教養の教師は塾の教師たれ
 ゼネラル問題をゼネラルに考えようとする場合、いちばんいいのは、やっぱり文学でしょう。

決して社会科学じゃない。社会科学というのは、その特定の部門部門で、特定(特殊)な手法があって、その手法にもとづかなければ、対象を説明できないのです。

つぶしのきくヤツ
 文学には決まった手法がない。対象一つ一つに、それぞれ個別の方法がある。
そういう方法の集積が、ゼネラリストの手法なのです。何か一つの原理があって、それで全部を説明できる、というのはゼネラレリストのマナーではありません。
それは、宗教家の物です。ちなみに、マルクス主義のマナーは、ゼネラリスト風ではあっても、宗教家のものである、ということがマルクス主義を探求していって私が理解したことの結論でした。

 ゼネラリストになろうと思ったら、小説だけではなく、文芸というものに対して、つまり人間と社会の全部の方向に対して関心をもち、それに対して、ある程度まで、自力でアプローチしていくことができる力を養わなくてはならないでしょう。
文芸を通じてゼネラリストの力を養う最良のテキストが2つあります。
一つは柳田国男で、もう一つが司馬遼太郎です。

この2つは必ずしも一致していません。同心円に収まりません。方法が違う。
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