、程度の高い人に当たる。

優秀な人を育てることにすればその会社は日本人がイライラしなくてすむ。それをうまくやっているかやっていないかで、日本人も評価される。

これも、どこかに書いたが、“弘法は筆を選ばず”でなくて、“弘法は、筆を選ぶのが上手だった”のです。字体や大きさによって筆を選んだのです。

インドネシア人も筆と同じ、使いやすく、その仕事に合った能力を持った人を選びだすことが上手な人は楽をして、上手に経営することができる。

これも、その人が持っている才能次第です。仕事を本人ができることが大前提ですが。

人を選ぶ才能と、その仕事が出来る才能は比例します。これは逆もまた真ありです。インドネシア語に関しては、仕事ができ人は覚えが早い。このことは、逆も真とは限りません。

 インドネシアで楽しく暮らす 15-58★

斜めからインドネシアを眺めよう 58

高速道路の路肩を多くの車は走る。チカランとチビトゥン(工業団地で言うとEJIPMM2100)の間の路肩にはペンキを盛り上げた10cm幅の三本線が30mほどの間隔で書いてある。ぼこぼこぼこと車のタイヤの音がする。高さは1cmほどだろうが、衝撃はかなりある。勿論、路肩走行をしにくくするためです。それでも、ものともせず、ぼこぼこ音を立てながら疾走する車は多い。

 この間は三車線だが四車線のようになるわけだ。チカランを過ぎると、路肩にその凸凹が無くなる。私もそうだが、そこから急に路肩を疾走する車が倍ほどになる。まもなく、三車線から、二車線に狭くなるので、渋滞になりやすいから、早めに先に出てしまいたい気持ちが誰にでもあるからと、凸凹がなくなるから、十分スピードを出せるからです。

 我が、デルタマスに着く、3キロほど手前で二車線になり、路肩も渋滞になる三車線渋滞になることになり、もう、渋滞に従うしかなくなる。

 私は、その渋滞から間もなく抜けだして、高層道路から出ることになるが、出ない車はこれから、終点のチカンペックまで30kmの渋滞に付き合うことになる。

 それでも、路肩を走る方が若干早く、目的地に着く。

 

 

 

インドネシアで楽しく暮らす 15-59

斜めからインドネシアを眺めよう 59

高速道路沿いに運河というか人工の川がある。カリマラン川という。他に大きな川がないし、ジャカルタまで通じているので、かなり有名な川ある。その川の岸に土手通りというのでしょうか、カリマラン通りがある。最近は、コンクリート舗装され、デルタマスからジャカルタまで、インドネシアにしてはしっかりした道が通じているので、便利に使っている人が多い。結局、ジャカルタから東に向かう道は国道と高速道路とカリマラン通りの三本あることになる。

高速道路が渋滞になれば臨機応変に各道路を使うことになるが、勿論、正解だったかどうかは確認の方法はない。

しかし、カリマラン道路は私が住む、デルタマスまできれいに舗装されているが、そこから、カラワンまでは、舗装が禿げてしまって、舗装がない時よりひどいでこぼこになってしまっている。だからそこから先をそのまま進む車は少ないが、バイクはどんどん行く。 

別の話だが、私は一度その道を使ってみようと日曜日の昼間カラワンまでいってみた。その先のでこぼこ道沿いに、昼間から厚化粧の女性がおいでおいでの手招きを始める状態が現れる。びっくりして、おそるオソル通り過ぎたが、夜だったら、不気味だろなと思う。知らない人が通れば幽霊が出ると思うに違いない。

地元の人に話したら、その場所は有名だと言っていた。ジャバベカゴルフのキャディーも知っていた。

インドネシアで楽しく暮らす 15-60

斜めからインドネシアを眺めよう 60

インドネシアの家は中流になると床はタイルを敷き詰める。なぜ、木の板にしないのだろうか、木材は豊富なのにである。中流以下になると、これも木材ではなく、竹とヤシに葉になる。不思議である。

家の外、扉の前にもタイルがしてあり、其処に椅子を持ち出して座り、夕涼みをしているのでしょうか、それが、ステータスになっているようです。

その、タイルの床、どうも好きになれない。固いことが嫌いなのです。絨毯を敷けばいいのですが、すべてというわけにはいきません。濡れやすい場所はなおのことです。階段もタイルで敷き詰められている。滑りやすいし、反発衝撃も大きい。危ないとは思わないのでしょうか。

なにより、物を落ちしたとき壊れやすいし、割れやすい。陶器やガラスは20Cmくらいの高さからでも100%助からない。

携帯電話やゲーム機やデジカメやラップトップなど絶対落とせない。落としたら最後、水の中に落としたと同じ結果になってしまいます。

インドネシアの人の多くは、その精密機器の取り扱いが乱暴である。インドネシア人に貸す時はかならず、丁寧に扱うよう、絶対に落とさないように注意します。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-61

斜めからインドネシアを眺めよう 61

継続は力なり。プラスチックの押出成型を若いころから何十年もやってきて、これを中心の柱とした家に、いろいろな部屋を持っているが、その一つが、インドネシアで若者に技術を伝えること、押出の精神を伝えることです。私と一緒に仕事をしたインドネシアの若者は、私が選んで見込みがありそうな人を対象にした。だから、選んだ筆に間違いはなかった。

しかし、選べなかったのが、日本人の若者。派遣されてくる若者は一人を除いてすべて、怠け者ばかりだった。皆、返品した。

もう一つのしかし、現地会社の経営者も私が選ぶ分けにいかないので、ろくな、経営者が来ない。押出については全く素人なのに、分かったようなことを言って、利益が上がらないなら、閉じてしまうことも考えなければならないと、おっしゃった。その時は、値下げによって本社の利益に貢献していたし、インドネシア国内売りでも十分の利益が上がっていた。しかし、正当な評価をする能力がないし、気に入らない部門なので、頭から、利益が上がっていないと決め込んでの発言だった。私を必要ないと、おっしゃったので、手を引いた。

それから、四年過ぎた今、原料価格が二倍以上になっているのに、価格を修正することなく、完全に赤字になっている。設備も人も客先も全部まとめて、私のところへ来る。

その説明に経営者が客先へ行って、云ったことは、“私は押出しを続けたかったが、本社の指令でやむなく、売却することになった”そうです。口から出まかせも、いいところである。また、価格の説明もしなかった。

営業活動をしていないし、彼らでは継続できないことは周りの誰がみても明らか。本来の射出の方も自立は遠い夢だ。

今日は文化の日、それでは昨日は何の日でしょうか。そして、一昨日は何の日でしょうか。私の家族は全員知っています。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-62

斜めからインドネシアを眺めよう 62

今まで教えた若者は私のところへ、装置とともにやってくる。そして、この会社の中の若者にも機会があれば教えている。しかし、残念ながら、この会社の若者は、もともと私が選んだ人達ではないので、明らかに、不向きな人の方が多い。そのうえ、十何年、この会社にいる間に、間違った考えがしみ込んでしまって、空っぽの中に物を入れるのではなく、余計な邪魔ものを出してから物を入れなければならないので、大変厄介である。余計なものを出してしまいたいが、なかなか、本人が出してしまおうとしないので、なお厄介である。その点ではどうしようもないので、諦めている。なにか、大変な問題が起きなければ目が覚めないでしょうから。

今まで教えた若者に手本を示してもらって、体で感じてもらうしかないので、私が直接この会社の人に教えても空回りするだけで意味がない。ここの会社の若者に技術や取り組み方を習得してもらうのは5年以上かかるでしょう。というか、逆に、今まで教えてきた若者が緊張感をなくしてしまうことを心配する。それは、私がやることではないので、この一年、様子を見て、というより、様子はもう分かったので、一年後には別の場所で、私が選んだ別の若者に教えているでしょう。

そして、プラスチックの押出成形は継続しているでしょう。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-63★

斜めからインドネシアを眺めよう 63

インドネシアにプラスチックの押出技術を定着させるには、一年後から始めて、三年かかるでしょうから、私が70歳になった時にインドネシア人だけで自立できるようになるでしょう。自国のために、輸入でしか手に入れることができなかった製品をことごとく、国産化することができるようになるでしょう。日本人の出る幕はなくなるし、現地の日本人がこの部門では評価できなくなるでしょう。

そうなれば、自然の流れとして、日本人の下で使われることを嫌い、私が選んだ人達が、数年後には独立して、何社かになり、インドネシアの押出成形を支えることになるでしょう。私が若くして独立したように、大規模工場や大規模資本を必要としない仕事ですからインドネシア人でも仕事ができれば独立しやすい。日系企業はこの分野では必要なくなるでしょう。

そして、自分たちで新たな技術も開発し、未知の技術に突き進んでいくことでしょう。これが私のインドネシアでの最終目的です。それは、必ず完成するでしょう。

現在は過渡期だと思っている。この世の中はじっとしていることはないので、おなじ状態を継続することは、勿論、力だが、基本を継続し、自分が思うように周りが変わっていくことはもっと力である。   

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-64★

斜めからインドネシアを眺めよう 64

 先日、また、DIKI君の会社に行ってみた。相変わらず、LDPEの袋を回収し、粉砕し、乾燥し、再生ペレットを作っていた。どうも、このところ、一時の原料高騰が沈んで、価格が大きく下落してしまっているらしい。

 そこへ、たまたま、台湾系の会社から、今、台湾から輸入している押出成形品をインドネシア国内で調達したいという商談が持ち込まれていた。二種類だが、それが量産になれば続けて数種類に製品を手掛けることができる。

 DIKI君は私の一番弟子である。今のところ、その仕事は彼しかできないだろうと思われる原料と形状だった。K社の教え子たちでもできないと思う。彼がその腕を客先に認められれば、客先からの投資の話も自然に生まれてくるでしょう。

 もうそろそろ、良いでしょう。彼にその製品を手掛けることができる設備を購入してやろうと思う。独立自立の第一号にしようと思う。

目標は来年の一月末の量産になる。            

ジャパンフェアーと日本食スーパー

ジャパンフェアー ジャカルタ北部のアンチョール近くクイマヨランの見本市会場で開かれた。国交50年記念の見本市だという。

ものすごい人出だった。大したものが展示されているわけではないが、異常なくらいの人気で人をかき分けかき分け進む状態だった。三次元の新幹線映像は長い行列ができていたが,私も列に紛れ込んで見た。眼鏡を掛けての立体映像、槍が飛んできたり、てんぷらを差し出されたり、雪を掛けられたり、臨場感があって、皆さん満足していたようだった。

たった、15分の映像差が、出てくると100人くらいの行列がまたできていた。

日系企業が生活にしみ込んでいるにしては参加企業の数が少ないように思う。バイク関係は全くなかったし、化粧品や薬品、病院関係や台所用品、紙関係、部品製造なども出していない。主催者の努力が足りないのではないでしょうか。私なら、今回の三倍は集めることができたと思う。

ウドヨノ大統領や福田さんまで挨拶しにきたにしては規模が寂しかった。日本やヨーロッパの各種見本市をみているので、そう感じたのかもしれない。

帰りにパパヤに寄ってみた。普通の状態に戻っていた。買い物客の車がブロックMの奥の方まで並んでいた。

突然大量アクセス

旅行ブログと私のウェブサイトに今日突然、大量のアクセスが来た。通常多くて5~60回、少ない時は10回以下、平均で30回くらいだったが、今日、理由は、インドネシアで言う、Bali Bom 1(バリボンサトゥ)の犯人三人の銃殺刑が9日になったばかりの真夜中に執行された。今月に入っていつ執行されてもいい状態になっていると報道されていたので、今朝のニュースで知って、やっと、執行されたかと思った。

場所は、私がよく行くパンガンダランの東側、中央ジャワの西南端のチラチャップ県チラチャップ市のインド洋2~300m沖の重犯罪者を収容する監獄島ヌサカンバンガンがある。その刑務所の近くに場所が設定されていた。家族が執行後の遺体を受け取るために島にすでに来ていた。

2002年 202人が死亡、オーストラリア人を狙ったが、インドネシア人も多くなくなったし、今でも後遺症が残っているのはインドネシア人である。日本人も確か三人犠牲になっていた。死刑執行に反対するインドネシア人は少ない。

ヌサカンバンガンを検索してみたら、私の旅行記が一番上に表れた。だから、でした。ニュースでインドネシアのヌサカンバンガンを見て、どこだろうと検索した人が多かったのでしょう。少し、有名になったかもしれない。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-65

斜めからインドネシアを眺めよう 65

くるっと目まいがする。パニック障害の症状である。薬は飲み続けている。今、今年末までの薬は持っている。年末にまた薬を三ヶ月分処方してもらう。発病以来、三年三カ月以上、今飲んでいる薬で、症状が出ることが殆どなくなって三年過ぎた。インドネシアで一年過ぎた。

治る気配は全くない。夕方食事の後、薬を飲むことは欠かせない。19:00前後である。しかし、毎日その何時間前から夕方16:00頃から、くるっと目まいが来ることが多い。一瞬、体中から力が抜けて、手足が冷たくなったような感覚になる。それが、来なくても、いつ来るか不安になる。

気のせいかどうか、食事をし、薬を飲むとほっとする。もう、明日の夕方まで不安になる心配はないからである。

だから、完全には治らないと思うしかない。神経の誤動作は薬で抑えるしかないようだ。でも、この状態で、いつまでもいられるなら、良しとしなければならない。見た目も、実際の行動も並の人よりは十分アクティブなのだから。

自分はパニック障害者だと誰にでも言える。もっとも、インドネシア人に説明しても分かってもらえないが、というより、説明できない。

このエッセーはインドネシアタイム9時半ごろから準備し、10時過ぎに送信している。日本時間は真夜中過ぎです。それから、5分も過ぎないうちに眠ってしまいます。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-66

斜めからインドネシアを眺めよう 66

 最近デルタマスのインターを出た処に、ALAM SARIという食事処ができた。以前、カラ副大統領が来て、BTI(バンドン工科大学、日本でいえば東京工業大学)のチカラン校の起工式が盛大に行われた場所である。校舎や研究所がすぐに建設されると思っていた。一向に建設の気配がない。それから、半年。

 その後、なにも動きがなく、しばらくして、ヤシの葉と竹でいくつもの小屋が出来上がった。また、約300m位でしょうか、アスファルトのアクセス道路ができて、二十台くらい用の駐車上もできた。

 ブルドーザーが直径50mくらいの面積を掘り出した。ほった土で周りを盛り上げた。釣り堀でも作るのかな、バンドン工科大学の釣り堀とはちょっと変。

 そうこうするうちに、幟や看板が出てきた。インドネシア料理の食事処である。既に一か月ほど前にオープンしているが、平日の夕方、帰宅の時に、いやでも、その場所が目に入る。客がいるようすは全くない。ただ、先週の日曜日、数台の車が駐車していた。

 ほった、池は深さ50cmくらいの水が溜まっている。今は、其処のあたりは土も小屋も茶褐色だが、そのうち、草も生え、木も、にょきにょき出てきて、緑になるのでしょう。

 

 現在の写真です。帰宅途中

 日本へ留学のYANTO君

私のウェブサイトhttp://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0105.htmlで紹介していますが、ヤント君、現在静岡産業大学の3年生。彼は、学業の他に、静岡の観光親善大使を務めたり、インドネシア人留学生のリーダーをしたり、静岡交際交流センターで仕事を手伝ったりしています。

 静岡や浜松でインドネシア紹介のためのイベントの数々も彼がリーダーになってやっています。大変忙しそうに活躍していますが、今回はまた、ある雑誌、外国人のための留学紹介誌の表紙になっていますので、紹介したいと思います。http://www.jpalc.com/をご覧ください。写真をクリックすると雑誌のようになります。右下の矢印をクリックしてページをめくると、彼が静岡を紹介しているページに当たります。

 私が、日本へ帰るたびに会って、クルプックやインドミーをお土産に持って行って、話をしていますが、彼の活躍ぶりには感心するばかりです。彼は、静岡ではかなり有名人になっているようで、県知事にあったり、市長にあったりしているようです。静岡新聞にもたびたび紹介されているようです。

 保証人の私は日本人には無名ですが、静岡にいるインドネシア人達には有名人です。国際ことば学院やアイセルで彼らとよく話をしますし、太田化工でアルバイトをしてもらったこともあります。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-67

斜めからインドネシアを眺めよう 67

昨年の一年目は外国へ出てビザを収得し、入国をしなければならなかったが、二回目から五回目までは国内の住んでいる場所の一番近いイミグレで更新できる。二年目に入ったので、カラワンの町中にあるイミグレへ行って、ワーキングビザと身分証明(KIMS)とマルティリエントリーパーミットの更新手続きをしてきた。着くと会社が頼んだエージェントが待っていた。空いているので、待ち時間はほとんどなく、写真撮影とサインを済ませ終了。5分もかからない。一週間以内にエージャントが会社へ届けてくれることになっている。

 カラワンの町は久しぶりでした。三四年前にはマリアさんがBNIという専門学校に通っていた。学校の友達と催し物に出かける送り迎えをしていたので、よくいったものでした。ジャカルタ特別州、ブカシ県、カラワン県と東に並んでいます。コタ、カラワンは若者の街です。旧市街地は昔ながらのごちゃごちゃした臭い、汚いところですが、バイパス沿いにできた新市街地は官公庁や学校が新たに作られ、催し物広場やスポーツ公園などがあり、洗練された、若々しい雰囲気の町です。ブカシほどには周りに対して警戒する必要はないような気がしますが、どうでしょうか。

インドネシア人と結婚した日本人が多く住んでいます。各工業団地に通うのに便利だし、インドネシア人の奥さんも過ごしやすいからだと思います。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-68★

斜めからインドネシアを眺めよう 68

インドネシアの牛たちは気の毒なほど痩せている。日本の牛と比較するとげっそり痩せているといってもいい。インドネシアのいたるところで飼われていて、野原があれば放牧されている。食用の牛である。薄茶色である。工業団地内のも、私が住んでいるインドネシアにしてみれば高級分譲地でも、牛は周りからやって来て広場で食事をしている。ヤギも同じである。其処らあたりの雑草を主食としているのでしょう。太れない。そしてそのまま体が大きくなって売られていく。

車に満載にされた牛たちはすべて、首からだらっと皮膚が垂れ下がっている。肉が付いていない。腰骨も妙に出っ張っていておしりの肉は引っ込んでしまっている。

太らせる為の飼料を与える資金がないのでしょう。人間の残飯もないのでしょう。トウモロコシの多くは人間用で牛用にはならないのでしょう。

インドネシアの牛の肉は固い、そして、油が非常に少ない。人間が食べるには口の運動になる上に脂肪が少なくダイエットをしている人でも抵抗なく食べられるので健康的には優れているかもしれない。

雑巾のような内臓の肉や骨の周りの肉が骨ごと売られていたり、日本のスーパーではみられない姿で全ての部位が売られたりしている。捨てたり、他の家畜の餌にしたりしないで、全てを人間様が食するのです。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-69★

斜めからインドネシアを眺めよう 69

インドネシア人は小食である。特に若い女の子は小食である。レストランなどに皆さんを連れていくと、大体、一品料理をそれぞれが頼むのではなく、いくつかの種類の料理を何人分といって皿に盛られて出てくるので、それぞれが、そこから適当に自分の小皿にとって食べる。

たとえば、ご飯と、五種類の料理を10人で食べようとする場合。五種類の料理は二人分ずつ頼めば十分である。気を利かせて、足りないだろうと思って、三人分ずつ頼めば完全に余らせてしまうことになる。それも、皆さん、十分、この機会のためにお腹を空かしてきていてである。

インスタントものの大きさは日本の三分の二の大きさである。カップラーメン、袋のインスタントラーメン、ものすごくたくさんの種類が売られている。すべて小さい。ビッグとかジャンボとかいった、多めのものも売られていない。

インドネシア人にはそれでちょうどいいのです。日本から土産にインスタントラーメンを持ってきて、食べてもらうと、おいしいおいしいといって食べてくれるが、必ず食べきれずに、伸びてしまった面の残りを食べてちょうだいといわれるので、あらかじめ、三分の一ほど自分が食べてしまってから、インドネシア人に食べてもらう。

日本にいるインドネシア人、特に女性には、インドネシアからインドミーやカップ麺を土産に持って行ってやると喜ばれる。味も懐かしいが、量が手ごろだからです。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-70

斜めからインドネシアを眺めよう 70

 若い女性は小食である、特に田舎から出てきた女性はそうである。だから、小ぶりでスタイルが大変よい。日本人の男性が日本人の女性にない魅力を感じるのです。肌の色も浅黒く健康的にも感じるのです。

カラオケの女性は例外だが、一般の女性は恥ずかしがり屋で口数もすくなく、表情は素直そうだが、少し慣れて、親しくなると、表現の仕方が口を大きく動かし、体全体になる。喜怒哀楽の顔の表情が、私から見ると変化が大きくなる。

それらは、すべてが、違和感というより、新鮮に感じられる。

それが、二十歳を過ぎたころから、そんな栄養が豊富な食事を大食していないと思うのだが、なぜか、ぶくぶく太りだす。特にお尻が大きくなる。次にお腹が大きくなる。胸は元のままか垂れてくるので、上から下までが円錐型、メガホンのようになる。また、そうなるともうパンツははけない。服装がずんどうになるので、なお、そう見える。そういう人たちは、ジルバブを巻いて、ずんどうの服を着て集団で動きまわる風景は、インドネシアの風物詩といいましょうか。あまり見ないように眼をそらします。

どうして、こうも揃ってみんなブクブク太ってしまうのでしょうか。子供をたくさん産んで、自分はやせ細ると思うのだが、逆である。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-71

斜めからインドネシアを眺めよう 71

 毎週日曜日、朝早く6時前から、ジョギングをする人が、どこからわき出てくるのかあちこちの広場に集まってくる。何千人という数である。運動するなら、家の近所でそれぞれがやればいいと思うのだが、多くの人が集まらないと寂しいらしい。

 どこのゴルフ場の傍にも、広場があるので、どんな、山の中のゴルフ場でも、行く途中に危険なほど多くの人が集まっている。真面目に、真剣にトレーニングという人はほとんどいない。私がメンバーのジャバベカゴルフでも7番ホールの脇の広場に千人以上が集まるし、そのまわりも広い道があるので、其のまわり半径500mくらいの中で、三々五々、走ったり、バドミントンをしたり、サッカーボールをけったりしている。

日本のお祭りの屋台のようなカキリマも商売のチャンスとばかり、たくさん出てきている。ワッペンやシールを売ったりおもちゃや風船、綿菓子やまである。カセットプレーヤをもってきて、大音量で、存在を誇示しているグループもある。

10時過ぎには解散してしまうので、7時頃ごろアウトから出れば、その賑やかさに会うが、インから出た時は、7番は10時を過ぎるので、閑散として、運転の練習をしている車やバイクが数台残っているだけになる。

結局、一週間に一回、人が集まりたいのです。土曜日も午前中は学校へ行くので、家族で行くには日曜日しかない。個人個人が、ジョギングをしたいというわけではない。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-72

斜めからインドネシアを眺めよう 72

 毎週日曜日、朝早く6時前から、ジョギングをする人が、どこからわき出てくるのか、あちこちの広場に集まってくる。何千人という数である。運動するなら、家の近所でそれぞれがやればいいと思うのだが、多くの人が集まらないと寂しいらしい。

 どこのゴルフ場の傍にも、広場と人いとりつけ道路があるので、どんな、山の中のゴルフ場でも、行く途中に、危険なほど多くの人が集まっている。真面目に、真剣にトレーニングという人はほとんどいない。私がメンバーのジャバベカゴルフでも7番ホールの脇の広場に千人以上が集まるし、そのまわりも広い道があるので、其のまわり半径500mくらいの中で、三々五々、走ったり、バドミントンをしたり、サッカーボールをけったりしている。

日本のお祭りの屋台のようなカキリマも商売のチャンスとばかり、たくさん出てきている。ワッペンやシールを売ったりおもちゃや風船、綿菓子やまである。カセットプレーヤをもってきて、大音量で、存在を誇示しているグループもある。

10時過ぎには解散してしまうので、7時頃ごろアウトから出れば、その賑やかさに会うが、インから出た時は、7番は10時を過ぎるので、閑散として、運転の練習をしている車やバイクが数台残っているだけになる。

結局、一週間に一回、人が集まりたいのです。土曜日も午前中は学校へ行くので、家族で行くには日曜日しかない。個人個人が、ジョギングをしたいというわけではない。バイクに二人乗りでやってくるカップルも多い。その人たちは、その賑わいから、ちょっと離れた木陰などに座っている。そして、賑わいが終わっても、残っている。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-73★

斜めからインドネシアを眺めよう 73

鳥インフルエンザ、新型インフルエンザの発生は現在、唯一で最大なのが、インドネシアです。最近はインドネシア国内であまりニュースとしてとりあげられていません。ニュースがあっても、扱いは非常に小さい。テレビでの報道は、ここ、半年ほど見たことがない。日本人向けの新聞“じゃかるた新聞”でも、たまにしか扱っていないが、インドネシア新聞に比べれば、深刻度を強調している。

最近、また、タンゲラン方面で、15人ほどが感染した模様、死者が100人をはるかん越えているが、その情報もつたわってこない。

診断ができるジャカルタ周辺、ジャボタベックいっている地域では、鳥フルの診断は何のかできるらしいが、インドネシアの他の地域では、診断ができない。多くの人がなくなっても、何が原因で無くなったのかわからない。鳥が大量に死んでも、償却や隔離はしないで、何ごともなかったように市場で売られる。

日本人の食の安全についても考え方は、まったくインドネシアでは、どうでもいいことである。地滑りや洪水、交通事故、さまざまな病気が原因で、平均余命は70にはなっていないと思う。そのためにも、子供を多く生むという説さえある。

先日、結婚50年(金婚式)のお祝いが盛大に行われている会場に出くわした。何の祝いですかと聞いたら、夫婦とも70歳以上で、これは稀なことだと、自慢げに話してくれた。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-74★

斜めからインドネシアを眺めよう 74

ジャカルタが一番ひどいが、東シナ海に面する大きな都市はどこもひどい洪水になる。原因は雨季による雨、かと思えば、そうではない。それもあるが、主な原因は満塩による海水の逆流である。毎日、洪水になっては引き、また、洪水になる。

ジャカルタ北部は、深さは30cmくらいです。低い土地に水が注ぎ込まれるように溜まり、他より50cmほど高い場所には水はたまらない。

このところ毎年、繰り返しているが、公共では排水機能をつくらない。なるがままにしてある。民間は、特に、30年ほど前に進出した日系の工場は、周りの1mくらいの土手で囲い。排水ポンプも備えてある。

その影響で、一般の人が住む周りは、水がたまりやすくなっている。変な話である。

空港への高速道路も、私のHPに紹介しているように、毎年、雨季に洪水が繰り返されている。排水ポンプを増やして対応していたが、排水した分の海水が自動的に流れ込んでくることを防げないのでまったく洪水は解消されなかった。

現在、やっと、急ピッチで道を1mほど高くする工事が行われている。これで、多分、洪水による、通行止めはなくなると期待しますが、どうでしょうか。洪水の様子はほとんど毎日テレビニュースで見るが、がけ崩れの犠牲者は多いが、洪水の犠牲者はほとんどない。堤防の決壊や氾濫での洪水ではなく。ジワリと水面が上がってくる水たまりの大きなものなので、大人も子供も、恒例行事のようにあっけらかんとしている。

 

そんなインドネシアの状態だから、今日はついに126ルピア一円になった。1998年以来である。今が、インドネシア観光の大チャンスです。何もかもが得した感じを味わえるでしょう。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-75

斜めからインドネシアを眺めよう 75

インドネシア人の紙幣の扱いは、日本人と大きく違う。きちっと折りたたむ人はすくない。高速道路でお釣りをもらうとき、早く渡すようにお釣りを準備してある。500ルピアが含まれている場合は、他の紙幣でクシャクシャにつつんである。私は運転しながら、もらって、それを開いてお札とコインに分けて、お札はまっすぐに伸ばして置く。それが、面倒で仕方がないことは当たり前だが、クシャクシャは簡単に戻らない。それの繰り返しだから、お札はどんどんクシャクシャになる。

インドネシア人はお釣りをもらってどうするかというとそのままにしておく。お札とコインをわけないし、お札だけでも、握って、クシャクシャにしてそこらへんに置くか、ポケットに押し込む。出して使う時も丸めたまま差し出す。広げて何枚かまとめて出さないで、丸めたものを何個か差し出すという感じである。

さすがに、ジャカルタのデパートやショッピングモールではそういうことはないが、地方ではレジから出てくるお金でも、もう、しわくちゃである。伸ばしようがないので、嵩張ってしょうがない、そのうえ臭い。

 紙幣にメモをすることは普通で、数えて仕分けておく場面では、ホッチキスで束ねることも普通だ。

 

それから、もうひとつ、これは、汚れたお札とは関係ないが、お札の数え方である。インドネシア人は三枚単位で数える。不思議である。三がいくつあるかを数えて三倍する。百枚なら33回と余り1枚ということです。指を器用に使って三枚ずつはじく。銀行でも両替所でも計数機があっても、その数え方で確認してみせる。こっちは見ていて不安になるが、こちらの人は当り前で慣れたものである。

 もうひとつ、お札に関して、レバランの時、日本のお年玉のように、小遣いを子供たちに渡す。その時のお札はピン札を準備する。出稼ぎに都会へ出てきた若い人たちの多くはピン札をもって故郷に帰り、弟や妹に小遣いを渡す。

 

 本日のルピア 127Rp=1円でした。我慢できずに10万円をRpに替えました。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-76

斜めからインドネシアを眺めよう 76

 以前、蚊やネズミについて書きましたが、今回はハエの話です。会社のわたしの事務所の机の周りにはいつもハエが舞っています。

 なぜか、気をきかせてくれたのでしょうか、脇に湯沸かしポットが置いてあり、カップが伏せて置いてある。会社に一日中いる日にはそのポットのお湯を空にしてしまうくらい、常に水を補給しています。

 それはそれで、いいのですが、そのポットのお湯出し口でハエが休憩していることが多い。また、伏せてはあるがカップの上でも休んでいる。場所を右から左に1.5mほど移動しても同じことです。私の顔にも止ろうとします。事務をしながらハエを追っ払っています。こちらでは有名なバイゴンという蚊やゴキブリをやっつけるスプレーがよく使われています。しかし、ハエには効かないようです。その薬をかけられても、雨にぬれたとしか彼らは感じていないかのように悠然と私の周りにやってくる。もう一回かけてみろ、と、言っているよう。

 コーヒーを自分で入れて飲むときがたまにある。ハエがすぐにやってくる。飲み終わるまで目を離せないし、飲み終わって、置き場所に返せばすぐにハエが残りのコーヒー滴に集まってくる。途中で席を離れる場合は紙で覆いをするが、うっかり、忘れると、カップの周りにハエが集まってくる。中には泳ぎだすやつがいて、最後は溺れて死んでいる。

 事務所でもこうだから、一般的道端や普通の家ではすごい光景になっていることが多い。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-77

斜めからインドネシアを眺めよう 77

町中、ごみ捨て場だから、町中にハエが大量発生している。田舎はもちろんだが、ジャカルタでも外なら同じこと。ホテルの奥やショッピングモールの奥には,さすがにいないが、そのすぐ外や、そこのレストランにはちゃんとハエが来ています。

ハエの大軍を種類の多さを確認できる最適な場所はPasarパサールです。一般的にはどこの小さな町でも開かれる朝市です。そこら辺りにいるインドネシア人なら誰でも場所と開かれる時間を知っています。

市の手前や前の道路に落ちている食べ物が人や車につぶされてへばりついている。それを見えなくするかのようにハエが覆っている。

中へ入れば、おびただしい数のハエさんが出迎えてくれる。魚、肉、果物には当然だが、野菜や穀類にも行き場を先に他のハエに奪われたハエたちがたかっている。席が空けば魚の方行くために待機しているのでしょう。

レストランにハエ避けは必需品です。ハエ捕り紙をつるしてあるのを見たことはない。多くはローソクを使う。効果のほどは全く信じられない。そのローソクの熱や煙やにおいでハエが逃げる気配は全くないからだ。インドネシアのどの誰が最初に使いだしたのでしょうか、きっと、奥深い歴史があるのでしょう。それにしても、効果はないと思うのだが、どこのレストランでも、席に着くと置いてあるローソクに転嫁してくれる。

割り箸を立てて、それにハエが好きなにおいの粘着液をたらして、それに止まったら動けなくするという手段もよく見る。ゴルフ場のオープンテラスなどでよくつかわれるが、これも、ハエがどんどんくっ付いてくるのを見ながらの格別な一時の食事を楽しむ。風流である。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-78★

斜めからインドネシアを眺めよう 78

 

会社の向かい側で、ある日本の建機やフォークリフトメーカー、K社の工場を建設中である。つい、二三か月ほど前には、くい打ちのどかんどかんという音と共に油の粒が舞ってきて、車や建物にへばりついた。それば終わって、建物の建設が始まった。

完全の雨季の今、当然、毎日のように土砂降りになる。工場建設現場からは赤茶色の粘度のような土が掘り起こされ、どこかへ搬出される。

インドネシアのダンプカーには積載の制限などない。積めるだけ積んで、勢いよく現場から出てくる。土を大量に道路にまき散らしながらである。

これは、向かいの現場だけではない。どこの建設現場でも同じである。乾季なら土埃もすごいが、アスファルトにぼこぼこと盛り上がった塊によって、道が凸凹になってしまう。  今は雨季、赤い泥の川になる。車は泥だらけになってしまう。毎日洗っても毎日泥だらけになってしまう。それも、青い車が真っ赤になってしまう。

インドネシアの人はその状態があまり気にならないのか、毎朝、家を出る前に車を洗っている。だから、朝のMM2100工業団地の入口のゲート前の行列に汚れた車はほとんどない。日本人が乗る車は運転手が必ず洗車や点検をするのは当たり前なので、ピカピカしている。通勤に自ら運転してくる私の車は例外的に汚れている。支払いゲートの数台前から、窓を全開して、肘を出しているので、誰が見ても日本人と分かるし、インドネシアで一台しかないと思うが、初心者マークを付けている車は私の車と多くのこの工業団地の人は知っている。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-79

斜めからインドネシアを眺めよう 79

この国の人は、高速道路の支払いの時、前もってお金やカードを準備していない人が多い。支払いゲート前がかなり長い行列になっているにもかかわらず。支払い場所についても、なかなか、手が出てこない、それの連続だから、なお、行列が長くなる。後ろの人も気にならないらしい。もし気になるなら、その人は支払い場所に着いたら、さっと、カードとお金を出すはずです。やはりその人の手も見えるのが遅い。私は、できるだけお釣りがないように丁度のお金を用意し、渡し、領収書だけもらって、さっと、通ります。兆度がない時には仕方がありませんが。どこかにも書きましたが、たくさんゲートがある場所にはウアンパスゲートといって、お釣りをいらない人、ぴったりのお金を用意した人だけのためのゲートです。行列は短いし、通過も早い。当たり前である。しかし、中に、インドネシア語が理解できないインドネシア人がいて、お釣りをもらうためにとどまっている車もある。

こちらのデパートでもどこでも支払い場所は、500や1000ルピアの端数を支払わなければならないとき。私は勿論、たとえば91、000ルピアの支払いの時当然持っていれば100.000と1000ルピアを渡す。持っていない時には100.000のままである。そういうとき、店員は必ず、1000ルピアを持っていないか聞く。持っていないというと、本当か?財布を開けて捜せよ。と、言いたいような顔をする。持っていないから出していないということを思わないらしい。というより、インドネシア人は全員が、1000ルピアをもっていようがいまいが、100.000ルピアしか出さないのです。見ているとそうです。店員に聞かれて、始めて、財布の中を捜します。

私は、聞かれると、インドネシア人じゃあないぞと、思う。

 

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-80

斜めからインドネシアを眺めよう 80

逆に店の方はお釣りを用意してない。大きいデパートやショッピングモールではさすがに用意してあるが、一般の店やレストランでは用意をいていない。道端の掘っ立て小屋の店には絶対お釣りがない。客も少ないので、小銭は貯まらないし、お釣りを払うお客さんが多くてなくなってしまったとは思えない。

6000ルピアのものを買って、10000ルピア出せば絶対といっていいほど、お釣りが足りない。近所の似たような店へ行って借りてくる。其処にもないことの方が多いので、結局、お釣りがある分だけもらって、現物支給のように石鹸とかトイレットペーパーを受け取ることになる。

そのためにお金を準備してあるのではなく、ティッシュペーパーやガムなどを準備してある。

ゴルフをやると分かっていれば(予約が原則だから、分かっているときがほとんど)アクア(ボトルの水)やスポーツドリンク500mlを三本は準備する。ゴルフ場に着く前の途中の道端で買う。ポカリは4500×2、水は2000ルピアである。必ず11000ルピアを用意して置きます。15000や20000を出せば絶対お釣りがないからです。

ちなみに、ゴルフ場のレストランで買うとポカリが12000水は5000です。プレー中塀の外の店で買うと、ポカリは10000.水が3000です。また、有名スーパーだと、ポカリが3500.水は2000です。だから、ハイパーマートやカルフールなどで買いだめをすることもあります。

 

27日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-81

斜めからインドネシアを眺めよう 81

11月27日 やっと、待ちに待った、装置の一部が移転してくる予定だった。先月終盤から5回目の予定日変更であった。今度こそと期待したが、やはりというか、当然というか、また、裏切られた。若いインドネシア従業員も、あきれて笑うしかない。

 双方の日本人の交渉人が、いつだ、いつだと日にちを決めてくるのだ。私に直接言ったこともあった。ベアチュカイといって、税関の承認が必要で申請はとっくに出しているがなかなか許可が下りない。しかし、いつ頃許可が下りるだろうと勝手に決めて、その二三日後を移動日として双方が納得して、関係者に予定日が決まった、準備をするようにと言ってくるのです。承認が下りていないのに予想して決めるが、大体一週間後、一週間後、しているだけである。結局、それに振り回されて、一か月以上過ぎた。

 私はお客さんには何も約束していなくてよかったと思う。予定日を信じなくてよかったと思う。しかし、何人かの営業インドネシア人スタッフはその都度信じて、客先へ納期について回答し、その都度、客先を裏切っている。気の毒に。

移動の予定日を許可が下りてから何日と決めておけば、推測の移動予定日で回りを振り回すことはないし、裏切ることもないのに、まったく、双方の長がこれは自分たちのせいではなくて、ベアチュカイのせいだといっているから、あきれてしまう。両方とも、現地企業の社長さんです。

 今後、どれだけ遅れるのか、製品の在庫が少なくなってきたらどうするつもりなのでしょうか。先方の社長さん、行動力はさみしいほどないが、プッツンだけは誰よりもすごい。私ならベアチュカイへ乗り込んでいって、じき談判するのだが、彼らには出来ないことだ。

 明日、土曜日に全機種が持ち込まれるということになったらしい。結果やいかに。

 

