
教養の教師は塾の教師たれ
私は、専門がつまらない、とは思ってはいません。
専門で、「ある一定の水準」まで行こうと思ったら、これは大変なんです。
しかし、「普通の水準」まで行くのは、比較して簡単です。「ある一定の水準」まで行って、それを自分のゆるぎないものとして維持しようすることは、とてつもなく難しい。
古くから、ゼネラリストか、スペシャリストか、という議論があります。
ところで、ゼネラリストという言葉は、ポジティブに、「万能選手」という意味です。
ただし、日本では、ゼネラリストは、「器用貧乏」といわれるように、おうおうにしてネガティブな意味に用いられてきました。
つぶしがきくやつ、ですね。ヨーロッパ、アメリカの場合、「万般に通じた人」という意味で、ニュアンスが異なります。
つぶしのきくヤツ
私は、スペシャリストになるよりも、比較すると、ゼネラリストになる方が、難しいと思います。
まして、ゼネラルなことを教えようと思ったら、大変なんです。
私が、ゼネラル・エデュケーションの出会い科目を担当してきて、強心臓にも、少しくらいなら教えることができるんじゃないか、と思ったのは、自分がマルクス主義を勉強したからでした。
マルクス主義というのは、厳密な意味でいうと、学問体系ではないのですが、人類史上の全てのことを解明する能力を持っている、と自己宣揚してきた「学問」なのです。
経済学だけができるとか、政治学だけができるとか、哲学だけができるとか、自然科学だけならできるなどという、部分知にとどまる行き方を認めない学問です。
つまり、マルクス主義はオールマイティ(万能)である、というレーニンの言葉を定言命題として出会い系掲げます。
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1.教養学の基礎テキスト
2.柳田国男と司馬遼太郎
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