柳田国男と司馬遼太郎
 私はどちらも齧りました。残念ながらというか、幸運にもというか。
 私は、マルクス主義というベースがあり、柳田さんと司馬さんに関心をもっていたから、社会科学のことも、文学のことも、人間個別のことも、風俗も、性のように生々しいことも、金銭勘定を含めて、アプローチしようとしてきました。
実生活でも、教師や物書きという職業においても、です。
いってみれば、自分の頭で考え、自分の足で歩こう、ということです。

 司馬さんは自分の足で歩かない人なんです。柳田さんは、自分の足で歩く人だった。
司馬さんの目線は、うんと低い。柳田さんの目線は、うんと高い。この違いがある。

街道をゆく
 『街道をゆく』では、司馬さんは歩いていません。
目線を低くして、うんと遠いところを見ている。見通そうとした。目線が高い柳田さんが身を低くして歩き回った。
官費で、官庁の仕事をさぼりながらというか、やりながらというか。
でもこの二人は、人間一人を理解するのさえ、歴史の厚みに分け入り、その時代の一番切迫した問題と格闘し、細部と抽象までを全部絡めて、学ぼうとしました。
当然、経済も政治もよくわかるし、ご自身でも、実際に、さまざまな応用問題を解いています。
 柳田さんは、日本の近代農業の振興策を、つまりは、日本資本主義発展の要の課題を最初に解こうとした一人です。
講義や公演もしましたし、著書も数多く書いています。

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