28日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-82

斜めからインドネシアを眺めよう 82

 在庫は一月分作ってあるから、客先に迷惑をかける心配はないと言っていた製品も、装置の移動が一月以上遅れれば在庫も無くなって、客先に納品ができなくなる。客先は、たちまち困ってしまう。

 事実、何社からは、在庫を心配する声が上がってきている。ところが、責任者の御二人さん、双方とも自分に責任はないといって逃げている。図面がないから出来ないとか、図面など、何か月以上前にでも、ご本人が請求し、受け取っておくのが常識でしょう。零細企業だから、社長が営業部長に決まっているでしょう。それを、インドネシア人の部下の責任にしている。三方のインドネシア人同士がそれぞれの日本人のことを、“アネ”日本語では“変・”と言っている。私はインドネシア人の気持ちが十分わかる。本当に“アネ”である。

 毎日作った分を次の日に使ってしまうという製品がある。ですから、在庫を作ることができない。それの生産は止めることができない。全部の装置を一度に移動すると、二三日生産が止まってしまうから、一部だけ移動させて、それで、試作しサンプルを提出し承認を得て、本生産を開始してから、残りの機械を移動するということにしなければならない。    そういう事情が、客先から何度も、話をされているのだが、どうも、対応できないので、お二人とも知らん顔をしている。困っているのはやはりインドネシア人スタッフである。

 今日来るはずだった。装置はやっぱり来なかった。明日土曜日には何台か来るといっている。これも、待つのは無駄でしょう。

 

29日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-83

斜めからインドネシアを眺めよう 83

それらの装置があれば、この会社で、できなかった新しい仕事を順調に増やすことができていたはずだったが、装置がないので、どうしようもなかった。

 そのうえ、遅れている間にこの会社の様子が分かってきて、勘違いをしている人ばかりなので、新しい仕事を増やすには、ちょっと難しそうになってきた。今となっては装置が遅れてよかったと思うし、新しく移ってくる従業員も、遅れてよかったと思う。客先とともに、迷惑をかけることは免れないが、少しずつ遅れることによって、期間が短縮されることになる。

 新しい製品の立ち上げや、新しい価格の交渉はそれまでに完了すると思う。それにしてはこの会社の全員がゆったり構えている。きっと、大丈夫なのでしょう。

12月からこの会社になにかが起こる、そしてそれは、この会社にとってプラスになることだ。プラスとは何かマイナスとは何か、立場や性格によって人の判断は異なることを付け加えておきます。

まず、LLDPEのチューブの試作から始めるでしょうが、最初はどんなものか実感してもらうために、私は最初やって見せるだけで、あとはしばらく手を出さない。価格も決まっていないことだし。

 

30日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-84

斜めからインドネシアを眺めよう 84

眠い。先ほどジャカルタから戻った。日本からのお客様、Sさんとインターコンチネンタルで食事を一緒にさせていただいた。重要な会談であった。今は明らかにできないが、来年早々には、内容がはっきりするでしょう。ちょっと、大きな話です。

 この間に、私の身の回りの状況がはっきりしてきている。今後何をすべきか、何をしてはならないかがはっきりしてきた。時期を待つ。

 

1日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-85

斜めからインドネシアを眺めよう 85

 装置はまだ来ない。今度は、いつ来るという見通しもつかなくなったらしい。こうなると“狼と少年”の少年も尻尾を巻いて逃げだしそう。

装置がないのに、K社時代の教え子たちだけがやってきた。会社の方針で、私の役割を彼らに紹介することはなかった。彼らがどんな部署に配置されるかも紹介はなかった。要は、私はこの会社に表面立っては存在しないことになっているのです。

多分、今日という日は、さまざまな点で分岐になるでしょう。A社は大きな問題を自ら招いて、難しい局面が次々に現れるでしょう。本社の方もこの不景気を乗りきること、絶えることを強いられるでしょう。できないかもしれない。

移ってきた従業員は、各種の仕事について、復帰を待ったら良いと思う。船頭次第ですが、乗り切れば大発展をするでしょう。

 K社は今日、ある人の訪問を受けて、何かが具体的に始まり、何かの終わりが始めるでしょう。前回の仲介が失敗したが、今回は交渉する人が高度な知識と良識を持っておられる方なので、客先にとってもインドネシア人従業員にとっても満足が出来る結果になる可能性が高い。期待します。

 私といえば、行動はまださきです。二社の成り行きをしばらく眺めて、態度を決めようと思っていることにしておきましょう。こういうことを眺める機会が目の前にあることは恵まれていると思う。

 実際には、決まっています。65才、まだまだ、これからやらなければならないことが山ほどあります。目標ははっきりしています。


インドネシアで 楽しく暮らす 15-86

斜めからインドネシアを眺めよう 86

インドネシアの煙草の喫煙率は恐らく世界一ではないでしょうか、老若男女の多くの人たちがたばこを吸っている。特に子供たち、タバコを拾って吸っている。一般的に、日本のたばこより強い、その強さも平均で10倍ありそう。ニコチン、タールの量が過ごそう。匂いがきつい。それを、一杯一杯吸う。爪先でつまめるくらいまで吸う。

日本人の吸い方はもったいないという。フィルターまで、まだ余裕がある状態で捨てている日本人が多いからだ。

値段はインドネシア人の所得を考えれば決して安くないが、一本売りもしているので、購入しやすい。子供帰る。お菓子を買う小遣いでタバコを買っている。

中学、高校の女性とも集団で、すっていることは珍しくない。

煙草の広告は、これもすごい。幟や看板の広告の50%は煙草の広告と云っていい。意味がわからない広告を何の広告か尋ねればたばこという返事が返ってくるでしょう。煙草以外の広告はその品物の絵が書いてあるが、タバコの広告にたばこの絵は描いてない。

政党の旗と煙草の旗が多いが、政党の旗は時期が限定される、タバコはいつでも、どこでも、である。

儲かっているから、経営者は長者番付のトップになっているし、各種催しのスポンサーになっている。市民マラソン、スポーツ全般で何々カップという選手権にも必ず広告が大きく出る。

 

1日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-87

斜めからインドネシアを眺めよう 87

私は40年以上吸っていたが、三年ほど前、パニック障害になって以来、タバコはきっぱりやめた。やめてしまえば吸いたいと全く思わない。

それはそれで、インドネシア、ジャカルタの車、バス、公共の屋内では禁煙が100%である。レストランは喫煙席があるが、次第に全面禁煙の方向に向かっている。これは万国共通で、おくればせながら、進んでいる。しかし、インドネシア人が規則を守らないのはすごいもので、バスの運転手が当たり前のようにくわえ煙草の片手運転をしている。観光バスや会社員の送迎バスでも運転手は窓から煙を噴きだしながら運転している。

さすがに、バスレーンを走るトランスジャカルタではそういう光景はにないが、一般バスやタクシーの運転手はよく吸っている。

ジャカルタの国際空港は、全面禁煙は勿論だが、タバコの吸い殻がそこかしこに落ちている。灰皿があっても、其処で吸う人は少ないし、灰皿に捨てる人はいない。歩きながらどこでもポイポイである。空港の職員が吸っているのです。サテライトから長い通路を通ってイミグレに行く間にも落ちている。落ちている吸殻を掃除する人もいるが、後から後から捨てるから、まったく見えなくなることはない。

ガソリンスタンドのにいちゃんも、ガソリンを入れるために行列している車の運ちゃんも、窓を開けて吸っている。すごい光景である。ガソリンタンクローリーの兄ちゃんが吸っているからこれもすごい。プルタミナ(国営の石油製品会社)はどうなっているの?

 

4日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-88★

斜めからインドネシアを眺めよう 88

コーヒーは街中の店で何も言わないで頼めば、粉が解けないまま混じったものが出てきます。そのまま飲めば粉と一緒に飲むことになります。こちらの人はそれが普通です。しかし、私は、それが苦手なので、しばらく、そっとしておいて、粉が沈んでから上澄み液を飲みます。その前に砂糖やミルクを入れます。

インスタントコーヒーもABCやTORABIKAなどがありますが、粉は解けないのが大部分です。それでも、中には少しですが、粉がなくなるものもあります。ミルクと砂糖がたっぷり入っていて、甘すぎる。

日本でおなじみのネスカフェも売っています。私は煙草と同じで、パニック障害になって以来、コーヒーを常時飲むことはしなくなりました。以前はネスカフェを飲んでいました。ちょっとしたレストランでは、コーヒーのメニューにネスカフェがあります。普通のコーヒーの倍の値段です。

タナトラジャのトラジャコーヒーは有名です。これも一般的には粉になっていますが溶けない。その舌触りが良いと、インドネシア人は言います。

  コピーススといって、ススとはミルクのことですから、ミルクコーヒーのことです。粉コピーにコンデンスミルクをたっぷり入れます。コップの底に1.5cmほどです。これがめちゃくちゃ甘い。インドネシア人はこれが好き。インスタントのコピーススも甘すぎる。

5日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-89

斜めからインドネシアを眺めよう 89

飲み物は一般的には紅茶、テーである。テーパナスとテーディンギン“熱いか冷たい”かで、分ける。それがマニスかタワール“砂糖を入れるか入れない”かで、分ける。組み合わせで4種類になる。

茶葉も売っているが探すか聞かないと出会わない。ティーバックが大部分です。お湯を入れればすぐ濃い茶色になります。人工の色と味を使っているのがほとんどだと感じる。余りにもすぐに濃くなる過ぎる。そして、二度は使えない。すぐ、色と味が出てしまうからの残っていない。

そこら辺りの店でもテーパナスはメニューにあります。しかし、ティーバックを使います。どこも、最初に作った濃いテーを残しておいて、それをエキスにして、お湯や水を足してちょうどいい濃さにして出しています。その方が、濃さが一定になるし、何ハイにも使えて安くて済む。

ミルクティーのメニューはない。テーススはないのです。テーにミルク(コーヒーに入れる粉ミルク)を入れると、そんなことしておいしいの?というような顔をされます。イギリスのティータイムのティーはミルクティーが普通だよと、うんちくを語っても無駄である。

 

8日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-90

斜めからインドネシアを眺めよう 90

 コーヒーのボトルはない。カンコーヒーはネスカフェなどの輸入品がある。ところが、テーのボトルは大変豊富である。すべてが甘ったるい。テーソスロという銘柄が一番有名である。テーボトルというとこれが出てくる。レストランのメニューにあるくらいだ。

最近、テーヒジャウといって。緑茶を売り物にしているテーボトルが人気だ。これも、日本へのあこがれの一つでしょう。コマーシャルのバックに茶畑と富士さんが出てくる。

 一般のインドネシア人は、実際の緑茶はどういうものか知らない。色も味も知らない。おそらく、味は絶対合わないと思う。日本茶のボトルは全く売っていない。そこで、名前だけ借りて、実際は、砂糖入りの紅茶と変わりない。緑茶と書いた茶葉も売っているがお湯をかければ紅茶である。

 私から言えば、従来のテーボトルと何も変わっていないと思うのだが、こちらの人はテーヒジャウの方がおいしいという。20%くらい高いが人気がある。

  

10日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-91

斜めからインドネシアを眺めよう 91

こちらの人は、日本、ジャパンに大変弱い。品質は最高、壊れることはない。値段も高いが、完全に信じている。テレビコマーシャルで、盛んに日本製とか、日本生まれとか、日本品質とかいう文句が出てくる。

使う方も、メイドインジャパンなら、誰にでも自慢ができる。中国製や韓国製も工業製品を中心に、日本製品に似たものがあるが、やはり、日本製のシェアーは崩れない。値段だけではないことをインドネシア人は信じている。

現在、化粧品で、奇妙な事件が起きている。美白化粧品である。ドウクターカタヤマ推奨という、日本で認められた化粧品といううたい文句である。価格は50g、1万円とか2万円で売り出している。破格に高い。これを、有名な女優さんが何人も実際に買って使ったのです。ところが、美白どころか、肌が荒れ、皮膚炎を起こしてしまった。

それ中国製かという、疑いになった。しかし、本当は、インドネシア人が、なんとかと何とかを混ぜて、乳状にしてビンに詰めて、人を雇って、女優達に効能を言って売り歩いたそうです。その時のビラにカタヤマ何とかという日本人が開発した、化粧品ということを書いて宣伝文句にしていたとか。

笑い話にもならない、嘆かわしい、やつらがいるものです。

11日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-92★

斜めからインドネシアを眺めよう 92

 

カリマンタンのバリクパパンという町で、車の中にゴミかごを常備しなければならないという条例が施行された。

なるほど、インドネシアの車からのポイ捨ては悪質である。大人がどんどん捨てるのですから子供も当然捨てる。バスの後ろに着くとひどいもの、ペットボトルは序の口で、瓶や缶が降ってくる。

実際に遭遇したものでは、食べ残しの麺やスープがまだ入っているカップ麺のカップ、嘘と思うでしょうがオムツ。

条例が施行されたバリクパパンの様子はどうでしょうか、その後のニュースによると罰金を10.000ルピア取って、ゴミ箱を配っているが、実施率は20%くらいだそうだ。インドネシアのことです。この条例のことも半年後には、無いのと同じことになってしまうでしょう。

 しかし、行政や政府は、少しは気にしていることが分かりました。ゴミのポイ捨てはいけないことだから、止めましょうと、運動する人がいることはいるのです。ところかまわずの喫煙と、ところかまわずのゴミ捨ては、インドネシアの最も恥ずかしい部分だということを大統領が宣言したらいいと思うのですが、そこまですることが恥ずかしいのでしょうか。

12日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-93

斜めからインドネシアを眺めよう 93

今年の清水寺恒例の漢字が“変”と聞いて、意味は変化の変ではなくて、文字通り“変”不思議、おかしい、?、 疑問に思う、そんなバカな、理解できない、そういった意味だと思う。清水寺のお坊さん、インドネシアの私の身のまわりで起きていることを、何故知っているんでしょうか。

まさに、今年、私の身の回りの組織、人、行動、成り行き、などなどが、全部“変”です。まだこれからも当分の間“変”が続くでしょう。

来年も“変”続くでしょうから、私は逃げだします。逃げ出さないと私の頭や体までが“変”になってしまいそうです。待っていても“変”は、無くなるどころか、増すばかりだと思うので、自力で脱出するしかない。

まったく、そんな、もがかなくてもいいと思うのですが、違うと思うこと、“変”だと思うことをそのままにしておけないので、行動するしかない。

変化したい。

 

13日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-94

斜めからインドネシアを眺めよう 94

ごみの話が続きますが、私の家のゴミはどうしているかというと、新聞雑誌ダンボールとペットボトルと缶類は保管しておきます。これが昔の、日本と同じようにトイレットペーパーかティッシュペーパーと交換できるのです。今までは、住んでいた場所の管理事務所の人が取りに来ただけなので、行く末がどうなるか知りませんでしたが、今は一戸建てを借りていますから、自分で処理しなければなりません。

その他の生ゴミや粗大ゴミは家の前に出しておくと、いつの間にか、誰かが持って行ってくれます。多分、この分譲地の管理事務所で処理してくれているのでしょう。

私が住む分譲地では、捨てればそこがゴミ捨て場ということはありません。道端にプラスチックの袋が風で移動していることもありません。いわば、ゴミ処理については模範地域のようなものです。インドネシア中がこんな街になればいいと思いますが、中流以上の数%の人たちが住める場所ですから、例外中の例外というしかありません。

それに、この辺りにしては珍しくクリスチャンが多い。ミッションスクールも近くにある。私の家の大家もクリスチャンでブカしで開業医をしている。

  

今朝、04:30 車で出発し、中部ジャワの果物園の見学と試食にきている。テレビで、プリモーションをしていたので、ぜひ行って見たいと思っていた。丁度、雨季の真っ最中で、果物が実る季節である。ドリアン、ランブータン、サラッ、などなど、インドネシアの果物はほとんどスーパーや道端で売っているのを見たことがあるし、食べたことがある。また、それらの果物の木も見たことがある。しかし、木に果物がなっている姿を見たことがあるのはヤシとバナナとナンカだけで、他はどういう状態で木にぶら下がっているのか見たことがなかった。

今は中部ジャワのバタンという町のホテル、スンダンサリにいる。

 

 

アンボン

マルクのアンボンに行って、先ほど家に着いた.6日朝、ジャカルタ06:00に出発、マルクの時間12:40に着いた。パプアの近くなので、日本と同じ時間です。ジャカルタより二時間早い。

空港について、レジストレーションの係りの人から、呼び止められた。外国人はアンボンに入る時に、登録しなければならないといわれ、事務所に連れていかれて、パスポートやキタスを求められた。それだけだが、こんなことは初めての経験なので、外国人は知っておく必要があると思った。旅行社から何の情報も無かった。

 

ブログは二日お休みでした。アンボンの町中やホテルのワイヤス、いつも旅先で使っているモバイルホーンのフラッシュで試したが、ローディングをすることがこの島ではできなかった。

旅行記は明日にでも書こうと思う。

ジャカルタからスラバヤ経由で四時間半、時差が二時間(日本時間と同じ)なので、06:00発で、12:30に到着した。

アンボン空港は田舎都市には珍しく、サテライトがあり、外をあるくことなく、タ0ミナルに入るし、登場でいる。それそのはず、メガワティの民主闘争党の絶大な支持をしている地域である。メガワティ大統領時代に建設されたばかりの新しい空港でした。

到着すると、これは、どこの田舎空港も同じで、タクシーやオジャックの運転手が群がって売る。ここは、人相がそう悪くないし、荷物をひったくるように引っ張り人はいないだけましである。レジストラシまでしつこくついてきた若者のエド君に頼むことにした。

空港を出たのが、14:00を過ぎていたが、アンボンの町まで行ってもらい、ちょっとした高台からアンボンの街を撮ったあと、マリナまで行ってもらい、二日目のスピードボートの予約をしてから、アンボンに戻り、ホテルに入った。18:00だった。タクシーは30万ルピア、ホテルは43万ルピアだった。パプアほどではないが、近いこともあって、ちょっと高めである。

アンボンの町で目立つのは中華系の人が多いことと、キリスト教会だった。クリスマスが近いこともあり、クリスマストゥリーは勿論で、デコレーシュオンやイルミネーションが賑やかでした。イスラムモスクは非常に少ないが目立たないようにある。また、スピーカからのお祈りの声はあったく聞こえてこなかった。インドネシアでは珍しいくらいのクリスチャンが幅を利かせている場所で、ちょっとインドネシアではないように感じる。

数年前までマルク諸島の一部で、凄惨な争いがあったので、インドネシア人の多くは危険な場所という印象が強いらしいが、インドネシア人のイスラム教徒が言うことで、クリスチャンは危険なことは何もないし、アンボンはまったく安全な島だと強調をしていた。私もそう思った。

 

海のみずはきれい、川の水もきれい、両方ともジャワ島周りの海や島内の川と違って、透明度が非常に高い。ここなら、清き流れと歌ってもいいと思う。ジャワ島には清き流れはない。しかし、残念なのは、やはり、ゴミの多さは、ジャワ島をはじめ、インドネシアの一番醜い点である。きれいな水、真っ白なサンゴの砂の海岸線、これに、プラスチックに後もが大量に流れついている。ヤシの実だけなら、大変風情があって、歌でも歌多くなるが、ゴミだらけでは、海岸のそぞろ歩きもしたくなくなる。ましてや、ひと泳ぎもしたくなくなる。ガッカリである。アンボン、お前もか、という心境だった。

南の島である遠景はさすがにきれいである。島の周囲は入り組んでいるので、車で走っていると海岸が右になったり左になったりする、ちょっと不思議で、考え込んでしまう。海面はどこの湖のように穏やかです。穏やか過ぎて、海岸での波遊びもできない。サーフィンなどとんでもない話しで、ウインドサーフィンならできるが、面白くもなんともないと思う。インド洋からも太平洋からも遠いし、ここまでの間に大小の島々が無数に波を遮っているからでしょう。

では、何がこの島の魅力かというと、何もない。インドネシアでここにしかないというものは何もない。何もないので、インドネシア内の旅をするなら、もう行くところが無くなった人が話の種に訪れる所でしょう。

14日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-95

斜めからインドネシアを眺めよう 95

笑われ話、一か月ほど前から、左の耳の奥に何やら違和感が出始めていた。パニック障害の症状かと思い、あまり気にしていなかったが、二週間前辺りから、ゴロゴロとし出した、アンボンへ行っている時には若干、ほほ全体で軽い痛みを感じるようになった。昨日からその痛みがずっと続くようになり、食べる時に口を開くと痛みがひどくなり物を噛みにくくなったしまった。

痛みが引かないので、病院へ行った。PHP(耳鼻咽喉科)にかかった。原因の予想はしていた。耳垢が固まって奥の方にへばり付き、それが大きくなって、奥の方の壁を圧迫して炎症を起こしているのだと。思ったとおりだった。医者に言われた。ゴミがいっぱい詰まっていると。看護婦も医者も笑っていた。固まって、へばりついているので、今は取れないと言われた。

耳垢を溶かす薬をもらって、毎日差し、三日以上後にまた来なさいと言われた。

料金は薬(溶剤と痛み止め)込み保険なしで、10万ルピア、約800円だった。安い。日本なら3割負担でそれ以上かかるでしょう。

実は小学校の二年生の時に、同じ経験があったのでした。やはり、溶かす薬をもらって、何日後かに取ってもらいに行ったら、真黒な当時の小指の先くらいの塊が出てきてびっくりしたことがあった。その時は、父親と一緒だったが、私の耳垢は油性が強く、自然に落ちにくいし、固まりやすいから、こまめに掃除をするようにと言われた。

それから、55年以上後、おなじことになるとは・・・・。

 

この状態で、旅に出たわけで、先ほど12時間のドライブを終えて家に着いた。

 

15日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-96★

斜めからインドネシアを眺めよう 96

スマランまでの北周りの道中、あい変わらず、舗装のし直しの連続でした。雨季の真っ最中ですから、穴ぼこがどんどん多くなり深くなる季節です。それにすっ込んだトラックのパンク事故が増えるシーズンでもある。

それを、修理するため、何重にも貼り重ねたアスファルトを底まではがし、土をまたならして、舗装をしている。断続的に渋滞になっている。突然片側二車線の四車線が、肩がわだけの双方通行に変わる。いきなり、対向車が現れる。それでも、遅いトラックを抜こうとして正面からくる車と鉢合わせになり、お見合いをしばらくする状態も平気のようだ。

日本の警察の指導でしょうが、二車線道路に左車線を使いましょう、右車線は追い越し専用です。という、看板が最近いたるところに掲げられだした。結局、速度が遅いトラックは人や自転車やバイクが多い左を使いましょう。何も障害のない中央寄り、右車線は追い越しだけに使いましょう。これは、インドネシアの実態を全く認識していない。

これを実行している車は非常に少ないが邪魔で危険である。多くのアンコッタ(ミニバス)がところかまわず停車するし、速度の変化も激しい。オジェック(バイクたくしー)も、ところかまわず発進、停車する。道端の屋台レストランや店の前には駐車している車が多い。大型トラックやバスの通行には向かない。だから、当たり前のように中央寄り右車線を走っている。当然のように追い越しのときだけ、左車線を使う。追い越し終わったら、右に入り、もっと早い車のために左車線は空ける。それが、自然のマナーになっている。その方が安全だし、大変合理的だと思う。

 日本の警察の指導は間違っている。

 インドネシアで 楽しく暮らす 15-97★

斜めからインドネシアを眺めよう 97

 路肩走行禁止、緊急車両用という看板も、日本の警察の指導である。これも、間違いである。自己責任で、どんどう使ったほうが合理的です。

 事故や故障やノロノロ走行が道をふさぐことによる渋滞は日常茶飯事です。これで、路肩通行を禁止するなら、全面的に封鎖するしかない。緊急車両は通る時だけ開けばいい。

 そうしない限り、当然のように渋滞の時は路肩を走行する。走行しなければ時間のロスだからです。考えは誰も同じ、バスは必ず路肩を走行します。

 いちいち、取り締まりをしても運が悪い一台が犠牲になるだけです。一だい捕まっていれば、他の車は捕まることはありません。安心して、路肩を走れます。普通走行するより二分に一、三分の一の時間で通り抜けられます。

 いっそのこと路肩も車線に認めればいいのです。走って、落ちてしまえば自己責任です。こちらは何でも自己責任が好きです。緊急車両は中央線側に隙間があるのでそちらを通ればいいと思う、実際にVIPや救急車はそうしている。

穴ぼこに車が突っ込んで、事故死しても自分が悪いのです。道路公団の責任はないのです。免許証がそれを象徴しています。テストはありません。ただ、購入するだけです。講習費を上げて、購入した人に、法規の本でも渡せばいいのだが、それもない。日本の警察が指導するならこういうことをアドバイスすればいいと思う。

 

 

 

 インドネシアで 楽しく暮らす 15-98

斜めからインドネシアを眺めよう 98

 

テング熱ではありません。デングーです。インドネシア語でDemam berdarah(ドゥマン ブルダラー)英語でDengue Fever、日本にあるのでしょうか。日本では、この患者がいるという話は聞いたことがありません。

インドネシアでは普通にあります。蚊が媒体です。40℃くらいの高熱になり、血小板が少なくなるので、体中に湿疹が広がります。99%は一日二日の入院で、一週間ぐらいの自宅安静で治ってしまいます。日本人の知人でもかかった人を何人も知っています。雨季の今、水たまりがあちこちにできるので、ボーフラが住みやすくなり、蚊(ネッタイシマカ、ヒトスジシマカなど)が大量に発生するので、デングー熱のシーズンです。当たり前のように解熱剤など対処薬を投与し完治させます。特にびっくりするような危ない病気ではありませんが、かからない方がいいに決まっています。人から人に移しません。

テレビでも、撲滅キャンペーンで、水たまりを無くそうと云っています。

前に、蚊のことを書きましたが、これらのシマカは5%ほどで、昼間、活発に活動するそうで、昼間の蚊に刺されないように気をつけた方がいいといわれています。夜の蚊は痒いのを我慢できれば、いくら刺されても心配ないそうです。本当でしょうか。インドネシアへ旅行の方は頭に入れておいた方がいいと思います。

デングー出血熱にかかると命取りになるそうですが、かかって死んだという話はこちらでも聞いたことがありません。確率は微小でしょう。だから、心配しても仕方がありません。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-99

斜めからインドネシアを眺めよう 99

こちらの総合病院は、いろいろな科のDr.が何時何曜日に何時から何時まで診察するか予告がない。大体決まっているらしいが、表にして知らせるほどまでに決まっていないので、かかる前に問い合わせていくしかない。決まったDr.にどうしても診察してもらうならなおさらのことである。

今回の耳鼻咽喉科のDr.も17:00から24:00までとか、10:00から21:00までとか決まっていないので聞かないで行くと、また、出直すことになってしまう。   耳垢、その後、月曜日の夜、20:00に病院へ行った。夜遅く行くのは初めてだったが、込み具合には驚いた。24時間オープンだから、夜、多くの人が来ることが分かった。Dr.も、どの科も20:00頃から診察を始めていた。患者がいなくなるまでだそうだ。

だから、薬局がネックになって、診察、治療が終わって30分以上待たされた。

さて、耳はどうか、前回とは別のDr.だったが、痛い左の耳から掃除をし始め、長い金属棒で容赦なくかき回わすのでめちゃくちゃ痛い。涙が出そうだった。終わって、今度はいたくない右耳の掃除を始めた。これも同じ方法だったので、痛くて仕方がない。子供なら、大泣きするでしょう。“サキッ”と、つい叫んでしまった。

治療が終わったが、今までいたくなかった、右耳が痛くなってしまった。痛み止めと化膿止めと治療費で、閉めて、15万2千Rp(1200円)だった。

それから、二日後、痛みは全くなくなり、完治したと判断。皆さん、耳垢はこまめに掃除しましょう。

病院はクリスマスの飾りつけで、内部が華やかだった。

 

基本的には、当番医とか救急医という言い方はない。専門のDr.がいるかいないかは別にして、24時間オープンである。診療拒否という話は聞いたことがない。とにかく何時でも、どんな症状でも受け入れる。それで、適切な処置がとられるどうかは、あとは、運次第です。これは日本でも同じこと、ただ、病院で受け入れたということで、一応、安心はする効果はある。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-100

斜めからインドネシアを眺めよう 100

インドネシアに限らないが、私の仕事に対する姿勢は、“皆さん楽しく、私も楽しくなければ仕事ではない”です。私がいる部屋は、この会社の中では、皆さん一番リラックスできるようです。言いたいことを言います。聞きたいことを何でも聞きます。いつも、冗談が交じっています。

そして、この部屋の人たちが、製造の責任をすべて受け持っています。社長に提出資料もここで作られます。楽しいので皆さんの出入りが激しい。総じて賑やかです。会議はしません。会議よりよほど自由に発言できるからです。本当は、小企業ですから会社のトップの部屋がこういう感じでなければならないと思います。

ということは、他の場所は、楽しくないということです。ですから、私の考えでは、私の部屋だけが仕事の場所で、他の場所は、あまり居たくない、あまり行きたくない場所ですから、仕事の場所ではないということです。この会社全体では仕事ではないのです。

それでは、何をする場でしょうか。何もしない、無意味な場所です。私は、楽しくない場所からは逃げますし、行きたくありません。なぜなら、仕事をしたいからです。

どうしても、楽しくない場所ばかりになってしまったら、自分で別の仕事の場所を作ります。そして、それは楽しい場所になります。

できる人とできない人がいるわけで、私のように出来ると思っている人でも、パニック障害になってしまうわけで、何がいいやら悪いやらこの世の中、わかりません。結局 もがいているだけかもしれませんが。

インドネシアで 楽しく暮らす 15-101

斜めからインドネシアを眺めよう 101

 

 LPGのガスボンベ3Kgというのが、つい半年前辺りにお目見えした。普通、家庭で使うのは15Kgで、私が初赴任した時1996年には既にあって、使っている。最初、中身と一緒にボンベも買う。次からはボンベを返して中身が入っているボンベと交換し、中身の代金だけを支払うシステムだ。

 今回、原油価格の高騰で灯油の価格がめちゃくちゃ高くなった。インドネシアは、原油は輸入国になってしまったが、LPGはまだ輸出国である。価格を抑えることができるので、貧困層に3Kgボンベを無償で配った。灯油を使わなくても明かりが取れるように、である。配った後の交換は中身代を払うことになる。それは、当然である。ところが、交換用にストックがお店になければならないが、無償でくばったあとボンベが全く足りなくなってしまった。新規用、ストック用、ボンベの生産能力が追いつかないのです。カラワンのPT.Aでも作っている。

 そこはインドネシア人でなくても、その、状態に耐えられない。抗議でどの都市でも大騒ぎになってしまった。暴動のような大騒ぎになっているところもある。

 政府というか行政も、無償で配る分の倍くらいのボンベを作ってから実施すればよかったのに、配る分だけしかできていないのに配ってしまった。考えが足りない。インドネシアらしい。

もう、今は灯油も下がってきたので、大増産の号令を掛けて24時間、休みなしで作っているが、あまってしまうのではないでしょうか。読みが浅いというか、的が外れているというか。日本人にもそういう人が多いが。

 

インドネシアで 楽しく暮らす 15-102

斜めからインドネシアを眺めよう 102

 Kから来た従業員の全部が丸々と太ってしまっていた。この会社の従業員は皆どちらかというと痩せている。やはり、待遇の問題だと感じる。K社の弁当代は5500ルピア、F社は4500ルピアこの1000ルピアの違いは大きい。100人分でも一日800円の違いである。一か月で、2万円の違いである。K社から来た人たちはこの会社でダイエットができるかもしれない。

 そのうえ、K社は10時に牛乳を支給している。

これらが10年続けば体格に大きな違いが出ることを証明している。

 インドネシア人には昼の弁当を持ってくるという習慣はない。すべてが支給される弁当(ケータリング)を食べる。その価格は4500~6500ルピアである。これは、経営する日本人の裁量次第です。だから、会社によって内容にずいぶん差があります。それは、運だけです。朝食を会社で食べる人は多い。だいたい、カップヌードゥルかカキリマで買ったナシブンクス(ご飯を油紙に包んで、鳥スープなどと一緒に食べる)のテイクアウトである

 そして、日本人が従業員と共に食べる会社の弁当は内容がいい。日本人は日本食レストランで外食する会社は弁当の内容が貧困である。日本食レストランでの一食の値段は1000円位でしょう。従業員弁当の20人分です。日本人用のケータリング(日本食レストランからの仕出し弁当)は700円位ですが、内容が固定しているので、長続きしない。

 私は4500ルピア(40円)の弁当を、従業員と一緒に食べています。ダイエットのためです。おいしくないが食べることはできるし、何より、インドネシア人に親しまれる。

 

22日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-103★

斜めからインドネシアを眺めよう 103

来年から始動のために、新しい機械の見積もりを依頼した。あまりのも古い機械を使っていて、交換部品や交換の手間暇、ストップの時間、無駄が多い。従業員にもストレスをかけるばかりである。経営の責任として、これらのことは解消してやらなければならない。

博物館行きのような装置を使っていては良い製品はできない。信頼性は全くない。よく十何年もこんな装置を使わせているなと思う。監視カメラと装置とどちらが重要なのでしょうか。頭が変になりそう。

装置の見積もりを取って、毎月の償却費がどれくらいになるかを提示し、新しい装置を購入するよう提案をする。提案は簡単に却下されるでしょう。

中国製で、信頼性はいまいちだが、とにかく価格で大きなメリットを出せると思う。日本の中古市場の価格と比較する必要もある。

マクタでなんとか生産できないかと挑戦をさせる。状況、覚悟は35年前と同じである。お客さんから、すでに私が始めれば仕事を回すと言われている。実際に私がやるわけにいかない。しかし、運営者はインドネシア人の技術者としてインドネシアではこの道トップの人がやる。スタッフも精鋭ばかりを集める。

 

23日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-104

斜めからインドネシアを眺めよう 104

残念ながら、世界中の大不況によって、大きな打撃をインドネシアも受け始めている。自動車とバイクが景気の牽引をしてきた優等生だった。ここ数年、15~30%の上昇を続けてきたが、二三か月前から売上の伸びが鈍化し、先月は昨年同月並みに落ち込んだ。年間では、記録を更新し、大きな伸びになっているが、来年は確実に二三年前の売り上げに戻ってしまうでしょう。

ここまでの伸びに従って工場の増築や設備の増強をしてきた会社は、どうするのでしょうか。新しい装置を使うどころか、今までの装置も止めなければならない状態に落ちっている。契約社員はいち早くカットした会社が多い。

韓国系の企業はもっと、深刻である。従業員をどんどん切っている。仕事を失った人々にこの国は何の援助も補償もしない。失業保険などない。購買力は急降下、銀行も貸し渋り、これでは当然、不景気になる。クリスマス、年末年始のセールも全く期待できないとの予想。

MMのLGの生産量は三分の一までになっているそうです。来月は一か月生産ストップなどという噂も出回っている。それにしては、ゴルフ場で会う、韓国人は、あまり、深刻な話はしていない。いつものように声は大きく、笑い声も大きい。ヲンで給料をもらっているなら生活も厳しいだろうが。

 インドネシアで 楽しく暮らす 15-105

斜めからインドネシアを眺めよう 105

まったくなさけない。飛行機にのりおくれた。ガルーダをいつも使っているので全く時間を確認しなった。いつもよりにじかんはやくなっていたのに気は付かなかった。空港に着いたとき、上海行きかと聞かれ変だと思ったがまだ気が付かなかった。カウンターで初めて分かった。23:55の出発時間が22:15になっていたのでした。

 飛行機が動き出した時間に私はカウンターに着いたのでした。がっくり。どうしようもないので、ガルーダのチケット売り場へ行って明日ということにしてもらった。空きがあってよかった。

 そんなことで、いま、家に戻ったばかりです。

JALは良くじかんh案変更をするので注意をするが、ガルーダは10年以上変更がないので、変更のことなど全く考えなかったし、旅行社からの注意も無かった。

もう、今日になるが、夕方の19:00には会社から出発しなければならない。

25日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-106

斜めからインドネシアを眺めよう 106

今、ジャカルタ空港にいる、22:15発のガルーダで日本へ出発、直前である。しっかり、間に合っている。別に何もない。先ほど、おいしくない、高い、狐うどんを食べただけ。今回は予約を取るのが難しかったのでしょう、知り合いの日本人は一人もいない。昨日、今日に変更の予約が、よく、とれたと思う。直前に駆け込んだ方が思いがけなく空きがあるのかもしれない。

この便はバリ、デンパサールから観光を終えた日本人の若者を主体にトランジットジャカルタのため、瞬間的に空港待合室が日本語であふれている。

機内は華やかで賑やか、ジャカルタ発のJALとは雰囲気が全く違う。ジャカルタから乗るインドネシア人や日本人は乗客の十分の一くらいです。この時期は満席、横になって眠ることはできない。ビジネスクラスはさすがにジャカルタからの日本人が大半。私は、ビジネスクラスを利用したことがない。メリットを感じないし、予約は二か月前にするので、エコノミーが既に満席ということはないからです。新年のバリからジャカルタまでの国内便の予約が取れないらしい。

それでも、年間で一番高く、其のうえ、サーチャージとかいう、よくわからない費用が今、ピークになっているからです。1065US$でした。一月予約分から、からそのサーチャージが下げられるという情報は入っています。原油の価格と二三か月遅れて連動になるようです。 

年末年始のテレビ番組に飽きたら、趣を変えて、

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/から、インドネシアの旅と生活を満喫してください。

携帯電話のフラッシュを使ってインターネットにアクセスしてこれを送った。

 

マルク諸島のアンボン島近くの無人島ポンボ島で物思いにふける私。

 

26日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-107

斜めからインドネシアを眺めよう 107

一日遅れの静岡着で、総合病院の今年診療最終日、4日朝、出発なので、今日しかない。予約時間を14:00に変更して、先ほど、薬を三ヶ月分処方してもらい、受け取ってきた。

その足で、太田化工に行って、装置の交渉をした。インドネシアへ送ってもらうためである。また、旦那さんを通して、出産したばかりのユニーさんにインドネシアからの食料品の土産を渡した。

やっと、 駿河の国は丸子の宿の我が家に落ち着いている。野次さん喜多さんが立ち寄ったが、夫婦げんかのために食べることができなかった、“とろろ汁の丁子屋”は近い。

インドネシアには無い暖房を利かせて、くつろいでいる。今日、16:00過ぎに到着した。

寒い。静岡は温暖な気候で、冬暖かく夏はそれほど熱くない、過ごしやすい土地ではあるが、さすがにインドネシアから冬に戻るのはつらい。第一、飛行機から降り立ったときの服装が、冬の状態ではない。到着日と出発日の二日だけ耐えればいいだけなので、冬服は準備しないし、着ない。成田エックスプレスをホームで待っているときが一番つらいが、冬服を持っていない恵まれない人のようで、まわりの視線が気になる。熱いお茶のボトルを握り締めたり、ほほに当てたりしている。

二日三日で、両足に痒い痒い湿疹が出来始める。保湿クリームを塗っても効果がない。毎年繰り返すが、今回も当然覚悟をしている。ひどくなる前にインドネシアへ戻るといいと思う。

 

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27日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-108

斜めからインドネシアを眺めよう 108

短期間で忙しいので、帰国すれば決まってやることは、インスタント食料品や応急薬(目薬、鎮痛剤、オロナイン)季節による果物、今なら干しカキやミカンや甘栗などを空いた時間に購入しておくことだ。また、工具類で日本でしか手に入れることができないもの、シックネスゲージやプラスチックハンマーなどは、庭木の剪定はさみも、あればインドネシアで重宝する。ドリル関係も0.1mm単位で揃えれば、穴をあけるだけでなく、内径チェックジグとして使えるし。ノギスが狂っていないかどうかもチェックできる。

先祖への墓参り、お彼岸には行けないので、帰国した時は行くようにしている。私の生まれ故郷でもあるし、富士川町という、風光明媚な土地なので気持ちが洗われる。特に正月は間違いなく美しい富士山と愛鷹山(あしたかやま)を麓から全部のパノラマを堪能できる。こんな素晴らしい景色を見る人は少ないと思うくらいだ。

そして、90何才かになった母親のご機嫌うかがいである。私の妹と一緒に同じ静岡市内に暮らしているが、頭脳は明晰、歩行はちょっと不自由、まだまだ、長生きしてもらわないと困る。

百円ショップによって、インドネシア人が喜びそうなもの、例えばドラえもんやキティのキーホルダーや日本の景色や花のカレンダー、そんなものを土産に持って戻る。時々日本語学校へ行っているが、そこの学生に喜ばれる。

昨日、夜、明日どこかへ行く予定はないの?と聞かれた。買い物に行く予定があるよ。と答えた。どこかへ用事があって、予定がないなら、送って行ってもらいたいからと、言われることを予想していた。ところが、全然、違っていた。「明日、生け花教室で生徒さんが、今年最後の作品を正月用にしたいからと、材料を自分で、買ってきて集まるから、10:00~14:00頃まで、出かけていってほしいけど、いい?」と言われた。10人以上集まるから、客間と私のくつろぎ部屋と二回の娘の部屋も使うので、私が、家にいては困るのである。私は買い物に出かける予定があったが、何時まで戻ってこないで、と、頼まれて、複雑な心境だった。15:00頃、家に戻ったら、綺麗に片付いていて、すべて終わっていた。参加者の孫たちも何人か来て、楽しかったと、言われた。

民生委員をしているので、呼び出されて夕方出かけて行って、まだ、帰ってきていない。

28日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-109

斜めからインドネシアを眺めよう 109

間もなく行動に出る会社の設立は、インドネシア製の設備で揃えようと考えている。インドネシア人によるインドネシア人のための押出成型工場の設備である。元気なうちに、96年来の目的をかなえることが目的である。邪魔な日本人はもういらない。日本人で技術を分かっている人はインドネシアには私以外いない。わかっていない日本人が、分かっているインドネシア人を評価したり、命令したりする会社はもういらない。彼らに任せることができる日本人もいない。

エコ設備のため、何台かの設備を送ってもらうよう、ある人たちにお願いした。中古設備だが、どこかの会社の設備よりはるかに最近のものである。磨けば新品に見えるし、各種コントロールもデジタルでできる。日本から中古を安い価格で輸入するにはベアチュカイ(税務署、税関)のハードルを越えなければならない。そこは、その関係の友人がいるので、簡単に超えることはできる。

今、PT.Kから、PT.Aへの設備移転がストップしているのはベアチュカイのOKをいつまでも得られないからです。なぜ、得られないか?私は分かっている。それは、友人からの情報である。税関への最初の申告の仕方が間違っていたことをきっかけに、PT.Kからの内部告発によって、今まで何年か分の申告状況を調査されだしたのです。よくある話です。これで、多くの日系企業は、アンダーテーブルをふんだくられているのです。しかし、KPKとう、汚職取締組織が目を光らせているので、袖の下で済ましてしまうことが簡単にできなくなっている。そこで、形式通りに査定しなければならないので、時間がかかるのです。いつまでかかるという返事はもらえないほど、長くかかるのです。

インドネシア人が経営する小企業なら、審査などしても取れるお金はないので、審査をされることはない。

私の老後の生活費まで使いこんでしまわないように、資金節約で設備をしなければならない。それでも、一番肝心な部分は私デザインの新品を調達する、インドネシアで作る。日本での新品の三分の一の価格で手に入れられる。

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29日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-110

斜めからインドネシアを眺めよう 110

銀行へ行って、円をUS$に、大量(私にしてみれば)に両替した。ドル預金に替えたのです。インドネシアで手配する装置の支払いのためにと、今、ドル安で両替のチャンスだと考えたからです。

銀行には、設備購入資金として預金をおろして使うことを伝えた。今後、二三年が最後の勝負になると思うし、この、多分、100年に一度といわれる、歴史的な世界的不景気の時に行動を起こすことは、最良のチャンスだと思う。安上がりで立ち上げることができるし、原材料も最安値で購入できる。客先は、安く購入できる仕入れ先を探している。輸入品をインドネシア調達に切り替えようという意欲が高まっている。

35年前、会社を始めて立ち上げたとき、30歳の時はちょうど、ニクソンショックとか第一次石油ショックと言われた大不景気の時だったことを思い出す。

国は違うが雰囲気はほとんど同じ、当時と同じように、私に独立を勧める会社はあったし、会社を作ればすぐ仕事をやってほしいと言われているし、何人かのインドネシア人から、わたしの会社で仕事をしたいと言われている。そんな期待を裏切らないようにしたいと思う。

選択肢はもう一つあるが、30日の会談を経てから、方向が少しだけ、見えてくると思うが、決定的なものにはならないと考えるので、二本立てというより、私は設備を先行し、生産準備を先行し、生産を開始してしまうつもりでいる。

 ターゲットを明らかにするのは初めてですが、これで、資金的に準備ができたので、三月の末にはプロファイルの生産を始めさせる。

 

30日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-111

斜めからインドネシアを眺めよう 111

静岡カントゥリー島田コースで今年最後のゴルフ。吉田町の茶畑に囲まれている。新しく開港する空港の近くである。ゴルフとは、椰子の木がある広い場所で、半袖、短パン、熱い熱いと水を補給しながらやるものだと思っている。ところがこの時期の日本でのゴルフは非常に厳しい。山の中のゴルフ場なので、静岡と言えども非常に寒い。長袖の下着と厚手のシャツ、その上にジャンパーやセーターなどで武装しなければならない。体の動きが全然違う。そのうえ、勿論、水の補給などしない。途中の茶屋であったかいお茶などを補給する。鼻水たらたらなので、チュッシュペーパーは必需品である。

山の中の上り下り道は水分が凍っているので滑りやすい。急いで歩こうとすると大変危険なので、そろりそろりと歩かなければならない。日陰のグリーンは表面が凍りですべすべになっていることがある。ボールが止まらない。

汗を全くかかない。終わっても、シャワーや風呂を使う気になれない。

それは、それで、PT.Kをどうするかという、インドネシアの話。結論から言うと、可能性高いが、すぐということではない。Sさんは、意欲があるし、K社の方の条件もそんなに厳しいものではない。K社の選択は売るか閉鎖かのはずなので、私としては、なんとか早くまとめてもらうために、もう一度、押出し設備について、移動をキャンセルするように手を尽くしたいと思う。

あくまでも、インドネシアの押出成形をインドネシア人だけで自立させたいためである。

31日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-112

斜めからインドネシアを眺めよう 112

 

昨年は娘夫婦と孫たちがドイツから来ていたので、賑やかだったが、この冬は、夫婦二人きりで寂しい。できれば、一年おきに正月には全員揃えばいいと思っている。次回をお楽しみにします。

もがいた一年でした。そして、他人任せでは自分の思うようにはならないことを、改めて確認させられました。いろいろな観点から、やはり、自分で再度、やることにした。やるからには、それなりに、利益を追求しながら、従業員に配分し、客先には適正価格で安定した品質と納期を提供する。

これらのことは、自然に自分流でできるので、全然、負担とは思わない。簡単に淡々と達成できるでしょう。わからない日本人に気を使ったり、説得しようと努力して説得できなかったり、そういうことから解放されたりで、ストレスとはまったく関係なくなる方が、よほど、快適になるでしょう。自分最後のお勤めです。最後はこれで、締めくくる。

皆様、良いお年をお迎えくださいというところでしょうか。来年はどうでしょう。道は自分で開くしかないのですから。

 年末年始の団らんの話の種に、一人正月の時間つぶしに

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1日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-113

斜めからインドネシアを眺めよう 113

新年あけましておめでとうございます。 Selamat tahun baru.  A happy new year.

2009年、痒くてたまらない両足をポリポリ掻きながら、静岡カントゥリー島田コースで今年最初のゴルフ。S氏、T氏、M氏全員、経営のトップである。ゴルフ場内の東照宮に初もうでをして、何の変哲もない日常的なスタートでした。

N社のインドネシア工場がスタートする折には、最大の援助をすることを頼まれた。

インドネシアから沢山のメールが入っていた。私は、紅白が終わって、行く年くる年が始まってしばらくして送った。ジャカルタタイムはまだ、31日の22:00過ぎたところでした。また今年も、大部分の時間はインドネシアで過ごすことになります。

今年は、今まで、多くの人々が経験したことがいような、バブルがはじけた時より以上に深刻なグローバル エコノミー クリシスに見舞われるでしょう。自己資金があれば積極的に攻めの経営で、新しい展開を生み出すことができるでしょう。チャンスの年でもある。自己資金が貧弱な企業は、只々、出ずるを少なくし、絶えて生き残りを図るしかないでしょう。それができない企業は閉じるしかないでしょう。今年、多くの企業が淘汰されるでしょうが、それは、地球的な経済の法則の一環です。撤退したいと考えている企業は早ければ早いほど怪我は小さいと思う。

私は、攻めに出ます。東南アジアでの潜在需要が顕在化する時にインドネシア人の能力が最大に発揮されるようにしたい。

 

2日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-114

斜めからインドネシアを眺めよう 114

ヤント君は実によく日本の生活に溶け込んでいる。12月28日にインドネシアからの土産物を渡した。食事をしながら、あと一年ちょっとで大学を卒業するので、将来について話し合った。本人の希望は、県立大学の大学院へ入ることでした。

奨学金を何種類か受け取っていて、資金的には私の援助は辞退すると言っていた。また、静岡県で学ぶインドネシア人の代表として、さまざまな催し物を引き受けて、各地でやっている。また、どこかにも書いたが、親善大使として、県にも外国人としての頼みもしている。かなり、頼られ、忙しい存在だ。

私が、投資しているインドネシアの会社は、今のところ、彼の力は必要ないが、将来、日本とあるいは日本人との橋渡しが必要になったとき、インドネシアへ戻って、インドネシアのために働いてもらうことになるかもしれないと、話した。手伝いを申し出てくれたことには感謝する。

私が、4歳から18歳まで過ごした、母親が住んでいる場所を訪問した。毎年、丸子の我が家に来てくれていたが、今回は、大変になってきたので、私の方から行った。年に三回くらいの帰国の際には必ず訪ねることにしている。おふくろは、勿論、年だし、私も年だから。

 

3日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-114

斜めからインドネシアを眺めよう 114

 日本最終日、適当に忙しい日本だったが、何と言っても、年末年始の二回のゴルフが重要だった。平均スコアーは108でしたが、パニック障害の私としてはまあまあの出来で、皆さんに大きな迷惑をかけることはなかった。それは重要ではない。

 何よりの記憶は、暮れのゴルフが終わって、支払いをしようとしたとき、カードで払うつもりで来たので現金は5000円ほどしか持っていなかった。しかし、カードが財布に入っていないことが分かって愕然とした。その声が向こうのロッカーの方にいたS氏に伝わった。払ってやるから手帳をこちらにもってこいよ、と言われ、支払ってもらった。両手袋とカラーバール八つ。プレー代で、おそらく、三万円位だったと思う。

 ついで、元旦ゴルフ、今度はしっかりカードを確認し向かった。カウンターについて、名前を書きながら、前払いでお願いしますと言われた。カードを出したら、今日は現金のみでカードは使えません。と言われて、また愕然。

 近くのコンビニへ行ってATMを使ったが、9:00からでしか使えないという文字が冷たく読めるだけだった。

 ゴルフ場に戻って、後払いで何とかとお願いしているところへ、S氏が到着し、私の困惑を見て、また、支払ってくれた。1万5千円でした。

 結局、借金で二度のゴルフをやってしまった。このお返しは、今月中には来られるインドネシアでするつもりでいる。

 

 

4日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-115

斜めからインドネシアを眺めよう 115

インドネシアの自宅にいる。こちら時間21:30家に到着。今回は空港タクシーを使った。メーターで16万ルピアで、MM2100に着き、会社から自分の車で自宅へ戻った。

06:20丸子の家をタクシー(暮れの内に予約をしてあった)で出発、ティケッは昨年到着日に買ってあった。静岡駅から新幹線、成田エクスプレスで成田まで、到着ラッシュの成田だが、出発ラッシュではないので、私が乗った便も空いていた。横になって寝ているうちに到着した。この時期にバリへ行く人は少ない。11:00発、ガルーダでデンパサールへ到着、バリからはGA415便でジャカルタ経由バンコク行きだった。ジャカルタまでの乗継時間は一時間三十五分ある。しかし、バリからは帰省ラッシュで満席、寝ることはできなかった。約17時間の旅でした。

また、明日から、仕事である。


5日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-116

斜めからインドネシアを眺めよう 116

新年早々、会社内は相変わらずの賑やかさで、皆さん忙しそうである。雑然とした中で、多くの女性が、冷蔵庫のドアのクッション(ガスケット)を作っている。しかし、若干人数が少なくなったような気がするが、気のせいだろうか。

12月から来た新しい従業員も何気なく忙しそうにしている。この会社にとって、良い年になることを願う。

早速、インドネシアらしい部分に出会った。昨年11月初めから、私がいる工業団地の入口のゲートを増やすため工事をしていた。今日見た限りでは既に完成していて、いつでも使える状態になっているようだった。三つ増やし、今までの一つを通過させるやり方で、道幅が決まっているので、前後に増やす方法としうて、多くのゲートで取り入れている方法です。これはこれでいいのだが、使っているゲートは青ランプが灯っている。

インドネシアらしいのは、新しいゲート三か所に青ランプが灯っていた。しかし、実際には使っていないのです。多くの車がその新しいゲートに列を作っていた。当然である。使っていないことを知って、長い行列についてしまったことを皆さん、がっかりしているでしょう。その先の一か所のゲートにその長い三列が集中するのでなお時間がかかる。他の従来のゲートに着いた車をは、すいすいと進んでいるのを横目で見ながらである。私もその中の一人だった。

 

6日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-117

斜めからインドネシアを眺めよう 117

インドネシアの今回の年末年始は12月25日と29日と1月1日がナショナルホリデーだったので、12月25日~1月4日の11連休にした会社がほとんどでした。こんなに長い休みは、レバランの時以上です。基本的にインドネシアの年末年始の休日は暦通りですから、土日とイスラムの休日と本来のクリスマスと元旦休日が、こんなにうまい具合につながることは稀です。

休日がつながっても喜んではいられません。不景気の生産調整もあって、休日出勤は全くなかったようです。日本の契約社員切りも大きな問題になっていますが、インドネシアも年末限りで仕事がなくなり、住む家も無くなった人がMM2100だけでも1万人以上に登っていると聞きました。

私の会社も昨年末契約切れの人たちの契約継続はありません。自然減になっています。

インドネシア独特の傾向でしょうか、他のイスラム大多数国家でもあるでしょうか。スラマットタウンバルとスラマットナタルはくっつけていいます。メリークリスマスとア、ハッピーニューイヤーとくっつけていうのです。英語圏の影響でしょう。イスラムの人達がそういうのです。高速道路の歩道橋に垂れ幕やネオンがそれを表しています。デパート、ショッピングモールは勿論です。

間もなく、中国正月(春節)の雰囲気に引き継がれます。これらのことは、一見は、不況知らず、です。

 装置については、相変わらず情報なし。

7日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-118

斜めからインドネシアを眺めよう 118

自動販売機はドイツにもなかった。インドネシアにあるわけがない。ただ、一国、日本だけが異常なのでしょうか。他の国を知らないので何とも言えませんが。私はインドネシアで自動販売機を作って日本へ輸出している会社を知っています。その会社は日本以外には輸出していませんし、インドネシア国内にも売っていません。

ジャカルタ新聞に紹介されていましたが、ある中学校で、有志が学校内に無人販売店を開いたそうです。正直店です。ところが、そう日がたたないうちに、立ち行かなくなってしまった。お金を払わないどころか、お金が払われた箱からお金を持って行ってしまわれたそうです。当然と言えば当然です。イスラム大多数のこの国の教育は一般道徳の教育がなされていないどころか、親や年長者の道徳がかけているからです。教育は歴史が必要ですが、歴史が始まっていないのです。

もし、今始まったとしても、日本と同等になるまでには百年に以上かかります。結局、こりゃ、だめだ、というしかないのです。

なぜか、どこから手に入れたのか、モナスの地下に一台だけコカコーラの自動販売機が鎮座している。大変な貴重品である。その自動販売機の横に監視員が椅子に座って見張っていることは言うまでもない。

モナスへ行った人は地下の歴史画展示場に行って、歴史はどうでもいいので、自動販売機を確認してください。感激します。

 

8日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-119

斜めからインドネシアを眺めよう 119

派遣村 非正規労働者 現在日本で話題になっていますね。長期化すれば、早すぎますが年末の流行語大賞の候補になるかもしれません。

インドネシアには仕事からあぶれた人達の面倒をみようなどという考えは全くありません。寒さをしのぐという言葉はありません。住む場所はどうにでもなります。雨が降ったとき濡れなければいいだけです。竹とヤシの葉があれば済む場所はどこにでも作ることができます。土地の所有者がわからない森や野原はいくらでもあります。住んでしまえば、網それで、居住権が確保されたようなもの、それを、集団でやれば、もう、絶対安心です。

トイレや下水などはいりません。そこらあたりの小川に目隠し囲いを作れば、そこは公衆トイレです。そんな風景はいくらでもありますし、子店を出そうと思えば、空いている道端にやはり、竹とヤシに葉で店を作ります。そこはまた、寝泊まりができるようになっています。というより、屋根があるのですから、商品の後ろで立って店番をしていた場所に、夜になったら、横になるだけです。

行政はジャカルタの中心街でない限りは見ないふりをします。保護や援助をしたくないからです。切りがないからです。民衆も行政に助けを求めません。ボランティアもいません。ボランティアの意味を知っている人は1%もいないでしょう。

9日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-120

斜めからインドネシアを眺めよう 120

 インドネシアのテレビの番組は一応番組表があるが、時間どおりに終わったり、始まったりすることはない。一分二分は当たり前、10分以上遅れたり早くなったりすることもある。それは、日本のように時間ぴったりの進行が不思議に思えるほどだ。

 テレビの番組で時間を知ろうとしては失敗をします。朝の番組でも、ニュースの時間帯でも、画面の片隅に時間が示されることはありません。インドネシアは三つの時間帯があるので、示されないのでしょうか、いや、地方毎に示そうと思えばできるはずです。しかし、番組が時間どおりにならないので時間は示めさないのでしょう。

 私がテレビを見るのは朝の6:00~7:00(日本時間8:00~9:00)NHK、夕方、帰宅してからは、NHKは見ません。インドネシアのニュースを最優先し、コメディやバラエティ番組を中心に見ます。ドラマは筋書きが決まっていて、ヒロインがいじめられる、それに耐える、そして、お祈りする。そんなものばかりなので、全然見る気になれない。学園ものも多いがこれも筋が決まっている。

 夜が長い時はHBO(映画専門)が何チャンネルかあるので、アクション物を主体に見る。インドネシア語の勉強になる。日本映画はインドネシア語字幕付きなので、字幕を見ていることが多い。つい最近は長澤まさみ(あっていますか)の幼友達がらみの物語を見ました。その前は、サーファーが亡くなってしまう大沢なんとかと伊東美咲主演のものを見ました。HBOは時間どおりに進行します。

10日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-121

斜めからインドネシアを眺めよう 121

ジャバベカゴルフで今年インドネシアでの初めてのゴルフ。今年からだろうか、レストランのウエートレスのユニフォームのデザインが変わっていた。

12月はインドネシアで一回しかプレーしていなくて、それも、カラワンだった。キャディさんに年末資金(チップ)を渡すことができなかった。

私が指名したわけではないが、決まって私に着くキャディさんがいる。予約表を見て私が入れてあれば優先的に私のゴルフバッグを確保してしまうのだ。キャディ同士でもそれが暗黙の了解になるらしい。私は行かないが、カラオケで行きつけになると他の女性を指名できなくなるのと同じ状態になる。

なぜか皆さんがストロベリーさんと呼んでいるので、私もそう呼んでいる。本名は聞いていない。ジャパベカでのゴルフは一か月ぶりだったが、彼女、今日は休みだったようだ。

明日も同じ場所でプレーするので、明日は会ってしまうと思う。

やはり、日本の冬のゴルフより、常夏のインドネシアのゴルフの方が何段も上の快適さだ。広いし、明るい、キャディと冗談交じりの会話が弾む。ゴルフ仲間との会話も弾む。

 昼食時の話は、今は、不景気の話、どこはなん%、そこは何十%注文が減ったとか、従業員を減らしたという話で、増築中のあそこはどうなるだろうかなど、明るい話はない。

 この経済危機の中、チャンスとみて、インドネシアのプラスチックの押出成型をどういう方向に持って行くか、重要なミーティングがあった。インドネシア人四人と私がいた。いよいよ、本格的に動き出す。

 新成人の方々、おめでとうございます。経済危機の折り、何かと大変でしょうが、この世の中は自己責任、自律が、キーワードになるでしょう。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

こういう生き方もあると、参考にしてください。

11日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-122

斜めからインドネシアを眺めよう 122

今日も、ゴルフ14:00終了。二日連チャンで疲れるが、パニック障害者としては皆さんの足を引っ張るが、できることがうれしい。

金型や押出成形装置の発注をした。ルピア安、ドル安ということもあって、水槽や巻取り機など、日本で手配する金額の三分の一以下である。輸入諸経費を含めれば四分の一の価格で入手できる。申請などの手続きもいらない。一千万の予算で三ライン設置が可能である。

納期は二ヶ月である。日本からだと四か月以上かかる。

押出機や引取機、自動カッターは日本から中古を手配した。できるだけ早く出荷するように半額の前払いも済ませた。

私が社長になるわけではない、あくまでも、インドネシア人が経営する純然たるローカル企業である。私は、お金を貸すだけである。契約書(借用書)を書いて、必ず。いつかは返してもらう。従業員は元、PT.Kの教え子たちを使う。製造も検査も、である。

A社用は金型があるので作る必要なし、P社用は金型あり、しかし、プレス機械が必要。原料は支給してもらう。K社用は金型あり、必要はなし、原料があればすぐに生産できる。これだけで、三台はほとんどフル運転になってしまう。

それ+硬質PVCの異形の話を持ち込まれている。エコノミークリシスも始めるのはゼロからだから、注文が減ることはない、増えるばかりである。

新成人の方々、おめでとうございます。経済危機の折り、何かと大変でしょうが、この世の中は自己責任、自律が、キーワードになるでしょう。外国で活躍する若者が増えている、特に女性の進出が目立つ。男子よ、頑張れと云いたい。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

こういう生き方もあると、参考にしてください。

 

12日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-123

斜めからインドネシアを眺めよう 123

残念だが、インドネシアも例外ではないことは私には分かっていた。案の定、この会社の仕事も徐々にではあるか、確実に減ってきている。私は立場として、受けとった注文書やフォーキャストを見ないが、現場の雰囲気で分かる。

車やバイクが売れなくなることは前々から予想していたことだが、冷蔵庫も例外ではなかった。購買力の低下というものはそういうものです。

本当は、対策を打たなければいけないが、営業が脆弱なので仕事を確保することができない。中小企業の営業の責任者は経営者と決まっている。自らが動きまわって、売りまくる行動をしなければ何も生まれてこない。P社のS社長(現会長)が良い手本である。価格の決定は客先の日本人の顔を見ながら本人が決めるのが常識だが、この会社の営業のトップは客先の日本人に顔を見せない。こちらから、話し掛けることはしない。これでは、だめの手本である。

昨年12月から(PT.K社から従業員だけが来た時点)この会社に何かが起こると予想したが、予想どおりに進行しているようで気の毒である。

だいぶ前から警告を発しているにもかかわらず、本社を含めて相当厳しい状況に陥る気配がある。こういうことを思う人がこの会社にいない。

 最高責任者が仕事嫌いで、会社にいないし、本社はそれを知っていて、手を打てない、どうなっちゃっているのでしょうか。

13日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-124

斜めからインドネシアを眺めよう 124

 インドネシアでも場合によってはタクシーに置き忘れたHP(携帯電話、ハーペーという、hand phoneの略で、インドネシア語の発音がドイツ語と同じ)が戻ってくることが分かって感激した。

 置き忘れたHPは私が日本で購入したノキアの海外どこでも日本の電話番号で使えるという貴重なものでした。また、マリアさんにとっては、チップが大変重要で、無料SMSが100回以上残っているし、プリペイドが5万ルピア分残っていた。それよりもなによりも、電話番号の登録が大量にあって、それをバックアップしてないことでした。もし見つからなければ大損害だった。

ことの起こりは、お手伝いのマリアさんが、ブルーバード(ここが肝心)タクシーで空港から家に戻った。約一時間後に、HPが無いことに気づいた。タクシーの中に置き忘れたのでした。

 直ぐに、ブルーバード本社に電話した。遺失物処理係のTEL番号を紹介され、電話した。マリアさんはタクシーの登録番号を覚えていたのが幸いでした。夜の8時過ぎだった。それから連絡を待ったが、その日はなかった。

 

翌日、朝、7:00に電話して聞いたところ、HPを預かっていると知らされた。

 夕方、バイクで届けてくれた。お金はいらないと言われたが、チップとして、5万ルピア渡した。

ブルーバード社の電話番号(予約呼び出しに使っている)を知っていたこと、乗ったタクシーの登録番号を覚えていたことが幸いでした。

インドネシアで遺失物が戻ってきたことを身近で体験したのは初めてでした。

 

14日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-125

斜めからインドネシアを眺めよう 125

今週の日曜日 スラウェジのパレパレからカリマンタンのサマリンダへ向けて出港したフェリーが高波に呑まれて、沈没した。二百何十人は絶望とされた。

インドネシアでは、毎年、雨季の一月から二月にかけて何百人乗りかのフェリーが沈没する。本当に毎年である。雨季の豪雨と暴風は突然やってくる。にわかにかき曇り、突風が吹き始め、たちまちのうちにバケツをひっくり返したような豪雨になる。急激に大量の雨が落ちてくるので、空気引っ張られて急激が下降気流になるそれが海面にぶっつかるので、大波が発生する。晴れていれば、海上では遠くからそれが見渡せるが、雨季で曇っていると、それが見えない。もちろんレーダーで見ているだろうけれど、その速度は風速から推測しても何十キロというスピードでフェリーが避けきれないでしょう。方向も予想しにくいはずである。天気予報は日本でもそうだが、最近のゲリラ豪雨は予測で来ていないと同じである。

沈没してしまえば、捜索の体制というか、継続性というか、迅速性というか、すべてが考えられないほど、諦めが早い。後はどこかへ流れ着けば疲労だけの話である。

 昨日も今日もジャカルタ、ブカシ、チカランは大雨だった。遅れてきたり、出勤ができなくて休みにした人も多いと思う。いよいよ、洪水シーズンの真っただ中になってきた。毎年のことです。

 雨季にフェリーを使わない方がいいですよ。日本人で使う人は居ないでしょうが。私もこの時期には車で遠出の旅はしません。道はでこぼこになるし。低い道路は冠水し。渋滞になるし、散々な目にあう。

 昨日はバンドンまでの高速道路の一部が地滑りで無くなってしまった。バンドン側からは何か月も高速道路は使えないでしょう。

15日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-126

斜めからインドネシアを眺めよう 126

私は、もう来ない方がいいと思っていましたが、この会社の責任者にとっては、待ちに待った?押出成形装置がK社から移動してきた。段取りについての詳細が説明されていない、というより、段取りがないのだと思う。

陣頭指揮者というか、プロジェクトの責任者にならなければならない人が会社にいるのかいないのか分からないくらいだから、いくら、SMSやメールで指示していても、実際に自分が切り込み隊長になるわけではないから、前方の様子や雰囲気を確認していない。それでは、指揮者ではない。

そんな状態で、良し、としているらしいので、苦労する、大変な人達はインドネシア人従業員です。この、経済危機で仕事が劇減している上に、新しい客先にサンプルを次々に提出していかなければならない。初めての樹脂、初めての形状、初めての成型方法これらをやらせるのですから、それなら、十分な時間があったのだから、装置が移転してくる前にK社で実習させるなどの知恵も働かないで、いきなりやらせるという乱暴な指示をだし、ご本人は、全然現場に入らないし、見ない。書類を提出させて、ロスが多いと怒鳴るだけ、これでは、最高責任者としての義務を果たしていないし、能力もないと評価され、客先はしばらく我慢しても、どこか別にやるところがあれば、そちらへ行ってしまう。

まさか、そんなことになるまで、知らん顔を通すつもりでしょうか。本社の方も大丈夫でしょうか、こんな状態を報告していますが、誰もが、インドネシアどころではないのでしょう。

 ところで、今日、アストラ ホンダの前を通ったら、すぐ眼に着いたことがあった。インドネシア国内どこへでもバイクを運んでゆく、トラックの駐車場が満杯になっていた。出荷に出かけていないのだ。昨年の10月辺りは、駐車しているトラックはなかった。

16日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-127

斜めからインドネシアを眺めよう 127

ガソリンの価格がインドネシアでも下がってきた。ピーク時は6000ルピアだったのが段階的に下げられて、今は4500ルピア(約40円)にまでなっている。ところで、灯油も2500ルピアまで下がっているので、以前、ここに書いた3kgボンベのLPGがだぶつきはじめて、今では、道の両側の子店の前に高く積んである。売れなくなってしまったのです。ここの近くのボンベを作っていた会社も今となっては、注文が途中でキャンセルされてしまい、プレスの機械が遊んでしまっているとか、そして、材料が山積みになっているとか。やはり、予想どおりでした。

ところで、その会社、純然たるローカル企業で、操業して5年目だというのに、今のところ資金は潤沢にあるらしく、金型などの費用はしっかり前払いをしてくれるし、請求を忘れていると、逆に請求書が来ていないから早く出せと催促してくるくらいです。

政府の高官の親戚かなにか、強い、コネがあるらしい。それでなければ、単なるプレス成形屋に急にプルタミナ(国営石油会社、独占的にガソリンなど石油製品と天然ガスを扱っている)から、大量にボンベの発注があるはずがない。

この不景気に突入したインドネシア、この会社も例外ではないでしょうが、三か月ほど前から、S社の洗濯機の相当数の部品を射出で作ることになって、注文が大量に飛び込んで、それを、立ち上げて、今年に入って、S社が売り出し始めた。25型あるそうで、新モデルだそうです、さて、販売状態はどうでしょうか。線香花火のようにはかなく消えてしまわなければいいと思います。日本人の親しい友人がこの会社のアドバイザーをしている。

 

17日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-128

斜めからインドネシアを眺めよう 128

昨年のスコアーがあまりにもひどいので、ハンデキャップ36まで下げてくれたAKRAB会というゴルフの仲間、そのコンペに参加した。カラワン、インターナショナルで07:00スタート、私の家からはほとんど高速道路だけ走って、20分で着く。ここも、今年からプレー費があがって、80万ルピアいじょう近くになってしまった。メンバーでなければここでやるのもつらくなってしまった。

既に、10年以上、ゴルフはしているのですが、飛距離が普通の方の三分の二くらしかでないので、どうしても、皆さんより一打余分になる。パーが90になる。そこからボギーペースで回っても108である。ボギーペースができないので110以上になってしまう。パニック障害の薬の影響で、以前より、なお、10%ほど飛距離が落ちて、ドライバーで140mがやっとになっている。

 今日も、最初のうちは2オーバーペースだったが、途中から、突然、体が重くなり、体から力が抜けて、チョロが増えて、パットも思った方向に打てず、大叩きするようになり、

結局124も叩いて、グロスで断トツの最下位、ナットでBBになってしまった。筋委縮症ではないが、だんだん、飛ばなくなり、スコアーもどんどん悪くなる。残念で仕方がないが、運動の一環として、続ける。仲間も私の事情は分かってくれているので、良く付き合ってくれるし、誘ってくれる。ありだたいことです。

 二月の例会は私も幹事の一人になります。今日のうちに、次回の開催の後の打ち上げ場所と、次々回の場所をブッキングした。後は優勝トロフィーを買うだけである。

18日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-129

斜めからインドネシアを眺めよう 129

今日も、また、ゴルフ。ジャパベカの親しい仲間たちと、だった。

装置は土曜日中に配線がほぼ終了し、今日は、明日からの試作に向けて金型のセットをした。三年半ぶりくらいに会う設備である。すべて私が手配したものでした。

この会社で、長く活躍することはないでしょう。二三年後には、別の場所に移ればまだ十分に活躍できるでしょうが、この装置がこの場にあっては使う仕事はなくなるでしょう。

適材適所という言葉は人間の配置のことだけではない。装置も同じこと、その場所に適していなければ無駄になり、邪魔になるだけである。この場所は適所ではない。

雰囲気も環境も良くない、システムが良くない、経営者がいつも不在。いても、現場に出ない。従業員と挨拶しない。全く、会社の中で笑わない。従業員全員が怒鳴られるのを恐れているので、私のアドバイスは全く彼らに通じない。経営者が言えばやるが、他からのアドバイスに納得しても実行しない。

人事の担当者がインドネシア人のトップで、彼が、経営者の姿勢を忠実に実行しているので、恐れられている。それで、経営者からの評価が高い。彼ににらまれたら、この会社にいられないでしょう。

外交的にも、経営者は仕事の話は出来ない。知識が全くない。客先の日本人と親しくなる人柄では全くない。

改めて、この会社しか製造できる会社がないので、仕事が来ている。しかし、他でやるところができればやがてすべてこの会社の仕事は消えるでしょう。

 準備を進めている会社がる。

19日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-130

斜めからインドネシアを眺めよう 130

道端のいろいろな写真は会社への往復やゴルフ場への往復、客先やサプライヤー訪問などの時,自分で車を運転しながら撮ったものです。速度はある程度落としますが、後方の車に迷惑をかけないほどの速度ですから、近い景色はぶれてしまうことが多い。ハッキリ言って危険ですから、決して真似をしてはいけません。もっとも、自分で運転すること自体、してはいけません。厳重注意です。

私はバッグやカバンは持っていません。リックサックとラップトップのケースを常に持っています。車の後ろの座席に置いてあります。カメラはその中に常に入っています。ク車から降りるときにはリックサックを背負っております。大体、左片側の肩にかけています。リックサックにはポケットが十以上あります。何はどこという具合に決まっています。貴重品も必ず持っています。真ん中の底のちょっと上に入っています。後ろからナイフでリックサックを切られても落ちないようにしてあります。10何年、そういう被害にあったことはありません。

普段の服装は、見た目は汚いが洗濯をしたブカブカの短パンと襟ナシTシャツの上下で、履物はぴらぴらのビーチサンダルです。このスタイルはインドネシア人のおじさんそのものです。100%インドネシア語で話しかけられます。もっとも、話をすればすぐに日本人と気付かれますが。

車の中には貴重品は絶対残しません。どんなにセキュリティがしっかりしていそうな場所でも、セキュリティは信用してはいけません。実際に車上狙いに狙われても彼らは見てみない振りをします。日本人の商社マン風な人は特に気をつけましょう。ドライバーも信用してはいけません。狙われる機会を与えてはいけません。

 

20日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-131

斜めからインドネシアを眺めよう 131

 相変わらずA社のトップは会社に出てこない。そして、工場の中は暗い、雰囲気も暗い。どこの客先がどれほど、逼迫しているのか、客先との話をしていないようです。知識がないので話が出来ないのです。それでは、できる人に任せればいいと思うのですが、それもしないのです。ようするに、知らん顔なのです。インドネシア人スタッフに任せきりで、彼らは先方のインドネシア人に接触するだけなので、客先の日本人に情報が的確に伝わらない。知りたいが、聞いても、答えが戻ってこない。

 K社はK社で、すでに、客先から両手を放してしまった。残りの在庫について、インドネシア人スタッフに任せてしまった。

 A社とK社のトップが話をすることはもう、ない。

 そこで、この会社内のことですが、K社から来た11人ほどのうち、オペレーターが6人で1シフト2人づつ、検査に3人、日勤に2人に振り分けた。オペレーター2人では足りない。満足な製品は三台分しかできない。

そのうえ、検査に回った2人は、K社からの退職条件を最初から飲んで、辞めてこちらに来たのでした。A社の社長の約束通り、K社での最終賃金を保障されたが、他の9人は粘って、退職金を若干上乗せさせて、10日遅れて、退社したので、A社の社長はそれを理由に30%近くの減給で彼らを受け入れた。もちろん、彼らは、口に出さないが怒っている、約束が違うと。やる気がある人間が粘って、仕事に自信がない人間がアッラリ脱落したのです。人のことは言えないが、評価基準が間違えている。

仕事ができない人間を優遇したのです。これは、この会社にとって悪材料になるでしょう。

 

21日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-132

斜めからインドネシアを眺めよう 132

デルタマスとカラワンの中間ほどにある何とか川が氾濫して、田んぼや住宅地が広い範囲で洪水になった。こちらの川は土手がない。治山治水という言葉はない。原始時代から、多分、川を治める、ということを、そこらあたりの支配者はしていなかったのです。今でも、溢れればあふれるなりにし、水が引けば戻ってきて家を建てて暮らす、それの繰り返しである。前にも書きましたが、竹とヤシの葉で組み立てるのですから、建築会社に頼むわけではないし、材料費の只である。

何年か前に、JALがジャカルタ空港から飛び立って直ぐにエンジンを一つ落として、引き返した。その時に、エンジンは民家に落ちて、家を全開させた。人身に被害はなかった。その家に修復費と慰謝料を含めて、200万円払ったとか、その家の人は大儲けをしたと、大喜びだった、テレビでやっていたことがある。三日で、新しい家を建てたといっていた。

高速道路は若干高い位置にあるので水をかぶっていなかったし、両側に警察や軍隊のテントが設置され、川の両岸に住んでいる人達が何日か寝泊まった。給水タンクや移動トイレも設置されていた。数年前にはこんなことはなかった。自分達でプラスチックのシートを広げて、屋根にし、皆さん野宿をしていた。今はそれだけ、政府というか行政が、いち早くかどうかは知らないが、とにかく、援助をするよういになってきたのです。もっとも、間もなく国会議員や大統領の選挙があることも関係していると思う。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

22日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-133

斜めからインドネシアを眺めよう 133

日本は大寒が過ぎて、一番寒い時期に差し掛かっていますが、インドネシアは雨季の真っただ中、これから、二月の中旬にかけて、大洪水の季節になります。

ただし、暑さは平地で最低20℃最高で30℃くらい、雨季は温度が低くなりインドネシア人にとっては寒い季節です。ただし、日本人にとってはやはり熱いままです。そのうえ、蒸し暑い、大変住みにくい日本の梅雨の季節に似ています。

エアコン(クーラーのみ)の温度調整が難しい。他人と一緒のときのバランス調整が難しい。

インドネシアでの滞在が短い人ほど、今の季節は特に蒸し暑く感じるので、お客さんが見えた時は気を使う。私のように長く滞在している人ほど暑さに慣れているので、冷房はきつ過ぎることがおおいが、私が、寒いのを我慢するくらい温度でないと、お客さんは熱いを連発する。最初二三年は、その状態で、我慢をして風邪をひくことが多かった。日本にいる時より良く風邪をひいていた。

ホテルはどこもギンギンに冷房が効いているので、私にはつらいが、お客さんにちょうどいいらしい。カラオケやレストランも同じです。私には寒すぎる。一人でいるところではないので、とにかく我慢する。カラオケのお姉ちゃんたちは体をかなり露出して服の表面積が小さいので、寒い寒いといっている。それで、風を引く子も多い。私に着いた女性には上着をまとっていいよといってはおらせます。しかし、店によっては、お客さんがいいといっても上着をまとうことを禁じている店もあるようです。余談でした。

飛行機内もそうだが、寒い状態になることが分かっていれば、長袖のメリヤスの下着と長袖のシャツを用意しておいて、到着したら、車の中か、トイレで着替えをする。

今は、風を引くことはなくなった。

 

23日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-134

斜めからインドネシアを眺めよう 134

 おおきな工業団地、ジャカルターチカンペック高速道路の中間地点、ジャカルタに近い側チビトゥンにMM2100がある。一つ向こうのチカランにEJIPがある。MMは高速道路をでてすぐ団地に入る、すべての工場は東側に広がっている。拡張を東側にしている。

 一方、イジップは高速道の出口から遠いし、他の工場団地も近くに沢山あるので渋滞が激しくMMに比べれば不便で時間がかかってしまうことが多い。そして、拡張は西側に向かっている。

 両工業団地は西から東から二つのインターの南側で接近をしているのです。両工業団地だけのGDPはインドネシアのなん%とか占めていると思うほど広大で、日系の大企業が多く進出しています。今や最接近している場所は二三キロの距離しかないと思う。

イジップの工業団地へのジャカルタからや輸出港タンズンプリオクへのアクセスは高速度道しかない、一般道など迂回道がない。大変不便です。

 ですから、当然、イズップの管理者も入居企業もMMに繋げてしまいたいのです。そうすればMMの中を通る近道ができるのですから大変便利になります。お互いの納品も交流も高速道路を迂回しなくて済みます。便利なことばかりです。

これは、工場団地ができた20年前近くからの懸案でした。イジップからMMに何度も頼んでいます。しかし、MMは頑として受け付けません。私も当然だと思う。MMの中がイジップの車の通過道になって、MMの中やゲートが大渋滞になってしまいます。絶対認めないでしょう。

イジップでは虎視眈々とその希望を飲ませるべく、あの手この手を打っているようです。境界に川があるのですが、そこまで道を作っています。橋もイジップ側でかけました。

さあ何年先にMMがOKを出すのでしょうか、私は何か政府や行政の大きな力が働かない限り繋がることはないと思う。

橋の写真は

http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind

橋の向こうには道らしい道はない。丘の向こうがMM2100である。

 

24日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-135

斜めからインドネシアを眺めよう 135

26日が、春節、チャイニーズ ニューイヤーでハリラヤ(ナショナルホリデー)です。今日から三連休です。この不景気、この三連休に仕事をする会社は皆無です。

今どこに来ているかと云いますと南北に長いスマトラ島の南西にある小さな島ブリトゥン(Belitung)に、来ています。何がこの島にあるかと云いますと、奇岩奇石が海岸のあちこちにあるということでインドネシアでは有名な島で、テレビドラマのロケ地としてよく登場する。

今朝、03:00起きで家を出発、06:20スリウイジャヤ航空でジャカルタを出発した。この航空会社を含めて三社がジャカルタから、一日一往復あるだけです。他に場所から来るにはジャカルタ経由になります。他に選ぶことはできません。

いつもの通り、まず、タクシーを頼んだ。ホテルを探し、ブッキングをした。そのまま、西海岸のいろいろな岬へよってもらった。奇岩も良かったが、海の色の美しさが印象的だった。白い砂と雲、緑色の海と青い空。

明日は東海岸へ行く。

旅行記,たくさんの写真は後日27~28日頃ホームページに追加します。

 

島をめぐりながら感じたことは、景色がユニークでそれほど人が大勢いるわけではないので、南の島のモデル撮影には最適ではないか。近代的なものは目に入らないので邪魔な建造物はない。日本から来るにはジャカルタに一泊翌日早朝出発、二泊三日で島は十分堪能できる。写真撮影だけなら、日帰りでもOK、サンセットサンライズを撮影したいなら島で一泊だけでいい。昼過ぎのフライトでジャカルタに戻り、その日の夜のフライトで日本に戻る。出発から五日目の朝、成田に着く。バリばかり行っていないで、こんな場所も楽しむことを勧めます。旅行社の回しものではないので、純粋な印象でした。

25日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-136

斜めからインドネシアを眺めよう 136

二日目、今日が最大のハイライト、と、云っても、ゆったりと、潮の引くのを海岸で待った。刻一刻と変化する海岸の風景は時間を忘れて、半分、居眠りをしながら、満喫した。

どこか、他の旅行記に書いたこともあると思うが、このまま、永久に眠ってしまってもいいような、すいこまれるようなうとうと状態だった。インドネシア語にtermenung(物思いにふける、他人から見ると大丈夫かなと心配される状態)というのがあります。そのまま、トゥルムヌングでした。

泊まったホテル(HOTEL PONDOK IMPIAH)の前の海岸の潮が引くと見渡す限りの干潟になる。どのくらいの広さか広すぎて分からない。多くの近くの人があらわれて、潮干狩りがはじまる。日本のように入場料を取って、前に日の夕方に撒くのと違い、純粋に自然のままである。私も、皆さんと一緒に掘って、近くにいる家族つれの手伝いをした。何十年ぶりかの潮干狩りである。こしが痛くなったが、二時間ほど付き合った。あいにく、サンセットの状態は満足できなかったが、砂に隠れて息をしている三葉虫のおまけつきで、小さな男の子にあげたら大喜びではしゃぎまわっていた。

朝、二時間ほどかけて東海岸へいってみた。期待に反し、景色の奇麗なところはなかった。それでも、岩がごろごろしている海岸は多かった。海の色も西海岸ほどではなかったので、其処に止まるのは止めにして、西海岸のこの島の首都のTanjungpandanタンジュンパンダンで泊まることにしたのが正解だった。

昨日はハンドホーンの調子が悪く、コネクトできなかった。

三日目 春節 町の中心地へオジャック(バイクタクシー)で行ってみた。バロンサイに出会うことを期待しながら8:00ごろパサールに着いた。其のわきに中国寺があり、そこで始まるのかと聞いたら多分という。時間も分からない。しばらく、パサールを散策し、出ようとしたときに獅子を持った若者連中がトラックでやってきたのに出会った。08:30ごろでした。それは先ほど見た寺の境内に入っていった。私も付いていったが、竜がまだ来ていない。来なければ始まらないのは知っていたので、そのあいだに寺で中国流のお参りをした全く分からないので、そこにいる長老ふうの人に教えてくださいと頼んだら、喜んで教えてやるといってくれた。まず、ローソクと線香の大小と何やら書いてある黄色い紙十枚以上のセットを買った。いくらでも心づくしというので二万ルピア渡した。丁度いい金額だったらしい。初めに何箇所かある神様の内外の向かい側にある祠をお参りした。ローソクを二本ずつ合計五か所で十本立てる。それが悪と、今度は線香を7か所に刺すがその前で、前に掲げておき乗りをする。お王の皆さんなひざまずいてお祈るりしていたのでそれに従った。バロンサイ若者も一緒にお祈りをしていた。それが終わって、最後に外の祠の前で黄色い紙の火を着けて燃やす。それで、終わりかと思ったら、戻って寺の前の両脇に最後にお祈りをして終わりでした。順番が分からないし、何ずつ備えたらいいのか変わらないし、何やら、お酒のような油のような水のようなものをささげている人もいるし、まよったまま、あっと終わってしまったが、かなり、歩いたり座ったり立ったりして疲れてしまった。

町の人々が握手を誰彼ともなくしている。私も、多くの人に握手を求められた。

間もなく、竜のトラックが到着し、09:30に彼らの催しバロンサイ(獅と竜の舞)が始まった。15分くらいでした。外の町へ繰り出して行った。楽しい経験を始めてさせてもらった。

今は、チカランの家に戻っている。

27日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-137

斜めからインドネシアを眺めよう 137

インドネシア人と日本人とは現象のとらえ方が違うことがはっきりしている言葉がいくつかあります。

インドネシア語講座に追加しますが、考え込んでいる言葉があります。考えると眠れなくなります。jatuh (ジャトゥー)“落ちる”“倒れる”“ひっくりかえる”  tumbang(トゥンバン)“倒れる”という、似た意味の言葉が在ります。しかし、私には全く似ているとは思えない。インドネシア人はほとんどの人がjatuhしか使わない。木や人が倒れても、飛行機が墜落してもジャトゥーです。私には人が落ちたのか倒れたのか分からない。だから、どこからとか、どこでと聞かなければなりません。それで、始めて、落ちたのか倒れたのか分かります。インドネシア人はそれをどちらか分かる必要がないようです。だから何も聞きません、納得します。どちらも同じことなのです。その頭の中身が分からない。

書き言葉としては使います。トゥンバンという言葉は話し言葉として全く使いませんが、辞書で引けばあります。そして、こちらが話せば、勿論、倒れたと分かります。

インドネシア人に、どちらなのか知りたくないのか、何故区別して使わないのか、聞いても分からないといいます。だから、やはり、落ちると倒れるは、おなじなのです。あるのだから使えばいいと思うのですが・・・

 

28日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-138

斜めからインドネシアを眺めよう 138

ガルーダの日本関連機内は行きも帰りもバリ観光の関連の若者が多い。別にガルーダに限ったことではないが、機内はなぜこんなに寒いのでしょうか、乾燥しているから、20℃くらいに設定しても寒く感じるという人が多い。それなら、設定を25℃以上に上げてくれればいいと思う。昔からそう思っていた。ほとんどの乗客は寒いといっているし、熱いといっている人に会ったことがない。航空会社はアンケートなどを取っているのでしょうか。空気吹き出し口をほとんどの人が閉じる。中には閉じ方を知らない人は他人の方向に向けてしまう。

 乗客が乗る前に空気口を全開にして、機内の空気を入れ替えるのでしょうか。そのあと開いたままにしてあるからでしょうか。必ずといっていいほど皆さん閉じる作業をそれぞれします。

 ところで、バリ関連の乗客の皆さんは寒くないのでしょうか。ティシャツや短パン、中にはランニング姿、タンクトップ姿、足にはサンダル、見るからに寒そうなスタイル、バリ滞在の時と同じ状態でしょう。

 さすがに、この季節、成田に着く前か、着いてから、着替えをするようですが、成田エクスプレスのホームで先ほど機内で肌むき出しの服装をしていた一団が、全員、着ぶくれになっていて、顔だけが同じ、そういう光景はよく見かけます。滑稽な感じがします。

ちなみに、インドネシア人はいつも厚い長袖の服を着て、そのうえほっかぶりまでしているので、問題ないようです。日本人が不思議と思う光景の何番目かに入ると思います。

29日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-139

斜めからインドネシアを眺めよう 139

ガルーダの日本関連機内は行きも帰りもバリ観光の関連の若者が多い。別にガルーダに限ったことではないが、機内はなぜこんなに寒いのでしょうか、乾燥しているから、20℃くらいに設定しても寒く感じるという人が多い。それなら、設定を25℃以上に上げてくれればいいと思う。昔からそう思っていた。ほとんどの乗客は寒いといっているし、熱いといっている人に会ったことがない。航空会社はアンケートなどを取っているのでしょうか。空気吹き出し口をほとんどの人が閉じる。中には閉じ方を知らない人は他人の方向に向けてしまう。

 乗客が乗る前に空気口を全開にして、機内の空気を入れ替えるのでしょうか。そのあと開いたままにしてあるからでしょうか。必ずといっていいほど皆さん閉じる作業をそれぞれします。

 ところで、バリ関連の乗客の皆さんは寒くないのでしょうか。ティシャツや短パン、中にはランニング姿、タンクトップ姿、足にはサンダル、見るからに寒そうなスタイル、バリ滞在の時と同じ状態でしょう。

 さすがに、この季節、成田に着く前か、着いてから、着替えをするようですが、成田エクスプレスのホームで先ほど機内で肌むき出しの服装をしていた一団が、全員、着ぶくれになっていて、顔だけが同じ、そういう光景はよく見かけます。滑稽な感じがします。

ちなみに、インドネシア人はいつも厚い長袖の服を着て、そのうえほっかぶりまでしているので、問題ないようです。日本人が不思議と思う光景の何番目かに入ると思います。

 

30日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-140

斜めからインドネシアを眺めよう 140

会社での私の机は広い事務所の一角の小さな部屋(4m×6m)にあります。私以外に工場長や図面描きなど、私を含めて机が四つあります。私は外に面する窓を背中にしています。前方、5mに入り口の扉があり、常に開かれています。

エアコンは私の後ろの窓の上にあります。窓を閉めて、冷房を27℃に設定してスイングで運転していましたが、寒くて仕方がない。そこで、上向きにして前方の入口方向だけにした。今後は、入口の脇に座っている人やそこへ入ってくる人たちから、寒い,風邪をひくと言われてしまった。

今度は、エアコンを切って、後ろの窓を開けておくことにした。広い事務所はギンギンに冷房を効かせているので、冷気が入口からはいってきて、後ろの窓にぬける。程よい暖かさになって、時には風が吹き込む、心地よい状態になった。いっしょにいる人達もこのほうがいいという。エアコンは使わないエコ勤務である。

ところが、会社全体といえば、事務所、社長室は社長がいない時の方が多いが、20℃以下に設定されていて、寒くて仕方がない。

前にいた会社の事務所と現場と温度差が10℃以上あるかのように感じていたが、この会社も同じである。現場を暗くし、電気代節約といっているにもかかわらず、高い電気代のエアコンは使い放題である。自分に甘く、従業員にきびしい。自宅の電気代(エアコンの台数が多い)も会社負担です。私は、寝室にエアコン一台ありますが、寝付く前に二時間のタイマーで使っているだけで、リビングやダイニングは自然の風、利用です。

 

31日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-141

斜めからインドネシアを眺めよう 141

今、どこの会社もご存じのとおり暇です。仕事の量が劇的に減っています。どこの会社も契約社員をほとんど全部やめさせました。それでも、まだ、暇です。もっと減らした方がいいのです。資金に余裕がある体力がある会社は持ちこたえるでしょうが、どこまでもつかです。会社都合で社員に辞めてもらう場合は通常退職金の二倍以上を出すのが通例です。しかし、10年正社員を務めた人でしたら、その通常退職金が止めるときの給料の三年分くらいですから、会社都合の場合はかなりの金額になります。三万円が月給の人は100万円の倍二百万円になります。インドネシアでは一般的な家が建てられます。

何度も、書いていますが、インドネシアの労働基準法の残業代と退職金は異常です。

ですから、会社を閉じる、撤退するのも大変です。儲からないし、意味がなくなったので畳んでしまおうと思っても、まず、退職金を準備できるかどうか考えなければなりません。畳むなら早い方がいいのですが、退職金を払えなくて、なかなか、クローズに踏みきれないうちに、どんどん退職金がかさんでいってしまいます。

韓国系の企業は、夜逃げをしてしまうそうです。突然、何もかもほっぽり出して、帰国してしまうのです。

今、身売りかクローズか、とにかく、インドネシアから撤退したがっている会社がいくつかあります。この不景気の時、買ってくれて引き継いでくれる会社を見てけるのは大変ですが、もし、うまい具合に見つかれば条件が悪くても売ってしまったほうがいいと思う。 それでも、従業員には退職金を二倍払わなければなりませんが、働く場所をそのまま残してあげられるということは、退職金の交渉で、会社に有利な条件になります。

 私は、先ほど、4月までの日程を決めた。それに従って行動する。

1日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-142

斜めからインドネシアを眺めよう 142

何かの記念日である。忘れたら怒られる。

昨日朝、チビトゥンのPT.Mで新しい設備の導入についてと、新しい仕事の獲得についてのミーティングを行った。工場は狭いが、テンポラリーでも、とにかく行く末を早く確保してやらなければならない。

現在、120ルピア、一円 98年当時150ルピア一円に次ぐ円の強さです。其のおかげで、装置類を安く手配できる。

起業をするには今が最大のチャンスである。客先は仕事が減っているので、その中で、できるだけ購入費を抑えたい、しかし、現在の購入先には購入量が減っているのに値下げは言いにくい。そこで、今より若干安い売り値を呈示すれば飛びついてくる。起業ですから、もともと何もないわけですから、断られてもともとです。食いついてくれば儲けものです。受注量は半減しているので、生産能力の半分でいい。それだけ、多くの客先を増やすことができる。従業員もできたばかりの会社を自分達で大きくしてやろうとう考えになるし、待遇もできたばかりの会社だから、少しぐらい悪くても納得ずくになりやすい。

しかし、起業でなく、まったく業種を変えるということは難しい。今まで、背負ってきたもののしがらみがあるからで、そういう考えの経営者は一度、その会社は潰してしまったほうがいい。その方が新たに起業しやすい。

来週中に客先に見積もりを提出しだす。

 他で、やることがあって、今週と来週はゴルフ無である。

2月2日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-143

斜めからインドネシアを眺めよう 143

ジャバベカのゴルフ場のレストランで、賑やかにパーティーをやっていた。見ると、金色の椅子に座った老人夫婦が仲良く三角帽をかぶって座っていた。何のパーティーかと聞いたら、結婚50年のお祝いだという。一緒に食事をしていきませんかと言われた。

かなり盛大だった。一族郎党孫、ひ孫まで集まって100人くらいいたと思う。とにかく最低でも5人、多ければ十何人も子供がいる世代だし、その子供の世代もそのくらいの子供がいる。子供より孫の方が、年が上ということは珍しくない。女性は15-6歳で結婚し、一年おきに10人子供を産めば、まだ35-6歳である。まだ、子供は産める。だから、40歳ぐらいが最終なら、12人は十分可能である。その最終の前に、孫が何人かできている。

 ネズミ算ではないが2人から10人生まれて12人、10人が結婚して20人からそれぞれ10人生まれれば孫までの総人数が122人になる。半分にしてもひ孫まで入れれば、簡単に100人は超える。現代は都会ほど子供が少なく、5人兄弟などはほとんど見なくなっているし、結婚年齢も25歳以上になっているので、今後はこんなことはない。

男性の平均寿命が70に達していないインドネシアですから、大変珍しいことで、金婚式は大変おめでたいことのようです。自慢していいことで、身内が盛大なお披露目をする気持ちも分かります。

その夫婦、私には100才くらいに見えた。こちらの人は日本人より、はるかに年をとって見える。

 パンガンダランのジャングルで、頑張っているおじいさんを見て、何才ですかと、聞いたら、私より10歳も若かった。

 

2月3日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-144

斜めからインドネシアを眺めよう 144

相変わらずの大雨の毎日です。洪水やがけ崩れインドネシア中、どこでも最盛期です。ジョクジャカルタ(中部ジャワ)の付近でも連日起きています。私のウェブサイトにもある、パラントゥリティスという有名な海岸で突風による高波で多くの人が犠牲になっています。こちらの人は泳げないが、海岸での水遊びは大好きです。遊泳する人はいないので遊泳禁止の区域はありません。遊泳禁止の波の条件もありません。この海岸にはライフガードはいません。

また、日本人の年配者には有名なジャワ島の大河ブンガワンソロ、日本語の歌詞にはありませんが、インドネシア語の歌詞には雨季には水が溢れだし、見渡す限り水につかる、というのがあります。今はその歌詞の通り、大氾濫になっていて、大きな被害を出しています。日本語の歌詞は全く現地の歌詞と違います。

全く関係なく作詞したものだと思います。作詞者は多分現地へ行っていないと思います。歌詞と現状は全く違っています。南国の理想郷として作ったと思いますが、現実は、乾季と雨季、どちらも厄介者、雨季は洪水、乾季は干上がって、農業ができない。流域の人々はこの大河にはやっかいな暴れ娘の神が住んでいて、彼女の気まぐれに悩まされている様子を歌詞にしたように私は思う。

 インドネシアではもはやすたれてしまっているように思われるが、日本の民謡に近いと思うクロンチョンという独特の歌い回しで歌われる。ジョクジャ付近をテーマにした歌詞が多いことから、発祥の地だと思う。

2月4日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-145

斜めからインドネシアを眺めよう 145

 高速道路の両脇に壁も無ければ鉄条網もないので、自由に人や動物が侵入出来るし、横断もできる。その代わりといっては何ですが、くぐるトンネルや上を横断する橋も非常に少ない。ほとんどないといってもいい。

 ですから、路肩を人が歩いているし、横断しようと構えているし、中央まで来て反対車線の車の間隔が開くのを待っている人もいる。

 どこでもバスは止まってくれる。次のインターチェンジまで行く必要はない、家が近いところで頼めば止まってくれる。また、路肩で待っていて、タクシーを止めるように手を挙げれば、何処でも止まって、乗せてくれる。大変便利である。日本ではこんなことは考えられないが、本当です。

一般の車もそうします。私も人をとちゅうで下ろす時は路肩や陸橋に下で止めて下ろします。ジャカルタの市内の場合は、出口のそばで止めて下ろします。出てしまう必要はありません。バスもコアシもそうしています。

当然、出入り自由ですから、もの売りも出てきます。路肩の故障車避難レーンには時期の野菜や果物を地べたに置いて売っています。

渋滞になれば、いずこから出てきたのか、近くに全く言えば見えないのに、水やたばこや果物やタフを売りに現れて、車の間を縫って歩いています。

料金支払い所の車列にはそういうもの売りはいつでもいます。時間によって、朝食のお粥やあったかいお茶も売っています。

2月5日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-146

斜めからインドネシアを眺めよう 146

様子がおかしい人のことをギラと云います。口に表さない時は人差し指一本をおでこに斜めに当てます。対象の人に見えないように意志表示します。

精神病院(日本では今もこういうのでしょうか)のことをルマー サキット ジワと云います。昨日の高速道路の話から、路肩をこのギラさんが歩いているのをよく見かけます。何処から来て、どこへ行くのでしょうか、ついていったことがないので分かりません。付いていったら、ことらがギラです。日本では全くいませんから、ちょっとびっくりします。真っ裸の女性もいます。

信号や渋滞する交差点には今でも、物乞いが車の窓に寄ってきて手を差し出します。歩けない人、目が見えなくて、子供がひっぱっている人、親がいない子ども達、中には何の障害があるか分からない人、お釜さん、ギターを抱えてじゃんじゃんやっている人、シンバルを鳴らしてくる人、自分製の小さいシンバルおもちゃを鳴らす子ども、これらの人たちを、ランプ メラー(交通信号)エンタテーナーと云います。

私はこういう人たちにお金は上げないことにしています。政府が保護すべきものでその場その場の気分でやるものではないと思う。首や手を横に振るのではなく、片手で押し返すようにします。それが、断る時のサインです。人から何か差し出された時も、いらないと断る方法も同じです。首や手を横に振るより私は柔らかい断り方でいいと思います。ただし、有り、なし、の問い合わせになしと、否定の場合は首を振ります。

2月6日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-147

斜めからインドネシアを眺めよう 147

私は今日でPT.AFという会社を辞めました。突然ですが、必然でした。全く、経営理念が違っていた上に、従業員を怒鳴り散らす。私自身も身の危険を感じるくらいだった。仕事嫌いの経営者の手伝いは御免こうむる。私の大間違いでした。この会社に成形装置の移転を仲介したことが一番の間違いでした。

多くのお客様と従業員に迷惑をかける結果になってしまいました。大変、申し訳ないと思っていますから、それを挽回するために、もう、一働きも、二働きもしなければなりません。月曜日から帰国の手続きをして、3月中旬には一時帰国し、しばらく日本にいて、三月初めにはまた、インドネシアへ戻ります。大変、忙しくなります。

秘密を漏らしたという理由で首にしたとのFAXが関係会社に配布されたようですが、問い合わせが殺到しました。何が秘密だったの?PT.A社に秘密などない。ある秘密は経営者個人の秘密だけである。しかし、そのことも、公知で、私が確認されることが多い。“こういう人だってね“と。前の会社の時もそうだった。私のところへ個人の情報が入ってくるのは最後だったし、その時は、太田さん知らなかったの?と、言われた。

会社を辞めてしまって、今度は自分の自由になる会社に手を貸すので、多くのことができると思う。

2月7日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-148

斜めからインドネシアを眺めよう 148

次の会社の名前と電話番号と携帯電話番号とメールアドレスはホームページ

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/の表紙に載せてあります。

仕事はできないので会社へ行くことはできません。何かの連絡は携帯にどうぞ。

元の会社から、労働許可を取り消すためにパスポートとKITAS(身分証明書のようなもの)を取り上げられました。月曜日に他の手帳や携帯電話のチップなどを変換しにゆきます。給料の生産は私に掛けた費用を相殺されて、後で、私の銀行口座に振り込まれることになるでしょう。一年半前に入った家は空っぽで何もなかったので、会社が気を利かせて買ってくれたと思っていた冷蔵庫や洗濯機、ベッド二台や中古のテレビや応接セットなど、その時も中古だったものが多かったが、新品を買った時の金額で請求しろと言われたと総務の人間が云っていた。合計で当時のレートでは10万円以上になる。私の給料が、14万円(住宅は二年分私自身が前払いしてあった、車も自分で買ったもの、もし会社から借りているものだったら、家から追い出され、車も取り上げられ、電話も取り上げられて、身動きできなくさせられる、そういう人を何人も知っている)位だから、給料の三分の二を超える金額を請求してきたのです。PT,A社は貯えが全くない上に、経済危機で受注が、がた落ち、入金がとどこうると社員の給料を払えない状態、本社も見放している。気の毒なので、それで手を打った。

月曜日からフリーですが、装置を設置しようとしている会社で仕事はできません。もし、監視されて、密告されたりすると、イミグレに捕まってしまう。私自身も罰金になるが、新しい会社の責任者も罰せられる。そういう危険を感じるくらいに、今までの会社のトップは小心でプッツンさんだ。工場に監視カメラを30台もつけているので、ヒステリックになっている、それでも無くなる金型があるという、面白くて笑ってしまう。笑うと、また、プッツンして怒る。

インドネシア従業員はそれに感化されて、怒りっぽい人ほど、地位が高く優遇されている。トップのお気に入りになろうと部下に対し怒りっぽくなる。

2月8日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-149

斜めからインドネシアを眺めよう 149

現在持っている労働ビザは仕事をする会社からの保障状というか招請状(インビテーションレター)があって、成り立っているので、その招請状を取り消されれば自動的にビザは無効になり、二週間以内に国外に出なければならない。仕事をする会社が変わる場合は変わる会社の招請状に元ついて申請し直しになる。そして、それはインドネシア国外にあるインドネシア大使館に申請し、受け取りに外国に出なければならない。

今回、二週間以内に申請が完了するとは思えないので、日本へ帰ることになる。そして、日本で受け取ることになる。そうすることができれば、航空運賃を節約できる。

日本へ出る時にいつものように往復で買って、ビザを収得出ればそのまま使えるが、ビザがないと、インドネシアへの片道切符は捨てる。改めて、日本で往復の航空券を買わなければならない上に、ビザをシンガポールで取るためにシンガポールへ出なければならない。そして、日本でかった日本へ帰る片道切符は捨てなければならない。

そこを、うまくやれるかやれないかは、インドネシアの友人たちの手腕次第である。手際よくやってくれるかどうかにかかっている。

フリーになって日本でやるべきことがもうひとつあるが、それは、一番、安易な方法を選択することになるし、人を頼ることになるので、迷っていることである。

2月9日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-150

斜めからインドネシアを眺めよう 150

このところの私の行動は、インドネシアで仕事をしている人、これからしようとしている人に大変参考になると思います。

住む場所や車は自分のものなので、何も不安は無いし、心配ごともない。これが、一般の日本人が私のように会社をクビになってしまったら、多分、途方に暮れてしまうでしょう。日本でも契約を破棄され住む場所から出ていかなければならない人が多いと聞いている。外国で、どうしたって、どなたかにお手伝いを頼むしかないでしょう。

会社から借りているものはすべて返してしまいましたが、ハンドホーンも返しました。携帯電話もその日のうちに新しくハローに申請し、手に入れた。新しい電話番号は、ホームページやメールを通して皆さんにお知らせした。メールアドレスも日本のものがあるので、そのままアクセスしてもらえるし、3Gの携帯(中古で1.2ジュタ、一万円)を買ってTELKOMSEL FLASHにつないだので、インターネットやメールもできる。勿論、ブログやホームページの更新もいつでもできる。

困ることは何もない。特にすぐ必要なのは背景が赤の証明用写真である。ネガを預けてあるので、それをはじめ、次のビザ申請に必要な、いくつかの書類をA社から返してもらった。私の方からは、ブクビルや警察に届けてあるカードなどを変換した。三日くらい後に、ビザが取り消されて、何日後までにはインドネシアから出なさいということが書かれたパスートが手元に戻ってくるはずです。木曜日12日と予定している。

再収得に必要な書類を渡せば、期間内に出国します。が、その間がもったいないので、インドネシアのどこかを旅行します。

2月10日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-151

斜めからインドネシアを眺めよう 151

英文で大学の卒業証明書や履歴書、日本の会社(太田化工)から身分証明書やパスポートのコピーなど、私から必要な書類はすべて渡したので、新しく私を招請する会社関係の書類がエイジェントに今日中にとどけられれば、シンガポール一日往復でVISAは取れる。

今日中に間にあわない時には、必要書類を整えて、日本のインドネシア大使館に申請し、二三日後にVISAを受け取れる。日本の場合は東京日帰りというわけにはいかないので、二往復しなければならない。ぜひ、シンガポールで済ませたい。

いずれにしても、22日から23日にかけて、今後のインドネシアの押出成形統一について重要な打ち合わせをするために日本へ帰らなければならない。

また、ありがたいことに、あるインドネシアにある会社から、もし、日本に帰ってしまうのなら、ぜひ、手伝ってほしいと声をかけられた。大変ありがたいことでした。感激です。

21日に幹事になっているゴルフの会を急遽欠席させていただかなければならないので、トロフィーといくらかの補助金を迷惑料として寄付をさせて頂いた。

いつでも分からないことがあったら聞きなさいと云ってあったので、辞めたA社の従業員から、早速、技術的な質問の電話が入った。K社もそうだったが、A社も禁止しても、誰も止められないし、多くの従業員から現状の報告が入る。

PT.MUからの書類が届けられたそうで、出国期限まえに、シンガポールでビザを収得できることになった。シンガポール経由で帰国、入国することも方法の一つになった。

2月11日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-152

斜めからインドネシアを眺めよう 152

仕事をしているなら全く出かけることがないブカシの町へ本当に久しぶりに行った。10年以上前にはジャカルタに日本人はほとんど住んでいて、東はブカシまでが殆ど限界だった。現在はチカランまでに伸びている。私はチカランより西なので、まだ、ほとんど日本人はいない。

ブカシはブカシバラットに中心的町が多い。日本人が住むホテルやコンドミニアムもバラットにある。夜のジャカルタが好きな人は近いので便利だが、ジャカルタへ通勤する人にとっては往復とも大渋滞になりやすいので不便だと思う。町は混雑度が近隣では最悪です。また、盗難が一番多い場所とも聞いている。

地方から職を求めてやってきた若者が多く住んでいる町でもある。仕事に就けない連中があてもなくふらついている町である。活気はあるが臭くて汚れた町でもある。

なんのために行ったかというと、テルコムセルフラッシュのパケット(例えば40時間一か月20万ルピアなど、)を申請のためだった。本当はインターネットを通して出来るのだが、電話番号の持ち主名義が私ではないので、できなかった。パケットでなければちょっと割高になるが通信はできる。別にこのことで困ることはない。

その他、家の電気、水、インドビジョン(海外放送を受信できるシステム)ホームテレホンの費用は自分で払っていたので、問題ないと思っていたら、どっこい、インドビジョンは会社が保証人になっていて、保証人取り消しの手続きを黙ってしてしまったので、突然、昨日の夜から、テレビを見ることができなくなった。会社に何の害も負担でもないのでそのままにしておけばいいのに、ほとんど嫌がらせである。インドビジョンに電話し、インターネットで登録をし、契約の変更をし、24時間後には受信できるようになった。いやがらせもあまり有効ではない。

 

2月12日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-153

斜めからインドネシアを眺めよう 153

押出機の輸入がいつになるか目途がたたないので、こちらで手配をしてしまうこととした。巻取り機や水槽、引取機など注文はしてあって、プロセス中ですが、乾燥機と押出機も此方で入手するために前払い金を支払った。来月10日前には届けられる約束だが、そのようになってほしい。

原料も手配を始めた。特殊な輸入原料なので、早めに注文しておかなければならない。それに、初取引なので全て、注文と前後して代金を前払いしなければならない。後払いは認められない。振込が当たり前である。

パスポートを受け取った。9日にキャンセルの申請だったので、22日までに出国すればいいことになった。若干、費用はかかるが、チケットを捨てることを考えれば安くつく。おかげで、大特急でビザの申請をしてもらって、19日夕方にエアーチケットや写真など必要品を受け取り、20日にシンガポールでビザを受け取ることができるようになった。そのまま、日本へ帰る。このように、今後のスケジュールがはっきりしたので、16~19日の間 どこかへでかける余裕ができた。

インドネシアへ再入国するのは27~28日頃にしようかと思う。インドネシアで楽しく暮らすシリーズをまだまだ、続けることができます。

 

2月13日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-154

斜めからインドネシアを眺めよう 154

長くなるので、昨日書かなかったが、テレビ、インドビジョンのことで、終わったと思ったらまだあった。パスポートを返してもらいに行った時、経理の責任者が気の毒そうに私に請求書を出してきた。これだけ請求しなさいと言われたのでしょう。本当に申し訳なさそうでした。

私が、一年半前に入居した時に気を聞かせていただいて購入してもらった品々、ベッドなどを中古価格でなくて買った時の価格で請求してきたので、かわいそうに思って、そのままのんだ。しかし、それでは終わらなかった。今度は、私が入社する前何年も前に購入して前任者や会社や本人が使っていて、古くなったので私が使うようにと頂いたと思っていた品物、その代わり自分や会社には新しく買った。テレビやソファーなども買った時の価格を、何年も前の伝票をチェックして新品として請求してきた。

これには、あきれて、笑ってしまった。それほどお金に困っているのでしょう。一ルピアでも払いたくないのでしょう。結局、たた、会社に一年近く前に必要ないと返却したテーブルと椅子のセットだけは外してもらって、それで、経理も間に入って怒鳴られても気の毒なので、OKした。もう、かわいそうと思うしかない。憐れみを感じる。怒るというより、唯、あきれてしまう。小泉さん発言と同じ感想です。

インドネシアに限らず、経営が難しくなっている会社の、雇われ社長さんや公務員の長期滞在者は、そんなに困っているなら、自分の家の調度品は会社や国の所有になっているだろうから、私と同じように、購入した時の価格で買いあげたらいいと思います。

また、そんなことはないでしょうが、もし、ゴルフや~さんと一緒に高級料理を食べた費用やカラオケやアルコール類の飲み食いをした費用などを会社や国の経費にしているなら、それを止めたらどうでしょうか。何年か前の分までかえしたらなお世の中のためになると思います。

私は40年以上交際費や接待費を会社経費にしたことはありません。絶対に自己負担です。自己中は止めましょう。経費で落とすから、私が払っておくよと、言われても、絶対に断っていました。

全然、別の話です。ここで、日本の若者に提案です。人材募集です。インドネシアで私の技術を引き継ぎませんか、私がしていることはホームページ

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

で紹介していますから確認してください。条件は理工系(機械電気)卒業で、機械いじりが好きな人、何かスポーツで特技がある人、性格は温厚な人。自己中でない人、私の生き方に賛同する人。積極的で杭は出すぎる方がいい。一人だけです。インドネシアにすでにいる人でもいいです。インドネシア語は知らなくていい。

興味がある人はメールで問い合わせください。

2月14日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-155

斜めからインドネシアを眺めよう 155

バレンタインデー、インドネシアのイスラム教徒も恋人に送りものをします。テレビでも大々的にコマーシャルが入ります。私も義理チョコを二か所でもらいました。

話題を変えて、“ヤ“の一言はインドネシアの“はい“です。こちらの人たちは日本人を表現する方法で一番簡単な方法は、うなずきながら、”はい“”はい“を連呼します。それが日本人です。テレビコマーシャルでもコメディ番組でも頻繁に使われます。いっしょに同じ番組を見ているとインドネシア人は喜んで、必ず私の方を向きます。

態度で表わす時は、これは日本と同じでうなずきます。日本人だけでしょうか、否定文で聞かれたとき、たとえば、有りませんか?と聞かれたとき、ない場合は、ハイ、ありません、と答えますが、インドネシアではイイエ,有りません、お答えます。

無いですか?と聞いくと、ない場合は首を振られます。ちょっと、あるのかないのか迷いますが、無いのだなと納得します。

行きますか、行きませんかとどちらで聞いても。行かないときにはどちらも否定されます。日本人には分かりにくい。

ちなみに、イヤと答えると否定です。ハッキリしないと、ヤかイヤかどっちなの、はききりして、と、言われます。面倒くさいから、日本語で“いやなものはいやだよ”と答えて煙に巻いてやります。

 全然、別の話です。ここで、日本の若者に提案です。人材募集です。インドネシアで私の技術を引き継ぎませんか、私がしていることはホームページ

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

で紹介していますから確認してください。条件は理工系(機械電気)卒業で、機械いじりが好きな人、何かスポーツで特技がある人、性格は温厚な人。自己中でない人、私の生き方に賛同する人。積極的で杭は出すぎる方がいい。一人だけです。インドネシアにすでにいる人でもいいです。インドネシア語は知らなくていい。

興味がある人はメールで問い合わせください。

 

2月15日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-156

斜めからインドネシアを眺めよう 156

 二日ゴルフを楽しんだ。友、日本より来る。インドネシアで知り合って、仕事を一緒にさせてもらったが、世話好きの人で、バリやジョクジャでのゴルフを楽しむ幹事をやってくれた。また、パンガンダランへは二回一緒に出かけている。今は、日本の会社で取締役をしていて、中国やインドネシアの工場へ出張する機会がおおいとか。受注状況は中国は70%減、インドネシアは30%減だそうで、大変らしい。

 すでに5年以上前に、帰国したが、今でも、インドネシアへ出張で来ると、私に声をかけてくれて、一緒に食事をする。今回は私の電話番号が変わっていて、日が浅いので、何度も以前の電話番号に電話したがでなかったので日本へ帰ってしまったのかと、思っていたらしいが、たまたま、出張してきた会社の人たちとゴルフをしているのに出会った。新しい電話番号を教え、その日の夜、食事を一緒にした。

技術を持っていれば、あたらしい業種を起こすことは、今が大チャンスである。設備は安くできるし、仕事はゼロからプラス方向だけである。マイナスはない。それに、各社の発注量が少ないので、客先や品種を多く引き受けやすい。景気や良くなれば、仕事の増え具合に合わせて、設備や人を増やしやすい。という話をしたところ、彼も、私に、インドネシアの彼の会社でプラスチックの押出成形をやってほしいと言っていた。

 目的は一つだが、優先順位があるので、順位が低いことを話し、ウエーティングリストに入れた。どう転んでも、当分の間、インドネシアのプラスチック押出成形は私一人で支えなければならないことを認識せざるを得ない。

 

2月16日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-157

斜めからインドネシアを眺めよう 157

インドネシアにふさわしい話、最近のニュースです。ジュンバンという東ジャワの田舎町で、多分三四歳だと思うが、男の子が水に瞬間、手を入れると、その水が万病に効く薬になるという評判がたった。信じた人たちが押し掛けた。皆さん、どこで汲んできたのでしょうか、片手で握れるようなビンに、水を入れて行列している。大人に抱かれた男の子が、次々と差し出された瓶に瞬間手を入れているというより、大人がその子の腕を持って、上下させている。

 列は、5km以上に及び、病気にかかった子供を連れてきて何時間も待っていてその最中に四人の子供が死んでしまった。三日ほど、その状態が続き、やっと、警察が行列を解散させ、その子供をどこかへ連れて行ってしまった。その後も、何人かの人たちが、遠くからやってきたといって、子供が現れるのを待っている。話によると、雷に打たれたが無事だった、その時、黄色い石を握っていた。その石を握っていた手が薬にするらしい。

もうひとつ、ボゴールのある家の話。インドネシアの家の床はほとんど30cm四方のタイルが敷き詰められている、ということはすでに紹介したが、その家のほんの一部30cm×1mくらいの面積がどうも50℃くらいの温度になっているらしい。タイルと関係ないことは斜めになっているので分かる。其処の下に何か熱源があるのですが、その家に人は確認しようとはしない、そして、これもその上に寝たり座ったり、患部をつけたりしておくと、今まで治らなかった症状が消えてしまうといっている。

何時間もその場所にいなければならないので、親戚や親しい友人しか家に入れない。様子を知ってか、そこへも、評判を聞いて、何人も来ているが、行列ができてはいない。

 

2月18日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-158

斜めからインドネシアを眺めよう 158

HPの電波が届かないところへ行っていた。パンガンダランだったが、泊まったホテルの場所が悪かったようだ。密林の半島の近くのNyiur indahというホテルで昨晩は送信ができなかった。

昨日、今日は何の予定もなく、書類や電話待ちなので、旅に出た。一年ぶりのパンガンダランだったが、平日というのは多分初めてだったと思いう。ガラガラだった。広い海岸が一層ひろく感じられた。しかし、初めて泊ってみたこのホテルは欧米人のツアー客が多く、空きが三部屋しか残っていなかった。多分、バリスタイルなので、欧米におおく紹介されているのでしょう。価格の割に泊まり心地はよかった。西海岸のチャガールアラム入口駐車場の近くだった。

ところで、07:00に家を出て、13:00にはパンガンダランへ着いたが、タシクのバイパスに入る前にブレーキをかける度にがたがたと車が揺れ、ハンドルがバイブレーターになった、それでも走っていたら、チアミスへ入ってブレーキの効きが悪くなってしまい、サイドブレーキを使わなければ止まらない状態になってしまった。道端で、車の修理屋の場所を聞いて、目的地までの道からそれて、そろそろと走りながらたどりついた。ブレーキオイルが漏れて、空に近くなっていた。直ぐに分解してくれて漏れているゴムパッキンにテフロンテープ巻いてくれて、再セットしてくれた。30分くらいで治った。5万Rpだったが、7万Rp(500円)置いてきた。危なかった。助かった。

途中で給油しブレーキオイルを追加し、それでも6時間しかかからなかった。昔、13時間14時間かけていたことを思うとウソのようである。

道中でエイジェントから電話が入りシンガポールでVISAを受け取る手続きが完了したことを知らされた。20日シンガポール経由で、21日に日本到着が確定した。

2月19日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-159

斜めからインドネシアを眺めよう 159

これは最近のニュースではなく日常的なニュースである。学校でキツネツキというのでしょうか、私のパニック障害の症状に様な、意識が飛んでしまって、体を押さえられないほど暴れまわる。気絶ではなく、意味のないことを叫んだり、羞恥心もすっ飛んで手足を動かし続ける。そういう生徒がときどき報道される。決まって女の子、それにひとりでなく、数人である。十人以上ということはない。

何年も前からそういうことはあった。その後彼女たちがどうして治ったかの報道はない。

会社でも、そういうことが起きるらしい。パニックにならないにしても、お化けが出るという話はよく聞く。それが、仕事にまで影響するようになれば問題なので、祈祷師に来てもらって、何やらお祓いをしてもらう。祈祷師と従業員の大部分を集め、一緒に食事をする。奇妙なことに、そうすると、何事もなくなる。二回三回と繰り返す会社は全くない。必ず、一回の祈祷で完全にお化けは消えてしまうらしい。

気絶をしやすいというか、癖になっているというか、厄介な女の子がいて、病院へ連れて行ったことがある。検査の結果、異常値はない。私のパニック障害のようなものだ。医者に親や私が呼ばれ話を聞いたところ、どこどこのモスレムにいる何という祈祷師にお祓いをしてもらった方がいいと言っていた。

親は信じて、納得していた。次の日に親が退院させて、どこか知らないが、医者から聞いたモスレムにつれていったらしい。しばらく、どうなったか便りがなかった。

二週間ほどして、彼女から電話が入った。その祈祷師に汚いカマールマンディ付きの部屋に閉じもめられ、外に出してもらえず、自分で何がいけないのか考えろと言われたそうだ、食事を持ってくる人がカギをかけるのを忘れたときそこから逃げだしてきたと言っていた。親にもその事は話していない。話すと、戻されてしまう。

 

2月21日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-160

斜めからインドネシアを眺めよう 160

20日朝インドネシアからでました。そして、シンガポールで労働ビザを入手した。私のホームページに2007年11月に入手した時の状況を紹介してある。

今回は超特急だった。というのもビザを取り消された日からその日と出発日を含めて、14日以内にインドネシアから出なければならないからです。9日に取り消しに必要なパスポートなどを渡し、終わって木曜日12日にパスポートが戻ってきたと同時に私のビザ申請に必要な書類を全部かえしってもらった。その足でエイジェントへ行きビザの申請を頼んだ。PT.MAKUTAからの書類は13日金曜日に全部エイジェントに届けた。15日月曜日に申請して、17日にはイムグレからのOKが出たと知らされた。18日には、シンガポールへ行けば取れることになった。しかし、私は旅先だったので、戻った19日にエイジェントから写真など必要書類を受け取り、シンガポール経由成田行きのチケットをインドネシア戻りも含めて入手した。

20日朝3時に家を出て、6:15発で8:3着チャンギ。オーチャードの高島屋前のパークホテルのロビーで待っていたエイジェントにパスポートと写真と委任状を渡して外に出た。7時間の時間つぶし(この内容はせっかくですから旅行記に紹介します)、17:00にパークホテルに戻って、ビザを張ったポスポートを受け取って終わり、成田への出発は23:45なのでまた、7時間つぶしは空港内でコンピューターいじりと食事、居眠りでした。

普通なら、一か月かかる手続きをたったの三日でやってしまった。もう、何年もお付き合いしているエイジェントなので、積極的に応援してくれたし、何といっても、辞めた会社の社長さんの意向を聞かないで、自分の判断で辞めた日を三日伸ばして申請し、次の申請に必要な私の書類と写真のネガをそろえて準備しておいてくれた。インドネシア人担当者に感謝です。経営者にお伺いを立てればこうは絶対行かなかったでしょう。今日昼には静岡の家に落ち着いた。

 

2月22日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-161

斜めからインドネシアを眺めよう 161

この寒い日本の山の中でゴルフ。鼻水たらしのゴルフでした。インドネシアに戻って、3月14.15とゴルフの予定が入っている、その前の6.7.8日はスンバ島へ行く予定だ。この間にも工場に新設備が納入されるし、試作も始まる。

この不景気な時、経営側も2,3割、自ら報酬カットをしている。

この時代、本当にもしこういうワンマン経営者がいたらすごいなと思う話。本社の方も監査しないのがすごいなと思う。前妻(正式離婚はしていない)との間に子供の養育費や現在の奥さんとの二重結婚などで、裁判沙汰になっている、もう、二年以上争っている。日本人ということで、けた外れのかなりの金額を前妻やら警察やら裁判所から要求され、全額でないにしても二千万円以上は払っている。養育費は、子供に会わせないからといって、今まで払っていた毎月10万円をうちきってしまって、これも裁判になっている。奥さんや奥さんのお父さんまで訴えられている。

以上のことは置いておき、前妻にバックにはマフィアが見え隠れしていることを感じて、奥さんにボディガードを会社で雇って住みこませている。それが、面白い、奥さんの弟がボディガードである。体が小さく、私が体当たりをすれば軽くすっ飛んでしまいそう。とてもボディガードには見えない。イヌを二匹飼っていてその散歩をさせる仕事が日常の仕事になっている。給料も一般従業員の倍だとか、また、奥さんに新車を買い替えた。これも会社の所有と聞いている。ゴルフのプレー費やキャディーへのチップ、奥さんと日本食レストランで良く食事をする、自分はお酒が大好きで量は並ではない。すべて、接待費で会社持ちにする。

従業員には車のエンジン回転を3000以上にしてはならないと言明しているが、実際には従業員は無視している。タコグラフでも付けなければチェックしようがない。

工場の中は照明を極端に暗くし、仕事をしにくくし、すべて立ち仕事をさせ、装置は博物館入りのようなものをずっと使わせている。奥さんに車を買ってやるなら新しい装置を入れたらどうなのと思うが、ご本人、お金の使い方が変だと思わない。経理の人が良く止める。お金の使い方に疑問を感じるのです。そうして、意見を言うとすぐ辞めさせられる。

こういう経営者はいないと思います。

 

2月23日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-162

斜めからインドネシアを眺めよう 162

S社のN氏と、インドネシアのプラスチック押出成形の将来について話し合った。それぞれの社内の製品の部品を作っている会社以外の押出成形品については、すべて、やってしまうつもりで、営業と並行して設備を必要に合せて増強する。PT.MAKUTAの営業の手伝いはしないが、其処の仕事は横取りしないこととする。

インドネシアへ行ってから、準備を始めます。私の考えでは6月には5ラインをフル運転させるつもりです。私が普通に営業すれば、十分可能です。並行して、インドネシアメイドの装置を入れます。そのころにはB社から、もとJ社の社員は全員私のもとに集合するでしょう。

その他の話の結果や内容についてはまだ明らかにできない。

私の方は、事務方の作業速度に合わせて、行動を共にする時期がはっきりしてきますが、私の方から催促や問い合わせをしない。

私は、客先の期待にこたえるようタンタンとインドネシアで自分がやるべきことをやる。2日から、誰からも咎められることなく、出社して準備をすることができる。堂々と、名刺を持って、客先廻りの説明ができるので、挨拶に出かけることにする。

個別にはN社とM社への仕事の振り分け方についてお話しすることになる。

日本は本当に暗いですね。今日は雨が降っていることもあって、なお暗く感じる。その点、私は、忙しくなるばかりです。ゼロからプラスにするばかりです。

 

2月24日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-163

斜めからインドネシアを眺めよう 163

 J社は二年ほど前から、閉鎖を決定していたという話を聞いて、私がもっと早くその情報を得ていれば、他にやりようがあったと思うが、こればかりは仕方がないことである。ですから、S社がJ社を引き継ぐ話を持って行った時には、私の仲介はJ社にとってありがたい話だったことになる。J社はS社の決定の返事待ちで、今月中に返事は購入とされます。J社関係者が全くいなくなってそこへS社の人間が乗りこむでしょう。

 J社は、3月一杯で、閉鎖を決定しているが、従業員の解雇金を支払って、全員を出してしまって、初めて、購入先に引き渡すことができるので、S社が入るのは多分、4月中旬から5月初めの間になることでしょう。

既に、J社からは廃棄物が大量に出されているので、従業員の中にそれらを家に持って帰ったり、家の近くの小屋に保管したりし始めている。将来、お金に換えられることを期待している。中には、土曜日など日本人が会社にいない時に、廃棄目的で集められているものをトラックで行って持ってきてしまうものもいる。守衛も見ていない。無くなってしまう物を、投げやりになった日本人は見ていないことも彼らは知っている。三年前ほどに営業しないで、ISOだ5Sだと、むきになっていた経営陣は、一体何だったのでしょうか。滑稽である。私がいたころはISOなど取っていなかったが、客先からは品質、納期、数量で、毎年表彰されていた。

閉じてしまう会社は、こんなものかと思う。禿げたかが群がって、実がなくなってしまった骨をつっついて、かすかな肉でも持っていこうとしている。

J社の日本人二人は居ても役に立たないので、帰国の準備を始めている。彼らの行動は遅いので、準備を今始めても出国は3月末になるでしょう。その前に、手切れ金で妥協ができるでしょうか。

 

2月25日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-164

斜めからインドネシアを眺めよう 164

残念ながら、来日二日目にして、見事に、花粉症の症状が発生した。この時期に日本にいるのは15年ぶりです。この間、日本に住んでいた二年の時は日本から脱出していた。今回、初日に歯医者から、「自分は花粉症になって20年以上だ。太田さんは花粉症はどうですか」と聞かれ、「名前がなかった小学生の頃から花粉症だった」、と、話した。「今朝、着いたばかりなので、まだ、症状が出ていない」と話した。

二日目、杉の木の林の中でゴルフ。もう、すぐ近くに大量な花粉症の原因があるのですから、アレルギーかどうかのチェックをする場になってしまった。また、S会長も花粉症で、クシュンクシュンしていた。

その日の帰りの車の運転をしながら、鼻がむずむずしてきて、ついに、くしゃみがでてしまった。花粉症発生になった瞬間でした。静岡に着いて一日半でした。

三日目のN社とO社訪問のときには、もう、チュッシュペーパーを離せなかった。夕方家に戻ったころには、鼻の両側が痛くなってきた。

次第しだいに、ひどくなるばかりである。

インドネシアには杉の木がないし、ギョウ虫や回虫がいるので、鳥フルやデングフィーバーは有っても、花粉症は無い。私も、インドネシアに居さえすれば花粉症にならないので、この点でも天国である。早く、日本から脱出したい。また、三月末には一時帰国をしなければならない。しかし、それは毎年のことであって、花粉症の心配はない。

 パンダンダランの上り下りで相当参った上にパニック障害の薬を持ってくるのを忘れた。

ついでに、一週間、薬なしを試してみることにした。まだ、飲んでいた時との違いは出てきていない。このまま、飲まなくて済むようになるでしょうか。今回は、このことで病院へ行く予定はない。

2月26日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-165

斜めからインドネシアを眺めよう 165

92歳の母親が両膝の上の骨にヒビが入って、静岡市立病院へ入院中。しかし、病気ではないので時間の経過待ちである。リハビリをするために、他の病院を物色中である。お袋がいる階の入院患者はみなさん大変なお年寄りばかり、それも、骨折した人達ばかりだという。だから、暗さはないが、車いすが廊下を走りまくっている。

突然、見舞いに行った私を見てびっくりしていた。頭はしっかりしているし、まだ、日記をつけているので、文字もしっかり書くことができる。

三月二十日から五月二十日辺りまで、ドイツから孫とひ孫が日本へ滞在する。その話を伝えたら、うれしそうにして、私に「楽しみでしょう」という。自分こそ、楽しみだろうと思うのに。どうしたって、早く死ぬわけにはいかない。死ぬなら、私が、まだ、あと五年くらいはインドネシアにいなければならないから、葬式は日本へ落ち着いてからにしてほしいと、頼んでおいた。

日本の病院は、医者が足りないので立ちいかなくなる場合が多いらしいが、インドネシアにはこういう病棟はない。年寄りが骨折などで病院へ入る前に何らかの原因でこの世にはもういない。皆、死んでしまっている。または、死ぬ寸前までひどくなってから入院するので、病院に長くいて治って出ていくことはなく、直ぐ無くなって出て行ってしまう。

それに、身内が骨折ぐらいで入院はさせない。保険には入っていないので、入院となれば入院の前に前払いが原則です。私はAIU保険が効かない地元の病院に何度も入院しましたが、一日平均50万ルピア(四千円)(薬、治療費、検査費を含む)入院見込日数の支払いを求められた。大体、退院の時、余分を戻される方が多かった。インドネシア人には高額すぎる。

 

2月27日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-166

斜めからインドネシアを眺めよう 166

 インドネシアで手に入らないことはないが簡単ではない物の中に計器がある。たとえば、ノギス(キャリパー)などです。ダイヤルノギスやその他の類です。そういうものは、日本で買って持って行くのが当たり前のことです。いつもはホームセンター(DIY店)で買いますが、今回は、ちょっと特殊な、ダイヤルゲージですが、外径を測るものではなくて、2~3φの内径で厚さが0.5mm位のチューブの肉厚を測ることができるダイヤルシックネスゲージを求めて、計器専門店Y商会(浅間さん通り)へ行った。

 スキマゲージや内径テーパーゲージ等とともに取り寄せの注文をしておいて、二日後に揃ったというので、受け取りに行った。

注文に行った日、そこの店にいる80歳位に見える、多分、何十年も前からこの店をご主人と一緒にやってきた方だと思う品のあるおばあさんが掃除をしているのを何気なく眼に入っていた。

私の中学校、高校がこの近くだったので、この店のことは知っていた。静岡では計器専門店はそのころもこの店しかなかった。そのころ一度だけ計算尺(化学用、今は使う人はいないと思う)を求め来たことがあっただけだった。

 私のように、特殊な計器を色々買い物する人はいないのでしょう。印象が深かったのかも知れません。購入しに行った時、若い女性が私の相手をしていたが、気がつかないうちに横に来て、四葉のクローバーを押し花にしたものを差し出しながら、「もらってください」という。分けが分からなかったが、記憶になると思い、せっかくなので、遠慮なくいただいた。その時、インドネシアへこれらの計器は持って行って、使ってもらうということと、インドネシアにはクローバーは全くないし、勿論、四葉に似たような植物も見たことがないので、インドネシアの人に見せてこの意味を話します。という話をした。

思いがけなく気持ちが和んだ。

 

2月28日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-167

斜めからインドネシアを眺めよう 167

 明日、あさ、6:30 家をでる。今回の日本はアカデミー賞で華やかだったが、私はそれよりも、やはり、気になったのは景気の具合でした。株はバブル崩壊の時の最安値を下回ったり、トヨタの世界生産台数の来年度生産フォーキャストが200万台減、今年度から、25%減である。多分この数字が日本を含めた世界中の製造業の平均的なものだと感じる。当然、統合や整理閉鎖や倒産はかなりあるだろうと思う。これをチャンスととらえて積極攻勢に出る会社も多いと思う。ここ一年は、ダイナミックな動きがみられるのではないでしょうか。私もその中で、久し振りに実力を発揮できそうです。そのためにインドネシアへ戻ります。

話、かわって、インドネシアへの土産で、最近喜ばれるのは座椅子です。インドネシアでは、家で床に座って話をしたり食事をしたりするのは普通のことです。テーブルを使う習慣がなかった。家で勉強をする習慣もないようだ。子供が予習復習を家でどういう場所でどういう姿勢でしているのだろうか想像がつかないし、見たことがない。裕福な家庭なら、応接セットのようなものを整えますが、子供の勉強用机や椅子は見たことがない。新学期前にセールなどという宣伝は全くない。処で座椅子のことですが、床に座る習慣は有っても、座椅子は全くありません。インドネシア人は座って後ろによりかかるという発想がないのでしょう。しかし、ソファーがある家でもソファーに座るということはあまり慣れないようで床に座る人が多い。そして、何かをつまみながらテレビを見る。その時に座椅子がいいのです。大変評判がいい。しかし、インドネシアでは売っていない。

座イスは日本独特なものでしょうか、床に座る文化を持つ国々の中で、自分の体重で背もたれが後ろに倒れないようにするという考え方は日本人独特なものかもしれない。

 軽いが大きいので、トランクの三分の二が座椅子で占められてしまうのが悩みである。

3月1日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-168

斜めからインドネシアを眺めよう 168

このまま、出発しないで家にいたらどんなに楽だろうなと思いながら、まだ暗いうちに、今回も出発でした。例によって、朝の6時20分に家を出た。今回はSQですからシンガポール経由、成田は第一ターミナル南でした。オンタイムで運航され、順調にジャカルタへ到着した。チカランの家に着いたばかりです。

成田エクスプレス8:30発だったが、ホームで“千葉と成田の間で、信号事故があり、この電車は船橋までで、京成に乗り換えてほしい、9:00発は運休が決まっているので、それを待っている人はこの電車に乗っていたくか、京成を使ってください”というアナウンスがあった。其のとおり、船橋で特急に乗り換えて、成田に着いた。11:30発のところチェクインカウンターに着いたのが10:30だった。行列が長くチェックインは11:00ほとんど小走りでA46ゲートに向かったが、これが、一番端の一番遠いところ、皆さんぎりぎりの人がおおく、搭乗時間11:20にやっと、間に合った。心臓に悪い。間に合ってよかった。

この文章の途中までは、SQの機内で書いている。21日の投稿でも書いたが、電源があるのでバッテリー切れの心配がない。

PT.MAKUTAの技術顧問とインベスターとしてビザは取ってきているので、今月と来月一杯はPT.MAKUTAとそのお客さんのために全力で走る。すべてを計画通りにこなさなければ、迷惑をかけてしまうとう危機感がある。工場は規模や見かけではないことを証明しなければならない。「この仕事は機械、装置じゃないな、腕だな」と、いうことを取引先の日本人にも勿論だが、インドネシア人にも認めさせなければならない。

 

問題は、カスタムであった。ガスバーナーやジグやポンチなど怪しいと思えば怪しいものがバゲジに詰め込まれていたからです。今までも白いチョークの目印が沢山つけられていて、それは消すことができないので消してない上に、また、新しいチェックがつけられていた。アラジンの物語のような、ドアに付けられたマークを近所に家々にもつけてしまって、狙いの家を分からなくしてしまう話に似ているような気がする。結局、バゲジを開けてのチェックはされず、通過してしまった。

3月2日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-169

斜めからインドネシアを眺めよう 169

非常に忙しい一日でした。装置の出来具合の確認と遅れそうな物の催促、そして、HPの新番号の収得とフラッシュの接続、などなど。また、今週末に行く、スンバ島までのエアーティケッの入手、もっとも重要なのがエイジェントにパスポートを渡して、KITASの手続きをお願いすることだった。これらのことは、早ければ速い方がいいのです。ブカシバラッやリッポチカラン、チビトゥン辺りを走り回った。

三月に入って雨季も終了に近付いたのでしょう。今日はカンカン照りの暑さで、インドネシアにまた来てしまったと思わされた。

話変わって、SQ エアバス A380-300かなりの大型機である。アッパーデッキの方はこちらから直接と言われて導かれて行った先が747の二階と違って、総二階になっていて、入ったところがビジネスクラス、そこを眺めて、この席?と、首をかしげたところ、席番を聞かれ、指示されたのが、ずっと奥、一番後ろから二番目だった。ビジネスとは大きな違いだがそれでも、広々としていて快適だった。良いことばかりではなかった。ヘッドホーンの差し込みが壊れていて、音が聞こえなかったことと、コンピューターの電源に電気が来ていなかった。それらは隣の席が空いていたので、そちらから引っ張った。座席を変えたくなかった。

日本からターミナル3について、ジャカルタ行きはターミナル2に移動しなければならない。余裕は40分である。迷ってしまっては、間に合わない。スカイラインモノレールで大通りの向こう側に移動し、ひたすら走る。歩く。日本からの半分くらいはその大移動に参加している。彼らについていけば間違いないという安心感はあるが、だれも彼もそのような気持だと思う。

3月3日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-170

斜めからインドネシアを眺めよう 170

PT.A社に契約社員として雇われたPT.K社からのオペレーター6人が昨日(2日)から、出勤していない(自主的にやめてしまった)という知らせが入った。根耳に水の出来事でびっくりである。早いうちに、PT,Aの仕事がなくなってくるので、それに伴ってPT.MAKUTAの仕事が増える。その程度にそって、順次、引き取るつもりでいた。そのことは彼らに明言していなかった。しかし、私がPT.Aを辞めて、日本へ帰っている間に、彼らと会社とで何があったのでしょうか。穏健な彼らが仕事を投げ出してしまうとは、何か相当に彼らを憤慨せせることがあったに違いない。

彼らが、これからどうするのか、PT.MAKUTAはまだ準備ができていないので、押しかけられてもいる場所はないし、仕事もない。二週間ほど、休憩してもらって、3月中旬に彼らを引き取ろうと思うが、それにしても、彼らの決心が早すぎた。私も困惑している。PT.A社の製造に大きな影響を与える。できない製品がでてくるし、できてもロスが多くなるはずである。N社長は何を考えているのでしょうか。体も声も驚くほど大きいが、気は驚くほど小さい彼は、既に、相当、頭の中がパニックになっているはずである。自業自得のようなものでしょう。

この出来事を踏まえて、なお、私の方は準備を急がなければならない、また、ディッキ君にしわ寄せがかなり行くと思う。PT.Aに移った日勤者の5人の内1人だけ、二月一杯で辞めているので、残っているのは日勤者4人だけとなる。彼らはどちらかというと製造に向かない人達なので、辞めたオペレーターの代役はできない。

 

3月4日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-171

斜めからインドネシアを眺めよう 171

問題は単純である。知らない人が知っている人を、できない人ができる人を評価したり、使ったりすることである。おだてて任せれば、何もかもうまくいくのに、任せることができない、そして、自分の思うようにやらない人の評価を下げる。A社もK社も失敗の原因はそこにある。そのうえなお、まずいことに、どちらも評価する人間が切れやすい、ということで、共通でした。日系企業としては失敗する会社の見本の二社です。

会社や従業員や客先のことより自分の立場を優先しようとする、心が貧しい人が経営をする会社は上司より仕事ができる人はその会社にいられないように処遇される。悲しいサラリーマンの世界である。

それに、彼らが纏まって辞めると決めた時には、勿論、引き金があるわけだが、その前に、何かといろいろあって、ついに耐えきれなくなったとうことを、経営者は知らなければならないが、それらのことは意識にないのが普通で、引き金になったことを聞いて、そのことで、謝ったとしても、意味がないことも意識していないので、謝って解決しようとする。もう、こういう人に効く薬はない。

今回のことで、もし、彼らが止めることを撤回しても、多分、3月一杯と持たないでしょう。それほど、社長も社長に慣らされた上位の生え抜きの正社員も、技術が無いのに威張る人間が多いのです。10何年も怒鳴られ続けていれば、その人たちも怒鳴る人間になってしまう。怖いことです。

今朝の知らせでは、本人たちからではないが、5人は辞表を出したそうです。二人、首になっているので、7人になる。三交代6人のほかに日勤者も一人辞めたのか?そして、PT.MAKUTAからの誘いを待つことにするらしい。彼らが私にブログを読めるわけではないし、K社のHもA社のNも私がそそのかしたと思うのは大間違いである。自分達がNGであることに気が付かなければならない。

話は飛ぶが、昔の日本軍はこういうものだったと想像する。

 3月5日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-172

斜めからインドネシアを眺めよう 172

四日 カラワンのイムグレへ行って、住民票(キタス)の申請に行ってきた。この作業は、一年ごとに必要ですが、勿論、今回は新しい会社に移ったのですから、はじめてということで必要でした。今回は初めての会社なので、手の指10本の指紋を採取される。昨年11月にはまだ、墨を使って、取ったが、今回はマウスのようなものに押しつけるだけだったので指が汚れなくて出来るようになっていた。聞くところによるとイミグレへ行かなくてもインターネットでサインや諮問を登録できて、キタスもプリントすれば出来てしまうらしい。イムグレまで遠い人(地方に住んでいる人)にとっては大変便利になったはずです。少しずつではありますが、いろいろなことが便利になり、時間が短縮できるようになっています。

また、今晩から、フラッシュというものを使って、携帯電話とコンピューターを繋げて、

電話線がなくても携帯に電波さえあれば何処でもメールを開けたり送ったりすることができるようになった。そして、40時間で20万Rp(1600円)というパケッで契約した。そして、携帯電話番号も変わった。

 08111007012 大変覚えやすい。最後の012だけ覚えればいいだけです。

海外からは628111007012になりました。

 3月6日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-173

斜めからインドネシアを眺めよう 173

プラバイダーのCBNにPT.MAKUTAをつなげようと思って行動をした。いろいろ検索して探してみたが結局、最後は、PT,Kの者に問い合わせた。誰とは言わないが射出の関係の人だ。会社の秘密を漏らしたとして首にならないことを祈る。

K社、A社のトップはピリピリしているのが各会社の従業員から、絶えず、報告がある。

CBNの電話番号を教えてもらって、電話した。申請書と必要書類の一覧表が早速、ファックスされてきた。それらを用意し、ジャカルタ、ガトゥットゥスブロトの国会議事堂の向こうの角を左に曲がった大きなビルにあるcbn本社へ行ってきた。書類は全部整えていたので手続きは簡単でした。会社と自分のメールアドレスを申請した。二年分前払いで、57万Rp(四千五百円)でした。一週間後に接続ができるそうです。来週末に新しいメールアドレスを皆様におしらせしますが、それまでは、 kota02@y6.dion.ne.jp
を使っていただいています。

それは、それで、OKでしたが、問題はジャカルタへ行ってくる時間でした。13:30にチビトゥンのMAKUTAを出て、チカランの家に戻ったのが17:30でした。CBNにいたのは30分以下でした。全行程100kmの間がほとんど渋滞の中でのろのろ運転、あきれてしまう。だから、ジャカルタは好きになれない。

 

明日出発のスンバ島までのティケッを受け取りにサクラトラベルへ行き、できればキタスも受け取りたかったが、まだでした。ベンケルサンジャヤへ寄って、バアキューム水槽の出来具合をチェックした。OKでした。

 

3月7日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-174

斜めからインドネシアを眺めよう 174

03:00に家を出発06:15ジャカルタ発ムルパティヌサンタラでバリ、ウングラライへ、12:25バリ発でスンバ島へ、waingapu  到着は15:00頃だった。時間がかかったものである。今日は何もできない、疲れてホテルで休息しかなかった。バリから、ロンボク、スンバワ ブサール。フローレス、その間にコモド島を左に見ながら東進し、フローレスの途中から南進し、スンバ島へ向かった。

空港はフローレスのマウメレと同じくらいの小さな規模だった。申し訳ないが、ここの人たちの人相は怖い、女性の顔も怖い。

 こういう会社がある。レポートを大量に出させる。それによって、日本人が品質や人物の評価をする。本人がやったものではなくても、自分が主体になってやったように報告をうまく書ける人の評価が高く、仕事をしているので、報告書を書く時間が少なかったり、面倒なので、大部分を省略してしまったりする人の評価は低くなる。日本人はほとんど会社に来ないし、来ても、其の報告書を眺めるだけで、現場には出ない。これでは、仕事ができる人はこの会社で仕事をしたくなくなるし、報告書に専念して、本来の仕事は置き去りになってしまう。

休日出勤や残業手当がつかないように名ばかり管理職にして、強制残業や休日出勤をさせる。応じないと評価を下げる。残業や休日出勤の仕事ぶりを何度も確認しているが、ほとんど仕事はしていない。会社にいるだけである。それでも、報告のうまい人はいかにも多くの結果を出したように書いてある。

3月8日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-175

斜めからインドネシアを眺めよう 175

07:30 ホテルから出て、スンバ島の西側のWaikabubakの方向に向かうが、途中観光地というか見どころに寄りながら行く。街を通り過ぎてなお、西へ向かい海に面したホテル(コテジ風)Resort Newaに泊まった。全く、携帯電話の電波が届いていない。このホテルの部屋にはテレビもない。何の情報も得られない、外部との接触が閉ざさされた世界に入ってしまった。一日タクシーを使い回して75万Rp約6千円である。Sri Kayaという果物を知っていないでしょう。これと似た果物は日本にはありません。説明が難しい。

報告は問題点と失敗についてさせればいいと私は思う。うまくいっているかいないかは自分の目で確認することにしている。しかし、この考えと逆の日本人が大勢いる。うまくいっていることだけ、うまくできている製品の報告だけをさせる。それを見て、満足げにサインをしている。余分な仕事をさせるだけで、なにも参考にならない。自分の目で確かめた方がいいと助言すると、逆切れされるので、そのままにしておく。

三交代の長の仕事として、全製品の断面図を投影機で十倍に拡大してなぞらせて書かせる。これも標準書がないので彼らはOK製品を選んで投影図を書く。それに指定された部分の寸法を書く。その寸法が公差に入っていようがいまいが、今までOKだったものはOKにしている。それを日本人が見て、OKのサインをしている。全く、不思議な世界を見ている。全く、意味がない世界を見せられている。

これで、クレームがなければすごいが、客先からのクレームは日常的にある。日本人は知らん顔をしている。直接、客先の日本人からその日本人にクレームの話が来ても本人は、その後、どうしたのか、連絡しない。すべてローカルスタッフに対応させる。これで、仕事がつながっているのが不思議である。よほど、日本人同士で分けありなのでしょう。

現状はどの会社も苦しいことは承知ですが、それでも、余裕のある会社と今にも倒産しそうな会社とある。もちろんその中間はいっぱいあるのですが、危ない会社はこのような会社です。

3月9日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-176

斜めからインドネシアを眺めよう 176

西の端近くから、東の端に向かってもらうために、07:00にホテルを出た。6~7時間のドライブを予定していたが、昼食一時間をかけて、6時間で着いた。途中Waikabubakを通過したが、そのほかは、町らしい町はなく、景色も単調でほとんど眠っていた。目的地の東の端、PauRendeの伝統村を見たが、いずれも期待はずれで、伝統家屋は少ない上に、トタン板で修復されていたり、トタン板で作ってあったりでした。行ってみて初めて分かることでしたが、伝統的家屋の集落で一番それらしく印象深かったのは、Waikabubakの町はずれの丘の上にある集落でした。何も、わざわざ遠くへ行く必要はない、一番近くに一番印象的な場所があったのでした。Hotel Ervinに宿泊、三日間とも熱いお湯が出ない。二日は冷たい水で我慢したが、このホテルではバケツ一杯の熱湯をもらって、たらいを借りて、行水をした。三日間落ちなかった垢が、いっぺんに落ちた。

インドネシア人は水で体を洗うが、石鹸を使ってごしごし、磨いても、垢が落ちていないことを知っていない。その証拠に、お湯で体を洗わせると、本人がびっくりするほど,ほろほろ垢が落ちる。体が臭く思うのはそのせいでしょう。男も女も体臭を大変気にする。他人が臭いから自分も臭いのではないかという疑心暗鬼である。お湯につかるという習慣がないから仕方がない。

今日、記念すべきは、Rendeで、ピナンを出された。歓迎の印である。ジャヤプラ、パプアでは緑色の実と石灰を一緒に噛んでいたが、季節が旬でないからここでは乾燥して輪切りにしたものだった。せっかくなので食べてみた。ほんの少しだけだったが、目が回って、パニック障害の時の症状に似てきたので、あわてて、口にのこっているものを吐き捨てた。それでも、一時間程にわたってもうろうとしていた。酔っ払いのような症状になるがここの人は子供の時から食べているので、程よい気分になるらしい。もうこりごりである。

3月10日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-177

斜めからインドネシアを眺めよう 177

 06:30ホテルから出発。08:20テイクオフ09:40バリ着、15:30発まで時間がたっぷりあるので、土産物を買いにタクシーでキンタマニへ行く途中のジャランスカワティの土産物屋街へ行ってオランマルを仕入れた。一コというか、一体が5万Rpだった。もっと粘れば4万くらいになったと思う。四個買った。ゴルフ仲間への土産である。

 バリの空港でやっとフラッシュを使えるようになった。そして、待合室に唯一ある電源を使って、久ぶりにメールを眺めることができた。

 

会社内の情報の収集が全体的に出なく、ほんの一部の気にいった幹部や通訳からしか得られない日本人が多い。自分が集めた情報ではないので、間接的であり、その人たちが扱いにくい、気に入らない、彼らに従わない、彼らに批判的な人達は彼らから批判的な情報しか伝わらない。また、噂を作って、あるいは誇張、歪曲して報告する。それを、信じてしまう。直截自分で確認することはしないし、できない人が多い。そこで、従業員の多くは、通訳など全く、本来の仕事ができない人のご機嫌をうかがうようになる。そういう会社はもう、お仕舞いである。本社はどういうことを早く察知し、交代させる技量がなければならないが、ない会社がおおいので、これも、仕方がない。

うまくいっている会社は、日本人と現地人従業員との直接会話がうまくいっている会社です。日本人の皆さん、ぜひ、直接会話をして、皆さんが何を望んでいるのか、何を考えているのか、自然体で把握してください。

私は、従業員全体の味方なので、経営者の日本人やその側近や通訳には批判的です。彼らは、日本人経営者に、私は批判していることや、ないうわさを作って報告する。日本人は、バカなことにそれを信じる。そして、私を眼の上のたんこぶにする。自分で自分の首を絞めてしまう。そういう無能な日本人が多い。

 

3月11日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-178

斜めからインドネシアを眺めよう 178

現実にまたもどった。久しぶりにPT,MAKUTABENGKEL SANJAYAへいった。また、SAKURAによって、KITASを手に入れた。ブクビルも一緒だった。押出機は明日一台、今週13日に二台が納入される。

ヘッドの取り付けが問題だが二三日で取り付けられるようにする。もう、確実に20日前には何社かにサンプルを出せることがはっきりした。ほぼ、予定通りだと思う。

原料の手配はLDPELLDPEPP炭カル入りを16日までに入手の段取りになっている。前にも書いたが、すべての装置や原料代はキャッシュで前払いである。当然である。インドネシア人スタッフには仕事を始める時はこうでなくてはならない、また、これからも、ずっと、半額以上は前払いで、入手と当時に残りを渡せるように、金銭的余裕をもって、付き合うように指導してある。信用が第一だし、その方がディスカウントのお願いはできやすいので安く入手できる。

少量の手配が難しいうえに価格が高い輸入原料は、できるだけインドネシア産を工夫して使う。どうしても成型できない場合はASEAN地区からの輸入品を使うことにする。日本から輸入している製品のインドネシア産化ですから、どうしても、日本の原料が指定になっているが、技術を持ってさえいれば、品質や物性で劣ることはないし、私としては輸入品より高品質で過剰物性の製品を安価で提供する自信がある。

3月12日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-179

斜めからインドネシアを眺めよう 179

インドネシアにいられなくされた私が、これ幸いと、日本へ戻って、新会社について打ち合わせして、そのついでにVISAも手に入れて、悠然とインドネシアに戻り、インドネシア人のためのインドネシア人による会社を立ち上げる準備をし、一か月で、押出しの生産準備が出来上がった。そして、間もなく、何社かのサンプルを作って提出します。価格は日系企業価格ではなく、ローカル企業価格を出させるつもりです。

この、速度を感じて、当てが外れて驚く日本人が何人かいることでしょう。自分で仕事をするということはこういうことです。他の人にこんな早技は絶対に出来ない。だから、私を使う立場の人は自分の能力と比較できないので、私を使えないのです。

 その人たちが、気が付かない間にマジックのように仕事をしてしまうので、何もしていないように見えるのです。独立した頃、他の会社の経営者(すべてが私より年上)が来て、「太田の仕事は何もしないで儲かる仕事でいいな」と、よく言われたものです。

インドネシアらしい話。押出機を乗せたトラックがチェンカレン(ジャカルタ空港の手前)10:00に出発したので、遅くても14:00にはチビトゥンに着く、という知らせが入った。13:00過ぎにまだジャカルタに入ったばかりだから16:00頃には着く、と言われた。外に出ていた私は16:00にPT,MAKUTEに入ったがまだ、着いていなかった。どこにいるか何度聞いてもマシジャラン(運転中という意味)どこにいるのか運転手が分からないらしい。18:00になってポンドックグデといってジャカルから出るゲート辺りにいることが分かった。結局、チブトゥンの会社に着いたのは19:25だった。途中で、パンクをしてタイヤ交換をしたとか渋滞とか、言い訳をしていたがどんなにかかっても3時間の道のりを9時間以上かかったことになる。

インドネシアではこれで腹を立てては生きてゆけません。腹お立てる日本人はストレスが増すのです。怒鳴りたくなるのです。

 

3月13日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-180

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インドネシアには奇妙な病気が多い。例として、お腹から針金が何本もにょきにょき出てくる。毛が生えてくるように、である。カリマンタンの40歳くらいの女性ですが、20年ぐらい前に,祈祷師にブラックマジックをかけられ、そういう状態になった。その祈祷師は死んでしまってマジックを解くことができなくなってしまった。どこの病院でも原因は分からないし、手術はその毛根のようなものを切除するだけだが、根が絶えることがない。今は、自分でペンチを使って切っている。

タシクマラヤの体中全体がコブだらけの女性、50歳位でしょうか。日本に昔、コブトリ爺さんの話があるように、私も、子供のころ首の後ろにコブをぶら下げているおじいさんを二人知っていた。そういうコブが体中に出来るのです。顔もぼこぼこになっている。大小様々で水膨れのようにも見えるが、中には肉が詰まっていると思う。イボとはまた違うようだ。

 生活にあまり支障がないようで、普通の主婦をしている。周りの人たちも、移る病気ではないことを知っているので、普通に付き合っているし、握手をしたり、頬を付けての挨拶もしている。

もう一人ジャカルタの男性にいる。この人は、交通整理をして小銭を稼いでいる。日本のハンセン病のような差別がないのがいい。

二人とも、入院して手術をしたいが、お金が足りなくて手術ができないでいる。義捐金が集まるが、まだ足りないらしい。国や病院は援助をしない。援助をするときりがないし、公平でなくなるという精神からである。

3月14日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-181

斜めからインドネシアを眺めよう 181

 木を切ってしまった話。以前、男の子が手に入れた小石を水にちょこっと付けると、たちどころにその水が万病に効く薬になる、という話を書きましたが、今回は、薬になる樹液。ジャカルタ北部の旧市街地の一角を流れる川沿いに木が並木のように植えられている。その木のうち、三本からこぼれ出る樹液が万病に効く薬だという評判が立って、その樹液し触りたい人や採取をしたい人が長蛇の列を作り、交通の妨げになり、渋滞にもなっている。前の話もそうだったが、保健所の検査ではどちらも単なる水。その木の水は、すぐ横の川の水位が雨季で上昇する時期、今が量が多く出るらしい。乾季には出なくなる。

 その騒ぎをテレビニュースで伝え、インタビューでは、実際にいろいろな病気や痛かったところが治ってしまったという話を流していた。

 ジャカルタ市では、その騒ぎを収めるために職員を派遣してその三本の木を切ってしまった。それを、さらに、小さく切ってその川に流してしまった。話も、インドネシアらしいが、処理の仕方もインドネシアらしい。切る時も大勢の人が反対し妨害したがとにかく警察の護衛の下に切ってしまった。その様子は勿論テレビニュースで流した。

ウソのような本当の話は、私がまだ知らないだけで、もっともっとたくさんあるらしい。

日本では全くいないと、私は思っている、祈祷師、呪術師が田舎のいたるところにいて、この間行ったスンバ島のワイカブという一番大きな人口3万人ていどの町をレストラン

を探すために19:00ころ歩いていると、ある病院のような店の前で多くの子供や赤ち

ゃんを連れた人たちが座って、順番待ちをしている。聞いたら、祈祷をしてもらう順番待

ちだと言っていた

3月15日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-182

斜めからインドネシアを眺めよう 182

久しぶりのインドネシアでのゴルフ。バリで買ってきたオランマル(恥ずかしがりの人)を三人にプレゼントした。ジャカルタのパサラヤやソゴーやサリナなどの土産物コーナーで買えば30万Rp以上するシロモノ、バリ、クタのマタハリで買えば15万Rpである。

私が買った値段は4万Rpでした。最初、8万Rpといわれ、私は3万Rpと云って交渉した結果4万でOKした。その時使ったタクシードライバーが、買わないといって、その場を離れれば、3万Rpまでさがると言っていた。言われた半値以下にすることがこの場所では当たり前のことだと言っていた。買う前に云ってくれよ、と、云ったら、日本人としては安い買い物をしたから、と言われた。

雨季も最終になって、日差しが強い。この時期、雲がなくなった空は一年で一番青い。空気が雨で洗われて埃が少ないからである。積乱雲の白さと空の青さが際立つ。一番紫外線が強い時期です。手袋をしている左手の白さが浮き立つ時です。

また、機会を失っていた散髪に行ってきた。カットとカラーリングとボディーマッタージ一時間で15万Rp(1200円)、ただし、剃刀で耳の周りの輪郭を整えるが、安全剃刀で何もつけずにごりごりやる。また、最終の仕上げはなにもしない。また、カラーリングは乱暴で、飛沫が飛び散るし、おでこや耳や首の後ろなど、毛以外も染めてくれる。はみ出しがひどい。一週間ほどで消えるので私は気にしない。

3月16日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-183

斜めからインドネシアを眺めよう 183

四月九日の国会議員の選挙がある。二三か月以上前から、賑やかの選挙運動が始まっていると思っていたが、今日から選挙日まではカパニエダマイと云って、平和な選挙運動という日程に入った。公式の選挙運動が始まったのです。大量の運動員を動員し、各都市、街を車やバイクや徒歩で行進する。政党に日時とコースが割り当てられている。公平にするということと、衝突を避けるためである。

 当然、インドネシア中の道は彼らがわがもの顔に占拠するし、ストレス解消のような、羽目をはずす行動をするので、どこも、かしこも大渋滞になることは必至である。実際、今日から渋滞がひどくなっている。

 こちらの人たちは名前を書くという投票ができない人が大多数なので、40近くある政党の各選挙区の立候補者の名前と顔写真と政党名と政党の番号が一覧表の大きな紙を受け取って、其処のいずれか一か所にレ印チェックをする。その紙の大きさは20cm四方に畳まれているが広げると70cm四方ぐらいになる。印刷した用紙を折りたたむ作業だけでもおおくの人を使う。紙、印刷代も大きいが折りたたむ人の費用も大きい。

 それでも、テレビのインタービュー番組では、選挙があるということを知らない人が多いし、日時を知っている人は少ない。選挙方法を知っている人はもっと少ない。

 また、選挙違反がどんな行動に当てはまるのか分からない。買収は違反ということは常識的に知っていても、インドネシア、イスラムには、金持ちが貧乏人に施しをつることは当然という考え方、習慣がある。この区別は出来ないと思うのだが、どう判断するのでしょうか。インドネシアだから金額次第でどうにでもなる。

 私の電話番号は        628111007012

E-Mail address    otak-otak@makuta.co.id                             

で、しばらく、落ち着くでしょう。

3月17日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-184

斜めからインドネシアを眺めよう 184

試作を始めるためのセッティングが始まった。装置の点検と試運転も始まった。後は、客先になるだろう会社から金型を支給してもらうことである。客先の持ち物だからである。

金型を支給していただければ直ちに試作をする準備ができた。

今週は一社だけ、お邪魔をし、見積もりを提出します。来週から、急いでいるだろうという反応がある会社を訪問します。価格は正当な安い値段を出させていただきますが、品質や値段だけでは無い、などと、判断せれる会社もあるでしょうから、注文を欲しいとしつこく訪問することはありません。

カンパニープロファイルがあるわけではないし、とにかく、バラックの工場に新規の装置を入れて大急ぎで準備をしたので、外観的にはいかにもローカルの貧弱な工場に見える。それだけで評価されてしまえば、仕事を出す気がなくなってしまうでしょう。ですから、私にぜひやってほしいと、本当に求めているお客さんを優先にします。その方が、三ラインしかない製造装置を有効に割り振ることができます。

全ては私が保証するわけですから、私の保証を信じてもらうしかない。今のインドネシアの押出成形の難しい部分はすべて私の技術を使って、私が教えた人たちがやっているのですから、信頼してもらうしかない。

やっと名刺に記入できるメールアドレスなどの項目がそろったので、名刺の注文をした。今週20日に出来上がってくるので、来週の客先訪問には間に合うことになる。

3月18日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-185

斜めからインドネシアを眺めよう 185

ジャバベカのある会社に求められて訪問してきた。あるにはあるもので、硬質塩ビのプロファイル(異形品)をとりあえず二種類の見積もり依頼を受けた。現在台湾から輸入しているが、インドネシア国内から調達したいという、いつものパターンである。インドネシアには競合先はない。私の作った装置を使って商売をしている会社もこの製品の生産はできない。全く、別の方法だからです。

ウエートバーの金型を返してもらうようにU社にお願いするつもりだ。この製品も、今持っている会社では意味がないからです。過去の経過からいって、形にも何にもならないからです。

また、インドネシアの日系商社にお願いしての輸入原料入手は、大変困難な状態になっている。多分、私が手伝う会社への原料提供は、現金前払いという方法を取っても、締め付けがあって出来ないのでしょう。仕方がありません。

そこで、緊急に必要な二種類は、日本にある旧知の商社から直接PT.MAKUTAに送ってもらうことでしのぐことにした。世の中、捨てる神あれば拾う神もあるものです。とにかく、求めていただくお客さまに迷惑をかけないようにするのが大前提ですから。

3月19日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-185

斜めからインドネシアを眺めよう 185

インドネシア人の言葉の使い方は、はっきりしないことが多い。曖昧なことが多い。今日も会社の電話番で事務の女性に社長はどこへ行っているのか聞いたら、アンビル バランと答えた。“物を受け取りに“という意味です。答えになっていない。私が求めているのは、物といったって、いろいろあるし、何か知りたい。どこへ何時頃出発したのか、いつ頃帰ってくるのか、それを知りたかったのですが、一つ一つ、すべて知らない。そこで、社長に電話で聞いた。どこにいるの?と、返事は、ラギ ジャランでした。意味は”まだ、移動中“です。これでは何も分からない、移動中なら、どこへ行くのか、帰り道なのか、どして、今、どの辺りなのか、いつ頃、戻るのか、まったく聞きたい情報がない。

改めて、それら一つ一つを聞かなければならない。本人だから、確認は確認できた。これが、間接的に人に聞いてもらうとなると大変。間に入る人が、わたしが必要とする情報を把握できないので、曖昧なこと絵しかできない当事者に、一つ一つ確認できないまま、私に伝えてくる、そうすると、また、尋ねを繰り返す。直接、私がたずねるから、電話番号を教えろと言っても、なかなか、教えない。中間の人は何か直接聞かれてはまずいことがあるのかのようになかなか教えない。

約束の時間に現れない本人に電話をして、今どこにいるの?と聞くと、今、どのあたりだから、あと何分ぐらいで着く、という、返事は絶対に帰ってこない。車の中、とか、そっちへ向かっている、とか、バスの中、とか、移動中という返事しかしない。インドネシア人は聞く方もこれで、納得してしまうらしい。だから、私は間接的に聞いてもらうということはできるだけしないようにしている。

明日は日本から重要のお客様を迎える。自分で運転して約束の時間の10分以上前には待合場所スタンバイする。

3月20日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-187

斜めからインドネシアを眺めよう 187

日本からのお客様二人をPT.MAKUTAへ案内をした。ジャカルタからチカラン過ぎまでの大渋滞で、チェンカレンからの押出機二台が到着しなくて、お見せすることができなくて残念でした。31日に日本でミーティングがあるので、写真をお見せできる。とにかく安い投資で準備ができることを分かっていただいたと思う。

明日は05:00起きで、また、ゴルフ。

PT.MAKUTA初製品の試作は予定通り出来上がった。来週前半に他の二種類と共に納品をさせていただく。その製品の生産状況を日本からのお客さまに見学していただいた。この仕事は近い将来、見学のお客さんの会社に、ここから出ていく。

こんな時期に、そんな高い買い物をする会社があるはずがないと、サラリーマン的なさみしい考え方しかできない人は、憶測で否定するでしょうし、それを鵜呑みにして、なるほどと思ってしまう人も多いでしょう。それが普通かもしれません。

しかし、私もそうですが、この不景気のどん底の時に、安い投資で、将来大きなことができるチャンスを掴むという考え方をする人は少ないがいる。資金的にある程度余裕があることと並外れた技術力と行動力が条件です。私はこの時期がチャンスと見て投資しました。私の先輩も投資をしようとしているのです。ま、一般のサラリーマンには、考えもつかないことですし、実際にそう簡単にできることではありません。

この時期、資金にまだ余裕があるが、技術力や行動力がない会社は撤退した方がいいのです。こういう決断をする経営者と前者の経営者が、出会えば自然に話は進みます。

インドネシア語を覚えたい方は、私のインドネシア語講座を開くとパッチリ開眼する。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0051.html

3月21日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-188

斜めからインドネシアを眺めよう 188

答え方が変なのは、そこまで深く詳しく知る必要を感じない生活をしているからなのでしょう。言葉でも曖昧なものが沢山日常で使われている。インドネシア語講座にも最近付け加えたが、Sakit(サキッ)“痛い”“病気”や、Tambah(タンバー)“増やす”“追加する”“お変わりする”インドネシア人にとって、追加もお変わりも同じ意味なのです。全く区別する必要はないのです。日本人にとっては、状況によって意味が異なるが、微妙なときがある。

まだ、コップでも茶碗でも、中身がまだ残っているとき、まったく新しいものに変えてもらいたいのか、追加するだけでいいのか、説明が必要です。

ティーパックで紅茶を飲んでいるとき、ティーパックはそのままで、お湯だけ追加してほしい時も、まったく、新しい紅茶をお代わりしたい時も、トロン タンバーと、言います。インドネシア人はどちらか聞き返しません。頼まれた人によって、どちらか判断します。砂糖を追加で必要かどうかも聞いてくれません。

こういう時は、自分の希望を全部言う必要があります。ティーパックはそのままで、お湯だけ一杯に追加してください。砂糖は匙の半分ぐらいを追加してください。と。

納期について、いつになる?と聞くとミングーデパンと、言われる。月曜日から土曜日まであるのだが、答える方は一向に、気にしない。何曜日か、必ず聞くことになる。そして、午前か午後かくらいは確認する。しかし、彼らにとってこれが約束だとは思わない。其のとおりに納品されることを期待しては、インドネシア人をまだ、わかっていない。

 

3月22日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-189

斜めからインドネシアを眺めよう 189

4月9日は国会議員の投票日ですが、本命の7月の大統領選挙の前哨戦である。8月の決選投票まで選挙戦は続くでしょう。

選挙運動の様子はずいぶん変化した,おとなしくなった。落ち着いてきたといったほうがいいと思う。民主的な雰囲気が定着しつついある。

今回の選挙方法は以前の投票用紙に穴をあけるとは異なり、チェックをする方法に変わったので、その方法をテレビのいろいろな番組で説明している。

ブカン ウンパッ マタ、empat mataというのは、四つの目ですから、二人きりで向かい合ってさしで話をする、という意味ですがbukanという、否定語が、着いていますから、二人で話すのではなく、大勢の人で話をする。そういうテレビ番組があります。その番組の中では、いろいろな有名なタレントが選挙運動のやり方について、ストレス解消的な大騒ぎをするよりも各政党は自分達は何をするのか、何を約束するのかをはっきりしてほしいと言って、観客も拍手していた。

その折り、選挙管理委員会の関係者が出てきて、投票用紙の見本を観客やコメンテーターに渡し、実際にどのように投票するかのシミュレーションをさせながら説明していた。

その他の番組でも、似たような説明が繰り返されている。良い傾向である。また、実際に町へ出て、今回の選挙がいつなのか、投票の仕方を知っているのかインタビューしているが、分かっていない人が、まだ、多い。

幟や旗の氾濫で、この、景色は絶対になくさなければならないと思うが、実際に、街によっては撤廃を民衆みんなでやっている。その雰囲気もテレビで紹介し、住民の意見も聞いていた。

3月23日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-190

斜めからインドネシアを眺めよう 190

Sembilan barang pokok (スンビラン バラン ポコッ)“九種類の基礎的品物”の意味です。 ミニヤクウゴレン(揚げ物油、マルガリン)ブラス(お米)グラ(砂糖)ダキン(各種肉 トロール(卵)スス(ミルク)ジャグン(トーモロコシ)ミニヤクウタナー(灯油)ガラム(塩)を略してSembako(スンバコ)という。言葉の印象から“寸箱“と解釈する日本人は多いと思う。実際に箱や袋に

入れて、従業員に会社からプレゼントすることや、地方や国の政治家や金持ちが折々にスンバコを配る風景が紹介されている。大統領が配ることもある。現金を配ることもあり、噂を聞きつけた群衆が殺到して、犠牲者がでた例もあるほどだ。

イスラムの習慣らしいが、不公平な奇妙な習慣だと思う。結局、世渡りのうまい人が得をするシステムです。一種の金持ち意識を満足させるものだし、もらう方は誇りを傷つけられるとう傾向もある。今回の選挙の場合もこの扱いが選挙違反と絡んで難しいことは書いた。金持ちは、どうせ、巧妙な方法で金集めをしている傾向があるインドネシアです。税金を確実に納入するモラルが定着することが大前提です。

前大統領のメガワティがスンバコを安く安定させる政策を取ると公約している。スンバコの本当の意味が分かって納得したが、日常的によく使われるsembakoは辞書に載っていない。       

3月24日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-191

斜めからインドネシアを眺めよう 191

元K社の従業員が来てくれて試作をしてくれている。このまま量産に移行してくれることを願っている。試作第一号は、お客さまに提供した。評価待ちである。価格が安いことと品質が優れていることは、わかりきっていることなので、後は、いつ注文になるか、客先の考え次第である。

もう一社、図面をいただきに会社訪問をした。ここはすぐに注文をもらえそうである。見積もりも明日中には提出するが、HDPEチューブにしては台湾からの輸入品が高すぎるし、二か月以上前に見積もり依頼したにも抱えあらず、A社からは、見積もりが出る気配が感じられないという。相変わらずの会社である。その他の製品でもチャンスは多いと思う。

一か月振りになるでしょうか、SさんとTさんと食事会をした。三人ともアルコールが全然だめで、その点だけの付き合いである。私のコレクションの写真をDVD三枚にして二人にプレゼントした。ついでと言っては何ですが、仕事の話で、架橋剤のマスターバッチが入手可能かどうか確認した。私が、頼んだり、聞いたりすることは、専門家でもなかなか難しいことなので、原料屋に聞いても何のことか知らない人が多い。ですから、押出成形の原料に関しては敬遠される。

3月25日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-192

斜めからインドネシアを眺めよう 192

技術をもっていない人でも、いい加減なことを云って、お客さんを納得させてしまうことができてしまうことです。私からすると、間違ったことを納得してしまっている人を、それは違うと、言って、納得させることが非常に難しい。

たとえば、安い価格を提出すると、何故安くできるのか疑問が生まれる。高く売りたい人は、指定された原料が高いとか、スピードがこれくらいでしかできないとか、原料を使いやすくするのに手間がかかるとか、言って、納得させようとする。知らないお客さんはそれで納得せざるを得ない。

それより、安い価格を出すには原料を指定されたものでなく、いい加減な原料を使うしかないといって、安い値段を出す、私を牽制する。お客さんも不審に思う。

私が原料は安く入手できる、スピードを上げることができる、原料はそのまま使えるものを要求し入手するから、安くできると、説明しても、なかなか、納得してもらえない。

とにかく、私がやることは、一般の人から見るとマジックのようなものですし、いろいろなものを簡単に作ってしまう能力はほとんど一種の超能力に近いと思っている。ですから、一般の人はなかなか私の言うことを理解できないのです。できるはずがない、だから、私が与えた技術を使い、私の掌の上で、私の出した価格には、ごまかしがあると中傷するひとがいる。気の毒に思うがやむ負えない、分かってもらえないのですから。

もうひとつ、分かってもらえないことがあります。それは、奉仕の精神です。利益を上げることは重要ではないと考えていることです。私の技術を役立ててもらえばいいと思うことと、仕事があればその技術をインドネシア人に伝えることだできる機会が与えられるということです。これこそ、一般サラリーマン的経営者にはまったく別の世界です。

3月26日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-193
斜めからインドネシアを眺めよう 193

インドネシアの日系企業の全てといっていい、今日から四連休です。仕事がないので明日は平日ですが休みにしています。

ニュピとは何でしょうか?ヒンドゥーの正月です。バリはほとんどすべてが休みです。ウングラライ、マタラム空港もフェリー港も休みです。どこかに書きましたが、救急車、消防車など緊急事態に備えた場所以外は、閑散としています。イヌも猫も外出禁止です。お客さんもホテル内にカンヅメです。レストランもクローズですから、前の日に食料品は買い込んでおく必要があります。バリにいる他宗教の人たちも協力しなければいけません。ジャワ島の東端のバニュワンギやロンボクもヒンドゥー教徒が多いので、町は閑散とします。ブロモやプランバナン、ラトゥボコもヒングゥーです。

バリ以外ではほんの一部しかヒンドゥーはいませんので単なる四連休日でどこの行楽地も大混雑です。

ところで、PT.MAKUTAのチューブ製造の第一号注文が昨日入った。どこの何という会社からとは今のところ明らかにできないが、難しい樹脂で寸法公差も±0.05という厳しいものですが、見積もり依頼を受けて、翌日見積もりを出し、三日後にサンプルを提出し、四日後に注文を戴いた。普通の早技です。台湾系の会社の台湾人の経営者、決断が速い。ミーティングはラップトップをオペレートしながらである。「太田さん、この値段でお願いします」と、計算しながら確認していた。私は、即断で「最初ですから、OKです」「次回の別の見積もりについてはこれを踏襲しないことを記録しておいてください」とお願いした。初取引ですから、安い中でも安値で設定した。今後の商売期待の価格である。

3月27日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-194

斜めからインドネシアを眺めよう 194

今晩 日本へ出発です。29日、早朝成田着です。今回の一番の目的はドイツから来ている孫たちと遊ぶことです。何といってもこれが最大です。多くの時間をおじいちゃんとして過ごします。

その他として、パニック障害関係の薬を受け取ること、留学生の保証人としての役割を果たすこと、太田化工での打ち合わせ、N社関係でゴルフと仕事の打ち合わせなどです。

インドネシアの仕事をふやすことを急がなければならないので、6日にはインドネシアへ戻る。ほんの束の間に滞在です。今年の暮れから正月にかけて、その時期まで日本でのリラックスはお預けです。

27日の早朝 大惨事がタンゲラン(ジャカルタの南西)で発生した。山岳地方の灌漑や飲料水用の多目的ダム(貯水池)が決壊し、津波が瞬時に襲った様な状態になった。夕方までに60人ぐらいの犠牲者が確認されたが、ホンの一部で、行方不明は何百人になっている。地方から出てきた大学生の下宿屋が多い場所で、死者の大多数は大学生のようですが、中には、地元の人で家族7人が行方不明になってしまったと探しているお父さんもいた。怖い場所にダム湖がある。オランダ時代に作ったダムで、その時は近くに家はなかったと思うが、今は、密集している。いかにも危険な場所にある。

29日は、日本の自宅から、夜の投稿になります。

3月29日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-195

斜めからインドネシアを眺めよう 195

去年の8月以来の孫たちとのご対面でした。いきなり、二人が飛びかかってきて、大きな荷物もバゲジもそのままに、暴れまくられた。疲れて、ひと眠りしたかったが、それどころの騒ぎではない。どっしんどしん体に乗っかられ、息ができないほどにされてしまい、違った意味でのパニックだ。二歳と四歳このくらいの年の孫の相手が一番、体力が必要かもしれない。

昨日の晩 ジャカルタから出発することに、面白いことがあった。その前にカラワンでゴルフをして終わってからの食事の時、今日、成田へ出発するという話から、空港使用料が10万Rpから15万Rpに上がったよ、と言われた。それから、フィスカルについての話になって、納税番号カードを持っていれば免除になると言っていた、その最後にフィスカルは250万Rpになっているよ、と、言われた。そんなことは初耳で、今年からそうなったという、全く知らなかった。今務めている会社からはまだ、給料を貰ってないし、そんなカードなど見たこともない。そこで、こういうカードだと見せられた。

今晩出発なのに手の打ちようがない。もう、250万Rp払うつもりで、現金を用意して空港のカウンターへ行った。そこで、フィスカルをどうしても払わなければならないが、うまい方法はないかとカウンターの男性に聞いた。

あるという、150万RpでOKという。今まで、100万Rpだったから、それでもオンの字である。方法はここに書けないが、とのかく、フィスカルのチェックやイムグレでも何の問題もなく、スムーズに通過し、飛行機に乗れた。

インドネシア語がスムーズに話せて、即決できることが、そういうことをできる条件になります。とにかく何人かに電話連絡をしていた。

インドネシアですから、方法はあるものですね。
3月30日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-196

斜めからインドネシアを眺めよう 196

月曜日、インドネシアのことが心配である。今日はHDPEチューブのトライをしているはずだが、彼らにとってそう難しいことではない。それでも、寸法が小さいし、0.3mmと薄いので、ちょっと心配。

インドネシアへ設備を希望する装置のリストアップと見積もりの準備をした。新会社に提案をするためです。売上、利益予想と設備計画の日程、100%以上の確率でできるであろう、利益計画スケジュールを準備した。明日のミーティングで議題にします。

太田化工でミーティング後、孫を連れて、動物園へ行ってみた。昨晩、一緒にお風呂に入りながら、約束をしたからです。その約束を果たした。平日のもかかわらず、桜の満開の名所ということもあって、けっこう、賑わっていた。今回帰国の最大の目的が、孫達と一緒に過ごすことですから、それを、実行している。

インドネシアの自分と、孫と過ごしている自分の、環境の違いはあまりにも大きい。孫を相手にしながら、ふと、思う。

それにしても、踏みつけられたり、突然飛び乗られたり、息抜きができない、くつろげない、油断が出来ない。

3月31日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-197

斜めからインドネシアを眺めよう 197

全く遅い対応に従うしかないことが分かった。仕事は何をしているのでしょうか。大男が二人、今年に入ってなお仕事は無くなっている。自分で必要ないと思わないのでしょうか。何もしないで、今年一杯、居座るつもりでいるのに、本社もなにも手を打たない。呆れるばかりである。

工場をたたむのは、早ければ早い方がいいに決まっているのに、それを、くみ取ることが出来ない、例え、それが分かっても、どうしたらいいか分からない。その前に、仕事をしたくない、根っからの怠け者にもかかわらず、インドネシア人を批判することだけは一人前、自分で全部やってしまえばいいのに、できないから仕方がない。他人も知らないから、彼らの無能力を知ることができない。私から見れば、いない方がいい人たちである。そういう日本人がインドネシアには多い。

今年の末前に撤退できるらしい。今頃そんなことを言っているらしい。まったく、話にならない。しょうがないから、もう、あてにはしない。従業員はほとんど仕事がない状態で、情報が入らないので不安に思っている。そういうことも彼らには関係ないことで、不安は不安のまま、知らん顔をしているだけである。従業員から質問されても、そんなことはないと言っているだけである。誰が見たって、状況的に撤退する前夜の状態なのにである。6月末前に、あと、三ライン設備をすることにした。合計6ラインをフル運転にして、N社を待つことにする。

それより早く、会社を設立していただければ、それはそれで良いのだが、N社が張り切っても、実態を知っている私から見れば、K社の現地スタッフをあてにできないので仕方がない。

4月1日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-198

斜めからインドネシアを眺めよう 198

静清リハビリセンターという施設へ母親の見舞いに行ってきた。まだ新しい施設らしく内装は新しく、近代的である。至れりつくせりで、面倒をみてくれるし、本人いわく、食事もおいしいし、豪華だという。半月ごとの支払いだが安かったという。

もう、一月で、家に帰ると言っていたが、もう、リハビリは必要ないと思うくらい自立しているようだ、家に帰るより、ここにいられるだけいたほうが、気楽でいいのかもしれない。空きベッドもあり、急いで追い出される様子もないようだ。

私も、何年か後には、こういう施設にお世話になるかもしれないが、カルシウムだけは、しっかり、補給しておこうと思う。

是は日本の話だが、インドネシアでこういう施設は考えられない。あっても、ごく、大金持ちのお年寄りが対象で、一般の人は、金額的に絶対利用できない。病院でさえ前払いなのですから。前期の授業料のどの援助をし、保証人の役目を少し果たした。彼は、狭き門の米山奨学金を受け取ることができるようになった。前に手伝っていたユニーさんも受け取っていた。一ヵ月10万円なので、非常に大きい。アルバイトを少なくして、各種の交流会や勉強会の指導的役割を果たす余裕ができるので、なお一層、国際交流会のメインメンバーとして活躍できるでしょう。保証人として誇りに思う。

後、一年だが、静岡県立大学の修士課程へ進みたいと希望しているので、自分の思うようにしなさいと、言ってある。

4月2日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-199

斜めからインドネシアを眺めよう 199

孫に突然乗っかられて肋骨を痛めてしまったらしく、ちょっと、そこを蹴っ飛ばされると、ギクッと痛む、彼女たちが近づく気配を感じると身構えるようになったし、花粉症が出てきたので、早くインドネシアへ戻りたいが、まだ予定が残っているので、そういうわけにもいかない。

日本の景気が一段と悪化している気配を感じる。優良企業でも売り上げが極端に落ちているという話は聞くし、従業員を自宅待機にして政府からの援助を受けてその60%を払おうとしている小企業が目立ってきた。専門商品商社の営業担当者は回る客先も休んでしまっているので、ご機嫌うかがいのような訪問も出来ないので自宅待機にせざるをえないという。

電材関係の商社をはじめ弱電関係、ハイテク関係は、かなりひどい落ち込みのようだ。三月決算の関係で在庫調整が行われたことで毎年落ち込むのだが、多分、四月に入っても底は見えないと思う。今回の需要に落ち込み状態は、あまりにも急激で、予想して手を打った会社は皆無で、その逆に、もっと上向きと予想し、建物や設備の増強をしてしまった企業が多い。だから、その反動で在庫と需要の差の比率が大きすぎたのです。在庫調整には半年以上かかるのではないでしょうか。かなりの期間、底を這うのでしょう。インドネシアでは、車とバイクが景気の牽引役ですが、それらも、急ブレーキがかかって、産業全体が、やはり、在庫調整に入っている。

4月3日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-200

斜めからインドネシアを眺めよう 200

県立静岡病院へパニック障害の薬を処方してもらいに行ってきた。昨日でちょうど薬が切れてしまった。三ヶ月分もらってきた。今回は次回帰国が、多分、年末になってしまうと思うので、8月分からインドネシアの病院で処方してもらわなければならなくなる予定である。何とかなると思う。

しかし、頭が重い、常に眠い、たまに、頭がくら~~~っとするなどの症状は未だに引きずっている。すっきりしたというまでにはならないし、パニック障害のことを意識しなくなったということは全然なく、必ず、毎日薬を飲まないと安心できなくなっている。

発病以来、今の薬を飲み始めたら、すぐにパニックになる症状は無くなってしまったが、現在の症状はあい変わらずである。三年近く過ぎたが、すっきりしてしまう薬はないものかと思う。不安から、解放されることはない、いつも意識をさせられている。

先日、帰国前にパナソニック アワードという、インドネシアでは、かなり有名な芸能界に表彰式があった。アカデミーとグラミー賞を+して十分の一にしたような番組です。二十回になります。番組を見たわけではないので、誰が何という賞をもらったのか知らない。しかし、男性歌手で表彰されたのが、アフガンという人と、ピ-ターパンというグループのアリルだったと聞いている。彼らはどちらも好青年の印象で、いわゆるインドネシア人ぽい顔ではなく、日本にいて、黙っていれば日本人以外には思われないでしょう。  

女性の有名な歌手も日本好きが多く、日本の歌手のスタイルをよく真似をしているし、化粧品も日本メーカー品を使っているし、コマーシャルにも出ている。また、彼女たちももし日本のどこか街中で黙って立っていれば他の国の人とはみられないでしょう。日本人顔が男も女も持てるし、近づきやすいという感覚はインドネシア人にはある。

コマーシャルに使われているスターたちも何となく、日本のタレントにそっくりの人が多い。瓜二つという人達がテレビに多く出ている。日本のタレントがそれを見たら、本当にびっくりすると思う。そっくりさんコンテストの担当者はインドネシアへ見に来て、参加者をスカウトしたらいいと思う。ぞろぞろいるので、あまり、捜しまわる必要はないと思う。

ちなみに私が一番最初にファンになった女優、歌手はデシ ラトゥナサリです。15年前にはもうスターだったらしいが、“サンパイ ハティ“という題名の歌が気にいってテープを買った。インドネシアで指折りの有名タレントです。今は、主婦をしながら”アヒルニヤ ダタン ジュガ“という番組のコメンテーター 審査員をしたり、朝のニュースバラエティー番組で司会者をコミカルにやっているのが目につく。

 4月4日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-201

斜めからインドネシアを眺めよう 201

静岡 菊川のホロンという場所でゴルフ。桜が満開のコースでは、いつものことですが、スコアーと云うより、十分楽しんだ。

6:30に鞠子の家を出発、菊川インターで出て、10分くらいで着く。何年ぶりでしょうか、インもアウトもクラブハウスから、登りに登って9番と18番で一気に下りる。歩いたら大変なコースだと思う。桜が見ごろで、もし、一般に開放されていれば、大いににぎわうと思うのだが、プレーする人は少なく、まったく、詰まってしまうことなく、8時にスタートして12時まえに終わった。不景気だから節約なのでしょうか、それともどこかの桜の名所に行ってしまっているのでしょうか、空いていた。キャディによると、平日のお客さんも少なくなっているそうです。

インドネシアの押出成形の利益計画書を提出することになった。来週7,8日に提出しようと思う。株主総会に掛ける資料とするのです。早期に図って、決定をしたいという希望でした。

N社はそのつもりでも、K社の現地の人がKYなので、どうにもならないと思うので、私は私で、勝手に動き回って、何でもかんでもかき集めようと思う。それが、KYの逆だからです。それと、もうひとつ重要なことは客先を安心させることだからです。

いろいろあって、来週は国会議員の選挙なので、時が止まったようになるでしょう、さ来週、13日から、各社からの訪問を受けようと思います。

4月5日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-202

斜めからインドネシアを眺めよう 202

日本最終日が過ぎる。孫たちからの解放である。二人とも、近くにいて着せ替え人形の切り取りに夢中になっている。普通にしていれば可愛くて可愛くて、これが私の孫だと言って回りたいくらいだが、いったん、暴れ出したら手に負えない、こちらは逃げ出したくなる。DVDでも見せておけば、静かでいいが、そういうわけにもいかない、やはり、外へ連れて行って公園などで遊んでややなければならない。これが、ずっと続くようなら、たまったものではないが、幸い、逃げることができるので大変うれしい。

静岡の繁華街へ連れて行って、小さいおもちゃを買ってあげようと、デパートめぐりをした。折しも、静岡祭りの真っ最中、大御所花見行列と云って、市街地を歩き回るイベントがあるし、お練りと云って各町内会が持ち回りで練り歩く、子供のころが懐かしい。この催しを見物したのは50年ぶりくらいです。孫がいるからのことでした。

撮った写真やムービーをDVDに移している。彼女たちの記憶に残っていない部分を後で掘り起こす材料になるでしょう。

ところで、お練りの雰囲気が子供のころと全く違っていた。昔は、子供たちが主体で、学区というより、一町内会で、持ち回りでやっていたが、今は学区のようだし、その行列への参加者が、お年寄りが多い。一目、私より年をとった人達が多い。特に女性の年寄りが多い印象だった。だから、行列がただ、ぞろぞろ歩いているだけで寂しい。綱を引くのも屋台に乗って太鼓をたたいたりひょっとこ踊りをするのも子供だったが、今はそれもない。時代の変化だなと、孫と一緒にいながら感じた。

トゥクール

4月6日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-203

斜めからインドネシアを眺めよう 203

何処から、投稿しているでしょうか。バリのデンパサール、ウングラライ空港の出発ロビーからです。ジャカルタまでのトランジットで立ち寄っています。成田からの乗客のほとんどはバリで出ていってしまいました。ハンドホーン、テレコムセルのフラッシュを使って、インターネットにコネクトしています。

日本へ向かう時は夜中ですから寝ていますが、インドネシアへ向かう時は、転寝ぐらいはしますが、ほとんどは起きていて、映画を見たり何かの文章をワードで書いているかですが、今回は、インドネシアのプラスチック押出成型の統合についてのプランを立てていました。2012年末を最短期限とする、設備の内容や人間の構成、生産品目の予定を立てていた。この事業計画書はさきほど、ブログの投稿と共にN社の海外戦略責任者に送った。

バリの空港の待合所のレストラン、バリインターナショナルロッジでスンブルリストゥリックはあるかと聞いたら、冷蔵庫の電源をはずして使わせてくれた。飛行機内でバッテリーを使い果してしまったのです。

4月7日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-204

斜めからインドネシアを眺めよう 204

いよいよ活動が始まった。しかし、今週は明日で終りのようなもの、三ラインの準備はできているので、来週、早々から、客先の日本人に見に来ていただく。工場はバラックでほとんどお金を使っていない。装置関係も日本で手に入る三分の一以下で整えた。しかし、品質は日本規格以上でできるし、何より、安価で製品を提供できることに自信がある。見かけで判断する人には不安かもしれないが、今までの経過で私の技術とインドネシア人教え子の技術を信じていただきたいと思っている。

ところで、別の話だが、ある会社の日本人がインドネシア人と結婚してしまったことは、良くあることです。

そのうちの一人のインドネシアの奥さん、名前はYさん、から、私に突然電話がかかってきた。内容は、相手の日本人が、近い時期に日本へ帰ってしまうのではないか、ということでした。本人が否定しているなら、信じた方がいいですよ、しかし、死ぬまでインドネシアに住んでいるわけではないから、いつかは別れなければならないでしょう、と云っておいたが、少しは、悩みがやわらいだでしょうか。

奥さんや子供が日本にいるのに、こちらで結婚(二重結婚)しまい、結局、どちらかを泣かせる日本人が絶えない。そういう人は、日本人との会話で、相手によって違うことをいうので、周りの人を悩ませる、場合によっては、誤解が誤解を呼び、人間関係をギクシャクさせる。すべての人に本当のことを言えないのです。一度、嘘の話をした人に、実はこういうことで、前に話したことは嘘でした、とは、決して言わない。嘘を続けなければならないので、嘘が広がってしまう。他のことでも本当のことを言わなくなる。困った人がいるものです。

今回の話はどちらを泣かせることになるでしょうか。

4月8日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-205

斜めからインドネシアを眺めよう 205

また、軍の輸送機が落ちた。24人全員が犠牲になった。こともあろうか、格納庫に突っ込んだ。バンドンのオランダ時代から使っている軍の空港だそうです。ヘリコプターや戦闘機が落ちる。老朽化が原因というが、それにしても、頼りない。以前、戦車が狭い一般道路にひっくり返っていたのに出会ったことがある。

今まで、内戦アチェやチムールティモールやパプアで軍が必要でしたが、今はもうそれらが落ち着いて、軍の存在感がなくいなっている。雇用確保の意味もあるが、頼りない軍は縮小して精鋭化し予算も減らしたらいいと思うのだが、今の選挙運動でそれをマニフェストに入れる政党はない。

選挙といえば明日である。木曜日で休日になる。夕方のニュースで投票用紙や投票箱の準備状況をやっていたが、まだ、到着していない所もある。インドネシアですから、間に合わなくても大丈夫でしょう。選挙結果がまとまるのは一週間か十日後でしょうが、十数年前は一か月以上かかっていたので、相当な進歩です。

10日はグッドゥ フライデーで休み、四連休になるのです。世の中生産調整の時代ですから、丁度良いと思っている経営者は、多いでしょう。私はニアスへ行ってくることにした。二アスまでのチケットは手に入れたが、帰りのチケットはニアスのグヌンシトリで手配するしかないようだ。いつものことながら、ぶっつけ本番になる。

4月9日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-206

斜めからインドネシアを眺めよう 206

日本から戻って、二日間家で寝て、四連休、気は焦るが、私にはこの期間、仕事関係は何も出来ない。家にいても会社にいてもすることがない。

03:30夜逃げのようにして家から出発。当然ながら道は空いている。記録的に早く空港に着いてしまった。04:00でした。06:40離陸。

同じ飛行機、同じ航空会社ではないので、ガルーダとムルパティ、鷲と鳩である。メダンからの乗継が心配で、朝早く、ジャカルタを出発し、メダンには8時過ぎに着いた。ニアス行きは12:40過ぎの発なので、メダン市内へベントール(バイクベチャと考えたらいい、オジェックより、二人乗りなので安い)。タクシーを使えば倍以上はする。メダンは三回目だったが、過去二回は目的地がトバ湖だったので、通過するだけだった。選挙当日で繁華街も全部シャッターは下りているし,閑散としていて、ニュピのバリのようでした。投票所の前に来ると人が集まっている。日本のような学校や公民館などの屋内ではなく、ちょっとした店の前の駐車場とか、公園に特設投票箱を並べて、町のあちこちでやっている。

メダンの空港に到着し、出てすぐ右に出発入口があることを確認して、町へ出て戻ってきて、其の入口に入ろうとしたらここはインターナショナルだという。ドメスティックは向こうの端だと、教えられた。私は7~80m先にこのビルの端かとおもっていったら無い、おしえられた時は見えなかったが、まだ先に別の新しいビルがあった。そのビルまでは50mほどあった。そのビルについて出発口が見つからないので、聞いたら、このビルの向こうの端だという、100mはあった。その端へ着いておない。見回したら、其の端を左に回ってまた左にやっと見つけた。ビルの裏側というか中に入って戻る方向にまた、50mいって、荷物チェックの入口に着いた。ドメスティック用のビルが新しいので、案内板が不足している。到着は国際、国内便とも同じで出発ロビ-だけが、別なので、初めての人、特に外国人には悩ましい空港だと思う。そういえば、オジェックが近づいて来ては乗って行けといっていたのが不自然ではなかったのでした。

グヌンシトリには13:50到着早速、帰りの航空チケットを予約した。これで、一つほっとした。タクシーを決めた。あまりにも、衝動的にニアスと決めてしまったので、どこを、どう歩いていいのか事前のリサーチをしていない、今日は空港からホテルまで移動しただけで、無いもしていない。海岸の風景を撮影したが生憎の海岸工事中で台無しだった。

4月10日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-207

斜めからインドネシアを眺めよう 207

ホテルはMIGA BEACHという海岸に面したコテジ風の清々しい場所でした。30万Rp。夜中から一日中の雨、日本の梅雨のような、しとしとと降り続いた。こういう振り方はインドネシアでは経験したことがなかった。

Hotel Nasionalへ移動した。Gunung Sitoriの中心だが海の近くだった。25万Rpでエアコン、テレビ付き、お湯もでた。フラッシュは、使えなかったがホテルのLANで接続ができた。

ニアスは2005年の地震と津波で500人以上に犠牲者が出た。その前の年2004年には例のアチェの大地震と津波の時も近かったニアスも大きな被害を受けた。二度の災害で、大きな打撃を受けたが、現在はほとんどその跡がない。道路の凸凹はないし、十分な広さだし、申し分ない。 津波の後からだと聞いたが、国連機関の施設が目についた。また、意識的だと思うが、津波の跡をそのままにし、修復していない建物もあった。

ただし、雨降りでどこへも出られず、ホテルに缶詰めどうしようもなかった。せっかくニアスへ来ているのに、ニアスの感覚が全くなかった。残念。(_)!!

それでも、ベチャに乗って街を一周した。物価は安く、ブカシの半値以下、レストラン、ベチャとも満足である。

4月11日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-208

斜めからインドネシアを眺めよう 208

桜満開の日本から、三日目にはこの地へ来てしまいました。朝からレンタカーで南の端のTELUK DALAMに向かう。途中、できるだけ多くの観光スポットへ立ち寄ってもらうことにした。とにかく、下調べがないので、ドライバーの知識に任せるしかなかった。地図を見ると石の彫刻像があちらこちらにあるはずだが、それらは、全部無視して、ひたすら、トゥルックダラムへ走る、そこを通過してしまって、北に曲がり山の中に入って行った。8:00に出発して11:30に最初のスポットに到着したようだ。その場所の名前はBabo mataluo(バボマタルオ)伝統的な集落である。例に石の跳び箱を飛んでみせる場所である。以前の何年か忘れたがお札に印刷されていた。飛んで見せるのが一人15万Rp。値切って三人で30万にして実演してもらった。そのあとサーフィンスポットのSorake Beach(ソラケ ビーチ)へ行った。こんな所を見ても仕方がないが食事をそこでとった。

サーファーは欧米人に交じって日本の若者も三人見かけた。どこにでもいるものです。

結局、求める伝統的集落は一か所だったし、他に何もなかった。

4月12日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-209

斜めからインドネシアを眺めよう 209

ソレカホテルのかわいい入社一か月のレセプショニストの手違いで、出発予定の時間になっても迎の車が来ない。実は全部断られて来ないという。どうするの?バイクで町まで頼みに行ってみてくれと頼んだら、行ってくれた。何とか一時間遅れで出発することができた。迎のバイクが行ったり来たり、橋が崩れていて、グヌンシトリまで行けないという情報がドライバーに入っていて、車を出せないという。しかし、昨日通ってきたのだから、なんとかなると言い聞かせて、やっと納得してくれた。実際に、交互通行だったが渡ることは出来た。昨日と同じ状態だった。

西海岸に道があるはずだが、聞くところによると、津波の後の修復が、はかどっていなくて、グヌンシトリにまではたどりつけないという、ホテルの地図を見て、山の集落へ行ってくれと頼んだら、車は入れない、車を置いて最短でも往復6時間はかかるでしょうと言われた。仕方がないので、途中の山の中の伝統集落BOTOHIRITANO, HILIAMAETANIHAなどに寄ってもらいながら、昨日と同じ東海岸道を引き返すことにした。もっと下調べをしておけば、もっとたくさんの場所に寄れたかもしれないが、そんなに欲張っても仕方がない。程ほどで、良かったのかもしれない。また、グヌンシトリのナショナルホテルにいる。Wifiが無料で使えるのでマリアさんは大喜び、観光などどうでもいいらしい。チャットをしっぱなしでした。明日、この辺りを巡って、空港へ向かう。

昨日のドライバーは時間どおりに出発できたが、見どころを知らなかった。

4月13日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-210

斜めからインドネシアを眺めよう 210

メダン空港の出発ロビーからである。最終日にして、始めて、まともなドライバーと車に当たった。それが面白い、泊まったナショナルホテルの向かいにあるトカンギギ(入れ歯屋)が所有しているキジャンとドライバーだった。たまたま、ホテルの前で、そこにいる人に話しかけたら、私が案内してやるという。それでは、明日、空港へ行く前に、グヌンシトリの近所の伝統家屋を回ってもらいたいと頼んだら、OKした。その時はトカンギギとは知らなかったし、本人が運転手としてくると思っていた。翌朝、7:30に出発と約束したのに、その時間になっても本人が現れない。電話番号も聞いてなかったので、心配になった。すると目の前に突然彼が現れて、車のアイドリングをはじめた。年をとった、と云っても50歳位か、歯医者だと思った。しかし、違っていた。若い昨日話した男が歯医者で年をとった人が運転手だった。

その歯医者がNias島のことをよく知っていて、ちゃんと、案内するように運転手に注意していた。

朝、早くから出発して、山の中の伝統家屋を巡ってくれた。道が狭く、崩れ落ちている場所もあって、木で補強をしてある橋がいくつもあった。一度は、前輪を溝に落として、立ち往生したが、近所から若者が出てくるものです。大勢で持ち上げてもらって事なきを得たこともあった。

歴史博物館(民族博物館)にも案内してもらった。館内写真撮影禁止だった。

三日目のトゥルックダラムへ行くときにこのトカンギギに会えていたら、今回の旅がもっと満足出来ただろうと思うと残念だった。Niasへ行く人はぜひナショナルホテルの向いにある歯医者の島の案内を頼むといいと思う。

詳細は私のWEBSITE で楽しんでください。普通の人がツアーで行くには難しいでしょうが、秘境すき、伝統文化や習慣に興味がある方はぜひ一度訪れることをお勧めします。

南の方と、北の方では家屋のスタイルがはっきり異なる。また、両方とも、どこの影響を受けていることもないし、独特の建築様式である。近代の建築設計士にも眼あたらしたとして参考になるのではないかと推測する。

4月14日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-211

斜めからインドネシアを眺めよう 211

Niasの旅のことは隅において、現実に戻って、会社へ行ったのは久しぶりのような気がします。順調かどうかは判断に迷いますが、一応、試作を進めていますし、お客様の訪問も受け始めています。取引の前提とする、会社の定款というか、PTであることの証明などの書類を提出していきます。

バンコクが今、荒れているようですが、インドネシアは選挙の開票や買収の摘発で、あちこちが賑やかです。例によって、大きな紙を一枚一枚広げて、確認しているので、なかなかはかどらない。テレビで開票速報をしているが、表数が増えない。まもなく一週間になるいが、50%くらいやっと進むでしょう。その後の速度はもっと遅くなるので、結果確定まで、一か月かかるのは納得できる。それも、政府がこれで終わりと宣言するのであって、必ず、その後もどこからか票が出てくるのが普通である。

ニアスへ選挙監視のためだと思うが警察官が大勢来ていたようです。大体、12,13日のメダンへ帰って行ったようですが、彼ら、選挙当日は投票所にいたでしょうが、10日からの開票所(投票所と同じ)に、いなかった。どこにいたかというと、ちょっとしたNias旅行を楽しんでいた。ちゃんとツアーガイドがついて、あちこちに現れていた。私たちが行ったソレカというリゾートには大勢来ていて、昼間からビールを大量に飲み、ギターを抱えて大声で歌っているやつもいた。他の客の迷惑になっているのにお構いなしである。

彼らもグヌンシトリでは同じホテルに泊まり、13日の14:00にニアスから離れた。その時も皆さん酔っぱらっていたので、大変威勢がよかった。私に、酒が入ったペットボトルを見せながら“sake”と云っていた。私はティダ ボレーと云ってやった。

4月15日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-212

斜めからインドネシアを眺めよう 212

来客や客先を訪問が増えるでしょう。三台のラインが一杯になるまで、マーケティングをつづけるが、約二ヶ月後には一杯になる予感がする。それも、製造速度を他社の二倍にしてで、あるから、その他社の6台分の生産量にしてで、ある。

人の弱みにつけいるような商売をしてはならない。私が、元、手伝いした会社はそういう商売をしている。その会社しかできないことが分かっていて、法外な値段を押しつける商法は見逃すことはできない。必ず、そういう商売は破綻することを、分かっていただくようにしたい。価格というものは常識的に客先を説得できる価格にしなければならない。悪徳商売に手を貸した結果になってしまったことを非常に後悔している。なさけない。

その前に手伝っていた会社は、法外な価格を出そうとして、原料費の十倍で出そうとしたが、あまりに高いためにインドネシア人スタッフが間違えて、一桁小さくして見積書を作ってしまった。それを、確認せずサインをして提出した。結局原料価格に製品の重さを掛けた価格で何年も気がつかずに大儲けをしていると思い込んでいた。ジャカルタからスラバヤへの運賃も包装費も後加工もあるのだがそれも只。

まだある、原料費の五倍で計算し、0.15US$として見積もりを出そうとしたが、見積書を作った人が、0.05US$と書いてしまった。それも、確認せずサインをして客先を喜ばせ、自分達の損を知らずに高い価格が通って喜んだという、お粗末な話である。それを、何年も気がつかないでいるし、インドネシア人スタッフは気がついても日本人には余計なこととして知らん顔をしている。前に書いたが、私が見積もり依頼を受けて、出したところ、高すぎる、今はこの価格で買っている、といわれて分かったことでした。

知っているのはそれだけだが、他にも沢山あるのではんないでしょうか。

4月16日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-213

斜めからインドネシアを眺めよう 213

すごい会社がまだある。寸法には必ず公差というものがある。製品寸法ピッタリにはできない、必ず、バラツキというものがある。だから、使用に支障をきたさない範囲の公差というものがある。±いくつ、と,言うものです。

それは、いろいろな道具を使って公差に入っているかいないかを検査する。ノギスを使ったりダイヤルゲージを使ったり、ジグやゲージを使って、入る、入らない、止まる、通るなどで、調べる。多くの会社はジグを使って確認する。

ですから、試作をする前には公差に合ったジグを準備する。試作の時に間にあわなくても本生産の前に必ず準備しておかなければならない。なければ、確実な検査が製造でも出来ないし、QCの出荷検査も出来ない。だから、絶対準備します。

ところが、ある会社の製造スタッフ、検査スタッフとも、使用方法を知らない、教えられていない。止まらなければならないジグで内径を検査すると製造中のものが全部通ってしまう。「これは,全部NGでしょ」というと、作業者は前のシフトからこの状態でOKだと言われている、という。「それでは、このジグは何のためにあるの?」「使い方の作業標準を読みましたか」「使い方をQCから指導されましたか?」と聞くと、知らない、無いという返事。今度は、出荷前の最終検査をするQCのところへ行って、ジグの意味を聞いたら、知らないという。「使わないの?」と聞くと、使うという返事。内径が大きすぎるままOKのスタンプを押している。面白いから、そのまま、知らん顔をしていたら、案の定、一週間後のNGで全部返品になってきた。今度か、帰ってきた品物を全数検査している。よっぽど暇ないです。全部大きくできていて、その中の数%がぎりぎりOKなだけだった。当たり前である。全部粉砕して、改めて生産した方がよっぽど早くOK品ができると思うのだが、そうしない。

客先の担当者から、社長宛に対策書の要求があった。対策書にはNGの原因として、製品が柔らかくて、ノギス(キャリパー)だけの検査だったので、大きめのものをOKとしてしまった。対策として、ジグを作って検査する、と回答した。嘘、八百である。ジグを使って検査をしていて、NGを出荷したのです。また、ジグを作るので、金型費のほかにジグ代を請求した。客先は其れで納得して,ジグ代を出した。

その後も、内径不良が頻発して、客先の客先でも受け入れ検査をするようになってしまい、相変わらず、納品の帰りに不良品を同じ数、持ち帰っているそうです。値段は高いし、NGが多い。おまけに、納品されてくる製品のナチュラル色が一定でないとか、原料を変えているのではないかと客先は疑っている。そういう情報は、裸の王様には伝わっていない。インドネシアにはこういう会社が現実にあるのです。

そこで、開店したばかりの私の会社でできるだけ早く試作品を出すことになった。

4月17日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-214

斜めからインドネシアを眺めよう 214

あなたはこういうときどこを選びますか。三人で横に並んで歩いているとき、中央ですか、それとも、どちらかの脇ですか。私が気にしたのは高校生になってからでした。

インドネシアでも勿論ですが、私は、大勢で行動することが好きではない。ましてや、人に、着いていって行動することは全く不可能です。連れの人に気を使わないで、自分で好きなように行動をしたい。

子供のころから、列の先頭で、後ろの人の行動に気を使いながら歩くことが多かったし、集合時間にはいつも私が先にそこへ行って皆さんを待っていなければならなかった。高校でも、大学でもそういう役目を自然に押し付けられていた。他にやってくれる人がいないから、断れない私がそういう役目になってしまう。

だから、他人に気を使いながら行動することは、大変、自分が損をしていると考えるようになった。

サラリーマンができない私は、やむを得ず、会社の社長に自分でなったが、どうしても、従業員のことに気を使う。他の会社の人より、少しでも、満足が多くなるように気を使っていた。インドネシアでは、アドバイザーとしてやっていたが、私のアドバイスがどうも難しすぎるのでしょうか、アドバイスを受ける側が能力が著しく不足していると言うことに気がつかず、逆に、怒ってしまう、という状態で、やはり,自分でやらなければ、従業員や客先が気の毒だと思ってしまう。私に怒りを感じた人たちは、気が合うようで、能力が同程度なので、意見が一致するようです。

三人以上の時は、役目がない限り、皆さんから不自然でない程度に離れて一緒にあるく。真ん中になってしまったら、何気なくその状態を解消する。

4月18日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-215

斜めからインドネシアを眺めよう 215

記録的な暑さだと思うが、今日にカラワンゴルフ場には、またっく、まいってしまった。アクラブ会コンペなので、カートは使えない。ポカリスウェット500mlを四本飲みほした。それでも、途中、何度も目が回りそうになった。よく最後まで出来たと思うが、スコアーはさいていだった。途中、つかえて、5分くらい待つことがあるが、その時、何故こんな大変なめをして、ゴルフをやっているのか、なぜインドネシアにいるのか考えてしまう。

16:00頃から、M社の前に何となく多くの人が集まってくる。ここへ来れば、世間話をする仲間のようなものがいると思うのでしょうか。K社とA社の生え抜きの社員二人ずつ、K社からA社に移っていてまだ辞めてない人が一人、K社からA社に移ったが辞めてしまった人が三人、マクタの社長と私で、情報交換というか世間話に花が咲く。K社とA社の現況が、オープンにされる。

K社はもうほとんど仕事がない上に日本人は何もすることがないのになぜ、早く、閉めてしまわないのか不思議だということで、意見が一致した。クローズが遅れれば遅れるほど損を増やしているのに、日本人は帰っても居場所がないから、ただ、知らん顔をして伸ばしているのでしょう、といのが、皆さんの意見でした。

A社は、生産のロスが多く、納品した製品もロットアウトを食らって返品になることが多いとか、ここも、日本人が何の役割もはたしていない。

生え抜きの人事のマネージャーが例の社長の逆鱗に触れて、減給の上、現場のQC担当に格下げされたとか。聞くところによると、社長の無知識が原因だと意見は一致した。

生え抜きの製造マネージャーの友人が、PVCのチューブ、インドカルロ向けの生産をブカシティムールで始めた。その、マネージャーの技術指導で始めたという。本人は、私が、マクタから引き揚げたとき、私についていきたいと言っていた。

全員が私についてくると言ってくれる。責任が重大である。

K社の使える人、A社の使える人、MAKUTAの全員をなんとか活かせるように仕事を集めなければならない、そうすれば、自然に、N社の事業計画に則った仕事ができるはずである。

カラワン オーキッドの8番、ショートホール、池越えの打ちおろし、私はパニック障害になってから、一度も、ドライバーで一度も池を越したことがない。毎回、水へ入れて、三打目をグリーンの横から売っている。今日も、ダブルパーだった。

4月19日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-216

斜めからインドネシアを眺めよう 216

私のウェブサイトとブログの愛読者は多い。その中には、私が知っている人も多い。意見を言っていただく方もいるが、おおむね、面白いと言っていただけるし、参考になる、勉強になると言ってくれる人も多い。

私は、ウェブサイトにもブログにも、すべての人々に対し、参考になることだけを面白おかしく書いている。だれもが、それを参考にしたり真似たりしてくれれば、いままでになかった新しい世界が開けるであろうと思っている。

出来るかできないかは、本人の資質による。他の人のせいではない。私は、その環境で、思うようにならない時、満足しないときには、別の方法や道を選びます。ただし、私が満足できない世界で満足している方は、能力が不足しているか、知識が不足しているか、自分本位でしか行動できない人です。この、今書いていることも、全ての人に参考になることです。

私は、上に立つ人を評価しますが、批判や誹謗中傷はしません。私からの評価が悪い人に、同情するのです。立場や権力を間違って使う人は評価が低い。

上に立つ人は、批判される立場なのです。立場が下の人を叱ったり、批判したりする人、特に、怒鳴ったりする人は、上に立つ資格がありません。上に立つ人ほど相手の立場を考え、相手の立場になって尊重してやらなければなりません。権力を持っている人は、自分のためや、上司のために使うのではなく、部下のためや、外部の人たちのために使わなければなりません。私利私欲や、自分の快楽のために、従業員を道具として使うことは許されません。利益は均等に分かち合うという精神がない経営者は別の立場になったとき、誰もが相手にしてくれなくなるでしょう。だからなお、その立場に固執する。

4月20日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-216

斜めからインドネシアを眺めよう 216

人は、よく書くことが次々とあるね、という。トゥルムヌング(物思いにふける)ムラムン(なにも考えないで、唯、ぼんやりしている)カラオケに行ったり、一杯のみに行って、そこら辺の人と雑談したり、憂さ晴らしをしたりすることは全くない。その必要を感じない。そして、他人がやらないことをしている、そんなにしなくても、と、言われるくらい、いろいろなことをしている。だから、書くことはいくらでもあるし、頭の中にどんどん浮かんでくる。小説を書くのとは別の場所だと思うが、脳のどこかに入っているものが出てくるのです。

私たちの会社の紹介をウェブサイトなどやメールで紹介し始めています。間髪を入れず反応は早速出ています。特に強調できることは、日系企業からではなく、日系以外の企業からの引き合いが今日だけでも三社から来ています。K社のお客さんで、今、A社に注文を出している会社からは勿論とんでもなく高い価格で注文を出さざるを得なくなっている会社は、真っ先に、反応を示していただいていますが、思ったほどの反応ではないような気がします。日系企業は少し価格が高くても、仕入れ先を変えるということを面倒な作業と考え、急がないのだと感じます。

もうひとつ大変重要なことは、私の全てを公開していることです。漏らされて、怒りを感じるような秘密事項は何もありません。公的にも私的にも何の後ろめたさはないし、批判されることはない。もし批判する人がいるなら、その何もないことが気に入らないのです。

アの会社コの会社の人のように、社外の人と話す時と社内の様子が別人になる人や、自分で多くの人に個人的なことを話しておいて、巡って私に流れてきた話を、私が確認しようとすると秘密を漏らしたと私に怒りを向ける。そういう子供のような行動をする人が多いし、本来、会社の中に技術以外に秘密はあってはならないのです。秘密はないはずなのに秘密を漏らしたというのは矛盾しているのに、かわいそうな人はそれに気がつかない。

4月21日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-217

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興味深い,面白い話が聞けるものです。こういうことを書いてしまうことが、秘密を漏らしてしまうということでしょうか。

なぜ、また似たようなこと起こるのでしょうか、人種がそっくりだからでしょうか、それとも、私が、その人たちの傍にいたことがあるからなのでしょうか。

あるケーブルシステムの会社に、新しい会社を売りこんだ。早速、PVCの見積もり依頼が来た。その会社の購買担当者は、現在の購入先からの価格がまだ高いと思っている。だから、現行より安い見積もりを私から期待した。

しかし、私は現行の価格の2.5倍を提示したことを、すぐ、客先から知らされ、この話はなかったことにしてほしいと言われてしまった。其のうえ、現行の会社から、もっと値下げを依頼しているとも言われた。

変ですね。私は原料の価格の2.5倍を製品価格にした。現行の会社は原料価格そのもので見積もりを出したのです。現行の会社は10倍の見積もりを出したつもりが、小数点の場所を間違えたのです。そして、それに気がつかないまま、十分に利益が上がっていて、いい商売をしていると今でも思っているのです。そして、客先の購買も、ちゃんと購入価格の内容を把握していないのです。だから、まだ、感覚的に、高いと思っていて、値下げをしたいのです。もっと、付け加えると、客先は原料を購入して10%ほど乗せてチューブメーカーに売っている。その値段そのままで、チューブになって戻ってくるのです。メーカーは100%の歩留まりで作っているわけではないので、ロス分も負担している。客先にとってこんなうまい話はない。それでもメーカーの経営者はぼろもうけをしていると思って、満足している。

多分、私からの返事で、客先は,もうけものに気がついたはずです。そして、もう、この価格について、仕入れ先には触れないでしょう。気がつかれたら、大変ですから。

この文章を読んだ、製造会社(仕入れ先)の社長は、自分の失敗に気づくが、自分のせいにせずマーケティングの人のせいにし、怒鳴りつけるでしょう。この価格のまま、どちらかの会社がクローズしない限りは、行くしかないでしょう。これでは新会社としても手を出し様がありません。

以前、同じような話を披露したことがある。其の会社の日本人責任者は、客先に原料費で未だに売っていて、固定費、比例費、加工賃 スラバヤへの運賃、シボ加工機償却(本社の監査が先日見えられたとき、隠せと指令して、インドネシア人が隠し、監査役に気つかれなかった)100万円位の費用、それを使った後加工費、すべてが持ち出しという代物です。

そういう、ことを、事務所にいるインドネシア人がすべて報告してくれます。裸の王様です。

4月22日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-218

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昨日の続きである。昨日の話が本当なら、製品を注文する側が、自分で原料を買って注文先に100円で売る。注文先が取りに来るので、運賃は注文先負担です。その原料を90%の収率で加工して90円で注文した側に売る。

注文先は運賃、梱包費、比例費、固定費、原料ロスこれらすべてが無料にして、原料を製品に変えて渡しているのです。納得していただけますか。こんなバカな話はないでしょう。それが、何社でもあるのです。

なぜ、このまま、双方とも満足し、あるいは注文側がちょっと不満なのでしょうか。

まず、注文する側の落ち度は、製品の単位当たりに使う原料の量と価格を把握していないことです。原料の価格そのものが、製品価格として出てきたら、そんなわけはないのですから、それは、不自然です。価格の内容を知らなければなりません。もし、原料の価格が違っていれば、注文先が、他から、安い原料を購入して、混ぜて使っていると、疑わなければなりません。出なければ、原料価格で製品が戻ってくるわけがありません。原料の出荷量と戻ってくる製品の量が見合っていても、それで、100%その原料を使っているとは限りません。わかりますか、その原料を使って他の支給ではないお客さんに別の製品を作って売っているかもしれません。

それも、確認したうえ、原料価格で製品が戻ってくるなら、購入側は黙っていればいいのです。それ以上に値下げをしようなどと考えることは、分かっていないということです。

売る側の落ち度は、まず、大きな原因は欲張りということです。まともに正直に、原価の計算をして原案を作っていれば、一桁、違えば、とんでもなく安くなっていることに気がつくでしょうし、間違っていることが分かれば、理由を言って、改定交渉もしやすい。

間違いに気がつかないで、十分、自分の出した値段に満足している場合がほとんどです。気がついても、今さら、どうしようもない。他の人に特にインドネシア人にばれないようにするしかない。疑ったり、それを漏らした従業員を会社に対する背信行為として、首にするしかない。

インドネシアですから何でもありですが、日本人の話です。皆さん、くれぐれも、異常な欲張りはいけません。

4月23日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-219

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ある会社に、乾燥機と押出機を注文し、半額を前金として支払った。押出機は一か月の納期で、中国から輸入したといって納品された。異常に速かったので、不審に思い、機械の中身を確認したら、どう考えても輸入の新品ではないことが明らかになった。インドネシアのどこかにあった中古品の塗装をして新品と偽ったとしか思えない。

乾燥機が三か月過ぎても入ってこない。何度問い合わせても、税関で止まっている。付属品の通過が難しいと言い訳を続ける。もう、我慢ができなくなり、最後通牒として、税関へ一緒に行こう、その段取りを取るように言った。しかし、約束の日になっても税関へ行く気配すら示さなかった。会社へ本人が言い訳に来た。今度は、本人と税関の間に、仲介者が入っているので、直接、税関へ行けないと言っていた。

それなら、その仲介者に電話して、その人も一緒に行ってもらうように、何故しないのか、と、聞いたら、黙ってしまった。それも、信じられない。との各、もう一度チャンスを与えると言って、終わったが、それから、音沙汰がなかった。

文章でキャンセルを理由とともに通告した。半額の前金もいつまでに返却しなければ警察に通告するという文章にした。

そして、結局、前金は返すということになったが、いつ返されるのか。

きっと、輸入するつもりはなかったのでしょう。インドネシア内の中古品が未だに見つかっていないだけだと思う。とんでもない、商社に頼んでしまったものである。

幸い、乾燥機を使う仕事はすぐにやる必要が無くなって他の樹脂でやることになったので、他をさがすこともしなくて済みそうである。

インドネシア、インドネシアこれがインドネシアと感じさせられた。信頼されれば次からの受注が続くのに、眼の前の儲けのことしか考えない人は、気の毒である。

4月24日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-220

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もうすぐ五月というのに、毎日夕方スコールが来る。涼しくはなるが、翌日の朝から午前中は異常に蒸し暑くなる。

今のゴシップニュースは、フランス人の父とインドネシア人の母親から生まれた、インドネシア人女性で、マレーシアのある王家の息子と16歳で昨年八月に結婚した人のことである。音信不通になっているので、母親が、マレーシアを訪問し、娘に会えるように王家に出かけようとしたが、どういうわけか、マレーシアへの入国を拒否されたという話。母親もきれいだが、娘はもっときれい、モデルをしていた。

現在、嫁いだ娘がどういう状態なのか知りたくても出来ない母親が泣きながらインタビューに答えている。どちらの大使館もノーコメントである。気の毒である。

二週間前の選挙の開票が1450万票になった。国全体の投票総数がどのくらいなのか分からないので、なん%開票が進んだのか分からない。しかし、政党ごとの得票%は開票当日から全くと言っていいほど変わっていない。いつ、お仕舞いにするのでしょうか。

そうこうするうちに、次は、大統領候補の宣言が始まっている。今日のところ現大統領、民主党のユドヨノさん、前大統領、民主闘争党のメガワティさん、そして、現副大統領のカラさん、ゴルカル党である。国会議員の選挙で、現在上位三党から代表が出るという様相です。それ以下の党との連携交渉かこれから賑やかになると思う。

私の予想というか、大方の予想ではユドヨノさんが再選される確率が高い。だれを副大統領たてて選挙戦に臨むかが注目の種である。

4月25日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-221

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 いつも一緒にゴルフをする仲間が急にお客さんとジャカルタのホテルで昼食を取りながらミーティングということになってしまい。メンバーが三人だったので、一人欠けると、プレーができなくなる。(土日、休日は三人か四人でなければならない)そこで、いつもの07:00スタートを急遽06:00ティオフにした。05:20分に到着したが、まだ、真っ暗、近くになると、キャディを乗せたバイクが私の車の前後に集まり出し、一緒にゴルフ場に向かう。対向車線はもう送り届けて帰りのバイクがぶんぶん走ってすれ違う。初めて出会う光景である。

 05:30には、いつも待ちあわせるレストランに入った。まだ、連れは到着していない。ところが、他のグループの日本人、すでに20人以上が朝食を取っていた。彼らは多分、05:00頃には到着しているのです。大部分の日本人はジャカルタから来るのだから、04:00頃にはアパートを出ているはず、起きたのは04:30前だと想像する。すごい。ゴルフとなると、こうも、皆さま、御熱心だと感心する。ちなみに私は05:00に出発、目覚ましは04:45でした。普通はその一時間遅れのスケジュールです。

 皆さん06:00前にはレストランから出て行った。終わるのは11:00前である。昼食と雑談をして、12:00にはゴルフ場を跡にする。

 何十もあるジャカルタから半径7~80km以内のゴルフ場では毎週末、見られる光景です。大きく分けて、午前中は日本人、午後は韓国人が多いが、日本人以外の外国人とインドネシア人というプレー時間帯ができている。週末は午前中は平均一万円位だが、11:00過ぎの予約は6千円くらいになるからである。

コンペの会場を交渉する幹事はプレー費のディスカウント交渉の腕の見せ所である。安くできなければ、午後に開催することになる。最近、日本人のコンペも午後開催されることが多くなってきたように感じる。

 

4月26日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-222

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インドネシアでなくても、外国に住んでいる人は為替のことが気になります。私も毎日チェックします。個人の性格にも大いに関係がありますが、商売ではもっと関係があります。

何で見積もりを出すか、取引の通貨を何にするかが大変問題になります。インドネシア国内売りが多い企業はRp立てで商売をしたがるのが普通です。日本など外国売りが多い企業(免税企業、EPTE、カワサンブルイカット)は円かUS$で取引をする場合がおおいし、インドネシア企業は当然Rpで取引を望みます。日系商社は完全にUS$立てでしか取引をしません。

ところで、国内売りが大部分の日系大企業は、Rp立てを望みます。しかし、日系の下請け会社はUS$を望みます。そこで、下請けはUS$で見積もりを出しますが、客先はそれをRpに変換して支払いをします。何の問題もないようですが、問題は下請け会社にとって大きい。というのは、レートを過去三か月の平均で(毎日の終わり値?中心値?それらがはっきりしない)次の三か月のレートを通告してくるのが普通です。しかし、これにクレームを付けることができないまま、勝手にRpに変換し支払われる。その時の事情に依って、値下げをさせられるのです。

そういう関係でなくても、輸入品を扱っている会社から購入する原料はやはり大体、三か月毎にRpでの価格は換えられる。Rp立てて、見積もりを出している会社は、常に原料費が変動しているのです。その変動が読めないわけですから、当然、利益や損失も変動をします。自分の意志でどうにもならないことですから、運が大きく関係します。

見積もりを出す時はお互いに、見積もりの内容を大きく分けて、原料、加工、固定費、事務手続き、利益の比率か金額を確認する。改定をしたい場合はどちらからでも、どの部分がどう変わっているからと、提案をする。

 JABABEKA GOLFの10番 インドネシアゴルフ場の典型的な様子です。椰子の木と広々とした見渡しのいいフェアウエーが多い。

4月27日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-223

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 日系企業は日本本社の指示通りにする。絶対といっていいほど言う通りにする。そして、自分に責任が降りかかる可能性があると思うことは絶対と云って手を出さない。その用心深さが大きい人ほどなにもしないし、できない。

 ある会社の新任社長は、壊れた自動ドアの回復に全力を尽くす。それまで、何年も壊れたままで、自動開閉でなく手動で普通のドアだった。何人かのそれまでの社長は本社に見積もりを出し、修理の承認をしてもらおうとしたが、OKが出なかった。それほど重要とは、双方とも思わなかった。優先順位は低かったのでしょう。しかし、その新社長は、大変気になったのでしょう。優先順位を一番にして、本社と交渉し、OKを獲得した。本社にしては新任祝いのようなものだった。その社長、会う人毎にその何年も直さなかった自動ドアを直したと、強調していた。ついでに今までの社長が直さなかったことを批判していた。そのほかのことは、まったく動かない。本社から指示があった書類の提出で時間を潰していたそうです。

 別の話で、やはり、新社長、その会社、工場開設から十数年過ぎている。大体、どの工場も一年過ぎて、雨季を経験すればあちこちから雨漏りがしたり、壁の亀裂ができて、雨水がしみ込んでいろいろな模様が現れるものです。それが数年も過ぎれば、そのままにしておけなくなり修理やペンキ塗りをするのが普通です。

その社長さん、修理を繰り返した事情を知らない。着任するなり、前任者に対し文句を言ったそうです。なぜ、私が着任する前に修理をしておかなかったのか、と。始めの方の人は、工場の開設から、従業員の教育、さまざまなスタンダードの作成、何より、営業をして注文を取らなければならない。次第に落ち着いてきて、会社が安定期に入れば、忙しくなくなってくる。

       4月28日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-224

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         そうなってくれば、親会社も次第に送る人の質を下げてくる。緊張感が少ない、特別能力がない、仕事に関して特徴のない人を送ってくるようになる。立ち上げや、上昇させた以前の社長さん達の苦労が分からない。大体、会社の根本的改革などに頭を巡らす必要はないし、もしあったとしても気がつかないし、やる能力がない人達です。本社も期待はしていません。大過なく任期を過ぎればいいのです。

 ですから、壁の塗り替えが、第一の大仕事と認識するのです。取っていた新聞を変えたり、書類保管用の仕切りとか、インドネシア人に対して日本語教室を始めたりするのです。効果がないというか、やってもやらなくてもいいことに神経とお金を注ぐのです。本社の方もあまり意味がないことをいままでの社長から聞いているが、新任者にはその程度なら任せるのです。

 こういう社長さんもいたということです。ISOを初代の社長のころ収得したが、持っても持たなくてもあまり影響がないことが分かって、ISOを超えたシステムを持っているか実行されているかいないかが重要だということが分かって、途中で本社の承認を得て更新をしなかった会社があった。其処へ何代目かの新社長が来て、ISOを収得していなことをいままでの社長の大きな落ち度として強調し、早速張り切って従業員の尻を叩いてエイジェントに教育をしてもらい収得した、というより、買った、といった方がいい。其の会社は皆さんが勉強済みで、すべてのシステム、書類が整っていた。新社長さんはお金をはらっただけである。三か月もかからないで、9001と14000を買った。インドネシア人スタッフで主にエイジェントと交渉した人間を、単なる担当者に過ぎないのに、みんなの前で表彰をした。

 その新社長いわく、これで、商売がしやすくなると、しかし、全然売り上げが伸びないどころか、どんどん、売上も利益も収縮している。本社は見放した。

 

4月29日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-225

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友、再びインドネシアで仕事を始めた。日本へ帰ったが、定年を間近にし、退職し、インドネシアの前にいた会社に、現地採用として戻ってきた。また、旅行などでお付き合いが再開されることでしょう。

話は変わって、人が交代する時にはトラブルが起きやすい。社内の場合は上の人が交代すればその人の言うことに不満があっても無くても従うしかないので、問題として表面に出にくいが、取引の場合は双方が、誤解を生みやすい。すべてを書類で拘束されているといことはあり得ない。担当者同士の了解で問題が起きていない場合はついつい、書類での確認が遅れたり、忘れてしまうことがある。場合によっては、約束事を日本の本社の承認を得なければならないことがあって、それが、面倒で、現地の客先の日本人が了解のうえ、そのままになることもある。後任者がそのことを指摘に、大きく前任者の落ち度を指摘する場合が多い。問題が全然発生していないのだから、気がついたら、黙って、書類を整いえる仕事をすればいいのだが、そういう人はほとんどいない。逆に、書類に書いてある通りの以前の不合理で、製品として問題が起きやすい状態に戻してしまう。それによって値段が合わなくなったり、品質が落ちたり、収率がおちる状態になってしまえば前任者の責任にし、自分が改善しようとはしない。

新しい書類の交換をしておいても、後任者が認めない場合がある。その例として、リサイクルの混入比率であえる。混入しないことにしてしまう。勿論、客先はその方が望ましいが、特にありがたいとも思わない。ただ、ご本人が満足するだけで、もったいないことをするその人を評価する人は誰もいない。ロスが増え、最後には捨ててしまう。それを、前任者の責任だとする。価格が合わなくなっても、それを、合うように交渉しようとはしない。

4月30日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-226

斜めからインドネシアを眺めよう 226

ちょっと以前、ビーチゾウリを履いて、ショートパンツにブリトゥン島のTシャツを着た、変な日本人が、会社の入口にいきなり近づいていって、セキュリティに会社の電話番号とパーチャシング担当のインドネシア人スタッフの名前を聞く。彼らはみんなびっくりするが、笑いながら、親切に教えてくれる。後で、アポイントメントを取ってまた、後日来るからよろしくと云って出てくる。何社かから聞き出した。今日は其のうちの二社を訪問した。セキュリティにどこの会社の誰で、誰に会いたいと、いって、車の番号や目的などを記帳し、来客のカードを受け取って、事務所の方に向かう。彼らは100%私を覚えてくれていた。

反応はまちまちで、会った相手は日本人でもインドネシア人でも私のことを、当然ながら、まったく知らないわけで、インドネシア人の会社を、立ち上げさせ、私がマーケティングと技術の両方指導をしている、と云ったって、まだ、全然、

本生産が始まっていないわけだし、どこに、製品を納めているか聞かれても、まだ、納めていないわけだし、御社がお客様の一番目なるかもしれません。どうぞ、押出製品を他から調達していて、品質や価格で問題があるなら、図面をメールで送ってくださいと、お願いするしかない。

B社のインドネシア人スタッフに会社の設立状況を話したら、興味を持って頂いたようでした。折りをみて念を押したいと思う。ぶっつけで営業に回るのは面白い。

 

5月1日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-227

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 日本はゴールデンウイークですね。どん底の不景気の中、円高での外国旅行が増えているようですが、やはり、節約型、研修型が多いようですね。

 豚フルの心配があるし、体力的に自信がない方は、旅行や出張を控えた方がいいですね。

もう、5月になってしまった。まだ、会社のマスプロダクションは始まっていないが、今までやっている、粉砕とリサイクルペレットの製造は好調で、狭い会社の中が、騒音でうるさい。その仕事だけで、10人余りの従業員の生活は十分保証できる状態です。その上に、新しいチューブやプルファイルの仕事が始まれば、気持ちが落ち着く。6月、あと一か月でそうなるはずである。3月初めから、あわただしく、落ち着かない日々が続いてきて、まだ、それは続いているが、一服できる日の見通しが付き、先が見渡せるようになってきて、不安が次第に薄らぎつつあることを感じる。

KIICの南へ行ってきた。其処で聞いた話だが、ある会社に今まで日本から輸入していた製品を、事情があって、緊急に必要になり、製造依頼をした。見積もりを見てびっくり、日本から輸入の運賃込みの価格より高かったという。それでも、他に頼むところがないので、承知したという。その後まともなサンプルが出てこないという。緊急用というのは展示会用だったので、NG品を使ったという。その後、サンプルが出てこない。金型製造依頼をして二か月ほど経過したが、まだOK品が届けられる気配がないという。

 私が見積もり依頼をされた。

5月2日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-228

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日本にいれば、年金生活者で、孫や娘たちに渡航費の援助もできる。蓄えもあり、奥さんも元気でかなりの年金を受け取っているし、何の不自由もない。ボランティアをしたり、囲碁仲間と馬鹿を云いながらザル碁をやる機会は沢山あるし、町内会の世話役をやってもいいし、書や絵画の趣味をやってもいいし、太田化工で邪魔にならない程度に研究開発をしてもいいし、N社の研究所へ行って何か、変わったことをやってもいいし、それでも暇ならゴルフに付き合ってもいいし、ダイビングのなかまに入ってもいいし、年に一回はドイツへ一か月ほど行ったりすることもできるし、他人から見れば多分恵まれた生活がある。

なのに なぜか、パニック障害でふらふらしながら、その人たちの手伝いをしようとしているのに、私から見れば評価がかなり低い能力の人たちから、逆切れされて、文句を言われて、なおかつ、また自分で、インドネシア人の若者が経営する会社の手伝いをして、顧客にもメリットが出るように奉仕をし出した。

人はなぜそこまで、と、思う人がいると思いますが、できるということが、重要な理由です。やろうと思わない人は、まず、出来ないからです。技術を持っているし、資金は持っているし、優秀なインドネシア人スタッフをもっているし、私が提示する見積もりを待っている、顧客は大勢いるし、趣味と実益と幸福感が纏めて得られるからです。

これが、性分だから、許せないことは許せない。実践して、証明するしか、選ぶ道はない。何年かかるか分からないが、自分が納得いくまでやるしかない。やられっぱなし、という言葉は私のインドネシア語でも日本語でも英語でも、辞書にないし、すごすごと引き揚げるなどという、気持ちを味わうなどは、100%出来ない。

 

5月3日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-229

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 自分が節約するという考え方をインドネシアの人たちは持っていない。そういう観念が全く、子供のころから、植え付けられていないのです。そういう親からも宗教者からも学校の先生からも、教育をされていないのです。その人たちが、歴史的、倹約、節約の認識は持っていないから、当然です。

 宗教的にも社会認識的にもオランカヤとオランミスキン(金持ちと貧乏人)という区別をしたがるし、この言葉を頻繁に使う。そして、貧乏人と認識している人が圧倒的に多い、そして、その人たちは、金持ちから物やお金をわけてもらえる、受け取れるという、考えを浸みこませられている。ねだって、もらえなければ、ケチな人イコール悪い人と評価する。自分達が倹約して、ためたお金で、何かの資本にして、お金を稼ごうという考えがない。自立するにはお金や技術が必要、それを、時間やお金や物の節約で作ることが出きるという認識がない。

貧乏人は食べていくだけで、精一杯、すべてを使ってしまってもまだ足りない。そこに、節約をするものはない。そういう見方もあるが、国も団体も個人も、日本を始め多くのイスラム以外の国から援助を受けている。その援助がまた、一部の人たちの懐へ入ってしまう。節約をして安く抑えて余ったお金を返済するとか、他の目的に使うという考え方は、政府自体が持っていない。

上から下まで、こういう点では,なさけない国である。私が資金を援助して、開業させた工場が今の会社の他にもあるが、利益計画通りに売り上げがないにもかかわらず、余剰資金を自分達の給料として、分けてしまった。其の会社は、援助を打ちきって、自然消滅させた。

   Soekarno Hatta空港に第三ターミナルが出来た。まだ、完全ではないのでしょう。今まで通り第一のカウンターでボーディングパス(登場券)の手続きをして第三にシャトルバスで移動する。AirAsia Mandala Airlinesの国内便だけである。

5月4日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-230

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自分達でお金を出すとなると、ぎりぎりを使うだけ、食べるだけを買うが、私が出すということが分かっている場合は、食べきれないほど注文する。食べる前はお腹が空いていたと言っていたにもかかわらず、半分ぐらい食べて、もうお腹がいっぱいになってしまったと云って残してしまう。

これ食べたことがない、おいしそう、といって注文をする。そして、食べ始めてすぐに、おいしくないと云って、食べるのを止めて、大部分を残してしまう。これはおいしいと云って注文する、食べて見て、ここの店のは追い少ないと云って食べない。もったいないから、私が注文したものを食べてもらい、その人が頼んだものは私が食べる。

パダン料理(マサカンパダン)レストランはインドネシア中どこへ行ってもある。前に作っておいた何種類(10種類以上)かの料理を小皿に準備しておいてあって、お客さんに注文を聞かないで、それらの料理を全部テーブルに並べる。熱い、あったかい料理はない。スープや飲み物は別に頼むが、一般的にはテーパナス(紅茶)は無料で出される。一皿、3000~6000Rpである。どの皿でも、ちょっとでもつっ付けば、口をつければ支払わなければならない。寂しいかな、インドネシアの人たちは、割り勘でないことが分かると、どれもこれも、ちょっとずつつっついて、味をみる。私にしてみれば、ただ、辛いばっかりで、味は同じ、食感が違うが、それを、確かめているとは思えない。三人ぐらいで入れば、私がいの二人で、全部突っついてしまう。

マサカンパダンは、アヤムゴレン以外は辛すぎるので、自分は、他の人があちこち突っついて食べるのを見ているだけで、高い金額を最後に支払わなければならない。だから、私は、マサカンパダンレストランがインドネシア中どこへ行ってもあるのが気に入らない。

マサカンパダンはパダンに引っ込んでいてほしい。

望みどおりの機能100%ではないが、インドネシアメイドのナイフ形自動切断機付き引取機の第一号機です。

5月5日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-231

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 二か月ほど前,実業家ナスルディンNasrdin・ズルカルナエン氏(五〇)が射殺された事件で、ジャカルタ警視庁は四日、汚職撲滅委員会(KPK)委員長(休職中)のアンタサリ・アズハルAntasari  Azhar Kutua KPK容疑者を事情聴取した後、計画的に殺人を行った疑いで逮捕した。調べで、同容疑者は、ナスルディン氏に不倫を暴露されるのを恐れ、実業家や警察幹部を通じ、実行者を雇ってナスルディン氏の殺害を命じた疑いが浮上した。数々の大事件を摘発してきた汚職事件専門の捜査機関のトップとして、らつ腕を振るってきた検察出身のアンタサリ容疑者の逮捕により、汚職撲滅委の信用失墜は避けられず、今後の汚職捜査にも影響が出そうだ。ジャカルタ新聞にから引用。

 正確には知らないが、聞くところによると、ナスルディン氏の第三夫人の女子大生とアンタサリが不倫をし、それを、ばらすと脅迫されて殺したとされている。その女性はタンゲランのモデルンゴルフ場のキャディをやっていたころ容疑者と知り合ったとも書かれていた。

 アンダサリ氏は汚職撲滅の最先方に立ち、大統領より権限が大きいとされ、数々の汚職を摘発してきた。KPKは国民の味方として、大きく期待をされる存在だった。数々のテレビ番組にも登場し、その、信念について強く語っていた。アンザハリ氏がいつ襲われてもおかしくないと、言われているほど、容赦なく取り締まりをしていた、正義の味方のようなものだった。それだけに、今回の、あきれたともいえる、下世話な事件を起こしてしまったことに、インドネシア国民は落胆している。KPKは今後、どうなるのでしょうか、心配です。

 

 

 

5月6日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-232

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六日の2時に、また、夜逃げのように家から車で出発した。スマランのM社訪問のためである。仕事である。タンジュンウマスという港湾地帯の中の保税地区の工業団地でした。途中、休憩しながら行ったので、到着は約束の14:00より15分だけ早く着いた。バイパスのような有料道路に西端から入って、東端で出るとスラバヤ方面とタンジュンウマス方面に分かれる。簡単に、迷わず、すぐ近くで確認をしただけで到着した。

この仕事は、もう、何年か以前に頼まれていたものでした。PPとオレフィンエラストマーの二色成型で、PPが只のPPでは無いことが分かっていた。これは原料が特殊で入手しにくいことと、二色成型をPPでやることは大変難しい。当時のK社ではその難しさを理解できる人はいなかったし、A社でも依頼を受けたが、とてもではないが、ばかばかしくて、両方共の会社にこの製品の成型方法や原料の知識を伝える気にはならなかった。

今回は、自分でやって、インドネシア人スタッフに見本を示そうと思い、この仕事に本腰を入れて取り組もうと決めた。私にとっても最後に近い開発的仕事になると思う。というのも、原料は同じものを日本から絶対に輸入できないと思う。成形している会社と原料メーカーが共同開発した特殊な物性を持たせた樹脂だと推測されるからです。

そこで、私が手掛けるには先ず、原料の特性を知って、インドネシアかアセアン地区から入手しなければならない。無い可能性が高いので商社や原料メーカーに協力をお願いしなければならない。とにかく、なんとかして、似た原料を二種類入手し、サンプルを提供するところまでこぎつけなければならない。私にしかできない仕事だと思う。

是が非でも、見積もりがOKになるようにしたいし、OKになれば来年のモデルチュンジに間に合うように、9月ごろまでにはサンプルを出したい。

打ち合わせが終わったのが15:30そのまま、チカランまで戻るつもりだったが、プカロンガンに差し掛かった時、17:30 疲れてしまって、眠くなったしまった。ホテルに泊ってしまった。

5月7日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-233

斜めからインドネシアを眺めよう 233

“天映頻道”という香港のHBOのようなもので日本を始め東洋の映画だけを流すテレビ番組がある。何気なく、チャンネルを変えていたら、呉清源というタイトルに出会った。知っている人はほとんどいないでしょうが、戦前戦後の囲碁界の風雲児だった。若くして、囲碁界を席巻した、木谷実との好勝負は知る人ぞ知る。今の碁界にない、侍の真剣での勝負のような緊張感があったようです。

 私はもう何年も碁を打っていないし、詰碁も解いていない。しかし、碁と聞けば胸が躍る。あの人はどうしているでしょうか、あの方たちはまだ生きているのでしょうかと、思い巡らす。70を過ぎればまた碁ができる環境に戻るかもしれない。

 それにしても、呉清源が得体のしれない宗教にのめりこんでしまっていたとは全く知らなかった。

ジャカルタの囲碁状況について、詳しくないが、聞くとことによると、スディルナンのスミタマスビルの日本文化センターで一週間に二回?集まりがあるようです。また、KOTAのどこかで、日本人が、碁ができるスナックを経営しているとか。正確ではないかもしれない。ジャカルタまで夜出かけていって打つ気は全くなし。たまに日本棋院の海外普及担当のプロ棋士が来て、指導をするようですが、参加したこことはない。

日本にいる時には、大会や対抗戦など地区の代表や業界の代表として出場したことがあるが、そういう真剣勝負は大変疲れる。頭をできるだけ使わないで感覚で打つように心掛けていたが、二三番打つと頭がぼーっとなり、映画館から出てきたようになってしまう。パニック障害の症状が出てしまいそうで、怖くて打てない。

 ジャワ島の中なら車でしか行きません。それも、大部分の行程を自分で運転しまう。事故を起こしたことはありませんが、巻きこまれたことは二度あります。確率的にはゼロに限りなく近い。全く、不安はありません。インドネシアの車の運転は、込み合っているスキー場で滑降をしている時に似ています。瞬時に方向や速度をコントロールします。仕事の技術とも似ています。瞬時に判断して条件を変更しまう。ですから、インドネシアでの車の運転は、面白い。5月21日からまた、車で、中部ジャワの山の中へ行ってくる予定です。

5月8日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-234

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アンジュンガン トゥナイ マンディリ(Anjungang Tunai Mandiri)直訳すると“付き出した部屋、現金支払い、自立”ATMはインドネシア語の略であると、知った。オートマティック テーラー マシンは英語である。ATMは何の略か、インドネシア人に聞かれて、英語で答えたら、違うと云って、教えられた。どうでもいいことだが、インドネシア人のこじつけのような印象が強い。

 来週、10日の夜から、13日まで、日本からのお客さんのために時間を割く、私にとって、大事なお客様です。

 B社に残っているJ社から行った二人の名ばかり管理職になっている技術者が今月一杯で退職するとの情報が入った。すべてを含めた居心地の問題です。そして、彼らにとって居心地がいい働き場所に、希望すればいつでも入り込めるのです。以前、まとめて5人が止めてしまった時に、その人たちの重要性に気がついたのか、世間体のせいか、給料を約束どおりまで上げた。そして、辞めた人たちも、その給料で迎えるからいつでも戻ってくるようにと伝えた。その話を聞いて、インドネシア人技術者をなんだと思っているのだろうと感じた。そんな、小手先の方法で、辞めた人たちが戻るわけがない。給料は仕事が始まってからでいいから、一緒に仕事をしたいと思う場所があるのです。そして、その時残って、上がった給料で勤めていた人も、もう、手伝いはしたくないと、辞めるのです。当然の成り行きであり、結果です。

 B社、生え抜きの技術者も、かなりの動揺をしている。それも、当然です。条件が余りにもひどい。私は誰一人として、誘ってはいない。しかし、フリーなってしまえば拒みはしない。

私の気持ちからすると進行が遅いので、ちょっと焦りますが、取り巻きの人たちの見方を冷静に観察すると、進展が早いらしい、もう、そんなに進んでいるの?と、言われることが多い。もう、5月に入ってしまったので、そう早いとは思えない。

私の車の後ろに若葉マークと紅葉マークが貼ってある。インドネシアでこの車だけだと思う。私は他に見たことはない。インドネシア在住の日本人の方へ、インドネシアでこの車を見たら、私が運転しています。

5月9日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-235

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昨日 国会議員の選挙結果が確定され発表された。各政党の獲得議席数です。2千万票開いたところでした。投票総数は発表されていないようです。ですから、何%開票したのか分からないし、もうこれで、その後の発表はないと思う。

ほんの一部で、不満の声はあるが、大部分のインドネシア人はこれで納得のようです。丁度、測ったように、投票日から一か月後でした。

タレント議員が多く誕生した。

先日、ある会社の社長さんから夜9時に電話が入った。勿論、私は家でくつろいでいた。

至急、何とかしてほしい、日本から頼まれていた見積もりを出すのを、他のことで急がしくて、忘れていて、催促が来てしまったという。なんとか私の方が手伝うことにしたが、それはそれとして、この時間にまだ、会社に居て仕事をしている社長さんがいるのです。たまたま、その日だけでは無いようです。朝早くから出勤し、夜遅くまで、陣頭指揮を取っているのです。そういう社長には、それなりに対応しなければなりません。土曜日でも休みでも、それに、気がつかずに、その時、話して置きたい、確認しておきたいという気になれば、こちらがゴルフをしているときにも電話がかかってくる。仕事が遅かったり、要領がわるかったりするかもしれないが、その取り組みの熱心さには答えなければならないと思う。

 全然仕事をしている気配がない社長さんもいる。電話が掛ってくるどころか、掛けても全然応答がないし、会社の秘書や通訳に聞いても、居場所もいつ会社に来るかも知らない。

 スラバヤからマリアさんのご主人のアリさんが来ている。

 

5月10日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-236

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毎日欠かさず飲んでいたパニック障害の薬を止めることに挑戦した。5日の夜飲んで、8日まで続けた。6日から、日に日に頭のもうろうさと、手足体のしびれ感と時々の目眩が次第に増えてきた。それでも、それの向こうに、すきっきりがやってくることを期待して、我慢した。しかし、ひどくなるばかりで、9日のPT.MAKUTAでの、スタッフとの話し合いの時には、息苦しくなり、声がでにくくなってしまった。パニック障害になった当時の典型的な症状が次々と出るようになってしまった。夕方、家に戻ってきたときにはマリアさんとご主人が外出してしまっていて、一人でいた。体全体がしびれて寒けがして、震えが来て、過呼吸障害の初期症状になってしまった。このまま一人でいて、完全に過呼吸になってしまったらたら、どうなってしまうか分からないという恐怖感出てきて、薬を飲むことにした。結局、まだ、辞めてはだめだということが分かってしまった。

飲んで、30分ほど、うとうとしていた、というより、動けなくて寝ころんでいたら、次第に寒気やしびれが消えて、過呼吸の症状が消え、正常に戻って安堵した。恐怖も消えてしまった。

投稿の原稿どころではなかったが、書けるようになってよかった。

今日は予約通り朝7時前からゴルフが出来たし、スカルノハッタまでのお客さんの出迎えも出来た。その後、スナヤンにあるホテルでの作戦会議も予定通り出来た。今、ジャカルタから戻ったばかりである。

 

5月11日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-237

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なかなか天気も気持ちも、すっきりしない。とっくに雨季は終わっているはずの月だが、5月になっても雨が降る日が多い。こういう年は、冷害の年です。水が豊富のうちの日照不足が作物の成長を妨げます。日本の長梅雨と同じです。特にコメの凶作が予想されます。インドネシアは日本よりはるかに天候の影響を受けやすい。

マリアさんの旦那がスラバヤへ今朝早く02:00出発していった。向こうで朝から仕事をしなければならにと云っていた。真面目な男である。

 自動カッターのインドネシア国産第一号機が、形はとっくにできていたのに、カットした長さにバラスキがあり、このままでは、切った後、また、切り直さなければならないという状態が続いていた。今日それが、無くなった。機械的、電気的二重のストッパーで一定のテンションをかけて、成功した。チームの何人かのインドネシア人が安堵していた。大満足だったでしょう。その様子を見て、でひ、これで終わらせてはならないと思う。二号機、三号機とどんどん増やさなければならない状態にしなければならないと思う。

今の会社では装置の輸入ができないので、インドネシア内にある中古装置とインドネシア製で、揃えるしかない。

 矛盾するが、一人で相撲を取っているような気もして、周りの流れと気持はそれと違うような気がして、気持ちがすっきりしない。これが消えるのには時間が必要だと納得している。半年はかかると思っている。

 

 

5月12日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-238

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インドネシアのコンビニ、アルファマートやインドマレットなど何処でも売られていて確かに人気がある日本発のお菓子はいくつかある。インドネシアへ来たばかりの時は良く買って、家で一人のときつまんでいました。ポッキー類、源氏パイ、ナビスコ類、日本から輸入の商品もあるが、ほとんどインドネシア産です。ハラル(イスラムのOK品)でなければならないからです。

目には入るが、もう、それらを買うことはない。年のせいでしょうか、お菓子類を、ぼりぼり、つまむということはしなくなくなってしまった。多くの人が晩酌やワインを楽しむように、私は、紅茶(インドネシア テー)を飲むだけである。パニック障害の関係でコーヒーを飲むのはゴルフの後の食事の後くらいにしている。

インドネシア人に、一番おいしいと云ってもらえる確率が高い、日本からのお土産のお菓子は何だと思いますか。ぴりっと辛いお米のお菓子です。インドネシアの日本人のためのカラオケで摘みとして出されます。柿の種です。これが大人気です。100円均一で大量に買ってきて、一袋ずつ配るのですが、皆さんはそれを少しずつ食べます。ピーナッツを分けて、最後に食べる人もいます。直ぐに食べてしまうのがもったいなくて、長い間楽しみたいようです。日本人の皆様、亀田の回しものではありませんが、安くて喜ばれる柿の種をぜひ、インドネシア人へのお土産として試してみてください。

日本のピーナッツは、“大きいだろう、美味しいだろう”と言いながら、食べてもらっても、喜ばれません。インドネシアのピーナッツは小さくて日本ならNGで捨てられそうなものです。食べるのに面倒ですし、味が今一しっくりしない。インドネシア人はそれの方が美味しいのです。逆に日本にいるインドネシア人にガルーダのピーナッツを土産として渡せば、他のインドネシア人と分けあって食べます。インドネシアの子供の時からの味なのです。

5月13日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-239

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 日本にあってインドネシアにない果物は栗が一番印象的でしょう。柿も珍しそうです。種類が違うもので、柑橘類でミカンは種がないのに驚かれます。ブドウもそうです。甘栗は殻を割って食べることと味がインドネシア人好みですから、よろこばれます。珍しさで、印象的に受け取られますが、おいしいかどうかは彼らの反応は微妙です。

インドネシアの果物の種類は豊富です。日本には全くないものが多いので、名前も知らないものが多い。ブログやウェブサイトでそれらを写真付きで紹介していますが、私が、おいしい、もっと食べたいと思うものはドリアンとチボダックだけです。但し、これらをおいしいと思う日本人は稀です。そのほかの果物は、それほどおいしいと思わないし、食べるタイミングが難しい、食べどきが短いのです。固くて味がない時期が長く、おいしい時は短く、すぐ腐ってしまう。バナナもそうですね。こちらでは、買って,三日過ぎれば腐ってすてなければならない。冷蔵庫に入れておいても同じです。家の庭のバナナも良くなるのですが、多すぎて、食べないうちに腐ってしまう。日本が輸入するバナナはそれを考えると不思議です。まだ、緑の状態で出荷するのは知っていますが、それ以外に、何か長持ちをさせる処理をしてあるに違いいありません。

さまざまな果物を日本へ持って帰って、皆さんに渡しました。おいしいと言われた果物はない。普通に食べられれば、おいしいというのですが、言わないということはどちらかというと口に合わないのです。当然だと思います。慣れない味だからです。

皮をナイフで剥く必要がないものばかりなので直接、手で皮を剥がして食べるので手軽に食べられると思うのですが、種が大きいし種から実が剥がれにくいし、向いた皮も厚くて、実の大きさの半分以上を捨てるものが多いので、食べた後の方が、ボリュームが大きくなってしまう。

日本のスーパーに南国の果物が並ばない理由は、バナナ以外は保存が難しいことと、やはり、日本人好みに味ではないからでしょう。

椰子の実も、珍しいが特に美味しいということはありません。皮が厚くて自分で、鉈で切って(割って)飲み口を作るのは大変です。一般家庭向けの果物ではない。

やはり食べ慣れた果物がおいしい。フジリンゴはおいしい。

5月14日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-240

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 先週、ヒュンダイ工業団地にある会社が倒産した?従業員が入口付近でピケを張っている。聞くところによると、冷蔵庫の扉のマグネット入りのシール(ガスケット)を作る会社だとか。なぜか、昨年末から、この関係も売れ行きが落ちたらしい。そこで、淘汰されたといっていいと思う。同じ仕事をやっている、まだ、持ちこたえている会社には特需の注文が入るでしょうが、一時的なもので、全体の状況はそう変わらないでしょう。もともと、この類の仕事は、原料屋を儲けさせるだけで、いくら忙しくなっても、利益が比例するものではなく、むしろ、歩留まりが落ちて利益は下がる。日系企業はロカーカル企業へ注文をだしている冷蔵庫メーカーの保険的存在と位置付けられているにすぎません。

 EJIPのT社も操業停止になって、二週間以上は過ぎていますが、一向にピケとロックアウトが解かれる雰囲気になっていない。問題がこじれていることは見た目で明らかです。

 クローズする会社は、それなりの、決定権を与えられている人で、人望を持った人が対処になければ、こじれてしまうと、かえって、高いものになってしまうし、当事者以外にも法外な御金を払わなければならなくなる。従業員の立場に立って処理できる人でなければなりません。自分のサラリーマン的立場を心配する人では、現地人に付け込まれてしまうばかりです。もっとも、うまく処理できる、綺麗にクローズ出来る人なら、会社をクローズしなければならない状態にまでなる前に、なんとかするでしょう。

 経営が行き詰まり、撤退しなければならなくなった会社は、撤退の仕方でも行き詰まる確率が高いのはそういうところにある。そういう会社、そういう経営者でゆき詰まりそうな会社が何社かある。勿論、本社にも大きな責任がある。

5月15日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-241

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家辺り、会社辺りは、例年になく長雨が続いている。昨日も今日も一日中、日本の梅雨時のようにしとしとと降り続いた。冷え込んで寒い、熱いインドネシアに慣れてしまった私は暖房が欲しいくらいです。明らかに異常気象である。

インドネシアには気象庁のようなものがあるのでしょうか。ないとしか思えない。必要ないと思うし、有ったとしても天気予報を出せない。長期予報など未来永劫出せないでしょう。

弁当屋も農業や漁業の人たちも天気予報に頼っていない。日本のように気象予報士など全く必要としていないし、免許など思いもつかない制度だと思う。

今年の気候について私は心配しています。しかし、公共の機関や政府からは何の情報も出されていないし、新聞や各種報道機関もこのことに触れていません。

すでに、作況状況を調査しようとすれば、各種作物の様子は分かるはずだし、注意事項も伝えられるはずですが、この様子も全くない。結局、何もしないで、結果で対処するのです。そして、対処もできないのです。

最近の書きこみ内容は、インドネシアの様子を焦点がぼけたように紹介しています。私の身の回りに起こっていることは、微妙な状況に差し掛かっていますから、書くと、読んだ方々にそれぞれ違った印象で取られたり、誤解を招いたりしそうなので、しばらく、控えたいと思います。

手伝っている会社のことだけでしたら、ウェブサイトで最近の様子は紹介しています。

大統領候補者が民主党ユドヨノ現大統領とブディオノ中銀総裁

       ゴルカル党カラ現副大統領とグリンドゥラ党のプラボー

       民主闘争党前大統領メガワティとハムラ党のウイラント

の三組に落ち着いたようです。

5月16日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-242

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 工業団地KIICKarawang Indonesia International Center)から直接高速道路へ入るゲートが使用開始された。MM2100やもう一つ向こうのスルヤチプタと同じように直接工業団地に出入りすることができるようになった。ヤマハモートルやトヨタアストラなどKIICの方々は非常に便利になったでしょう。

今日、土曜日でしたが、会社にインドネシア人が集まってきて、情報交換をしていました。私に聞きたいことがあるのでと、呼び出されました。どういうところか知っている人は少ないと思いますが、“梁山泊“もかくやと思わされる様子です。内容を紹介したくて、むずむずしているのですが、昨日書いたように微妙な時期になっていますから、耐えます。

 現金を持って、といっても2万円ほど、カプックの原料屋に、LDPEを100kg買いに行った。往復三時間ほどでした。こちらの原料の買い方は現金を持って購入に行くのです。勿論、前もって、予約をします。届けてもらうと、量によって距離によって原料の価格が違ってきます。これは、日系の商社もローカルの商社も同じことですが、ローカルの場合は、現金を用意して待っていれば届けてくれますが、日系の場合は、振込(支払)が先です。それを確認後、原料を届けてくれます。

ある程度の規模の会社になれば、一月分まとめて、半月後くらいに現金振り込みということに出来ますが、まず、取引の実績を作って、信用を獲得しなければなりません。

Karawangのある会社への量産サンプルの生産が始まった。簡単な製品だが、冷却水の中に予想以上に大量な空気が溶け込んでいて、それが真空装置で減圧すると気泡になって製品についてしまう。そこが、凹みになる。気泡抜きの工程を設けなければならなかった。場所によって水質が違うものです。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

眠れない夜のあなたの友としてアクセスしてください。直ぐ眠くなります。睡眠薬代わりに最適です。

5月17日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-243

斜めからインドネシアを眺めよう 243

 ジャバベカの日曜日の朝はますます賑やかになってきた。今までのゴルフ場2番と7番の脇の広場がクローズになり、その代わりにすぐ道を隔てて向かい側にもっと広い場所が解放された。午前中は家族や友達同士で一見ジョギングスタイルで大集合する。バイクや車で来る人や家族も増えた。当然、屋台やテント店も出てくる。地面に商品を広げて売る。

 昼前にはそのにぎわいは消えて、パチャラン(デート)の連中が取って代わる。14:00前にゴルフ場から出るが、木陰に寝転んだり、バイクによりかかったりしているカップルが道の両脇の草の上に連続している。お互いに刺激されるのでしょうか。抱き合ったり、膝枕をしたり、かなり、開放的で大胆である。広い道を通る人はゴルフ帰りだけである。

  週末、夕方のテレビ番組で今盛んに流されているのが、テレビ局が探偵社のようになって、依頼された人探しを手伝うものである。Termehek-mehek(泣きながら追いかける?)いう番組が最初だった。今でも続いている。Orang ke tiga(第三の人)やCinta pertama(初恋)など、他の局でも次々と似たような人探しの番組が流され始めた。

 最初は、捨て子と知って、本当の自分の親を探したり、蒸発してしまった父親を捜したり、消えてしまった恋人を捜し出したら、交通事故で失明していたとか、対面でお涙ものが多かった。

 しかし、最近の話は、恋人に他に恋人がいるのではないかと探し当てたところ、ホモだったとかレズだったとか、母親が家に戻らないで外泊することがおおくなったので探し出したところ、自分の恋人とホテルから出てきたとか。アブノーマルな内容になってきたし、追いかけている車の中に照明をつけて、撮影していたり、必ずマイクロカメラを設置したり、モザイクを掛けなかったり、いかにも駆け出しの俳優の演技で、ワンパターンでいかにもやらせが見え見えである。しかし、インドネシア人はそれを追求しないし、社会的にもテレビ局のモラルを追求しないどころか、視聴率が上がっているようです。ばかばかしい、の一言です。

 

 5月18日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-244

斜めからインドネシアを眺めよう 244

 ある会社向け製品の原料と製法を確定した。インドネシア人オペレーターに任せて、二週間過ぎたが、彼等だけでは決めることができなかった。

 将来は自分達の内の誰か、代表する人が決定しなければなりません。インドネシアで作られる押出し製品の使用目的にマッチした、原料の選定や製法の確率ができるようになって、押出成形ができるということになるのです。もう間もなくです。3~4年後には私は必要なくなるでしょう。

 来月から、二人の教え子が新たにPT.MAKUTAに合流することになっています。合計7人になります。一人まだ、来ないが、理由があって今の会社にまだいと方が有利という判断です。理由がなくなるにはもうしばらくかかる。これを機会に従業員として認め正式に給料を払うことにし、健康保険にも加入させます。生活の最低保証から始めます。仕事が増えるに従って、待遇条件を上げていきたいと思う。こういうことは、全員に文章で渡します。残念ながら、短期間だけのテンプラリーの処置ですが、こういうシステムが理想で実際にできればいいと願っていることに将来も変化はないでしょう。

 B社にいた従業員がブカシウタラで押出成形の仕事を始めた。PVCチューブをP社向けに製造を始めている。Y君がリーダーだが、スポンサーはバンドンのインフレーションの会社です。インドネシア人経営者だが私にアドバイザーとして来てほしいとそこのボスが云っているので、ぜひ、会う機会を作ってほしいと言ってきた。会って知り合いになるのはいいが、アドバイザーについては引き受けられないと云っておいた。思わせぶりの返事をしてはいけない時期である。

 庭のバナナの木からの収穫です。今が切り取りどきです。この種のバナナは太くて短い、このまま食べてもおいしくない。ガレンガンといって、スライスして、てんぷらにする。ピサンゴレンといいます。そうすればおいしいが、自分の家で食べるには多過ぎる。置いておけば一週間も持たずに腐ってしまう。だから、ゴレンガン(揚げ物)のカキリマ(屋台)にくれてやる。彼らに大喜びをしてもらえる。

5月19日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-245

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 本当にどうにもならないのがインドネシア人の品質に関するこだわり、認識の不足である。大部分のインドネシア人は、あらゆる道具は、すぐに壊れる、すぐに使えなくなってしまうと思っている。物心付いたころからそういう状態の中で生きているので、壊れてしまうことに不満は生じない。直してつかうことを考える。直せる人は尊敬される。直せなければ捨てる、修理をしてもすぐまた壊れることを承知しているので、修理に出すことはないし、修理屋を信用していない。

だから、自分でできる、修理をするという人が、以外に多い。しかし、修理をするといっても壊れた部品を見つけ出し、交換するだけです。この交換部品はすぐまた壊れます。なぜ、壊れたのかを追求して、その部分を改善し、壊れないように、壊れにくくなるようにするということはないので、壊れればまた壊れたと云って、次も、同じ壊れた部品を交換するだけで、インドネシアのこの部品は壊れやすいから、というだけです。

事実、インドネシア製は壊れやすいことは確かです。寸法精度が悪いし、組み立て(セット)の仕方もいい加減で、固ければ叩き込む,ゆるければそれでもかまわない。配線の締めの強さが一定ではないし、最初から接触不良のようなものもある。売る時に必ずテストをして、動くこと、明かりがつくことを確認して、売るが、持って帰って使い始めるとすぐ、機能しなくなることは、当たり前のようにある。それが普通だから、誰もが、品質が悪いと思っているが、全体の産業として、そう、思われていることから、なんとか、思われないようにしようという、空気や行動は全く感じられない。それが、インドネシアです。

日系企業の中にも、インドネシア人同士に任せてしまっている会社は、次第にそういう雰囲気になってきて、いつの間にか、日系企業の客先の日本人から信用されなくなる会社もあるので、日本人はインドネシア人に任せっきりにしてはならないし、責任は日本人が負わなければならない。インドネシア人の20~50倍の費用がかかっているのですから。

5月20日   インドネシアで 楽しく暮らす 15-246

斜めからインドネシアを眺めよう 246